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第二章 十五




 父である清神鷲夫、母である清神小鳥に不在の間に支給された生活費は、六万である。一人三万という計算だ。中学生が二人で一ヶ月ほど生活していくには充分といえる。足りなくなった場合は、小遣いで捻出しなければならない。それさえ出来なければ、近所にいる親戚の叔母に頼まなければなくなってしまう。


 叔母に頼めば、家の中に一見年端もいかない少女たちを連れ込んでいることを説明しなければならない。あらかじめ、両親には大人であるドレイクから話を付けてはいるが、叔母とは話しをしてはいない。両親から叔母に話をしている可能性は高いが、だとしたら様子を見に家を訪ねて来そうだが……。


 両親から話を付けてはいなかった場合や、彼女たちを両親がいない間に居候をさせることを賛成していない場合を考えると、叔母に頼るのは非常にまずい。


 だが、今現在の清神家の経済状況は、清神翼、清神燕といった家族を入れて、異世界からの居候者であるシルベット、エクレール、蓮歌、如月朱嶺を養うには難しくなってしまっていた。一食だけで人一倍以上の食糧を消費した挙げ句、生活費を入れない居候にいるせいで、苦しい生活に立たされようとしている。


 清神家の家計に打撃を与えてしまい、このままでは明日の食事も危うくなりそうな事態だ。最終的には迷惑を覚悟で両親か叔母に追加の生活費を頭を下げて頼むしかなくなってしまう。そんな時に救世主が舞い降りた。


 聖獣である玄武──地弦である。翼を護るために派遣させた部下たちの生活費で大切な【人間(仲間)】である翼に対して生活難が訪れかけようとしている状況化で地弦が出したのは、ウロボロスたちを捕らえることにより、足りない分の補填をしてくれるということだった。彼女たちはウロボロスたちを捕らえるといった交換条件を達し、それにより彼女たちも清神家も生活費の補填が出来て、大助かりといった具合だったのだが……。


 ──果たしていいのだろうか……。


 清神翼──いや、清神家としては何もしていないことに少しばかりか引き目を感じてしまう。地弦は、人間界──東洋系では神に等しき存在と知られており、日本ではよく奉られている聖獣──玄武である。生活費の足しに充分すぎるほどの大金を頂いたことにより、しばらくは生活費に困らずに済みそうだが……何もしていないことに、引き目を感じてしまう。何か御礼参りをした方がいいじゃないか、という気がしてしまった。だとしても、人間である翼が出来ることなんてたかが知れている。


 だからこそ──御礼として晩御飯を誘ったのだが。


「はあ……」


 翼は重いため息を吐いた。


 地弦の思いつきにより、【部隊チーム】の団結力を深めるきっかけも兼ねて、清神家への感謝会が始まったのだったが……。


 今現在、眼前に繰り広げている彼女たちの三つ巴の争いに、仲裁する余地もないまま、翼は悔やんでいた。


 団結力を深め、養われるために行われた夕食の料理を調理から不穏な空気を孕んでいた。先ほどの険悪な雰囲気は今この作業をもって再開をはじめたのだ。今まさに、翼は巻き込まれているどころか、その諍いの中心にいる。


 数時間前の諍いや蟠りが爆発して、あの時、今晩の献立についてメモに取ったことや地弦を夕食に誘ったことを後悔させた。聖獣である地弦の場を納めたことで大丈夫だと安心して、献立を考えたことが今の状況を生んだのに間違いないと反省せずにいられない。


 しかし、どう止めるべきだろうか。性格も違えば、趣味も味の好みも違う四者四様の彼女たちをどのような言葉を持って落ち着けるべきか。翼は頭を悩ませていた。


 地弦が出した『四人で一つの』という条件がなければ、この諍いは何とか収まるだろう。


 しかし、地弦はこの条件を変えないでほしいと言ってきたのだ。翼は大いに困った。


「カレーの味付けで、何でこんなに悩まなくちゃならないんだっ!?」


 今晩の献立は、誰もが知っているカレーである。肉も野菜もとれるし、量もある程度多く作れて、何よりシルベットのお腹を手っ取り早く満腹させるには手頃がいいかな、と考えたのだが──


