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第二章 八




 先まで雲一つなかった青空を台無しにした挙げ句、昏く染め上げたそれに、煌焔──朱雀は怒りを露にする。


 闇色の空よりも深い闇。暗闇にあっても尚黒き光を放つその姿。煌焔──朱雀と地弦──玄武は幾万と対峙したことがある。その魔力、威圧感、存在が与える者は一人しかいない。


 その瞳は血の河の如く赤いのに、その肌は全く血の通わぬ冷酷さを象徴する白。黒き光を放つ翼を持つ、二メートルを超える身の丈の男性。先日の三十代半ばの人間態とは違うが、本性ではない。ルシアスの本来の姿は、七つの頭に、王冠のような角を持つ多頭種である。


 人間態から竜態に変化する第一形態の姿をしたルシアスは、暗闇の空で哄笑してから、煌焔を一瞥した。そんな彼を煌焔と地弦は憎々しく睨んだ。


「……ルシアス──貴様は、せっかくの晴天を台無しにしてくれたな……」


「何さ、今まで暗い暗い地下奥深くに封印されていて、やっとのことで、地上に出られたのにその言い方悪くない?」


「あなたは、収容施設に封印されたはずです……。ちゃんと罪を償っていないあなたが空を暗黒に染めて怒らないわけないでしょう」


「ああ。そうかい。こちらが悪うござんした。ほら、謝ったよ。これでいいんでしょう地弦さん。それとも足りない? 足りないんだったら、ちょっと欲張りじゃないの? ぼくはちゃんと謝ったんだから悪くないよ」


「よく回る口だな。謝ったからといって、貴様の場合は赦されるわけがない。まず、こうなった経緯について話せ。話してから嘘を吐いてないから何度か事情調書を取って確認してから、反省の弁ともう悪いことをやらないという保障をしなければ、貴様がしていたことを赦すことは出来ない」


「めんどいな……。まあいっか。いいよ。いいけどさ。そんな悠長なことをしていいのかな?」


「どういうことだ……」


「フフフ……」


 ルシアスはせせら笑いながら、左掌を横に向ける。掌から黒い光を放つ魔方陣を展開させると、滑るように流れていき、過ぎた時にはルシアスの躯には鎧を形成させていた。


 それは魔装だ。ルシアスの司る力である〈絶望〉で出来た〈闇宵〉と呼ばれる禍々しい甲冑である。〈闇宵〉は強大かつ巨大なエネルギーである〈絶望〉という闇のエネルギーが懲り固めて作られてた魔装は、魔力といったあらゆる力に慣れて態勢が出来ていても近づけば一瞬にこの世から消滅してしまう。近づかずとも、一目にしただけで、生体を破壊し、塵と化してしまうほどの威力を持っている。


 ルシアスの所持する防具の中では、もっとも危険度が高いとされる〈闇宵〉を身に付けたことにより、煌焔と地弦は周囲に警戒した。


 司る力や魔力、霊力や妖力に不慣れで脆弱な生きものは消し飛ばしてしまう〈闇宵〉は、亜人にとっても驚異といえる代物である。聖獣である煌焔と地弦はどうにか近づけて戦えるが、下級種族は生体に異常を起こしかねない。


