第一章 六十七
玉藻前が一瞬の隙を狙って、翼を部屋の中に入れて、個室に〈結界〉を貼ったことを確認したシルベットは天羽々斬を鷲掴みするルシアスの右手を力いっぱい振り払う。
「はぁっ!」
「なっ!?」
ルシアスの右手をどうにか天羽々斬から離したシルベットは、天羽々斬の剣先をホームラン予告するバッターのようにルシアスに向ける。
「貴様のような輩には、ツバサは渡さん! それが私の使命だっ」
「へぇ……」
彼の表情が一瞬にして邪悪に歪むのを玉藻前は見た。
「気をつけよシルベット! 其奴、何か企んでおるぞっ」
「ぬ……!?」
玉藻前が声が出す直前に、ルシアスはシルベットの横につき、
「悪いけど、予定変更ね」
「が……はっ……」
悠長なく、腹部を目掛けて蹴りを入れた。その衝撃に、シルベットは膝をつく。
ひざまずいたシルベットは、苦しげにもがく。どうやら呼吸が上手く出来ないようだ。
「お主は女子に対して、最低な奴じゃな」
「何を言っているんだよ。紳士的に接していたぼくに対して、何度も斬りかかろうとしたのはこの子だよ。ぼくは悪くない」
「だとしても、女の子に手を挙げるのは最低じゃ!」
「手じゃなくって足だけど?」
「足でもなおのこと、最低じゃ! むしろ、足の方が最低じゃよっ」
「どちらにしろ、ぼくを悪者にしたいんでしょ? 現に、悪いのは、ぼくだしねー。まあー、人間なんて個体数が増えすぎて、地球が壊れはじめているんだし、減らした方がいい生き物だよー。いっそのこと、不妊治療して増えないようにして、あとは、ウィルスか何かで殺しちゃえばいいと地球のためだとぼくは思うんだけどねー」
「それを命を弄ぶというのじゃ!」
「人間たちだってやってんじゃん。小動物なんか増えすぎて、迷惑だから新しい命を産まれなくさせて、絶滅させる。それを正しいと思い込んでいるじゃんかー。最近では、小動物だけでは飽きたらず、障害を抱えてはいるけど、同じ人間にも不妊治療とかねー。生命を弄んでいるなら、人間も同じじゃんか。こっちばかり責められちゃ不公平だよー。そんな人間たちを弄んで何が悪いの? ねぇー、何が悪いのー?」
「た、確かに……そういう輩がおるのは事実じゃが。全てではない。ひとり一人、違う考え方があるのじゃから、それは仕方ないことじゃろ」
「考え方が違ってもねぇ。人間ってさー、多い方が正しいと思うんだよー。いくら黒だと思ってもねー。白だと思っている方が多かったら、そっちが正しいと思ちゃうんだよね。だから、人間は同じ間違いを繰り返して、誰かを傷つけて絶望する。ぼくが未だに蘇ることができるのが、そういった負の連鎖が続いているからなんだよー。理解しているかなー、狐ちゃん?」
ルシアスがそう念を押すように玉藻前に言うと、もがき苦しむシルベットの首を掴み、持ち上げる。天井高々と持ち上げた瞬間、シルベットの首が暗闇でも分かるくらいに、締め付けられる。
「……う、………っ」
声を上げられずに苦悶の表情を浮かべるシルベット。
「……や、やめぬかっ!」
玉藻前は制止の声を上げるが、ルシアスは聞く気を持たない。それどころか、首を締め付ける右手に力を込める。
「……っ、う……」
「生かすも殺すも、見て見ぬフリして放置や、ただ見ているだけ傍観者も、虐待とか言っていたら、人間自らを生きているだけで害と言っているようなものだと思わないかい?」
ルシアスは、彼女たちの反応が楽しくて仕方ないといった様子で、さらに笑みを濃くする。
と──
シルベットが苦しそうにしながらも必死に天羽々斬を持っていない方の左腕を動かし、自分の首を握りしめるルシアスの右手首を掴んだ。
「なんだい悪足掻きかい? そんなことしても────ッて!? イテてててててっ! 何このバカ力っ!?」
シルベットはルシアスの右手首を握りしめる。体力、魔力、司る力、自分の躯に備わっている力を左手に集中させ、総力を上げてルシアスに抗う。
「ああああああああ!!!!」
シルベットは躯を白銀に光らせてルシアスの右手首を握り潰す勢いで、気合いの声を上げる。
