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第一章 六十一




 天上で二色の光が乱反射し、膨大な量の魔力が、暴発して辺りに散らばった。制御を失った魔力が、天上へと向かって、〈錬成異空間〉と現実世界を別け隔ていた分厚い障壁に、あっさり撃ち抜かれて砕け散った。その光景を見た翼たちは、呆然と佇み、見上げていた。


 光りの色からして、銀龍族が絡んでいることは間違いない。案の定、遠くから様子を窺っていると、シルベットの姿をまず確認できた。シルベットは、男性に肩を貸して少し辺りを見回してから地上にゆっくりと降りてきている。


 灰に近い白い短髪に、衣服に隠されても鍛えられていることがわかる細身をした男性。人間的外見だと、二十代後半くらいだろうか。灰色を基調とした軍服は、遠目で視認できるほどに、深い赤に染めており、戦いにより負傷したことが窺えた。


 シルベットは、負傷者を安全な場所に避難させようとしているのだろう。男性に肩を貸して、地上の安全確認をしながら降下するが、住宅街側の殆どが溶岩により火の海だ。すぐには降りることができないのか、辺りを見回している。


 ゆっくりと下降しながらも、被害がもっとも少ない真南川を挟んで向かい側の市街地にシルベットはゆっくりと降り立とうとしている。必然的にシルベットから翼たちに近づいてくれた。


 それを確認して、シルベットとひとまず合流しょうとした矢先、天上で二色の光が更なる乱反射し、膨大な量の魔力が暴発して、〈錬成異空間〉と現実世界を別け隔ていた分厚い障壁に、更なる亀裂を入れた。


「何事ですのよ!?」


「ゴーシュ。障壁に近いところで膨大な量の魔力をぶつけたら、〈錬成異空間〉が破壊されますよ! どんだけ私の魔力が削られると思っているの!」


 まずは破壊された障壁を修復しなさいよ、と天上で戦っている二者────片方のくすんだ銀髪の青年に向かって、美神光葉と悲鳴じみた声を上げる。


 それは仕方ないと言える。行使権を奪われてしまった美神光葉は〈錬成異空間〉を操ることは出来ない。


 しかし、〈錬成異空間〉の障壁を破壊されたら、補修に使われる魔力は美神光葉から自動的に吸い取られていくのだから、悲鳴も上げたくなるものである。


 〈錬成異空間〉の障壁を破壊した犯人は、ゴーシュ・リンドブリムだったことに、苛立ってしまう。



「え……あれが、シルベットのお義兄さん?」


「……あの方が銀ピカの義兄ですね?」


 翼とエクレールは、ほぼ同時にゴーシュとは同期生で同じ【部隊チーム】に配属していた経緯を持つ美神光葉は訊くと頷く。


「あれが、義妹大好き変態野郎のゴーシュ・リンドブリムよ。銀龍族の純血種。銀龍族の王位の血筋にあたり、第一王位継承者。ハトラレ・アローラの宝剣〈ゼノン〉を護る守護龍と巫女たちを惨殺し、強奪をした容疑をかけられたお尋ね者です。そして、水無月・シルベットの義兄です……」


 少し不機嫌さを声音に滲ませながら言うと、エクレールと翼は一緒に見上げる。


 翼はまだゴーシュに会ったことはない。実は、エクレールもゴーシュとは面識がなかった。


 遠目で確認したところ、外見はどことなくシルベットに似ている。シルベットを気障な男にしたらこんな感じだろうかという印象だ。無駄に爽やかで顔立ちがいいゴーシュにはとてもハトラレ・アローラの宝剣を強奪し、義妹大好きな変態野郎のイメージはない。


 ゴーシュは淡い水色を基調とした軍服を身に纏っている男性と戦っている。〈錬成異空間〉と現実世界を別け隔てていた障壁を破壊しても尚も、何度も膨大な量の魔力を放射し続ける剣檄を繰り広げられている。