【ルシアスが〈闇宵〉を纏っている。直接、見ないように屋内もしくは地下に避難誘導しろ!】


 周囲に見張る警備官たちやイフリート──レンはおろか、近辺に従事しているボルコナ兵を中心にした〈念話〉を一斉に送った後、


【ルシアスが〈闇宵〉を纏っている。直接、見ないように屋内に避難、もしくはボルコナ兵に従って地下に避難しなさい!】


 南方大陸ボルコナの首都カグツチ近辺にいる一般市民に向けて避難を呼びかける〈念話〉に送ると、煌焔は魔力を込める。


「〈錬成異空間〉!」


 収容施設を含む荒野の周りに文字とも図形ともつかない奇怪な紋章が火線で描かれ、障壁が生えるかのように現れて取り囲む。


 〈錬成異空間〉の向こう側──現実世界を霞ませる陽炎の歪みが生まれて、此方からも向こう側からも隠された。


「へぇー流石は煌焔だ。手早く、脆弱な民たちの命を失われないように、ぼくの〈闇宵〉の影響を受けないようにしたんだねー。関心関心」


「貴様に称賛されても、ちっとも嬉しいなどないな」


「それこそ、お互い様さ。でもね。ぼくとしては、心配でならないよ」


「何がだ?」


「フフフ……」


 煌焔の問いにルシアスは含み笑いを浮かべて、彼女たちの向こう側に視線を送る。


 煌焔、そして地弦はルシアスに警戒しながら、彼が視線を向ける方に顔を向けた。


 そこには──


 何もいなかった。


 誰もいなかった。


 先ほど、地弦の【鳥籠】と煌焔の【破軍大鎗】で捕らえたはずの長い橙色の髪を三つ編みに括った双子の少女たちもいなかった。


 逃げられたと視認した後、煌焔はルシアスに向き直る。


「随分と部下想いになったな。これまでなら、見捨ていたにも拘わらず逃がすとはな……」


「それは酷い言い方だよ。ぼくとしては、“これから使う”大事な部下を逃げ出させただけに過ぎないよ」


「“これから使う”だと……?」


 “これから使う”というルシアスの文言に煌焔の警戒を強める。


「フフフ……。まあきみたちには関係ないよ。きみたちはこれからぼくを相手にしなければならないからね。彼女たちを追うことは出来ないんだからねー」


 ルシアスは顔の横で拳を握ると、拳に魔力が構築されて、闇の光を帯びる。闇が弱まった頃には、拳には長剣が握られていた。


 〈闇宵〉と同じく、ルシアスの〈絶望〉で出来た武器である。一太刀で生きとし生きる者の命を奪い、滅ぼすことが出来るとされるルシアスが所持する武器の中では最低最悪で最凶の長剣である。


「どうやら妾たちをあの双子の下に行かせたくないらしい……」


 朱雀は、炎を迸らせて、全身に纏わせていき、鎧となって形作っていき、【業火の鎧】を装備をし、右掌に集結させた業火を剣の形を取らせた。


 それは、地獄の猛火に匹敵する朱雀────煌焔の炎で出来た業火で形作られた剣──“火之迦具土”だ。日本の火の神──イザナミから産まれた火の神である火之迦具土と同じ名を持つ剣は破壊性と再生の力を表している。


 ルシアスが最凶の装備を迎え撃つのならば、自分が所持している武器と防具が必要だ。だから自分が現在所持する中でもっとも高いものを召喚させたが、


「へぇー、久しぶりだねその武器……」


 ルシアスは懐かしそうに煌焔の召喚した鎧と剣を眺めている。畏れなどない。多分、畏れることがないほどに、密かに改良を繰り返し進化させてきたのだろう。


「余裕だな。残念ながら、業火の鎧も火之迦具土も改良を重ねて進化させてきた。依然とは比較にならない」


「こっちもこれまで遊んできたわけじゃないさ。何度も死んだけど、舐めてもらっちゃ困るよー」


「今度は復活できぬように魂ごと死滅させてやろ」


 煌焔は火之迦具土を構える。その横に地弦が並び立つ。


「加戦します」


「いや、待て」


 地弦も防具と武器を召喚しょうとして、煌焔に制される。


「此処で、聖獣二人が足止めされては双子たちを追う者がいなくなる。地弦、何とかして双子を追え」


「でも、追えて言われても……」


 地弦は首を傾げる。


 双子は既に姿はなく、何処に向かったのかがわからない。彼女たちの魔力反応を探ったとしても、時間がかかってしまう。ルシアスの口ぶりからは恐らく追いかけたとしても双子たちには追いつかないだろう。


 だとしたら、ルシアスの進攻を食い止めた方がいいのでは、と問いただしそうな顔をしながらも地弦は腹心の次の言葉を待つ。


「大丈夫だ。大体の目星はついている。恐らくは────」


 煌焔は、ルシアスが双子を向かわせたと思わしき場所を〈念話〉で教えると、地弦は驚きを目を開かせる。


「それは本当ですか?」


「大体の目星だが、奴──ルシアスが捕縛される前にやっていたことを考えれば、な。そこの可能性が高い」


「確かに高いですけれど……」


 双子たちと申し合わせた様子はなかった。地弦は双子たちを捕らえた前におり、彼女からルシアスを見た限りでは、ルシアスが双子たちに司令を送った様子は見当たらなかった。〈念話〉で伝えた可能性も少なからずあるが、それにしてはスムーズに事が進んだことになる。