ルシアスは思わずシルベットの首から離して振り払おうとするが、彼女は振り払い、逃げようするルシアスを離さない。それどころか、左手を上げて、ルシアスを目掛けて天羽々斬を振るう。
「こいつ、マジかっ!?」
ルシアスは目と鼻の先で〈結界〉を張り、難を逃れるがシルベットの反撃はまだ終わらない。
シルベットは未だにルシアスの右手首を離してない。自分のところから引き寄せて、再び天羽々斬を構える。
──……こ、こいつ……、自分の腕ごとぼくの腕を斬り落とすつもりか……。
ルシアスはそうさせまいと、シルベットの間合いから離れようとするが、シルベットが身体中の力を集中させた腕力は並大抵の力で抗うことは出来ない。大人と子供の綱引きのように、ルシアスの躯は少しずつ引き寄せられていく。この場合、大人はシルベットで、子供はルシアスだ。
ずる……。
ずる……。
ゆっくりだが、確実に少しずつルシアスを〈結界〉から出しにかかっている。
「なんちゅーバカ力なんだよー! 少しは手を抜いてもいいだろうがっ」
「女の子に手だけでなく足を上げ、首を握りしめようとする輩に、そう簡単に手を抜くと想うかっ?」
「思わないねー、うん……でもさー、最初に牙を剥いたのは、そっ────」
「最初に翼を捕らえようとしたのは、そっちだ!」
シルベットはルシアスの言葉を遮る。それをルシアスは、不愉快そうに眉間にシワを寄せて、少し苛立ちを滲ませた声で言う。
「だからー! それはラスノマスらが勝手に────」
「自分を慕うものだろうがっ! 貴様の復活のために尽力したもののせいにするのは良くないぞ! 観念してお縄につけ!」
「さっきから、ぼくの言葉を遮るなよー! 最後まで訊けよバカ力女ッ!」
二度も言葉を遮られて、不満と暴言を吐くルシアス。それに対してシルベットの返しはシンプルだ。
「偏屈を言って、人間たちや自分を慕うものを下げるような者の言うことなんて、訊く価値などない!」
天羽々斬の刀身に白銀の光を輝かせて、その瞬間を狙う。
「ああー! わかったよっ! それが宣誓布告ということだねっ! だったら、こっちも手加減はしないんだからなーっ!」
と、そのとき四方八方から闇色の魔方陣が現れ、急に廊下が狭く感じるほどの大人数が召喚されるのを玉藻前が気づく。
「気をつけよシルベット! 囲まれておるっ」
玉藻前の声に、シルベットは気配だけで周囲を探る。彼女の光りが届かないギリギリで影に隠れている奴等は、およそ十三程。恐らく、ルシアスが周囲を張り込ませていた部下だと、推測する。
「ルシアス様の手首から手を離せ醜い人間らに加担する【謀反者討伐隊】の犬!!」
「ルシアス様の邪魔はさせん!!」
突然現れた、十三ものルシアスの親衛隊が玉藻前、特にルシアスの手首を握りしめ、引き寄せて斬りかからんとするシルベットに敵意を燃やす。
「ほう……。仲間を呼んだか」
「そっちがいて、ぼくがいなかったら不公平だろー」
囲まれても動じないシルベットにルシアスは形勢が少し逆転したことの余裕か軽い口調が戻る。
「第一にさー。ぼくばかり、悪者扱いされても困るんだよ。他の世界線の生き物がどうなろうと関係ないじゃんかー。にも拘わらず、干渉しちゃってさー。神の使いだといい気になって、人間たちを護るとか勝手にやってろって感じ。人間を護る義務なんて、こっちにはないんだよっ」
護る価値もね、とルシアスが付け加える。少し黙って聞いていたシルベットの苛立ちは、更に募り、たまらずに声を出す。
「言いたいのは、それだけか? やっぱり、貴様の話しを聞いても、胸くそが悪くなるだけだ。助ける助けないは、自由だ。ただ、それを押し付けるな!」
「その言葉、そっくりそのまま返してやるよー。きみたちが人間界を護ろうとしても、こっちには関係ない。講和の邪魔だからと、意見が合わないぼくらを討伐するのはいかがものだろうかなー。きみたちがしていることは、ただ自分たちと意見が合わない輩を排除したいだけだろー」
