表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/143

第二章 五




 森に続く道を駆けていく彼の姿を森を抜けた辺りにある自販機まで駆けていく少年を見送った少女は、物足りなさにペットボトルの中を覗き込んでいた。


「まだすこしある」


 数適程だが残っている。逆さまにして口に流し込めば、完全に飲み干すことになる。


 往復五分もかからない道のりだ。少し待てば、少女の手元にオレンジジュースを届けられるだろうが、少女は我慢が出来ない。


 ペットボトルを逆さまにして、数滴ほどのオレンジジュースを残さず流し込んだ。


 あとは、少年を待つだけだと空を見上げていると──


 空間が歪んだ。


 轟音が吹き荒れ、晴れ渡っていた青空を覆い隠すように真っ黒な群雲が渦巻いている。


 少女は何やら腹の底に冷たいものが落ちるのを感じて立ち上がった。


「なんだ、あれは……?」


 少女の問いに答えたのは、言葉を交わすことが出来る剣だった。


『あれは、そうだな──』


 少女は、脇の革帯に付けられた剣のキーホルダーに目を向ける。


 厳かに口を開く、剣のキーホルダーの言葉を持つ。


『敵だな』




 力の一端、少年の体の周囲に巻き起こっている風を、彼女は両断する勢いで剣を持って、飛びかかる。


 ゼノンは、気配や集中を機敏に感じ取っていた。達人であれば、この風を切り裂き、様々な活路を見出だせることも出来るだろう。しかし彼の現在の持ち主は彼女だ。


 彼女が自分を扱うには幼なすぎる。


 ゼノンが現在における任務は、可能な限り“人間の少年を救い、この障気の風の中からの脱出する”といった最小限の助けのみに尽力を果たすだけだろう。


 彼女には、僅かながら敵の気配や集中を機敏に感じ取ることが出来ている。窮地を覆してしまうほどの力は期待は出来ない。細かな攻撃や防御の誘導など、この幼い彼女の前にはなんの役にも立たない。対峙は甚だ危険。自分がどんな能力をもってしても敵は易々と煙に巻いてしまうのが落ちだろう。この障気の竜巻を発現させた敵は、今の彼女には恐るべき強敵だった。


 少女の手元で翻弄される剣が、


 ──やはりまだ幼い彼女には、酷な攻撃をしないでおくのが……


 と悠長に四半秒、考えている間に、


 ズドンッ、と、


「っがは!?」


 その強敵が瘴気の竜巻を反時計回りに襲い掛かった。


 瘴気の竜巻を突き抜けて、拳撃が構えていた大太刀の横を擦り抜けて、彼女の胸郭へと鋭く重い打撃を叩き込んでいた。メキメキと肋骨が拉げる感触の中、それでも逆襲の叫びを、幼き銀翼銀髪の少女は上げる。


「わ、わたしが……、この──を、まもらなければ、ならないのだ……」


 信念のような言霊を口にするや、剣に急に流れ込んだ彼女の力を反映させ、白銀の光りが刀身に帯びる。それはまだ幼子とは思えない力の奔流。少女はまだそこにある相手の拳を掴み、相手の懐に一撃。


