第一章 五
シルベットが目標が住んでいる住宅街に辿り着いた刹那、
「!?」
突如湧き上がった巨大な気配に、空を見る。
凡人には視認出来ない空間をシルベットは確認した。
〈錬成異空間〉。
頭上に構築されるのは、ドーム型の〈結界〉。街をドーム状の陽炎の壁が形成されていく。それらは魔力や霊力といった特定の人間たちにしか一切見えない。行き交う人間たちは、それに気づかず日常を過ごしている。障壁を境界線として、内部の地面には火線で描かれた奇怪な文字列からなる紋章が描かれ、内部を世界の流れから切り離される。
〈結界〉の内部には、本物と似て非なる世界を模造されると、〈結界〉内部の頭上には昼間にもかかわらず、紅い月が顕現される。それが現実の世界か偽物の世界との区別となるだろう。
特定の者以外を立ち入られせないように術式を編み込まれると、その者以外は入ることが出来なくなり、獲物を生け捕りにする仕掛け、檻が完成される。
それは、あまりにも巨大な檻だった。よっぽどの強者か、複数の力を合わせないと創れないほどのものだ。先ほど、数ヶ所から強力とは思えないが複数の魔力が発動するのをシルベットは感じたから後者だろう。
「ほう。雑魚の寄せ集めにしては大袈裟な仕掛けだな。よっぽど、あの少年が欲しいようだな。はたまた必死に逃げ回り怖がる少年を見て愉しみ、最後には殺すといった性格が悪いことを考えているに違いない。いや──わざわざ、ご丁寧に逃げ回れるような巨大な檻を用意したのだ。可能性は極めて高いだろう。せっかく日本に着いたのに、暇がないな」
シルベットは、ラーメン屋とハンバーガー専門店の間の狭い路地へ入る。
常人では視認できない加速をもって一気に走り抜けながら、左腕を伸ばして左横に真っ直ぐと向け、掌を広げる。
広げた掌を中心に白銀に光る魔方陣が現れる。それは、シルベットの躯よりもやや大きめに拡がり、左から右へと横滑りしながらシルベットの躯全体を包み込み、服が構成されていく。
魔方陣は通り抜けたと同時に消失し、通り抜けた先に現れたのは、金属のような、布のような不思議な素材で構成されたドレス──戦闘服を身に纏う。
攻撃を可能な限り緩和するように術式を備え、現代の地球上には存在する布よりも柔らかく、金属やダイヤモンドよりも固い素材で仕立てたドレスは、鎧にして城である。
シルベットは、敵の気配が感じる方へと踏み込む。
厚い靴底を持つ編上げブーツが、屋上のコンクリに罅を入れて、人間ではありえない跳躍をもって、飛翔する。その力は上昇と前進によって消え、また新たな踏み切り台が、空中に顕れて近付いてくる。それをまた蹴って、跳躍、前進。
街の死角は、ビルの谷間や裏道だけではない。
上にも、存在する。
建ち並ぶビルの屋上は、下からは見えず、また見上げる者もない。遠くから見咎められることも稀で、仮に目に留まっても、鳥の飛翔、あるいは単に錯覚と思われるのが常だった。
そして、別の方向──右後方より、シルベットと同じように空を飛翔する気配に気づいた。
シルベットは忌ま忌ましめに舌打ちをする。
彼女の態度に、現れた金髪碧眼の少女──エクレールはあからさまに嫌そうな顔をした。
「やっと来たか金ピカ」
「何が『やっと来たのか金ピカ』ではありませんわ。わたくしを置いていった挙げ句、警察を呼ぶとはいい度胸をしていますわね!」
十日前の出来事に恨みを抱くエクレールは声を荒げた。
全身を金色の稲光をほとばらせて怒りをあらわにするエクレールの姿を見ても、シルベットは動じない。彼女には悪いことをした気などさらさらなく、ただ単に一人でうふふと笑いながら自分の世界に入り、花畑で踊ったりして戯れるといった奇行した彼女を慮っての行動である。
「あんな奇行をするイタイ子は、さっさと警察に矯正されればいい。それが金ピカのためになる」
「わたくしのために、とはどういう意味ですのよっ。そもそも警察というところは人の性格を矯正するところではありませんし、わたくしはイタイ子などではありませんわ」