「こちらが人間たちを護りたいということに賛同できないのなら、立ち去ればよいだけでの話だ。人間たちを狩るにも度が過ぎたのだ。他の世界線であらゆる生き物を狩りすぎたのだ。それでは、その世界の生態系は乱れてしまう。それが増えれば、全て世界線のバランスが崩れてしまうではないか。我々は、それを食い止めたいだけだ。つまり貴様らは、それを弁えていなかっただけではないのか」
「どの世界線がどうなろうとも、ただ平和に生きていてもつまらないだけだろー。それに全世界の生き物のためにも、絶滅した方がいいと、ぼくは思うよー。──だって、わざわざ産まれて辛いことを経験して生きるよりはいいんじゃないのかな?」
「そうとは限らないと私は思うぞ。生きることが辛いことばかりではない。少なくとも、幸せだった思える時期がある。今はまだないというのなら、まだ自分の幸福はまだ先と考えていた方が希望が持てるぞ」
「希望か……。ぼくにとって、希望という言葉がこの世の中で一番嫌いな言葉だよ。希望を与えても結局は絶望のまま終わるのが目に見えている。希望があると妄執を与えて、結局は不幸で人生を終えるなんて、最初から、生きることは辛いことばかりだと考えていた方がダメージは低いんだよー。知っているかなー?」
「それでも希望を夢見るものに絶望を与えたいだけだろ貴様の場合は?」
「その通りだけどねー。それでも、希望があると光を与えては絶望の淵に落とすよりまだマシじゃないかなー」
面倒くさそうに適当な受け答えをするルシアス。そんなルシアスの話を鬱陶しげに適当な受け答えをするシルベット。
一向に、シルベットはルシアスの手首から手を離さず、自分の元に引き寄せて斬ろうとしている。ルシアスはそれに抗こうとどうにか〈結界〉から出ないように何とか堪える。
膠着状態のままが続く。それをどう助けるかを迷うルシアスの親衛隊と、彼等が手を出させないように見張る玉藻前。戦うにしても、シルベットはルシアスから手を離せないでいる以上は、親衛隊と戦えるのは玉藻前だけだ。神化した妖怪である玉藻前は、親衛隊一人相手にするには容易いと思うが、自分の背丈よりも大きな錫杖をもって、大立ち回りを繰り広げるには廊下では狭すぎる。一対十三という多勢に無勢の状態ではどう考えても分が悪い。
どう攻めるかを決めかねている中で、
「貴様らの言い分、聞かせてもらったぞ!」
新たにかかった声に、なぜか十三もの親衛隊の顔が強張った。それは雷鳴のような声だった。その声には、ルシアスと玉藻前は真顔になった。
ただ、シルベットだけ何者か解らずに、声がした方へ気配を探る。
そこには、濃密な魔力の漂っていた。寒さなどまったく感じてないはずなのに、全身が総毛立つほどだ。濃密な魔力によって吸い寄せられるかのような今まで感じたこともない感覚だ。
そんな彼女と違って影に隠れていた親衛隊たちは足音を立てて近づくそれに激しく動揺し、明らかに恐れている。
「ルシアスよ、その話をもう少し語ってもいいぞ。投降してだがな」
ルシアスは動じてはいないが少し厭そうに顔を顰めて警戒をあらわにした。
「誰がするか白夜……」
灰色の髪を風に揺らして、廊下を歩いてきたのは、屈強という言葉が似合う男性────白夜だった。
大柄で長身、躯を内側から押しあげるように発達した筋組織。灰白色の髪は短く逆立っていて、鋭利なサファイアのような美しい蒼眼がルシアスを貫くように真っ直ぐと向けられている。
戦場に出向くにはあまりにも軽装すぎる白を強調とした空手の道着を身に纏い、全くの隙も見せず、親衛隊の包囲網にずかずか進んでくる彼をシルベットは、巣立ちの式典で何となく見たような覚えがある程度の認識で見て、ルシアスが名前を口にするまで思い出せなかったのは、この場に立ち会っている者たちは知らない。
白夜は両界で英雄にして神話を馳せた獣。東西南北の方位を象徴する四神獣の一つで、西方を守護する白虎である。神なる力を宿した獣である彼には攻撃を受け流す加護を得ている。そのため、白夜の周囲には流れ弾などに当たる心配はなく、防御力を高める防具が必要がない。
