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第二章 六




 レヴァイアサンがうっすらと、刃のような切れ長の目を開けた。


 乱れた前髪の間から、ゆっくりと視線だけを動かして、自分の状態を確認しょうと躯を動かそうとすると、脈動が打つほどの、焼けるような鋭い激痛が走る。


「うっ……」


 森林の中腹にある少し盛り上がった斜面に打ち落とされたレヴァイアサンンは、少女の渾身の一撃を負い、重傷の身であった。


 左胸から腹部まで右斜めに少女の剣の一斬が見事に入り、肉が抉られ、削がれて肋骨が僅かに見えている。衣服が血に濡れているのはわかった。血反吐を吐き、


「あの、お嬢ちゃん……、もう……、既に────力を、使える、なんて……聞いて、ないわ」


 息を切れ切れに、必死に今持てる治癒力と魔力を総動員させ、生命を維持する。僅かでも気を抜けば、気を失ってしまいそうになりながらも、傷を癒す。


 【戦闘狂ナイトメア】となって遥か昔に味わった一度の敗北以来の敗北をギリギリと、きつく結んだ唇の内で歯を食いしばる。


 ──今まで、人間も亜人も。立ち塞がる者、邪魔する者を、殺し喰らってきた私が……っ。


 グッと、肌の色を失うほどに両の手を強く握り込む。


 ──あの、巣立ちさえしていない、まだ──────なんかに……っ。


 その屈辱は、放つ嫉妬が、どす黒い瘴気的なものになって、冷たい視線と共に、少女に向けられた。


 少女は、十メートルほど離れた森林の奥に倒れていた。すでに持てる力も大半を使い果たし、衰弱した状態である。


 巣立ちもしていない少女が、大規模な力を感情に任せて使いすぎたため、その限界はあっけないほど早く唐突に来た。力の配分に制御、強大な力を繰り出すに必要な技術が不十分だったために、大半の力を使ってしまっていたのだろう……。


 今は強大な力を奮った戦士の欠片も見えない。


 ──ホントに羨ましい限りね、水無月龍臣。


 どうして自分ではないのかと嫉妬心が湧く。


 屈辱と羨望。そして、嫉妬。力を望んでも得られない者にとって、生まれながらにしての強者たる少女は、垂涎の対処。羨むなと言う方が無理である。


 人間と亜人(龍族)の混血種にもかかわらず、純血種であるレヴァイアサンよりも才能に恵まれていることにそれが無性に眩しく、羨ましく、悔しい。


 そういう不快感を忘れたいがために彼女は思い出す。


 最初に敗北したことを。


「ホントに、たいした……、娘さんよ……水無月龍臣」


 戦闘狂にして殺戮者の最初の敗北は、サムライ──少女の父親だった。その次は母親。


 あの時も、娘に負けた今のように完全無欠の殺戮者が地を這った屈辱を必死に噛み殺しながら、壮絶な戦いの後にも関わらず疲労の色も見せず、涼しい顔でいたサムライを見据えた。


 人間。ただの人間に敗北したことがこれ以上ない屈辱だ。人間だからと完全に油断してしまったことが悔やまれる。敗者であるレヴァイアサンにたおやかな笑みを向けるそれが、レヴァイアサンよりもむしろ女性的な笑みで憎たらしいことこの上ない。


 しかも、こちらがいくら殺気を放っても、軽く受け流し、水無月龍臣は細いあごに手を添え、ほう、と感心したように息をつくだけ。


 勝者として、相手を詰るよりは敗者を褒めるという今まで出逢ったことのない態度に調子が狂わされた。負傷したレヴァイアサンに水無月龍臣は圧倒的に優勢な立場でありながら、勝者らしくなった彼を瞼裏を思い出し。


 レヴァイアサンは、先の戦いが嘘のように晴れ渡る空を見上げる。


 そんな彼女の前に降り立ったのは、女の子だ。


 闇のような漆黒と深紅のドレスを身に纏った、華奢な体躯の女性だ。真珠のように白く滑らかな肌が映えている。


 女性の目は、左右非対象の異形の瞳────オッドアイと呼ばれるものである。水晶のように輝く右目の瞳に対して、左目は血のような深紅の瞳。変異種として生まれてくる亜人は稀に存在している。人間界でも稀に起こる変異であって、数は少ないが珍しくもない。もっとも注視するべきは、深紅の瞳の左目にある。無機的な深紅に、数字と文字が縦と横と斜めに並べられている。左目には、魔方陣そのものが刻まれていた。


