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第一章 六十三




 それは月が綺麗な夜だった。残忍で卑劣な大量殺戮が起こるなんて考えられない。


 そんな美しい夜だった。


 ハトラレ・アローラ。


 南方大陸ボルコナと中央大陸ナベルの中間に位置する、不知火諸島。


 大小様々な島で出来ている諸島には幾つもの黒煙が立ち上っている。黒煙は、徐々に終息しつつあったことから、既にかなりの時間経過があったことが窺える。


 それでも戦域となった各所の被害は甚大な影響を与えているのは間違いない。まずは、被害の確認をしょうとしたが、それをすることなく、村の殆どが壊滅的な状況であることがわかった。


 それもそのはずだ。


 立ち上る白煙の根本へ辿り着いたとき、目に映ったのは、大きく組み立てられた焚き火の残骸。その中には村人の焼死体が山積みされていたのだから。


 それを到着と同時に見てしまった朱雀は、呼吸と鼓動が早まり、体の反応に急き立てられて駆け込んだ。


 命の残骸の数は膨大で、揺れる度に崩れて風に吹き飛ばされていく。少しでも触れば崩れてしまう程に脆く、炭化していることがわかった。感情に任せて、抱きしめてしまったら呆気なく塵となっていたことだろう。


 積み上げられた屍は量からして諸島に住む者の半数以上だと言うことがわかった茫然と立ち竦む。


 ふと、屍の山から少し離れたところにあった幼女の死体に目を向けた。焚き火から離れたところにあったの幼女の死体は半分が少しばかりか焼かれていたが、炭にはなっておらず形が残っていた。その屍体と朱雀──煌焔は目と目が合った。


 その目には、もう何も映さない、空洞となっていた。表情は恐怖に歪んでいた。煌焔は声を上げた。それは悲鳴にも。怒号にも判別のつかない声ならず声。


 ボルコナ兵は、そんな悲痛な声を上げる主に何も言わずに立ち尽くしていると。




【憐れですね】




 声がした。


 どこからともなく、男性のものとも女性のものともつかぬ嘲笑うかのような声が聞えてきた。突然、響いてきた得体の知れない声にボルコナ兵及び鳳凰は訝しげに眉を潜める。


「誰ですか?」


「出てきなさい」


 朱雀様が悲しんでいるのに嗤うとはどういうことですか、と鳳凰及びボルコナ兵は辺りをキョロキョロと見回しながらも臨戦体勢を取る。


 周囲を警戒する鳳凰及びボルコナ兵を嘲笑うかのように得体の知れない声は、


【ギャ〜あはハハハハははははッ!!】


 壊れた鳩時計のように奇妙な笑い声のようなものを上げた。


【アナタが悪いのですよ朱雀────煌焔】


「──ッ!?」


 突如として、茫然自失の朱雀の前方──島民たちの亡骸の山頂に得体の知れない”何か”が立っているのがわかった。黒の法衣に身を包んでいる。それ以外に、”何か”としか他に形容するモノが出来ない。辛うじてフードの中からギラギラと狂気に満ちたと輝く黄金と深紅の双眸と異様に大きい口が見えているだけで、あとは漆黒しかない。肝心な中の実像が漆黒で捉えられることが出来ないである。


 まるで中身全体に漆黒の膜が覆って存在を認識させないようにしているような得体の知れない”何か”だろう。


 突如として現れた“何か”に鳳凰及びボルコナ兵は動揺する。それも仕方ない。いくら探っても足跡も気配もなかった声の主が突如として、自分の主の前にいたのだから。出現からワンテンポ遅れて、鳳凰たちは煌焔の前に並び立つとそれぞれの武器を構えた。


 後方にいたボルコナ兵も各々の武器を構えて警戒する。


 ただ、煌焔は一目でその得体の知れない“何か”の正体に気づいていた。


「ふん。妾が感傷に浸っている中、何の用だこの下手物……」


 排泄物を眺める目で、その“何か”を煌焔は一瞥する。そんな彼女をとても可笑しげに“それ”は嗤った。


【ふふふ。酷いですね下手物とは】


「下手物で十分だ。妾の目には、正体を見透す力があるのだからな」


「では、あれの正体がわかったのですか?」


 横にいた煉神鳳が警戒しながら朱雀に聞くと、彼女は首肯した。


 朱雀は、〈念話〉で鳳凰及びボルコナ兵に向けて発信する。


『奴は、ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーと呼ばれるものだ。中身は【創世敬団ジェネシス】、〈アガレス〉の可能性が高い。つまり敵組織の幹部だ。心してかかれ』


