黒髪の騎士と苛々
ルイスは、王国御三家と名高い、厳格なエルグラン公爵家の三番目の息子として生まれた。
古くからある公爵家の三男など、継ぐ爵位も分け与えられる領地もなく、ただ兄の替えの替えくらいの存在だった。
そのまま兄の替えの替えとして、特に誰かから必要とされるでもない人生。
3人のうち一番どうでもいい息子という人生。
でも彼はその人生を否定して、実力社会の騎士の道へ飛び込むことを選んだ。
最初は体格に恵まれず大変な苦労をした。
他にも、生まれのことで苦労した。
御三家の公爵家に生まれながらも騎士を目指したことで、「騎士は体を張る仕事なのに、貴族に娯楽半分で来られても」とか「どうせコネでいい役職用意してもらうつもりなんだろ」とか「実力もないのにすぐ指揮官になって俺らを駒のように扱うつもりなんだろ」とか、散々に言われたこともある。
あの時は、正直辛かった。
何度騎士をやめようと思ったことか。
だが、必死に頑張っていたら誰かが助けてくれたことも事実だ。
今現在ルイスと共に第二王子に仕えるクレーベは騎士見習いの頃からの間柄だし、料理長のロナウトは体の小さかったルイスをひときわ気にかけてくれていて、あれも食べろこれも食べろといろいろ気を使ってくれた。
そして何より第二王子ディートリヒ。
彼はルイスの騎士としての才能にいち早く気づいて目をかけてくれていた。
それらの小さな助けと自分の努力が繋がって今、名誉な称号を手にしているのだとルイスは思っている。
そして、齧りついてでも目標に向かう、必死に頑張っていたあの頃の自分と重なって見えたオレリアにほとんど反射的に手を差し伸べていて、今までルイスに手を貸してくれた人たちに恩を返すように今度はルイスがオレリアに手を貸した。
……オレリアとの出会いは、それだけの筈だったのだが。
自らの主である第二王子ディートリヒに付いて王家主催の夜会に来た時、ルイスは得体の知れない気持ちでいっぱいだった。
ディートリヒとクレーベと共に主賓と挨拶をするが、心ここにあらずだった。
令嬢たちに取り囲まれても対応する素振りを見せるだけで、心の中では上の空だ。
気が気ではなかった。
それは、何やら急くような焦るような焦げ付くような、あまり心地の良い感情ではなかった。
この感情が始まったのは、どこかの侯爵令息にエスコートされて会場に入ってきたオレリアを見てからだ。
何故オレリアがこの夜会の会場にいるのかも分からず、最初は驚いた。
だがその隣に男がいるのを見て、何故か苛々した。
慎ましいながらも可憐なドレスを着ていて、髪をレースとリボンでアップにしているオレリアが、その侯爵令息に笑いかけている。
オレリアはいつも真っ先にルイスに駆け寄って来て照れながらも挨拶し、嬉しそうに笑ってくれるのに。
話せたことが嬉しいと言わんばかりに笑ってくれるのに。
でも今日は他の男に笑いかけている。
やっぱりモヤモヤする。
少しイライラする。
なんだろう。
今までこんな気持ちを感じたことはない。
イライラしながらもこっそりとオレリアと侯爵令息を目で追っていると、歩いてきた人を避ける為に男の方がオレリアの腕をとって自らの方へ引き寄せた。
オレリアが恐縮しながらお礼を言っていることがわかる。
二人の距離がとても近い。
……やっぱりとても不愉快だ。
「ルイス様?……ルイス様?」
「え?ああ……すみません。なんでしたか?」
目の前に王国御三家バルトール公爵家の令嬢・エルロッテがいて、ルイスの騎士服の裾を引っ張っていた。
見回してもルイスの隣にはもうディートリヒとクレーベの姿はなく、何故か分からないがバルトール公爵令嬢と二人で会場の隅にいる状態だった。
何時から彼女と話していたのだろう。
何を彼女と話していたのだろう。
まったく覚えていない。
「ですから、観劇のチケットがありますので来週にでもご一緒にどうかしら?」
「ああ……」
「今話題のラブストーリーですのよ。わたくし、ルイス様と一緒に行きたいの」
上目遣いにルイスを見上げてくるエルロッテに対し、マナーとして微笑みを作る。
クレーべにはよく「目が笑ってない」と言われるが、時々しか会うことのないエルロッテには分かるまい。
「来週は剣術大会が控えております。申し訳ないのですが時間が取れません」
