第二章 十一
キリアイは一度距離を取るために後転して下がると、素早く魔方陣で武器を召喚する。今度は銃剣だ。小銃の安全装置を連発に合わせつつ、剣のように構える。美神光葉の隣にいる赤茶色の着物を着た女性──地弦に機銃を向けて。
「玄武──地弦が何しに人間界に降臨してきたんだ……」
「その前に、人と話す時は武器を向けて話しちゃいけませんって教えられませんでしたか。ダメですよ。そんなものを持ち出しては、まだ〈錬成異空間〉も張っていないんですから」
「やかましい! あなたは私の母親ではないだろ」
地弦の説教に不快感を露にして、キリアイが空重量で四・三キログラムの六四式小銃を鈍器として振り回して肉薄する。
その鋭い銃剣の切っ先を槍の如く、そして研ぎあげられた刀身を長刀のごとく扱いながら、地弦の首に振るう。
しかし──
それは届かなかった。
地弦は胸元に差して扇子を取り出して、銃剣を呆気なく受け流す。
のんびりしてそうな印象を受ける見た目に反して軽快で敏捷な身のこなしでキリアイの背後に取り、首筋目掛けて扇子を食らわした。
「うぐッ」
キリアイは白目を剥いて気絶し、電池が切れたかのように倒れ込んだ。そんな彼女を抱きかかえると、側にいた美神光葉へ言う。
「近くの【謀反者討伐隊】の軍警所に身柄の確保しておいてくださいね。彼女には訊きたいことがまだありますからね」
「は、はい……」
地弦は、キリアイを美神光葉に預けると屋根から降りて、清神家がある方へと向かっていった。
◇
茶を啜る音が家の中に静かに響いた。
リビングに置かれたソファの上で正座している女性は、赤茶色の着物に、漆黒の袴を身につけ、長く艶やかな黒髪を赤いリボンで一つに結わいでいる。
それら一つ一つが上品な女性に似つかわしく、どこか貴族のお嬢様のように輝いて見えた。
少し幼さを残す顔立ちの中で、大きな目を翼に向け、頬を仄かに朱色に染めている彼女は、外見上の年の頃は十七、八ぐらいに見える。
しかし、彼女は見た目イコール年齢は結びつかない者であることを自己紹介を聞く前に翼は直感した。
「いきなりの訪問、申し訳ございません。私の名は、地弦と申し上げます。ハトラレ・アローラ北方大陸タカマガで銀龍族と一緒に領地として納め、守護している玄武でございます」
言って、ぺこりと懇切丁寧に頭を下げた。
「玄武?」
玄武、という言葉を聞いて清神翼の脳裏に脚の長い亀に尾が蛇の姿をした姿が浮かんだ。
「はい」
地弦は頷き、あっさりと認めた。
玄武。
東方を守護する青龍、南方を守護する朱雀、西方を守護する白虎と並ぶ北方を守護する伝説上の聖獣、神獣、四神の一つである。
人間界では主に、脚の長く尾が蛇または蛇が巻きついた亀の姿で描かれている。そのイメージが強いために、翼は空想上の玄武と目前にいる玄武と口にした女性とかけ離れていているが、シルベット、エクレール、ドレイクの龍態、煌焔が火の鳥となった姿を目撃していることもあり、受け入れることに対して時間はかからなかった。
地弦と邂逅した先刻のことを翼は思い起こす。
僅か三十分程前──
翼は二階の自室の違和感を感じ取った。次に自室に入り、更に侵入者がクローゼットに潜んでいるかもしれないという可能性が出てきて、それに気づかれないように平然を装いながら部屋にいる彼女たちに報せるために自室を出て報せている最中に魔力反応が百メートル先にあり、エクレールと如月朱嶺が敵襲と言ったら、彼女の鳴らす呼び鈴が響いた。
最初は敵襲の可能性を考慮をし、警戒していたのだが──地弦が〈念話〉で敵ではないことを知らせてきた。【創世敬団】の奇襲である可能性を考慮して、まず彼女が玄武であることを良く知っているエクレールたち(シルベットを除いて)が本物かどうかを確認してから、中に入れたのだが──
既に、彼女が本物であることを確認を終える前に、何となくだがわかっていたことに翼は自分の中にいる大男が教えてくれたのか、と思っている。それに、彼女を迎えてからだが、玄武──地弦には何か引き付けるものを感じざるおえない。
「じゃあ、こないだの朱雀──煌焔さんとは……」
