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第一章 六十四




 〈アガレス〉、メア・リメンター・バジリスク、そして────ロタン改めレヴァイアサンとの戦いは、これまで経験した戦の中で一番最悪な結末と事態を招いてしまった。


 ロタンとの一騎討ちで、破魔矢を放つ際に、煌焔は臆してしまった。彼女は幼馴染みだからといって、決して手を抜いたわけではない。だからといって、【戦闘狂ナイトメア】となっていたロタンに破魔矢を向けることに戸惑わなかったといったら嘘になる。


 【戦闘狂ナイトメア】となっていても、ロタンはロタンである。人間界で悪魔だと称され、傷付いてしまった哀しい海竜だ。


 人間たちに無実を晴らすべく弁明しょうとしても聞き入れてはくれず、彼らから石や槍を投げられても危害を加えてることを躊躇い、攻撃を防ごうとして跳ね返って傷付いた人間を心配しても、近づくなこの悪魔、と罵られてハトラレ・アローラに帰ってきた心優しい海竜である。


 孤島で一人で過ごしているうちに、どんな心境の変化があったのかは恐らくは〈アガレス〉が何かしたのは確実だ。


 だとしても、ロタンはメア・リメンター・バジリスクとは違い、〈催眠〉で〈反転〉し、〈堕天〉したわけではない。自らの意思により【戦闘狂ナイトメア】となった身だ。何とか生け捕りにして、〈反転〉、〈堕天〉の原因を取り除くのが先決だが、手を抜いて勝てる相手ではない。


 ロタン。


 豊穣と太陽を司り、闇を形作る怪物を退治していた神竜が、人間界では某宗教によってレヴァイアサンという名を与えられた彼女は、奇しくもその名に相応しい禍々しさを兼ね備えていた。


 生半可な魔力では敵わないだろう。本気を出してしまえば、ロタンを業火で殺してしまいかねない。煌焔の心中でロタンの親友として、聖獣として、どう立ち向かうべきか鬩ぎ合っている。


 何とか目を覚ましてほしかった。赦されるのなら、ロタンには出来れば投降して欲しかった。


 だが。


 それも【戦闘狂ナイトメア】になってしまえば、敵わないことは何度か戦場で【戦闘狂ナイトメア】と遭遇してわかりきっていた。


 どこか踏ん切りが付かなかった朱雀から放たれた破魔矢は、ロタンの矢を弾き返したが、ロタンの躯を擦ることはなく、大きく外れて地上に刺さってしまった。放つ寸前になって、魔力を込めることに躊躇してしまったことにより、照準が僅かにずれてしまい、力も半減してしまったのだろう。


 それにより、ロタンは、腰の短刀を抜き、煌焔に接近戦を挑んだ。ロタンに刃を向けることに躊躇し、投降するように声をかける煌焔を嘲笑うかのように、ロタンは短刀を振るった。煌焔とロタンの戦いは、煌焔の防戦一方をきわめた。何度か意を決して剣技を振るって、あと少しまで追い詰めても止めを刺すことが出来ない。その逡巡する僅かな隙をロタンは見逃さず、煌焔の剣を弾き返されて、敗北した。


 煌焔は、最後にロタンに云われたことを反芻する。




『あなたは、私と同じになっても、心を汚さずにいられるかしら』




 ロタンの言葉の意図を噛みしめる。彼女は最初から知っていたのだ。


 煌焔が不知火諸島はおろか南方大陸ボルコナを護りきれないことを。


 【戦闘狂ナイトメア】たちの侵攻は、南方大陸ボルコナだけではなく、ハトラレ・アローラ全大陸や人間界に及ぶことを。


 【戦闘狂ナイトメア】たちの侵攻をネタに目の敵にされていた元老院から激しく糾弾され、爪弾きされてしまうことを。


 それによって、南方大陸ボルコナに引き込まざるを得なくなり、孤立することを。


 すべて、〈アガレス〉の策略によって行われることを。


 ロタンは、煌焔が自分と同じく〈反転〉をし、〈堕天〉することを期待しているのだ。


 煌焔もロタンと同じく某宗教から悪魔と呼ばれている。だけど、ロタンとは違い、思い悩むことはなかった。人間界には幾つかの宗教があることは知っているし、国によって亜人が慕われていたり、忌み嫌われている。人間たち全てに嫌われているわけではないことを人間界のすべて見てきた朱雀は知っていたから。