だとしても、必ず当たらないわけではない。加護はあくまでも白夜の周囲二メートル半以上でのみ有効だ。二メートル半以下は加護は無効となる。そのため白夜と戦うには近接戦闘がもっとも適しているが、白夜が大人しく喰らうか、は別の話である。
白夜が得意とされるのは近接戦闘──合気道、柔道、拳法、體術、テコンドー、空手道といった体術である。どの体術も熟練とした腕を持ち、肉薄してきた敵を捻り潰すほどの腕力をもっており、いかなる敵が顕れようとあらゆる体術をもって撃退するのが白夜の戦闘スタイルだ。
それを理解しているからこそ、親衛隊は迂闊に攻めたりしない。ルシアスを護るために、陣形を護りにかためる。
よって、四方八方とかためられた包囲網に薄まる。突発すれほどの穴ではないが、少し抉じ開けたら隙を与えられそうだ。
玉藻前は、白夜に注意を注がれていることを窺う。
「何だ挑まないのか?」
包囲を護りでかためる親衛隊に白夜が問うが、彼等は何も答えない。
一歩、親衛隊に向かって前に出ると、狭い廊下でも振り回せる短刀を白夜に構えて、スケーターのスタートの構えに似た前傾姿勢を取った。
これ以上、近づけばルシアスを護るために反撃に出るとわかった白夜は、瞼を閉じて息を深く吸い、拳を軽く握りしめて、腰辺りで構える。
気力を全身に溜め込むと、瞼を開き、虎の眼光に似た視線を親衛隊に向けた。
「もし少しでも生きたいという者、大切な者がいる者は戦いを仕掛けることは薦めぬ。己は、これから貴様らを殺さなければなくなるだろう。哀しむ者がいない者ならば、かかってこい。その時は、少しでも己の記憶に残るように名を告げてからしてもらおう。そして、その名に恥じぬ戦いを見せよう。遠慮を一切しない。だが、投降しなくとも戦いを自分から放棄しても、己からは危害を加えることはしない」
どう決めるかは貴様ら次第、と白夜は自衛隊に鋭い眼光で見据える。
なんてことのない言葉だが、親衛隊に動揺を与えるのは充分といえた。それにルシアスは不機嫌そうな顔で、舌打ちをした。
「この偽善者がぁ……。ただでさえ、怖がっているのに、さらに怖がるだろうがー!」
「さあ。かかってきても構わない。己が教えてやろう。力の差というものを。そして、貴様らが犯そうとしている罪を」
「もー行けよ親衛隊、ぼくのために戦って見せよ! 敵前逃亡した奴等は家族や恋人がどうなっても知らないからなー」
ルシアスはそう親衛隊に言うと、暗闇で光る目に恐慌の色を濃くした。
「貴様も怖がらせているではないか……」
「先に怖がらせたのは、あっちだよ。────さあ行けーーーー!」
シルベットにルシアスはふてぶてしく答えると、親衛隊を何か諦めたように目を伏せてから、断末魔の悲鳴を上げて、親衛隊の三人が白夜に突撃をした。
「うわあああああああっ!!!!」
「うおおおおおおおおっ!!!!」
「はああああああああっ!!!!」
正面、右前方、左前方から短刀を持った三人が恐怖に引き攣らせた顔で一斉に襲ってくる。白夜はそんな彼等に哀れみの目を向けながらも、拳に気力を溜め込み、僅かコンマ零・一秒差早く白夜の間合いに入った正面の敵に狙いを定める。
まずは、腹部を目掛けて正拳を放つ。
ぐあ、とまともに当たり、呻き声を上げるのを白夜は聞くより早く、右方向から来る敵に次なる攻撃に移っていた。
後ろ横──反時計回りに躯を回転させて跳躍し、勢いを付けて左足蹴りを放つ。蹴りは短刀をもっている手首にまともに直撃。思わず短刀を落としたところに、跳躍した勢いそのままに反時計回りに回転させて右足が敵の顔面左横に一撃を放つ。
蹴りを受けた敵は、脳震盪を起こしたようにフラフラと地面に崩れ落ちる。
白夜は地面に着地したと同時に、脳震盪を起こして地面に倒れ伏す、敵の躯を跳び箱代わりに利用して、天高く跳ぶ。
巨躯を後ろ縦回転させて舞い、最初に正拳で腹部をやられてもがく敵を越えて、三人目の敵の脳天目掛けて蹴りを放つ。
何とか防ごうとして構えようとしたが短刀ごと、地面に叩きつけられた。
