気弱な令嬢と職探し
尻もちをついてしまったエクレールをおいて、オレリアは玄関ホールを後にした。
調理係はとっくに解雇されていて静まり返っている厨房に向かい、買って来た食材をゆっくりと床に降ろす。
「あっ」
その時、ぐらりとよろけてしまった。
いつもなら、これくらいの荷物でよろけることはないのに。
よろけた拍子に床に尻もちをついて座り込んでしまい、オレリアはそのまましばらく立てなかった。
ぎゅっと握りしめていた手を開いてみれば、汗びっしょりだった。
心臓もバクバクと動いている。
(やっぱり、信じられない……)
(この気弱な私が、エクレールに向かってあんなことしたなんて、信じられない……)
(死に物狂いって……ああいうことなんだ)
さきほど、エクレールに向かっていった自分自身のことが思い出された。
あの恐ろしいエクレールに立ち向かうことが出来たなんて、いまだに信じられなくて、震えが今更やってきた。
(それから……家を出て行くって、言っちゃった……)
(ここにいたくないって、確かにずっと思ってはいたけど、ほんとに大丈夫かな。これからどうしよう……)
(家を出て、どうしよう……?)
声を出さないようにスーハーと何度も深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
動悸は中々収まらないが、それでもオレリアはゆっくりと立ち上がった。
自分の寝床である屋根裏部屋へ向かって歩く。
この侯爵家から逃げ出してどこか別の場所へ行きたいと、ずっと思っていた。
でも、ずっとどこへ行けばいいのか分からなかった。
気弱で汚くて暗い見た目のオレリアを受け入れてくれる場所なんて、見当もつかない。
(宿を取れるようなお金もないし、勿論助けてくれるような知り合いもいない……)
俯いてしまいそうになったが、オレリアは慌てて顔を上げた。
(そうだ。なら仕事をすればいいんだ。仕事をしてお金を貰えれば、住む場所も借りられる)
誰も助けてくれないからと俯くのではなくて、自分で自分を助けようと頑張るべきなんだ。
(でも私なんかを雇ってくれるところはあるのかな……)
(ないかも……。 最悪、道端で暮らすことになったりして)
道端には屋根もないし、布団もない。
それどころか、クズ野菜や残り物のような食べ物さえも食べられないかもしれない。
もしかしたら、侯爵家にいるよりもっと不幸になるかもしれない。
「……だめだめ、弱気になっちゃ!」
オレリアは頭をブンブン振って、悪い考えを追い払う。
(なんとか、どこかに雇ってもらうの)
(頑張って頼み込めば、一軒くらいはこんな私でも雇ってくれるところがあるかもしれない)
(街にはたくさんのお店があるんだもの、大丈夫)
(大丈夫よ)
オレリアはそう自分に言い聞かせながら、屋根裏部屋で手早く荷造りを始めた。
自分の決意が揺らいでしまわないうちに、踏み出さないと。
臆病な自分が尻込みをしてしまう前に、飛び出さないと。
余命の一年は、ウジウジ俯いていては直ぐに過ぎて行ってしまう。
オレリアは、自分が唯一持っている鞄を物入の中から引っ張り出した。
穴が開いていたその鞄を補強して、少ない荷物を詰めていく。
ボロボロながらも一番状態の良い服を何枚かと、死んだ母親の箪笥の奥から見つけたブローチ、それから割れた手鏡と小さな綿袋。
その他こまごましたものを入れて、荷造りはものの数分で完了した。
オレリアは物が少ないから、当然の結果ともいえる。
オレリアは、もう誰にも何も言わず外に出た。
玄関の門を潜り抜け、侯爵家の敷地から出る。
出て行くことを決めたオレリアは、侯爵家の屋敷を振り返りかえりはしなかった。
オレリアは小くて汚い鞄を背負い、街の中でも貧困街に近い下町エリアに来ていた。
庶民的な店が多く、雑多で人も多い。
オレリアが良く来る市場も、この下町にある。
オレリアはまず、その市場へ行ってみることにした。
到着すると、市場は夕暮れに合わせて店じまいをしていて、酒を出すような店は明かりを灯して開店の準備をしている。
市場を歩く人は、仕事を終えて帰路につく人や、これから食事に行こうとしている人などが多いようだった。
オレリアは仕事を探すためにこの場所へ来たのだが、それがひどく場違いな気がした。
(ここに来たのはいいけれど、仕事って、どうやって探せばいいの……?)