 完全に裏目となってしまった。


 カレー。


 誰もが知っている多種類の香辛料を併用して食材を味付けするといったインド料理である。


 日本以外はカリーと呼ばれており、カレーという呼称は日本だけという話しを親友の鷹羽亮太郎から聞いた。ちなみにカリーと名付けたのは、インドではなく欧米人が名付けたらしい。


 日本では、明治時代に当時インド大陸の殆どを統治していたイギリスから、イギリス料理として伝わったと言われている。それを元に改良されたカレーライス(ライスカレーとも呼ぶ)は「ヨーロッパ系の日本の料理の代表」を超え、今や「国民食」と呼ばれており、故に日本でカレーといえばカレーライスを指す場合が多い。


 しかし、現在はカレーにも種類がある。カレーうどん、カレーらーめん、カレー炒飯など、種類は豊富。故に味付けも様々で、激甘、甘口、中辛、辛口、激辛などがある。翼は、甘すぎず辛すぎない食べやすい中辛が好みだ。清神家のカレーは大体辛いのが苦手な燕のために二種類ほど用意する。


 しかし、今回はそれが出来ない。


 シルベットたちはこの味付けで論争を繰り広げている。


 エクレールは「激甘じゃなければ食べれませんわ」といい、大量のチョコを投入しょうとすると、シルベットが「程よい中辛がカレーなのだ」と妨害した。二人が諍いを起こしている隙に蓮歌は「激辛じゃないとダメ」と豆瓣醤と唐辛子と花椒を大量に投入しょうとしたところを朱嶺が「カレーを激辛麻婆にしないでください」と阻止した。危うくカレーなのか麻婆なのかわからない物が食卓に並んでしまうところだった。


 しかし、それで争いが終わったわけではない。


 完全に意見が四つに分かれてしまった彼女たちは、あの手この手とカレーに自らが持ち出した調味料を投入しはじめようとし始めたのだ。


 シルベットは、福神漬に辣韮という極めて普通に盛り合わせに使うものを鍋に入れようと始めたら、エクレールが大量のチョコと砂糖を持ち出して、我が先よと張り合う。二人が争っている隙に、蓮歌が大量の唐辛子と花椒と豆瓣醤を持って鍋の前に駆け込むと朱嶺は阻止する。


「何で邪魔するんですかぁ!」


「中華スープなら、どこかの中華店のカレーに隠し味として入れてありますし、麻婆カレーとか店によっては、出しているところがあるけれど、そんなに大量に唐辛子とか花椒とか豆瓣醤を容れたら、辛くって食べられなくなりますよ! 燕さんは辛いは苦手なんですからっ」


 朱嶺とシルベットは少し辛めだが正統派なカレーの味付けだ。エクレールもチョコは大量でかなりの激甘だが、調整すれば何とか全員が食べられる。


 二者の主張するカレーの味付けならば、翼が調整すれば何とか出来る余地がある。しかし、蓮歌の味付けは、使用する唐辛子とか花椒とか豆瓣醤は余りにも大量すぎる。それをみんなが美味しく食べられるカレーに調整するには、相当な手間がかかり困難だ。


 蓮歌が持っている大量の調味料を投入してしまったら、超激辛麻婆カレーになってしまい、誰も我慢して食べる羽目になってしまうに間違いないだろう。


 作り置きしとけば三日間は持ち、味付けや食べ方を変えれば何とか飽きずにいられるカレーは、少し食費を節約が出来る献立である。だが、そう何度も使えるメニューではない。一ヶ月間もカレーは相当好きでなければ飽きてしまうし、栄養の偏りが生まれてしまう。素麺も味付けを変えれば何とか出来るが、何度も使える献立ではない。翼としては、地弦の補填により生活費を得てはいるが、あまり食材を無駄にはしてほしくはない。


 せっかく味付けまで来たというのに、台なしにされては困る。唯一、人間である如月朱嶺には是非とも、今晩のカレーを死守してもらいたいと祈るばかりだ。


「蓮歌ぁは、辛くないとカレーは食べれない体質なんですよぉ! 青龍族はみんなそうなんですっ」


 本当なのか、と朱嶺と翼は地弦を見ると、彼女はそんなことはないと首を横に振った。


「嘘をつきなさい! 地弦さんが首を横に振っていますよ」


 朱嶺が言うと蓮歌は舌打ちをし、あからさまに可愛げな顔を不機嫌に歪ませて、地弦を睨みつける。


 地弦は動じることなく、「青龍族は確かに中華風の味付けが好みですが、そんなに大量に唐辛子や花椒、豆瓣醤を入れたりはしませんよ」、とあくまでも蓮歌の味の好みだということを告げた。