アクション映画さながら戦いを白夜は、僅か一秒もかからない速さで行って見せて、地面に着地した白夜は構えてから口を開く。
「まずは、三人だ。安心しろ。自分の意思ではなく、戦わさざるを得なかったようだからな。殺さないでおいたぞ」
さあ来いと言わんばかりに見据える白夜に、親衛隊は脅えている。それも仕方ない。動態視力が良いとされる龍人であるシルベットでさえ、目で追うのがやっとだった速度だ。瞬きをすれば、確実に見逃してしまっていただろう。
親衛隊に龍人ではいない種族もいる。暗闇に目を凝らしてよくと見ると、犬や猫、ハクビシン、アライグマ、狸、卯、といった人間界では小動物で知られている耳や尻尾があった。動態視力は悪くはないが、龍人よりは劣っていることから、白夜の曲芸めいた動きを全て見ていたかは定かではない。動揺から察するに見えていなかった可能性が高いだろう。
「来ないのなら、道を素直に明けることを薦めよう」
「へぇー。見逃すのかー」
ルシアスは横目で、動揺する親衛隊と、その向こうにいる白夜を見据えて嗤う。
「あんだけ、死亡覚悟で突撃してこい、といっておいて、殺さないんだー」
「貴様が恐喝して戦わせられただけだ。自分の意思ではない」
「────だから、見逃したのか。へぇー、偽善者が恐喝されて襲ってくる者の命はとらないわけか」
「ルシアスよ、自分で恐喝と認めておるぞ」
玉藻前が言うと、ルシアスは無視をした。
「──というわけで、死ぬ心配はなくなったぞ。遠慮せずに、戦え! 少しでも、白夜に打撃を与えたものには、褒美を捧げてやろう」
ルシアスがそう言うと、親衛隊に明らかにざわつき、光る瞳には恐慌と少しの戦意が宿る。
「殺される心配がなくなったと本気で思い込んでいるのは大きな間違いだ。あくまでも殺さないつもりで行く、というだけであって、手加減するわけではない」
白夜は親衛隊の面々を見渡す。
「見たところ、犬や猫、ハクビシンやアライグマ、狸や卯といった亜種が殆どを占めていることが窺えるが────龍人族のように硬い鱗があるわけもない。玄武のように防御力があるわけでもなく、朱雀のような特殊能力を持ち合わせてはいない。そんな彼等を親衛隊にしている意図は何だルシアス?」
白夜の問いにルシアスは含み笑い漏らす。
「…………そいつらに勝ったあかつきに教えてやるよー。まあー民を助けること、人間らを護ることに生き甲斐を得ている虎さんは、どこまで本気を出せるのかなー? 殺さずにどう勝つか実に楽しみだー」
「く──外道がッ!」
白夜が憤怒の表情でルシアスを見据える。そんな彼に悪魔に、ニタリと不気味な微笑みを向けた。
「外道は、どちらになるんだろうなー。これから下級種族に本気出して殺してしまう外道に成り下がるんだからねー白夜」
「くっ……」
白夜は拳を握りしめる。そこで彼の表情に初めて迷いが生じた。
白夜として、親衛隊には最初は軽傷だけで済ませて、戦っても勝てる相手ではないことをわからせ、無駄な戦いをさせないようにしょうとしていたが、ルシアスに揚げ足を取られてしまい、このままでは争いが避けられない。
悔しさに顔をしかめた瞬間。
親衛隊、玉藻前、白夜、シルベット、そして──ルシアスという順でぴくりと眉を動かした。
何処からともなく、何かが聞こえてきたのである。
「これは……音楽──いや、歌か…………?」
そう。ルシアスが〈錬成異空間〉で創られたカラオケ店内から、微かに聞こるのは、それは紛れもなく“歌”だった。
カラオケ店内に音楽──歌が流れてくるのは当たり前なことだが、〈錬成異空間〉の、しかも先程まで無音だった店内に流れてくるのは不思議であり、おかしい。
「何で“歌”なんかが流れてくるのー? ぼくはそこまで構築してないよー」
〈錬成異空間〉の行使者たるルシアスが思わず声を上げる。
出どころが不明な“歌”は次第に、音量を上げていくと──キーンという耳鳴りにし始める。
そして。
その“歌声”に、シルベットと玉藻前、そして──白夜が聞き覚えを感じて、気付いた。
「こ、これは……っ!?」
「……あやつ、あれほど……っ」
