6.[2年前]
父ダリフ→黒髪です。
「イザベラ!リリアンヌ!帰ったぞー!」
女子会の翌日、父が帰ってきた。
「お父様!おかえりなさい」
リリアンヌが駆け寄って ぎゅーっと抱きつく。
「リリアンヌ、寂しくはなかったかい?ご飯はちゃんと好き嫌いなく食べたかな?」
「お姉様といたので楽しかったです!それと、もう何でも食べられますよ!子供の頃とは違うのです」
えっへん、と胸をはるリリアンヌは今日も愛らしい。
「着くのは明日とお聞きしていましたが、1日早くなったのですね」
「ああ。息子たちに押しつ…いや、任せて私だけ戻ってきたんだよ。寝耳に水な話を聞いてな…」
「あらあら、弟たちが帰ってきたら少し休ませてあげて下さいね。お父様も一度休憩なさいますか?」
「いや、このまま書斎に行こう」
「かしこまりました。リリアンヌ、お父様とお仕事の話をするから また後でね」
「はい!いってらっしゃいませ」
父の不在時に、領内で起こった出来事や問題を代理主の姉が報告するのは いつものことだ。
今回、領内は何事もなく平和であったが、今日の父と姉の話は長くなりそうだな、とリリアンヌは散歩に出かけた。
書斎に父ダリフと娘イザベラ、執事長のセバスが揃う。
「まず領内のご報告から。先月から取りかかっていた研究施設の外壁の修復が無事終了いたしました」
「そうか、一時は天候が荒れて間に合わないかと思ったが、何よりだ」
「はい。それと農民の税率引き下げの件は、話し合いの結果0.2割にて納得していただけました」
「流石だな!やはりこの分野はイザベラに任せて良かった」
「お父様が領民に慕われているお陰ですわ。皆さん前向きに話を聞いてくださいました。他、大きな問題はございませんでした」
「ふむ。では領内の話はここまでとしよう。次は…」
サッと素早く、セバスが机の上に紙を置く。
「この手紙についての報告を」
ハリス殿下からの婚約の手紙である。
「はい。こちらの手紙はお父様の不在時に届きました。私の名前が書かれておりますが、間違いないそうです。殿下がいらっしゃった日の事はセバスの記録書通りです」
淀みなく答える。
「…心当たりは、あるのかい?」
父の声が一段低くなった。
「…2年前、王宮の闘技場でお会いしました。木剣を握っていらしたので、手合わせを」
「…勝ったのか」
苦い声で確認される。
「勝ちました」
うふ、と空気が柔らかくなるよう笑ってみた。
「セバスー!うちの娘が強くてどうしようー!」
残念ながら騒々しくなった。
うわーん!とセバスに泣きつく父。
「旦那様…こちらのハンカチを」
セバスが父にシルクのハンカチーフを差し出し、落ち着かせようとしている。
私はその間に紅茶を注いだ。
「そもそも、どうして王宮に行ったんだい?」
落ち着いた父が しょぼしょぼと聞いてきた。
「お父様、議会に提出する予定だった証拠品を家にお忘れになったことがあるでしょう?あの日です」
「私のせいか!!すまんイザベラ!」
また騒々しくなった父が面白くて、イザベラはころころ笑う。
父は国では戦神と呼ばれているが、戦以外ではたまに天然でやらかす。
セバスや優秀な側近がいるにも関わらず、まるでそうなるのが運命かのように、やらかす。
そこも含めて父なので、イザベラは気にしない。
「イザベラ様…その、殿下と手合わせになった経緯をお聞きしても?」
まだ己を悔いている父にかわり、セバスが問いかけた。
イザベラはにっこりと笑い、2年前の話をし始める。
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「お嬢様ー!旦那様の部屋にこれが…!」
「まぁ」
王都にある侯爵家の別邸にいたイザベラは、若い執事が持ってきたそれを見て昨夜の会話を思い出す。
父が大事な証拠だと言っていた。
既に父は王宮へ向かってしまったが、これが無いと困るだろう。
「私が届けに行きます。これを厳重に包んで、馬を門に用意してちょうだい」
「わかりました!」
イザベラは自室に戻ると上に着ていた白い服を新しいものに変え、フローレン家の紋章がある剣とマントを身につけた。
この二つがあれば王宮には入れるだろう。
先ほどまで剣の素振りをしていたので髪は高く結ってあり、パンツスタイルなので乗馬も支障ない。
「届けに行ったら戻ってくるわ。留守をお願い」
馬を走らせ、王宮に急いだ。
問題なく入ることはできたが、どうやら議会は既に始まっているらしい。
父の側近を呼んでもらい、それを手渡した。
これで父の元に届くだろう。
ほっと一息ついてイザベラが戻ろうとしたとき、闘技場が見えた。
イザベラは闘技場独特の空気が好きだった。
(ちょっとだけ覗いていこうかしら)
見るだけなので時間はかからないし、と入口まで足を運ぶと人の背中が見えてきた。
近付くと男の子だとわかり、何をするでもなく闘技場の真ん中でポツンと立って空を見上げている。
背格好からすると年は12か13あたりだろうか?