「はい。ホムラちゃんとは同志、戦友……まあ、いろいろと例えられますが、ひとくくりに言うと“親友”がしっくり来ますね」
「“親友”……ですか」
親友、とは、きわめて親しい友人という意味の日本語である。
先日、〈錬成異空間〉に閉じ込められていた時に遠くで確認した程度だが、創られた偽の四聖市の半分を溶岩に沈めた紅蓮の人影を“親友”といった地弦は頷く。
「はい。この命がこの世に産まれ落ちてから親しい付き合いをしています。幼馴染みですね。ホムラちゃんとは良好な付き合いをしていますよ」
眼前に置かれていた湯のみを啜った。
「その朱雀と親友が何用だ」
シルベットは用事があるならさっさと済ませろとばかりな態度で、上司にあたる玄武──地弦に対して失礼な態度で言った。どの幹部は前置きが長すぎるんですわという呟きもどこからともなく聞こえてくる。
あれから【創世敬団】との戦闘がなく、平穏無事だ。最近では、【創世敬団】との戦いではなく、生活面についての心配があって、先ほどひと悶着あったところである。特にシルベット、エクレール、如月朱嶺との諍いが絶えない。不慣れな人間界の暮らしにいろいろと彼女たちはストレスが溜まっているだろう。少しばかりか機嫌を損ないやすく、語気も普段よりも強い。決して、地弦が来て迷惑というわけではない。ただ用があるなら無駄な話をせずにさっさと済ましてほしいという現れである。
彼女たちにとって、現在の急務は無駄に消費してしまった生活費をどうするかにかかっている。一人だけは食事のメニューを考えていたりするが、主な任務は【創世敬団】の討伐と清神翼の護衛だ。
ただ──
自分よりも位が高い相手に物怖じもしないどころか、偉そうにわがまま顔で踏ん反り返る姿は清々しいほどの滑稽である。
極端に礼儀を履き違い、恐れを知らない部下に上位たる地弦は果たして、斜め上の言葉を返す。
「何用ですか、といいますと……?」
小首を傾げて、シルベットに問いを返した。
「何用は、何用だ。貴様は此処に何か用事があってきたのだろ? ならば、さっさと用事とやらを申すのが道理ではないのか」
「はい。そうですね、用事があってきました。でも────それは、しばらくツバサさんと話しても支障がないことです。そんなに急かさずともいいと思いますよ。それに──」
地弦は、見上げる瞳にハッキリと、強さを示して答える。
「焦りや苛立ちは大事なことを見通してしまいます。もっとも戦いがないからといって、たるんでいてはいけませんよ。あと不慣れな人間界の生活において、ストレスは溜まってしまうことはわかりますが苛立ちをぶつけてはいけません。逆にのびのびとやって生活費を極限まで減らすのもいけませんよ。それを伴ったことによる八つ当たりをするなど御法度。赦されざることです」
地弦は、親が子に教え諭すように優しく言葉を紡ぐ。
「龍人はある一部を除いて他の亜人とは違い、気性が荒いですから仕方ないとは言えば仕方ありませんが……ちゃんと、考えて行動していただけないと困ります。突発的な、無計画な行動が仲間との亀裂や敵に隙を与えかねないところか、新たな争い事を起こりかねません。ただ今、人間世界とは講和中なのですからね。くれぐれも忘れずに。我々が目指すのは、争い事がない世界です。これはならない行為です。それでは、この先が不安になってしまいますよ……」
シルベットはその言葉に、さっきまでの自分に恥ずかしさを覚えた。珍しくも反省して数秒、間を空けてから強く深く、頷いた。
「うむ。すまぬ。どうやら、いろいろと心配事が出てきて苛立っていたらしい」
答えを受け、破顔一笑する聖なる亀の少女はする。
「いいですよ、謝らなくとも。大事なことは間違いを正す意思があるかないかなのですからね。意思があっても、行動として移すことが出来るかもあります。反省して、次に生かすことを考えましょう」
地弦は朝日のような煌く笑顔で、珍しくも落ち込む銀髪の少女に微笑んだ。
「そうだな。次はこうならないように気をつけなければ……」