「そうですわ。それよりも、あれでは人間界に未曾有の災厄が起こってしまいますわよ!」


「そうね。早く行って二人を止めるか何かしなければ…………あれは……」


 美神光葉はゴーシュたちより少し下方に、宙で佇んでいる人影を見て、顔を強張らせる。


 そこには、陽炎で身体の周囲を歪ませるほどの炎を纏わせて、ゴーシュたちの戦いを見上げる女性の姿があった。


 焼けた鉄のように灼熱の赤を点す髪は頭の上で纏められている。それでもなお長く、腰下まであり、漂う度に赤い火の粉が散った。意志の強さを窺える目は火の粉を撒いてなびく長い髪と同じ、灼熱の輝きを点している。


 柔らかな質感を持ち、端正な顔立ちには気高さがあり、近寄り難い。袖が半ばから揺らめく火焔にした、白い和装。天女の羽衣のごとく身体に絡みついた炎熱の帯。炎を纏っているかのような女性は、ハトラレ・アローラに置いて、知らない者はいない。人間態ではなく本来の姿で人間界で知れ渡っているその女性は、ボルコナの守護者にして、支配者──


「朱雀────煌焔……」


 不死鳥である朱雀────煌焔だった。


「朱雀って、あの朱雀?」


「どの朱雀を言っているかはわかりませんが、人間界で、主に中国圏を中心にしたアジアでは、四神の一つとされている炎の化身である不死鳥で間違いありませんが」


「あれが……」


 清神翼は、朱雀を思わずまじまじと見てしまう。


 清神翼は朱雀とは、当たり前なのだが、まだ会ったことは一度もない。今まで幻獣とされ、神話上の生き物とする朱雀に人間態だが、見たことに少しながら感動してしまった。


 朱雀と言えば、ファンタジー系のゲーム、漫画、小説、映画、ドラマ、アニメといった創作物は龍やドラゴンに続いて登場する生き物だ。翼の好きなファンタジー系の作品によく登場していたため、人間態ながらも目を少し輝かせてしまうのも無理はない。聖獣化した場合、それ以上の感動してしまうのは間違いないだろう。


 そんな清神翼の横でエクレールも警戒しながらも朱雀を見上げる。


 エクレールも巣立ちの式典であっただけで、面識はなく、ただ南方大陸ボルコナから滅多に出られないので有名であること以外、悪い噂でしか彼女を知るよしはなかった。


 ハトラレ・アローラでは、炎のように苛烈ですぐに切れやすい性格をしており、南方大陸ボルコナの守護者にして支配者と呼ばれる所以としては、朱雀はボルコナでは総ての決定権があることにある。


 どんなに多数決で決定を降しても朱雀が却下すれば、却下される。皆が賛成しなくとも、朱雀が賛成すれば、可決される。本当は白なのに、朱雀が黒といえば、黒なのだ。殆ど、朱雀通りに動く。もしくは動かざるを得ない。それだけ聞けば、独裁者という印象を受けてしまうのは無理はない。


「朱雀様は極度に戦を好み、軍事的修練に勤しみ、名誉心に富み、使命において厳格であるのは確かだが、民──特に魔力が弱い子や女性に対して人情味と慈愛を示す御方だ。それ故に、人間の扱いも極めて率直で尊大だが、謀反や裏切り行為等、侮辱を行った者に対しては見逃すことはしない。徹底的な懲罰を降し、容赦がないことで知られている」


 ドレイクは朱雀を微笑ましそうに見上げて、何も知らない翼に説明をする。


「性格は、聖獣の中では気は非常に短く、すぐに激昂はする。ひとたび激昂すれば、炎のように舞い上がるのは玉に傷だが、極めて修練に怠ることは一度もない。幼少期から長年の日課としているは欠かせてはいない」


「ですが、好戦的かつ嗜虐的な気質は聖獣としてどうですのよ」


 エクレールが翼とドレイクの話しに割って入った。


「無礼を働いた者を消し炭して死滅するまでおさまらないとか、ボルコナでの朱雀絶対君主は独裁国家と言われても差し支えありませんわよ」


「朱雀様────煌焔様は、恐怖による支配での服従で国を纏めているわけではない。謀反や裏切り行為等以外は寛容であり、善き理性と明晰な判断力を有し、臣下や国民に不自由なき暮らしを目途に置き、采配している故の忠義だ」


