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死がふたりを結ぶまで  作者: 篠矢弓人
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独白─瞼の地獄1─


 瞼の裏には、いつも暗闇だけがあった。


 どこまでも続く底の見えない洞。

 光のない世界。

 自分以外は誰も居ない、孤独の場所。


 けれど僕にとって、そこは紛れもない安寧の地であり、この世で唯一の居場所だった。


 目を開けていても、映るのは偽りだけ。

 耳に届くのは虚言だけ。

 有象無象の者たちが創る、価値のない世界。


 ならば、塞いでしまえばいい。


 何も見えない、何も聞こえない、誰も居ない。

 意識が遠退くほどの、途方も無い孤独。

 ひとりぼっちの暗闇。


 人々が『地獄』と恐れるその場所こそが、僕にとっての楽園だった。




 物心ついた頃から、僕は常にひとりだった。

 最初の記憶は、本棚に囲まれた広い部屋の中で絵本をめくっている自分。描かれた図と、その下に描かれた記号(文字)を見比べて、対応するものを覚えていく。動物、植物、機械、建築物、数式、化学式……一日中、一年中、毎日毎日、それだけを続けている。


 父親、という記号(立場)の人間は見あたらない。兄、という記号(続柄)の人間がいるらしいが、それも見たことがない。母親はもう記号が現存しない(死んだ)そうだ。


 僕の部屋にやってくる大人は壮年の執事、それからメイド。あとは彼らと似たような格好をした数人の男女。彼らは自分の仕事を淡々とこなし、それが終われば部屋を出ていく。周囲に大人がいなくとも、特に不自由は感じなかった。大概のことは本を読めば理解できる。生きる上で必要な知識を、僕は記号の中から拾い集めた。


 甘い、苦い、あつい、つめたい、暗い、明るい……これらは簡単に知覚できる。本の内容と同じような場面に出くわせば、それぞれの記号と事象を照合するのは容易だった。


 ただ、個人の主観が入り込む記号については、理解に苦しんだ。


 例えば善悪。国や文化によって異なるそれは、ある程度普遍的なものは理解できても、それ 以上は難しい。善悪を知ろうと法律書を読み漁っても、なぜ人を殺してはいけないのか?なぜ親殺しの罪は他の殺人と比べて罰が重いのか?それらの理由はどこにも書かれていない。命が尊いものだと言うのなら、動物や奴隷殺しにも同じ罪を課すべきなのに、なぜかそこに優劣がある。


 そもそも人間も動物も炭素を循環させる役割しか持たないのに、そこに価値を見出す方がどうかしているのではないだろうか。もちろん僕も、平等に無価値な生命だ。


 しかし、善悪はまだ理解しやすい分野だったのかもしれない。共同体としてしか生きていけない弱い動物である人間には、ある程度の規範が必要だ。社会を円滑に運営し、種の存続を図ろうと試行錯誤の末にできた法律さえ覚えておけば、生きていくのに不自由はない。善悪を超える共感しがたい概念が、この世には存在するのだ。


 それは、美醜だ。


 うつくしいか、みにくいか。そんな曖昧な概念に、人間は優劣をつけ、信仰し、時には争いまで起こす。信じがたいことに、一人の美姫のせいで滅んでしまった国もある。


 一体何が美しく、何が醜いのか。そもそも人は、美しいものを目にしたときにどんな感情を抱くのか。それすら僕には判らない。美醜の対象が人間だけではなく、人工物、音、自然現象などと多岐に及んでいたことも、僕を混乱させる要因だった。多くの人間が美しいと称するものを全て把握することなど、到底できそうになかった。


 ただ一つだけ、美しいとされる人間のサンプルが身近に存在した。母親だ。彼女は僕を産んだときに他界したため、肖像画しか残っていなかったが、使用人たちは口々に「まるで女神のような美しい人だった」と母を褒め称えた。


 少し成長して行動範囲が部屋の外に広がった僕は、初めて母親の肖像画を見て驚いた。まるで鏡でも見ているかのように、自分に似ていたからだ。けれど使用人達は、「女神」の生き写しである僕のことは腫れ物に触るように扱った。


 理由はおそらく、『似過ぎている』から。親に似ていない子を鬼子と呼んで忌避する風習は各地にあるが、この場合はまるっきり逆だ。おかげで僕は、一卵性双生児以外の人間が似ていると不気味に思われる。ということを学習できた。


 だが、それだけだ。結局のところ美しいものは善いものなのか悪いものなのか、その答えは謎のまま。母親は死んでからも、僕に命以外ものもを与えない。こんなもの、手に余る荷物だというのに。


 僕は次第に、理解できない、処理できない知識に苦しめられるようになった。知っている知識も、『感情』などという曖昧なものが挟まると途端に矛盾を孕み、崩壊する。


 頭の中では常に情報が洪水を起こし、思考を組み立てようとしてもたちまち泡と消えゆく。大人たちの声は聞きたくない。だって非論理的で矛盾だらけだ。


 うるさい、うるさい、うるさい……!