「青龍族は人間界というところの中華や和食が人気がありますね。香辛料が好きだったり様々ですが……こうでなくちゃ食べれないという方は少ないと思いますよ」


 地弦は微笑んで言った。


 地弦の余計な一言に、蓮歌は再び舌打ちをする。


「それ以上、蓮歌が不利なことを言わないでくださいよぉ!」


「自業自得です。嘘をついた蓮歌さんが悪いのです」


「……」


 地弦に責められ、蓮歌が悔しそうに歯噛みをした。負の感情の篭った視線を地弦に向けるものの、地弦はやはり動じることない。


 賢く気高く美しい、人間界でもハトラレ・アローラのどちらにも神話の中で名を馳せる救世主にして聖獣──玄武・地弦は永い年月を生きただけあって落ち着いている。


 挑発や暴言に対して感情的にならず、理性で受け流し、真実を告げる。地弦の冷静さに感情的になった蓮歌の余熱をもてあまし、咄嗟の判断ができずに、ますます見たことのない形態に顔を歪めた。


「云っときますが、私はどちらの味方ではありませんよ。蓮歌さんの悪いところは、他者に責任を押し付けることです。辛辣な言葉で相手を戦闘不能に陥った隙を狙って勝利する、という卑怯な手も使うから始末におえない、とあなたのお兄さんの水波女蒼蓮が言ってました」


「蒼蓮お兄様、さらに余計なことを……」


 蓮歌は不機嫌を露わにして悔しそうに爪を噛み、拳を強く握りしめてた。


 翼と朱嶺は蓮歌が諦めてくれたのだと思い、ほっと胸をなで下ろした。今日は出来るだけ普通のカレーを食べたかったので、安心したが、まだ問題は残っていることを気づく。


 シルベットの制止を振り切り、シルベットから五つの板チョコを奪い取り、鍋に迫っていた。このままでは激甘カレーになってしまう。蓮歌の激辛よりもマシとは思うが、カレーを護る必要がある。


「銀ピカのせいで、チョコレイトが三十四もダメになりましたわ」


 責任をシルベットに転嫁しながら、エクレールは言った。


「カレーに三十九もチョコレートを入れようとするな! 隠し味として二、三ブロック入れれば十分に甘くなるのだっ」


「何を言ってますの?」


 エクレールは鼻で笑った。


「足りませんわ!」


「いや、足ります!」


「十分に足りるぞ!」


 と、足りる足りないの問答を数回繰り返していると、三人の玄関側から、ピンポーン、という音が鳴った。清神家の呼び鈴である。


「ん──? こんな時に誰だよ……」


 六人が玄関の方を向き、来客が誰なのかを考えた。


「一体、誰ですの? 今とても大事なことを話しているというのに…………銀ピカ、アカネさん、さっさと出てくれません?」


「あからさまに、私らを追い出してチョコレートやらを容れる気だな貴様」


「そんなことはありませんわよ」


「そんなことはありますよ!」


「先ほどの奇襲がありましたから、誰か……蓮歌が行ってくださいっ!」


「そうだ……。水臭いのが行けばいい」


「蓮歌さん、お願いします……」


「なんで、蓮歌が……」


 シルベット、エクレール、朱嶺に促され、蓮歌が眉間にシワを寄せた。


 同じ【部隊チーム】である立場の彼女たちから一斉に言われたことに、なんか納得いかない心持ちながらも、


「……わかりましたよ。ちょっと待っててくださいよぉ。すぐに終わらせますから、翼さん、、いきますよー」


 と、言って、家主たる少年──清神翼を連れて廊下に出てゆく。


 両親が共働きな上に、現在は共に出張中である。妹の燕は、遊びに出かけていて現在は不在だ。シルベットたちは、あくまでも居候であり、人間界──日本のマナーを知っているようで知らない彼女たちには心配で、来客の応対は、必然的に彼がやることなるが、玄関から襲ってくる可能性は高い。さっきの襲撃もあって、必ず一人はついていくことにした。


