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第二章 十七




 不肖呼ばわりされた実兄たる翼は不服そうに眉根を寄せていると、


「カレーって一晩、寝かせると美味しいよね」


 ふと、思い出したように手を動かしたまま空が声をかけた。あんまりに気にさせないために話題を変えようとしていることが窺えた。


「そうだね。明日もカレーだけどね……」


 ちなみに明後日もな、と翼は付け加えた。


「三日間もカレーかよ……」


 さすがの食堂の息子である鷹羽亮太郎が、感嘆と僅かに呆れさえ混ぜて笑った。


「そんな節約主夫な翼に、節約を少しでも忘れるいい話を持ってきてあるぜ」


 目玉焼きを焼き終わったフライパンを流し台でうるがしながら、鷹羽亮太郎がしたり顔で言った。


「ん? どした急に」


「そこの商店街で、買い物をしていた空と会ってさ。その時に、なんか“すげぇの”を見たのよ」


「“すげぇの”……?」


 鷹羽亮太郎が口にした“すげぇの”という言葉に翼は一抹の不安が過った。彼が口にした“すげぇの”が異世界関係だった場合のことが何故か頭を過ったのだ。


 この予感がただの杞憂であることを祈ったが──


 杞憂ではすまなかった。


「なんかさ……。未確認飛行物体? みたいなのを見たんだよ。──確か……、フライングヒューマノイドいうヤツだな。それを見たんだよ。空と一緒に、な」


「……えっ?」


 とんでもないことを聞いたような気がして、翼は目を見開いた。


 フライング・ヒューマノイドとは、UMA、未確認飛行物体の一種だ。人間に似た形をしており、皮膚の色は黒またはこげ茶。空中を飛ぶ事が可能とされている超常現象の一種とされている。


「うん」


 そんな翼にパーティーの準備をしていた空が頷いて言った。


「そうなの。夕食の買い物してた時にね。商店街に少し独特なファンションをした双子の女の子がいてね」


「オレも見たけど、なんつうかさ、ベルトで体をぐるぐる巻きにしたかのようなボンデージでさ。一目引く格好をしていたのに、皆見えていなかったみたいに無視していてさ。何だか、明らかに変だったんだよ……」


「独特なファンションをした双子の女の子……。ベルトで体をぐるぐる巻きにしたかのようなボンデージ……」


 翼は彼らの話を聞いて、脳裏に先ほど訪れたウロボロスの二人が浮かび上がり、顔を強張らせた。


 彼女たちの姿は、亮太郎と空の“独特なファンションをした双子の女の子”と“ベルトで体をぐるぐる巻きにしたかのようなボンデージ”という一目引く格好という特徴と一致している。


 思わず翼は振り返る。振り返った先にいるのは、地弦やシルベットたちだ。シルベット、エクレール、水波女蓮歌、如月朱嶺、ファイヤードレイクは、レヴァイアサンとルシアスを捕らえた後、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】人間世界方面日本支部派遣部隊第八百一部隊と共に、今回の戦闘の後処理を急いでいた先日のことを思い起こし、振り返り、彼女らが会話を聞いていないかを確認したかったからだ。


 彼女たちは、食卓を囲み、夕食を今か今かと待ち構えている。聞かれている様子はない。


 基本的に、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】と【創世敬団ジェネシス】の人間界を護る戦いは、公には出来ない規則となっている。


 スティーツ・トレス率いる【謀反者討伐隊トレトール・シャス】人間世界方面日本支部派遣部隊らは、ゴーシュと東雲謙が戦って〈錬成異空間〉の障壁が破壊し、現実世界で起こった現象を目撃した全ての人間たちから事情聴取を行い、目撃したという記憶と映像と画像といった記録の抹消──それに伴う辻褄を合わせるための記憶操作を行っており、シルベットたちはカラオケ店で寝かしていた空たちの空白の記憶を埋めるために奮闘していたことは記憶に新しい。



 護られる立場である清神翼は事情をある程度は聞かされており、理解していた。記憶操作の魔術は、精神面や人格に異常を来しやすく、過度にかけてはならないことも。


 だからこそ、ウロボロスの二人を見てしまった天宮空と鷹羽亮太郎の記憶をまた改善しなければならなくなる可能性を考え、少しばかり不安を覚えたのだ。


 翼がウロボロスの二人ではないことを願っているのも知らず、二人は滅多に見れないフライング・ヒューマノイドに興奮気味に話す。


「なんか、その女の子たちがね。手を上げて、何か叫んだの。それが上手く聞こえなかったの……」


「オレもそう離れたわけじゃないに、無音映画のように聞こえなくってさ。それで……、辺りが一瞬だけ赤くなったらと思ったら、光を帯びて飛び上がったんだよ……」


 二人の声が少し上がり話を聞く度に、清神翼の心拍数が急激に上がり、確信する。


 恐らく辺りが一瞬だけ赤くなったのは〈錬成異空間〉だ。ウロボロスたちが〈錬成異空間〉を張ってのだろう。鷹羽亮太郎と天宮空はウロボロスたちが〈錬成異空間〉に入るところを目撃したのだとわかった。


