第二章 四
「ん?」
背筋に悪寒が走った。どうしてかはわからない。ただの気のせいだと思いながら、首を回して己の背中を眺め下ろし、特に冷水などを浴びせかけられたわけでもないことを確認する。
──悪寒か。
──人間のように風邪は引かないし、それで悪寒が走ることはないから、悪い知らせの可能性は高いかな。
そう判断して、南方大陸ボルコナの首都カグツチにあるもう一つの収容施設で勾留されていたゴーシュ・リンドブリムは、今日も一つの事件と一つの戦争の調書を終えて、廊下に出た。
彼が五年前に起こしたゼノン強奪事件に関して、ゼノンとファーブニルのオルム・ドレキに仕える守護龍と巫女たちを惨殺した件に関しては、不可解な点が多く、犯行時間時にゴーシュが少し離れた玄武の領地であるスサの検問付近で、義妹であるシルベットの愛について語っているところを目撃した証言が幾つかあった。これまで元老院議員──特にガゼルに成り代わっていたアガレスによって隠されていた証言であった。それは検問近くに施されている術式によって〈メモリーキューブ〉に記録されていた。日付や時間帯も作られたもの可能性は低い。惨殺についてのアリバイが確定した。だが、まだ全ての容疑は晴れたわけではない。
ゼノンを持ち出した件に関しては、これといって変わらずに疑われている。疑われるも何もゼノンを持ち出したのはゴーシュであるのだから仕方がない。だとしても、そう易々と認めることにはいかず、こうして何回も調書を取っている。
まずは人間界──日本にある【謀反者討伐隊】の人間界日本支部、ハトラレ・アローラ──中央大陸ナベルにある憲兵団本部、現在は南方大陸ボルコナの首都カグツチにある警察庁へと身柄を移送され、留置所で勾留されていた。
南方大陸ボルコナの首都カグツチの港から程近くこの留置所には潮風が吹いており、少しだけ鼻腔をしょぱげな薫りがくすぐる。
ゴーシュは、南方大陸ボルコナの首都カグツチの景観を興味もなさげに眺めながら、廊下を警備官に連れながら歩いていると、次の勾留人を見て足を止めた。そこには二、三人の元老院議員とファーブニルのオルム・ドレキ、そして──五人もの憲兵と警備官に連れられてきた後ろ手で繋がれた青年だ。
青年には泥や血が付着し、何だかイカ臭く衣服を着て、死んだ魚の眼をしていたが、中性的な端正な顔立ちは変わらない。女性受けが良く、男性には妬まれるそんな顔をした白髪の青年が後ろ手に手錠がかけられて確保されているのを認める。ゴーシュは呆れ顔を浮かべる。なぜなら、見覚えがある顔だったからだ。
それは、白蓮だった。歩を止めて、よく観察していると、ゴーシュは白蓮の口元が小さく動いているのに気が付いた。学舎で読唇術の心得ているため、会話の内容は少しだけわかった。
ファーブニルのオルム・ドレキが口を動かす。
『さあ、お前が知っていることを吐いてもらうぞ』
それに、白蓮が苛立ちを露にした顔をファーブニルのオルム・ドレキに向ける。
『知っているも何もゴーシュとは何もねぇよ……。それよりもオレとハニーたちの宴を邪魔しやがって……』
噛みつくように口元を動かしてから、『早くハニーたちの……』と手を震えながら口を金魚の如くパクパクしながら目をキョロキョロとして辺りを彷徨わせる。悪い子はいないか、と探す鬼のようだ。白蓮の場合は、女の子はいないか、だが。
辺りを見回していた白蓮がゴーシュの存在に気付いた。そしてゆっくり息を二度ほど吐き、白蓮は死んだ魚の眼でこちらを見据えながら振り向き、
「……はあ。ゴーシュか……。捕まったんだよ。人間の女性たち──つまりハニーたちと楽しんでいたら、【謀反者討伐隊】やら憲兵やら乗り込んできて。さらにそこは違法風俗だったらしく、向こうの警察までも身柄を確保する始末さ。それから、ハトラレ・アローラに強制送還。これからお前と会った時の取り調べだよ。どうしてくれんだよチクショー」
ゾンビのような挙動でこちらに方向を変えて、訊いてもいなければ、まだ言葉を発していないゴーシュに白蓮は答えている。
「へえ。まだ何も訊いてないのにベラベラと教えてくれてありがとう。うん、なるほどね。だとすると、人間界でも捕まって裁かれて、ハトラレ・アローラでも裁かれるとは、どの世界線に行っても奈落に落とされる運命なんだね」