 セールスマンだろうか。それとも、地弦と同じくハトラレ・アローラの関係者だろうか。ただ単に郵便物でも届いたのだろうか、と翼は予想しながら、来客の応対しに向かう。


「どちら様ですか?」


 まず玄関先から来訪者に呼びかけると、ふたつの見知った声がした。


「翼くん、私だよ」


「翼、オレだ」




      ◇




 翼と蓮歌が玄関先に向かっていたのを眺めながら、地弦は念のため、意識を屋外──玄関先に向ける。そこには、確かに気配があった。亜人であればある魔力や司る力は感じられず、この世界線において、平均値の生命力だけは感じられた。そこから割り出した結果、人間であることから脅威はないと考えて目線をシルベットたちに向ける。


 シルベットと、エクレールはあとは煮込むだけとなったカレーの鍋に、それぞれの杓子を入れて、ゆっくりと焦げ付けないように掻き回している。その度に、カキンカキン、と杓子がぶつかり甲高いを音をたてる。邪魔そうに眉間に皺を寄せ、不機嫌な表情を向けるが、言葉を交わさない。朱嶺は、二人が鍋をひっくり返さないように注意深く見張っていた。


 険悪な雰囲気はそのままに、調理場内に時折、カキンカキン、と杓子がぶつかり甲高い音が鳴り響くだけで鍋がグツグツと煮込む音だけが聞こえていくだけという空気が流れる。


 ややの間を置いて、翼と蓮歌の帰ってくる足音が廊下から響くと、シルベットとエクレールと朱嶺は不審げな顔を上げた。


 足音が、彼一人だけのものではない。もう二組、来客用スリッパの音がパタパタと鳴っているのを、彼女たちの鋭い聴覚が捉えていた。ついでに話し声が聴こえてくる。


 ──この声、どこかで……。


 朱嶺以外の二人はその声に聞き覚えがあった。


 キイ、と扉が開いて、どこか不安げな顔をした翼と蓮歌が入ってくる。


「お待たせ……」


「どちら様ですの?」


「誰だ?」


「誰でしたか?」


 すでに彼だけでないことは分かっていた彼女たちは翼と蓮歌に質問を始めた。


 二人が答える前に、見慣れた顔が戸口から顔を出す。


「こんにちは」


 現れたのは、黒髪を二つに結わえた少女──天宮空だった。


 肌は真珠のように白く滑らかで、襟元から覗く首は、少し力を入れて握れば折れてしまうのではないかと思えるほどに細かった。もっとも特徴的なのは前髪である。前髪が異様に長く、顔の左半分を覆い隠している。理由は、左右非対象の異形の瞳を隠すためである。


 彼女は近所に住む、翼の幼なじみであり、シルベットとエクレールと蓮歌とは顔見知りだった。


「あら、ソラさん。ご機嫌よう」


「何だソラか」


「お邪魔します」


 天宮空は、そう言って、リビングに入ってくると、初めて見る顔に怪訝な面持ちとなる。


「あのーどちら様ですか?」


「…………私は地弦といいます。彼女──特にシルベットと蓮歌とは遠い親戚関係で、日本に立ち寄ったついでに、ホームステイしている彼女たちの様子を伺いに来ました」


 訪ねられた地弦は、美しい所作で、自己紹介をした。一瞬だけ驚いた顔を浮かべて間をあけたのが、翼たちは気になったが。


 天宮空は気にせずに、彼女に倣って頭を下げて、丁寧に天宮空と挨拶を交わす。


「そうなんですか。私は天宮空といいます。翼くんの幼なじみです。宜しくお願いします」


「いえいえ、シルベットと蓮歌を宜しくお願いします」


「私は如月朱嶺です。シルベットさんとエクレールさんと蓮歌さんは世間知らずな部分がありまして、心配できました。これからしばらく泊まることになったのでよろしくお願いします」


「天宮空です。よろしくね」


 厨房で二人を見張っていた如月朱嶺が生真面目に挨拶をすると、天宮空はニッコリと微笑んだ。


 その後ろで、パタリ、とスリッパを鳴らして大柄な影が、戸口に現れる。


「……?」


 今度は、シルベット達が初めて見る顔に怪訝な面持ちとなる。


 気の強そうな容貌に、僅かな怯みの色を浮かべている。ワックスで逆立てられた赤髪が特徴しかないスポーツマン。


 シルベットとエクレールは、最も基本的な質問を、この来訪者に投げかける。


「あなた誰?」


「誰だ貴様?」


 少年は背筋を伸ばし、大きな声で答えた。


「鷹羽亮太郎だよ! 先月会ったばかりだよ忘れないでね……」


 二人に忘れ去られたことに鷹羽亮太郎が涙目になりながら言った。ちなみに、先ほども蓮歌に同じ反応されていた時は、苦笑しただけだったが、三人に忘れ去られたことにショックが隠しきれないようだ。