 だから、その国はそういった国なのだから、その宗教はこういった考え方なのだからと割りきって、これまで人間たちを差別無しに救ってきた。


 たかが一国の宗教に嫌われただけで〈反転〉するほど、朱雀の心は脆くはない。少しくらい傷つくことはあるかもしれないが、世界は一つではないのだから。


 ロタンはそんな朱雀のことを妬ましく思っていたのかもしれない。煌焔が玄武────地弦を連れて度々、ロタンの元を訪れていた時に、自分の中にある闇を悟られまいと、隠していたのかもしれない。少しでも、そんな小さな変化を気付ければ、こんなことにはならなかっただろう。


 だから、これは自分の責任だ。


 ハトラレ・アローラ、人間界と護る聖獣として、ロタンの友として、このまま見逃すことが出来ない。ロタンには、投降してもらいたいが、それも仕方ないだろう。


 今度こそ、意を決して煌焔は挑まなければならない。ロタンとの決着が付けて、〈アガレス〉ら【創世敬団ジェネシス】を討つ。その時の準備を鳳凰及びボルコナ兵をしてくれた。


 鳳凰やボルコナ兵は〈アガレス〉とメア・リメンター・バジリスクと戦闘し、壊滅状態寸前まで攻められ、敗北を期してしまい、それが不知火諸島だけではなく、南方大陸ボルコナの北側と中央大陸ナベルの南側へと進攻を許す原因となってしまったことは忘れたくとも忘れられない。


 これは煌焔だけではない。南方大陸ボルコナ全員のリベンジである。


 彼女────煌焔は、聖獣として、英雄として、南方大陸ボルコナの守護者として。そして────ロタンの友として。


 鳳凰、ボルコナ兵は主に任されたにも拘らず、たった二人に敗北し、使命を果たせなかったことのリベンジだ。


 亡くなった命は、不死鳥である煌焔のように戻ることはない。失った信頼は二度と取り戻すことは出来ない。


 聖獣と一般の亜人との大きな隔たりでもある。


 煌焔────朱雀、鳳凰、ボルコナ兵はあの出来事を思い出し、後悔に苛まれ、そんな自分を恥ながら、何とか拳を握りしめながら今日の日が来るのを待っていた。


 ロタン────レヴァイアサンに戦い、勝つために。


 責任を取るには、自分で取るのが当たり前だ。煌焔は、天上で漂いながら、その時を待っていた。


 だが。


 その思いを嘲笑うかのように、ロタン改めレヴァイアサンは姿をなかなか現さない。


 煌焔は憲兵に追いかけられている【戦闘狂ナイトメア】を視界に捉えたが、ロタン改めレヴァイアサンではなくメア・リメンター・バジリスクだった。


 朱雀こと煌焔が人間界に降りてきた使命は、メア・リメンター・バジリスクを討つことではない。ロタン改めレヴァイアサンだ。彼女に対して挑発するように、これまで長らく欠席していた巣立ちの式典に出席したのだから。


 レヴァイアサンとしては、煌焔が自分と同じような苦しみを与えて、【戦闘狂ナイトメア】に堕ちることを期待していた節が彼女の最後の口ぶりから読み取れた。煌焔も某宗教から悪魔としてされ、レヴァイアサンと同じように人間たちに疎まれた境遇である。自分と同じく孤立すれば、【戦闘狂ナイトメア】に堕ちると考えていたのだろう。


 だが、煌焔は人間界にいくら疎まれようとも折れることはなかった。


 だからこそ、煌焔をハトラレ・アローラの全大陸から爪弾きにする策略を〈アガレス〉と練ったのだろう。それで世の中に絶望して【戦闘狂ナイトメア】に堕ちることを願っていたが、そうはならなかった。少し引きこもりさえしたが、〈反転〉はおろか〈堕天〉、【戦闘狂ナイトメア】には堕ちることはなく、実際にもそうだが不死鳥のように蘇り、公務に赴いた。どんな噂話が立とうが構わず、折れない姿を見せつけるようにして。