シルベットが少し考え込むのを地弦は微笑ましく見つめてからお茶を話の区切りとしてひとくち口を付けてから、視線を清神翼、シルベット、エクレール、蓮歌、朱嶺に視線を送った。コホンと咳払いを一つ吐いてから言った。
「あなたたちは巣立ちの式典で問題を起こしました。あなたたちにとって大事なことは問題を起こさず、任務を遂行できるか。不仲を起こさずにできるかです。今回もっとも大切で必要事項である協調性を養うのも好機といえます。独りよがりな行い方は、無意味に仲間を巻き添えにしてしまい、護衛対象者を死なすことになりかねません。それは必ず理解してください」
地弦は、目の前の彼女達を見渡しながら、子供に言い聞かせるように優しく、重要なところ強くして厳しく、語調を操りながら告げた。
シルベットと蓮歌は相槌を打ちながら大人しく聞いていたのだが、エクレールは子供扱いされているということが不愉快なのか、憮然とした表情で突き返した。
「そんなこと教えられなくとも、理解していますわ。何を今更教えられなければなりませんの……」
エクレールは不服と言わんばかりに唇を拗ねらせた。
それを見た地弦は、やれやれと頬に手をあてて困ってしまう。
「まあ。学び舎に入る前に教えられる基礎ですしね。でも基礎を忘れずに、磨いてこそ得るものがありますよ」
「そんなの既に理解していますわ。わたくしが今欲しているのは、敵の動向。それと──生活費ですわね」
「生活費?」
生活費、というエクレールの言葉に首を傾げる。【創世敬団】の動向に関して、教えられるところまでは言えるかもしれないが、生活費とは一体、どういうことなのか。地弦はエクレールの言葉を待った。
「お恥ずかしい限りですが──支給された生活費が底に付きそうですわ。いかにして、今月──いえ、次の給付金まで持たすかを考えていますの。出来れば、ルシアスを捕らえたということで特別に給付金を出してもらいたいのですが……」
「ああ……なるほど」
エクレールの説明によって、彼女たちが今置かれている状況を理解した。理解した上で、地弦は無念さを口に出す。
「残念ですが……、給付金に関しましては、私が決める範囲ではありませんね。【異種共存連合】に相談しに行かれるのはどうでしょうか?」
地弦の言葉を聞いて、エクレールは瞳は閉じ、椅子の背もたれに体が預ける。
「相談は先ほどしましたわ。結果、ルシアスを捕らえた功績は認めるとして、その分は来月に出すと言われましたわ」
「それで良かったでは?」
「良くありません……。前借というものは使えますか、ということに対してな答えは“出来ません”でしたのよ……」
「ええ、そうですね……基本的に前借はしてませんね」
「何とか出来ません?」
「私の預かり知れないところなので」
「そうですか……」
エクレールはガクンと項垂れる。
蓮歌と朱嶺も項垂れる。シルベットは未だに考え込んでいた。どうやら王族・皇族育ちのシルベットたちは生活費の使い方がわからず、殆ど使ってしまい、生活困窮に陥っていることを察した。清神翼も困った顔を浮かべていることから、それにより生活費の補填が出来く見た地弦は少し考え込んでから、しょうがないですね、と地弦が大きく息を吐く。
「ハトラレ・アローラでの現状を──。元老院によって、鎖国化されました南方大陸ボルコナですが、黒幕が判明しまして、無事に開国となりましたことを、御報告を致しますね」
「ボルコナが無事に開国したんですか!」
「それはホントですの…………?」
「ボルコナって、あのババアの国か?」
「……え、エクちゃん……、まさか蓮歌よりもあんなオバハンに興味が…………」
蓮歌の素頓狂な発言は一部のみ以外、無視される。
「南方大陸ボルコナは、ハトラレ・アローラの南にある極めて熱帯気候の大陸です。守護し、国を納めているのは朱雀──煌焔で間違いないありませんが、彼女に対してもそうですが、年齢が上の方に対して、ババアやオバハンは傷つきますのでやめましょうね。いくら不死であっても不老というわけではありませんから。自分がもしも歳をとって言われたら厭でしょう?」
地弦はまず、シルベットの疑問に答えてから、煌焔をオバハンと呼んだ蓮歌と一緒に優しくたしなめる。
