令嬢と騎士の距離
「……ふう」
オレリアは、友人と喋り込んでいるアレスから少し離れて、人気のないバルコニーで一息ついていた。
夢にまで見た煌びやかな夜会の会場だが、とても緊張した。
浮くことはないだろうと思って着てきたドレスは、令嬢たちが着ている豪華絢爛なものと比べるとやっぱり貧相で見劣りするような気がする。
それに、人の視線も痛かった。
複数の人たちに「誰だこの女」という顔で見られた。
きっとオレリアの顔が不細工でおかしかったからだろう。
ジロジロ見られて思わず俯いてしまった瞬間もあったけれど、でもそれ以上に夢が叶った興奮もあった。
(死ぬ前に夜会に来れた)
(私はこんなだから浮いちゃってたけど、楽しかった)
(楽団の演奏も素敵だし、料理も食べるのが勿体無いくらい綺麗だったし、何もかもがキラキラしてた)
慣れないことばかりで疲れたオレリアは、バルコニーの手すりに頬杖をつき、熱い頬を冷やしてくれる夜風に当たっていた。
と。
背中の方で、誰かがバルコニーに繋がる扉を開けた音がした。
誰もいなかったからとバルコニーに来ていたオレリアは、人が来たのならベランダから移動しようかとくるりと振り返った。
「あっ」
しかし、オレリアはバルコニーから出て行く前に足を止めた。
誰がバルコニーに入ってきたのか、その姿を見たからだ。
「こんばんは、オレリアさん」
少しバツの悪そうな顔でそう挨拶をしたのは、ルイスだった。
(なんで、ルイスさんがここに?)
(あっ。人がいないような静かなところに来たかったのかな。じゃあ私はどこかへ行った方がいいかな)
パーティで遠目に見たルイスは、いかにも高価そうなドレスを着た美しい令嬢と話していたし、雲の上の人である第二王子とも仲良さげに笑いあっていた。
ルイスはやっぱり、遠い世界の人なのだと認識し直した。
彼は憧れだけど、決して手の届かない夢の中の人だ。
オレリアは挨拶もそこそこに、「あの、ではこれで」と立ち去ろうとした。
「ま、待ってくださいオレリアさん」
しかし、驚いたことにルイスに呼び止められた。
「少し、話していきませんか?」
まるで住んでいる世界が違うと実感したばかりなのに、ルイスはいつものようにオレリアに優しく微笑んでくれた。
その申し出を断れるはずもなく、オレリアはコクコクと頷いた。
ルイスが何故ここにやってきたのかという疑問は、すっかりオレリアの頭から抜け落ちていた。
しかし一応解説しておくと、ニヤリと笑ったディートリヒとクレーべが今回最良として採用した案は、「鉄は熱いうちに打て。とりあえず話しかけてこい!」だった。
なんともシンプルで、ディートリヒにしては全く捻りがないが、彼曰く「策を弄するのは浮気か不倫の時だけでいいよ」とのことだった。
そうして「わざわざ今日話に行かなくてもいい」と首を振るルイスを無理矢理バルコニーに押し込んで、
「侯爵令息の方は何か動きがあれば王族権限で足止めするから」とウインクしたディートリヒ。
丁寧にバルコニーに鍵までかけられた。
職権濫用にも程があるのだが、何はともあれそんなわけでルイスは今バルコニーでオレリアと対面していたのだった。
一方の何も知らないオレリアは去ろうとしていたところを引き止められ、さらに少し話そうと言われて訳もわからず頷いていた。
(夜会でもルイスさんと話ができるんだ……)
(綺麗な令嬢さんたちに囲まれて忙しそうだったけど、いいのかな……?)
おずおずとルイスの横に並ぶ。
ルイスは近くに寄ってきたオレリアに小さく微笑んだ。
「オレリアさんが夜会に来ていて、少し驚きました」
「あ、えっと……でも、皆さん綺麗で、私は少し場違いなのですが……」
「そんなことありません。オレリアさんも、その、いいと思います」
ルイスが少し言いにくそうにしたので、オレリアは気を使わないで欲しいと笑おうとした。
だけど、その言葉はルイスに遮られた。
「綺麗、だと思います」
「そ、そんなこと……」
ルイスが思いがけず真剣な目をしていたので、真っ赤になったオレリアは自分のドレスを見下ろした。
ルイスを取り囲んでいた令嬢たちの着ていたものには遠く及ばないドレスだけれど、ルイスはきれいだと言ってくれた。
頑張って作った甲斐があった。
「オレリアさん、先程はドレスの事だけではなくて、オレリアさん自身のことも褒めたのですけど」
「えっ?」
オレリアの心を見透かしたようなことを言われて、ドレスを見つめていた顔をパッと上げる。
目が合ったルイスは少しだけ恥ずかしそうにしていた。
「あっ、えっと、いつもよりは……マシかも、しれないです。今日は化粧もしていますし」
「……お化粧、していなくても可愛いと思いますよ」
「えっ!あっ、あの」
そんなにお世辞を言って、何か変なものでも食べたのですか?