 それをレヴァイアサンはどう感じたのだろうか。恐らく面白くなかったことだろう。今一度、接触を謀ろうとするのではないか、と考えた煌焔は、わざわざ接触しやすいように、密入国者のように人間界に降りたのだが。


「そう易々と、誘き出せるとは思わなかったが……わざわざ、メア・リメンター・バジリスクの脱獄させたとはな。まあ、こんなあからさまな誘いに乗るような莫迦ではないだろう」


 レヴァイアサンが煌焔に接触してくる可能性は極めて低かった。誘き出せる根拠は少なく、殆ど賭けに近いと言っていい。


 だからといって、肩を落とすことなく、前方を見据える。メア・リメンター・バジリスクはまだ離れているが、煌焔の視力で捉えるには十分な距離だ。接触まで、そう時間はないだろう。


「まあ。テンクレプたちが〈アガレス〉を誘き出せたのだから、良しとしょう。メア・リメンター・バジリスクを一度、捕らえて、レヴァイアサンを誘き出せる策を練るとしょう」


 煌焔はそう呟き、〈索敵〉を行使させた。


 〈錬成異空間〉内にレヴァイアサンと思わしき魔力反応はないことを確認すると、その代わりに二つの魔力反応が近づいてきていることに気づく。


 そちらに、目を向けると────こちらに近づく二人の姿があった。


「問題児と死に損ないか……」


 炎を身に纏った朱雀の前に現れたのは、金髪ツインテールの少女────エクレールと黒髪ロング────美神光葉だった。




      ◇




「…………朱雀────煌焔様…………」


 美神光葉は空中で急ブレーキをかけて止まる。エクレールもそれに倣い、止まった。


「さっきは途中で退席されて悲しかったぞ」


 えんえん、とわざとらしく泣いてみせる煌焔。それを年甲斐もないと冷ややかな態度で美神光葉は見据える。


「それはすみませんでしたね。でも、今は立て込んでいますので、道を空けて頂けると助かります。ついでに、通りすぎた途端に攻撃するとかしないといいんですけど……」


「妾という人格を勘違いしているな……」


 朱雀は、心外だと不快感をあらわにする。それでも美神光葉は訝しげに見据える。


「それはどうでしょうね……」


「疑い深いな。まあ……仕方ないと諦めよう。焼き殺しかけたのだからな」


「焼き殺しかけたのではなく、焼き殺す気だったのでしょう……」


「ハァハッハッハッ……」


 煌焔は胸を張って笑い出す。ひとしきり笑うと、美神光葉に問う。


「そう感じたか?」


「少なくとも先程までは」


「今は?」


「先程の発言で少しばかり意図があったと感じました」


「ならいい。〈錬成異空間〉の障壁を塞ぐのだろう。行けばよい。皹の状態から察するに現実世界ではゲリラ豪雨くらいの災害は起こっている頃合いだろう。酷くなる前に塞いで来い」


 そう言うと、煌焔は道を空ける。


 言葉通りに受け取って、煌焔の前を通るかどうか美神光葉が悠長していると、エクレールが口を開く。


「ところで、あの引きこもりで有名な煌焔が人間界に何しに来たのでしょうか……?」


「…………」


「……、は?」


 エクレールの言葉に、美神光葉は二拍の間、無言になり、煌焔は少ししてから低い声を出した。


 そんな反応に、煌焔が聞き取れなかったのだと勘違いしたエクレールが再び口を開いた。


「周囲の国や元老院たちが怖くって自国から出られなかった引きこもりが何故、人間界に降臨したのでしょうか、と訊きましたのよ」


「誰が二度言えと言ったんだ? しかも余計なのが加えて。妾は誰がそんな出鱈目な噂を耳にしているんだ? もしくはエクレール────が妾があんな老いぼれを畏れていると考えていたのか」


