黒髪の騎士と策士な王子
準決勝を控えて、第二王子の特別観客席に帰ってきたルイスは、部屋を見回してオレリアの姿を探していた。
終わった瞬間に階段を上がってきたのに、灰色の髪の女性の姿はそこにはなかった。
「おつかれ、ルイス。急いで帰って来て探しているのは水?タオル?それとも?」
キョロキョロと周りを見回していたルイスに声をかけたのはディートリヒだった。
「……なんですか」
ルイスはつい少しだけぶっきらぼうに答えてしまう。
不敬にも探しているのは主ではないし、今はディートリヒと長話をしたいわけじゃない。
そう思ってディートリヒをあしらおうとするが、ルイスはディートリヒがはなんだか不敵な顔をしていることに気がついた。
これは、なんだかよからぬことを考えている時の顔だ。
かれこれ6年程の付き合いになるから、このどうしようもない王子の性格は熟知している。
「僕も付き合いの長いルイスの事は、明後日の天気よりは分かっているつもりだ。オレリア君だね。行先は分かっている。ルイス、付いて来てくるんだ」
ディートリヒは楽しそうに笑うと、ルイスの返事も待たず前に立って歩きだした。
どうせ碌なことにならないだろうから、こういう顔のディートリヒに従ってはいけないのだが、オレリアの場所を知っていると宣う主を無視するわけにもいかなかった。
そして何故か面を被らされたルイスが、同じく面を被ったディートリヒに案内されて到着したのが、大きな競技場の施設の一角にある賭博部屋。
鼻に甘ったるい粉煙草の匂いが絡みついてきて、何とも気分が悪い。
左右を見れば、誰の騎士が強いとかどの騎士の調子が良さそうだとか、誰が優勝するかの話題で持ちきりのようだった。
ルイスは賭けられる側の競技者なのでこんなところにはあまり来ないのだが、オレリアだって果たしてこんなところにいるのだろうか。
あの純粋で頑張り屋な彼女が賭け事をするとは思えないのだが。
「あまり目立たないように行くよ」
ルイスが疑問を口にする前に、ディートリヒが先手を取った。
有無を言わせず、先行する。
ディートリヒは完全に顔が割れている王子なので、ほとんどヘルメットのような面を被って薄暗い部屋の隅を伝って移動していく。
ルイスはなるべく目立たないように、その後に続いた。
しばらく進むと、ディートリヒが立ち止まった。
そして物陰に身を隠す。
目の前にあるのはパーテーションとカーテンで隠された賭博部屋の一角だった。
中に10人ほどの人間がいるらしい。
「ここに、オレリアさんも?」
「そうだ」
このブースはVIP用にと設置してあるものだが、時々人目を忍んで不穏な賭けも行われていたりするため、ルイスは少し心配になった。
「少し近づこう。声が聞こえるくらいまで。だがまだ飛び出したりはするな」
「オレリアさんをこんなところに置いておくつもりですか?それなら私が今入って行って連れ帰ります」
オレリアがこのいかがわしいカーテンの裏にいると言うくせに動くなというディートリヒの言葉に、眉をしかめながら反論する。
「駄目だ。僕が良いと言うまでルイスは待機だ。何故なら君は、折角オレリア君を招待したにも関わらず、彼女とのコミュニケーションは口パクだけという酷いありさまだからだ」
「……何故殿下にそんなことを言われなければいけないのですか」
「君のような奥手すぎる騎士はその主として見るに堪えないのだよ。だから今日は僕の言う通りにしてもらおう」
「……余計な事はやめてください」
「ルイス、君は何が余計で何が必要なのかまるでわかっていない。恋愛については殊更にだ。いいかい、僕はね、君なんかより余程女性の気持ちを把握している。ここで時が来るまで待機して、オレリア君が本当に助けを求めた時に登場して手を引いてやるんだ。僕が良しと言うまで動くな」
「……。」
ルイスは呆れて溜息も出なかった。
ほら、この王子が変な笑いをかみ殺している時は、やはり碌なことにならない。
物凄い策を練り上げる時もあれば、ハズレ策を自信満々に講じる時もある。だからディートリヒは王族の中でも結構面倒なヤツと認識されているのだ。
物陰から出たディートリヒが、音もたてずにVIPブースのカーテンの下に潜りこむ。
そして、後ろにいるルイスにも入って来いと手で合図を送ってきた。
ルイスは仕方なくカーテンの下に潜りこみ、嫌々中の会話に聞き耳を立てることになったのだった。
「ルイス、落ち着いて。落ち着くんだ。まだ時期じゃない」
「しかしあの女、黙って聞いていればなんて暴言を!まるで思いやりというものを持っていない。そもそもあの女は誰なのですか!」
カーテンの裏で、ディートリヒは両腕でルイスを押さえていた。
辛うじて誰にも気づかれてはいないようだが、ルイスはそんな事もうどうでもよかった。
「それにあの男。オレリアさんは売り買いできる物ではない!」