 朱雀から〈念話〉を受け取ったボルコナ兵たちは、〈アガレス〉の周囲に包囲網を張っていく。


「【創世敬団ジェネシス】は逃がしません。──朱雀の神子たる鳳凰が願い奉る。魔の侵攻をその業火によって封じ込め、我に悪神百鬼を討たせ給え!」


 煉太凰が厳かに祝詞を唱え、少女の体内で練り上げられた呪力を、扇が増幅。扇から放たれた強大な呪力の波動に、〈アガレス〉の口元に少しばかりか歪んだのを煉神鳳を見逃さなかった。


 すかさず煉神鳳は薙刀に、火焔を灯らせて放つ。


 煉太凰が扇に炎風を巻きおこし、煉神鳳の一閃に風に乗らせて鋭さを増して、屍の山で佇む悪魔へと撃ち込む。


 しかし。


 それは〈アガレス〉を貫けなかった。


 〈アガレス〉が避けたわけではない。煉神鳳が薙刀で放ち、煉太凰の扇で速度を上げた火焔の矢は、〈アガレス〉に直撃する寸前になって、横合いから飛び出して来た銃弾によって、急激的に速度を落とし、地に墜ちて霧散。呆気なく消滅してしまったからだ。火焔の矢を撃ち落としたことに、朱雀、鳳凰及びボルコナ兵は銃弾が飛んできた方角に警戒をする。


 そこには、売店らしき趣がある建物があった。


 日陰となった屋内から小柄な人影がゆっくりと進み出る。窓から僅かに見え隠れしている姿と聞こえる足音は小ささを考えると、朱雀は相手の正体を知り歯噛みする。


 チャラチャラ、とドアの開閉を店員に告げるベルが鳴り響いて、店内に出てきたのは朱雀が予想した通りだった。


 闇のような漆黒のドレスを身に纏った、華奢な体躯の幼女だ。影のような、なんて形容がよく似合う服装と真珠のように白く滑らかな肌は、幼女を悪魔や吸血鬼のような印象を受けてしまうほどに〈アガレス〉以上に得体の知れないものを感じさせてしまう。


 極めつけは、真珠のように白く滑らかな肌に付着している血痕が気味の悪さを引き立てている。血痕は頬、首筋、肩、腕、足と付着している。見たところ、幼女には外傷は見当たらない。では、その血痕はどうやって付着したか。朱雀は、すぐに思い当たり、背筋に冷たいものが走る。だとしたら、やんちゃと言うにはあまりにも度が過ぎている。付着しているのが泥であったのなら、どれだけ可愛かったか。


 その幼女の両手に握られているのは、散弾銃だ。形状は、水平二連ソウドオフショットガンに似ているが、骸骨と骨組みの装飾が施された禍々しい威容を称えている。


 その散弾銃の銃口からは、今しがた発砲したと主張するかのように白い煙りが漂っている。それにより、鳳凰が〈アガレス〉に放った火焔の矢を撃ち落としたのは、その幼女である可能性が高くなった。


 それを成し得た原因は、幼女の瞳にある。


 幼女の目は、左右非対象の異形の瞳────オッドアイと呼ばれるものである。水晶のように輝く右目の瞳に対して、左目は血のような深紅の瞳。変異種として生まれてくる亜人は稀に存在している。人間界でも個体数は少ないが、稀に起こる変異であって珍しくもない。もっとも注視するべきは、深紅の瞳の左目にある。無機的な深紅に、数字と文字が縦と横と斜めに並べられている。幼女の左目には、魔方陣そのものが刻まれていた。それが魔力量が少ない幼女が鳳凰が放った火焔の矢を撃ち落とすほどまでにさせた元凶といえた。