「っだああ!」


 気合いの一閃。白銀の爆発を起きた。


 瘴気が吹き荒れる竜巻の中空に防御の術式が展開し、火花が閃き、少女の司る力が流され、白銀に帯びる力を宿したゼノンを相手は瞬時に弾く。


「……う、ぐ」


 爆圧で少年は宙を何度も高速で振り回され、苦悶から呻き声を漏らす。だが爆発により彼は竜巻の軌道から外れ、脱出することに成功した。


 しかし、軌道から外れたことにより、少年に浮かせていた風力がなくなり地球の引力に引っぱられていく。


 天地が何度もひっくり返りながらも、彼は森林の方へと墜ちていった。


 空中で浮かぶ少女は、それを確認した。片手で拳撃を受けた胸を押さえつつ、少年を助けに白銀の翼を開き、羽ばたかせる。


 しかし、彼女が竜巻から出るよりも前に相手に道を塞がれた。


「ジャマだッ!!」


「ふふふ」


 相手は深い青色を基調とした闇と血のような深紅のドレスを纏った、ぞっとするほど美しい女性である。顔半分を隠した蛇面と嗤う口元が不気味さを演出させている。


 携えている剣は闇を放ち、自分の身長を遥かに長い大剣。闇色に染まった龍の骸骨を装飾した不気味な剣に、眼で見てわかるほど邪悪な力を放っていた。


 それはまるで対峙した者を死へと誘う死神か──または闇の中に降り立った悪魔の姿を思わせる。


「……ッ、あれ、は──なんだ?」


 蛇面の女性はゆらりとした動作で、こちらに視線を寄越した瞬間──全身を無数の針で突き刺されるかのような悪寒が襲ってきて、白銀の少女は言葉を止めた。


 少女は目を見開き、ほんの数秒だけ呆然と立ち尽くす。我に返ると奥歯を噛みしめて、銀翼を大きく広げて、刀を構えた。


 竜巻に顕れた蛇面の女性を一瞬たりとも視線を外さすことが出来ないでいた。額から汗が垂れ、頬を伝ってあごから落ちる。


 逃げろ、と。


 それくらいに。


 今目の前に現れたモノは、圧倒的な力を有していることがわかった。


 現在の自分の能力をもってしても勝てない、下手を撃てば殺されかねない恐怖が、本能的に察知する。


 ──これは。立ち向かってはならぬものであると。


「久しぶりですね、ゼノン。銀龍族の姫と共に、地球へとわざわざ逃亡してくるなんて、そんなにファーブニルのオルム・ドレキのところが厭だったの?」


『レヴァイアサン──いや、ロタン。【創世敬団ジェネシス】の幹部であるてめぇが人間界に何しに来ているんだ』


「いろいろとあるわ。そのいろいろとある用事の一つに、その幼い姫様とあなたが含まれているのよね」


 レヴァイアサンは、銀翼銀髪の少女を見やりながら、ゆっくりと空を滑るように近づいてきた。


 そして少女を見下ろしながら、小さく唇を開く。


「あなたが水無月龍臣が言っていた愛娘ね」


「父をしっているのか?」


「ええ。よくとご存知よ」


「なぜ、しっているのだ?」


「ふふふ」


 レヴァイアサンは、次の問いには答えず、ほくそ笑んだ。


 少女は思考を巡らせた。何故、この女──レヴァイアサンはなぜ、父親──水無月龍臣を知っているのだろうか。そして、レヴァイアサンがなぜ、こんなタイミングで、此処に現れて少年を巻き込むような攻撃をしかけたのか。


 ──しんようしていいあいてではないのは、たしかのようだが……。


 レヴァイアサンを不満不審の眼で見据える少女の手元で、剣──ゼノンが不機嫌な声を出した。


『ロタン──レヴァイアサン。その誰からとは、ルシアスか?』


「ええ」


 レヴァイアサンはゼノンの問いに頷いた。


 ルシアス。


 【創世敬団ジェネシス】を束ねる長にして、テンクレプの実弟にあたる。


 人類の敵にして、ハトラレ・アローラに災厄を齎した悪魔だ。


「お嬢ちゃん、私と行きましょう」


 レヴァイアサンは少女に告げ、手を伸ばす。少女は眉間に不機嫌さを表して、


「イヤだ」


 掌を払い、レヴァイアサンの誘いに少女は抗った。


「どうして、きさまなどについていかなければならぬのだ。せっかく、ともができてゆういぎにすごしていたのに、じゃましおって」


 空気が一変する。あからさまにレヴァイアサンの表情から笑みが消えた。


 異変を察したゼノンがすぐに対応できるように魔力が高める。ゼノンから数瞬の間をおいて、その膨れ上がる緊張感をレヴァイアサンから”厭な予感”として感じとった少女は身構え、暴風の音が耳に入らないほどの集中力で少女はゼノンに力を注いで、対峙するレヴァイアサンを見据えた。


 何年の刻が流れたかのような、一拍の間を置いてから、


「ひひひひひひひひヒヒヒヒぃぃぃぃッッッッ!! やッぱりィ、こうでなくちゃァァ!!」


 レヴァイアサンは爆発的で不快な笑い声を上げた。


 敵意をむき出しにして、躯から邪気を放ち、電光石火の如く速さで少女へ闇剣を振るい、横殴りに斬りつける。瞬時に結界を張り、少女は受け止めようとしたが、未熟なために簡単に斬り破られる。