 このままでは、地弦やシルベットたちに聞かれてしまうのは時間の問題だろう。二人の声を上げないようにするため、話を終らせるためにどうするかを考えていると、


「お兄ちゃん、早く食べよう!」


 燕に声をあけられた。これをチャンスだと思い、二人に促す。


「あ、燕が呼んでいる。みんなを待たせちゃまずいから、後で俺の部屋で話すことにして、まずは食事にしない?」


「そうだね」


「冷めても美味しいように作ったが、やはり出来たてが美味しいからな。まずは、食事にして、後で翼の部屋で話をしょう」


 翼の言葉に、二人は素直に応じた。話を切り上げられたことには安堵し、きっかけをくれた妹を感謝した。


 が──しかし。


 翼は食事を終えるまでに何とか天宮空と鷹羽亮太郎がウロボロスの二人と思わしきフライングヒューマノイドの話をしていることを地弦やシルベットたちに気付かれないように策を練らなければならず、問題の先伸ばしにしたことには変わりないことに気づき、どぎまぎしながら席についた。


 そんな清神翼の心境をただ一人だけ状況を理解していたことは後で知ることになる。




 翼たちは頂きますと両手を合わせ、まず目玉焼きの黄身を潰さずに普通にカレーライスとして一口、口に放り込む。


「ん、美味い」


 見ると、シルベットが口にスプーンをくわえた姿で目を丸くしていた。


「ちょっと辛く、実に美味い」


「それは良かったな」


 清神翼が嬉しそうに微笑んだ。


 シルベットは、かきこむようにして次々と口に運んでいった。その横で、エクレールと蓮歌がカレーを食べると、


「何ですのこの甘さ辛さな調度いい具合は!」


「味のバランスが調度良すぎて、美味でムカつきます!」


 と、絶賛しているのか酷評したいのか良くわからない感想を述べる。


 鷹羽亮太郎は髪をいじって、翼に小声で尋ねる。


「美味しいのに、何でムカついているんだよ?」


 尋ねられて、翼は考え、ようやく気付く。味付けについて論争を繰り広げられていた彼女たちは、容易く亮太郎に奪われてしまった。そのことで、心の奥底ではシルベットのように素直に美味しいと絶賛したいだろうが、自尊心が高い彼女たちである。それが、どっちつかずの感想になってしまったのだろう。


「自分たちが作ったよりも、美味しかったから悔しんじゃないのかな……」


 カレーに無我夢中になっている彼女たちには、普通の声でも届かなそうだが、翼はなるべく彼女たちの耳に届かないように声を潜ませて答えた。


「……本当か?」


 恐々と振り返る幼なじみに、強く頷いて見せる。


「うん」


「よかった」


 安堵する料理人の卵たる鷹羽亮太郎は、美味しそうに食べてもらえることが最上の喜びという今時珍しい少数派の人間である。


 かく言う、翼も両親が主張でいない間は、妹の燕の両親代わりとして料理をするため、自分の手作りの料理を美味しそうに食べてくれることに喜びを覚えることに理解は出来ていた。


「まあ。彼女なりの不器用な喜び表現と考えればいいんじゃないか」


「ああ、なるほど。翼みたいな」


「何でそこで、俺の名前が出てくるんだよ……?」


 常の明るさを取り戻した幼なじみの少年がふと、零した言葉に翼は問いを返した。


「自覚ないのかよ……。まあ、それが翼だよな。最近じゃ、向こうも積極的というのに、気づかないなんて……残酷にも程があるよ」


「えっ、何だよその言い方は……」


「周囲をよく見て、自分で考えればわかるよ」


 少し遠回しな言い方をした亮太郎は、ふと思わせぶりに眼前でカレーを美味しそうに食べる少女に視線を向けた──その全く視線を向けた刹那に、少女のその向こう──カーテンが半開きになっており、隙間から庭が少しだけ見える戸窓の外に、冷たく張り詰めた何かが通り過ぎった。


 ──ん、何だ? 猫か何かか……?