 そして。


 幼女の瞳の魔方陣を凝視して視線を、ふと顔に向けた時に朱雀は気づく。


 前横に並ぶ鳳凰も動揺の反応をする。


「……あ、あの娘……、もしかして────」


 煌焔と鳳凰は、店内から出てきた幼女に見覚えがあった。火焔の矢を撃ち落としたのが幼女であったことに動揺と衝撃を隠しきれないまま、その名前を口にする。


「────リメンター家のメアお嬢様……!?」


「────リメンター家のご息女か……!?」


 幼女がメア・リメンター・バジリスクであったという煌焔と鳳凰の言葉は、ボルコナ兵に衝撃と動揺を与えて、広がっていく。


 少しずつ動揺と衝撃に侵食していくボルコナ兵を眺め見て、フードから窺える〈アガレス〉の口端を上げて歪む。とても愉快げに。


 朱雀はそんな〈アガレス〉を見て、動揺と衝撃を落ち着かせると、すぐさまに鳳凰やボルコナ兵に向かって声を上げる。


「狼狽えるな! 落ち着くんだ! メア・リメンター・バジリスクを操っているのも魔力を与えているのも、〈アガレス〉だ。彼奴を捕らえて彼女を戻すのだ」


【相変わらず苛烈だな。幼女に向けていた矛先をこちらに向けて。まあ、彼女をそうさせたのはワタシだがな】


 〈アガレス〉はそう言って、せせら笑う。呆気なく口を割った〈アガレス〉を訝しげながら朱雀は問う。


「呆気なく認めたな。他に何か企てているのなら、洗いざらい吐いてもらおうか?」


【ふふふ。そうだな。幾つか教えてやろうか】


 朱雀の問いに、〈アガレス〉は不敵に口端を上げて応じる。あまりにも素直な敵の行動に、朱雀は白状すると見せかけて嘘を吐き、こちらを撹乱させるかもしれないことを考えて、正体を見透す力を応用した術式を相手に気づかれないように術式を行使する。


 〈真偽〉


 その名の通り、相手の言葉が真と偽りを測ることが出来る術式である。それによって、相手が嘘を吐いているのか、真実を話していれのかが一目瞭然となる。但し、行使できるのは、少なくとも五分。それを過ぎれば精度が落ちてしまう。昔はいつでも行使が出き、一日でも精度を保っていられたが、年の功だろうか年々と精度を保つのが困難となってきている。


 そろそろ躯に限界が来ていて、若返る時が迫っているのだろう。


 朱雀────煌焔は不死鳥である。決して死することはない。ただ、不老に関しては、少しばかりか疑問に持たれることが多い。朱雀は雛、幼鳥期、子鳥期、成鳥期といった具合に並大抵の成長をする。ただ、子鳥期から成鳥期まで目に見えて老うことはあまりないため老いているように見えることは差ほどない。ただ躯に幾つかの限界が迫ることがある。それが朱雀曰く躯が老いてきたと判断している。


 老鳥期からは、これまで経験や能力値が限界を迎えて蓄積できなくなり、若返ることにより容量を増やすためにあるのだと朱雀は考えている。もう一度、若返ることによって蓄積されるようになる。勿論、これまでの記憶や経験や能力値は引き継いていることを考えれば、要約するならアップグレードだ。


 若返りの時が迫っているのだろう。一回の若返りは、およそ五百年から千四百六十一年と様々だが、三万六千年まで若返りの兆候がなかったりもするために、若返りの周期に様々であり、それはその周期による蓄積度によるとされている。


 若返る時が近づく兆候としては、術式を行使した際に衰えを感じることだろう。ただ、衰えを感じてから若返りが起こるまでは、朱雀でさえもわからない。若返りは躯から突然、炎が発火する。炎は躯を燃え尽きるまで続き、躯は灰となる。灰となった後、灰から卵が生み出されると、卵の殻を割って雛として生まれるまでに、長くって七日はかかる。何度か従者が落として、僅か三日で生まれてしまった時があったが、力が抑えきれることも操ることも出来ず、周囲を燃やし続けていたことがあった。


