気弱な令嬢の初出勤
そして、次の日。
今日はオレリアの初出勤の日だ。
陽が昇る前から起きて厨房を綺麗に磨いて、昨晩のうちに支給されたエプロンも付けて、オレリアは朝食を作る準備も万端だ。
「おっ。早えーな、オレリア。おはよ」
オレリアがピカピカな厨房を満足げに見ていると、大あくびをしながらロナウトが入ってきた。
オレリアは上司の登場に、バッと姿勢を正して挨拶をした。
「お、おはようございます!」
「よし。じゃあ今日から色々叩きこんでやるからな」
「は、はい!よろしくお願いします!」
オレリアが頭を大きく下げたタイミングで、向こうの方でギイっと音がした。
音のした方を見れば、厨房の扉が開いてルイスが顔を出したところだった。
これから仕事があるだろうに、その前にわざわざ見習い騎士寮に立ち寄ってくれたようだ。
(あっ、ルイスさんだ!)
厨房のオープンキッチンからその様子を見ていたオレリアは、今日もルイスを見れたことが嬉しくて、急いで厨房を出て彼に駆け寄った。
「あ、お、おはようございます、ルイスさん」
「おはようございます、オレリアさん」
ルイスは優しい笑顔で挨拶を返してくれた。
「今日が初仕事ですね。緊張していますか?」
「あっ、はい。でも、精一杯頑張ります」
オレリアは初仕事でとても緊張しているが、ルイスと話すのも未だに緊張する。
ルイスのような雲の上の存在であるエリート騎士とオレリアが話しているなんて、やっぱりまだ夢なのではないかという疑問が拭えない。
「でも、あの、ルイスさんもこれからお仕事ですよね、頑張ってください」
「ありがとうございます。オレリアさんは怪我をしないように気をつけてくださいね」
「ル、ルイスさんも怪我をしないようにしてください!」
「ふふっ。でも騎士の怪我は勲章とも言われますから、程々に気をつけますね」
ルイスは小さく笑ってから、「ああ、そうだこれ」と言って何やら小さな包みを取り出してきた。
なんだろう。
可愛らしい包装紙で包んであって、ちょこんとリボンまで付いている。
「えっと、なんですか?」
「仕事が決まったお祝いです。金貨入れなのですけど」
「えっ!!」
オレリアは、ハイと渡されたその可愛らしい包みをまじまじと見つめる。
(えっ、えっ……)
(だ、だ、だ、誰かに、私がお祝いを貰える日が来るなんて……)
(しかも、ルイスさんから……)
(う、嬉しい……!!)
誰かに祝われる経験もなく、誰かから贈り物をもらった経験もないオレリアは、思わず泣いてしまいそうになるのを必死で我慢した。
誰かが自分を気にかけてくれて、こうして自分の為にお祝いをしてくれるなんて、今まで考えたこともなかったような奇跡だ。
きっとこれは、一生分の奇跡と同じくらいの奇跡が起きたんだ。
嬉しさのあまり放心しているオレリアに、ルイスが優しく声をかけた。
「開けてみてください。オレリアさんの好みが分からなかったので私が可愛いと思ったものを選んでみたのですが、気に入らなかったらお店に取り替えてもらいに行きましょう」
「気に入りました!!!」
まだ包みは開けていないが、オレリアは断言した。
だって、ルイスが選んだのなら世界で一番可愛い金貨入れに決まっている。
お店に行って取り換えてもらうなんて、とんでもない。
「だといいのですけど。ではオレリアさん、開けてみてください」
オレリアはルイスに促されるままに、包み紙を丁寧に開いていく。
最後の包み紙を開き終わると、中からきょとんとした顔のクマのがま口がコロンと出てきた。
「か、か、かわいい!!」
おとぼけ顔のクマと目が合って、オレリアは思わず声を上げていた。
「よかった」
微笑む美しい顔のルイスが、店で数ある金貨入れの中からおとぼけ顔のクマを選んだと思うとなんだか微笑ましくて、オレリアも自然と笑顔になった。
(大事にしよう)
(貰ったお給料を入れて、一年後に死んじゃうまでずっと大事に使おう)
貰った金貨入れをぎゅっと胸に抱く。
オレリアにキュッと潰されても、とぼけた顔のクマはのんびりしているように見えた。
そういえば、ルイスは可愛いもの以外にどんなものが好きなのだろう。
たくさんお世話になってルイスの人となりに触れて、オレリアは彼をとても優しい神様のような人と認識していたが、彼の他の面はどんな感じなのだろう。
怒ったり焦ったり、爆笑したり泣いたりすることは有るのだろうか。
好きな食べ物だって聞いてみたいし、昔の思い出だって聞いてみたい。
