第一章 六十二
玉藻前は、シルベットが横にしたシー・アークの元にすぐさまと駆け付け、両手を翳して治癒を行った。翳した両の掌から黄金色の光りが点り、シー・アークを包み込み、幾つかの銃弾が浮き出てくる。
銃弾は金属音を鳴らして、地面に堕ちて散らばっていく。次から次へと銃弾を見て、ドレイクは唸った。
「その銃弾……。もしや、呪術がかかっているな」
「呪いか。どうりで治癒力が効いていなかったわけだな」
シルベットは目を玉藻前とシー・アークに向けたまま、ドレイクの言葉に納得して頷いた。
銃弾が出てきたところから傷口を塞がっていき、出血を防いでいく。
出血したまま、無理に動かして移動させては、いくら亜人といえど危険だ。シルベットも肩を貸し、呪いをかかってないか調べる際に、ある程度の治癒力は施したが、流血は止まらなかった。
何とか早く身を休めるところを探して、ドレイクたちを見つけたのだ。そこでようやく、シルベットは見知らぬ者がいることに気づく。
「そういえば、何だこのちっこいのは?」
負傷したシー・アークを横で治療していた玉藻前にシルベットは訪ねた。
その言葉に、玉藻前は不機嫌そうに表情を浮かべる。
「ちっこいの、とは何じゃ!」
「自称、神ということですわ」
ちっこいの、というシルベットが何気なく口にした言葉を玉藻前が抗議し、エクレールはめんどくさそうにぞんざいに紹介をした。
「神、とな? このちっこいのが……」
「そうですわ。自分を神と広言する愚か者ですわ」
「貴様ら、わざとじゃろ?」
神、と紹介されて小首を傾げるシルベットに、エクレールはそう追加で言うと、玉藻前は二人に半目で見据える。
シルベットはエクレールの紹介だと、何となくわかりにくいと判断し、ドレイクに目を向けた。
ドレイクはその目に答える。
「この方は、玉藻前という半分が神で半分は妖怪の者で、ラスノマスに奇襲された時に助けてくれた」
「なるほど。半分は神で半分は妖怪だから、ちっこいのか」
シルベットは勝手な解釈で納得すると、「ちっこいのは関係ない!」と、シルベットの解釈を否定した。
「そうか。わかった。ちっこいのは、金ピカと同じ幼児体型だからだな」
「やかましいですわ!」
「おぬし、しつこいぞ!」
思わぬ飛び火にエクレールも玉藻前と一緒に憤然した。
学舎で首席の成績でおさめたことがある経緯を持つエクレールは、他の同期生と比べて成長が遅く。ボディラインや顔の形の美しさに関しては自負するが、胸部と背の高さについて、特別なコンプレックスを抱いている。
エクレールに対して、スキンシップが激しい蓮歌を嫌う要因の一つに、このコンプレックスがあったりする。いきなり前から抱きついてきて蓮歌の豊かな胸に苦しめられたり、後ろから抱きつかれた際に感じる胸部の感触に、自分が惨めに感じてしまい、離れたくなるのだ。蓮歌自身はエクレールに友達以上の好意を抱いており、起こらせる意図はない。
それは、エクレールも知ってるのだが、どうしても自分にはない胸の大きさと背の高さを見ていると腹を立ててしまう。
そういった要因と、ただ単に異常なまでもくっついてくる蓮歌から離れたいのが、エクレールが蓮歌を嫌う原因である。
そして、シルベットに突っかかる要因の一つも似ているが、彼女の場合は激しいスキンシップない。背の高さと豊かな胸は同じとして、問題はその憎まれ口だろう。気にすることをずけずけと言ってしまう。特に、険悪な仲であるエクレールに対しての口の悪さは、彼女を逆なでするのは十分といえるだろう。
エクレールよりも小柄である玉藻前は、半分は神であり、半分は妖怪だ。成長という概念から外れている身であり、神として奉られた日から幼女のまま時が止まり、老けることも若返ることもできない。
既に、玉藻前も成長することについてどうしょうもできないため、もう諦めているが、シルベットに何度もちっこいを連発されると諦めていた成長への憧れと嫉妬に怒りと共に溢れてきて腹を立ててしまったのだろう。