 その時の苦労を考えれば、生まれ変わる時機が今でないことを祈るばかりだ。朱雀はそう考えながら、〈アガレス〉を凝視する。


【どれから教えて絶望するか、とても楽しみでしょうがありませんが…………まずは、この辺の島民を根絶やしにしたのは、この娘です】


 その言葉を〈真偽〉の術式で見たところ、嘘の気配はなかった。


「それで何故、その娘に島民を根絶やしにさせたんだ……」


【わかりませんか?】


「わからないから聞いている」


【それは、ですね…………】


 〈アガレス〉の口が狂喜に彩りられる。


【────その方がとても面白いからですよ】


 男性のものとも女性のものともつかぬ〈アガレス〉の声が哄笑する。


【この不知火諸島は、ボルコナとナベルの国境沿いにあり、ボルコナの国境内です。つまりいわばあなたの大切な国民と言えます。そんな大切な国民を無惨にも大量に殺されて悲しいでしょうね。さっきまでのあなたの哀しげな顔、とても愉快でした】


 ぎり、と煌焔は歯ぎしりの間から抑えきれない怒りがあふれ出す。


「〈アガレス〉……ッ!」


 朱雀は、地獄の底で響くような低い声で名を呼んだ。その声には、〈アガレス〉に対しての怒気と殺意を滾らせている。


 亜人の命を自らの欲求を満たすために殺した所業は、他者の命を自分と同じ命をただ遊びの道具として弄んでいたも当然だ。彼女は今すぐにでも、彼を朱雀を弄ぶことだけに殺された島民たちと同じ苦しみを与え、骨も生命も残らないように業火で焼き付くしてやろうか、と仇を取りたい衝動に駆り立てられたが、精一杯の自制した。


 こちらをわざと怒らせて罠にはめようとしている可能性は否定出来ない。朱雀は何とか冷静さを保ち、〈アガレス〉を睨み据える。


 そんな朱雀を見て、〈アガレス〉はとても残念そうに声を出す。


【怒らないのですね。とても残念です】


「怒らない……? 何を言っている。妾はとても怒っているんだ。今にも貴様を焼き殺したい程にな」


【では、何故襲って来ないのですか?】


「愚問だな。そんなこと決まっている。貴様が妾をわざと怒らせて何やら罠にはめようとしている可能性は少なくないからだ」


【ほう。そうですか。流石はこの世界の英雄です。勘づいていますか。まあ、当たり前でしょうね】


「愚問に答える次いでに、何をする気だったか訊かせてもらおうか?」


【それは言えません。言ったら愉しみが半減してしまいますから】


「そうか。ろくでもないことだけはわかったよ」


 煌焔は前に進み出ると、周囲に火焔が噴き出した。それはワタリドリの形をした眷属だ。眷属は主の前で右羽と、左羽が合わさって、弓のような形状を形作った。


 次いで、羽と羽の先端から火焔が伸びてきて、真ん中で結び一つになる。弓に必要な弦となると、朱雀の横から背後にかけて複数の火焔が並び立ち、形を大きな槍に変えていく。大槍となった火焔は、矢となってそれに番えられる。


 朱雀は、火焔の眷属で形作られたその弦を手で以て、引いた。和弓道における発射の最終地点『会』へと至った朱雀の射形は神々しい。神話の炎の女神そのものだ。


 最大まで引いた弓を、屍の山で哄笑する〈アガレス〉に向ける。


 そして。


「口を割らないのなら仕方ない。破魔矢に射抜かれて滅されよ」


 煌焔は、司る力を破魔矢となった大槍に込めると、火焔は増した。それだけではなく、周辺の建物がギシギシと音を立てて揺れ、広場の木々が波打つようにざわめいていく。それは彼女が大槍に司る力を込める程に激しさを増していった。


 鳳凰とボルコナ兵は巻き込まれないように、煌焔から少し距離を取っていると、広場で焼き捨てられた島民たちの遺体が削り取られていき塵となって、大槍に巻き付いていく。


 これに朱雀は驚いた。彼女は島民たちの遺体を巻き込まれないように、司る力を込めていた。にも拘らず、島民たちの遺体は自らを塵となって破魔矢となった大槍に集約されていくではないか。それはまるで〈アガレス〉に無念にも殺された島民たちが敵討ちをしたいと朱雀の元に集まっているようだった。