「ほう。ならば、精神科にでも連れていくしかあるまいな」
「銀ピカは、わたくしのことをどうしてもイタイ子として扱いたいんですわね……」
「そうだが。実際に痛々しかったのだから仕方あるまい」
キィー、とシルベットの物言いにエクレールは奇声を上げる。ハンカチとかを噛んで引っ張りたくなる衝動にかられるが、緊急事態のために自制する。そんなエクレールを尻目にシルベットは銀翼を人間から視認出来ないようにとかけていた魔術を解除。たちまち、シルベットの背中に白銀に輝く一対の翼が現れた。そして、その翼を羽ばたかせて、華麗に宙を舞う。
「ちょっと待ちなさい! わたくしをイタイ子といったことをとり──」
「このまま突入だ!」
エクレールの制止を無視して速度を上げたシルベットは、敵──【創世敬団】の張る異空間の檻の中に飛び込んだ。
ドズン、と異空間へと速やかに突入したと同時に、空間内に重々しい地響きが轟いた。シルベットが音がした方を見ると、彼女から小ぶりで、人間から見れば、五メートルを超える巨漢だった。がっしりとした体格で、いかにもな黒いドラゴンを見つけ、周囲には、他に気配を感じ取る。
「うむ。やはり人間の少年一人を捕らえるのに、大袈裟で結構な数だな」
見張りで固めて、少年を追い詰めて怖がるのを見て愉しみ、袋のネズミになったところで捕らえて殺すつもりだろうとシルベットは予想する。
敵に気付かれぬように、シルベットは地上から約五メートルほど離れた低空飛行でドラゴンに接近。しかし、シルベットから二メートル後を並行するエクレールが近辺で潜伏中の敵が移動しはじめたのを気配で感じ取った。
「何カ所で敵が動く気配があります。やはり気付かれましたわね……あんな堂々と入口から侵入されては仕方ありませんけど」
エクレールの非難をシルベットは過剰なほどの自信をもって、告げる。
「私に侵入された時点で、策は失敗したのようなものだ」
「その無意味な自信と根拠はどこからきていますの……。わざわざ罠に引っかかりに無謀者という自覚がありますのかしら」
自分の能力を過信し過ぎるシルベットにエクレールは呆れ果てる。
シルベットとエクレールは既に敵の本拠地にいる。敵の気配は二手に分かれるのを感じた。一方は少年、もう一方はシルベットとエクレール。敵も突然の侵入者に対抗するための包囲網をたてようと動いている。わざわざ敵の網の中に飛び込んだのだから当然の結果だ。彼らが罠を張っていたのは少年の方で、シルベットとエクレールは思いがけない侵入者に過ぎない。不意打ちには成功したようだが、敵の立ち直りが早い。
──やはり流石は【謀反者討伐隊】から離脱者で構成された組織ですわね。
シルベットとエクレールはつい先月に【謀反者討伐隊】に配属したばかりの新兵である。しかもこれが初任務であり、初戦。戦場に立つのが始めての彼女が幾年の月日を戦いに投じてきた生粋の軍人である彼らに真っ向からぶつかっても勝ち目はない。
──策を練らなければなりませんわね……。
状況を整理し、エクレールは思考を巡らせる。
頭の回転に自信があるエクレールはすぐに策をたてることが出来た。
──少し簡易的な作戦ですが、急場をしのぐには仕方ありませんわね。
「銀ピカ。先ほど通ってきた入口は無理矢理にこじ開けて突入してきましたが、既に塞がれていると思った方がいいですわ」
「それがどうした?」
「ここは奴ら──【創世敬団】が創り上げた罠の中ということを忘れてはいけませんわよ」
エクレールが敵組織──【創世敬団】の同行を危惧しつつ、シルベットに自らが急場しのぎで考えた策を伝える。
「わたくしは術式を立てて、脱出経路を確保を致してまいりますわ。銀ピカはその間に少年を救出。確保してから脱出しますわ」
「ふん。何故、脱出しなければならぬ」
シルベットは鼻を鳴らす。
「敵を殲滅すれば、そのような術式を練らなくとも脱出できるではないか」
「何を寝ぼけたことを言ってますの……。相手は新兵であるわたくしたちよりも戦場を知る熟練した軍人。全てを殲滅することは不可能ですわ。ならば、数匹だけを倒して護衛対象である少年を救った方が確実ですわよ。寝言は寝て言え、ですわ」