 魔方陣が刻まれた左目を持つ女性の両手に握られているのは、散弾銃だ。形状は、水平二連ソウドオフショットガンに似ているが、骸骨と骨組みの装飾が施された禍々しい威容を称えている。


 見たところ、女性には外傷は見当たらない。それどころか、血痕が付着してはいない。それだけで、女性は与えられた任務を遂行していないことを悟ったレヴァイアサンは、口を開く。


「……あ、あなた……に、任務は、どうしたの……?」


 レヴァイアサンの声に答えない。その代わりに、女性は言った。


「あなたは、何度も赤羽綺羅に会わせるといって、会わせた試しがない。これ以上、あなたに従う理由を見いだせない」


「メア……あなた、裏切るの?」


「裏切る? 最初に約束を破ったのは、そっちよ」


 彼女がメアと呼んだ女性────メア・リメンター・バジリスクは、これまで三百二十回以上もレヴァイアサンによって、封印を解かれ、脱獄している。


 その度に、赤羽綺羅と会わせるといった約束をしているが会わせた試しは一つもない。何だかんだとはぐらかせてきた。


 彼女にとって、幼馴染みであり赤羽綺羅とは心の支えである。同時に、生きる電動力である。学舎ではゴーシュ・リンドブリム、美神光葉、水波女蒼蓮、白蓮と共に同期生であった。巣立ちして以降は、六人は【謀反者討伐隊トレトール・シャス】に同じ【部隊チーム】に入隊していた。


 そんな赤羽綺羅は、若くして、赤龍族──赤羽宗家の当主である。【謀反者討伐隊トレトール・シャス】では大佐という身でありながら、【創世敬団ジェネシス】で序列三位という実力の持ち、七人の大元帥の一人である。そのことを知っている者は他陣営では数少ない。


 魔力の容量だけならば、テンクレプやルシアスを余裕で上回る彼は、ソベルビア陣営のサタンネスだ。七つの陣営の間には大きな隔てがある。陣営同士の往来は、殆どない。年に四回ほど行われる元帥会議でのみ顔を見せることが出来るが異質で陰険な雰囲気から、とてレヴァイアサンがサタンネス──赤羽綺羅にメア・リメンター・バジリスクに会って欲しいと頼めるものではない。敵組織である【謀反者討伐隊トレトール・シャス】や他陣営が間者を使って情報を得られないようにしているからだ。


 特にリリス、アスロト、ベルゼス、メフィスト、アガレス、アスモス、べリアルに関しては別格であり、謎が多いのは、徹底的な他陣営に対してセキュリティーを必要以上に強化しているためだろう。


 赤羽綺羅──サタンネスに関して、そこまでではないが他陣営の代表者が集まる中で、他愛もない話をするだけでも険悪な雰囲気が漂うため、必要最低限の言葉は赦されてはいない。


 だからこそ、幾度にも会わせろと言うメア・リメンター・バジリスクに煩わしく感じながらも、彼女に働いてもらわなければならない案件のため約束をし続けたが──


 メア・リメンター・バジリスクはどうやら、流石に、レヴァイアサンは赤羽綺羅に会わせる気がないと判断したようだ。


 ついでに、〈催眠〉も解かれかけていており、従順な僕ではなくなっている。


 両親や島民たちを失い、孤独だった彼女に手を差し延べ、家を与えただけでなく、学舎まで通わせたのは、赤羽綺羅だ。その頃は、赤羽綺羅はサタンネスの称号も陣営にもいなかったために気軽に会うことが出来たのだが、赤羽宗家の当主となり、【創世敬団ジェネシス】で序列三位、七人の大元帥の一人として上り詰め、ソベルビア陣営を与えられた時に、状況が代わってしまった。


 やはりメア・リメンター・バジリスク──彼女にとって、何もない自分と側にいてくれて愛してくれた唯一、信頼できる者なのだ。レヴァイアサンではない。


 何度も〈催眠〉をかけても、すぐに解かれてしまう。それほど赤羽綺羅に対しての想いが強いのだろうか。レヴァイアサンはそれを羨ましいという感情が沸き立つ。


 純粋な彼女を壊して、めちゃくちゃにしたい。


 絶望に哀しむ彼女を見て、踏みつぶしたい。


 怒り狂う前に、逆らえないように闇で覆いたい。


 彼女に対して負の感情が渦巻くレヴァイアサンに、メア・リメンター・バジリスクはゆっくりと近づく。


「私にとって、最期の希望は、赤羽綺羅であって、決してロタン──レヴァイアサンではない。現に、独りになった私を助けてくれたのは赤羽綺羅です。あなたは私を扱き使っただけです。恩義はありません」