 目に静かな怒りの炎を燃やしながら、煌焔は問いかけた。


「そうですわね……。どちらかと言えば、社交界でそんな噂を耳にしていましたので、それを加えた上でのわたくしの発言ですわ」


「そうか。では、その元となった出鱈目な噂をばら蒔いた輩の名を教えよ」


「そうですわね……どうしましょうか」


 エクレールは思い出す素振りを見せながら勿体ぶる。その行動が腹立たしい煌焔は、躯に纏う炎が揺れ、苛立ちを隠しきれない。


「勿体ぶらずに言えエクレール! その嘘の噂を流した命知らずの名を」


 せかすように煌焔は言った。


 その言葉を聞いた途端、ニヤリとエクレールは笑った。傍らにいた美神光葉がそれにいち早く気づく。


 こいつ、まさか……と信じられないといった視線を向けて、呆気に取られていると、案の定、エクレールが次に口にした言葉は予想通りだった。


「よろしいですわ。英雄の頼みですから……でも、わたくしとしても知人を売ることは少々、心苦しいですので、それなりに頼み事を訊いてくださいませんと」


 エクレールは畏れ多くも聖獣である朱雀に頼み事を持ちかけてきたのだ。


「ほう」


 煌焔は、感心した視線をエクレールに向ける。


「まだ【謀反者討伐隊トレトール・シャス】に入隊して間もないひよっこが、聖獣である妾に頼み事を持ちかけるとはな。流石は、ゲレイザーの娘だ。肝が据わっている」


「よく言われますわ」


 エクレールは賞賛され、素直に嬉しがる。


 しかし。


 朱雀は一定して、厳しい目をエクレールに向けた。


「────だが、命知らずだ。浅はかでもある。相手を不機嫌にさせてから頼み事を持ちかけても素直に応じるとは限らない。嘘の噂をばら蒔いた輩について、は部下に調べればわかることだ。どうしても、エクレール────貴様にだけ訊かなければならない必要性はない。上手く頼み事をするのなら、相手が気持ちよく応じらせやすくするように心得よ」


 そう煌焔は諭すように言うと、エクレールは恭しく頭を下げた。


「お見それ致しましたわ。わざわざ怒らせてしまい、申し訳ございません。非常に勉強させて頂きました」


 そう、エクレールは謝罪の言葉を口にした。常に自尊心が服を着ているかのような態度が多い彼女からして見れば、珍しい行動といえる。


 傍らで、何だ謝れるじゃないか、と美神光葉はぼやいたが、エクレールはそんな言葉を無視して、口を開いた。


「おっしゃる通りですわ。嘘の噂をばら蒔いた輩については、調査員にでも調べれば一発でしょうし、わたくしにしか聞けなければならない重要性はありません。ですから、これは頼み事ですわ。勿論、損得勘定で受けるかどうかを決めてくださって構いません。これは、単なる頼み事で交渉事ではございませんから。でも、朱雀様は聖獣であります。聖獣とは、神に等しき力を持った獣ですわ」


「何が言いたい?」


「ふふふ」


 煌焔が問うとエクレールは微笑んだ。


「先程、神という存在はあらゆる生けとし生ける者の信仰に成り立てるという話を半分神という輩に教えられたばかりでして、聖獣様も神に等しき存在ですわ。生けとし生ける者の信仰で成り立てるといっても過言ではありませんわよね?」


「まあ……そうだが」


 煌焔はとてつもなく厭な予感がした。


「ボルコナからお出になられなかった長い期間、煌焔様は民の頼み事はなるべく答えるようにしていたと訊き及んでいます。時折、他の大陸から訪れた者の頼みに答えていたとも」


「……それは一体、誰から訊いたかは甚だ気になるところだがな。妾をわざわざ不機嫌にさせて頼み事を持ちかけて訊き入れると思うか? 思っていたのなら、愚策にも程がある。出直してこい」


「煌焔様がボルコナで長年の間のどのように過ごされていたのか、を訊きましたのはファイヤードレイク様ですわ」


「ああ。なるほど、それで妾に」


 煌焔は合点がいった顔で応じると、


「で、何だ?」


 左手を出して話の続きを促すと、エクレールはそれに頷き、話を続けた。


「出鱈目な噂を口したことに関しましては、いくら周囲で出回っていたこともあり、真実か嘘かを調べず発言したことを確認しなかったことをお詫びを申し上げますわ」


「噂話は、どんなに不特定多数の者が言っていた、知っていただけで真実かどうかが決まるわけではない。噂とは──特に誰かを陥れる噂に関しては、そう仕向けるようにした者の意図が含まれていることが多い。容易く信じるものではないことを心がけよ」