 朱雀は頷く。


「一緒に敵討ちをしたい者はこの矢に付いていけ。共に討ち果たそう」


 そう言って、朱雀は大槍を破魔矢として放った。


 瞬間、これまでとは比べものにならないほどの炎を伴う風圧が、辺りを襲う。


 破魔矢は熱風に巻き取られていく島民たちの怨念と共に、轟音を上げて〈アガレス〉に向かっていく。それはまるで、朱雀が放った矢を先頭に屍たちが喚声を上げて〈アガレス〉に敵討ちを果たせんと言わんばかりに突撃をしていくのようである。


 島民たちの怨念が乗った矢の進行を止められるものなど、この世界に存在しない。


 絶対にして無敵の一点集中攻撃。


 業火を纏う朱雀が怨霊と共に初めて放たれる、最強の破魔矢。


 屍を踏みつけ、命を自分と同じ命と思わない〈アガレス〉がそれを防げる道理など、あるはずがなかった。


 〈アガレス〉は瞬きの間に朱雀の業火と島民たちの怨念を纏ったの矢に貫かれて、断末魔の叫びを上げて、屍の山で赤い花を咲かせる────


 はずだった。


 破魔矢が放った数瞬遅れて銃声が鳴り響いた。その音に驚き、鳳凰とボルコナ兵は銃声がした方へ注視する。


 そこにいたのは、メア・リメンター・バジリスクだ。彼女は幼女とは思えない速度で計十三発の弾丸を連射したのだ。


 彼女が放った計十三発の弾丸は、〈アガレス〉の胸を貫こうとする破魔矢へと、それを超える速度を以て、向かっていく。


 一発。


 二発。


 三発。


 四発。


 五発。


 六発。


 と、間隔を空けずに絶妙なタイミングと角度で連射し続けた弾丸は、破魔矢の速度を弱ませた。


 七発。


 八発。


 九発。


 十発。


 と、尚も連射速度を落とさずに撃ち出された弾丸は、破魔矢の軌道を少しずつ外らしていく。


 十一発。


 十二発。


 十三発。


 と、破魔矢は失速し、〈アガレス〉から大きく軌道を逸れてしまい、地に刺さった。


【事を構えていたが、失速とは残念だな】


 〈アガレス〉は口端を歪めて嗤った。


 煌焔は驚きを隠しきれない。


 幼い子供であるメア・リメンター・バジリスクが聖獣である朱雀の破魔矢を防いだことは勿論だが、何より彼女が〈アガレス〉を躊躇なく助けたことに一抹の考えが過る。


「〈アガレス〉よ。あの娘────メア・リメンター・バジリスクは、ただ操っているだけではないな……」


【御名答】


 〈アガレス〉は黒いロープの中でモソモソと動く。パチパチとくぐもった音が何度かしているところを聞き取る。どうやらロープの中で拍手しているのだと気付いた。


【あの子龍は、少しばかり〈暗示〉をかけている。それだけではない。あなたのような聖獣らにも十分に対向できるように【戦闘狂ナイトメア】にしてあげているのだよ】


「【戦闘狂ナイトメア】だと……ッ!?」


 煌焔は、【戦闘狂ナイトメア】と聞いて、驚愕した後にその身を怒りで震わせた。


「〈アガレス〉────貴様は、その幼い娘に【戦闘狂ナイトメア】とさせるために、精神負荷をかけたのか……」


【ああ。その通りだ】


 〈アガレス〉は煌焔の言葉をあっさりと認めた。


 それにより、彼が先程口にした〈暗示〉と呼ばれる〈催眠〉系の術式を施された後に、絶望や恐怖、憎悪といった負の感情により、精神に急激的な負荷をかけたことは確実なものとなった。幼い女の子に、負の感情により精神に急激的な負荷をかけてしまえば、心は耐えきれるわけがない。


 【戦闘狂ナイトメア】とは、絶望や恐怖、憎悪といった負の感情により、精神に急激的な負荷によって引き起こされる心的外傷の一種であり、それに伴い、陽の力を陰に変換する反転と闇の力を受け入れるための堕天により引き起こされる事象である。


 それは煌焔もよく知っていた。これまで【戦闘狂ナイトメア】となった者と対峙したことは幾度にもあった。【戦闘狂ナイトメア】については、原因究明は進んでいるが、不明な部分が多い。心的外傷というのが研究者の見方であるが、魔力や司る力の変異とみる学者も多い。