エクレールはシルベットの軍人としてあるまじき発言に呆れた。
敵の本拠地に侵入したら、もっとも大切なのは脱出経路の確保だ。目標に辿り着いたとしても、脱出しなければ敵に捕らえられてしまい、任務を完遂したとは言えない。
しかし、シルベットは脱出することについて一切考えてはいない。それどころか、早く敵を殲滅したいという獲狩者的衝動にかられていた。
「好きにしろ。私は敵を全て殲滅するから必要ないと思うがな」
「これだから、学びがない戦闘狂の混血は厭ですわ……」
シルベットをエクレールは汚らわしいものを見るような眼で一瞥する。
本当は侵入する前にやることですわよ、とシルベットに皮肉を呟くが当の本人の耳には聞こえてはいない。エクレールの抗議を無視し、少年に迫るドラゴンに向かっていく。
「ちょっとお待ちなさい! まだ突撃するには早いですわ──って、わたくしの話しを聞きなさいっ」
エクレールの制止の言葉を聞かずに、シルベットは飛行速度を上げて引き離す。
「わかりましたわ……。あなたがそういう気なら、わたくしも勝手にしますわよ!」
話しを無視して勝手な行動をするシルベットにエクレールは呆れ返りながらも、二つに結わいだ金髪の尻尾を風に踊らせて、救出した後または失敗した際に逃げるための脱出口を開くために引き返した。
──くれぐれもわたくしに迷惑をかけぬように人間の少年一人を【創世敬団】から救ってみせなさいですわ。
「誰かっ、誰かぁぁぁっ!」
人間の少年の精一杯の助けを求める声がシルベットの耳に届いた。
ドラゴンは、追い込まれて恐れ慄く少年に高揚して、背後から接近するシルベットに気づいていない。あまつさえ少年を喰らおうとしている。その、背を向けた間抜けな敵に向かって、彼女は踏み込み、跳んでいた。低い跳躍の内に左の腰に携えていた【謀反者討伐隊】から支給された【十字棍】を抜き、目標であるドラゴンの後頭部を目掛けて突き刺す。
ドラゴンは【十字棍】に血液を吸われ、躯を霧状に散らせた。
【十字棍】。
通称、吸血剣と呼ばれている。剣に血液を吸わせることにより、魔力を奪い取る。それによりドラゴンは現世に存在を留めることが出来なくなり、消滅してしまう。
扱いを間違えれば、所持者までも血液と魔力を奪う両刃の剣。魔力を胎内に構成することがほぼない人間が手にしただけで、血液は全て抜かれて死に至ってしまうために、【異種共存連合】及び【謀反者討伐隊】より取り扱いについて再三の注意を受けていた。特にシルベットはあるご事情により、【十字棍】の扱いについて、【異種共存連合】や【謀反者討伐隊】から危惧されており、うんざりするくらいの注意を受けている。
──皆が危惧するから、どれほどのものかと思ったがたいしたことはないな。
──幼い頃から日本刀に慣れ親しんできた私には、西洋剣型は馴染みにくいと思ったが……しかしこれといって扱えないわけではない。
──念のため、父から譲り受けた愛刀を持ってきたがしばらくは必要なさそうだ。
【十字棍】を振るった感想を頭に浮かべて、未だに脅えた表情が残る少年へ言葉をかける。
「喧しい小僧だな。助けを求めたのは、貴様か?」
混乱状態にある人間の少年は答えを返すことは出来ない。
人間には巨大なドラゴンに追いかけ回され、袋小路に追い込まれたところを食い殺されかけたのだから無理もない。少年にとって突如現れた銀翼銀髪の少女に助けられたとしても、巨大なドラゴンを一射しにして霧散させた光景は酷く混乱してしまうだろう。
まず自分を信用してもらおうとシルベットは仕方なく、最初に自分の名前を打ち明けることにした。
「まあいい、私の名前は水無月・シルベット。シルベットと呼んでもかまわぬ」
◇
清神翼とシルベットが邂逅を果たしてからおよそ三十分後──
ズズー。
ふう。
銀翼銀髪の少女──水無月・シルベットは、お茶を啜り飲み一息をつく。