「だ、だから……な、何ですか? ……ふ、負傷して、動けない私に……、赤羽綺羅の、居場所でも訊きたいんですか……?」


「そうですね……。それも考えてますが、私としては、こうも何度も私の心情をお構い無しに呼び出されては、キリはありません。ですから────」


 メア・リメンター・バジリスクはマイナス百度の冷徹な目でレヴァイアサンを見下ろす。


「そのまま、今まで沢山の命を奪った分、苦しんでください」


「……あなたも、私と一緒に……、沢山の命を……、奪ってきたのだから、同罪じゃないっ」


「ええ。だから、一目、赤羽綺羅と自分の娘の姿を見たら、償うために死にますよ」


 メア・リメンター・バジリスクは微笑んだ。その微笑みを見て、レヴァイアサンの中で心の平静を保てなくなっていくのを感じた。


 胸の奥からありとあらゆる憎悪と嫉妬が吐き出すように変化していく、暗い感情を凝縮されていった不の感情は、レヴァイアサンをさらなる奈落へと落として、闇へと沈ませる。


 メア・リメンター・バジリスクに対しての嫉妬や怒りが止まらず、制御がきかない。


「ちっ」


 メア・リメンター・バジリスクは舌打ちをした。


 彼女は巻き添えを喰らわないように離れる。


 現在、レヴァイアサンは白銀の少女によって、深手を負っている。傷が癒えたら、更なる闇に堕ちたレヴァイアサンはメア・リメンター・バジリスクを狙うだろう。


 その時には、一目散に逃げるしかなくなるだろうが、どうやら一向に傷口は塞がらない。


 回復に足りる体力がないため、治癒力に回す魔力に供給できないのか。未だに、傷口は脈動して熱を帯びている。


 亜人──特に龍族の免疫力は強く治癒も早い。しかし、時に重傷を負い、完治まで遅くなると判断した場合は、傷の治癒を早めるために、自らの治癒力を魔力で上乗せする。それを使うことにより、損傷した細胞を復元され、治癒に不適切な菌などが破壊され、あらゆる傷口が修復・完治されやすくなる。この方法は、学舎で最初に学ぶことになっている基礎である。戦場に出る出ないに対しても必須であり、古来からを使うことが習慣となっていた。


 しかし。


 レヴァイアサンは、その方法を用しても、傷口は塞がらないでいた。


 今すぐにでも、上で見下ろす想い人に会わせないからといって反逆する女性──メア・リメンター・バジリスクをお仕置きしたいのに、躯が動かない。


 それは、治癒力が人間レベル以下まで低下していること意味していた。魔力で上乗せして回復に廻しているのにかかわらず、傷口は一ミリ単位で、戻ってはいるものの、しっかりと結合して塞がらないでいた。


 少し躯を動かしただけで、めりめりと裂けるような感触があり、まだ不安定。人間のように縫合して、傷口が上手く結合するのを待つしかない。


「……人間のように、手術とやらをしなければ、いけないなんて……とんだ痛手ね」


 ぎりっと奥歯を噛み、うめくように呟くと、貫禄溢れる遠雷のような声がする。


『レヴァイアサン、また敗北したな』


 刃のような切れ長の細い目をさらに細める。


 その声は正確には、少女の握った剣からだった。刀身の根元がくるりと回転し、ゼノンの顔がのぞく。


「ゼノン……」


『しかし、今回はこちらも無事では済まなかったようだ。同着としといてやろうか?』


「う、うるさいわ……、ゼノン。傷に障るから、怒らせないで頂戴。早く治して上で見下ろす下僕にお仕置きしなきゃならないのよっ……」


『ふ〜ん。父母娘と敗北して下僕に裏切られるとはな、とんだ災難だな。まあ、此処はなかったことにして、ここは大人しく去るべきだな。彼女は偶然、此処にいて、お前と出くわしたわけだし』