「わかりましたわ」


「本当にわかったかどうかは怪しいがな……まあいいだろう。ところで、頼み事とは何だ? つまらないことだったら、妾は怒りをお主にぶつけて焼くぞ」


 煌焔は訝しげに眉根を上げて言うとエクレールは口を開く。


「煌焔様は、民の頼み事を訊き、様々な要望に答えて来ましたと訊きまして。民の声に答えるのは容易ではありません。ましてや、全てに叶えることなど難しいと思います。それを全てではございませんが、殆どの要望に答えてきたことは流石でしょう。わたくしは────」


「妾をあからさまにご機嫌を取りにおだてるのはそれまでにして、いい加減に本題に入れ。時間がないのだろう」


 煌焔はそう言って、エクレールの言葉を遮り、顔を上の方へと向けて、彼女たちに見るように促した。エクレールたちは促された通りに見上げると、天上には少しずつ蜘蛛の巣のような皹が広げている。


 このまま、無駄に時間を割けば、現実世界に取り返しのつかない災難に見回られることだろう。エクレールはあからさまなおだてをやめて、朱雀に言われた通りに本題へと入った。


「そうですわね。わかりました。わたくしのような、ち……、小さく、よ……、弱き者の頼み事でも聞いて頂けますか?」


 エクレールは小さいと弱いといった言葉を口にするに抵抗感を抱いたが、何とか言い切るのに成功した。


 どんな心境の変化でも起こったのだろうか。自尊心が高い彼女にとって、自分の評価を低く言うことは有り得ない。特に自分を小さく弱いということには屈辱的といえるだろう。


 彼女をそこまでして、頼むものは何だろうか。煌焔は顎をしゃくらせて、


「頼み事の内容によるな」


 と、話の続きを促すと、エクレールは口にした。




「わたくしたちが〈錬成異空間〉の障壁を終えた際、少ない魔力は尽きてしまいます。その時、煌焔様に護って頂きたいと頼みたいと思いまして」


「それはつまり、聖獣の妾に下っ端である貴様らを護れというそのままの意か?」


「ええ」


 エクレールは頷くと。


「勿論、タダと言いませんわ。その代わりに、これから煌焔様の手伝いを人間界に迷惑かからないという条件付きと魔力切れを起こさない範囲でなら致しますわ」


 如何でしょうか? と、頼み込んだ。


 それに煌焔は鼻で嗤う。


「ほう。やはり浅はかだ。図々しいにも程がある。妾がこれからすることをわかっておらずに自分を売り込んでいるのだろうことが理解した」


「まだ【謀反者討伐隊トレトール・シャス】になって間もないわたくしですが、それなりに学舎で学んでまいりましたわ。多少の手伝いなら出来ると思います。こちらの間者とは、同じ轍を踏みませんわよ」


「次いでに、貴様の頼みは、自分は優秀だからと高をくくって売り込んでいるつもりか。これは笑えるな。“黒き女剣豪”である美神光葉よりも上手くやれる、と。妾がこれからすることを理解しておらずにな。はっきり云おう。エクレールよ────貴様は自分が思っているほど優秀ではない」


「……」


 煌焔の言葉にエクレールは黙ってしまう。


「此処で、不様に慌てて弁明したら三流だったな。良かったな、貴様は二流か四流のどちらかだ」


 そう言って、何も口にしなかったエクレールを皮肉ると理由を語りだした。


「精神攻撃の類いには弱い。加えて、ゲレイザーで不自由なく我慢のない日常を過ごしていたのだろうな、だから欲求を抑えることが不慣れだ。だから、昨日のラスノマスが放った血の臭いにより我を忘れてしまう事態に陥ったんだ。シルベットが血生臭い中にいても、差ほど変わらないのは、シルベットは産まれてから屋敷の敷地内から出られず、学舎に通いたくとも通えない状況にあったからだ。かなりの鬱憤は溜まっていそうだが、制限された暮らしを過ごすによって我慢には慣れているのだろう。屋敷よりも血生臭いの中の方が好きに動き回れるから自由ということだな。戦闘欲には勝てなかったが、我を忘れたエクレールよりはまだいい方だ。だからこそ、学舎に通っていないからといってシルベットを見下すことは出来ない。なぜなら、貴様────エクレールは、学舎で習ったことしか出来ないからだ」


