くすり
その日の昼食の時間帯も乗り切って後片付けをし、オレリアとロナウトが一息ついていた時。
騎士見習いたちが午後の訓練に出払っていて、がらんと静かになった食堂の扉を開けて入ってきた一つの影があった。
オレリアは扉の開く音で、パッと顔を上げた。
(あっ。ルイスさん!)
ルイスは休憩の時間に食堂を訪ねてくれたようだった。
昨日の事があったので、オレリアは恥ずかしくて思わず忙しい振りをして仕舞おうとも思ったが、ルイスはただ親切で誘ってくれたのだから変に意識してはいけないと思い直す。
「お、お疲れ様です、ルイスさん!」
「オレリアさん。お疲れ様です」
駆け寄って挨拶をすれば、ルイスは普段と何の変りもなく挨拶を返してくれた。
(ほら、ルイスさんはいつもの親切なルイスさんなんだから)
(夜会に誘ってくれたのも、お出かけに誘ってくれたのも、親切だから)
ルイスはオレリアのような調理係にも親切に接してくれる。
だけどやはり手の届かないところにいる人なのだ。
変な想像をして舞い上がってはいけない。
ルイスは一人でむんっと気合を入れているオレリアを見て首をかしげたようだったが、普段と変わらない調子で話しかけてくれた。
「オレリアさん、今日も忙しかったですか?」
「あっ、はい。今日の昼食は揚げ物の盛り合わせで私があげる係だったんですけど、揚げるのがとっても大変で」
「なるほど、70人分の揚げ物を昼食の時間に合わせて揚げるのは大変ですよね。私もここの寮生だった頃は揚げ物も楽しみにしていましたけど、私が美味しい揚げ物を食べることが出来ていたのはオレリアさんのような調理人の方が頑張ってくださっていたおかげなのですよね」
「いえいえ!揚げるのは大変なんですけど、皆さんが美味しいと言ってくれれば私はそれで満足です!」
「ふふっ、そうですか。オレリアさんはどんな揚げ物が好きなのですか?」
「私はコロッケです!お芋がほくほくのやつが好きです」
「うん、良いですね。私も好きです。あと私は、エビを揚げたものが好きです。それからポテトを揚げたものも好きですね」
細身で上品に見えて、ルイスは結構食べることが好きだ。
そして今までの会話の中で発見した彼の好物は、ハンバーグだったりオムライスだったり、ちょっと庶民的なものばかりだった。
(ハンバーグとかに加えて、エビフライが好きなのも、かわいい)
(食べ物の話をしてる時、とても楽しそうなのも可愛い)
オレリアは思わず口に手を当てて、くすくすと笑ってしまった。
しかしその途端、ルイスが眉にしわを寄せた。
オレリアはピリッと張り詰めた空気を感じて、驚いて口を閉じた。
ルイスの顔を窺うように見る。
険しい顔をしていたので、サッと血の気が引く思いだった。
「…………あっ、ご、ごめんなさい。わ、笑ったのは、その、違うんです……」
(ど、ど、ど、どうしよう。怒らせちゃった)
(ルイスさんはいつも優しいけど、でも多分、このタイミングで笑われるのは我慢できなかったんだ……)
(どうしよう、ルイスさんには嫌われたくない……!)
いつも微笑んでくれるルイスが眉間にしわを寄せたところなど、ほとんど初めて見た。
オレリアは反射的に頭を下げて謝っていた。
「えっ。オレリアさん、違います!」
しかしルイスは、頭を下げたオレリアに慌てて頭を上げるように言う。
それからオレリアの手をとって、再び小さく眉間にしわを寄せた。
「オレリアさん、手に火傷してます。これ、ちゃんと冷やしませんでしたね?」
「あ……」
「調理人だからある程度の怪我をすることは分かります。でもちゃんと処置をしないと。こんなに大きな火傷なら尚更です」
「い、忙しかったので……」
「オレリアさんの手の方が大事です」
オレリアの手には、今日揚げ物を作っていた時に出来た新しい火傷があった。
オレリアはすっかり忘れていたが、ルイスは本気で心配してくれているらしかった。
「冷やします」
ルイスはオレリアの手を厨房まで引いて行き、保存してあった氷と水で冷たいタオルを作って火傷した部分に当ててくれた。
それを厨房の隅で見ていたロナウトが「おうおう」と近寄って来て、何かルイスに言ったようだったがオレリアには聞き取れなかった。
そして二言三言会話した後、ロナウトは「じゃあ俺は退散しようかね」とどこかへ行ってしまった。
ロナウトは休憩時間はいつでも厨房にいるのだが、今日は違うようだった。
「火傷をしたら、ちゃんと冷やしてくださいね」
オレリアに向き直ったルイスはそう言いながら、片手でオレリアの手を支え、もう一方の手で冷やしたタオルを手に当ててくれている。
「は、は、はい……」
「我慢してはだめですよ」
「は、はい……」
いつにも増して声が震える。
ルイスが近くて、しかも手を包まれているような状況になっていて、オレリアは緊張で震えていた。
ルイスと手が触れ合っていて、はいと頷くことが精いっぱいだ。
だからルイスが、濡れタオルで濡れてしまわないようにオレリアの仕事着の袖を遠慮がちに捲くり、再び眉間にしわを寄せた事にはしばらく気が付かなかった。
「……オレリアさん、この痣は?」
「え?」
ルイスが指しているのはオレリアの腕にあった治りかけの痣だった。
熱い厨房でも長袖を着てずっと隠していたが、これは以前アデルに殴られた時に吹き飛んで椅子にぶつかった時にできた痣だ。
アデルは侯爵家で義妹の従者をしていたあの男だ。
「何かあったんですか?」
「い、いえ!それは、えっと、ちょっとこけてぶつけてしまったものです」
「そうなのですか?」
「は、はい、そうです!」
「………………本当に、気を付けてください」
「は、はい!ありがとうございます」
侯爵家にいた時に日常的に殴られたり叩かれたりしていたなんて、流石に言えない。
それに、もう思い出したくもない。
オレリアは無理やりに笑顔を作って、さりげなく袖を戻して痣を隠した。
ルイスはもうそれ以上痣については何も言わず、再び冷たいタオルを火傷に当ててくれた。
「後から、火傷と痣に効く薬を届けます。夜また訪ねてもいいですか?」
「えっ、あ、はい……」
「仕事があるので少し遅くなりますが、待っていてくれますか?」
「あっ、は、はい……!」
ルイスはこれでもかというくらいの長い時間、オレリアの手を離してくれなかった。
何度もタオルを冷やし直して患部に当ててくれていた。
オレリアはその間、心臓が爆発しそうで死にそうだった。
そしてルイスが近いのでどこを見ればいいのか分からず、気持ちを落ち着ける為にコンロに並んだ鍋を延々と数えていたのだった。