 一度、【戦闘狂ナイトメア】となってしまった場合、元に戻れるのは容易ではない。これまで煌焔が対峙した【戦闘狂ナイトメア】は、〈反転〉と〈堕天〉したままだ。


 加えて、無理やりと魔力と司る力の底上げによって短命である。力を無理やりに底上げしたことにより、彼女の命は削られてしまい、この先は長く生きることは出来ないだろう。


 煌焔は、〈アガレス〉がメア・リメンター・バジリスクにした行為を、その非人道的所業を赦すことなど出来ないと、拳を強く握りしめた。


「あっさりと認めたな。まあ、見たところ嘘偽りもないようだがな」


【私は以外と正直者なのだよ】


「何を抜かしている……」


【そうだな。勿論、それで面白くなるとわかったならばという条件付きだがな】


「ほう。つまり妾にそれを正直に話して面白いことになるということか……────だが、残念だ。そう打ち明けられて、そう易々と貴様の思い通りになると思うか…………?」


【そう答えると、思っていたさ。だから思う存分に抗うように、その試作段階の【戦闘狂ナイトメア】と戦うといい】


「試作段階だと……?」


【ふふふ】


 〈アガレス〉はせせら笑う。


【彼女の実験はもう既に最終段階だ】


 〈アガレス〉は黒のロープの中でもぞもぞと動き出した。


 辛うじて窺える口元でしかわからない。顔半分覆っているから表情がわかりづらいため、何を考えているのかがわからない。しっかりと観察しなければ、黒いロープの中で何をしているのかがわからない。ロープの中で何やら準備しているのだけはわかっているが、煌焔は〈真偽〉などの術式を行使し、相手の出方を窺う。


【ショータイムと行こうではないか!】


 〈アガレス〉は黒いロープから両腕を出して、大根役者のような大仰な動きで指をパチンと鳴らした。


 その瞬間。


 地面に影──いや、影などではない。奈落の底に通じているのかのような闇が現れ、地面を飲み込んでいく。


 〈アガレス〉とメア・リメンター・バジリスクは巻き込まれないように上空へと跳び上がると、闇は生き物のように蠢動しながら、島民たちの遺体を根こそぎ食らい尽くす。


 周囲を闇に囚われた朱雀、鳳凰やボルコナ兵は世界が一変してしまったかのような感覚に襲われる。体表から空気に精気が吸い取られていくかのような、途方もない脱力感が全身を襲った。周囲にいたボルコナ兵たちが、次々にバタバタと倒れ伏していく。


 鳳凰は辛うじて持ちこたえているが時間の問題だ。


「く──」


 このままでは意識を失い、闇に飲み込まれてしまいかねない。煌焔は咄嗟の判断で周囲に〈結界〉封じの〈絶界〉を発動させる。


 瞬間、煌焔や鳳凰及びボルコナ兵の周囲に、灼熱色の膜に覆われた。全身を苛む虚脱感が緩和され、身体を辛うじて動かせる程度に戻った。


 闇は、〈絶界〉に近寄れないのか、周囲を蠢いている。これですぐに飲み込まれる心配はなくなったが、長くは持つかはわからない。


 煌焔は、鳳凰及びボルコナ兵を上空に緊急退避させる。


「皆、今のうちに空に避難しろ!」


 鳳凰及びボルコナ兵は煌焔の指令された通りに、まだに少しだけ重い躯を引きずり空に避難する。気絶して倒れたままの隊員を二名程で抱き起こして、全員が空に飛び立った。


 朱雀は全隊員が空に避難したことを確認すると、〈アガレス〉とメア・リメンター・バジリスクに警戒しながら飛び上がる。


【では、始めましょう。メア・リメンター・バジリスク】


「はい」


 メア・リメンター・バジリスクは〈アガレス〉の命令に応じると、二丁の拳銃を空に向ける。




「〈二の魔弾・嫉妬〉、〈五の魔弾・強欲〉、〈一の魔弾・傲慢〉、〈六の魔弾・暴食〉」




 メア・リメンター・バジリスクは天空に向けて撃つと、四つともバラバラな方向へと飛んで行った。〈二の魔弾・嫉妬〉と〈五の魔弾・強欲〉の銃弾は上方には撃ち上げられず、地上を侵食する闇に吸い込まれるように入り、〈一の魔弾・傲慢〉と〈六の魔弾・暴食〉の二つの銃弾は上方に一度撃ち上げられた後、メア・リメンター・バジリスクの躯の中に入った。


