第二章 二十五
「さあてと、ルシアスよ。巣立ちして間もない新兵に二度も捕まった気分はどうだ?」
「最悪だよ…………」
水波女蒼蓮は、手足だけでなく躯の到るところに呪詛を貼られ、身動きが取れないルシアスを蔑んだ目で見据える。
その視線を苦虫を噛み潰した顔でそっぽを向くルシアス。ドレイク、水波女蓮歌、如月朱嶺に加えて第八百一部隊十一名によって一斉攻撃をされ、瀕死の状態まで追い詰められた彼等はまた反撃に出られないように厳重に確保した。
亜人は瀕死の状態とあっても心臓が動いていれば蘇ることが出来てしまう。【創世敬団】を一掃するためには、統括するルシアスを殺した方がいいが、ルシアスは殺したとしたとしても、この世に絶望があるかぎり躯が消滅しても、新しい躯を経て生まれ変わって必ず復活してしまうため、此処で殺しても無意味である。【創世敬団】の根城を訊き出して、総攻撃した方が世界線に招く影響は少ないと考え、捕縛している。
ルシアスの妻であるリリスは現在は羽根で貫けないように封印され、これから駆けつける憲兵に引き渡す計画だ。
その間、妻であるリリスが捕らえられたルシアスの周囲には四聖獣が立っており、助けたくとも逃げたくとも出来ず、鉄壁の包囲網を敷いている。ただでさえ、動きが制限されて居心地が悪そうにしている。
顔を背けて、そっぽを向くと、そこにいたのは煌焔だ。彼女は彼を半目で見下ろす。
「しかも先日と同じ【部隊】に二度も捕まるとか悪運が尽きたな……」
「そうかもしれないね…………」
「妻を置いて逃げなかっただけは誉めてやろう。逃げていたら、生命はなかったからな」
白夜が鋭い目でルシアスを見下ろしていると、ルシアスは振り返り、視線を僅かに上げて苦笑する。
「そいつは良かったよ。妻を見捨てなかったことで少しは生きられるということになってさ」
苦笑するルシアスに煌焔は疑問をする。
「訊きたいことがあるが……。ルシアス、リリスとはいつからそんな関係になった? 妾が知る限りでは、少なくとも近年ではそんな情報は一切なかったが……」
「そんな関係? …………ああ、夫婦になったという話か。リリスとは、かなり前々から付き合っていたよ。それを公表しなかっただけさ」
「ほう……。謀反者の分際で婚姻を結んだのか」
煌焔の瞳に殺意が沸く。嫉妬を伴うその殺意を持って睨みつける彼女に茶化すようにルシアスは口を開く。
「謀反者でも誰かを好きになることはあるさ。それをとやかく言われる筋合いなんてないと思うし、恋愛は自由であるべきだよ。そういえば、煌焔はいつ結婚するんだい? あ……ごめん。いないから出来ないんだったね」
「焼いて八つ裂きにするぞ…………」
ルシアスの挑発に煌焔は躯を噴き上げて威嚇する。それに、ルシアスは嘲笑う。
「だから焼くか斬るかどちらかにしろよ…………」
「捕縛されておいて、いい度胸だ。【創世敬団】の根城や残りの元帥や情報を洗いざらい吐かせてやる。それまで拷問なりなんなり全てやるから覚悟しておけよ」
「へぇー楽しみだ」
「随分と余裕だな……。何か企んでいるなら、今のうち吐いておかないといろいろと大変な目に合うぞ。これは忠告だ」
捕縛されてなお、余裕のルシアスに不審がる白夜は背後から言うと、ルシアスは振り返らずに応える。
「ああ。わかっている。企んではないさ。ただ単に、きみたちをからかっただけさ」
「からかうにしても節度を護れ!」
白夜が鋭い眼光で叱責すると、ルシアスは喧しそうに唇を歪ませる。
「わかったよ……」
プイッと顔を逸らすと、それっきり何も訊いても答えずルシアスは黙秘を続ける。
そんな彼を見て、痺れを切らしたのは聖獣たちではなく、新兵の少女だった。
「無事にルシアスを再び捕らえることが出来たのだから、もう行ってよいか?」
ルシアスとリリスを捕縛し、聖獣たちが尋問しているところを見て、これは長くなると判断したシルベットが四聖獣たちに訊いてきた。
「保護対象者と深いかかわり合いを持つ人間たちを眠らせている。その者には、こないだラスノマスとレヴァイアサンとルシアスといった複数の【創世敬団】が奇襲を仕掛けた際に長引いてしまい、記憶操作を行ったばかりだ。二度目は精神的な外傷を与えかねない。一旦、戻って事を済ませたい。次いでに空腹だから夕食の続きをしたい」
「本音は最後の一言か?」
眉間に皺を寄せて、煌焔は呆れ顔を浮かべて問うと、シルベットは頷き、あっさりと認めた。
「それもある。敵の頭を相手に空腹の中で体力と魔力を消費し過ぎた。夕餉の途中で戦闘になったのだから、かなりの空腹で、正直に早く夕餉にありつきたい。勿論、眠らせている保護対象者と深いかかわり合いを持つ人間たちは以前の戦で時間を大幅に過ぎてしまい、記憶操作を行っている。短期間に二度も同じ人物に術をかけることは危険であろう。そのリスクをなくすには、取り返しがつかなくなる時間帯になる前に戻って、さっさと事を終わらせるべきだと、私は思う。そのため、現場を一旦離れてもいいか?」