好きな場所とか、良く行くお店とかあるのだろうか。
できることなら、もっと知りたい。
(……でも、私は無事に仕事も決まったし、ルイスさんにお世話になるのも今日までなんだろうな……)
(ルイスさんは忙しそうだしモテそうだし、元々別世界の人だから……)
「おい、仕込み始めるぞ!!」
厨房から、ロナウトの声が飛んできた。
オレリアはハッと我に返り、ルイスに何度もお礼を言って深く頭を下げてから厨房へ戻る。
ルイスは、既に仕事を始めているロナウトに向けてオープンキッチンの外側から軽く挨拶をして、見習い騎士寮の食堂から出て行った。
ルイスがいなくなり、オレリアがロナウトに向き直ると、一気に空気がピリリと引き締まる。
「今日の朝食はベーコンエッグとハムサラダ、それから白パンだ!お前はパンをオーブンに入れて、ベーコンを焼け」
「はいっ!」
「根性入れていけよ!!」
「はいっ!!」
大きな声で返事をして、エプロンのリボンをきつく縛り直した。
今から、オレリアの初めての仕事が始まる。
これから、気合を入れて臨まねば。
言われたことは確実にこなし、次に繋げられるように学ばねば。
オレリアの面倒を見終わったルイスとはもう会えないかもしれないけど、仕事は一生懸命にやろう。
オレリアはその日、朝から大きなフライパンを振って大量の厚切りベーコンを焼き、昼も幾つもの大鍋で肉を煮込み、夜も大量の麺を茹でた。
大鍋は重いし水も重いし、大量の食材も重いし、途轍もない重労働だった。
重い物に慣れているオレリアでなければ、とっくに音を上げていたであろう仕事だ。
ロナウトも、「前のヤツは一日も経たずに辞めやがってよお」とぼやいていた。
たしかに大変だけど、オレリアは全く苦には思わなかった。
こんなオレリアに頑張れと言ってくれた人が紹介してくれて、こんなオレリアを採用してくれた人がいるのだから、辛くなんて全然ない。
オレリアを必要としてくれない人たちの為に罵られながらしていた仕事は辛かったけど、この仕事は天国だ。
新しい事を教えてもらえて、上手くできれば褒められる。楽しいとさえ思う。
だから、死んでしまうその日まで全力で頑張ろう。
オレリアは言われたことを守り、教えてもらったことをぐんぐんと吸収し、注意されたことをノートに書き留めて復習し、努力を重ねていった。
料理の腕も上がり、要領も良くなりつつある。
しかも最近では、献立の一部を考えるところから任せてもらえるようにもなった。
ロナウトからは褒めてもらえることも多くなってきた。
とてもやりがいを感じる。
だが、いつまで経っても上手く出来ない課題もある。
特に、人とコミュニケーションを取ることは難しい。
ロナウトは何故かそこまで苦手ではないのだが、当番制で毎日変わる配膳係の寮生たちと話すのは中々上手く出来ない。
優しい人も多いのだが、口籠るオレリアに苛々したような視線を向けてくる人もいて、そんな時は思わず昔のように縮こまってしまいそうになる。
でも、頑張らないと。
そうこうしながら、オレリアが仕事を始めて、気づけば2か月ほどが経っていた。
そしてオレリアがもう来なくなるだろうと予想していたルイスだが、なんと今でも3日に1回ほど厨房にやって来る。
彼がオレリアのいる見習い騎士寮の厨房に訪ねて来るのは、大抵朝か仕事終わりの夕方頃。
彼に憧れる見習い騎士も少なくないので、厨房には見習い騎士たちがいない時間を狙って来ているようだった。
ルイスは毎回嫌な顔一つせずオレリアと話してくれて、笑ってくれる。
オレリアは最初はもう次は来ないだろうなと期待しないようにしていたが、段々とルイスがやって来るのを楽しみに待つようになって、今ではルイスが来た時はいつでも飛んで行って挨拶するようになった。
そして挨拶だけでなく、ちょっとした会話をすることも多い。
相変わらず眩しくて緊張するので上手く話せないが、それでもその日一日厨房であったことをうんうんとルイスが聞いてくれるので、いつもオレリアは嬉しくなる。
憧れのルイスと会話することが出来る、この毎日が死ぬまで続いてくれたらいいのに。
それで、もうちょっと欲を言ってもいいのなら、死ぬ前に一度でいいから、ずっと前から作ってみたかったお菓子を作って、貰ったお給料でちょっとした可愛いアクセサリーを買ってみたい。
あとは、高望みかもしれないけど誰かと友達になってみたい。
それからこれも高望みだとは分かっているけど、お茶会をしてみたいし、夜会というものにも行ってみたい。