 そう考えると、示し合わせたのが奇襲を仕掛けた以前となってしまうがルシアスは収容施設で封印されている。如何なる面会も赦されてはいない。


「あ……」


 ふと、思い立つ。


 そういえば、ロタン──レヴァイアサンはどうしたのか? 地弦は彼女のことがいないことに気づく。ルシアスが脱獄に成功しているのだからロタン──レヴァイアサンも脱獄していることはきわめて高い。彼女のことを考えてから、レヴァイアサン──グラ陣営が狙っていたものに思い当たる。


「まさかですけど……。ルシアスやロタンを救出と他に、既に動いていた二つの目論見のところに合流したということですか……」


「だとしたらな……。まあ、ルシアスやロタン──レヴァイアサンたちが狙ったものを考えると、ゼノンしかないと考えただけだ。というわけで────」


 気づいた地弦に煌焔はそう言ってから、魔力を火之迦具土に込める。


「此処は妾に任せろ。〈錬成異空間〉から出たら、恐らくはアガレスやロタン──レヴァイアサンが足止めに現れるかもしれんが、カグツチにあるもう一つにある拘置所に義妹大好き変態と異種問わず女好きの変態皇子がいるから使え」


「は、はい──えっ、義妹大好き変態? 女好きの変態皇子?」


 地弦は返事して、助っ人として出された二つ名に戸惑う。


 義妹大好き変態と異種問わず女好きの変態皇子がどんな役に立つのか、不思議に思いながらも、既に煌焔はルシアスに向かったために訊けずに、地弦は仕方なく、〈錬成異空間〉を出るために踵を返す。


 その瞬間。


 戦闘に備えて赤茶色の魔力を踵を返す後に向けて魔方陣を展開させる。


 踵を返し、地弦は自分から魔方陣を潜り抜けると──


 翡翠の鎧は身に纏い、紅葉色の長弓は背中に、腰に短刀が召喚される。武器と防具を携えて、地弦はまずは〈錬成異空間〉を出るために全速力で駆け抜けた。




 地弦が無事に〈錬成異空間〉を抜け出したところを煌焔は確認しながら、ルシアスに火之迦具土を振るう。


「焼き斬ってやる!」


「焼くか斬るかどちらかにしたら?」


 煌焔の猛攻にルシアスはまだ余裕で躱していく。火之迦具土の刃はルシアスに届いてはいないが、擦っただけで裂傷を与えることも出来る。


 ただ。


 それはルシアスとて同じ──いや、むしろ煌焔の方が分が悪い。ルシアスの纏う〈闇宵〉と同じく、〈絶望〉で出来た剣は、一太刀で生きとし生きる者の命を奪い、滅ぼすことが出来る。つまり擦っただけではなく、ただ単に振るっただけで煌焔──朱雀の命を削り取ることができる業物だ。


 攻撃範囲、間合い範囲が異常に広い。


 不容易に近づくと、剣を降られてしまい、こちらの命を削り取られかねない。不死鳥であるために、一太刀だけで絶命しないが、何度も降られてしまえば、煌焔は躯が朽ち果て、しばらくの間は卵の中で、新たな躯を構築するまで戦闘不能に陥ってしまう。


 そうなれば、身動きが取れないだけでなく、躯がまだ実体化しておらず、命を護るのが卵の殻だけの内に止めを差しかねない。煌焔が命を果てれば、南方大陸ボルコナの首都カグツチを護っていた〈錬成異空間〉は解かれてしまう。それだけは避けなければならない。


 彼を相手にするには、少なくとも上級種──特に聖獣の手が二名ほど欲しいところだが、地弦を双子を追わせてしまっている。今さら引き戻すことは出来ない。煌焔は、地弦が拘置所からルシアスが脱獄したことを他の大陸にいる聖獣たちに救軍要請をしてくれることを祈りながら火之迦具土の刀身にありったけの司る力を注ぐ。