「そうかい。理由としてはまともだけど…………どうだい?」
煌焔は、他の聖獣たち──白夜、地弦、水波女蒼蓮に意見を訊く。
「確かに、二度も記憶を改ざんする危険は避けたいな」
「はい。私もその方々とは顔見知りですので、彼女たちが戻るのならば、私も戻らなければなりません」
「そうか。なら、地弦とそこのお腹を空かした莫迦どもは一旦離脱しても構わない」
「ちょっと待てっ!」
「ちょっとお待ちなって!」
「ちょっと聞き捨てならない一言がぁ!」
シルベット、エクレール、蓮歌が声を上げる。
「何だい? 一斉に声を上げて……」
「莫迦とは何だ?」
「バカとは何ですの?」
「おバカという発言はどういう意味ですか?」
「一斉に噛みついてくるとは相当、自らを莫迦と認めていることになるぞ」
少しは冷静になれ、と煌焔は面倒くさげに顔を歪ませていると、横にいた地弦が声をかける。
「ホムラちゃん、現在の人間界では無闇に下の者に対して、莫迦呼ばわりはしない方がいいですよ。乱暴な言葉による罵倒・叱責は相手に精神的な苦痛を与える行為としてパワハラにあたります。パワハラというのは、ですね────」
地弦は、〈アガレス〉の策略によりボルコナに引きこもざるを得ず、人間界について少し疎くなってしまった煌焔にパワハラについて教えてあげた。
「────仕事上のミスを乱暴な言葉で叱責されたり、罵倒されたりすると精神的に大きなダメージを受けてしまうものですよ。たとえば、こんな簡単なこともできないのかといったひどい暴言は相手に対する精神的な攻撃とみなされ、パワハラに該当します。さらに悪質な場合は、他の従業員や顧客がいる前で見せしめのように怒鳴りつけるケースもあります。ここまでくると、パワハラ問題にとどまらず名誉毀損罪にあたる可能性も浮上し、非常に危険です。人材教育は感情的になって怒鳴り声を上げなくても可能であるという認識をしっかり持たなければなりません」
「妾がしばらく人間界に降りなかった内に、そのようなことになっていたとはなぁ……」
「個人の意識差と無意識の偏見。雇用管理上の問題。倫理観の欠如。マネジメント能力、ヒューマンスキル、職場コミュニケーションの低下と不足。問題志向アプローチの仕方や自己認識力が低いと理由は様々ですがね…………」
「上司は部下と信頼関係ができていると思い込み、必要以上に叱咤激励していたところ、部下が自殺したケースがある。それは、若者が打たれ弱くなってきたことによるだろう」
「大丈夫か人間界は…………」
煌焔は心配げに口を開く。
「打たれ弱いということは、いろいろあった時に立ち直れないだろ……」
「立ち直る前にそれを回避しょうと逃げることが多いんだ。自分に肌に合わない、もしくは合わなくなったら、すぐにやめようと考えるんだ」
「それは腑抜けではないか…………」
「ああ。そうかもしれないが、それは自分を保つ唯一の方法だったりするんだ。やめなければ、ストレスに押しつぶされてしまうからね。ストレスに押しつぶされれば自殺してしまうから、自己防衛みたいなものさ。だから近年の人間界では、豆腐よりも繊細な精神状態が多い。だからさっきみたいに莫迦呼ばわりしただけでパワハラというわけだ」
「部下の精神状態を窺わないといけないのか…………今は」
「人間界ではな。ハトラレ・アローラでは、乱暴に叱咤激励しただけで簡単に打ちしがれてしまう精神状態の連中なんて、そんなにいないからな。だが、人間界と友好関係を結ぶには不容易に叱咤激励しない方がいいということだな。傷つけたつもりで叱咤激励しているわけではないが、パワハラにあたるからな。人間界では、言葉の配慮は大切というわけだ。気をつけるといい煌焔」
地弦に続いて白夜、蒼天が煌焔に注意をすると、煌焔は難儀そうにため息を吐いた。
「叱咤激励で精神が傷ついたりするのか。どうなったら、そんなに打たれ弱くなったんだが知らないが、注意するとしょう。これから人間界で部下に活を入れる時は注意しなければならないとはな…………」
「ハハハ」
黙秘を続けていたルシアスがパワハラ発言で注意されている煌焔を見て嗤い出す。
「何も知らないで人間界に降りて来たのかい。莫迦だな──うぐっ!」
すかさず煌焔はルシアスを彼女は蹴りとばした。無言で顔と腹部を中心に蹴り飛ばしていく。
「…………お、おいっ、無言で蹴り続けるとパワハラにならないと思ったら大間違いだからな!」
蹴られながらも何とか声を上げたルシアス。そんなルシアスに煌焔はニコリと少し怖い微笑みを浮かべながら答える。