 あああれか……、とシルベットとエクレールはさして興味なさそうな顔を浮かべて、鍋の方に視線を戻す。


 彼女たちの視線で鍋の中にカレーがあることに気づいた鷹羽亮太郎は、何かを思い立ち、厨房の中に入っていった。


「ちょいと、失礼」


「何だ貴様は、いきなり入ってきて……」


「何ですのあなたは……」


 鷹羽亮太郎は如月朱嶺の前を通り、カレー作りに悪戦苦闘しているシルベットとエクレールの間を割って入り、杓子で少しだけ救い上げ、小皿に注ぎ込み、味見をする。


「うん。美味しいね。だけど、何か足りないね……」


 亮太郎は一つ頷き、手慣れた感じで戸棚を空けてスパイスが入った瓶を取り、ひと掬いして鍋に入れて味を調整する。


 先ほど、翼は何気なくシルベットたちが料理を作っていることはあらかじめに知らせていた。その上で、ご馳走になりたいと二人は家に上がってきたのだが……。


 とても手慣れたそれではなく、嵐でも来たのかという具合の荒れ方で汚れていた厨房の惨状を見て、亮太郎は事態を把握したようである。


「まあまあ、任せとけよ。オレん家、食堂やってんだぜッ。カレーなんて、ウチの人気メニューで、たまにはオレも手伝いをしているから安心しろよ」


 そう言って、鷹羽亮太郎は勝手に助っ人を買って出た。


 急に訪ねてきた挙げ句、水を差されたシルベットとエクレールが口を尖らせ、エクレールはプーッと頬を膨らませる。


 しかし、彼女たちは先のように怒りを直接的に鷹羽亮太郎にぶつけようとはせずに、彼らを招き入れた家主たる少年──清神翼に抗議の意味を込めて、一突きにするような視線を向ける。


 その、いかにも不機嫌さと納得がいかないと訴える視線に、翼は首を横に振って返す。


「いやいや、亮太郎が勝手にやってんだよっ」


「このままじゃ、清神家の夕食に間に合わないと思ったんで、助太刀だよ。まあ、ついでに台所を整理整頓と、ちょっと手を加えるけどな。ご馳走になった分は前もって手伝うのがオレの流儀!」


 鷹羽亮太郎が苦笑とともにフォローをするが、シルベットとエクレールから“余計なお節介”や“大きなお世話”とクレームが飛ぶ。それに動じることなく、さすがの食堂の息子である彼は手際よく仕事をしている。


「大体、これはわたくしたちがツバサさんのために開いたパーティーですわ! 招待もしてないのに勝手に来られては困りますわよ」


「まあまあ。いいじゃないか。翼だけが日本でお世話になっているわけじゃないだろう。それに翼だけ女子の手料理を食べるだなんてズルいだろう」


「最後の方が本音ですわね……」


 エクレールは、招待されていないにも拘わらず、ずかずかと入ってきた挙げ句、手伝うと称して女性が作った手料理に勝手に手を加えることに対して、悪気を感じていない。それどころか、翼に対しての嫉妬を包み隠さない彼に呆れ果てる。


「リョウタロウさん、断りなく手伝うと称して、女の子の作った手料理に味を加えるだなんて、愚の骨頂ですわ。失礼にも程がありますわよ……」


「あ、そうなんだ。でも、充分に美味しいかったものに、少しくらい手を加えてもいいんじゃないか」


「ダメですわよ……」


「じゃあ悪い……。次からは自重するわ。堪忍してね。──さあ、そろそろ出来上がるんだし、みんなでちゃちゃと作ろうぜ」


 エクレールにすげなく却下され、鷹羽亮太郎は作業の手を止めはしなかったが、反省の言葉を口にした。果たして、次から自重できるのだろうか。幼馴染みの翼と空は、彼がそう易々と自重できる男ではないことを知っている。次も忘れてやらかしそうだと、二人は、心配げに見つめている。