「それでは、自分を慕わず、反抗的でしたら、徹底的な懲罰を降して恐怖で支配するのと同じですわよ」


 それは神と同じですわ、とエクレールは玉藻前を一瞥する。玉藻前は彼女の嫌味たらしげな視線に不快感を示す。


「エクレールは、どうしても神を愚弄したいのだな……」


「当たり前ですわよ」


「その辺でやめなければ、いずれ神罰が降るぞ」


 玉藻前は、エクレールは忠告するが全く意をかえさない。このまま、彼女を相手にしても埒が明かないために、玉藻前は話を変える。


「まあ……、あのままでは〈錬成異空間〉は保てなくなるわけじゃが。止めるにしても、あそこには、朱雀がおるからな。あやつのことじゃから、何やら策があってのことじゃろうが、あのままにしておくと、現実世界────つまりに人間界にどんな影響がわかるわけではあるまい」


 玉藻前がそう言ったところで、負傷したシー・アークに肩を貸したシルベットが翼たちを見つけ、「お〜い」と、小さく声を上げながら降りてきた。




      ◇




 元老院議員たちが全員がいなくなったこと確認したモーリーたちは、〈錬成異空間〉で構築させた広間に移した。


 豪勢な装飾が施されている部屋には、中央には来客を出迎える応接用の長椅子とテーブルが置かれ、奥には部屋の主が執務を行うための机と椅子が配置されている。


 聖獣たちが謁見する際に使用する待合室と同等というか、まったく同じ広い部屋だ。


 水無月龍臣を上座から右隣に寝かせると、テンクレプは上座に着席し、ヴラドは左隣に、テンクレプの前方にモーリーが座ると、口から大きな息を吐き出す。


「まずは、お疲れ様だな。お互いこんな腐敗した組織で国を回すには骨が折れる。当初とは少し違ってしまったが、まず組織のたち直すきっかけが出来たな」


「敵に潜り込まれたことを気づけず、好き放題やっていた彼らがこれからまともな仕事を出来るとは思えないがな…………流石に、今度ばかりは骨が折れたよヴラド」


 ヴラドにモーリーは恨みがましい目を向ける。


 元老院議員の中でガゼルの右腕と謳われたモーリーは、二人の、【世界維新】の協力者側についた身であった。


 圧倒的な知力と思慮力を持って支えたモーリーが、ガゼルに恭順の意を示しながらも、ある境を期に思慮が欠ける行動を取りはじめた。恐らくそれが〈アガレス〉がガゼルに成り代わった時機といえる。


 少しずつ不信感を抱いたモーリーは、ガゼルが見切ること画策する。ガゼルの地位を失墜するために偶然にも仕掛けた盗聴・盗撮の術式は充分過ぎる証拠となったのは言うまでもない。


 時を同じくしてテンクレプとヴラドと水無月龍臣が【世界維新】であることを知ったモーリーは、彼らと接触をし、ガゼルが〈アガレス〉に成り代わっているという重要な証拠を収めた〈メモリーキューブ〉を元手に取引を持ちかけてきた。〈メモリーキューブ〉を引き渡す代わりに〈アガレス〉がガゼルに成り代わっていることを気づけず、腑抜けた元老院の状況を見て、腐敗した組織から不純物を取り除き、改革を起こすために力添えをするということを言ってきた。


 組織の裏でモーリーがハトラレ・アローラや人間界に与えた功績を知っているテンクレプとヴラドは平和と安寧を齎したといっても過言ではないが、彼を信用していいかは別問題だ。思慮深さと計算高い彼が【世界維新】に取り入ることに何らかの意図があると、疑って見てしまうのは無理はない。


 だが。


 水無月龍臣は違った。


 彼はモーリーを信じた。理由は至極簡単であった。これまで腐敗した組織の中で、民のために影で尽力した功績があるのだから、裏切るわけがない。そんな自分の首を締めることになることような素直な考えにテンクレプとヴラドは危惧したが水無月龍臣という人間の性格や特性を考えれば、信用せざるを得ない。