外見から人間ではない少女とは違い、人間であり日本人の少年──清神翼が言われるままにコーヒーカップに煎れたインスタントの日本茶を飲む彼女の表情には、数時間ほどに見た凜とした感じは全くない。心から癒された安堵の表情を浮かべた見事なタレ顔だ。緊張感の一欠けらもない。
「……あの?」
清神翼は恐る恐ると、コーヒーカップに煎れた日本茶をおばあちゃんのようなまったりさで飲み続けているシルベットに声をかけた。心なしか声が震えている。
巨躯のドラゴンを殲滅したのだから無理もない。命を助けてくれたのだから味方には違いないが、ご機嫌を損ねないように細心の注意を払う。
「なんだ?」
シルベットは一切こちらを見ずに、答えた。まったりとした時間を邪魔されて、少し不機嫌そうである。
「いえ、あの……その」
翼は戸惑った。まるで一つ言葉を間違えてしまったら、問答無用で手討ちにされそうな睨みを効かせていて、怖かったからだ。シルベットの横には、銀の鞘に納めている剣が危なげな輝きを放っているせいもある。
翼は緊張しながらいろいろなことを反芻した。
あの後、目を覚ました翼は、目の前まで顔を接近していたシルベットに気を動転してしまった。混乱する翼にシルベットが舌を出して、『喉が渇いた、日本茶が飲みたい、御馳走しろ』と問答無用で家に招き羽目になったのだ。最初は近くにあった自動販売機で、お茶を購入して渡した。しかしシルベットは眉をヘの字に曲げて、『そのぺっとぼとるとかいう容器に入ったお茶ではなく、ちゃんと煎れた温かい日本茶が飲みたい』とわがままなことを言い出した。翼は日本茶といえば、インスタントのものしか知らない。本格的なものなどテレビでしか知り得てはいない。それでもいいのかと問うと、見事なまでも仏頂面を浮かべた。
しかし、激しい戦闘をした後で喉が渇いたのかシルベットは渋々とインスタントで断念した。断念するのならペットボトルの方にしてほしかった翼だが、彼女にはどうしても譲れないお茶へのこだわりというものがあるらしく、翼にも先ほど命を助けられたこともあり断りきれず、インスタントのお茶を飲むために家に招かざるおえなくなったのだ。
ドラゴンから逃げ回っていた時には、異世界と化していた町内が、まるでまやかしが解かれたように日常を取り戻し、無事に翼の自宅に辿り着けた。
しかし、図々しくも居間に上がってきたシルベットは、さっきほどのドラゴンや何故翼が狙われているかなどの説明も理由も話さずにお茶を催促され、さっきからコーヒーカップに煎れてしまった日本茶を黙っては飲み、一息を吐くという行為しかしていない。これまでのこと、それ以前のこと、あのドラゴンの大群など説明してもらいたいのだが、話を促すと、先ほどのように斬り殺されるんじゃないかと思うくらい威圧感を振り撒いて、翼はなかなか聞けないでいた。
脳裏には、翼を襲ったドラゴンの大群を一太刀で倒した続けたシルベットの姿がよぎる。ああはなりたくない。
「味の感想を聞きたいのか。美味だぞ。しかし──日本茶とはいうものは、常に湯呑茶碗じゃなきゃダメという時代ではなくなったのだな。しょせんは、器というものは雰囲気を形作るものということか。しかし湯呑茶碗だったら更に美味と思うのだ。器には器なりに用途があり、美味しくいただくためのものなのだから。まあ、あくまでも私個人の意見だがな」
シルベットはやはりコーヒーカップ一人で納得していないらしく味の感想ついでに皮肉る。
「雰囲気ではなく、味を引き出すために器は存在している。お茶は世界各地にあるが、それによって器が違うことは調べてきている。私は日本茶が好きだから、湯呑茶碗についても興味がそれなりの興味がある。茶の湯を極めるには器を調べなければお茶のことなどわからない。日本の茶は実に良いものだ。奥が深い」
シルベットはそう言い置いてから、喉の渇きを癒すようにコーヒーカップに煎れられたお茶を啜ってから、口を開いた。