「焼くか斬るかどちらも出来ない。焼いたとしても、斬ったとしても、まだ足らない。貴様という存在はな……」


 ルシアスの問いに答えながら、火之迦具土に注ぐ魔力を蓄積させると、火之迦具土の刀身に燃え上がる。


 激しく燃え上がる刀身をルシアスに向けて、煌焔は前傾姿勢を取った。


 息を深く吸い、ゆっくりと吐く。煌焔の司る力──炎が全身に行き渡り、彼女の躯を包み込む。


 不朽たる加護。聖獣級の上級種族だけが持つ特有能力である。ただ朱雀の加護は、身を護るためだけの加護だけではない。近づく者を骨の髄までを焼き、炭化させるまで消えることのない業火で出来ている。掠りでもすれば肉体はあっけなく崩壊してしまう。


 清廉なマナを体内に溜め込み、炎となって自分の躯を覆い尽くす煌焔。炎は莫大な質量をもって〈錬成異空間〉内に広がり、灼熱が空を真っ赤に染めて、呑み込む。


 不朽たる加護を身に纏い、煌焔は、不死鳥たる朱雀の命を削り取られる覚悟で攻める構えだ。


 それに、ルシアスはとても厭そうな顔をする。


「おいおい……。短期戦に持ち込むなよー……。せっかく、ぼくの部下が考えた作戦に支障が出ちゃうだろう。必死に考えた部下の身にもなれよー…………」


「知ったこっちゃないな」


 煌焔の意図を感じ取ったルシアスは批難したが、彼女としては知ったことではない。こちらとしては命懸けの戦いをしている。


 地弦が他の聖獣を呼んで来る来ないにしろ、ルシアスの足止めをするには、お互いに生命を削り取られない距離を取りながらの攻撃ではなかなか終わらない。少しでもルシアスに痛手を負わらせるには、思い切った特効が必要だと考えただけである。敵──ルシアスの部下がどんな思いで、策をたてているかなど知ったことではない。


「聖獣として一、二を争う冷たい言葉だね…………」


 煌焔のぞんざいな言葉にルシアスは顔をしかめる。


「【創世敬団ジェネシス】────いや、ルシアス。貴様だけには、心を赦すと思うなよ!」


「こちらこそ、“与えられた役目”を果すためなら何でもするさ。文句なら、ぼくじゃなく、向こうに言ってもらわなきゃ」


「はあああああああッ!!」


「うわぁ!? 何を話しの途中で突っ込んでくるのさ……。思わず焼き死んでいたじゃんかー!」


 煌焔の突然の肉薄に、ルシアスは咄嗟に大きな翼を広げて急制動をかけて上空に逃げた。


 突然の肉迫を仕掛けた煌焔──彼女は神の使いである聖獣らしからぬ舌打ちをする。


「チッ──外したか……」


「とても神の使いっぽくないよー。もう少し神々しく綺麗に戦ったらどうなのよー」


「うるさい。やかましい。そうさせなかったのは、どこのどいつだ? 妾の国でその物騒な装備を付けて、今さら綺麗に戦えると思っているのか? 思っているのなら、莫迦な考え方だな」


「此処の拘置所に勝手に閉じ込めたのは、そっちじゃないか! 此処で起こすしかなくなるのは当然じゃないかー。ぼくの話を一切聞かずに────」


「聞かなかったわけではないだろう……!」


 ルシアスの言葉を煌焔の苛立ちを含んだ声が遮った。


「何度も事情は訊いていたはずだ。答えなかった貴様が悪い。全く話を聞かなかったわけではない!」


「強制的に牢に入れられて、根掘り葉掘りと訊かれたことを話を聞いたとは言わないんだよ!」


「じゃあ、どうすればいいという。第一に、貴様は文句ばかり垂れてばかりじゃないか!」


「文句ばかり垂れて何が悪いんだよー。ぼくたちやきみたちのことなんて、“余興”にしか過ぎない立場なんだから、少しのワガママを聞いてくれてもいいはずさ」


「“余興”か。例えはいいことだけは誉めてやる。だからといって、“彼ら”に逆らっても良いことは起こらないぞ。これは忠告だ」


「その忠告は遅いね。もうぼくは止まらないのさー。“彼ら”に“役目”を与えられたぼくは勿論、きみたちも踊らされているんだからねー。踊らされるなら、いっそのこと、彼らが困ってしまうくらいに好きに躍ってやると心に決めているんだ。それは譲らないよー。きみも躍ればいい。“神界”の連中に見せつけてやろうぜ」