「あら。じゃあ剣術大会に招待してくださらない?わたくし、ルイス様を応援いたしますわ」
「では一度持ち帰って検討させていただきます」
「まあ。持ち帰らずとも、わたくしを招待するとここで決めてくださいな。だってルイス様の招待枠ですから、誰を招待するかはルイス様の一存で決められる筈ですもの」
オレリアのことが気が気ではなくて、穴だらけのずさんな受け答えをしてしまった。
そこをルイスの隙と捉えたのか、エルロッテは内緒話をするように身を寄せてきた。
「ルイス様。わたくし、勝利の女神と呼ばれていますの。ルイス様に勝利をお運びするわ」
きつい香水の匂いが鼻にツンと来る。
ルイスはエルロッテの死角で眉を顰め、しだれかかってくる彼女の体を避けた。
「すみません、もう殿下の元に戻らねばなりません。ここには半分仕事で来ておりますので」
「もう少しくらいいいじゃない。お待ちになって」
ガシッと腕を掴まれそうになったが、ルイスは自然な動作でそれを避けた。
剣術訓練で培った反射神経は、不本意ながらもこういう場面でも役に立つ。
「お話できて光栄でした。それでは失礼致します」
無事にエルロッテと別れ、ディートリヒの元に足早に向かう。
しかしルイスの目は正直で、ディートリヒではなくオレリアの姿を探していた。
人込みの中に見つけたオレリアは料理の台付近にいた。
満面の笑顔で笑う侯爵令息に、料理を取り分けてもらっているようだ。
皿に乗せられた豪華なパーティの料理を見て、オレリアは感動したようだった。
以前、オレリアの仕事が決まったお祝いとして金貨入れを贈った時に見せてくれた顔と似ている。
ずっと大切にすると言って喜んでくれた。
可愛いクマのぬいぐるみを見つけたので買って渡した時も、オレリアは感動して震えていた。
そしてぎゅっとぬいぐるみを抱いてお礼を言ってくれた。かわいかった。
でもその顔を、違う男にも見せるのか。
何故かやっぱり、焦げるようなよく分からない嫌な気持ちになる。
苛々を募らせながらも、その苛々の正体がわからないまま、ルイスは無事にディートリヒとクレーベと合流した。
「何時にも増して苛々しているようだね、ルイス。エルロッテ嬢はなかなかグイグイ来たかい」
珍しい青い髪を持つ美しい王子ディートリヒが、戻ってきたルイスに声をかけた。
「ああ、エルロッテ嬢は……まあ」
たしかにエルロッテはグイグイきたが、イライラの原因は別にある。
それをディートリヒも瞬時に察したようで、彼は無駄に威厳のある顔で相槌を打った。
「なら、エルロッテ嬢とのやり取りを特に覚えていない程の何かで苛々しているということか。君ともあろう騎士が、注意力散漫なようだね」
「申し訳ありません」
「いいや、別に謝ることはない。今の君は半分プライベートでここにいる。だから今の僕らは殆ど対等な友達だ。もし何か困っていることがあるなら聞くよ」
「いえ……」
ディートリヒに受け答えしながらも、ルイスは視界の端でオレリアが侯爵令息と笑っているところを捉えて、また少しだけ良くない気分になった。
その些細な変化を、ディートリヒが見逃すはずもなく。
「誰を見ている?」
「……別に、誰も」
ディートリヒは変わり者だと言われているが、恐ろしいほどの切れ者でもある。
その鋭い視線で少し観察されれば、もう全て露見しそうだったのでルイスは慌てて目を逸らしたが、少し遅かったようだ。
「ああ……ふうん。理解した。あの子が、君が朝早く起きたり休憩時間に消える原因の彼女か。彼女は誰か別の男性といるようだね」
「……」
「だから苛々していたんだね、ルイス。うん、君が本格的に男色疑惑をかけられる前にこの事実を知れてよかったよ。では、君の友人である優しい僕が教えてあげよう。その苛々を消す方法」
「そんなもの、いりません。そもそも彼女が楽しそうなのですから苛々なんてしていません」
「ふうん。あくまでそう言うのか。こういう時に及び腰の男というのは見るに耐えないね。それが自分の騎士ともなれば尚更だ」
「……」
「いいだろう。僕に考えがある」
ディートリヒがニヤリと笑ったので、嫌な予感がした。
そしてその横でクレーべもニヤリと笑ったので、ますます嫌な予感がした。




