黒髪の騎士と第二試合
次は第二試合。
オレリアはひたすら緊張した面持ちで競技場を見つめていた。
やがてラッパが鳴り響き、ひときわ大きな歓声と共に出場騎士が二人入ってくる。
背が高く威風堂々とした二人の騎士は、ルイスとその相手である東の辺境伯の騎士だった。
(る、ルイスさん)
(がんばれ!!)
相手の東の辺境伯の騎士は大岩のような筋肉隆々の男で、一見するとルイスの方が不利にも見える。
それに辺境伯の騎士が持つ模造剣は、特別製なのか普通の剣の一回り以上大きくて長い剣だった。
オレリアはルイスが負けると思ったわけではないが、その山のような大男を見て少し不安になってしまったことも事実だ。
客席に小さく座ってぎゅっと両手を握り締めていると、競技場のルイスがくるりと振り返った。
客席の女性たちの黄色い悲鳴が聞こえる。
だが、ルイスはまっすぐオレリアを見ていた。
『だいじょうぶです』
距離があるので声は聞こえなかったが、動いた口で何を言ったのか大方分かる。
オレリアはルイスと目が合っているということに頬が熱くなることを感じたが、懸命に口の動きだけで返事をした。
『がんばってください』
ルイスがコクリと頷いて、少し微笑んだ。
そんなルイスの顔は客席に向いているので、客席の女性達からは再び悲鳴が聞こえる。
殆どの観客たちは、ルイスの視線が一人に向けられている事には気づいていないようだった。
競技場の所定の位置に着くと、ルイスは綺麗な所作でお辞儀をした。
相手の騎士もそれに倣う。
そして二人ともが模造剣を柄から抜いたところで、試合開始の合図が出された。
「では……始め!」
剣を構えた二人の騎士の間に、静かな緊張が走る。
実力のある騎士同士が向かい合って間合いを測っているその様子は、オレリアのような武道の知識が全くない者でもごくりと生唾を飲み込んでしまうような圧がある。
暫し睨み合い、しかし先に動いたのは大岩のような騎士だった。
巨体に似合わず、的確で鋭い薙ぎ払い。
しかしその攻撃はルイスには届かない。
流れる水のように優雅な動きで相手の剣の軌道を見切り、予備動作なしでカウンターを返した。
「っ!」
大岩のような騎士が間一髪でルイスの剣を避ける。
ルイスは一瞬「これを避けたか」と感心したような顔をしたが、すかさず続けて二撃目を繰り出した。
(ルイスさん、すごい……)
強いルイスの評判はロナウトや騎士見習いの寮生たちから聞いていて知っていたけれど、オレリアは実際に見て感激してしまった。
まるでちょっと先の未来が見えているかの如く、的確で美しい動き。
無駄なものが含まれていない純度の高い剣裁き。
華やかな戦い方をするクレーベを太陽のようだと例えるなら、湖面の波紋のように美しく戦うルイスは夜空の月のようだ。
「オレリア君、見入ってるね」
「えっ!」
不意に横から話しかけられた。
驚いて声の主を確認すると、いつの間にかすぐ隣に腰かけていたのはディートリヒで、彼はなんだか含みのある笑顔でオレリアを見ている。
「ルイス、本当に綺麗に戦うよね。僕はあのルイスの剣に惚れこんで彼が騎士見習いの時から目をかけてやっていたんだ」
「そうだったんですか……そういえば、あの、ルイスさん、前に言ってました。第二王子殿下に仕えることが出来てとても感謝していて、第二王子殿下の事をとても尊敬してるって」
「うんうん、そうかそうか。尊敬しあえる主従関係は何よりの宝だね。 そして時にオレリア君」
「あっ、はい!」
ディートリヒは足を組み直し、オレリアの顔を覗き込むようにして首を傾けた。
「君はルイスの事をどう思っているんだい?」
「えっ!?」
「いやなに、ちょっとした質問だ。そう構えなくともいい」
「えっ……と、その」
ディートリヒは何でもないような顔で微笑んでいるが、オレリアは口をパクパクさせることしかできなかった。
(……ルイスさんの事をどう思っているか、なんて)
オレリアは、美しい令嬢や偉そうな貴族たちの声援を受けながら競技場で剣を振るうルイスの姿を見つめた。
(ルイスさんにはとても感謝しているし、とても尊敬していて…… それで、ルイスさんと話せると幸せだし、ルイスさんが笑ってくれると元気がでるし、ルイスさんに手を引かれるとドキドキするし、それからルイスさんが嬉しそうだと嬉しい……)
(でも、私なんかじゃ届かない雲の上の人で。そもそも、もうすぐ死んじゃう私は見ているだけで幸せで……)