「くっ……」


 少女は苦しげな表情を作りながら、寸前のところでゼノンを盾にして防ぐ。


 そして──


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ────ッ!!」


 裂帛の気合いとともに、間合いに入ってきたレヴァイアサンを目掛けて、ゼノンを一閃させる。


 するとその太刀筋をなぞるようにゼノンの刀身に白銀の光りが宿りはじめた。


 その光りは次第に強くなり、迫りくるレヴァイアサンを斬りつける。


 しかしレヴァイアサンはそうさせまいと、剣で受け止める。


 自身を守る結界を張らずに相手の攻撃を鍔迫り合いや刀身で受け止めて防ぐ、という行為は幼い銀翼銀髪の少女にとって、対処能力の限界に近かった。


 普通の人間ではない、力を身に秘めてこそいるものの、所詮は幼い子供である。相手の攻撃に上へ横へと振り回され、それだけで息が上がってしまっている。


「はぁ、はっ、ちょ、ちょこまかと──っ!?」


 言葉を終える前に、レヴァイアサンの攻撃が始まった。




      ◇




 森林の中腹で、顔色を蒼白にした少年が呟く。


「な、なんでぇ…………っ、……」


 しゃがみ込んで、急激に襲ってきた吐き気を抑える。


 少年は、日常と非日常の間に取り残されていた。


 先ほどまで知り合ったばかりの銀髪の少女と過ごしていた丘付近が今、まさしく地獄絵図のような惨状となっていたのである。


 突如、湧き起こった瘴気を伴う竜巻で吹き飛ばされ、巻き込まれたところを、その危機を知り合ってまもない銀髪の少女に救われた。


 しかし、一難去って、一難。竜巻を発生させた張本人らしき者が襲来した。彼女が少年を護るように前に踊り出て、相手の拳撃に合うものの、少年よりも一、二歳下とは思えない力で反撃した。炸裂する白銀の光り、降りかかってくる衝撃波により、少年は竜巻の外へと追いやられ、森林に墜落。


 少年は幸いにも木や粘土上の柔らかい湿った土が衝撃を和らげ、擦り傷一つなかった。が、中腹から見下ろした丘は無事では済まなかった。全ての自然が粉砕され、まさに酸鼻の極みと言うべき惨状を呈していた。穢土と化している。穢土とは、すなわち穢れの土地である。


 竜巻が発生された辺りから丘の上まで、木々や草花、小動物が衰弱していき、侵食され死に絶えていった。殆どの生けとし生ける者が肉片が腐り落ち、骨は熔かされ、跡形もない。それは、死道のよう。


 死道の上で、どうにか瘴気の靄から逃れた人間の男性がいた。しかし山菜狩りに来たであろう格好をした男性の下半身が肉片が腐り落ち、骨だけになっている。


 助けを呼んでいるのだろうか。もしくは逃げろとを呼びかけているのだろうか。あるいはその両方だろうか。男性は必死に呼びかけている。しかし少年の耳には遠すぎて届かない。


 男性の呼び声に誰も気づかないまま、彼の元に瘴気の靄が再び忍び寄るのを確認した。瘴気の靄は、意思でもあるのかのように風向きを逆らうように進んでいる。


「あっ」


 という間に、近づく瘴気の靄が男性を飲み込み、通り過ぎた時には跡形もなくなっていた。そこに、人がいたという痕跡さえ残さず。


 その光景に少年は腰を抜かし、近くにあった木に縋り付くように倒れ込んだ。


「い、いったい……なにが……どうなって……」


 少年は、そのあまりに凄惨な光景を生み出した、瘴気を伴う竜巻を、竜巻の中で激闘しているであろう彼女を、湧き上がった銀色と赤銅色の光を振り仰ぐ。冷や汗を頬に拭い、震える唇を噛み、できるだけ蒼白な顔を上げて立つ。


 その膝は、常の力強さしなやかさを失い、ガクガクと震えていた。しかし大地で立つ幸運を踏み締める。もしも衝撃波で吹き飛ばされなければ、少年は竜巻の中で瘴気に犯され、吹き飛ばされた障害物に、この大地に生きて立てなかっただろう。しかし彼女は違う。今もあの竜巻の中で、何者かと戦っている。


 そんな彼女を背に逃げ出す、という行為は出来ない。だが、戦いに加わろうという矜持、自信もなければ、彼女を救い出す希望的作戦もない。少年に残ったのは、せっかく仲良くなった彼女を救い出すことが出来ないという大きな屈辱だった。