神として、感情に流されてしまうことに不甲斐無さを感じてしまうが、他人の気にすることをずけずけと言ってしまうシルベットに対して、この先、生きていく上で、その口の悪さは新たに敵を作ってしまいかねない。玉藻前は心配して、忠告する。
「自分は見事な躯つきをいいことに他人を見下すのは良くないことじゃよ! この先、人間界で過ごすのならば、その弄り方は非難の対象じゃぞ。すぐに改めることをお薦めするぞ!」
「そうですわ。あなた、少しは相手のことを考えたらどうですの? 人の体型について、突っつき過ぎですわよ! すぐに感心して謝りなさい」
エクレールと玉藻前は詰め寄って謝罪を要求する。
そんな二人に対して、シルベットは鬱陶しく感じながらも、取り敢えず場をおさめるために、はいはい、と頷き、「悪かったな」と、だけ言って終わらそうとするが、エクレールと玉藻前は止まらない。
「本当に反省してますの? 反省してませんわよね。ちゃんと悪かったと感じているのなら、頭を下げて謝ったらどうですのよ?」
「何じゃその反省感がない態度は、もしも本当に悪かったなら、誠意を見せたらどうなんじゃ────って、逃げるではない」
左右から批難されても、シルベットは取り合わない。耳を塞いで、ドレイクの元へと避難する。
それでもエクレールと玉藻前はおさまらない苛立ちをシルベットにぶつけるべく、追ってきた。埒が明かないので、シルベットは仕方なく、頭を下げた。
「すまん。言葉が過ぎたようだ」
シルベットは玉藻前にだけに謝った。それに異議を申し立てたのはエクレールだ。
「わたくしにはッ!? わたくしには、謝りませんの!」
「なんで、今さら貴様に謝る必要があるのだ! このちっこいの、と貴様は違うだろう」
「何が違うんですのよ?」
「また何気なく、ちっこいの、を言われたのだが……」
シルベットとエクレールが諍いを起こしている横で玉藻前が何気なく再び言った、ちっこいの、に頭を抱えた。それに気付かずに、二人の諍いはヒートアップする。
「この、ちっこいの、は神なのだろう。神に愚弄してしまったのなら、謝るのは当然だが、貴様は違うだろう。そんなに謝って欲しいなら、式典での貴様の言動をまず私に謝ったらどうなんだっ!」
「それこそ、何で、ですわよ! わたくしは何も悪いことをおっしゃっていませんわ! 今さら前のことについて出されて謝る必要性はないと思いますわよ!」
「人を愚弄することが悪いことではないと言ったのなら、貴様を幼児体型といったことも悪くはないはずだ! だから謝らん!」
「こやつら、ダメダメじゃ……」
ガミガミと啀み合う二人の横で、先が思いやられると玉藻前がひとしきりに呆れ果てると、二人の間に立った。
「いい加減にするのじゃ、二人とも! 今はそれどころではないはずじゃぞ!」
「うるさい!」
「やかましいですわ!」
仲裁に入った玉藻前に、シルベットとエクレールは怒鳴り声を上げる。
「貴様が神ならば、このどうしょうもないわからず屋に神罰を降したらどうだ!」
「わからず屋はあなたですわよ! あなたが神と仰るのなら、この傲慢な半人前に神罰を降したらどうですの!」
「貴様こそ、傲慢ではないか! 傲慢な上に、その無駄に高い自尊心を何とかしたらどうなんだ!」
「事実、わたくしが上ですのよ! 学び舎で優秀な成績をおさめていますのよ。学び舎に行かれなかったあなたが下なのは、当たり前でしょうが!」
「もう二人ともいい加減にするのじゃ!!」
今にも殴りあいの喧嘩を行いかねないシルベットとエクレールを、玉藻前は狐の遠吠えのように甲高い声で一蹴した。それに二人は、玉藻前に視線を向ける。
「今はそんな啀み合いをしている暇などないのじゃよ。【異種共存連合】としても、【謀反者討伐隊】としても、二人は失格じゃ。貴様らは人間界に何を目的に来ているのかは知らんが、これは遊びじゃないのじゃよ。【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】の理念を思い出し、それを自覚をしたらどうなのじゃ!」