シルベットは優しくたしなめられた地弦に対して、煌焔にも言った“ババアにババアといって何が悪いんだ……”と口にしょうとしてやめた。どうしてだろうか。自分の中の誰かがそれを口にしてはならないと警告しているようで、彼女にしては珍しく自重した。蓮歌も“オバハンにオバハンに言って何が悪いんですかぁ……”と口にしょうとしてやめた。理由は、シルベットと同じである。何となく地弦には逆らっては怒らせてはいけないと、動物的勘で察して、二人は頭を軽く下げた。
「わかった……」
「はーい……」
シルベットと蓮歌がわかってくれたと判断して、地弦は言葉を続ける。
「元老院議員たちの中にいた黒幕──正確には、元老院議員の一人に成り代わっていた【創世敬団】からの暗躍者の特定に成功しました。暗躍者は〈アガレス〉といい、姿形を自由に変えられる変身能力をもっています。彼は、ガゼル議員に近づき、成り代わっていたようです。元老院、他の大陸の聖獣たちに不協和音を起こさせるために、まずは増税などに反対意見をした朱雀──煌焔の流言飛語を流したようです」
「つまり、デマを流した張本人が発覚して、それが【創世敬団】の〈アガレス〉だったというわけですわね……」
「ええ。簡単に言えば、そうですね。ガゼル──〈アガレス〉、もしくはガゼル派と呼ばれる元老院議員たちが煌焔についての悪評を触れ回っていたという証言は、他の元老院議員たちや王族、皇族、華族、貴族から取れました。それにより、煌焔への流言飛語とか冤罪は晴れて払拭されましたため、ボルコナの鎖国は解かれ、開国しましたというわけです」
「それは良かったです。煌焔様は何より一番に民のために考えています。特に、女性や子供、病弱な者に対しては」
「はい。自分の守護する不知火諸島の皆さんを惨殺するだなんて重罪を犯すだなんて考えられませんから」
地弦と如月朱嶺は我が事のように喜んだ。よっぽど、煌焔に対して厚い信頼があって、疑いを晴れたことが嬉しいのだろうと、瞬時にわかってしまう喜びようである。
翼は朱雀──煌焔とは、まだ直接会ったことはない。遠目で視認しただけである。だから、煌焔がどんな性格をしているのかは、ドレイク、如月朱嶺、エクレールたちから聞いた程度にしか知らない。
朱雀──煌焔が守護する南方大陸ボルコナ出身者であるドレイク、ボルコナの下部組織である人間界──日本出身者の如月朱嶺から慕われ、中央大陸ナベル出身者であるエクレールから支配者と疎まれていた。何気なく煌焔について、東方大陸ミズハメ出身者の水波女蓮歌に訊いてみたが、エクレールと似たような回答だった。北方大陸タカマガ出身者であるシルベットに関しては知らなかった。
シルベットは巣立ち直前まで屋敷内から出られず、外の情報は父親である水無月龍臣が土産で購入してきた人間界──日本のものだけで、そもそも異世界ハトラレ・アローラの事情に詳しくない。
だとしても、大陸によって、朱雀の印象が違うことに不思議に思っていたが、人間界も国によっては、聖獣の印象も意味合いも違っている。それは、宗教間によるものらしいが、亜人が行き交う異世界──ハトラレ・アローラでも適用されるのかが甚だ疑問だった。しかし、地弦の鎖国化されていた、という言葉を訊いて、翼は納得する。
鎖国とは、人間界──日本では国が外国との通商・交通を禁止または極端に制限することを指す。人間界──日本でいうところの江戸幕府による対外封鎖政策をいう。江戸幕府が、基督教国の人の来航、及び日本人の東南アジア方面への出入国を禁止し、貿易を管理・統制・制限した対外政策を行ったことにより、そこから生まれた日本の孤立化や外交不在の状態などのことだが、地弦が言っている鎖国は恐らくは、前者である。しかも、事情としては国ではなく、元老院を主導によって、他の大陸との通商・交通を禁止を極端に制限させ、外国との交際が断絶を指示し、国際的に孤立されていたことがわかった。
エクレールは、二人が嬉しそうにしているのを横目に一瞥しながら、上品な所作で手を挙げる。