それとも、酔っていますか?
あれこれ可能性を考えたけれど、顔が真っ赤に熱くなってしまって、オレリアはその先の言葉を続けられなかった。
きっとルイスは夜会のマナーのようなものに則ってオレリアを褒めてくれただけだ。
そう考えて落ち着こうとするのに、全然冷静になれない。
それもそのはず、憧れている人に可愛いなんて言われて、冷静でいられる女の子なんていない。
「夜会は楽しめましたか?」
真っ赤な顔を隠すように黙ってしまったオレリアを見かねてか、ルイスはさりげなく話題を変えたようだった。
「あっ、はい。それはもう、楽しみました」
「そうですか」
「シャンデリアも豪華で、音楽も素敵で、綺麗な洋服を着た方が踊っていて、お料理も美味しくて」
「そうですね。今日は特別賑やかですね」
「飲み物もいただいたのですが、泡の入ったお酒は初めて飲みました。連れてきてくださった方がアレスさんというのですけれど、アレスさんがイチゴを入れると美味しいと教えてくださったのですが、それも美味しかったです」
「なるほど」
「あと、アレスさんがマナーもいろいろ教えてくださって、夜会会場の案内もしてくださいました」
「そうでしたか」
ルイスは静かに相槌を打ってくれた。
優しげな微笑みだったけれど、何故かどこか寂しげにも見えた。
「あっ、あの、ルイスさんは?楽しみましたか?!」
「そうですね……実は、あまり」
何かを思い出したのか、ルイスは小さくまつげを伏せた。
スッとした横顔に長いまつげの影ができる。
ルイスはどんな問題があっても軽々と解決してみせるのに、今日は少しだけ元気がない。
「な、何かあまり楽しくないことでもあったのですか?」
「……大丈夫ですよ。すみません、変なことを言って」
「あ、あの、何か、ルイスさんに嫌なことがあったりしたら、私も助けられるようになりたいです」
「オレリアさんが?」
「は、はい!ルイスさんにはたくさん助けてもらいました。私にもルイスさんを助けられるようなことがあれば、いいなって……」
オレリアができることは料理を作ることか、食器の後片付けを手際よくやることか、裁縫をすることくらいだけれど。
ルイスがオレリアにくれるような感動を与えることはできないけれど、やっぱり恩人で憧れの人だから、出来る限り力になりたい。
「ではオレリアさん。少し聞いてもいいですか?」
「は、はい」
ルイスがなにか思い切った様子だったので、オレリアはピッと姿勢を正した。
ルイスの質問というのはなんだろう。
オレリアで分かるようなことなら良いのだけれど。
だが、ルイスの質問は意外なものだった。
「その、アレスさんという方とは仲が良いのですか?」
「えっ?ええと、最近よく話しかけていただけるのですが、仲は……」
「そうですか。では、彼と夜会に来たのは……」
「あの、夜会に一度来てみたくて。それでたまたま、アレスさんが誘ってくださって」
いつもと雰囲気の違うルイスの質問の意図は分からないが、オレリアは一生懸命に説明した。
オレリアが話し終えて一息つくと、ルイスは一歩オレリアの方に近づいてきた。
「夜会、もう一度来てみたいと思いますか?」
「えっ、それは勿論です。機会があるのなら、ですけど……」
「では今度、私と一緒に行きましょう。私がオレリアさんをエスコートします」
「えっ、そ、ルイスさんが!?」
オレリアは動揺のあまり大きな声を上げてしまった。
(えっ!えええ!)
(そ、空耳かな!!ルイスさんが私をエスコートするって!)
(ゆ、ゆ、ゆ、夢なのかな!!)
何が起こっているのか分からず、つい頬をつねってしまうオレリア。
それを見たルイスは穏やかな動作で、頬をつねっているオレリアの手を止めた。
そして伺うように首を傾げる。
「いけませんか?」
「いけないなんて、ことは、なくて……」
「よかった」
ルイスに恥ずかしそうにはにかまれて、オレリアはごくりと息を呑んだ。
やっぱり夢かな。
そんなことを考えて再び頬をつねろうとしたからか、ルイスは掴んだままの手を離してくれなかった。
(る、る、ルイスさんが手を握っている、これも、夢かもしれない……!)
(うん、きっと、多分、絶対、夢だ……)
オレリアは握られている手がどんどん熱くなってどんどん汗ばんできているのを感じていたが、全く身動きが出来なかった。
夜空が綺麗で夜風も涼しいのに、オレリアは全くもってそれどころではなかった。
心臓がバクバクとうるさい。
「それからオレリアさん」
「は、は、はいい!」
呼びかけられて慌てて返事をしたが、舌を噛んで声が裏返ってしまう。
返事もろくにできなくて申し訳なく思いながらルイスを見上げると、彼は優しく微笑んでくれた。
それからルイスは、ゆっくりと言葉を続けた。
「今度、一緒に出かけたいです」




