贄の行く廊下1
ぼんやりと、紫色の光が横切った気がして目を開けた。視界の先には薄暗い天蓋。まだ夜明けは遠い。
ならば、さっき頭上を横切った光は何だ?
光の正体を探して寝返りを打ったキーロの目に映ったのは──ゆらりと宙を漂う、紫色の炎だった。
「うわぁぁあああ?!!ルウぅぅうう!!」
キーロは目にも止まらぬ速さで逆方向にゴロンゴロンと寝返りを打つと、眠っているルウの体にしがみ付いた。突然タックルを決められたルウが、潰れたカエルのような声を出す。
「ぅぐっ……何だ、急に抱きつくな」
「ひ、ひとっ、人魂!人魂浮いてる!!」
キーロが指差す先には、いまだ紫色の炎が揺蕩う様に浮いていた。スーッと近づいてくるソレに、キーロは悲鳴を上げながらもルウを抱え込むようにして背を向ける。
「むりムリ無理!俺そういうのマジで無理だから!!!」
「君、怯えるのか庇うのかどっちかにしろ……それに、そこにいるのは人魂じゃない。鬼火だ」
煩しそうに言うルウの声は、ようやく始まった声変わりのせいでカサカサと低く掠れている。うまく声が出ないのが嫌なのか、彼お得意の饒舌は最近鳴りを潜めていた。
「一緒じゃん!」
「一緒じゃない。いいから腕を解け、苦しい」
ガタガタと震えながら引っ付いているキーロを引き剥がすと、ルウはベットサイドのランプを灯した。そのままベッドを降りる彼に「待って置いて行かないで下さいお願いだから〜!」とキーロも付いていく。
ルウが向かったのは、窓際に置かれた鳥籠の前だった。その中から猫の墓石だった黒い石を取り出すと、鬼火は吸い寄せられるようにして石の中に染み込む。
「今のは怨念を持って死んだ動物や人間から出る鬼火だ。人魂のような適当にその辺を飛び回っている魂とは違う」
「もっと悪いじゃんか〜」
「そうか?火力は鬼火の方が勝る」
「お前は一体何を燃やす気なんだよ……」
わざとなのか無自覚なのか、微妙に会話が成り立たない主人をキーロは涙目で睨む。ルウは肩を竦めると、墓石を鳥籠の中に戻した。
「しかし、思いの外時間がかかったな。もう少し早く視えるようになると思っていたんだが」
「うぅ〜、やっぱアレのせいか……」
アレと言うのはもちろん、ルウが新しく開発した魔術薬のことである。点眼薬の形をとっていたその薬は、人ならざるモノの世に対する“視力”を高める効果をもっていた。
生まれ持っての適性で精霊や妖精が視えるルウのような者を除いて、殆どの人間は自力でその姿を視ることが出来ない。妖精語の習得や、魔獣による傷を受けるなどして魔障を負えば『視力』が上がる者もいるが、そもそも生息する魔物が少ないザルドでは、視る力を持つ人間はごく僅かだ。
しかし、魔物が見えないことには魔術を扱えない。魔術師は所詮、彼らから魔力を借りているだけに過ぎないからだ。
「まぁ良かったじゃないか。これで君も魔術が使えるようになったんだ」
「そうだけどさぁ……初見が鬼火ってさぁ……」
「ほら、手を出せ」
ルウはうじうじと文句を垂れているキーロの両手を取ると、囁くような声で妖精語を呟く。
途端、キーロの掌から金色の光が溢れ出した。ポタポタと流れるようだったそれは、徐々にハッキリとした像を結び、やがて一本の矢に姿を変えた。
「意外だ。花になるかと思ったが、黄金の矢か……まるで神の使いだな」
「これ、なに?」
「魔力が君を通して出力された姿だ。魔力は使用者の性質に一番合った形をとる」
僕のはコレだ。と、ルウが指差すと、鳥籠の中の石から再び鬼火が現れた。引き攣った声を上げるキーロを揶揄うように、クルクルと周りを浮遊する。
「君のように純粋に魔力だけで形を結ぶ者もいれば、僕のように精霊と同化し、憑く場合もある。魔力の有り様は人それぞれだ」
◆ ◆ ◆
「───とか何とか言ってたけど、要はアイツ、猫に取り憑かれてんじゃん」
いつも通りルウを大学に送り出したキーロは、中庭の芝生の上に寝転びながらボソリと呟いた。中庭には自分以外誰もいない。パーシェもルシアナも、なぜか今日は姿が見えなかった。
キーロはユリの木の根本に視線を落とすと、「なぁお前、ルウのこと怨んでんのか?」と訊ねてみた。当然応えは返ってこない。猫の鬼火は、あの黒い石からあまり離れられないようだ。
可愛がっていた猫が怨念を持った鬼火になり、しかも自分に取り憑いていることについて、ルウは何とも思っていないようだった。それどころか、いつでも魔力を借り受けられて便利だとすら考えている節もある。