「これはもしや……蒼天の──」
シルベット、玉藻前、白夜は三者三様の反応を浮かべてから、同じ結論に至った。
シルベットは、おっといった驚きの表情を、玉藻前はもしやといった呆れた表情を、白夜は少し懐かしむような表情を、それぞれの反応を浮かべてから、何かを悟り一斉に同じ系統の術式をある部分に行使した。
それは耳である。耳の周りに、防音を施された〈結界〉だ。それに、ルシアスが気づいたその瞬間──
歌声は、音楽と共に一気に上がり、音の圧力がビリビリと聴覚を刺激し、激しく鼓膜を震わせる。
親衛隊は思わず耳を抑えようとするが、そうさせまいと歌声は大音響を建物に拡がらせて、“音の壁”とも形容するべき不可視の圧力が、全身にまとわりつく。胸が、腹が、手足が、顔の動きが封じられ、地面に崩れ落ちた。
三人が何かに気づき、同じ術式を耳に行使していることに一足遅く気づいたルシアスは、シルベットに右手首を潰す勢いで掴まれ右腕を塞がれ、天羽々斬の攻撃から身を護るため左手で〈結界〉を行使しているために、左腕と両腕を塞がれている状況化で、さらに両耳を塞ぐため〈防音〉を施された〈結界〉を張ることに間に合わず、超音波を伴う歌声を喰らってしまい、ルシアスと耳にまともに音波を喰らい、聴覚に打撃を与えた。これでしばらくは、何も聴こえることはできない。
血が出そうなくらい激痛と耳鳴り、頭痛が襲っているであろうルシアスたちを眺めて、三人は安堵の息を吐く。
歌声に超音波のようなものが乗っていることに、シルベットは感覚で、玉藻前は経験から、白夜は記憶から三人は思い当たり、音量が上がるギリギリで防音を施された〈結界〉を耳に行使するのに成功したのだ。
もしも、少しでも遅ければ、自分もああなっていたことに恐怖しながら、三人は入口の方を向く。
そこには──
いつの間にか、スポットライトのように電気が点いていた。暗闇に慣れていた三人とルシアス、十三の親衛隊にとって見まごうほどに眩しい。何とか目を瞑らずに、しっかりと目を見開き、そこいる少女を見据えた。
「じゃ、じゃ、じゃ〜ん♪ エクちゃんのためならぁ、えっくらさっさと重い腰もあげますよお」
戦場には不釣り合いな間延びした声が大音量で駆け巡り、異世界のアイドル──舞姫が降臨した。
◇
僅か十五分前──
カラオケの個室と共に、清神翼と水波女蓮歌は現実世界に引き戻された。どうやら、〈錬成異空間〉避けされていたのは、天宮空と鷹羽亮太郎が術式で寝かしている七号室だけで、既にカラオケ店はおろかショッピングモール全体に何らかの術式を施されたようだ。
「〈結界〉に指定も何もされていなかったのはぁ、“どの〈結界〉”も同じみたいですねぇ」
「それって、同じところに行使者が違う〈結界〉とかが張られていたということ?」
「そうですねぇ。ルシアスたちはショッピングモール全体にかけていたようですがぁ、エクちゃんはぁ、カラオケ店のみですぅ。あとはぁ……蓮歌が来るまでにぃ、いつの間にか〈結界〉を張られた形跡がありますねぇ。それが蓮歌たち個室にかけれたようですねぇ。──なんか違和感は感じていたんですけどねぇ」
てへ、と、さらりと重大なことを言って蓮歌ははにかんだ。
「それっていいの? 兵士として、そういうことを知らせないとダメなんじゃ……」
「仕方ないですよぉ。エクちゃんにもぉ、あのファイヤードレイクにも報告したくとも連絡も出来なかったんですからぁ……でも、そのお陰でぇ、いつの間にか、かけられていた〈錬成異空間〉に引きずり込まれずに済んだんですからぁ」
〈錬成異空間〉避けが施されていたのは、入口と七号室の個室だけであり、あとは、ルシアスの構築された〈結界〉によるものだった。
カラオケ店に張ったエクレールの〈結界〉は、部分的ながらも乗っ取られていたのようだ。それにより、彼女の魔力消費量は尋常ではなかった。蓮歌が引き継いだ際に、なんか魔力消費が多いな、と感じ、ケチって魔力消費が多い範囲の引き継ぎを行わず、解術したことが偶然にもルシアスの術中に嵌まらず済んだといえる。