有無を言わさぬ玉藻前の厳しい口調。流石のシルベットとエクレールもこればかりは神妙に返事するしかない。
「わかった。すまんかった……」
「わかりましたわ……」
エクレールだけ謝らなかったことに、やれやれ、と肩を竦めた。まあ、諍いを一旦、落ち着かせたのは、上出来といえる。
シルベットとエクレールを何度も見てきた翼とドレイクは、諍いを鎮めたことに感謝をし、玉藻前には後ほど、油揚げを納めることにして、三人の様子を窺う。
「まず、シルベットよ。こやつについて話せ」
「……お。わ、わかった……」
そう言って、シルベットは玉藻前に戸惑いながらもこれまでの経緯について語った。朱雀と対峙した際、シー・アークと東雲謙が人間の少女を人質にして襲ってきたことを。
「────というわけで、何かいろいろと知ってそうな灰色に聞きたいことがあるし、そのまま死なれては困るので、事情聴取をさせるために彼には治療に専念させるために連行してきたのだ」
これまでの経緯について報告し終えると、負傷した灰色ことシー・アークを指で示すと、
「口封じの呪いがかかっている痕跡は見つからなかった。連行する時に、おお神を愚かな僕を赦しておくれ、みたいなことを呟いていたから反省や後悔のようなものを抱いていると見ていいだろう。事情聴取すると簡単に口を割ってくれる可能性は高いと思っている。赤いの、これでいいか?」
と、シルベットは赤いのことドレイクの判断を仰ぐ。
「そうだな……」
ドレイクは思案顔を作って、確認するかのように辺りを見回すと、
「妥当な判断だと思うがな。異論がある者はいるか?」
ドレイクは美神光葉、玉藻前、エクレールに異論がないかを問いかけた。
「良い判断だと思います」
「良い判断じゃ」
「当然の判断ですわね。そんなこと出来ないのがおかしいのですから、異論も何もありませんわよ」
「……」
全員が異論がなかったが、シルベットはエクレールの辛辣な言葉に顔をしかめる。
先程、玉藻前に注意された手前、シルベットは何とか怒りを自制し、諍いに発展しないように心がけた。
だが、シルベットの顔にはあからさまに不機嫌を張りつかせている。
その時だった。
「ドレイク様!」
少女の声がした。
その声に反応し、全員が声がした空を見上げる。
そこには、少女がいた。
外見上の年齢だと、およそ十二、三歳の紺の制服を纏った少女である。細身で華奢だが、儚げな印象はない。むしろ鍛えられた刃のような、しなやかな強靭さを感じさせる少女だ。そんなふうに思えるのは、生真面目そうに面持ちと、意志の強さが宿ったを彼女の瞳のせいかもしれない。
「ん? おお、如月朱嶺か」
如月朱嶺と呼ばれた少女は、宙にいくつもの半透明な正方形の足場を作った。それは、シルベットたちが清神翼を護るために行使した〈結界〉である。
〈結界〉を足場にして、如月朱嶺は階段を降りるかのように軽やかに地上に舞い降りた。そのまま、ドレイクたちと合流をした彼女は、
「この度は、朱雀様の命によりこの【部隊】に配属になりました。如月朱嶺です。遅れて到着したこと、申し訳ございませんでした」
ビシッとこめかみに指先を当てて形式どおりの敬礼で挨拶を行い、姿勢を正してから、約四十度のお辞儀をして謝罪をした。
それにドレイクは片手で制して、
「軍人たるもの時間には忠実でなければならない。以後、気をつけるように」
「わかりました」
「あ!」
ぽん、と如月朱嶺を見たシルベットが思い出したように手を打ち、口を開く。
「貴様は確か……先程まで人質にされていた人間の少女ではないか?」
「……はい。先程は、人質となってしまったことにより、戦いにくい状況を作ってしまったことを申し訳ございません」
如月朱嶺は、さっきは人質に取られたという失態を犯してしまったことに申し訳なさを感じているのか、硬い声でシルベットに答えた。