(お店の人に、聞けばいいの……?)
(でもなんて聞けば……)
(嫌な顔をされて、追い払われたらどうしよう)
暗くなってきた市場にぽつんと佇み、オレリアは散々迷った。
ずっと俯いて、人と話すことを避けてきたオレリアは、中々勇気が出せない。
すれ違う人が、不審げにオレリアを見ていく。
もじもじしているうちに、どんどん市場の店が閉まっていく。
(早く、しなきゃ……)
「あ、あの……!」
オレリアは声を振り絞り、まだ明かりがついている八百屋の店主に話しかけた。
「なんだ?今日はもう店仕舞いだ。帰った帰った」
店主は早く店を閉めて帰りたいのか、露骨に眉をひそめる。
人を嫌な気分にしているのが自分だと思うと、どうしても委縮してしまうオレリアだが、ぎゅっとこぶしに力を入れた。
「お仕事、ありませんか……?」
「はあ?うちは威勢が売りの八百屋でね。あんたみたいな陰気な女の子でもできそうな仕事はねえんだよな」
八百屋の店主は、薄汚れていて声も小さいオレリアの姿を一瞥し、ハッと鼻を鳴らす。
そして「どんな仕事でもします」と懇願する前に、オレリアはしっしと追い払われてしまった。
でもオレリアは諦めず、必死になって仕事を探し続けた。
まだ空いている店を全て回り、頭を下げて仕事が欲しいとお願いした。
最初こそは初対面の人間に話しかける事さえ躊躇われたけれど、途中であのエクレールに言い返すことに比べたら、百倍簡単だったということに気が付いた。
(あのエクレールに言い返すことが出来たんだから、仕事がないか聞く事くらい大丈夫)
(笑われたって、そこまで悲しくないし)
(何回断られても、怖くない)
オレリアは市場の端から端まで、仕事がないか聞きながら移動した。
声が小さくて陰気だと言われたので、頑張って声を張り上げたりもしてみたけれど、でも結果は惨敗だった。
下町の飲み屋街にある店も回ったけれど、どこも反応は似たようなものばかり。
「人手は足りている」
「他を当たれ」
「ウチにあんたにやる仕事はない」
下町にある夜営業の店は歓楽街にあるものを除いて殆ど聞いて回ったから、残る候補は昼営業の店と、その歓楽街のお店のみ。
(どうしよう……)
昼営業の店が開店する明日を待って野宿をするか、それとも歓楽街のお店にも仕事がないか聞いてみるか。
裕福層の人たちが集まる城下町のお店に聞きに行くという選択肢もあるが、そんな高級な店、オレリアなんかは絶対に雇ってくれない。
オレリアのような、愚図で気弱で不細工な女の子では。
(……だめだめ。自分だけは自分を貶めちゃだめ)
(愚図で気弱で不細工かもしれないけど、頑張るんだ)
(よし、城下町のお店に行ってみよう)
オレリアは、煌びやかな城下町に足を踏み入れた。
趣のある建物がライトアップされ、着飾った貴族たちが石畳を歩き、高級な馬車が行きかう。
城下町は先ほどの下町とは違って、洗練された高級なエリアだ。
思わず尻込みをしてしまったが、オレリアは自分で自分を励まし、一歩一歩と歩を進めた。
人が多い大通りから一本中に入り、落ち着いた隠れ家的なレストランが軒を連ねるエリアにやって来る。
大通りは人も建物もキラキラと輝いていたので、思わず落ち着いた方に引き寄せられてしまった。
でも、やっぱり建っているレストランは皆、お洒落で高級そうだ。
どのレストランも、きっとべらぼうな値段がするのだろう。
そんなレストランに「雇って欲しい」と言いに入って行くなんて、果たしてできるのだろうかと不安になって来たところで、オレリアはとあるレストランの裏口に貼ってある、白い張り紙を見つけた。
妙に気になったので、目を凝らしてよく見て見る。
『料理の心得がある方急募』
その紙には、急いだような手書き文字でそう書いてあった。
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