ルウの魔力がいつからあの鬼火と同化してしまったのかは定かではないが、少なくともキーロが猫の代わり(キーロ)になる前は、石はユリの木の下に置かれていた。ルウ本人が認識出来ていなかったとは言え、死を悼むための標となっていたのだ。それを取り払ってしまうということは、もう死んだ猫のことなんてどうでもよくなってしまったのだろうか。それとも、鬼火として捕らえてでも自分のそばに置きたいほど、今でもあの猫を愛しているのだろうか。
愛しているとしたら、その相手に怨まれていることを、ルウはどう思っているのだろう。
「……わっかんね〜」
ルウの頭の中が分からない。分からない、けれど……死んでもなおルウの傍にいられる猫のことが、キーロは少しだけ羨ましかった。
「まぁ俺には、アイツを怨むことなんて出来ないけどな……」
「誰を怨むって?」
突然視界に入ってきた人影に、キーロは驚いて跳ね起きた。
「な、んだ、パーシェか……」
見慣れた赤毛とソバカスの浮いた顔を見て、キーロは胸を撫で下ろした。昨晩の鬼火の一件から、どうにも過敏になっているようだ。
「おう、悪かったな俺で」
「あ、ごめん。そういうんじゃなくて……今までどこに行ってたんだ?今日はルシアナも見かけないし」
「あれ、お前聞いてないのか?今日は皆お迎えの準備で忙しいんだよ」
「お迎え?」
キーロがきょとんとしたのを見て、パーシェは頬を引き攣らせた。深刻な表情で頭を掻きながら「あちゃー、まじかよ旦那様……」と呟いている。痺れを切らしたキーロが、いったい誰のお迎えなんだ?と再度訊ねると、パーシェは非常に言いにくそうに口を開いた。
「新しい奥様だ。旦那様の再婚が決まったから、今夜は家族で晩餐会があるって……もちろん、坊ちゃんも一緒に」
「……初耳なんだけど」
「だよな。んで、お前が聞いてないとなると……」
「ルウも知らないと思う」
ルウは「予定外のこと」や「知らされないこと」に対して、とてつもない嫌悪感と攻撃性を示す。具体的に言うと、持てる知識と観察眼を総動員して、尽きることのない皮肉と嫌味を嵐のように叩きつけてくる。相手が泣こうが喚こうが再起不能になろうが、言葉の鞭を打ちつけ続ける。何人もの哀れな家庭教師たちが、ルウの死体蹴りの犠牲になってきた。少しでも庇おうものなら、次に矛先を向けられるのは自分だ。今夜は間違いなく大荒れだろう。
「パーシェ……」
「いやスマン俺には無理だ。どうにか人柱になってくれ……!」
パーシェは拝むような仕草をすると、そそくさと立ち去った。なんて逃げ足の速さだ。
少し前、イゼドが廊下の肖像画を片付けていたのをキーロは思い出した。今考えると、前妻が描かれているのを気にして当主が片付けさせたのだろう。少なくとも、あの頃には再婚が決まっていたはずなのに。
知らず深い溜息が漏れ出た。相変わらずキーロの主人は、この屋敷では蚊帳の外に置かれているらしい。
キーロがこの家の家業について知ったのは、実はつい最近のことだ。『帝国中央旅客鉄道』──それが、この屋敷の当主、使用人たちから「旦那様」と呼ばれている人物が経営している会社の名前だ。鉄道会社ではあるが、造船や海運業などを手広く扱っている会社である。おそらく帝国随一の巨大企業だ。爵位こそ与えられていないが、この国では下手な貴族よりよりも力を持っている。
もともとはルウの祖父にあたる先代が起こした会社で、現在の当主に至るまでの僅か二世代で巨万の富を築き上げたらしい。ルウの歳の離れた兄は、既に海運方面の経営を任されている。
これだけの大会社を家族で経営するとなると、次男坊も気楽にしてはいられないようで、旦那様はルウにも家業について欲しいと思っているらしい。というのが噂好きのルシアナの言だ。
『だからね、これから色々大変だと思うけれど、私は貴方とルウグ様の仲を一番に応援するわ……!』と涙ぐまれたのは記憶に新しい。
そんな当主の目下の心配は、日夜怪しげな研究にうつつを抜かしている引き籠りの次男のことについてだ。ルウの奇行を母親がいない寂しさ故だと考えた父親は、彼にふさわしい継母をずっと探していた。家柄、年齢、聡明さ……理想に合致する女性を何年も探し求め、ようやく見つかった『良妻賢母』が、今日この屋敷に迎え入れられるのだ。
キーロはズキズキと痛むこめかみを押さえた。今日の死体蹴りの犠牲者は、確実にその継母になる。ルウのことを少しでも知っている者なら容易に想像がつく光景を、なぜ彼の父親だけが予測できないのかが疑問だった。
ルウだって好きで攻撃的になっているわけではない。確かに、世間とは少々ズレた倫理観をもってはいるが、本来のルウは静かな空間を好む穏やかな子どもだ。彼の静寂を乱すのは、いつだって周りの大人たちだった。
「帰ったら気が済むまで甘やかしてやろう……」
ルウの安寧を守ってやれない自分の立場が、キーロは歯痒く、不甲斐なかった。