「いや、構わん構わん。無事に抜け出したのなら、何よりだ。こちらこそ、何も出来ずにすまんかった」
「いえいえ」
シルベットと如月朱嶺が頭を下げ合うと、エクレールは顔をしかめた。
「なんか、わたくしと態度が違いますわ」
エクレールの呟きは、無視される。
「それよりも大変です。天上で行われているゴーシュ・リンドブリムと東雲謙の戦いにより、〈錬成異空間〉に罅が入っています。このままでは、人間界に災厄が降り注ぐことに」
「先程、視認した。朱雀様が、あそこにおられる理由はわかるか?」
「わかりません。ただ、私の任務は、この【部隊】で清神翼を護るために彼女たちのサポートすることです」
如月朱嶺の言葉を聞き、ドレイクを頷く。
「ならば、吾輩たちがやることは任務を遂行するだけだ」
「でも、このまま放置したら、人間界に多大な迷惑をかけてしまいますわ」
「ああ。ならば、これより編制を組む。玉藻前様、お力添えを。美神光葉、此処で行ったことについては黙秘する、麓々壹間刀を返すことで力を貸してもらおう」
「妾は構わん」
「それだけでは足りませんが……仕方ありませんね」
玉藻前はあっさりと、美神光葉は少し難色を示したが了承する。
「玉藻前様は、シルベットが連れてきたシー・アークとやらを〈錬成異空間〉の外界に連れていき、治療を行い、治療し終わったら、逃げられないように捕縛してから合流して頂ければ」
「わかったのじゃ」
そう言って、銃弾を取り出したお陰で傷が塞がったシー・アークを玉藻前は右肩を担いで、立ち上がる。
だが、あまりの重さに小柄な玉藻前が潰されていく。長身のシー・アークを幼女の玉藻前が担ぐのは困難だ。見かねた清神翼がシー・アークの左肩を担ぎ上げようとするが、思っていたよりも重く。ようやく持ち上がったのはいいが、フラフラな足取りで覚束ない。
気を失っている分、脱力しているために重さがダイレクトに清神翼と玉藻前にのし掛かっている。
「……お、重い……」
「……何を、食ったら、こんな、重くなれるのじゃ……」
「なんか大変そうだから手伝おう」
シルベットがそう言って、玉藻前を支える形で右肩を担ぐと、軽々と持ち上げる。
そのことに、清神翼は亜人の腕力に驚き、感嘆すると同時に男性として複雑な心境を抱いた。
助けられた妖孤でありながらも神でもある玉藻前は、不甲斐無さに、愕然としながらも、
「……め、面目無い……。恩にきる」
と、感謝の言葉を贈る。
シルベットは当然と言わんばかりにシー・アークを担ぐと、ドレイクの方を向く。
ドレイクは、三人でシー・アークを担いでいるのを確認すると、
「では、玉藻前、シルベットは手負いのシー・アークと保護対象者である清神翼を外界へと避難した後に戻ってこい」
「わかった」
「わかったのじゃ」
シルベットと玉藻前が返事する。玉藻前は、シルベットに肩を担ぐのを譲ると、
「妾が近辺に敵がいないか索敵しながら進むからついて来るのじゃ」
と、先頭立って歩き出す。シルベットと清神翼はシー・アークを担ぎ上げて後を追う。
シルベットたちが進んだことを確認したドレイクは、目をエクレールと美神光葉に向けると、
「エクレールと美神光葉は確か、魔力の消費が激しかったな」
「ええ」
「はい」
二人は短い返事で認めた。
「本当なら、エクレールと美神光葉には玉藻前と一緒に清神翼とシー・アークを連れて、一旦は外界に出て欲しかったのだが……仕方ない。シルベットが戻ってくるまでにひび割れた〈錬成異空間〉の障壁を修理、もしくは障壁にひび割れた原因である二人の戦いを止めて来い」
「はあ!?」
「何を言ってますのよ!?」
エクレールと美神光葉は取り乱した。それは無理はない。障壁を修理にしても、二人の戦いを止めるとしても、魔力は必要になってくる。
現在、魔力の用量が少なくなっている二人はいつ魔力切れを起こして戦闘不能になるかわからないのだ。そんな彼女らが反対することはわかっていた。
だからこそ、その役回りをシルベットに任せたかったのだが、行かれてしまった以上は仕方ない。