「はあ? 何を言っているんだ貴様は。大罪者の分際で、パワハラも何もないだろうが。黙っているのは、貴様がさっきまで黙秘をしていた腹いせだ」
堂々と腹いせだと言った煌焔は、手負いで捕縛されているルシアスを蹴り飛ばす足をやめない。少しばかり可哀想だと思ってくるが彼がしょうとしていることを考えればまだまだ軽いだろう。
そんな中、ルシアスを蹴り飛ばす煌焔に向かって、声をかけたのは、シルベット、エクレール、蓮歌だった。
「ルシアスを蹴り飛ばすことに対して何も言わぬ。むしろ、そのまま蹴り飛ばしてくれ。だが、その前に貴様の莫迦という発言を取り消せ」
「そうですわ。ルシアスはそのまま蹴り飛ばしては構いませんが、バカという発言だけは撤回してくださいませ」
「はい。ルシアスはぁそのまま蹴り続けても構いませんが、バカだけは赦せませんから撤回してくださいっ」
「……お、おい……、手負いな上に縛られて身動きが取れない奴が一方的に蹴り飛ばれているところをそう簡単に赦すなよ!」
三人の言葉に思わず声を上げたルシアス。彼の声は当然のように無視される。
「それはそうだったな……。すまなかった。莫迦は撤回しょう。だが──さっさと事を終わらせて戻って来い。ちゃんと人間たちを保護しなかったら、莫迦の烙印を押すからな。そのつもりで」
「お、おい! 勝手に話を進めるなよ……」
「わかったぞ。すぐ終わらせてくる」
「わかりましたわ。終わらせて莫迦呼ばわりを撤回させますわ」
「わかりましたぁー」
ルシアスの声を無視して、シルベットたちは返事をした。踵を返して、清神翼たちの下へと向かうために飛び上がろうとしてところで、空にいた“何か”に気付き、動きが止める。
「ん? 何だあれは……」
「何ですのあれは……?」
「何ですかあれは……?」
三人が言って、聖獣たちは顔を見上げて“それ”を捉えて、表情を強張せた。
そこにいたのは、細身ながらも引き締まった体躯をした男性である。夏にも拘わらず、肩からハーフサイズのマントを引っかけて、ダークスーツに着ている。日が沈みはじめて風が吹き出してもなお、昼間の猛暑の名残がまだ消えてなく、実に暑苦しい姿をしているのだが、汗一つもかいていない。
涼しげにほくそ笑む男性の顔は美男子と言って差し支えない端正な顔立ちだ。気怠げな印象は、何処となくルシアスに似ているが目つきが鋭く、相手を怯ませる人相をしており、特徴的な真珠色の短髪が目を引く。
音もなく忽然と顕れて、手を広げて顔を見上げて目だけを下に向けて見下ろしながら上空から少しずつ降下してくる男性を見て、煌焔は合点がいったかのように言う。
「……………………なるほど、【創世敬団】が全陣営を投入しても、あそこに足を踏み入れるには時間がかかるように設計している。にも拘わらず、あの時はグラ陣営しか動いていなかった。加えて、妾と地弦がいた。それだけの戦力で侵入して、ルシアスがこうも易々と脱獄し、ボルコナからナベル、ハトラレ・アローラから人間界に短時間に逃げることが出来たのは、少なからず彼奴の助力も影響しているに違いないな…………」
忌々しげに顔をしかめる煌焔。そんな彼女の言葉に、男性はゆっくりと顔を下に向けてから口を開く。
「何でもかんでも私のせいにするな。自分の汚点を他人に着せるのは愚かで醜い行為だ。国や世界の上に立つものがする行動ではない。少しは自分に何らかのミスがなかったかを考えた方がいい。──だが、私が“息子”を助けたのは、真実だ。ハハハハハハ」
男性は高笑いを出す。紡がれた声音は気怠げでありながらも、地上にいる者の反応を面白がるような音色を含んでいる。
見上げている【謀反者討伐隊】の中に数人が首を傾げているのを見つけると、彼は尊大な態度で口を開く。
「無知で何も知らない愚かな者がいるようだ。そんな何も知らない愚かな者に教えてやらないほど、私は非情ではない。よくと心して聞くがいい【謀反者討伐隊】の犬ども」
静謐で厳かなよく透き通る声で男性は告げる。
「私は、“ルイン・ラルゴルス・リユニオン”。私には幾つかの名はあるが、あらゆる世界線に存在する国々でもっとも多く呼ばれているのは、“ルイン・ラルゴルス・リユニオン”である。ルシアスの父であり、貴様らの先祖を造り出した創造と破壊の神だ」
唖然とする眼下の者たちの様子を窺いながら、男性──ルイン・ラルゴルス・リユニオンはシルベットを見つけるとニヤリと口を三日月のように歪めて微笑みと、ゲームのルールを説明する気安さでとんでもないことを口にする。
「これから現在、並行宇宙に存在する世界線を全て巻き込んだ世界線戦の開戦を告げる。代表を清神翼、水無月シルベットとルシアス、リリスにして、どちらかが果てるまで続けるものとし、戦ってもらう。神の介入もありだ」