「意趣返しをするのもしないのも別に構わない。躍るのなら、勝手に躍ればいい。自分が躍るからといって、それに他を巻き込むな!」


 煌焔はそう言って、火之迦具土の刀身を構える。


「自分の復讐に他を巻き込むのは愚の骨頂だ!」


「その言葉、そっくりそのまま返すよーレヴァイアサン──ロタンを捕らえるために自国の兵を動かしたリベンジした聖獣さーん!」


「やかましい! 貴様にいわれずとも、そんなことをわかっているんだ! 改めて貴様の口から吐くな!」


「吐いてやるよ! 怒り狂って我を忘れて自国を己の炎とマグマによって滅びるように、ね。ハハハ」


 ルシアスが哄笑をしたその瞬間、その背後から、高速で襲いかかる者が二人いた。


「させるか」


「──っ!」


「あ」


 右手で握るのは柄に龍の装飾を施した湾曲した幅広い刀身。柄が長く刀というよりは槍といった長柄な武器に近いそれは、自分と同じ種族の名を持つ偃月刀──青龍偃月刀。煌焔はそれを持っている男を一人しか知らない。


 人間界──中国における三国志の英雄である関羽が持っていた武器を持つのは、青年だ。


 蒼穹のように澄み切った蒼い髪。勇猛以外の譬えようがないほどに輝く青い双眸。整った顔立ちは蒼き英雄の名に相応しく凛々しい。


 仕立てのいい戦闘服は、五行説では東方の色とされる蒼を強調としている。その蒼い戦闘服に包まれた体躯は、すらりと細く筋肉質というほどではないものの、鍛えあげられた肉体美を持ち、長身である。あらゆる角度から一瞥しても彼から感じる魔力や司る力の強大かつ巨大なエネルギーに言葉を失ってしまうだろう。