「くそっ!」


 少年は、どうしようもない自分を、心底から罵倒した。


 悔しさ、ただそれだけ。


 悔しさ、それを感じていながら、体も心も思う方向に動いてくれない。


 彼女は、人間ではない。竜巻の中で、二対の白銀の翼を背に生やした人間離れした少女の姿を見て、確信した。


 その前に、いろいろと言動や態度が少しばかりか引っかかていた部分があった。しかし、彼女が人間ではないと知ったとしても不思議と恐怖はない。


 そのかわりに、煌びやかに揺れ、流している髪もきらめく白銀が発光をしているかのように輝き。どこか高貴な印象を受ける少女の姿を英雄のように感じたのだった。


 救いたい。


 しかしどうにも出来ない。


 体は強張り、心は竦みあがってしまっている少年に分かったのは、人間ではない者同士の戦いには、気構えや努力ごときではどうにもならない、絶対的で絶望的な差がある、ということだけ。


 『どうせ人間には』という諦観や『彼女を救いたい』と恩返しのような気持ちと、必死に戦っていた。


 ──戦場の中に踏みとどまり、少女を助けたい。


 ──でも、怖い


 ──恐い。強い。


 ──あれをまともに相手しては、あの子どころか自分も殺されちゃうんじゃないか。


 ──このまま見殺しにするのも嫌だ。


 少年の中で葛藤する。


 強張り過ぎて震える手を、その掌に握られた──を胸に当てて、思い出す。


 銀翼銀髪の少女と、約束したことを。


 手持ち金は三百円で、


 ──『まあ、あといっぽんくらいはかえるよ』


 ──『わかった。まっている』


 パッと、向日葵が咲いたように明るい微笑みを浮かべた少女の姿を。


 オレンジジュースを奢ると約束したことを。


 少年は決めた。


 その刹那──


「ここにおったか翼くん?」


 背後から、少年の名を呼ぶ聞き覚えがある声がした。




      ◇




 少女は、攻撃の間も与えられず、防御一方。レヴァイアサンの攻撃に翻弄される。


「くっ……」


 何度も少女の眉間めがけ、至近距離から刃が飛び、それを紙一重で交わしている。鍔ぜり合いにさえも持ち込めない。


 白銀と黒青、中空における幾度目かの際どい交錯を経て、距離を取った。


 少女は、レヴァイアサンの攻撃をほとんど直感で避けているため、このままの状態が続けば、直感だけでは避けきれなくなり、いずれ殺されてしまうだろう。


 ──ヤバいな……。


 レヴァイアサンは頬を上気させ、狂喜に満ちた表情──いわば興奮状態ではあるが、頭の中は常に氷点下のように冷静。彼女は、殺戮を遊び程度に楽しむ姿から彼女は、【創世敬団ジェネシス】内でも【戦闘狂ナイトメア】として恐れていることを熟知していた。


 ──完全に遊んでいるな。飽きたら、お嬢ちゃんが殺されちまうぞ。


 ゼノンが少女の身を案じているなど露知らずに、銀翼銀髪の少女はレヴァイアサンに向かって飛翔する。


「やっと、わたしのばんだ!」


『ま、待て、早まるなっ!』


 ゼノンの制止の声を耳にも止めずに、少女は獲物を捉えた鷹のごとき勢いでレヴァイアサンへ無謀な突進する。


 丘全域を覆う規模の竜巻とはいえ、その中は狭い。瘴気の靄が立ち込めている分、自由に飛行する距離は限定される。見る間に双方の距離が詰まる中、ゼノンは少女から身の内に湧き上がる、巨大な力の予兆を感じ取っていた。


 ──なんだこれは!?


 それは少女から注ぎ込まれていた。


 意図的にではなく、ほとんど無意識に少女が突進の先端、ゼノンの切っ先に、莫大な力を注ぎ込まれる。すると、切っ先から刀身へと白銀の光りが煌々し、巨大な光の剣が構成される。


 その刹那。


「っ、はぁっ!!」


 少女は急制動をかけた。その反動を利用し、見えない地面を回る独楽のように、光の剣を神速、横殴りに振り抜く。巨大な光りの剣が、撃の体勢で突進してくるレヴァイアサンに向かい、バットのスイングのように推力を生かした一撃が横殴りに振り下ろされた。


「はああああああっ!!」


「なっ!?」


 レヴァイアサンを斬りあげたと同時に、空間が圧縮され、壮絶な白銀の爆発が湧き起こった。


 破壊力の乱気流。その壮絶な嵐が竜巻の内部に沸き起こり、気流は乱れ飛び、外部では大地に竜の爪跡のような裂け目が走り、衝撃波が暴れ回る。竜巻は白銀の破壊的な力に負ける形で粉砕し霧散。少女とレヴァイアサンは地響きと土煙をあげて森林に落着する。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