「何で、シルベットはおろか玉藻前は気づかなかったんだ……?」
翼は率直な疑問を蓮歌に訊いたら、蓮歌はいつもの間延びした口調で答える。
「それは恐らくぅ、一ヵ所に複数の〈結界〉があるだなんて思わなかったんじゃないですかぁ。複数の者がそれぞれ違った〈結界〉を張るだなんて普通は考えませんからぁ」
「普通……ね」
蓮歌の口から普通という言葉を聞いて、翼は肩を落とした。彼としては、もう普通がわからない。もう既に彼にとって、人間界の普通とはかけ離れてしまっている。亜人にとって、普通でも、人間にとっての普通ではない。
「シルベットと玉藻前はルシアスが構築された〈錬成異空間〉で戦っているってことは、もう此処は安全じゃないよね……?」
「そうなりますねぇ……。早くソラさんやリョウタロウさんを避難させないと、ですねぇ」
「じゃあ、早くしないと……」
翼は腰を上げると、蓮歌は「え?」と少し驚いた顔を見せる。
それに翼は頭の上に疑問符を浮かべた。
「どうしたの……。空たちを安全なところに避難させないと────」
「えっ? あの狐さんからぁ、“妾かシルちゃんが来るまでぇ、決して出るなぁ、みたいなこと言われていますからぁ、むやみに動けませんよぉ」
翼の言葉を聞き終える前に、蓮歌の驚きの声が遮ると、続けて言葉を述べた。
「確かに、言っていたけども。危険が及ぶ可能性があるなら、何処かに避難させた方がいいんじゃ……」
「そうですけれどぉ……動くな、と言われたんですから動かない方がいいんですよぉ。あと、言っちゃ悪いんですがぁ、蓮歌には、シルちゃんのようなバカ力はありませんし、エクちゃんのような卓越とした魔術力もありません。体力も持久力も学舎では下から数えた方が早かったですし、短時間での防御術式なら得意なんですけど……。短時間、塞がれただけで諦める敵はいませんよお。ソラさんたち二人を此処から連れ出して無駄に、敵に目を付けられる危険性は犯したくないんですぅ。もう……いろいろとあって疲れていますのでぇ、今の蓮歌は動きたくありませんし働きたくもありませんから……」
蓮歌は、前半は此処にいなければならないこと、此処から出た時の危険性を訴えていたが、、後半に連れて顔にやる気と失われていき、“動きたくない”、“働きたくない”といった言葉が本音であることが翼にもわかった。
『このお嬢ちゃんはとどのつまり、疲れたからこれ以上は、動きたくないし働きたくないといっているわけだな』
頭に響く声が翼が結論付けようとしたことを肯定した。
蓮歌は、もう弁明するのも疲れたのか、慣れた調子でテーブルの置かれたタブレットを使い曲を探す。
曲を探しながら、蓮歌は何気なく口を開く。
「歌なら得意なんですけどねぇ……。──例えば、相手が聴覚の良い生き物なら、蓮歌の歌に超音波を乗せれば、泡を噴いて倒れちゃうのですけどぉ」
『それだっ!!!!』
蓮歌の何気ない言葉に反応したのは、さっきから翼の頭に響くダンディーな大声だ。
思わず翼は耳を塞ぐが、声は頭に直接響くため、脳髄を震わせる。
『この働きたくない怠惰なお嬢ちゃんでも戦えるはずだ!!!!』
『……えっ、どういうこと? その前に声のボリューム落とし』
少し興奮気味に言う声に翼は理由と注意をすると、声は『わりぃ、わりぃ』と言った後に、声を抑える。
『このお嬢ちゃんでも、ルシアスの親衛隊なら倒せるかもしれねぇ。ルシアスの親衛隊は、犬や猫、ハクビシン、アライグマ、狸、卯、といった亜種だ。殆ど、聴覚が卓越している種族であるため、お嬢ちゃんとの相性は良いはずだ』
『ルシアスの親衛隊って、小動物なの?』
翼は、ルシアスが小動物に囲まれている姿を思わず想像してしまう。
『人間界では小動物にあたる種族かもしれないが、半人間態として産まれているから大きさはそんな対して人間と変わらない。素早い動きと爪や牙といった攻撃は人間の殺すのなら充分だ。ハトラレ・アローラでは下級種族にあたるが、人間界では食物連鎖なら人間の上にあたるだろうな』