(うん、そうだ。ルイスさんの事は、それだけ……)
「オレリア君、なんだか浮かない顔になったね。何か良くない事でも考えていた?」
ディートリヒに呼び掛けられて、オレリアはハッと顔を上げる。
「えっ、あっ、ごめんなさい!そんなつもりじゃなくて……」
折角話しかけてもらえたのに、王子の前で辛気臭い顔をしていただろうか。
いけないいけない。
ディートリヒに失礼のないようにしなければ。
オレリアは何とか笑顔を作って当たり障りのない答えを返し、競技場に視線を戻した。
競技場では丁度、まるで魔法のように相手の騎士が地面に倒されたところだった。
ルイスは揺れる水面の如く穏やかに体を捻っただけだったのに。
「あっ、ディートリヒ殿下、ルイスさんが」
「ああ、チェックメイトだね」
ディートリヒが満足そうに顎に手を当てた丁度そのタイミングで、ルイスがその手の剣で宙に一線を描いた。
そして地面にごろりと転がされてしまった大岩のような騎士の真横の地面に、剣先を突き立てた。
勝負ありだ。
ルイスはとても綺麗で強かった。
オレリアが感動したのと同様に客席も感動していたようで、大きな声援が割れんばかりに会場に響く。
こうして試合は進み、ルイスもクレーベも危なげなく勝ち上がってきた。
剣術大会は準決勝二試合と決勝の一試合を残すのみだ。
「それでは、準決勝は午後から開始いたします。それまで皆さま大広間でご歓談ご飲食をお楽しみください」
剣術大会の進行役が会場にスケジュールを伝えて回っている。
午前中に準決勝までの試合を観戦し、昼の休憩を挟んで準決勝決勝というのが本日の流れだ。
オレリアはディートリヒに一言言って、お手洗いに行くために観客席を離れた。
王族所有の国内最大級の競技場だけあって、廊下は広く、扉もたくさんあって迷ってしまいそうだ。
オレリアはディートリヒに教わった道を辿り、お手洗いへ向かっていた。
なんだか遠回りな気もしたけれど、第二王子が場内の構造を把握していないわけがない。
だからオレリアは律儀に教えられた道を行き、教えられた道を帰っていた。
「あんたたち、八百長してたんじゃない?!じゃなければ私がこんなに敗けるはずないじゃない!」
「はっ。人聞きの悪い。というかこんな廊下の真ん中で叫ぶなよ。本当に下品な女だ」
と。
用事を済ませて観客席への帰り道を歩いていると、何やら不穏な雰囲気を纏った声が聞こえてきた。
廊下の角の向こう、オレリアからは見えないところで誰かが何やら言い争いをしているようだった。
(この声……)
何となく聞き覚えのあるキンキン声がやけに耳に響いてきて、オレリアはビクッと震えた。
しかし言い合う声にただならぬ気配を感じて、オレリアは様子だけでも見ようかと考えた。
声のする方へ少しづつ近付いて行く。
「待ちなさいよ!!私のお金、返しなさいよ!あれがないと、あれを増やさないと、私……!!」
「汚い手で触るなよ」
廊下の角から様子を窺うと、女性と男性の影が見えた。
丁度、男性が女性の腕を振り払ったところだった。
「じゃ、じゃあもう一度だけチャンスを頂戴!この宝石を売ればなんとか……!」
「こんな玩具いくらの値もつかないな。金がないならお前はもうここには入れない。貴族なら知ってるだろ」
いかにも高級そうな衣装をまとった、褐色の肌のどことなくエキゾチックな風貌の男性が、ベルベットと金で出来た怪しげな扉を押し開ける。
部屋の中に入って行こうとする男性と、それに必死について行こうとする女性。
「そうだわ、あんたたちはお金だって貸してくれるんでしょう?」
「……まあ、返済の見込みがあればな」
「あるわ!ちゃんとある!私、今度は敗けないわ!」
「貸した分、どんなことをしてでもちゃんと払い戻してくれるなら、いいだろう」
男性はそう言ってニヤリと嫌な顔で笑った。
先ほどとはうってかわり、扉を押さえて女性を中へ招き入れる。
女性の方は怪し気に笑った男性に気づいていないのか、満足気な顔で部屋の中に入って行く。
その女性は声から予想していた通り、オレリアの義妹・エクレールだった。
エクレール。
もう会いたくないと思っていたけれど。
もう関わりたくないと思っていたけど。
久しぶりに見たエクレールはどこかやつれていて、そして何かに憑りつかれたような目をしていた。
何となく、心配になった。
オレリアは、エクレールと男性が消えた部屋の扉の前に静かに立ち、それを見上げる。
(エクレール……)