きゃははと笑う金髪の令嬢と褐色肌の公爵の男の横っ面を殴り倒してやろうかと思ったが、くっついているディートリヒが邪魔で動けない。
自らが忠誠を誓った王子だが、今回ばかりは張り倒してやろうか。
それか、容赦なく蹴飛ばしてあの高笑いの女と褐色肌の男にぶつけてやろうか。
ルイスはディートリヒを引き剥がしにかかったが、ハッと何かに気づいたディートリヒは慌てて声を上げた。
「……いや、ちょっと待てルイス。耳を澄ましてオレリア君の声を聞いてみるんだ」
さっきからオレリアは聞くに堪えない酷い言葉を浴びせられていて、ルイスはもう居ても立っても居られないというのに今度は何だ。
ディートリヒを睨みつけながらも、オレリアの声を耳で拾い上げる。
「私は、ルイスさんの事が好き!!」
次の瞬間飛び込んできたオレリアの声が、爆弾のように脳内で炸裂した。
息が止まった。
心臓も止まったかと思った。
「恥ずかしくなんてない。ルイスさん程素敵な人を好きになったこと、私は恥ずかしいとは思わないっ!!」
「ルイスさんは、優しくて真っすぐで、とってもかっこよくて、思いやりがあって、強くて努力家で、とても素敵な人!もしも怪我をして大変な目に遭っても、絶対腐ったりしない!」
そんなことを真っすぐに言いながら、オレリアは悪意をむき出しにする人間たちに一人で立ち向かっていた。
自分の為ではなく、ルイスのために奮い立ってくれていた。
ディートリヒを引き剥がそうとしていた腕の力がすっかりと抜けてしまう。
「えっ……あの……」
先ほどまで憤っていた筈のルイスの口からは、もうどうにも要領の得ない言葉しか出てこない。
ここからではオレリアの顔は見えず声しか聞こえないが、全く予想していなかったその言葉の破壊力は想像以上だった。
好きだ、なんて。
実際に耳で聞くと鼓膜を伝って心臓が痺れる感覚がある。
オレリアの声でそう言われると、心臓だけでなく脳からも体からも甘く力が抜けていく気がする。
「いや……ちょっと……待ってください……」
「なんとこれは、流石の僕も計算外だったな」
狼狽えるルイスの横で、ディートリヒは嬉しそうに唸っていた。
「こんなの……いや、ちょっとこれは……」
「よかったじゃないか、ルイス」
「いえ、こんな、盗み聞きのような真似をして……全然良くはないのですけど……」
でも、どうしよう。
彼女の言った好きだという言葉の衝撃が、これほどまでとは知らなかった。
どこかの令嬢たちに取り囲まれて、好きだなんだと言われた時には全く感じなかった何かが激しく渦巻いている。
盗み聞きが駄目だとか正常な判断とか、もう既に殆どできていない自覚がある。
オレリアが自分に特別な感情を持ってくれていると意識すると、
あの笑顔を自分にだけ向けてくれていたのかと思うと、
それだけで体温がぐんと上がってしまった気がした。
「盗み聞きは、良くはないのですけど……」
「良くはないが何だ?」
「本当に良くはないのですけど……」
顔が真っ赤になっているという自覚があるので、ルイスは仮面で顔を深く隠すように俯いた。
大きな仮面の下でニヤニヤ笑ってくるディートリヒの気配が鬱陶しいが、もうそれもどうでもいい。
正直今まで、オレリアはルイスのことをただの親切な人としか思ってくれていないのでは、と思うことがあった。
ルイスはオレリアにとって、親切で紳士的なただの知り合いで、ちょっとした恩人。
それ以上でも以下でもないとオレリアが思っているのなら、ルイスはそのように振る舞った方が良いのかもしれないとも思っていた。
だから剣術大会に招待したり、買い物に誘ってみたりはしたものの、それ以上に積極的にはなれなかった。
だが、先程オレリアがはっきりと口にした言葉は、ルイスの気持ちもはっきりとさせた。
ルイスも、オレリアの事をとても好ましいと思う。
やっぱり笑ってくれれば心がほんわりと温かくなるし、その笑顔を独り占めしたいと思ったことも否定できないし、他の女性には感じたことのない愛しさを覚えていることも認めるし、誰よりも優しくしてあげたいと思っていることも本当だし、他の誰かじゃなくて自分が彼女を助けてあげたいし、ずっとずっと隣で見つめて話をしていたい。
それが盗み聞と言う義に反することで発覚して、ルイスはそれを恥じていてもなお、お釣りが来るくらい嬉しかった。
こんなおかしな状況だが、不覚にも幸せで堪らなくなっていた。
「嫌!離して!!」
と。
ルイスは自分の煩い心臓の音にかき消されて中の状況を把握していなかったが、オレリアの悲痛な声が聞こえてバッと我に返った。
こんなふうに幸せを噛み締めている場合ではなかった。
もう本当に恥じ入るくらい、すっかり腑抜けになっていた。
気配からして、あのいけ好かない公爵の男がオレリアの近くにいる。
更にもしかしたら、オレリアに勝手に触れているかもしれない。
オレリアが助けを求めている。
ルイスは仮面を剥ぎ取り、躊躇なくカーテンを開いて中に飛び込んだ。




