気弱な令嬢といじわる令嬢
「どこほっつき歩いていたの?雑巾!」
オレリアがエンフィールド侯爵家の屋敷に帰ってくると、玄関先で仁王立ちで待ち構えていたエクレールに、いきなり怒鳴られた。
今日のオレリアは予想外のことに巻き込まれて、帰りが少し遅くなっていた。
そしてエクレールの帰りがいつもよりちょっと早かった。
だから、玄関でオレリアを待ち構えるエクレールに怒鳴られる羽目になってしまったというわけだ。
オレリアは一気に現実に引き戻された気がしていた。
たしかに今日はすごいことがあったけれど、本来のオレリアの生活とはこちら側だ。
良いことやすごいことが良く起こる側ではなくて、悪いことが起こる側。
オレリアの人生は一年後に死ぬまで悪いことが起こる側だ。
変えようとしない限りは。
「雑巾の癖に、私が帰って来た時に温かい足湯も準備できてないってどういうこと?」
「……」
「ねえ、何とか言ったらどう?
……ああ。そういえばあんた、雑巾だったから喋れないわよね。そりゃあ何も言えなくて当然か。きゃはは!」
「……」
「さあ、早く温かい湯を準備しなさいよ、雑巾!」
「……雑巾って、呼ばないで」
きゃはははと甲高い声で笑っていたエクレールが、ピタリと動きを止めた。
ハッキリと自分の意見を言ったその声が、どこから来たのか理解に時間がかかっているようだった。
だが目の前のオレリアが俯いているのではなくて、真っすぐ顔を上げていることに気が付いたエクレールの顔は、徐々に恐ろしく歪んでいく。
怖くて怖くて仕方のなかったエクレール。
今だって、物凄く怖い。
気を抜いたら、直ぐに震えて縮こまってしまいそうだった。
(でも)
(決めたよね)
(私の寿命はあと一年もないんだから)
(だから、死ぬ前に一回くらいは死に物狂いで立ち向かってやるって決めた)
(頑張れ、頑張れ私)
オレリアはぎゅっとこぶしを握り締め、エクレールの血走った目を正面から見つめた。
「私、雑巾なんて名前じゃないの」
「は?!」
「私はオレリアっていう名前があるの」
「あんた、雑巾の癖に私に指図する気……?」
「私、これから、雑巾って呼ばれても返事は、しないから!」
……今まで縮こまって震え、私に怯えるだけだったオレリアが反抗した。
エクレールは自らの頭に血が上っていくのを感じていた。
弱くて気持ちが悪くて不細工な、狂女の娘のオレリアが、美しい侯爵令嬢である私に反抗したですって?
使用人の癖に。下女の癖に。奴隷の癖に。狂女の娘の癖に。雑巾の癖に。
私は反抗されるのが嫌いなの。間違っていると言われることも、敬われないのも嫌い。
それから特に、自分よりも下のゴミに噛み付かれるのが一番嫌い。
だって、私が一番なのよ。それなのに、ゆるせない。
雑巾がこの私に楯突こうなんて、許せない。
「許せない!」
エクレールは、怒りに身を任せて腕を大きく振り上げた。
その不細工な顔を、張り倒してやる。
どちらが上か、分からせてやる。
ばしいいいいいん!!
エクレールの振り上げた平手は、オレリアの顔面を直撃した。
……と思ったのだが。
エクレールの平手は、防御姿勢を取ったオレリアの腕に受け止められていた。
細くて今にも折れてしまいそうなのに、オレリアの腕は微動だにせずにエクレールの攻撃を受け止めていた。
「雑巾の癖に、生意気!!生意気!!生意気よ!!」
真っ赤な顔のエクレールは再び腕を振り上げて、それをオレリア目がけて全力で振り下ろした。
しかしそれも、オレリアの腕があっけなく受け止める。
またしても殴り切ることが出来ず、エクレールは音を立てて奥歯をギリリと噛んだ。
何かないかとあたりを見回し、玄関扉の横に飾られていた、侯爵が遠い東の国で買い付けてきたという高価な壺に目を付けた。
壺に駆け寄り、持ち上げる。
そしてエクレールは、それをオレリアの頭部目がけて振り下ろした。
「雑巾の分際で!!私に歯向かうなんて!!許さないんだから!!」