 水無月龍臣の特性とは、相手の嘘や偽りを見抜くことが出来ることである。それはシルウィーンと出逢う前から、相手の僅かな仕草や態度、声音で嘘か真かを見破る程度だったものが、複数に渡ってシルウィーンの血液を体内に与えたことによる脳が活性化され、運動や出力に対して制限されていた能力が覚醒され、開花したものと考えられる。シルウィーン自身も銀龍族にもそのような能力は備わっていないため、水無月龍臣が元々備わっていた特性といえる。


 それにより、水無月龍臣の信頼を得たモーリーはガゼル────〈アガレス〉の動きをテンクレプやヴラドに密告し続けた。とはいっても、モーリーは、ガゼルの派閥の者である。相手に悟れないように接触するには、細心の注意を要した。


 モーリー自身、学舎でも軍科、普通科を選考して来なかった上に、権門の家に生まれで官僚の道を経て元老院議員となった身である。


 戦場経験がないため下手に動いて、危険にあっても困るために、モーリーは〈アガレス〉に気づかれないためにも、もっぱら出会い頭の雑談に何気ない会話をしながら暗号で伝えるのが、精一杯であった。


 情報量としては比較的に少なめであったが、〈アガレス〉の策略を知るには重要なものが多く、その功績は、計り知れないものとなっていた。味方にすれば心強いが敵にすれば厄介であることには変わりはないモーリーだが、恨みがましい目をヴラドに向けてしまうのは無理もない。


 そんな彼にヴラドは苦笑した。


「確かにそうだな……そんな目で見るなよ」


「私は間者だ。間者成り立ての初心者だ。だがな、元老院三百もいて、〈アガレス〉以外にも潜り込んでいる可能性があるとしたら、ヴラドはまだテンクレプの味方ということを主張しない方がいい」


「主張したつもりはないがな」


「あれじゃ、主張しているようなものだ。テンクレプ側であることを匂わし、明かすには〈アガレス〉が仕留めた時までまだ中立の立場を維持し、ただの無関係者────傍観者と徹しなければ、後々が面倒だぞ……」


「テンクレプが糾弾されていても、水無月龍臣が現れても、水無月龍臣が〈アガレス〉と戦っている時も、モーリーは一言も言葉を発せずに気配を消していたな……」


「あの場合は、下手に目立たない方が身のためだ。覚えておけ……」


 モーリーはそう忠告した。


 数十年前までは、間者初心者であった彼は、一から間者の極意を密かに学んだらしく、時にヴラドに対して、手厳しい意見を言ってくる。近年では、どちらが先輩なのかがわからなくなってくるが、今回ばかりはモーリーの言葉に納得せざるを得ない。


 〈アガレス〉が取りがしてしまった現在、テンクレプとヴラドはこの先、彼から狙われる可能性は高いと見ていいだろう。テンクレプはこれからのことを考えて重い溜め息を吐くと、右隣の長椅子に横にさせている水無月龍臣を一瞥する。未だに彼は目を覚ましてはいない。シルウィーンの血液により無理矢理に底上げて、人間の限界を超えた代償は思ったよりも深いようだ。


 テンクレプにヴラドとモーリーに目を向ける。


「課題は山積みだな。〈アガレス〉延いては【創世敬団ジェネシス】────ルシアスが生きている限りは、まだまだ終わらん。世界を動かす元老院が腑抜けていては、隙をつかれてしまう。それが現実化しただけに過ぎない。命が尽きるまでに何とか建て直すにはそれ相応の改革が必要じゃろ。それがなければ、長年根付いた意識は変えられんからな。今は腑抜けていたものに少しだけやる気を出させただけで良しとするしかない」