 聖獣である煌焔でさえもそう称賛してしまうほどの存在感を持つ彼は、腰に尋常でない威圧感を放つ騎士剣を携えて、


「背後からすまないねルシアス」


 と、一言を添えてから手にしていた偃月刀を振るう。


「うげっ蒼蓮!」


 ルシアスは苦虫を少なくとも百匹を口にしてしまったような顔をして、精悍な蒼い髪の青年──水波女蒼蓮が振るった一閃を身を翻して避ける。


 水波女蒼蓮。


 朱雀や地弦と同じ両界で英雄にして神話を馳せた獣。東西南北の方位を象徴する四神獣の一つで、東方を守護する青龍。朱雀、地弦と同じ聖獣であり、英雄である。


「避けてしまったかとても残念だ」


 水波女蒼蓮は、避けてしまったことを言葉ほど残念そうに感じられない微笑んだ。


「相変わらず、戦うことに対して、楽しんでいるな……」


「何をいう。ルシアスという宿敵を討ちもらして楽しむなどない」


「そうは見えないんだよ────」


 お前は、と口にしょうとしたが、その言葉が出なかった。何故なら、また背後から白き雷鳴が轟き、肉迫してきた者がいたからだ。


「ひッ」


 ルシアスは、ほぼ感覚で躯を前に倒すと、先ほど躯があったところに白き稲妻が帯びた鉤爪が通り抜けた。


「外したか……」


 内側から押しあげるように発達した筋組織の腕から伸びた手をボキボキと鳴らしながら、白き火花を放つ帯びた鉤爪をルシアスに、大柄で長身の偉丈夫が残念そうに言った。


 灰白色の髪は短く逆立っていて、鋭利なサファイアのような美しい蒼眼がルシアスを貫く。獰猛な獣に似た彼の存在感は、お喋りなルシアスを少しだけ黙らせる。


 揺らがない確立された絶対的な意志を持って、戦場に出向くにはあまりにも軽装すぎる白を強調とした空手の道着を着た彼は、白虎──白夜である。


 白夜。


 朱雀、玄武、青龍と同じく、両界で英雄にして神話を馳せた獣。東西南北の方位を象徴する四神獣の一つで、西方を守護する白虎だ。煌焔、地弦、水波女蒼蓮と同じ聖獣である。


 神なる力を宿した獣である彼らは、ルシアスを挟み撃ちにするように対峙をしながら、一瞥もくれずに煌焔に言う。


「助けに来たぞ」


「間に合ったか」


「さあ。間に合ったかどうかはわからないな」


 彼らの言葉に煌焔は久しぶりに合う戦友に曖昧に答える。


「まだ、こいつらの狙いがはっきりとはわかっていないんだからな」


「それはどういうことだ?」


 煌焔の曖昧な返答に白虎と水波女蒼蓮は怪訝な顔を浮かべる。ルシアスに警戒しながらも、横目を向けて理由を話せ、と訴えた。


「時間がないから、短めに理由を言うぞ。【創世敬団ジェネシス】が双子の少女を使って、いきなり奇襲を仕掛けてきた。地弦と一緒に捕らえたが、ルシアスが脱獄し、気をそちらに向けてしまっていた最中に何処かへ消えてしまった。ただ引き下がるには呆気ない。彼女らとルシアスが申し合わせた振りは殆ど見られなかったが──どうやらルシアスは双子らを追わせたくないようだ」


「なるほどね」


「承知した」


 煌焔の言葉に水波女蒼蓮と白夜は頷く。


「それだけで伝わるとか、どんだけ気がいいんだよー!」


 白虎の獰猛な存在感に少し黙っていたルシアスが簡易的な煌焔の説明に疑い無しに頷く二人を見て、思わず声を上げた。


「ルシアスは部下に対して敬うことも、自分から助けようとはしない軽薄な男だ。にも拘らず、自分から助けようとする。これは何かを企んでいるに他ならない」


「ひでぇ言い方だなおい!」


 ルシアスの突っ込みは聖獣たちから無視される。


「地弦からは、煌焔が大体の目星は付いたと言っていたが、それは何故だ?」


「此処の拘置所には、ルシアスの他にロタン──レヴァイアサンが収監されている。レヴァイアサンといえば、グラ陣営だ。そのグラ陣営が狙っていたものを考えると…………」


 あとは言わずともわかるな、と煌焔は水波女蒼蓮と白夜に視線を送ると、彼等は頷いた。


「そうか。ならば、早くルシアスを今一度、捕らえて終わらせなければなるまい」


 水波女蒼蓮は青龍偃月刀を構える。刀身に、魔力と青龍が司る水と草木が纏わせていく。白夜も拳を握りしめる。


「そうだな。早急に終わらせよう」


「前々から思っていたが、改めて意志疎通が出来すぎているんだよなー。阿吽の呼吸が出来すぎて、気持ち悪い…………」


 殆ど言葉が少なめで目配せと仕草だけで理解していく聖獣ら三人に、うぇ〜、とルシアスは舌を見せる。


「ふん。詳細な説明をしていては貴様を逃がすだけだ」


 煌焔は鼻を鳴らして、火之迦具土に司る力と魔力を注ぎ込む。絶体に逃がすまいと、聖獣たちは三方向から狙いを定める。


「三対一って、ずるくない…………?」


「一人の人間に対して、幾千ものドラゴンの大軍を送り込むような組織の頭が何を言っているんだか」


「たかが、人間。しかも十年と少しだけの子供に対して大人げない」


「加えて、足止めに〈宵闇〉を装着するとはな。今度、生まれ変わったルシアスは、よっぽど自信がないようだな」


「く──」


 抗議したら三方向から散々に言われ返されたルシアスは、目に涙を浮かべて歯噛みをする。


「何さ何さ……。神の手下で操られているくせして、ぼくをコケにするなよなー!」


「苛立ちをこちらに向けられては困るな……」


「ルシアスよ。一つ、勘違いを正そう」


 指を立てて、水波女蒼蓮は聖獣たちに陰気で怨みが込もった視線を向けるルシアスに突き刺さんばかりに先端を向け、


「我々は、別に神界の連中の指図を受けて動いているわけではない。他の世界線では、神の使いだとか何だか言われているがそれは大きな勘違いだ。時には手を出したりする者もいるようだが、比較的に神界の連中は、傍観者が多い。見て見ぬ振りだ。時に悪戯に操作するのもいる上に、後から問題に発展した際に、こちらに問題を丸投げにしてしまう者が多いときた。そんな者たちが多い神界に従う者は限られているだろう。我々は、そんな輩の下に付かない。我々の目的は、全世界線の秩序にあるのだから。悪戯半分で世界を変えられても困る。出来ることなら、その世界の者に動かしてもらいたいがな…………」