 その瞬間、煌焔は絶句する。〈一の魔弾・傲慢〉、〈六の魔弾・暴食〉が入ったメア・リメンター・バジリスクが苦悶の表情を浮かべて、声なき咆哮を上げて魔力量が無理矢理に増幅され、〈二の魔弾・嫉妬〉と〈五の魔弾・強欲〉が入った闇の中から強大かつ巨大な魔力から溢れ出す。地上を侵食し、建物を飲み込むだけの闇が形を少しずつ変えていく。ぐにゃぐにゃ、だった形はある一定の形状へと固定し始める。


 それは巨大な獣の黒いシルエット。四つ足の哺乳類に近い形状。体つきは全体に細い。手足に蹼のようなものが見受けられる。背中には、鋭い棘が幾つもあるその闇は少しずつ地上に浮き出てきて、実体化とした。


 夢幻から現実に醒めるように現れたそれに朱雀は見覚えがあった。本来は豊穣と太陽を司り闇が作る怪物を退治した神であったにもかかわらず、人間界のある某宗教によって悪魔と定義され、不当に貶められ、名前まで変えられてしまった悲しき海竜である。


「ロタン……」


 煌焔は、元の名前で呼んだ。


 その声に、ロタンと呼ばれた海竜は朱雀を一瞥する。


 巨大な体躯を収縮させ、人型を形作る。人間体は女性だった。


 海と同じ真っ青とした腰まであるゆるふわロングの髪を靡かせて、優雅に地上に降り立つその姿は、絵に描いたような美しさであり、同性でさえも見惚れてしまうほどの美貌を兼ね備えている。人間体の外見の推定年齢はおよそ十九から二十歳。外見上は若いが纏っている雰囲気からは、見た目以上に大人びている。実際の年齢を隠しきれてはいない。


 だが、闇のような漆黒に染められているドレスを身に纏っている。普段は、上は人間界のオーストリアのチロルドレス風で、下は足のラインが透けるロングドレスのようなものを穿いており、肩と腰には天の羽衣のようなヒラヒラとした透明な布地を巻いている。天女と言っても申し分ない姿だが。


 一方のメア・リメンター・バジリスクは外見上は幼い子供のままだが、身に纏った闇のような漆黒のドレスに毒々しい色の鎧が装着され、溢れ出す魔力は、聖獣を凌駕している。


「これは……一体何の冗談だ〈アガレス〉?」


 煌焔は、〈アガレス〉を睨めつけて問うと、〈アガレス〉は不敵な微笑みを浮かべるだけで答えない。その代わり、ゆるふわロングの青髪の女性────ロタンが口を開いた。

「冗談なんかじゃありませんよ。久しぶりですね煌焔。その名で呼んでくれるのは、あなたや他の聖獣たち。あとは、テンクレプやシルウィーン、水無月龍臣だけです」


 ニコリ、と朱雀に向けてゆるふわロングの青髪の女性────ロタンは微笑んだ。


「本当にロタンなのか?」


「ええ」


 ゆるふわロングの青髪の女性────ロタンは頷き、どうぞと言わんばかりに両腕を広げた。


「もしも、信じられないのなら、納得がいくまで調べてもらっても構いませんよ」


 煌焔は、言われた通りに横にいた鳳凰にゆるふわロングの青髪の女性がロタンかどうかをあらゆる魔術を行使して調べ上げるように使令を降した。


 その結果、高い数値でゆるふわロングの青髪の女性がロタンであることが証明されて言葉を失う。そんな彼女にロタンは口を開く。


「どうでした?」


 屈託のない微笑みで問われ、煌焔は頷いた。


「…………ロタン。あなたは間違いなくロタンだ。だがしかし、確か人間界が厭になって、東方大陸ミズハメの孤島で余生を暮らすって……こないだも……」


「ああ。アレ……、ダメでした」


 ロタンは呆気なく答える。


「何もしてないで一日を過ごしていると、つまらなくって、いろんなことを考えてしまうんです。だから、考えないようにするために私は、【創世敬団ジェネシス】と一緒に人間界を粛正しょうと思いました」