 ちっ、と舌打ちをして、「何、あなた、あの下僕のことを庇っているの?」、と続けた。


『そうだな。庇っているわけじゃないさ。彼女としては、一目、見たかった人が近くにいたというだけであって、お前さんの任務を遂行する前に此処で訪れただけだ』


「ず……、随分と……、事情を知っているじゃないの……」


『まあな、此処に来るまでに少しは聞かされていたからな。だからといって、そいつは誰かとか会いに来たのは誰かなんて口が裂かれても言えねぇな』


 レヴァイアサンは肩で息をしながら、キッ、とゼノンをにらみつけた。


「どういうこと?」


『それよりも自分の心配しろよ。【戦闘狂ナイトメア】といえど、いくら堕ちて力を上げても、二日以上は治癒力は低下して動けないだろうよ。このお転婆娘の司る力をまともに受けたといえば理解できるだろう』


「その子の司る力って……、まさか?」


『そのまさかさ』


 ゼノンの言葉の意味を理解して愕然とする。


 子龍が行使するには強大な魔力や司る力を一気に使いきり、魔力切れを起こして倒れている白銀の少女。その少女は銀龍族だ。銀龍が司る力。それは、”原子核”だ。それが意味する答えは──


「……被爆したのね」


『そういうこった』


「禁忌を、まだこんな子供のくせに扱えるだなんて聞いてはいないわ」


 レヴァイアサンは不愉快そうにそっぽを向いた。


『オレだって聞いちゃいねぇよ。だがなあ、青くっても腐っても銀龍族のお姫様ってこった』


 唾でも吐くように、「制御も何も教えられていない子供が、この、私に重傷を負わせるなんて……」、レヴァイアサンは少女──銀龍族の姫に視線を向けた。


 ハトラレ・アローラの亜人は、幼少期を司る能力に見合った形式で構築し、制御することを覚えてから、独自に利用するという基礎鍛練を学舎で習う。司る能力は魔術と違い、他種族が真似できるようなものではない。まさしく種族それぞれ、人それぞれ個性によって生まれる能力の顕現である。能力を自在に使える段階になるまで技術を磨くには、長い基礎鍛錬を磨かなければならないだろう。


 しかし、少女には学舎で基礎鍛練を習った経歴はない。それどころか、彼女は全ての生けとし生きる者の細胞を破壊し、腐らせ、死に至らせる、その力の根源を司る血族の子孫であり、禁忌である能力を宿して生まれた少女である。


 それは全ての生物を破壊しかねない能力であり、ハトラレ・アローラはおろか人間界でさえも危機に堕としいれ、自らを死滅させる恐れがある。宿して産まれるのは銀龍族でもごく稀であり、人間との混血種にしか能力は受け継がれないとされている。それが未熟である幼い少女の内に秘められていた。


 人間との子。その子孫が、メアを塞がりにくい裂傷を負わせた少女。


 危険人物として長年の間、屋敷内から出ることを赦されなかった少女が何故、人間界にいるのか。


 少女の陰から無数の骸が──人間や亜人など関係なく骸が溢れ出す幻想が浮かび、レヴァイアサンは感じたこともない恐怖が震え上がる。


 このままでは、死滅される。そう感じたレヴァイアサンは、今此処で少女を殺されなければ、愛おしい者や何もかもが消されるのではないか。と思ってしまったのだ。


 レヴァイアサンは膝の震えを必死に殺し、立ち上がった。しかし、視線が定まらない。血でむせて、咳き込む。まだ薄皮もはっていない傷口が広がり、激痛が走る。苦悶の表情で、少女に憎悪と嫉妬、恐怖とかが色濃くなった。


「人間との混血のくせして、私を戦闘不能にさせる小娘なんて……」


 レヴァイアサンの目頭から雫がこぼれ落ちた。


 残された気力を振りしぼり、一歩を踏み出した瞬間、操り人形が糸が切れたように倒れる──


 その前に。


 ぽん、とやわらかく、レヴァイアサンを受け止めた。


「無茶はしてはいかんぞ」


 優しい声音。声の主は、穏やかに照れくさそうに笑った。


「実に、面目ない話だが……不測な事態が多発していて、ひとつひとつ、片付けている段階だったが、まさかロタン──レヴァイアサンが訪ねてくるとはな。お迎え出来ぬ申し訳ない。だが──」


 レヴァイアサンは薄れていく意識の中で、彼の声を聞く。




「拙者の愛娘には、手を出さないでいただきたい」





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