「魔力切れを起こしたらどうしますのよ!」
「そうですよ。障壁の修理もあの二人を止めるのも魔力は必要です。まさか、魔力無しでやれ、とか無茶苦茶言いませんわよね……」
悲鳴じみた声をエクレールが上げ、美神光葉は半目で見据える。
「そうだな」
ドレイクは僅かに逡巡してから、横にいた如月朱嶺に声をかけた。
「障壁の修理に、霊力は使えるか?」
「まあ、出来ますけど……」
「うむ」
如月朱嶺の言葉をドレイクは頷いた。
その様子を見ていたエクレールが信じられないといった顔を上官に向ける。
「まさかですけど……、その人間の少女に障壁の修理を任せるとか言わないですわよね……?」
「そうだが」
答えはあっさりだった。
「二人が魔力が使えない以上は、如月朱嶺に魔力量が多く消費する障壁の修理を霊力で補ってもらうしかあるまい」
ドレイクの言葉に、一瞬息を呑むように間を空けてから、「何を言ってますの……? 人間の少女に、あんな膨大な量の魔力が、暴発して辺りに散らばっている中を行ったら、ひとたまりもありませんわ」
「大丈夫だ。如月朱嶺は、ボルコナが人間界で幾つか運営するの日本、東北にある公立中学に通っている」
「詳細な経歴ですが、ボルコナの下部組織は保育所から小学校までは無事に卒業しています。今年、中学校に入学したばかりですね。ですが、得意なのは、霊力でもって主力として発動を可能にする陰陽道です。一応は、陰陽道の家系ですので、〈錬成異空間〉の障壁を塞ぐには支障はないか、と」
「陰陽道? ではあなたは陰陽師ですの……」
如月朱嶺の経歴というか陰陽道という言葉に興味を持ったエクレールが問いかける。
「いえ。陰陽師ではないですね」
陰陽なのかと問いかけられて如月朱嶺は首を横に振る。
「陰陽道を志している、もしくは重んじているといっても、陰陽師となれるのは一握りですので。あくまでも、私は陰陽道の家系で、陰陽五行説を起源とした日本で独自の発展を遂げた呪術や占術の技術体系である術式を少し異世界──ハトラレ・アローラ寄りにしたものを使えるようになっただけです」
「ハトラレ・アローラ寄り? つまり亜人に対抗できるということですわね……」
「そうですね」
エクレールの言葉に如月朱嶺は首を縦にこくりと頷き、肯定した。
「これまで、古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した陰陽師は六壬神課を使って占術や災のために御払いを行ってきましたが、近年では陰陽師に頼る人間は殆どいません。裏で活動されている家系はおられるようですが、殆どは衰退していき、地域陰陽師の名残が存続しているだけ陰陽師の権威の面影はなくなったとされている。私の家系は陰陽道をハトラレ・アローラ寄りに改良したもので本家の陰陽道とは違いますので、あしからず」
ぺこりと頭を下げる如月朱嶺。
「つまりベースは陰陽道ということですわね」
「はい」
「ハトラレ・アローラ寄りの陰陽道の持ち主だからといって、人間をこれ以上、巻き込むことだなんて…………大丈夫何ですの炎龍帝さん?」
「大丈夫だ。もしも心配なら、魔力量が少ないエクレールと美神光葉は彼女の補佐として如月朱嶺と一緒に行けばいい。シルベットが合流次第、交代してエクレールと美神光葉は外界に避難すればいい」
「それまで戻ってくるな、ということですのね…………」
「そういうことだ」
ドレイクがそう言うと、二人はあからさまに嫌そうな目をひとしきり向けてから、諦めたように溜め息を吐く。
「……わかりましたわ善処致しましょう。最後は銀ピカ頼りなのは不服ですが仕方ありません……」
「……なるべく、頑張りますが魔力切れを起こしたら、よろしくお願いしますよ……」
不承不承ながらも二人は観念したように言った。
◇
四聖市。
市街地にあるカラオケ店にて。
水波女蓮歌はようやく到着した。
