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死がふたりを結ぶまで  作者: 篠矢弓人
16/29

秋の夜に惑う3


「……と、言いたいところだが。残念ながら流石の私でも、人間の身体を永続的に作り変える魔術薬は開発出来なかった」

「……ぁ…………っぶねー!」


 竦み上がっていた心臓から、ドッと血が廻り出す。必死で深呼吸を繰り返しているキーロを横目に、ルウは肩を震わせて笑っていた。


「やめろよそういう冗談!!口から心臓出るかと思ったわ!」

「君が想像以上に怯えるのが面白くて、つい」

「最低か!悪趣味が過ぎるぞ‼︎」


 馬鹿だった。一瞬でもルウを純真無垢な天使か何かだと錯覚した自分が愚かだった。この男は正真正銘の悪餓鬼様だ。

 しかも「開発出来なかった」ということは、一度は試みたということだ。もしも上手くいってしまっていたら、今ごろ自分は……いや、止そう。考えたくもない。


「お前のそういうとこ嫌いだ」

「虐めて悪かった。そう拗ねないでくれ」

「絶対許さん」


 身動きが自由に出来るようになったキーロが上から退いたルウを軽く蹴る。擽ったそうに笑う彼には、なんのダメージにもなっていない。

 お詫びのしるしにベッドまで運んでやろうと言われ、軽々と肩に担ぎ上げられた。


「くっそ、引き籠りモヤシだったくせに」

「理系は体力仕事なんだ。君は……背も低ければ体重も軽いな」

「お黙りあそばせー!(裏声)」


 確かに平均と比べれば小柄ではあるものの、キーロの筋肉質な体は見た目より重い、はずだ。それを荷物でも運ぶかのように持ち上げられるなど、年上としての矜持がへし折られた気分だった。


 たぶん、ルウはこれも戯れのつもりでやっているのだろう。少し前まで自分を抱え上げていたキーロを簡単に同じように出来ることが、面白くて仕方ないのだ。


「気分はどうだ?」

「最悪」

「違う、薬の効果の方だ」


 悪質なジョークのせいで忘れかけていたが、実験は継続中のようだ。キーロは何回か手を握ったり閉じたりして痺れなどが無いことを確認すると、特に副作用は見られないと答えた。肌がざわついたり頭がぼんやりしたりするのは、通常の効果の範囲内だ。


 ぽいと雑に降ろされ、水銀式体温計を手渡される。計り終えるまでの沈黙が何となく気まずくて、キーロはあのさぁと口を開いた。


「さっきの話だけどさ。お前子供欲しいの?別にそんな好きじゃねぇだろ、子供」


 たぶん、そういう意味ではないと理解しつつの問いに、ベッドの縁に座ったルウが振り返る。


「言った通りだ。君は責任感が強いから、子供がいれば私から離れていかない理由になると思った。いっそのこと、君か私のどちらかが女性であれば簡単だったのにと、時々思う」

「うん。言ってることは訳分からんけど、物凄く下衆な発言をしてんのだけは伝わった」


 俗っぽい言い方をするならば、『既成事実が欲しかった』といったところか。本来なら嫌悪感を抱くべき台詞のはずだ。けれど、ルウに全く他意がないことが分かっているキーロとしては、途方もない呆れのほうが勝った。


 あくまでも、キーロを手元に置いておく手段の一つとして生殖を検討したのだろう。害意も、肉欲すらも無く、有効な手段及び保険の一環として。ルウにとっては性別など、身体構造の違い以上の意味を持たないのだ。産むことに適しているか、いないか。ただそれだけの違い。


 しかし、そんなことよりも大きな前提条件の欠落に、ルウは気が付いていないようだった。


「あのなぁルウ。そもそも同性の被験者を指定して連れてこさせたのはお前だぞ」

「あの時点ではそれが必要条件だった」

「何言ってんだ、今もだろ。それに、仮に俺かお前が女の子だったとしても、ずっとこのままってのは無理な話だし」

「……何故?」

「世の中には身分の差ってもんがあんの。頭良いんだから、それくらい分かるでしょー坊ちゃんや。実験動物にしても花崩れにしても、俺とお前は違う階級の人間なんだよ」


 生まれた国が違う。育った環境が違う。期待されている役割が違う。いくらルウが下らない事だと思っていても、この国で生きる以上それらの価値観は付いて回る。何よりキーロ自身が、このままではいけないと強く感じていた。


「俺のことはいいから、お前は真剣に自分の将来のことだけ考えろ。医者になるなり家を継ぐなり、お前ならなんにだってなれるんだからさ」


 時間が経った。キーロは水銀式体温計の目盛りを記録する。平熱とそう変わらない体温だったが、体感としては微熱のような感覚だ。頭の中がふわふわとして、思考が鈍くなっている気がする。熱いのに寒い。飲んだことは無いけれど、酒に酔うのはきっとこんな感じだ。


 ルウの冷たい手に触れたら少しはマシになるだろうかと伸ばした手は、届く寸前で避けられた。代わりに大きな体が、ベッドを軋ませながら倒れ込んでくる。


「おもっ⁉︎」


 薄々感じていたのだが、もしかしてルウは自分の身体が成長していることを認識できていないのではないだろうか。スキンシップのやり方が、小さかった時と全く変わらないのだ。本人は甘えているつもりかも知れないが、成人男性一人分相当の体重でのし掛かられたキーロはたまったものではない。