「テンクレプ。まだまだ、だ。まだ改革と呼ばんぞ」


「これからだな。改革のきっかけは掴めたのだから、これで良しとするのはまだ早い気もするな」


「それもそうじゃな」


「これから誰かが改革に反対する者もいるだろう。また腑抜けた政治に戻るかもしれないぞ」


「まあ。その時はモーリー────お前が尻を叩けばいい。〈アガレス〉や【創世敬団ジェネシス】の関係は戦場慣れしていて、元英雄であるテンクレプに任せればいいだ」


「だとしても、テンクレプとヴラドにはいつ〈アガレス〉に暗殺されるかわかったものではないな……」


「確かにそうじゃろ。〈アガレス〉は取り逃がしてしまっては、いつ誰かに成り代われるか、落ち着いてなどいられない。安直に事を構えていては相手の思うツボじゃろが、慌てればそれこそ相手の思うツボじゃ。〈アガレス〉は、相手が慌てふためくのを密かに愉しむ輩なのだからな」


「まあ。まだ、〈アガレス〉の居どころを掴めてはいないのだからな、慌てて捜索しても、すぐに居どころが見つかるほど、彼奴も用心するはずさ」


「そうだとしても、早急に〈アガレス〉の捜索をしなければならないんじゃないのか?」


「ああ」


 ヴラドは、これから〈アガレス〉を見つけださなければことに、深いため息をついた。


 何十年もの間、【世界維新】が幾度も調査して、ようやく〈アガレス〉の居どころを掴めたのだ。それもモーリーの密告がなければ成し得なかったことを考えれば、探す手間に深いため息をついてしまうことも頷ける。


 だからこそ、討たなければ、これまで探した者の努力が無駄になる上に、また誰かの命と地位を奪われてしまいかねない。少しでも引くことは赦されなかったからこそ水無月龍臣は自分の限界を超えて、副作用が襲いかかっていても退くことが出来なかったのだ。


「流石に、また捜すには骨が折れるな……。まだ何百年とかかった覚えがないが、恐らく何十年はかかることだろうな……」


「確か、もっともかかった年数は八十年じゃったな。水無月龍臣とは、確か五年前にゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーを〈アガレス〉だと見事に見破り、対峙しておるので、最短じゃな。一度、姿をくらませてしまえば、またお見えするのにかなり時間がかかる彼奴じゃ。そう易々と見つけさせてはくれんじゃろな」


「嘘を見破る能力を開花させた水無月龍臣ならば、また見つけ出してくれるだろう。それにモーリー────お前がいる」


 ヴラドは、左横にいるモーリーに微笑むと、モーリーは驚いたように目を見張った。


「私……、ですか?」


「ああ。今回、〈アガレス〉を見つけられたのはお前の功績はもっとも大きい。不慣れながらも間者としての役目を果たしている」


「情報提供は少なかったと思いますが……」


「間者初心者に濃密な接触は避けたいからな。それでいい。下手に動いて〈アガレス〉に悟られても困るしな。ガゼルの右腕だったお前の情報収集は、量は少なかったが、〈アガレス〉を知るには最適だったと評価している」


「そうじゃな。彼奴は未知数の部分も多い。普段をどう過ごしているかもわからぬ。〈アガレス〉は確か、姿を代えすぎてしまい、本当の自分を見失っている分類の者じゃ。だからといって、全てをコピーして真似ることは出来ないとわかった時点で、見破ることは出来るはずじゃ」


 モーリーがガゼルに不信感を抱いたのは、ある境を期に思慮が欠ける行動を取りはじめたことがきっかけだ。それが〈アガレス〉に成り代わった時機と考えるならば、〈アガレス〉の成り代わりは完全ではない。


 テンクレプが口にした通り、外見は変えられても、中身まではコピーして完全に真似ることは出来ないとするならば、知っている者が僅かでも違った行動を取れば、自ずとわかるということになる。


「これから各々、常とは違う行動を取った者を疑えば、彼奴に辿り着くやもしれん。その時は、情報収集を密に行い、策を練ろうと思うのじゃが……どうじゃろうか?」


「意義ないな。まずは、〈アガレス〉がどこに潜んでいるのかがわからない以上は下手に手出しは出来ないからな」


「私も意義はない。後手になってしまうことは致し方ないでしょう。むしろ、見つかった後が重要でしょう。〈アガレス〉の企みをどうにか調べ上げてから先手を打てばいいかと」