 充分に煮込まれたカレーの匂いを確かめるかのように嗅ぎ、鷹羽亮太郎は、また杓子で小皿によそうと最後の味見をする。うん、と納得いく味つけになったのか、「もういいな」と頷き、二つの小皿を用意して、杓子で少しだけ救い上げ、小皿に注ぎ込み、エクレールとシルベットに渡した。


「まあ……とりあえずは、味の確認をどうぞ。ちなみにオレは、このスパイスを少量だけ入れて、香りと深みを出しただけで、何も変えちゃいないと思うけど……最終判断は、二人に任せるよ」


 言われて、エクレールとシルベットは渋々と小皿に注がれていたカレーをスプーンで掬い、口にする。


「ん?」


「……あ」


 ひとくち口にした彼女たちの表情が驚きに染まった。二人の表情を見て、鷹羽亮太郎はニヤリと微笑む。


「如何されますかなお二人さん?」


 亮太郎は訊くと、二人は二様の言葉を返した。


「……悔しいけれど、お……、美味しいですわ……」


「うむ。美味しいな。お代わりだ」


 エクレールは実に悔しそうに言い、シルベットは小皿を差し出してお代わりを要求した。そんな彼女たちを見て、苦笑する。


「これはただの味見だ。お代わりしちゃったら、本気食いになっちゃうだろう。まあ……それくらい美味しいって、合格かな」


 鷹羽亮太郎は、火を止めると皿を棚から出して濯いでいく。濯いだ皿の水気を取っていきながら、シルベットとエクレールに渡した。


「盛り付けは、シルベットちゃんとエクレールちゃんに任せるよ。何かトッピングが欲しかったら、言ってくれ。作るから」


「トッピング……?」


「とっぴんぐ……?」


「えっ……?」


「んっ……?」


 今、シルベットの発音は、どこかおかしくはなかっただろうか。


 翼はトッピング、という言葉に首を傾げるシルベットとエクレールの違いを感じ取る。亮太郎も多少の違和感を感じたようだ。


 エクレールは“カレーに添えるトッピングとは何がいいのか”というごく当たり前の疑問に対して、シルベットは“とっぴんぐとは何だ”いう言葉の意味について首を傾げることなんて、清神翼も鷹羽亮太郎も彼女たちがそれぞれ違った疑問を感じていることを読み取る能力なんてものはない。ただ単に、言葉のニュアンスに微妙な差異──違和感を感じているだけである。


 清神翼は彼女たちの話から──特にエクレールだが、シルベットがハトラレ・アローラでいた頃は学舎に通わせてもらえないような閉鎖的境遇であったことは推し量ることは出来るが、亮太郎に至っては全く知らずわからない。日本と外国人のハーフといった外見をしているシルベットが、“トッピング”について知らないはずがないと決めつけている。それでハテナマークを頭に乗せられたら、発音が出来ていなかったか、使われていない地域の生まれだったのか、と考えてしまうのが普通である。


 シルベットの横にいたエクレールは、彼女の発した言葉のニュアンスからおよその事情を察した。横目で疑わしげな目でシルベットを見ている。現在、シルベットが口にしているのは、“とっぴんぐ……?”だけでそれ以上は首を傾げただけで、何も言ってはいない。今ならイントネーションが間違っていたとギリギリでごまかせる範囲である。ひとたび、“とっぴんぐって何の意味だ?”と言葉を口にしてしまえば、世間知らずもいいところだ。また色々とごまかすしかなくなる。“とっぴんぐって何だ?”という決定的な質問を口にするな、という心情がわかる顔を浮かべてシルベットを睨み付けていたのだが──


 その恐れは杞憂で終わる。


「ああ。トッピングだ。トッピングというのは、料理や菓子などの上にのせたり添えたりする具とか装飾用の材料だな。そして、カレーのトッピングといえば、コイツだな」


 何かいいことがあったのか、わからないが饒舌になっていた鷹羽亮太郎は、偶然にもトッピングについてのウンチクを語ったことにより、エクレールの心配はなくなった。二人がそれぞれ思っていた疑問に答えながら、冷蔵庫の中からトッピングの定番である辣韮と福神漬が入った瓶を取り出した。