「手っ取り早くまとめると、悪戯半分で世界を動かそうとする神界のいうことを訊いていたらキリがない、ということだよ」


 水波女蒼蓮の言葉を煌焔が短くまとめる。


「そして、世界線の生態系を壊そうとするルシアス──【創世敬団ジェネシス】も我々の仕事を増やしている要因になっている」


 白夜は今にも刺し殺すような鋭い視線を向けて、一つ加えた。


「……そうかいそうかい。ぼくは余計なことをする神界の連中と一緒ってことかい」


「そういうことだ。わかったなら、これまでの悪事を認め、悔い改めることだ。そして、【創世敬団ジェネシス】の解散をせん────────」


「厭だね」


 白夜の言葉をルシアスの低い声が遮る。


「そんな偽善的な考えを持ち、綺麗事ばかりを並べるおまえらなんかに、ぼくは屈しない!」


 そう高らかに声を上げて、躯に闇色の魔力を帯びると、魔方陣がルシアスの頭上に展開させる。


 聖獣たちは身構えて警戒するが、魔方陣は一気に滑るように下に流れていくとルシアスの躯躯は消失していくのを見て、それが〈転移〉の術式であることに気付いた。


「逃がすかッ!」


 息を巻いて声を上げたことにより攻撃かと警戒していた聖獣たちは急に逃げに転じたルシアスの行動に、呆気にとられそうになりながらも一斉に攻撃を放った。


 煌焔は火之迦具土を一閃して炎を、水波女蒼蓮は青龍偃月刀を一閃して水を、白夜は拳に気力と共に魔力を込めて撃つ。


 莫大な質量の聖獣たちの業は、ルシアス目掛けて放たれたが僅か零・一秒差で間に合わず、虚空を斬ってしまった。


 残されたのは、業を放った時に巻き起こった轟音の残響と──




「攻撃だと思ったかバーカバーカ。ぼくの役目は、彼女たちがぼくのために使命を果すための時間稼ぎさバーカアーホ」




 ルシアスの子供じみた捨て台詞だけだった。




      ◇




「…………!」


 ゴーシュ・リンドブリムは、格子越しにその光景を捉えた。


 真っ青な空にまばゆいまでの光が放たれ、爆発が起こったのかと思いきや、それに伴う爆風や爆発音、黒煙はない。


 その代わり、空に一点の闇が出現した。


 空に突如として出現した闇の塊から膨張し、巨大な羽根のような形を作った。蝙蝠に似た羽根である。次第に、闇が空を侵食していき、群雲のように太陽を覆い隠し、月食のように光を大地には届かなくなっていく。


 見渡す限りの空、全てが闇に侵されていく。街一つか、あるいは街全体か、あるは大陸全域か、あるいは──


 そんな想像をさせるくらいに、広く、広く。


 空に、夜とは違う色の闇が広がっていた。


「……こ、これは……────まさかだけど……?」


 ゴーシュは目を凝らして、ようやくわかった。


 暗い空の下で、哄笑をする存在を確認し、昏い闇の中から、看守に伝える。


「ねえキミ! ルシアスが脱走したようだぞ! 直ちに、今すぐ緊急配備した方がいい────ん?」


「おい看守! 空が暗くなっているんだけど、ルシアスが脱走したんじゃないか────ん?」


 ゴーシュの声とほぼ同時に隣りの牢から聞き覚えがある声がして首を傾げる。向こうも同じように首を傾げた。


 もしや、とゴーシュは首を右に向けて、相手の顔を確認しょうとする。隣人も同じようにゆっくりとこちらを振り向く。脱出を防ぐために術式を編み込まれた鉄製の格子は四、五センチメートル間隔で縦に立てられている。いくらゴーシュでも首が入れることが出来ない。もし入れられることに成功して抜けることは目に見えている。