「ところで、ですが……。人間界──日本で煌焔から訊いた“黒幕”と〈アガレス〉は同一人物ではなかったということですの。わたくしたちは、〈錬成異空間〉で煌焔に会った時に、“黒幕”を捕まえるとはハッキリとした情報を聞かされずに、手伝いを指示されましたわよ。その時に捕まえて、封印された“黒幕”は、レヴァイアサンでしたわ」
レヴァイアサンは〈アガレス〉と関係はありましたの、とエクレールは地弦に質問をした。
「ええ。彼女が関与していることは間違いありませんが、まだお教えするほどの調書が取れてはいません。南方大陸ボルコナの首都カグツチにある拘置所に収監されていたルシアスが脱走しました。恐らくレヴァイアサン──ロタンも。それ以上の調書は再び捕獲するまではないかと」
エクレールの問いに答えながら、地弦は何気なく口にしたルシアスとレヴァイアサンの脱走に翼と彼女たちは驚きの声を上げる。
「え……ルシアスが逃げた?」
「はい」
「ルシアスだけではなく、レバニラもかっ!?」
「はい。レバニラではなくレヴァイアサンですが……」
「せっかく蓮歌が捕まえたのに……」
「それは誠に申し訳ありません……。ホムラちゃんの代わりに謝ります」
翼たちの驚きの声に次々と答えていき、煌焔の代わりに謝罪をすると、エクレールの呆れ返る。
「わたくしの問いに答える次いでに何気なくとんでもないことを口にしてませんか……」
「先ほど、百メートル先離れたところでグラ陣営の方がいたのを捕らえたところまでは覚えていたのですが……此処に駆けつけた頃には、すっかり忘れてしまったようです。今思い出して良かったです」
またしても何気なくだが、ついちょっと前に起こった地震の原因と思わしき魔力反応が【創世敬団】──グラ陣営と彼女であったことまでも口にした。
「つい先ほど、部屋に気配があると、翼さんから聞いたので調査していたところで、少し揺れ方が不可解な地震がありまして、調べていたところで百メートル先に魔力反応が三つありましたが……地弦様がそのグラ陣営──【創世敬団】を捕まえた時のものだったのですね」
「ええ。詳しくは、此処から百メートル先で“一応”【謀反者討伐隊】の者とその方が戦っていたので助太刀しただけです」
“一応”、という地弦の言葉が少し引っかかったが、構わず彼女の話に耳を傾けることにした。
「無事に捕らえましたが、まだ安心は出来ません。実は厄介なグラ陣営のウロボロスがこちらに向かったようなんです。私はそのウロボロスを追ってきたのですが……途中で見失ってしまいました。部屋に気配があった以外に何かありませんでしたか?」
「他に何もありません」
「そうですか……」
「捕まえたグラ陣営の方は、ウロボロスではなかったのですか?」
「いいえ。その方はウロボロスではありませんでした。ウロボロスは双子の少女です。長い橙色の髪を三つ編みに括り、水銀色の瞳。暗色の外套を纏い、身体の各所を、ベルトのようなもので締め付けていて、おまけに両手両足と首には錠が施された少し拘束衣のようなものを着ています。光沢があるフリルスカートとか、少し着せた相手の神経を疑ってしまいそうな服装なので、印象には残りやすいと思います」
確かに、と声には出さなかったが翼、シルベット、エクレール、蓮歌、朱嶺は同意見だった。
「ちなみに武器は確か……巨大で重厚なハルバートでしたね。重い鉄塊のごとき斧に長柄をつけた武器です。それに巨大な片翼の装飾があって、それぞれ右と左という違いましたね。こちらに向かうのを追ってきたのですが……迷っているのでしょうか?」
何処かで悪さをしてなければいいのですけど、と地弦は少し心配げな表情を外に向ける。
外は相変わらず太陽が照りつけており、蒸し暑くさせていた。今外出すれば、体の水分は熱しられた体を冷やすために総動員で汗として噴射されるだろう。どんなに汗を噴射しても、体の温度は冷えることはなく、体に必要な水分は根こそぎ奪われかねない。確実に熱中症で倒れてしまいかねないだろう。
「この時期の日本は亜人でも暑い時がありますからね。何処かでバテている可能性は十分にありますね」
◇