 テンクレプの考えに、ヴラドはため息と共に、手をわずかに挙げて賛同すると、モーリーは少し不承不承といった顔を浮かべながらも手を少しだけ上げて賛成の意を示した。




      ◇




 モーリーが退出した室内に、テンクレプとヴラドは残された。向かい合うようにヴラドは先程までモーリーがいた席に移動すると、


「どうだ?」


 と、テンクレプに問いかけた。


 テンクレプはその問いかけに頷く。


「うむ。少しばかり彼らしくなかったと見る。思慮深く計算高い彼としては判断が欠けているように思えるが」


「そうか。アレが彼奴の可能性は?」


「彼奴がいた時、彼はいたことを考慮するならば、別人と考えるべきだろうな。どうじゃ、タツオミよ?」


 テンクレプは横で横たわる水無月龍臣に問いかける。


 水無月龍臣の瞼が開かれ、少し息を吐き出すと、ゆっくりと起き上がる。未だに人間の能力を銀龍族────シルウィーンの血液によって底上げにさせた代償は未だに倦怠感となって、尾を引いている。一キロの岩を背負っているかのような重さが、時間に経つに連れて少しずつ治まりつつあるようだが、まだ耐え難い疲労感が彼を縛りつけていることは見てわかるほどにフラフラ状態だ。


「横になっていても構わないぞ」


「無理はするなよ……」


 テンクレプとヴラドは、水無月龍臣の身を案じて言ったが、ゆっくりと起き上がる彼は取り合わない。律儀で礼儀正しい性分である水無月龍臣が失礼だと頑固として譲らなかった。


 テンクレプとヴラドの手を借りて長椅子にようやく座ることが出来た水無月龍臣は、大きく呼吸を整えて、かたじけないと頭を下げた。通常であれば、副作用により、数日間は躯を動かすことはままならないところを叩き起こし、能力を酷使させてしまったことにテンクレプとヴラドは申し訳なさそうに佇んでいると、それを察した水無月龍臣は、


「これも不容易に疑心暗鬼にかかり味方同志で争わないために大事なことだ」


 だから気にするな、と微笑んだ。テンクレプとヴラドは向かい合って、視線で合図を送る。


 ──少しでも体調が悪化したら、救護班を呼ぶ準備を。


 ──わかっている。いざという時に備えて、救護班には話しは付けている。


 ──抜かりはないな。


 ──ああ。もしも、救護班が駆けつけるのに時間がかかるというのなら、この〈錬成異空間〉ごと、医務室でも救護所でも病院に一気に移動する覚悟だ。水無月龍臣が厭がってもな。


 真面目、謙虚、約束を守る、規則などの決まり事を重んじる、礼儀正しい、温厚、公平、綺麗好き、完璧主義といった日本人特有の性格を地でいく水無月龍臣の性格上、医務室や救護所などの医療施設に連れていかれることを遠慮して厭がる可能性が高かった。


 別に医務室や救護所や病院といった医療施設が嫌いなわけではないが、大丈夫だと言い張って、実は重傷を負っていたことは今まで幾多に渡ってあった。戦闘を終えた度に重傷を負う彼は、その度に心配して救護班を呼ぼうとすると遠慮し、頑固として医務室、救護所、病院等の医療施設に行こうとはしない。


 無理がたたりぶっ倒れてしまうこともよくあった。テンクレプとヴラドはそんなことにならないように、水無月龍臣の包囲網を徹底して行い、


「無理させておいてなんだが、少しでも体調が悪くなったら遠慮なく言ってくれ」


 と言葉を返して、各自席に戻った。


 水無月龍臣は長椅子の上で正座になるといった不思議な行動を取った後に、視線をテンクレプとヴラドに交互に向けてから口を開く。


「嘘を言っているようには感じられない。少しばかり、焦りのようなもの、もどかしいといった感情が彼から伝わってくる。何かを訴えているかのようでもあった。会議場での彼からは感じられなかったものだ」


「焦りともどかしさ、何かを訴えかけていた、か……。嘘を言っていないとしたら、裏切っている可能性は低いということだな」


「では、焦りともどかしさは彼が何かを伝えようとしていると見てよいじゃろな。会議場には伝わなかったものとしたら、会議場から〈錬成異空間〉までの僅かな時間ということじゃな」