「……どういう意味ですか?」


 エクレールは険悪な仲であるシルベットの名前を引き合いに出されて、不快感をあらわにする。


「わからないのか。戦場というものは教科書通りに進まないものだ」


「わかってますわよ……」


「いいや。わかってない。貴様は、妾を敵に回したくないだけだ。自分が魔力切れを起こした時に護ってくれるように頼み事を訊いてもらう代わりに妾を手伝うといっている。妾がこれから何をするか知らずにな。学舎で習った通りに何とか今ある手札を探して、味方にして取り入ってしまおうという腹つもりなのだろうが、貴様がしょうとしていることが透けて見えてしまう。学舎である程度、その辺りのことを習うからな。丸わかりだ」


 もう少し自分なりに工夫しろ、と煌焔が言うと、エクレールは少し不貞腐れたように顔を歪める。


「学舎で習ったものだけではダメだということを知らなければ、【創世敬団ジェネシス】には勝てない。【創世敬団ジェネシス】にいる奴等は大抵は元同胞なのだからな。それしか出来ないのに、自分は優秀ですよ、と売り込んでいる貴様を妾はどう見ると思う……?」


「……わかりませんわ。どう見ますの煌焔様?」


「此処で、答えられないから理解していないという証拠だ」


 そう言って、煌焔は理由を教える。


「“ただ学舎の中でのみ優秀が何を言っているんだか……”だな」


「……ッ!」


 エクレールの表情があからさまに屈辱と怒りに染まる。


「そんな貴様が妾の手伝うといった勇気は誉めよう。だかが、学舎の中でのみ優秀な分際で手伝うといったのだからな。その要望に答えてやろう。自分が優秀と思うのならば、やって見せろ。妾に小莫迦された分、見返してみよ」


「……そのつもりですわ」


「御教示したんだ。何で不貞腐れているんだ? 自分は何も言われない、と本当に思っていたのか。少なくも貴様に落ち度がないとは言い切れないぞ」


「何が、ですの……?」


「やはり、わからないか……」


 煌焔はため息を吐き、時間もないから早口にまくしたてる。


「まずは、その無駄に高いプライドというものが邪魔だ。如何にシルベットを自分よりも劣っているということを主張してきたが、貴様も言う立場ではない。自分にぜんぜん落ち度がないと本気で思っている時点で間違っている」


 煌焔は一気にそう言って、小さく息を継ぐ。そして、次第に厳しい口調になる。それをエクレールはただ黙って見つめ返している。


「【部隊チーム】は一つだ。他の隊員が如何に失敗しょうがフォローするのが基本だ。フォロー出来ない場合も、上官から使令を待つか。上官がいなかった自分たちで考えて行動する。【謀反者討伐隊トレトール・シャス】はそこまで統率に備えた組織ではない。だが、上官の使令が絶対ではないからこそ、自分たちで考えて行動することができるんだ。自分の失敗を他の隊員に押し付けるのも間違って歪みあっては敵の思うツボというものだと知れ。または自分の失敗と考えないで相手に失敗を被せることも愚かだ。仲良しこよしで出来るほど戦場は甘くないがな。エクレールも学舎に通っていたのだから分かるだろう」


「そうですわね……」


「団体訓練の際に、如何にして任務を遂行するか。仲間がミスをした場合の行動の仕方も習ったはず。戦場では、人間たちを護ることで精一杯の時もある。戦場には冷静な言葉の通じない、相手のことを考えない、何のルールにも縛られない敵が、こちらの命を断つことだけを目的にあらゆる手で迫ってくる環境の中で、仲間の失敗を逐一、上官に報告して、自分をたてようとしていては何も護れない」