「おっちょくとんのかいっ!」
「皮肉てるだけさ」
「おっちょくってたんのかいっ!」
白蓮は、どこで覚えたのか関西人のノリツッコミをした。そんな彼をゴーシュは苦笑する。
少しめんどくさいな〜、と考えたところで、前にいた警備官が手錠を繋ぐ縄を先を促すように引っ張られたので、ゴーシュは警備官の判断に従うことにした。
「まあ元気そうで何よりじゃないか。どうやら廊下で長話はダメなようだから、ボクはこれで」
「おいおい、勝手にまとめるなよ!」
ゴーシュは引き留めようとする白蓮は、警備官と手錠と縄で繋がられているにも拘わらず、強引に向かっていく。後ろ手で繋がれていた腕を回し、バキボキと音を立てて、軟体動物のように両手を前に戻そうとする。
白蓮──白龍族は龍族の中でも軟体と呼ばれるほど躯が柔らかいわけではない。人間態の腕の稼働範囲は人間とは変わらなず、硬くもなく柔らかくもない。そのため、稼働限界を越えた範囲で腕を回せば、肩の関節が折れてしまう。それでも構わず、両腕を必死に前に持ってきて背を向けたゴーシュの肩を掴んで呼び止めようとする。うぐぐ……と痛みを堪えてまで止めようとする彼に何の意図があるのか。
亜人は治癒力に関しては高いため、骨が折れても早くとも数時間、遅くとも三日あれば元に戻る。それでも痛みは人間と同じくあるため、相当痛いことは間違いない。それ以上は、止めた方がいいと声をかけようとした時──
バギッ! と白蓮の肩から鈍い音がした。どうやら折れたらしい。それに構わず、ゴーシュの肩を掴み、ゴーシュを強引に振り向かせる。折れたにしては力強かった白蓮の両腕に、警備官が犬を引き止めるように引っ張られ、バランスを大きく崩される。バランスを崩した白蓮は足を勢いよくつんのめり、盛大にゴーシュの胸元にもたれかかる。
「何を勝手にもたれかかってんだい?」
「すまねぇ……──って、おい! アメリカの警察官みたいに、無理矢理に床に押し付けんなよッ!」
謝ろうとして顔を上げた白蓮を、警備官は三人がかりで乱暴に引き離して床に押し付けられ、動きを封じられてしまうのをゴーシュを見下ろす。
「今のは、警備官の制止を振り切って乱暴にボクを振り向かせたキミが悪い。此処は、大人しく拘置で待つべきだ」
ゴーシュはそう言って、振り返らず、自分が勾留されている室内へと警備官と一緒に向かった。
立ち去る同期生の背中を白蓮は見つめる。彼の熱視線を背中で感じて、やれやれ、とゴーシュは肩を竦める。
そして、もう一つ。白蓮とは異なる熱視線を向ける者がいた。
それはファーブニルのオルム・ドレキだ。犯人を追い込もうとする粘着性が高い刑事の目を立ち去るゴーシュに向けている。我が物当然のようにゼノンを独占し続けた彼にとっては、ゼノンを一報も寄越さずに持ち出したこともさることながら、行方をくらまし、何処かに無くしてしまった(一応、そういうことになっていると見ているようだ)ゴーシュは、どんでもない不届き者に違いない。
──まあ。
──ファーブニルのオルム・ドレキが自分に向いている間は、人間界──日本にいる清神翼とシルベットの元にゼノンがあるとは考えないだろう。
──その間に、バララやテンクレプ、朱雀──煌焔、そしてお義さん──水無月龍臣が上手い事を進めていることを祈っているよ。
──でもね……。
後ろから二人の男性に熱視線を感じながら、ゴーシュは少しだけため息を吐いた。
──少しはモテすぎてはいけないようだよ……。
──さっきの悪寒は、悪いことが起こる前触れかな……。
ゴーシュは少し先行きを怪しくなったことに不安が募りながら、南方大陸ボルコナの留置所で取り調べを受けている間、就寝と朝食と夕食時に過ごす牢への道のりを歩いていった。
◇
一千キロメートルほど離れた町外れ、高台にある雑居ビルの屋上で、全身を黒の衣服を身に纏った女性──美神光葉は〈魔彩〉の術式に〈見敵〉と〈空間把握〉を加えて展開させていた。一千キロメートル離れた留置所を俯瞰するかのような空間が美神光葉の視界に立体的に映し出され、各所に蠢く人型を象った色彩豊かな揺らめく光の中から目当て人物の魔力の様子を窺っていた。