 水無月龍臣の言葉からテンクレプとヴラドはそう分析した。

 先程、思慮深く計算高い彼────モーリーがらしくない言動を取った。


 少しばかり慌てているような、焦っているような声音で話しをする彼を訝しんだテンクレプとヴラドは、長椅子で横たわていた水無月龍臣に〈念話〉で起こし、探りを入れてもらっていた。亜人の血液による副作用により倒れた彼の意識を呼び起こすことに、少しばかり気が引けたがモーリーが〈アガレス〉、もしくは【創世敬団ジェネシス】の刺客と入れ代わっている可能性があったために、水無月龍臣を寝かせながらも起こすことにした。


 彼はまだ意識を完全に失っていたわけではなかったからだ。ただ動けず、瞼が重いだけであったが、まだ〈念話〉でやり取り出来るほどの余力が僅かに残されていたことは幸運といえる。


「モーリーは確か、朱雀に謝罪文を書かせていた元老院議員たちのところに確認しに向かったはずだ。我々がモーリーから目を離したのはそれだけで、接触できたのはその時だけだろうな」


「だとしても、モーリーがそのことを話さないのは不思議じゃな」


「話さないのではなく、話せなかったと考えるべきだろう」


 水無月龍臣は思考を巡らせて、モーリーの行動の意味を考える。


「もしかすると、モーリーは〈アガレス〉か何者かに弱味を掴まされたのではなかろうか……」


「それは一体、どういう意味だね?」


「これまでモーリーが嘘を言っている様子はなかった。勿論、〈真実の目〉の反応も彼が嘘を言っていないとは、なっている。〈真実の目〉の鮮度は、先日確認したが落ちていなかったことを考えれば有効であろう。今までシルウィーンの血液による副作用によって、〈真実の目〉の鮮度が落ちたということはこれまでになかったことを考えれば、モーリーは焦りともどかしさを短時間のうちに抱いたのかを考えるとな」


「モーリーは、〈アガレス〉や【創世敬団ジェネシス】に通じる何者かに弱みを握られているか、家族や身内を誘拐されている可能性があるのではないか、と考えたわけだな。それならば、こちらに何かを訴えているような感情は理解できるわけか……」


「確かに。可能性として考えられるじゃろ。モーリーがこちらにそれを伝えようとはしなかった意図に関しては、想定じゃが“伝えたくとも出来なかった”と考えるべきじゃろうな」


 テンクレプは水無月龍臣とヴラドの考えに頷き、更なる解釈を入れる。


「この〈錬成異空間〉には盗聴・盗撮対策は施されており、彼奴等に見聞きしている可能性は低いじゃろう。だが、彼奴等が対策を編み込まれたアイテムを持たされていたと想定したらどうじゃろうか。可能性はあるとは思わないか?」


「確かにそうだな。ただ、手放さないように呪術を施されていると想定していると考えれればの話だかな」


「そうだ。あくまでも仮説の段階に過ぎず、確証はない。予想の段階で、根拠はない。ちゃんとした確証を得られないままでは、モーリーに妙な疑いをかけてしまいかねないということだ。加えて、〈真実の目〉で見ただけで確証を得られるわけではない。この目は、私が視えるものであって、他者に視せることは出来ない。組織を動かすことは出来ないだろう。予想だけで動くのは極めて危険と考えるべきだろう…………」


 水無月龍臣は推測だけで判断し、動くことに危惧する。


 モーリーが弱味を握られていることを示唆したが、それにはまだ確証はない。水無月龍臣の〈真実の目〉は、相手の感情と嘘か誠がわかるだけで、モーリーが、“何に”に焦りともどかしさを抱き、“何を”訴えようとしたのかという肝心なところは予想の範疇である。三人の予想で生めただけだ。


「我々だけで、モーリーが何かを訴えているのか、調査しなければならないというわけか。まあ、仕方ない。モーリーに頼まれたとしても、【世界維新】に入れたのは我々だからな。その責任を取るのが当たり前だ」