「ちょ、頼むからあんまくっ付かないで。本当アレだから、いろいろ差し障るから」

「嫌だ」

「子供か!」


 肩口に顔を埋めてぎゅうぎゅうと抱き着いている様は、本当に子供のように見える。何なの急に……と呻いていたら、耳元で不機嫌そうな声がした。


「前々から思っていたことだが、君は異常なほど共感能力が高い」

「共感能力?」

「何でも自分の身に起こった事のように感じてしまう傾向がある。そのせいで、周囲の人間の意思を自分の意思であるかのように誤認する」


 そうだろうか。とキーロが首を捻っていると、ルウは重ねて尋ねた。


「今までに、見えるはずのないものを見た気になったり、聴こえないはずのものを聴いた気になったりした経験は?あるいは、他者の感情が乗り移ったかのように情緒が不安定になったことがあるんじゃないか?」

「はあ?そんなもん、あるわけ……」


 いや、ある。あった。例えば、蟻の巣に運ばれていった虫の末路。見えるはずのない巣穴の中を、自分は鮮明に夢想していた。


 美しい景色として思い浮かべていた蝶の飛び交う森も、湖に映る林檎の木も、実際には目にしたことは無い。キーロの生きていた世界は、花小屋の舞台とこの屋敷の中だけだ。ルウが顔を切り裂こうとしたとき、激しい怒りと悲しみに襲われて泣きじゃくったのは、まるで自分の事のように辛くて苦しかったからだ。


 キーロが思い当たったことをぽつぽつと口にすると、ルウは「まさか虫までとは……」と若干引きつつもこう言った。


「君はその共感性の高さで私の将来を自分の事のように考えているつもりになっているようだが、それは本当に君の意思なのか?」

「一応主従だぞ。お前を優先するのは当たり前だろ」

「その主人が、君の意志を聴かせて欲しいと言っていても?」

「…………」


 ルウが何を言いたいのか、キーロにはさっぱり理解出来なかった。キーロの意志は、いつだってルウが幸せな人生を送ってほしい、ただそれだけ。それだけのはずなのに、彼はそれを誤認だと突き返すのだ。

 キーロが何も答えないでいると、ルウは上体を起こして恨みがましそうな視線を向けた。


「私には君しかいないというのに、君は私を遠ざけようとするんだな。残酷な奴だ」

「はぁ?」


 あまりの言い様にキーロは呆れた。ルウが突拍子もないことを言い出すのには慣れているつもりだったが、今の言葉は流石に聞き捨てならない。


「残酷って、お前な……いくら次男坊だからって、お前もいつかは結婚して家庭を持つんだぞ。そこに俺は居ちゃいけないことくらい分かるだろ?つか、俺も居たくねえし」


 それとも、自分の手の届かないところで幸せな家庭を築くルウを、黙って見守っていろとでも言うのだろうか。残酷なのはどっちだ、とキーロは思った。

 しかし、ルウの言い分は違ったらしい。彼はキーロの手を取ると、自らの頬に擦り寄せた。


「それが誤認だと言うんだ。結婚なんてしたくない。そんないつかなんて必要無い。君という唯一を失ったら、私はきっと、少しずつ欠けて死んでしまう。君はそれでも良いと言うのか」


 懇願するような視線。低く掠れた声。いっそわざとらしい程に憐れっぽい仕草が、キーロの胸に突き刺さる。結局のところ、キーロにとってこの男は庇護すべき可愛い弟だった。たとえ何年経とうとも、背丈が追い抜かされようとも、愛おしい気持ちに変わりはない。


「あ〜もう、分かったよ。お前が要らないって言うまで一緒に居てやるから、そんな悲しそうな顔すんな」


 この構ってちゃんめ!と頭をぐしゃぐしゃ掻き回すと、ルウはようやく安心したように笑った。


 でも、ルウがどう思おうが、いつかなんてすぐ訪れる。キーロはルウに悟られないように、そっと息を吐いた。

 キーロは既に、実験動物としての役割を果たせてない。度重なる魔術薬の摂取で耐性のついた身体は、既にあらゆる毒や薬の影響を受けなくなっていた。これでは正確なデータは得られない。


 ルウだって気がついているはずだ。不適と判断した実験動物を飼い続けるのは愚かなことだと。外部の環境では生きていけない動物を、なるべく苦しまずに殺してやるのが研究者の責任の取り方だと。


 自分の命を大切にしろと言った手前口には出さないが、出来ることならなるべく早く、まだルウが自分を必要としてくれている間に死んでしまいたかった。少しは役に立てたと誇れるうちに、ルウの手で殺して欲しかった。期待を持たせるような言葉をかけないでほしい。ルウにあれだけ偉そうなことを言っておきながら、結局は棄てられるのが何より怖いのだ。


 自分は道具でしかないのだと、ただの実験動物なのだと思っていたときには、こんな感情は抱かなかった。愛するだけで十分だと、使い捨ててくれれば本望だと思えていた。

 それなのに今は、ルウから与えられる純粋な愛情に溺れ、気を抜けば縋り付いてしまいそうなほど依存している。そんな醜態を晒す前にと、最近は専ら自分で命を断つ方法ばかりを考えていた。


 銀のナイフと百合の毒はもう要らない。ルウの授けてくれた金の矢で、心臓を突けばそれで済む。


「はは……やっぱ結局効いてるわ。頭煮えてる感じ」


 縋り付いた肌が擦れる感覚に、熱っぽい息を吐いて自嘲する。今この瞬間に死んでしまいたいなんて思うのは、媚薬のせいだと信じたかった。




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