 お互い確認するために声をかけた。


「隣にいるのは、白蓮かい……?」


「ん、おお……。その無駄に爽やかな声は……ゴーシュか?」


「そうだよ」


「そうなのかい……」


 ゴーシュと白蓮は、はぁ……と深い息を吐く。先ほど、取り調べからの帰りに廊下で出くわしていた“ふしだら皇子”であったことに残念がった。


「またキミかい……」


「それはこっちの台詞だ……」


「またしても、キミに会うとは思っても見なかったよ……これが、我が愛しい義妹──シルベットならば、どれだけ良かったか……」


 隣人が白蓮だと確認したゴーシュはあからさまに落ち込んだ。落ち込まれた白蓮は、相変わらず義妹愛が衰えていない同期にため息を吐く。


「相変わらずだなおい……。俺も野郎が隣だなんて厭だからな」


「お互い様ということだね」


「同じ立場だが、義妹大好きなお前と一緒にされたくねえよ……────ん?」


「ふうん……」


 四、五回程、言葉を交わした後に二人は違和感に気づく。最初に口にしたのは、白蓮だ。


「なあ……?」


「ん、なんだい……」


「……おかしくないか?」


「おかしいね……」


 ゴーシュは鉄格子から廊下を見渡しながら答える。


「勾留中、別事件であっても被疑者間の会話は禁止されているはずなんだけどね。普通なら注意しに看守が来てもおかしくないはずだからね」


「ああ。ハトラレ・アローラから離れているうちに規律が変わったか、はたまた────」


「────緊急事態が起こって看守が来れなくなっている可能性があるね……」


 白蓮が言おうとした言葉をゴーシュが遮り先に口にした。


「それは日食とは違うこの闇が原因である間違いないね」


「やっぱ、そうだよな……」


 白蓮は大きな息を吐いた。


「十中八九、ルシアスの仕業だと見ていいだろうね」


「そういや、ルシアスが荒野の方に出来た拘置所に収監されてたな。封印でも解かれたのか?」


「それが妥当だね。看守がこちらに来れないのは、恐らくは────魔装でも持ち出したかな……」


「ルシアスの魔装──〈闇宵〉か……」


 ルシアスの魔装、と訊いて白蓮は頷く。


 ルシアスの魔装は〈闇宵〉と呼ばれ、彼の司る力である〈絶望〉で出来ている禍々しい甲冑である。〈闇宵〉は、強大かつ巨大なエネルギーである〈絶望〉という闇のエネルギーが懲り固めて作られており、力に不慣れで態勢が出来ていない脆弱な生きものには、猛毒だ。近づかなくとも一目にしただけで、生体を破壊され、塵と化してしまうほどの威力を持っており、天叢雲剣とは違う似て非なる力を持っている。


 ルシアスの所持する防具の中では、もっとも危険度が高いとされる〈闇宵〉を身に付けたとしたら、煌焔は力に不慣れではないにしろ躯に悪影響を与える確率が高い下級種族を屋内に避難させようとするだろう。


「ハトラレ・アローラの亜人はどんな力でも慣れているし、態勢は充分に出来ているけど、ルシアスの持つ力は別格だからね。別に脆弱な生きものでなくとも、一瞬で穢れて体調を崩すくらいはあるから警戒して当然といえるね」


「そうだけども……少しは、こちらの心配もしたらどうなんですかね煌焔様は……」


「文句を言っても仕方ないさ。彼女には彼女なりの信念があるんだからね。それよりも準備をしたらどうなんだい?」


 ゴーシュは、ラジオ体操第二の口笛を吹きながら、躯を動かしてほぐしていく。


 白蓮は、それを見たわけではないが、学舎で通っていた時期からゴーシュは何かする時、特に戦いや激しい運動を要求される任務の時にあらかじめラジオ体操第二の口笛を吹きながら、準備体操をしていたことを知っていた。ゴーシュが準備体操をしているのではないか、と思った白蓮は、彼が今から何かしょうとしていることを察した。


「何の準備だよ!? というか、準備体操して何をする気だよッ」


 荒げる白蓮の言葉にゴーシュは何を今さら、といった具合に呆れた声を出す。




「これから聖獣様“たち”から頼まれるから、なまっていた躯をほぐして準備しなきゃいけないからね」




 ゴーシュが言い終えたと同時に──


 廊下──出入口の方から扉の開く音がしてから、急いで駆けつけてくる足音が響いた。


 足音は、ゴーシュと白蓮の檻までくると、少し息を切らしていることがわかる。


 檻の前で息を整える者を見て、白蓮は思わず鉄格子を掴み、四、五センチメートルしかないところを抜け出そうとしながら、声を上げる。




「──え、え……、ええっ!? 地弦さんが何故ここにッ!?」




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