『つまり、擬人化した犬や猫とかは異世界では下級種族でも、人間界では頂点ということか……』
翼は、擬人化した犬や猫、狸や卯といった小説や漫画、アニメやドラマ、映画を思い出すと創作物と現実では違うんだなと落胆する。
『まあ……落ち込むなよツバサ。犬人種と狸人種は、人間には寛容だ。猫人種と白鼻尻種も警戒心は強いが、慣れれば心を開いてくれる。アライグマは荒々しいが話を通じる相手じゃねぇ。卯人種は性欲が強くって、異性が近づくには少し気をつけないといけないが、同性ならまあ大丈夫だ』
『なんか知りたくない情報を聞いちゃって萎えるな……』
翼を落ち込みながらも、頑固として、此処を離れたくない蓮歌にやる気を出させるかを考える。
『まあ……あの怠惰のお嬢ちゃんをやる気にさせるには、“アレ”しかないな……』
頭の中の声が“アレ”というもの翼は考え、ふと、思い当たる。
『“アレ”か……。でも、後々のことを考えるとなあ……』
翼は終わった後のことを考えながらも、それしか蓮歌の重い腰を上げてくれる可能性がないことに少し悩みながらも決めった。
「蓮歌……」
「何ですかあ? 蓮歌はもうこの個室から出ませんよぅ」
翼の呼ぶ声に、蓮歌は返事はしたが、目線を合わそうとはしない。動かないアピールなのか、タッチパネルでひたすら曲を選んでいるだけで、一向に決めようとしない辺りを見る限りでは、個室で寛ぎたい重いが強いようだ。
そんな彼女に翼は言う。蓮歌の重い腰を上げる魔法の言葉を。
「そういえばドタバタして忘れていたんだけど、エクレールから蓮歌に伝言があるんだったんだけど……」
「……えっ、エクちゃんから?」
蓮歌はタッチパネルから目を離し、ようやく翼の顔を見た。
「うん。そう。エクレールからね──」
◇
「蓮歌ちゃんが助けに来ましたよおッ!!!!!!」
蓮歌の声は、頭から付けられたヘッドマイクを伝えられて大音量で響いた。
どのくらい声の音量を上げているのかは知らないが、実に喧しい。シルベットは思わず声を上げる前にルシアスが口を開く。
「耳がギーンギーンって、なってんだよー! 次いでに頭と鼓膜がズキズキして何を言ってんのか上手く聞きとれねぇよくそ女ッ!!!!」
くそ女と声を上げたルシアスに蓮歌はあからさまに不機嫌な顔をした。
何も言わずに、右掌を横に向けると蒼色の魔方陣が展開し、何やら小型の機械を召喚し、それをもって黙って足を踏み出す。
「笑顔だけが取り柄で、愚民でもに作り笑顔だけ浮かべている楽な仕事をしているアイドルがぁ、なんでこんなところにいんだよー! 笑顔や歌や踊りしか取り柄がないお前なんて一生────って、何すんだよ! 勝手に人の耳に無言で取り付けてんだよ! クズがー! おっやめ! 止めろよ!! なんてバカ力なんだよー! この世の中はバカ力を出す女ばっかだなおい!」
白夜と親衛隊たちの前を通りすぎて、耳を抑えてもがき蓮歌に対して暴言を吐きまくるルシアスの目の前に、ゆらりとした歩調で、蓮歌が近づいてくる。
そして、彼女はルシアスのすぐ前まで来ると、まるで女神のように穏やかな微笑みを浮かべて、抑えていた耳から手を無理矢理離し、さっき召喚させた小型の機械を耳に取り付けた。
すると、立ち上がり、腰ポケットからスマートフォンを取り出し、指を踊るように軽やかに画面をタッチして操作する。
その間に、耳に入れられたものを取ろうとするが、両腕が震えて思うように上がらず動かない。どうやら、シルベットに右手首を強く握られたことと彼女が右腕を斬り落とそうと引っ張られた時にどうにか抗おうと〈結界〉を行使していた左腕で耐えてきた代償により、ルシアスの両腕に力が入りにくくなっていた。
「ちょいとタンマ!」
ルシアスがそう口にした時には、蓮歌はひと通り操作し終えると、蓮歌は息を吸い込んでいた。
再び、何かを察したシルベット、玉藻前、白夜、十三のルシアスの親衛隊は耳を塞ぐ。
ルシアスも思わず頭を下げて耳を塞いだが、
「わッ!!」
蓮歌の凄まじい大声がルシアスの鼓膜を震わせて、当分使い物にならないほどの代償を与えた。