(あら、左手に木剣を握っているわ)
人の気配に気付いたのか、男の子がイザベラの方に振り向く。
男の子の瞳は紫色だった。
「貴女は…フローレン家の」
「お会いできて光栄です、第二王子殿下。フローレン侯爵の娘、イザベラ・フローレンでございます」
サッと胸に手をあて頭を下げる。
紫の瞳は王族にしか生まれない特別なものだ。
式典でも何度か見かけたため、目の前にいるのは間違いなく第二王子殿下その人である。
「頭をお上げ下さい。何故ここに?」
「王宮の闘技場は見事な造形美なので、観賞してから帰ろうと思いまして」
「はぁ…闘技場の造形美、ですか…」
不思議そうな顔をされた。
イザベラは殿下の目を見て、次に左手に持っている木剣を見遣り、笑顔で提案した。
「殿下、もし宜しければ手合わせいたしませんか?」
「手合わせ…」
今度は少し困った顔をされた。
私は自身の剣を壁際に置き、近くにあった木剣を手に取る。
「本日は雲一つない晴天です。こんなに天気が良いと、身体を動かしたくなりませんか?」
ハリスは少し考えて、身体をイザベラに向き直した。
相手をしてくれるようだ。
「ありがとうございます。それではー」
一礼して、イザベラから動いた。
カン カン カン!
木がぶつかる独特な音が闘技場に響き、数回打ち合わせる。
(私が女性だから遠慮なさっているわ)
イザベラはハリスが加減していることを見抜くと、少しずつ木剣に力を加え始めた。
1回、2回とイザベラの木剣が振り下ろされる度に重さが増す。
それに気付いたのか、ハリスもレベルを合わせてきた。
だが、イザベラの加重は止まらない。
重さが増加しながら打ち合うこと数回、ハリスの目つきが変わった―
ブンッ!
(速い!)
殿下の速度が桁違いに上がった。
先ほどまでイザベラが押していたが、ハリスの動きが格段に速くなり勢いが増していく。
ガンガンガンガン!
打ち合う音が激しくなる。
(強い。大人でも負けてしまうでしょう)
年相応の剣捌きではない。
剣が強いと耳にしたことはあるが、予想を遥かに超える強さにイザベラは驚いた。
ガッガッガッガッ!
イザベラは顔色を変えずハリスの木剣を全て受け止め続ける。
そのまま拮抗状態が続き―
ハリスが大きく踏み込んだ―!
カアンッ―!
木剣が高く舞い、殿下の両足が地面と離れる。
渾身の力で振り下ろされたハリスの木剣を、イザベラが下から弾くと同時にハリスの両足を自身の足で浚ったのだ。
「ぅぐっ…」
ハリスはドサッと背中から地面に落ち、思わず呻いた。
げほ、げほと倒れたまま咽せていると、
ふっと自分の上だけ日が陰る。
ズガン―!
イザベラがハリスの身体を跨ぎ、顔の真横に木剣を突き刺さしたのだ。
驚きでハリスの咳も止まる。
「殿下、恐れ入りました。これほどお強いとは!」
「は…」
「素晴らしい身のこなしで、しなやかな動きは見惚れてしまうほどでしたわ」
イザベラの顔は輝いていた。
跨っていた足をどかし、ハリスから少し離れる。
「手合わせ感謝いたします。殿下の益々のご活躍を祈り、栄光の祝福があらんことを」
それでは失礼いたします、と倒れたハリスに手を貸すこともなく一礼して去っていく。
ハリスは座り込んだまま、呆然とイザベラの背を見送った。
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「あのとき殿下のプライドを傷つけてしまって、口外しないよう このような手段を…」
「イザベラ、恐らく違う」
父は両手で顔を隠して、項垂れた。