「これは焙じ茶だな。日本の緑茶の一種であり、茶葉を焙じて飲用に供するものか。一般には、煎茶や番茶、茎茶を焙じたもの、すなわち焙煎といったものだろう。焙じ茶には独特の香ばしさがあり、苦みや渋みはほとんどなく、口当たりはあっさりしているのが特徴だ。刺激が少なく胃にやさしいため、食事中のお茶に向いている。確か、日本の京都では、上質な焙じ茶が料亭の改まった席で供されることも珍しくないと何かの本で書いてあったのを読んだ」
シルベットは、ソムリエのようにお茶へのうんちくを語りだした。
翼がコーヒーカップに煎れたのはお茶は焙じ茶だ。スーパーで購入した安い市販の焙じ茶である。
翼はお茶に関して、お茶好きの祖父の受け売り程度に聞いて知っている程度の知識でしかないため、ソムリエよろしくうんちくを語られても、どうしょうもない。
「日本のお茶と一言で表しても種類は多い。抹茶の他にも煎茶、焙じ茶、玄米茶などがある。製法によって、更に細かく分類されたり、日本各地で多様多彩なお茶ある。私は中でも抹茶が好きだ。抹茶はいい。故郷であるハトラレ・アローラの北方大陸タカマガで何回か飲んだことがある。実に美味であった。この焙じ茶も美味しいぞ」
「はぁ……。ありがとうござ────ハトラレ・アローラ?」
剣の餌食になりかねないように極力は反抗せずにご機嫌を伺っていたシルベットの言葉の中にハトラレ・アローラ、北方大陸タカマガという聞き慣れない単語に気づく。適当に相槌を打って流しかけていた、その単語に首を傾げる。
ハトラレ・アローラ、その北方大陸タカマガというのが彼女―水無月・シルベットの出身地らしいが聞いたことがない。
「まあ──知らないのは無理もない……」
シルベットは踏ん反り返りながら、ソファに腰を落ち着かせて、話しを続ける。
「まあ、どちらにしろだ。いろいろと伝えなければならんことが山ほどあるのは、事実だ。どこから説明するかも決まっていない。ひとまず、貴様から聞きたいことを言え。答えられることなら、なんでも答えてやる」
シルベットは腕を組み、先のまったりとした雰囲気と違う、凜とした振る舞いを見せる。
「最初に言っとくが、私は日本語に関してまだ不慣れだ。不服だが、説明力不足でもある。一介の【謀反者討伐隊】の新米兵士ゆえに、知らされていない部分もある。更に秘密厳守で話せぬこともあり、全てに答えられない。そのため、答えられることだけ答えるとだけ伝えておこう」
「……わかりました」
「私は銀龍族の姫だ」
「銀龍族……? 姫……?」
銀龍、という漫画やゲームなどでも聞き慣れない言葉を唐突に口にした。しかもそれの姫だと。
シルベットの容姿を見たところ、銀翼を背に生やした人型の生き物なのは確か。しかし、古風な話し方といい、日本人以上までのお茶のこだわり方といい、どことなく感じさせる空気が人間に近い、特に観光として訪れる外国人に似ていた。銀髪の少女は、白銀の翼やドラゴンの大群を殆ど一人で倒す光景を見なければ日本大好きな外国人と変わりない。
「ああ、私は銀龍族の姫だ。詳しくは、ハトラレ・アローラに生息する種族──龍族の中にある一つだな」
「龍族? 銀龍?」
龍族、銀龍、とまたしても聞き慣れない単語が連続で現れた。
「銀龍は龍族の一つ。人間にも、様々な国や人種があるように、龍人もそれと同じように種族がある。銀龍族の他にも金龍族、黄龍族、白龍族、黒龍族、青龍族、赤龍族など様々な種族がハトラレ・アローラという世界に生息して、この人間界を行き来している」
シルベットは何事もなかったように淡々と説明し始めた。
「行き来するには、〈ゲート〉と呼ばれる空間を通らなければならぬ」
「げーと?」
〈ゲート〉、出入口のことなのだろうか。
「それは、だな……」
シルベットは咳ばらいを一つして、
「〈ゲート〉とは、並行する境界、その裏側にある異世界を繋ぐ異次元空間のようなもの。詳しく言うならその異次元空間の出入口の名称だ。未来から来たネコ型ロボットが使うものと似たり寄ったりなものだと頭に入れておけばいい」
「なんで別世界にいたシルベットさんが日本のみならず全世界で放映され知られている未来から来たネコ型ロボットをご存知なんですか?」