 煌焔はそう言って、ちらりと横にいた美神光葉を見る。


「この人間界は、あらゆる異世界の中で平和だ。特に日本に置いてはな。ただ、この世界の常識では測れない次元の連中が攻めてくる。何が起こるか分からないのが妾たちの戦場というもの。如何にして、この世界を敵組織から護ることが急務。人間は少しでも傷を負うと死んでしまう。少しの判断ミスで取り返しがつかなくなる。死んでしまったらもう二度と戻らない儚い生き物が人間だ。人間にも多様な種族がいるが命は平等の重さがある。我々もだが、軽い命などない。どの命にも代用というものはない。亡くなれば、それでお別れなのだから。武器だけ持って弾丸や剣圧の雨が飛び交う地雷原に入ったら即死してしまう。敵組織は、人間を食料として、容赦なく狩る。妾らは人間を食料と見なさない。だから、貴重な生き物として護らなければならない。そんな妾たちを敵組織は奪おうと敵とみなして、容赦なく攻撃してくる。戦場では手加減はしてはならないのだから。内輪揉めをしている暇など一切ない」


「わかりましたわ……。今後も行動に気を付けますわ」


 エクレールはそう言って頭を下げた。


 美神光葉は横から彼女の顔を見ると、表情が苦虫と苦い薬味を大量に入れてグツグツと煮込んだ鍋を食ったかのような顔をしていた。明らかに納得はなさそうが、煌焔が言っていることもわかるために反撃出来ないのだろう。


 そんな顔を悟られまいと、エクレールは何とか引っ込ませて顔を上げると、煌焔はジーと彼女の顔を覗き込むと。


「では早速、妾の手伝いをしてもらう。これから〈錬成異空間〉が壊れないように障壁の修復をして、何とか維持するようにしてみせろ。出来れば、少しの間だけでも拡張してくれると有難い」


 と、エクレールと美神光葉に命令を降した。


「拡張……?」


「……ですの?」


 〈錬成異空間〉を拡張に関しては、エクレールと美神光葉は首を傾げる。


 二人の目的は人間界に災厄が降りかからないように、今なお拡大し続ける〈錬成異空間〉に蜘蛛の巣のような波紋を描く、亀裂の修復だ。


 〈錬成異空間〉の修復には相当の魔力消費が予想される。修復が完了した後は、魔力切れで動けなくなる可能性は高い。修復された後に、敵組織に襲われては元もこうもない。そのために、エクレールは煌焔にはどうにか護ってもらえるように保険をかけようとしていたのだが。


「あれだけの亀裂を修復するだけでも魔力量も激しいのに、拡張だなんて……」


 エクレールと美神光葉の目的である修復に拡張という余計な手間が増えて、少し混乱する。煌焔がエクレールたちが魔力切れになった時に敵組織から護ってくれるということについて未だに答えていない。つまり、魔力切れを起こした時に護ってくれる保障はないということだ。何故、空間の拡張しなければならないのか。その意味も含めて確かめたい。じーと二人は朱雀を訴えるかのような視線で訴える。


 それに気付いた煌焔は頷き、肩をすくめて、口を開く。


「少しだけの時間だけ拡大した後、用が済んだら戻せばいい。その時が来たら、妾ではないが、合図を出される。合図がなければ、拡張せずに空間の修復にだけ尽力してくれたらいい。魔力が足りないのなら、既に〈錬成異空間〉の障壁の修復を行っている如月朱嶺に頼め。妾からの司令といえば従うだろう。あとまあ……あのゴーシュたち二人にも無理矢理にでも協力させても構わない。妾が許可する。拒否したら、こてんぱんにしても構わん。魔力切れを起こした場合は妾が全力で護ろう」


 約束しょう、と煌焔は言った。〈錬成異空間〉の拡張の理由に関してだけは告げず、彼女はさっさと上空へと行ってしまった。


 飛び去る煌焔に向かって、エクレールは憎々しげに呟く。


「今に見せてあげますわ、わたくしが学舎の中だけ優秀ではないことを……。それまであなたの御教示、有り難く受け取っておきますわ」




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