 庭先を不審がる幼なじみに翼は気づく。


「ん、どうした?」


「…………あ、何でもないよ。何か庭に猫みたいな影が通り過ぎたのが見えただけ」


 亮太郎は見えたものをそのままに家主である翼に伝えた。


「猫みたいな影? 野良猫か何か……」


 猫みたいな影、という言葉に翼は不審に思うことはなかった。


 野良猫なら、猫アレルギーが発症しない限り命の危険性は低い。燕が可愛がってしまっても、ちゃんと手洗いや除菌をしとけば問題はないだろう、と楽観的に考えた翼に、幾つかの視線が向けられていることに気づく。


 思わず匙を止めて、視線を感じる方を見る。


 そして、困った風に頭を掻いた。


「……よりによって、こんなと────」


 その刹那。


 庭先に通じる窓から、恐ろしい明度を持つ光が、まるで夜明けのように差し込んだ。


 光の色は、太陽には在り得ない、紫かかった桃色。


 数秒遅れて、壮絶な爆音が建物を震わせる。


「ぅあっ!?」


 思わずテーブルに突っ伏した翼は、逆の行動を取った四人を見上げることになった。


「食事中な上に、〈錬成異空間〉も無しとは、今時珍しい無作法者だな」


 凜として立ち上がり、思わず匙をぐにゃぐにゃと握りしめてたシルベット。


「ルール違反にも程がありますわ。まあ悪人なのだから、ルール違反も何もないでしょうけれど」


 いつもの明るさを消して、真剣な面持ちで立ち上がるエクレール。


「まだお食事の真っ最中ですので、ちゃっちゃっと片付けましょう」


 口についたカレーを水色のハンカチで美しい所作で吹き、二人に遅れて、ゆっくりと立ち上がる蓮歌。


「ソラやツバメ、リョウタロウが気が失っている内に決着をつけるぞ」


 差し込んだ紫かかった桃色の輝きの直後に伴う衝撃により、同じ食卓にいた翼以外の人間は、気を失っていた。


 食事中に訪れた不意の衝撃により、匙を持ったままに亮太郎や、空と燕は椅子にもたれ込んでいる。


 衝撃よりも数瞬に訪れた紫かかった桃色の光に気づき、食べることから離れたおかげで、頭をカレーに突っ込むという二次災難は防げていたが、楽しい食卓が中断してしまった。その怒りなのか、彼女たちはご機嫌ななめだ。


「そうね。気を失っている内に、決着を付けなければ辻褄が合いませんし、良い言い訳が思いつけませんわ」


「まったく仕方ありません。こちらは私がお護りしましょう。相手が何を企んでいるかを確認をしてください。必ずしも相手の出方を窺いながらもルール違反として投降を呼びかけてくださいね。応じない場合は、捕縛。企んでいる内容次第では殲滅をお願いします」


 地弦が彼女たちに指示を送った。


「わかっておりますわ。しかし、ルール違反を犯した輩に話し合いは通じないと思いますが……」


「相手がルール違反を犯したからといって、こちらがルール違反を犯していいわけではありません。──ですが、場合によっての判断はあなたたちにお任せしましょう」


「おう。私たちの食事を邪魔された鬱憤を晴らしてやろう」


「はいですわ。わたくしの食事の邪魔をしたことを後悔させてあげますわ」


「はいー、蓮歌もエクちゃんたちが作ったカレーをゆっくりと味わいたかったのに、邪魔された恨みは忘れません……」


「はい。食事中に、〈錬成異空間〉を先に構築しないで仕掛けてきたことを後悔させます……」


 彼女たちの心が一つになった瞬間だった。


 シルベット、エクレール、水波女蓮歌、如月朱嶺は、疾風迅雷のように戸窓から飛び出していく。


 それを見送った地弦は、清神燕、天宮空、鷹羽亮太郎の方に向かう。


「気絶していなければ、先ほどのフライングヒューマノイドが現実を帯びてしまい、記憶操作をしなければなくなっていたことでしょう」


「え……」


 清神翼は驚く。


 先ほどの会話を訊かれていたのだ。彼の脳裏に不安が過る。不安で染まっていく翼の表情を見て、察した地弦が言う。


「安心してください。まだ、ごまかしがききますよ。記憶操作をする必要性はありません。私とて、過度に記憶操作をすることは反対ですからね。彼らが気絶していなければ、大変なことになっていましたけど」


 気を失っている彼女たちが亜人へとなった姿は見られずに済んだことを安堵しながら、地弦はもしものことを考えて、〈睡眠〉の術式を使って、しばらくは起きないようにした。




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