「それはこの世界に来る前に試験があってな。その試験勉強の資料として読んだ教科書にな、未来から来たネコ型ロボットのことが載っていて、そこで知った。漫画とアニメを観賞したわけではない」
「試験? 勉強? 資料?」
試験、勉強、資料、と人間世界では聞き慣れた単語が耳にする以前に、未来から来たネコ型ロボットは別世界でも知られていることに驚きだ。
「少し脱線したが、話しを戻すぞ」
ゴホン、とシルベットは咳ばらいをして、話しを再開させた。
「箒の姿を想像して欲しい。柄から伸びるブラシの繊維の一本一本に様々な世界がある。その一本に私達の住む世界とが隣り合わせに存在しており、その周りには多くの別の世界が存在する。それだけ沢山の世界の中から人間が住まう世界──地球があり、亜人が住まう世界──ハトラレ・アローラがある。その両界を繋ぐには、〈ゲート〉というものが必要だ。ハトラレ・アローラにある〈ゲート〉への入口は横幅五十二メートル、高さ五十メートル。奥行き五十メートル。呪刻を施した約六万六千個の大理石製で、表面には黒曜石、黄水晶、菫青石などを嵌め込み、さらには厚さ十センチの無色透明なガラス製ブロックで外側を覆われてという巨大で豪勢なものだ。両界を繋ぐために路を開き、かつその開閉をコントロールし、亜人や人間などの移動、物流を可能にするためには魔力を魔法陳へと流し、練り上げなければならないから巨大なものになってしまったのだろう」
「魔方陣?」
魔方陣、という漫画やゲームなど以外聞き慣れない言葉が聞こえたような気がした。
「魔方陣というのは、ゲームや漫画なんかづ悪魔や何かを召喚する為に使うものと同じようなものか」
現実的じゃない言葉の連続に翼は困惑する。
「まあ、そういう類いのもである」
翼を一瞥して、お茶を一口すすり、カップをテーブルに置き、一息つく。
「あっちの〈ゲート〉は、こちらの世界では、空港や駅のようなものに似ていると想像しとけばいい。並行する境界に存在する両界を繋ぐというのは、魔力を内に秘めた亜人は案外簡単だが、人間には難しいものだ。誰もが出来るほど魔力を保持しているわけじゃないからな。異次世界の流れとは、宇宙開闢の瞬間を源泉とする川のようなものである。時空の流れていく過程で、山や谷の影響を受け、蛇行し、細くなったり狭くなったりするように、二つの世界の間には何もない異空間が存在する。それは、近付く時もあり、遠ざかる時もある。流れには変動が多く、そこに軽く力を加えると、二つの世界は接することが可能。だが、交わることなどない流れだ。そこを、魔力で強制的に繋げているのが〈ゲート〉である。しかし、繋ぐためには〈ゲート〉と点とする目印を利用する必要があるのだ」
「点とする目印?」
「ああ。点とする目印とは、魔力または魔方陣など紋様や呪刻が描かれた物体や建造物、長年一つの個体として存在していた物素に宿る情報振動の周波があるもので、二つに分離しても外的な干渉を受けない限り同調が続く物というものだ。それを、両界のあちこちに設置することにより、行き来を可能にしている。詳しい場所は機密事項のため言えんが、人間界に点在している。日本にも数ヵ所はあり、私はその内の一つ、この街近辺にある〈ゲート〉を潜ってきたのだ」
にわかに信じがたい話しだ。シルベットの話しは、普通に考えていて有り得ないことの連続で、どこかこの世界と酷似する単語も含められていて、その全てを鵜呑みには出来ないような、お伽話のようで。そのまま全ての話しを信用するわけにはいかない。でも事実、翼の目の前には、信じられないことが起こっている最中である。
翼を執拗以上に追いかけたあのドラゴン。血のように深い赤に染まった月により血に塗られたような幻想的な風景。それは全て今日一日で翼が体験したことである。
そして──
眼前でコーヒーカップでお茶をすするシルベットという銀龍の姫がいた。
「おっと」
シルベットは何か思い出したみたいな感じに声をあげた。