見張りに気づかれないように、魔力反応を見つからないように〈結界〉を張り、物音を相手に聴認させないための〈無音〉、保護色に守られた昆虫と同じように相手に視認されないように接近できるたもの〈景色同化〉の魔術を二つを重ねがけに加えて、〈高温感知〉により視認しにくいようにしてある。
音声やより鮮明な映像を拾えていたのなら、なお良かったが、〈盗聴〉の術式で音が拾える範囲からは大分離れているため仕方ない。もう少し近づきたいのも山々だが、留置所の周囲には外部から〈盗聴〉、〈盗撮〉の術式を無効化にしてしまう〈結界〉が張られており、見張りが少しの魔力反応に気付き、見つかってしまう恐れがある。ここは、様子見だけに留めておこうと窺っていたが──
美神光葉は術式を解いた。
「……まさか、白蓮が連行されてくるだなんて…………。同窓会か何かですか……。留置所が同窓会の会場になられても困りますが」
「メア・リメンター・バジリスク様、赤羽綺羅様、水波女蒼天様、そして美神光葉お嬢様が揃えば、まさしく同期生にして、【部隊】が揃いますね。ですが……私としては、留置所が同窓会の会場にしますのはいかがと思います」
「当たり前でしょう……」
美神光葉はすぐ後ろまで歩いてきた老紳士──彼女の執事たるシンに振り返らず、前方に向けたまま言った。
「ですが……このままでは、いけませんね。私たち美神家は多重間者の身です。今回は見逃してもらえたからいいですが、こちらの正体を知られたことにより、煌焔にはいつでもこちらの秘密を洩らされる恐れを孕んでいます」
「いつでも弱味をつけ込まれてしまいますからね」
「ええ……もう、つけ込まれていますが……」
美神光葉はため息混じりに頷いた。
美神家が【異種共存連合】、【謀反者討伐隊】、【創世敬団】の多重間者として活動していることはラスノマスや煌焔はおろか、ファイヤードレイク、エクレールら複数に知られてしまっている。間者として、正体を知られてしまったことは一生の不覚といっていいだろう。
「覆面とかして、不容易に正体を隠さずに清神翼、シルベットを保護を実行すれば良かったと今更ながら後悔していますが…………後の祭りでしょうね。煌焔やファイヤー・ドレイクの場合は、命令を訊いている限りは洩らされる恐れはありませんからいいでしょう」
美神光葉は、煌焔は多重間者であることを洩らさない代わりに“あること”を頼まれている。それを了承することにより、美神光葉とシンは簡単な聴取だけで済んでいる。もし煌焔の条件を飲まなかったら、人間界とハトラレ・アローラの五大陸の留置所で何回もの取調を受け、ゴーシュと白蓮がいる留置所にいた可能性はあっただろう。そう考えれば、ちょっとした同窓会が冗談では済まなかったのは間違いない。
「しかし、ゴーシュ・リンドブリムも相も変わらない義妹愛に溢れた約束事を取り次いできましたね」
「ええ。人間界で身柄を確保されていた時に口止めとして暗殺しょうと考えましたが……ゴーシュから“清神翼とシルベットを護ってくれるなら話さないでおくよ”と監視をかい潜って〈念話〉で伝えてきましたからね。サンドイッチを美味しそうに食べながら、でしたけどね」
美神光葉は、ゴーシュが人間界で身柄を確保されていた時のことを思い出す。彼女はゴーシュが一人になる隙を窺っていた。せっかく煌焔に見逃してもらえたのにゴーシュが軍警に話されては困る。
ゴーシュは美神光葉が潜入工作員であることを既に嗅ぎ取っている。これまでは、彼が【謀反者討伐隊】や軍警に義妹関係で不信感があったために、美神光葉について密告してはいなかった。それどころか、学舎に通っていた時や同じ【部隊】で活動していた時に助けてくれた時もあった。
だからといって、彼は美神光葉の信頼がある味方ではない。ゴーシュはあくまでも義妹──シルベットの味方だ。シルベットと美神光葉のどちらを肩を持つとしたら、十中八九、義妹を選ぶだろう。ゴーシュとはそういう男性である。
シルベットに危機が訪れる可能性、もしくは密告することにより危機が回避できる可能性があるとするなら──彼の捻くれた性格上では、すぐには口を割らないだろうが可能性としては決してではない。