 そう言って、ヴラドは立ち上がる。


「モーリーが弱味を握られている可能性が高いかをそれとなりに、探りを入れておくようにする。【世界維新】に入れる際に身辺調査をしたが、ガゼルの元右腕だった割りには、政治的弱みは少なかった。その時だけ隠蔽していた可能性を考慮して、一応調べてみる。あとは、ああ見えてモーリーには確か、来年辺りに巣立ちを迎える孫娘がいたはずだ。モーリーは孫娘に痛く御執心だったはず、もしかすると、人質にされている可能性とかも考えて調査しなければなるまい」


 と、〈念話〉で自分が信頼を置ける調査員に頼んだ。


 一通りの〈念話〉を終えると、ヴラドは術式を展開し、出入り口を開く。


「俺も動く」


「そうか。では、我々も出るとしょう。水無月龍臣よ、体調が悪いところ、仕方ないが儂らはこの辺で降りるとしょう」


「〈錬成異空間〉から行使者が離れると消失してしまうからな。仕方のないことだ。拙者は、そこら辺でも────」


「安心しろ。既にタツオミが降ろすところは手配している」


 水無月龍臣の言葉を遮るようにヴラドが言った。その言葉の意図を水無月龍臣は、浅葱色の着物の袖口に腕を入れて考える。


 しかし、答えが出るよりも前にヴラドはテンクレプと共に、水無月龍臣を〈錬成異空間〉から出た時に知ることになったのは言うまでもない。


「此所は……」


「見ての通りの病院だ。お前が言っても遠慮して行かないのが悪い。何度も言っても行かないから強制で行かせるしかなくなったんだからな。此所は、俺んところの系列が運営していて、【世界維新】にも繋がっている信頼あるが病院だ。今のお前の立場じゃ、どの病院も門前払いを喰らいそうだからな。ハトラレ・アローラでは、まだ宝剣を強奪したゴーシュの協力者の疑いが晴れてはいないからな」


「そうか……」


 医務室に送り届けられた水無月龍臣は心底厭そうな顔を浮かべたが、観念したように手を上げる。


「これはしてやられたな……」


「この病院は、念のためにテロ対策はしているが、もしものことに備えてこの病室は、表記されていない地下三十階にある。どこかの組織に狙われても避難経路はいくつか確保できているから安心して、今は副作用が落ち着くまで大人しくしているんだな」


「それは誠にかたじけないな……」


「かたじけないと感じているなら大人しくしてろよ」


 そう言って、ヴラドは背を向けて、〈転移〉の術式を展開する。立ち去ろうとするヴラドに水無月龍臣は深い一礼した。


「有り難く、ゆっくりと休ませて頂く」


 水無月龍臣の言葉にヴラドは降りかえらず手を振って、魔方陣の中に入って立ち去った。


 ヴラドに立ち去ったと同時に、水無月龍臣の視界が大きく傾く。躯が傾いていることに気づいた頃には、体は地に倒れ付していた。周囲にいた看護婦と医者が焦りを浮かべ、すぐ近くでテンクレプが少し呆れたように顔を覗き込んでくる。


 水無月龍臣は、ヴラドに礼をしたことにより、力尽いてしまい倒れたのだ。通常であれば、副作用により、数日間は躯を動かすことはままならないところを叩き起こし、能力を酷使させ、話をしてしまったのだ。いつ力尽きて倒れてもおかしくはない。


 むしろ、ここまで倒れずに話せたことは上出来といっていいだろう。


「あのまま帰していたら、確実にどこかで野垂れ死んでいたじゃろうな。〈錬成異空間〉から直接、病院に繋いだことは幸運といえるな」


 すやすや、と寝息を立てて、ぐっすりと眠りついた人間の侍をテンクレプは抱き起こし安堵の息を吐いた。


 担架をもってきて駆けつけた看護婦たちに彼を預けて、運ばれていくのを見送ると、


「水無月龍臣よ。あとは、我々に任せて、ゆっくりと休むのじゃ。────決して、娘らには手出しにさせんぞ」


 強い意思を持って踵を返した。




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