「何だ? いきなり」
「貴様の名を確認したいのだが……、いいか?」
と、シルベットはすました表情で言うと、コーヒーカップに残っていたお茶を飲み干した。
「俺の名前……?」
「そうだ」
と、淡々と答えながら、空になったコーヒーカップを覗き込み。そして、明らかにおかわりが欲しそうな表情で、翼をチラチラと見た。どうやら、もう一杯を頼むタイミングを見計らっているようだ。
翼はそんなシルベットに手を差し出す。
「俺の名前は、清神翼です。お茶のお代わりが欲しいのなら、持ってきますよ」
「フムフム、セイシン・ツバサだな。頼むぞ」
シルベットは翼の名前を噛み締めるように頷くと、やたら元気にコーヒーカップを渡してきた。
「改めまして、私は水無月シルベットだ。シルベットと呼びつけで構わない。ツバサよ、私が貴様を【創世敬団】の奴らから護ってやる!」
「え?」
翼は高らかに放った言葉に理解出来ずに、口を開けっ広げているしか出来なかった。
「それはどういう──」
「話しはお代わりをもらってからだ」
シルベットは翼の言葉を遮り、お代わりを催促してきた。やはり飲み意地を張っている。
「……わかりました」
翼はコーヒーカップを受け取りキッチンへと足を運ぼうとすると、
「次は、抹茶がないのなら仕方ない。うーろん茶というのを飲みたいぞ」
ついでと言わんばかり、シルベットが注文を出してきた。
「ウーロン茶?」
「うむ。うーろん茶だ」
「ウーロン茶って、冷たいのしかないんだけど……」
「別によいぞ」
シルベットはいともあっさりと答えた。
「だって、さっき煎れたての温かいお茶じゃなきゃダメだと言わなかったっけ?」
「さっきはさっき、今は今。これはこれ、あれはあれだ。私はさっきは温かいのが飲みたかった。今は冷たいのが飲みたい、それだけだ」
シルベットは無邪気な子供のような純粋な微笑みを浮かべて、私欲たっぷりの言葉をいうと、「早く持ってまいれ。私は我慢が出来ぬのだ。我慢が続く内に持ってこないと、この辺一帯を生き物が住めぬ死地にするぞ」と、至極当たり前に脅迫してきた。
たかがお茶を出さないだけで自分の住んでいる街が死地にされるわけにはいかないと、翼は急いで言われた通りに氷を半分も投入したギンギンに冷えたウーロン茶を仕返しに出した。
「はい、ウーロン茶」
「うむ」
シルベットは軽く頷き、ウーロン茶が入ったコップを受け取り、満足そうな表情を浮かべながら、一口すする。
さっきコーヒーカップに入ったお茶をすすったように、一息つくと、またしても、癒されてますと言わんばかりのタレた表情になった。さっきと同じようにソムリエのように、ウーロン茶を鼻で香りを楽しみ、舌で吟味する。焙じ茶のように今にもウーロン茶について語りそうな雰囲気だが、シルベットに出したウーロン茶も焙じ茶と同じように普通にスーパーとかで売っている市販のものだからやめてほしい。
なので、くつろいでいるのを悪いと思いながら聞きたかったことを聞くことにした。
「くつろいでいるところ悪いんだが、聞きたいことがあるだけど……」
「なんだ?」
シルベットはウーロン茶を舌鼓を打ちながら耳を傾けた。
「なんで、シルベットは俺を護るんですか?」
「ん? それは【創世敬団】が貴様を狙っているからだ」
「じぇねしす?」
【創世敬団】、なんかの結社の名前だろうか。
「そのじぇねしす、って何者なんですか?」
「【創世敬団】というのは、さっき貴様を狙ってきた連中のことだ。【創世敬団】というのは、地球とハトラレ・アローラの交流を妨げる集団のことだ。【異種共存連合】とは、秘密裏に地球とハトラレ・アローラを友好関係を結び、進展させるのが目的の組織だ。それを良しとしない奴らが集まって、人間や我々に嫌がらせや虐殺を企んでいる。そいつらを討伐するのが、【謀反者討伐隊】だ。ちなみに、私は【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】の同時の組織に所属している」