美神光葉が潜入工作員であることを軍警に密告し、捜査がこちらに及ぶ前にゴーシュに口止めをしなければならない。彼が留置されている場所を探り当て、潜入。本人が軍警に美神光葉の正体を告げていないか確認をする。決して密告しないことが約束されなければ、このまま生かしておく道理はない。問題は、もうその事実を他の誰かに告げたかどうか、が最重要事項である。
もしもゴーシュが美神光葉の正体を密告していたら、出来るだけ証拠隠滅をはかるために奮闘しなければならない。密告していなければ、密告しないことを取りつける。卑怯な手だがゴーシュが捕まっている間はシルベットを護ることで約束させる。それならば、煌焔に頼まれたこと実行しながらでも出来る。取りつけられなければ、助け出すと見せかけて、誰もいない場所で殺すしかない。
だが、ゴーシュの場合は取りつけても話す可能性は十分にある。しばらくは見張りを立てて様子を窺らせるしかない。少しでも不審な動きをしたら、暗殺の一択しかない。だが、生半可な暗殺者にやられてしまうようなヤワな男性ではないことは美神光葉は知っている。シルベットを護ることで口止めをしたいのだが──
美神光葉は、取調員のバララとファーブニルのオルム・ドレキと数人の元老院議員らが監視室から離れた後、好機だと思い、監視室と取調室に赴いた時にゴーシュが彼女の気配に気づき〈念話〉で伝えてきた。
『美神光葉。我が愛しい義妹──シルベットと、憎たらしいけどシルベットが初めて好きになった未熟な人間の少年──清神翼を手助けてくれ』
美神光葉は、一切自分がいるということをゴーシュには知らせてはいない。近くにいることも。口止めに暗殺しょうとしているのだから、目標にわざわざ自分のことを教える莫迦はいないだろう。にも拘わらず、ゴーシュは近くで様子を窺っている美神光葉に気づいた。〈念話〉を傍受されない微弱の魔力で回避し、相変わらず義妹愛を伝えてくる。
取調室内に編み込まれた〈念話強制傍受〉の発動は取り調べの監督責任者の元で、手動・自動で行っている。現在は、昼休憩として数人の見張りと監視がついている。外部への接触と〈念話〉は禁止されているが、数人の見張りと監視をかい潜り、仲間に〈念話〉で連絡を取り脱走といったことを起こさないように、外部への〈念話〉は術式の発動を少しでも確認すれば自動で監視室に傍受し、会話を録音・録画されることだろう。
ゴーシュのように術式が発動しない少ない魔力量を見計らって、〈念話〉を送ることは並大抵では出来ない。微弱な魔力量だけで術式が発動するのでさえ、至難の技だというのに、彼はいとも簡単にやってのける。化物じみたゴーシュに対して、美神光葉は気持ち悪さと得体の知れなさがプラスされた。そんな彼女にゴーシュは続けざまに伝えてきた。
『もしも、護ってくれたらキミが多重間者であることは証言しない。約束しょう。キミもわかるだろ? ボクは愛しいの義妹──シルベットが絡むと約束を決して破らないことを』
美神光葉は思考する。ラスノマスに、これまで捕らえてきた人間の少年少女たちを美神家が密かに保護していたことがばれてしまっただけでなく、多重間者であることを知られてしまい、【創世敬団】に知られてしまった恐れがある彼女にとって、上級種族である彼を暗殺する手間も省けて、間者としてこの苦境を乗り切れるにはいい申し出には違いない。
だが──
そう簡単にゴーシュの提案には乗ることは出来ない。確実に話さない、絶対に伝えないといった信頼感を得なければ、傍受される危険性を冒してまで応じるわけにはいかない。
ゴーシュの言葉は、口を割らないことでシルベットの生命に危機が瀕した場合は、簡単に破ってしまう恐れを孕んでいた。学舎からの付き合いである美神光葉はそれを痛いほど知っているからこそ、美神光葉はもう一声がほしい。そんな彼女の意図を察したのか、ゴーシュが〈念話〉で伝えてきた。
『まあ……すぐに応じることはないと思っていたけど、キミとボクとではまだ信頼度は低いようだね。ボクがキミに対して信頼度は高いんだけどね……まあいっか。じゃもう一丁。──キミが知りたかった“あの遺跡”について教えてもいいよ』
──え……?