シルベットとエクレールに半ば強制的に、エクレールが天宮空と鷹羽亮太郎やカラオケ店にかけていた術式の引き継ぎを受け持った蓮歌は、歩いて二十分ほどの道程を大幅に時間を経って到着した。理由は、道に迷った挙げ句、ショッピングモールに目移りし、道草をしたことによる。
それにより、エクレールが大変な目に合っていることなど考えもせずに、マイペースに六八号室の扉を開けた。
「はあ……エクちゃんは酷いですぅ。蓮歌をのけ者にしてぇ、シルちゃんと一緒に空間内にいるなんてぇ、蓮歌という者がありながら……」
深いソファに座り、深い溜め息を吐き、愚痴を溢す。蓮歌は、保護対象者である清神翼の存在を忘れている。
「……もう、仕方ありませんねえ。蓮歌がちゃちゃとやってあげますよぉ」
間延びする蓮歌の口調は、常にマイペースだ。どんな緊急事態でも急がず、ゆっくりである。
そんな調子で、エクレールの術式の引き継ぎを行っていると、違和感に気づく。
「ん? なんかエクちゃんの術式に誰かが介入した後がありますが…………まあ、気にすることはありませんよね」
そう言って、深く考えずに蓮歌は術式の引き継ぎを行った。
蓮歌たちがいる個室のすぐ向かいにある一三とドアに数字が大きく書かれた個室には、腰まである海と同じ真っ青としたゆるふわロングの髪をした女性が、一人で優雅に歌いながらも、向かいにいる蓮歌たちの様子を窺っていることに蓮歌は一切気付かない。
蓮歌と負けず劣らず、絵に描いたような美しさであり、同性でさえも見惚れてしまうほどの美貌を兼ね備えているその女性は、深い青のワンピースを靡かせて一通り歌い終えた後、長椅子に腰を落ち着かせる。
向かいのドアに大きく七と数字が書かれた個室に、蓮歌が入室したのを見て、蠱惑的で邪悪な微笑みを浮かべて、女性は独り言を呟く。
「久しぶりねレンカちゃん。ここでの再会できないことを非常に残念だけど、仕方ないわね……」
そう言って、もう一人の【戦闘狂】は、歌い終わるとマイクをテーブルに置き、右掌を横に向けると、黒ずんだ青と闇色の魔方陣が現れた。魔方陣は、女性の体よりもやや大きめに拡がり、左から右へと横滑りしながら彼女の躯全体を包み込ように通り過ぎる。
すると途端に女性が身に纏っていた深い青のワンピースが端から空気に溶け消えていく。
それと入れ替わるようにして周囲から光の粒子のようなものが躯にまとわりつき、別のシルエットを形作る。
三秒も経たずに、魔方陣が通り過ぎて跡形もなく消失した時には、漆黒と深い青の魔装を着用した彼女がいた。
「さあ。〈アガレス〉様のためにも、ルシアス様のためにも、そして、私のためにも人間たちに鉄槌を与えますからね」
背中に弓矢を、左腰には短刀を携えて、女性────ロタン改めレヴァイアサンは魔力を高める。
「メアちゃん、あとで会わせるっていったのに、様子を見に来るだなんて……まあ、直接的に会わなかっただけマシだけど────お仕置きが必要だよね」
そう言って、レヴァイアサンはヴァイオリンのような美しい声音を邪悪なものに変えて、黒い微笑みを浮かべた。
「その前に、ホムラちゃんに挨拶しなきゃだけど……ひさしぶりの再会ね。────ホムラちゃんは、私と同じになっても、心を汚さずにいられたのかしら。楽しみね」
レヴァイアサンは最後にそう呟いてから、〈転移〉の術式を行使させると、個室から消えた。
◇
ゴーシュは左側からの攻撃を視界に捉えることなく天叢雲剣の刀身を翻して受け流す。
続いて繰り出されたのは、術式による異空間を利用した右側から来る無数の斬撃である。魔方陣を展開して、それに向かって剣を振るうと、攻撃だけが転送されて、ゴーシュの右側から現れる。
しかも、異空間をねじ曲げて、異空間の中で斬撃を複製して無数に斬撃を作り出した波状攻撃だ。
右側からの無数の斬撃をゴーシュはまたもや視界に捉えることなく、天叢雲剣の刃で全て弾き返す。
東雲謙は決して高い戦闘能力を持っているわけではない。一太刀一太刀は、日々磨き上げていたそれに近いが、ゴーシュには剣技には及ばない。