「いやいや。なんで俺がその【創世敬団】という奴らに命を狙われなきゃならないんだ。俺はそんな奴らと関わったことなんて一度もないんだぞ!」
翼はそんな異形たちに命を狙われる覚えは全くない。それどころか、シルベットや【創世敬団】とかハトラレ・アローラの住人とやらでさえにも対面したのは、生まれて初めてだ。初対面の連中に、標的にされる筋合いはないはずだ。
「命を狙われる理由か。それは私も詳しい話しは聞かされてはいない」
「えっ、じゃ、シルベットは誰に俺を護れと言われて来たの?」
「ハトラレ・アローラの五大陸を統括を握う、聡明の英雄。黄昏龍のテンクレプ」
「…………」
清神翼は困った。護るようにシルベットに命を降した黄昏龍のテンクレプという者にも心辺りが全くない。初耳だ。命を救ってもらえる側も、命を狙われる側も、全く面識がない。
顔も知らない連中に狙われたり、救われたりされていることに幾何かの不満が募っていく。
そんな翼の様子を見たシルベットは、勇気付けるために豊かな胸を叩き、
「安心しろ。私が貴様を護ってやるぞ、あんなのはただの雑魚だからな」
「雑魚? アレが? じゃ、アレよりも強いのがいるの?」
あの全長六メートル級から十三メートル級まで様々な大きさをしたドラゴンたちでさえも、雑魚という衝撃に翼は愕然とした。だったら、その言葉が本当なら必然的にその上がいることとなる。
またあのドラゴンよりも強い化け物が襲いかかってくると、と想像したら翼は身を震わした。
「稀にいるな。でも大丈夫だ」
と、余裕と言わんばかりに笑ってみせる。が、面識もない別世界からの住人からの襲撃に救済、翼は得体の知れない事態に巻き込まれていることに不快や不安を感じざるおえない。
日本の独立と平和を護り,国の安全を保つことを主な目的とする防衛組織である自衛隊や国民の生命・身体・財産の保護、犯罪の予防・捜査、社会秩序の維持を目的とする組織である警察などは、個人での面識はなくとも、人間の組織だからこそ信頼はある。
しかし、翼を【創世敬団】という亜人の組織から護ると宣言した眼前にいる少女は人の形をして、日本語を話せるが人ではない。
人間だからこそ信頼できるというわけではない。少なくとも同じ人間という絶対的な信頼感はあるだろう。
だが、翼を不安がらせる要素はそれだけではない。
【異種共存連合】、【謀反者討伐隊】、【創世敬団】といった組織を作って、人知れずに人間世界に入り込んでいる事に翼は驚きを隠しきれなかった。というか、怖いのだ。自分の知らないところで、何者かに命を狙われていることが、別世界の住人が行き来をしていることが、とてつもなく、恐怖を感じる。
恐怖で表情が曇った翼に気付いたシルベットは腰に手を当てて、自信ありげに伝えた。
「何の心配もいらない、翼は私が護ってやるぞ!」
「はぁ……」
勇姿たる宣言をするシルベットに、翼の脳裏に一つの疑問が生まれ、口にする。
「そういえば、シルベットさんの本性は龍なんだよな?」
「うん、そうだが……。それがどうかしたか?」
シルベットは少し怪訝な表情を浮かべながら首を傾げた。
「いやいや。だったら、シルベットさんもあのドラゴンみたいに変化したりするかな、なんて……」
普通の龍でさえも、実際に目撃したのは初めてな上に、銀龍という漫画やゲームなどでも聞いたこともないのだ。
龍の有名どころは、青龍と黄龍だろう。他にも黒龍、白龍、赤龍とあるが、シルベットの銀龍は聞いたことも勿論見たこともないだから。
架空の生物と伝われてきた龍の上に、どこの国にも伝わってきていない銀龍という存在に疑問や興味はつきない。
現在、別世界の組織から理由もわからず、命を狙われている。
実際に体験し、自分の命を狙う【創世敬団】の存在を見てしまった以上は、翼を護ろうとする彼女の存在に、論理的に全てを否定する言葉を持ち合わせてはいない。だから、少しでも自分を護ろうとしている少女を信頼したいがために翼は口を開く。
シルベットは至極当たり前に答えた。
「なれるぞ。ドラゴンではなく、龍だがな」