「え……」


「せっかく助けても、地獄の海軍大提督と人間界で畏れられ、悪者にされて厭になって逃げ帰って身です。こんな仕打ちあります? ないでしょ? だからですよ。間違いを正すべく、私は【戦闘狂ナイトメア】となって、私が正しいと示すために力を誇示します」


「それは間違っているっ!」


「間違っていませんよ」


 ロタンは煌焔の否定の言葉を即座に否定する。


「ホムラちゃんも悪者にされて世界から孤立したらわかりますよ。どんなに自分が正しくとも誰もわかってくれない、自分がどんな言葉を並べてもわかりあえない、そんな疎外感なんて」


「……」


 煌焔は悲しげで悔しそうな表情を浮かべた。


 孤島に引きこもったロタンを煌焔はこれまで何度か訪れたことがあった。人間界で悪魔だと罵られ、傷ついた彼女を心配して、玄武────地弦と少しでも傷ついた心が癒えるように、と話し相手として窺い、少しずつ笑顔を見せるようになってきたのだが、彼女の心の奥底にまだ傷が癒えていなかったことに、歯噛みをする。


 煌焔の心中に渦巻くのは、ロタンをもう少し注意深く見ていれば、という後悔だ。


 ロタンは、そんな煌焔に彼女も知らない邪悪な微笑みを浮かべる。


「だから、わかってもらえるように同じ目に合わせてあげることにしたんです」


 ロタンは、両手を頭上に掲げる。


 両掌の間が闇色に光ったかと思うと、ロタンは体を横向きに開いた。


 右手は右耳の後ろ限界まで引っ張られ、左手は右手とほぼ同じ高さで正面に突き出され、人差し指が立てられている。


 ロタンが虚空から生み出したのは、闇色に輝く禍々しい弓だった。


 発射の最終地点『会』へと至ったロタンの射形は、禍々しい漆黒のドレスさえ着ていなければ、まるで神話の女神のような神々しさすら感じさせていたことだろう。今は、魔女といっても差し支えない程にロタンは禍々しい魔力を矢に込めている。


「そんなに赦せないのか?」


「赦せません」


 ロタンに迷いはない。瞳には強い意思が宿っていた。それは、〈アガレス〉の催眠だけで【創世敬団ジェネシス】に降ったわけではないことが窺えた。


 これ以上の説得は無意味と言わんばかりに、ロタンは天上を────煌焔を目がけて、弓を引く。


「そうか。ならば仕方ない」


 煌焔は、ワタリドリの形をした眷属で作られた火焔の弓矢を構える。


 煌焔の横から背後にかけて複数の火焔が並び立ち、形を大きな槍に変えていく。大槍となった火焔は、矢となって自動で装填されると、彼女は弦を手で以て、引く。


 最大まで引いた弓を、ロタンに向けながら、煌焔はロタンに問う。


「妾に弓矢に叶うと思うか? これでも聖獣だ。この世界を救った英雄でもあるぞ。退くのなら今のうちだ」


「莫迦にしないでください。あなたのその傲りたかぶった態度や言動が鼻について厭なんですよ……」


 ロタンは不快感を表情で露しながら答えた。


「そうか……。ならば仕方ない」


 煌焔は、内心で傷つきながらも親友であるロタンに向けて矢を引き絞った。


 互いに見合せながら、矢に魔力を注ぎ込む。


 鳳凰とボルコナ兵は、先程のようにメア・リメンター・バジリスクに警戒を向け、さざ波でさえも静かに感じるほどの緊張感が漂う。


 永遠と感じるほどの僅かな時間が過ぎ、ロタンの闇から逃れた瓦礫が音を立てて崩れたことをきっかけに煌焔とロタンは矢を放った。




 それが開戦となり、“二人”の【戦闘狂ナイトメア】によっての人間界を巻き込む殺戮と────朱雀が世界から孤立するきっかけとなる戦いの始まり。





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