「海外じゃわからないが、日本でのカレーの定番は、辣韮派と福神漬派に分かれるくらいこの二つが多い」


「らっきょうとふくじんづけって何だ?」


「辣韮というのは、ユリ科の多年草で、その鱗茎を酢漬けにしたものだよ。福神漬けは漬物の一つで、ダイコンやナス、レンコン、シソの実などを刻んで塩漬けにし、塩抜きをしてから味醂と砂糖などで調味した醤油に漬け込んだものだ。日本じゃカレーのトッピングではこの二つが昔からの定番なんだ。まあ、海外だと違うと思うから、苦手なら違うのを作らないとダメだけどな……。ちなみに、オレはどっちもいける口で、翼と空は福神漬け派で、燕はどちらもダメで鶉の卵を茹でたものか目玉焼きだけどな」


 そう言って、冷蔵庫から取り出した辣韮と福神漬けが入った瓶を置いた。


 鷹羽亮太郎が置いた辣韮と福神漬けが入った瓶を物珍しそうに蓮歌は見つめる。盛り付けをしていたシルベットとエクレールも興味津々に見据えていると、


「で、何を入れて試してみる?」


 鷹羽羽亮太郎は、シルベットたちに訪ねた。


「うぬ?」


「えっ?」


「はい?」


 急に訪ねられて彼女たちは三人三様の戸惑いの声を上げた。


 テーブルで様子を見護っていた地弦が落ち着いた様子で、答える。


「私は、どちらでも食せますし、大好きなので」


「私も、どちらでも大丈夫です」


 空と夕食の支度をしていた朱嶺が続けて言った。


「かしこまり」


 普段食堂で注文を取るように鷹羽亮太郎はまだ言っていないシルベット、エクレール、蓮歌を振り返って口を開く。


「で? そちらの皆様は、どうします」


 試してみるか、という少し挑戦的な微笑みで問われて、彼女たちはどう答えたらいいかわからず、三人は見回せる。


「どうしますの?」


「どうしましょう……」


「私は食べられるのなら、どちらもいい。どちらも食べられると思うぞ」


 エクレールと蓮歌は悩んだ様子で、決まりかねている中で、空腹感を助長させる香辛料の匂いにより、既に我慢の限界が迫る大食漢のシルベットが、どこからか小皿を出して亮太郎に突き出してきた。


「どちらでも食べたいが味見を一回したい」


 挑戦を受けるというよりは、先ほどの味見で味をしめたのか、シルベットは味見を要求してきた。


「シルちゃん、ちょっと目を離した隙に、一人だけ味見をしょうとしているんですかぁ!?」


「はしたないですわ……」


 蓮歌とエクレールの抗議が飛んだが、シルベットは気にせずに小皿を鷹羽亮太郎に渡した。鷹羽亮太郎はそれを苦笑して受け取る。


「まあ。味を知らなきゃ決められないわな。辣韮と福神漬けは好き嫌いがあるからな。トッピングする前に食っといた方がいいかもしれないな。本当ならカレーと一緒に食べた方がいいんだがな……まあ、味見なんだから、全部食べんなよ」


 そう言って、鷹羽亮太郎は味見をすることを許可すると同時に制限をした。


 これから味見と称したつまみ食いをするのではないか、ということを危惧をした清神翼は、鷹羽亮太郎の後付けとして、「今回だけだからな」と彼女たちに注意を促す。特にシルベット辺りがやりかねない。


「わかっておるぞ」


「わかりましたわ」


「わかってますから、大丈夫ですよぉ」


 三人は三様に翼の注意を聞き入れた。それを確認した鷹羽亮太郎が辣韮と福神漬けを三つの小皿に少量だけ盛って、彼女たちに渡した。


 辣韮と福神漬けの味が自分の口に合うかを早速確かめる。


「わたくしは、辣韮がいけるわ」


「私は、福神漬の方が食べられます」


 と、二人は頷いて決めた。


 問題のシルベットは、辣韮と福神漬をそれぞれの味を確かめるようにバリボリと咀嚼しながら、ふむふむと考え込む。


 少し考えた後に、


「どちらでも食べれるがまだわからない。もう一度、食べたい。お代わりだ」


 シルベットは空となった小皿を鷹羽亮太郎に渡して、辣韮と福神漬けのお代わりを頼むといった暴挙に出た。それを、鷹羽亮太郎が「少なくなったら、皆が食べる分がなくなるからお代わり禁止だ」、と即座に却下されたのも言うまでもない。




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