ゴーシュの言葉に思わず驚いた。
“あの遺跡”とは白露山にある“あの遺跡”のことだろうか。それ以前に、美神家が白露山の遺跡について、何故ゴーシュが知っているのだろうか。美神光葉はゴーシュがいる取調室を怪訝な表情で見つめていると──
どこかで術式を行使して彼女を視ているのか、〈念話〉で伝えてきた。
『キミのことは何でもお見通しさ。まあ大体の見当くらいだけどね。シルベットの様子をちょくちょく教えてくれるなら、少しずつ教えてもいいよ。留置所から出た時にでも、一気に教えてくれてもいい。こちらもそれくらい教えられるくらいの情報を教えてあげよう。まあ……それだけだと、正体を隠さなければならないところで隠さないといったことをしてしまったという抜けている割りには、妙なところは用心深いキミはすぐに応じてはもらえないだろうね。だから、ここは前払いで少し教えることにしょう』
相変わらず余計なことが多いゴーシュは、美神光葉の返答も聞かずに〈念話〉で伝える。
『──あの遺跡は、人間が創ったものじゃない。勿論、亜人でもないよ。“世界が混ざりあっていた時に、残ってしまった異物”、“世界線とは異なる遺跡”とでも名付けて教えておくよ。あとは、他の世界線にも同じようなものがあると思うから調べるといい。あと、キミが潜入工作員をやってたかどうかで密告したことで、そう簡単にやられる義妹ではないよ。我が愛しいの義妹──シルベットはボクよりも強いのさ。ということでボクが出てきた時にでもよろしくね』
写真付き観察日記で教えてくれるとボクはキミに支えることを約束するよ、と伝えてからゴーシュは〈念話〉を切った。私をストーカーにさせるつもりか、とゴーシュに向けて〈念話〉を送ろうと思ったが、こんなことで〈念話強制傍受〉が反応して、会話が録音されてしまっては困るため、素直に応じることにした。
「ほとんど一方的で、勝手にベラベラと語ってましたし、約束を承けたわけではありませんが………前払いとして教えられました以上は、私たちは清神翼とシルベットを助けなければなりませんね」
でなければゴーシュが何をしでかすかわからない、と美神光葉の強がりにシンは無言だったが、仕える主が同期生であるゴーシュに手をかけずにすんだ事に安堵しているように見える。
「当面の美神家は、【謀反者討伐隊】──いえ、煌焔の専属工作員として勤めながら、ゴーシュとの約束を護りますから、そのつもりです。ゴーシュの監視は軍警に潜入させている者に任せましょう。少しだけでも、私たちのことを口にしたという確認したら、留置所を爆破させても殺せと命令を出しておいてください」
「はい。では、残りはラスノマスですね」
「ええ」
現在、ラスノマスは玉藻前に呆気なく敗北したまま、消息が不明のままだ。古代龍の生き残りでたった一人の毒龍であるラスノマスは、人間たちに一族を根絶やしされた恨みを持ち、粘着質な復讐心を持っている。
“龍族の中でもっとも強いのは毒龍でありワシだ”と豪語するほどの自尊心の塊である老いぼれは先日、玉藻前に呆気なく敗北した。それこそ幼女に手を捻られただけでなく、ボロボロと弄ばれて。
圧倒的な力の差を見せつけられ、殺される寸前で〈転移〉してどこかへ逃げていった彼がそう簡単に諦めるとは考えられない。自尊心が高い彼の性格上、そう簡単に負けを認めずに再戦の機会を虎視眈々と狙ってるはずである。
ラスノマスが玉藻前に復讐するためには誘き出すには、清神翼に接触するのが一番だろう。美神光葉がラスノマスを始末する好機は清神翼とシルベットの側にいた方が都合がいいのだ。
「必然か、偶然かはわかりませんが、幸いなことに煌焔からの任務も、ゴーシュの頼み事も、私たちの目的も、人間界に入れば事足ります。……これで失態でも起こせば、隠密家業は絶望的ですね」
美神光葉は、肩を落とした。美神家当主となってしばらく経ったが、お得意様である取引先を一つ失ったのである。これも未熟ゆえに招いた失態といえる。これ以上、お得意様を失わないためにも、煌焔からの任務をこなさなければならない。
凝り固まった躯を軽く動かして解すために大きく息を吸い、吐く。次は、気合いを入れるように一呼吸してから、振り返る。
眼前には、自分に仕える老紳士が腰を低くして傅いていた。何なりと申し付けを、と言わんばかりの優しげで頼りがいがある顔を向けて、主の指示を待っている。美神光葉はこくりと頷いて口を開いた。
「──では、シン。これよりしなければならないことがいっぱいある。簡単な任務ではあるが、美神家にもう失敗が赦されない。気合いを一段と入れて臨むように他の者に伝えてください。配置は────」
美神光葉は、シンに三つの任務の配置を伝えてから、その場から立ち去った。