魔力だけ放出するだけで、ゴーシュを倒す決定打となるものがなく、打ち合いのみである。
それに辛抱を切らしたのは、東雲謙であった。
「ええいッ!!」
体当たりで突進してきた。ゴーシュは受け止めようと天叢雲剣を構えた瞬間──
『上っ!』
〈念話〉による警告が二人の頭の中に響く。
咄嗟の出来事に、東雲謙は体当たりの突進が見事は外し、ゴーシュは構えようとした天叢雲剣には何も衝突しなかった。
何事かと思いながらも、二人は空を見上げると、
「あ!」
「え?」
双方に放った魔力により、〈錬成異空間〉の障壁に蜘蛛の巣状の皹が入ってしまったことに今気づいた。
もし障壁の皹に気づかずに、対峙していたら、〈錬成異空間〉は破壊され、人間界に災厄が巻き起こっていただろう。
無事に回避してホッとしたのは束の間だった。
微かに天上──〈錬成異空間〉の向こう側から大量の魔力反応がすることを二人は感じ取る。
「この魔力反応は、【謀反者討伐隊】の援軍でしょうか。しかし、別方面から違った魔力反応を感じます……」
遅れて感知した東雲謙が言うと、ゴーシュがやれやれと肩を竦める。
「どうやら、ボクらの戦いが招からざる客を連れてきてしまったようだね」
遥か高空に閃光が、ほんの一瞬だけ映し出される。それを見て、東雲謙は思わず目を疑った。
夜の雲間に紛れて一筋、いつの間にか黒い裂け目が空を横切っている。
引き裂かれた闇から一つ黒い影が現れた。
それを追って、十の人影が飛び出してくる。
十の人影は、群れ為し夜を覆い尽くす蝙蝠のように、裂け目から吐き出される無数の影を連れ立っていた。
「……あ、あれは……確か、憲兵か?」
「そのようだね。憲兵が大罪人にでも追って、この〈錬成異空間〉に来たのだろう」
「大罪人……?」
ゴーシュの何やらわかっている口ぶりに東雲謙は訝る。
確かに、憲兵は軍組織内において警察活動を行い,特定の任務を果す特別部隊。通常,各国とも軍隊内部の犯罪捜査,脱走兵の逮捕,軍刑務所の管理と警備,軍交通の整理,防諜,軍事施設の警備などの任務を与えられている。
だからといって、憲兵が人間界まで出張することは稀である。人間界は、あくまでも人間たちの管轄であり、憲兵は世界の規律を乱す【創世敬団】を討伐、もしくは捕縛した際に、連行する時に〈ゲート〉付近まで来るだけだ。
人間界まで、多勢で罪人を追って来るなんて滅多にない。だからこそ、ゴーシュの大罪人という言葉はじっくりと来た。どんな罪人を憲兵は必死に追っているのだろうか。東雲謙が憲兵が追う一つの影をよくと目を凝らして見ると、
「なっ……!?」
その人物を見て、目を飛び出さん勢いで驚いた。
それは無理もない。憲兵が必死の形相で追いかけているのは────影のような、なんて形容がよく似合う女性だ。
闇のような漆黒の衣服に身を纏った女性。肌は真珠のように白く滑らかで、襟元から覗く首は、少し力を入れて握れば折れてしまうのではないかと思えるほどに細い華奢な体躯、少し幼さげであるものの、扇情を感じさせる起伏や少女にしては大人びた表情は、女性といっても過言ではない。
もっとも特徴的なのは顔の左半分を覆い隠してしまっている前髪──左右非対象の異形の瞳だ。
オッドアイは、虹彩異色症と呼ばれるもので、両の目の虹彩がそれぞれ違う、または片方の目の虹彩が一部だけが変色しているものであり、ハトラレ・アローラにも人間界にも存在する変異種の一種だ。だからこそ、それだけならば、不思議には思わなかった。変異種として生まれてくる亜人は稀に存在している。数は少ないが珍しくもない。もっとも注視するべきは、深紅の瞳の左目の中にある。
無機的な深紅に、数字と文字が縦と横と斜めに並べられている。左目の中に、魔方陣が展開されているのだ。そのような左目をしている亜人など一人しかいない。東雲謙が彼女の正体に気づくには時間はかからなかった。
「……な、【戦闘狂】……何故、人間界にいるんだ……?」




