勝負のゆくえ
ルイスの試合まではオレリアが自由にしてもいいようにとルイスが交渉してくれたおかげで、オレリアは今ルイスと客席迄の道のりを戻っている。
そこでルイスが、歩きながら少しオレリアの耳元に顔を寄せてきた。
公爵に向かって行った凛とした顔ではなく、不安そうな表情をしている。
「オレリアさん。次の試合で少しだけあくどい事をしようと思うのですが、許してくれますか?」
「え?は、はい!勿論です!」
誠実なルイスがあくどい事?
やっぱりあの公爵とエクレールが散々ルイスに失礼なことを言っていたから、相当腹を立てているのだろうか。
そんなことを思ったが、オレリアは瞬時に頷いていた。
ルイスの言うあくどいというのが何を指すのかは分からないが、ルイスの事を許す許さないも何もない。
もともと迷惑をかけたのはオレリアなのだ。
「見損なったりはしませんか?」
「そんなことはしません!」
「嫌いになったりとかも……しませんか?」
「え?そ、そんなことも!ありません!」
「そうですか、良かった。折角応援してくださったオレリアさんに優勝を持ち帰ってあげたいけどオレリアさんをあの男には渡したくないと思ったら、少し小狡い手を使うしかなくて……すみません。この一度きりです」
「は、はい!」
ルイスも子狡い事を考えたりするんだと少し感動しながらも、オレリアは頭を上下に振り続けた。
「ふふっ、そんなに振ると首がとれてしまわないか心配になってしまいます」
先ほどまで少し不安そうな顔をしていたルイスだったが、ようやく笑顔になった。
ルイスが笑ってくれて、オレリアも思わず笑顔になってしまう。
「大丈夫です。私、首もちょっと頑丈なんです」
横にいるルイスを見上げてちょっと冗談めかしてえへへと微笑むと、ルイスの頬が少しだけ赤くなったような気がした。
「……本当に可愛いですね、オレリアさんは」
オレリアの耳には届かない位の小さな声だったがルイスは何かをぽつりと呟いて、ふうと溜息をついた。
それからまた暫く廊下を歩いて第二王子の特別観客席の出入り口の扉の前に着き、出場者の控室に帰るルイスとはそこで別れることになった。
「ルイスさん、あの、何があっても応援しています」
「はい。貴方の事はあの男にも誰にも、絶対に渡しませんから」
オレリアの頬にすっと優しく触れて、ルイスは踵を返して去っていった。
なんだかやけに心臓がうるさいけれど、ルイスはきっと何も思っていないだろう。
先ほど告白してしまった衝撃がまだ消えてはいないけれど、変に意識してルイスを困らせる事だけはしてはいけない。
そしてルイスの準決勝。
オレリアは客席に小さく座り、祈るような気持で見つめていた。
試合の結果は、ルイスの負け。
決して押されていて苦しそうには見えなかったが、最後には膝をついていた。
会場の一部が騒然とし、そしてもう一部がワッと盛り上がった。
だが負けの判定が出た後に競技場にいた審判たちは一か所に集まり、何かを話しているようだった。
オレリアの座る客席からでは、勿論彼らの声は聞こえない。
「審議だね」
オレリアの隣に座るディートリヒがおもむろに言った。
「審議、ですか?」
「うん。今、試合中断させるべきタイミングで試合が決まっちゃったから、再試合の可能性が出てきたってことだ」
「えっ。そんなこともあるんですか……?」
「あるね。こういう騎士の大会はそのへんの規則に厳しいよ」
「じゃあ……」
「ああ。ルイスの優勝のチャンスはまだ生きてる」
ディートリヒは足を組み直し、競技場にいるルイスを見ながら目を細めた。
「でもルイスがあんなヘマするのが不自然なんだよね。…………あ、もしかしてルイス、さっきのわざとやった……?」
どきっ。
多分、これがルイスの言っていたあくどい事というやつだ。
オレリアは「ははん」と唸っているディートリヒから顔を背けるようにしながら、余計なことを言わないように黙ることにした。
競技場で集まっていた審判たちが、結果を本部に伝えに行った一人を除いて解散して持ち場へ戻る。
そして本部からは審判の審議の結果、ルイスは一度敗けたが、その試合は再試合となった事が告げられた。
「あんなこと認められるか!!」
賭博部屋の例の一角で、褐色肌の公爵がテーブルをバンと叩いた。
しかし、ルイスは涼しい顔だ。
「私は次に行われる準決勝の一試合で負けてきました。大変だったんですよ。でも、約束通りオレリアさんはもう自由ですよね」
噛みつかんばかりの剣幕の公爵と、その横で崩れ落ち狂ったように泣きわめいているエクレールを、ルイスは立ったまま冷たい目で眺めている。
「だが俺はお前のおかげで賭けに負けた!」
「私は?!私はどうしたらいいの?!娼館になんて行きたくない!!行きたくないわよおおおお!!!」
「でも、貴方がたは準決勝の一試合で負けてくるだけで良いと言った。賭けに勝たせてくれとも準決勝二試合とも敗けてこいとも言いませんでした」
「……だがっ」
「賭け事を楽しむのはいいですが、賭けるもののルールも知らないとは疎かにも程がありますよ。騎士競技の準決勝が一試合である必要が無いのはご存じなかったですか?それに試合には頻繁な中断と厳正な審議というものがつきものであることも知らなかった?」
オレリアは隣で氷のような微笑を作っているルイスを見上げて、ルイスは怒らせるとこういう感じになるのか……とごくりとつばを飲んでいた。
「でも騎士協議に疎くとも公爵も一応地位あるお方なのですから、約束くらいは守れますよね?もしまだ何かあれば、八百長のお話も含めて騎士団本部でお話しますか?」
「……わかったよ」
畳み掛けられた公爵はこれ以上何も言えなくなったようで、賭けた金額を諦めるようにソファに背中を預けて煙草をふかしだした。
「ねえっ、公爵はお金があるからいいかもしれないけど、私はどうなるの?私、ルイス様の所為で借金ができちゃったの!このままだと娼館に送られちゃうの!!」
今度は公爵の代わりに叫ぶエクレールがルイスの足に爪を引っ掛け、縋りつくようにまとわりついた。
ところどころ傷んだ金の髪が広がって、まるで女の姿をした妖怪のようなありさまだ。
「もう再試合の結果は私の勝利で終わってしまいましたし、どうしようもありません」
「いやっ!嫌よルイス様!私を助けて!ねえ、ルイス様はお優しいから助けてくれるわよね、ね!」
「申し訳ありませんが助けようがありません。貴方が自分でお金を借りて勝手に賭け事に参加したのですよね。私の預かり知るところではない」
「嫌!!嫌なの!!私侯爵令嬢なのよ!なのに娼館なんて!!お父様にはもう言えないし、お母様も実は借金があるの!誰もいないの!お願いルイス様、助けて!」
「……」
「ルイス様が駄目なら雑巾女!あんたでもいいわ!ねえ、助けてよおおおお!!」
床を這い、叫び散らかすエクレールはオレリアの方にずり寄ってきた。
エクレールの手がオレリアの足首を掴む。
ルイスはオレリアを守ろうと2人の間に割って入ろうとしたが、それより先にオレリアがエクレールの目線まで屈んだ。
「エクレール、助けてあげられなくてごめんね。でも頑張って働いてみたら、いつかお金も返せる」
「い、いやああああああああああああ!!!」
エクレールは奇声を上げながら泣き崩れた。
どんどんと床を叩いて震えている。
オレリアは掴まれていた足首が解放されたので、静かに立ち上がり、ルイスに守られるようにしながら賭博部屋を後にした。