ウロボロスたちの姿は、四聖市駅に程近い、高いビルの屋上にあった。三つ編みに括った長い橙色の髪と光沢のあるスカートを高所の風で靡かせて、縁の手すりさえない身を乗り出して何かを探している。
彼女たちの眼下に四聖市が広がっていた。
大通りがすぐ下に見えた。道行く車が玩具のように、繁華街の賑わいが動く砂のように見える。首を横に向ければ、四聖市駅とその両端から延びる線路が窺える。
四聖市でもっとも高いビルの屋上のドアには、頑丈そうな非常用の箱型錠が取り付けられている。普通は出入りできない場所であるのが一目で分かるだろう。
彼女たちは、亜人である。人間でない。
ウロボロス。
人間界においてのウロボロスは、『不死』や『無限』を意味し、今なおシンボルとしてある。自らの尾をくわれ輪になった蛇として描かれていることから、口は体の始まりで尾は体の終わりを表し、食わえた円は生と死が結合している象徴であるが、【創世敬団】においてのウロボロスは、『再生能力』が高く、殆ど致命傷を与えることはない『不死身に近い者』に与えられる呼称だ。
キルルとキララは、どんな攻撃を与えても嗤いながら何度も立ち上がり、残忍に愉しみながら敵を殲滅する。【戦闘狂】に近い性質を持つ彼女たちは、父親に神界のシヴァがいる。正確には、シヴァの血液から採取し、複数の種族の血液が混ざり合せて創造して造った亜種である。
もととなる系統は、破壊と再生の神であるシヴァだ。そこからあらゆる世界線から同じ特性をもった神や亜人、人間たちといった生物の血液から掛け合わせて造られた精子から育った子供たちである。
あらゆる世界線において、生きるには誰かを殺さないと生きられないほどの悪所がある。そこで見つけた女性に授精させて、生きるための知恵や戦闘能力、親譲りの攻撃衝動、人間に対しての嫌悪感を養わせた。
その結果、彼女たちはウロボロスの呼称を与えられる前──【創世敬団】に入る前は“取り去りし者”──破壊者としてシヴァ姉妹として恐れられるほどに成長することに成功した。皮肉も父親である名を与えられて。
現在は、ルシアスの命令によって、人間界──日本である人間の少年を探しに四聖市に降り立っていた。
「人間界って、案外広いよねキルル?」
「広いよね。ハトラレ・アローラよりも小さいんだけど、人間を一人を探すのには広いし、人間が多すぎだよキララ」
「そうだねキルル。何なら、いっそのこと殺しちゃおうか?」
「いいねキララ。殺っちゃおう殺っちゃおう♪」
下校途中で道草をするかどうかを決めるかの軽いノリで人間の殺戮を決めたキルルとキララは、人通りが多い商店街に目をつける。
「あそこで魔力を発動したら【謀反者討伐隊】は反応するかな?」
「すんじゃない。魔力を発動するだけじゃつまらないから、あそこにいる人間全員を〈錬成異空間〉に引き込んじゃう?」
「いいねいいね。そこで人間たちを大量殺戮したら、少し探しやすくなるし、厭でも出てくるね」
「よし。殺っちゃおう♪」
「殺っちゃおう殺っちゃおう♪」
キルルとキララは悪戯を思いついた子供のような微笑みを浮かべながら、自分たちの姿を見えないように術式を発動した。彼女の姿は人間界はおろかハトラレ・アローラでも異常者にあたる服装である。
彼女たちが身を纏っているのは、魔装だ。魔装とは、ある犠牲によって所持者に絶対的な力を与え、絶対の鎧にして要塞である。【戦闘狂】が纏っているのと同等の攻撃性と防御性がある魔装は、他の【創世敬団】や【謀反者討伐隊】が纏っている戦闘服とは違い、自由に装着と解装したりすることが出来ない。
人間たちに隠れて戦いを仕掛けるには非常に勝手の悪い魔装である。ウロボロスたちは人間たちの目に多く止まったとしても殺せば問題はない、という思考の持ち主であり、支障はないと考えているのだが、母親代わりのロタンや姉代わりのキリアイに言われて、自分の姿を視認しにくいように魔術を行使している。
姿を人間から視認しにくくしたウロボロスたちは、商店街通りの真ん中に降り立つと、天上にキルルは右手を、キララは左手を掲げて、同時に言った。
「〈錬成異空間〉ッ!」