 拾う音の選別が出来ない。全部が全部、雷の轟のように聞こえる。お願いだから消えてくれ、黙ってくれ。頭が痛い。息が上がる。怖い。吐き気がする。もうこれ以上、僕に関わらないでくれ……!


 目を閉じる。耳を塞ぐ。そうすることでしか、自分を守れなかった。


 そんな折、屋敷の庭に一匹の子猫が住み着いた。黒茶色の毛並みに、生きるために最適化された身体構造を持つ小さな生き物。その黄金色の瞳を見た瞬間、僕は唐突に「美しい」という概念を理解した。どうやら僕は、無駄のない生き物を美しいと感じるらしい。不思議なことに、その猫の尾は先端が二又に分かれていた。


「坊ちゃん、そりゃ猫魔(キッロ・ディーモン)ですぜ」

「きーろでぃーも?」


 僕にそれを教えたのは、当時まだ下男だったイゼドだ。読み書きは異常に早かったにもかかわらず、発語が遅かった僕に、彼は根気よく話しかけていた。


「そうです、魔獣の一種ですわ。この国で見かけんのは珍しい。坊ちゃんは運がいいですねえ」

「まじぅ……きーろ」

「お気に召しましたかい?じゃあ、次に旦那様のお使いで坊ちゃんのご本を買ってくるときには、魔獣の載っている図鑑を探してきましょう。旦那様には内緒ですよ」


 イゼドの買ってきた図鑑(未翻訳のもので、マイアン語のものだった)で、僕はこの国には無い『魔術』の存在を知る。


 魔術の世界は、僕の頭の中に束の間の安寧を齎らした。なぜなら、矛盾がないから。人間が恣意的に、主観的に作り上げている社会とは違い、魔術の世界は絶対的な摂理のものに成り立っている。見えないものを察することが出来ない僕にとって、これほど単純で理解しやすい世界はなかった。


 しかし、実際に魔術を行使することは難しい。魔力の源となる精霊や妖精、魔獣の類が、この国にはほとんど存在しないのだ。


 僕は仕方なく、研究分野を魔術薬に絞った。材料さえ揃えば、魔力の乏しいザルドでも魔術薬を作ることはできる。猫魔1匹からの魔力で充分だ。材料の仕入れは、お使いのついでにとイゼドが請け負ってくれた。


 調合した魔術薬を、死なない程度に自分に投与する。決められた材料、決められた手順、それさえ守れば約束された結果が出る。もはや単なる確認作業でしかないそれに、僕はどうしようもなく執着した。覚えた知識を片っ端から試さなければ気が済まなかったのだ。


 にゃぁと鳴いて擦り寄る猫魔の背を撫でる。ふわふわしていて手触りがいい。


「からす石のこなに、さざれ石をくだいてまぜたら、水でにじまないまじゅつインクがつくれるはずだ。きみもそうおもうだろう?キーロ」


 知識の整理がつくと、新しいものを創造したくなる。それまで絵の一つも描き上げられなかった僕にとって、それは大きな進歩だった。既存の魔術薬に改良を施し、新しい魔術薬を作る。材料は限られていたが、工夫次第でどうとでもなる。


 少ない材料と猫魔一匹の魔力で、僕は毎日のように魔術薬調合に没頭した。そうして何年か過ぎた頃、ついに限界が来た。猫魔が弱り始めたのだ。


 通常、魔獣は他の魔法生物などを餌とするが、この国にはそれらが極端に少ない。今まで猫魔に与えていたのは普通の猫の餌だけだ。むしろ今までよく持った方だろう。魔獣は生命力が強いというのは本当だったようだ。


 しかし、猫魔に死なれては困る。またいつ魔物が捕獲できるか分からない。僕はまだ子供で、闇市で魔獣を買うのはリスクが高過ぎるが、こればかりはイゼドに行かせるわけにもいかない。もともと彼はお父様の命令に忠実な男だ。


 僕は仕方なく賭けに出ることにした。死霊魔術での魂の加工を試みたのだ。



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