第一章 六十
水無月龍臣がシルウィーンの血液の効果と共に地に倒れてしまった。
意識を失っているが、心臓は規則正しく脈を打ち、躯には致命傷となる怪我もないことを確認し、テンクレプは安堵の息を吐く。
副作用により、数日間は躯を動かすことはままならないが、大事にならず、よかったと頷いた。
「彼には礼をいわなければなるまい。元老院に【創世敬団】の手先がいたことを暴いてくれたのだからな」
「ああ。違いない。〈アガレス〉の術中に見事に嵌まり、大切な仲間である水無月龍臣、ゴーシュ・リンドブリムに対しての罪状を変えなければならない」
テンクレプの言葉にヴラドは応じる。
ゴーシュ・リンドブリムにかけられた容疑は、五年前にエタグラの神殿にて、〈ゼノン〉の強奪。その際に、守護龍を斬殺した罪である。水無月龍臣はゴーシュの逃亡に加担していた罪があった。
しかし、〈アガレス〉がガゼルに成り代わっていたことが五年前である。それからゴーシュを大罪人に仕立て上げる算段を取っていたのなら、彼等二人にかけられた罪を見直さなければならないだろう。
ヴラドは反対意見がないかを三百もいる元老院議員を見回す。元老院議員は、脅えた顔を浮かべている。中には、茫然自失といった具合に佇んでいたり、へたれ込んでいる。
元老院とあろう者たちが水無月龍臣と〈アガレス〉の激闘に腰を抜かしているのを見て、どれほど現場に任せていたことが窺えた。
情けさにヴラドは溜め息を吐いた時──
扉を強く叩く音が聞こえた。
テンクレプやヴラド、元老院議員らは、扉に目を向けると同時に、両扉が開かれ、窓が一切なく、水無月龍臣と〈アガレス〉の戦闘により蝋燭といった光源を失った室内に外の光りが射し込む。
扉を開いた者の影が室内に入り込むと、左胸に右手を添えるハトラレ・アローラの形式的な敬礼をして、未だに立ち直れない者がいる中、凛として響き渡る鈴を鳴らしたような声が、会議所の広間に鳴り響いた。
「伝令です!」
つかつかとテンクレプの前に進み出たのは、炎のような朱色の髪と白磁の肌を、白絹の衣装で包んでいる女性だった。
テンクレプとヴラドは一目で人間界での様子を窺うために放った者であるとわかった。二人は彼女を手で呼び、耳を近づける。
女性は、テンクレプの耳もとにこっそりと告げると、飛び出すのではないか、というほどに眼をひん剥くほどに驚いた。
「な、なんと……それは誠か?」
女性は、首肯して答える。
「はい」
テンクレプは目で皆に話すようにと女性に合図を送る。
彼女は恭しく敬礼をすると、ヴラドや元老院議員たちの前に立ち、口を開いた。
「監獄島に収監されているはずの【戦闘狂】──メア・リメンター・バジリスクが四聖市で目撃されました」
「……っ!?」
元老院議員たちは、腰を抜かさんばかりに驚いた。
「……だ、脱獄したのか?」
「あそこは、そう簡単に脱獄できるはずがないはずじゃが……」
「いいえ。脱獄した形跡もなく、封印も解かれていませんでした」
「それでは、多人の空似ではないのか?」
「だと思いましたが……彼女が入った建物で、人間が生み出すには許容範囲を越えた魔力を感じたと同時に術式を展開されたと報告を受けました。すぐさまに近くで警備していた者を向かわせて張り込ませましたが現れず。意を決して建物内を見回したところ、異空間により〈転移〉した後が見つかりました」
「〈ゲート〉を通らず、〈転移〉だけでハトラレ・アローラから人間界まで飛んだというのか……」
「その可能性は低いと思います。何故なら────」
報告する女性は幹部たちに冷酷な事実を告げた。
「〈転移〉は、人間界にある〈ゲート〉が発生地域に繋がっており、その〈ゲート〉はナベルから開いた形跡があります。それにより、【戦闘狂】は監獄島から〈ゲート〉があるナベルに行き、そこから人間界に降りたと考えられます」
「それは……まずいぞ……」
元老院議員たちは絵に描いたように狼狽え始めた。彼女が言ったのは、【戦闘狂】を脱獄させ、〈ゲート〉があるナベルに渡らせ、人間界に降した者がいることを示唆していると言っても差し支えない。
〈ゲート〉を管轄しているナベルの憲兵は、元老院の傘下にある。何者かが糸を引いていた可能性は充分にあり得るだろう。犯人は、〈アガレス〉の可能性は高いが、それでもそれを疑わずに指示された通りに行ったことは、〈アガレス〉がカゼルに成り代わっていることに気づかなかったとしても責任は重いといえる。
その全ての責任を一任されなかいか、心配が絶えないのだろう。うろたえるばかりの元老院議員たちにむかって女性は毅然として言い放つ。
「今現在、四聖市では水無月シルベット、エクレール・ブリアン・ルドオル、水波女蓮歌たちがセイシン・ツバサを【創世敬団】から保護しょうとしています。朱雀様がボルコナ兵を引き連れて、人間界に降りられていることを考えれば、ただセキュリティが甘かっただけでは済まないでしょう」
「あの式典で騒いだ問題児たちと元老院に反抗した不死鳥か……」
ヴラドはあからさまに頭痛でも感じたのかのように、頭を抱えて顔を顰めた。元老院議員たちもざわざわとざわめき始める。
シルベット、エクレール、蓮歌は元老院側の者ではない。式典での彼女たちの態度と行動を見る限りでは、年長者に対する礼儀が全くないに等しく、彼女たちが素直に元老院の命令に応じるかどうかもわからない。
さらに、朱雀に【戦闘狂】の相手をさせるのは危険だ。ボルコナの民間人を百ほど【戦闘狂】に殺されていることを考えれば、情が深い朱雀のことである。事と場合によって本来の役目を忘れて復讐をしてもおかしくはない。〈アガレス〉に踊らされていたとは言え、朱雀に対して元老院がしたことは赦されることではない。元老院が何を言おうと話を聞いてくれるなんてことは少ないと見てもいいだろう。
「こんなことならば、朱雀が提示した税金を減らして、こちら側に引き込んでおくべきだったのではないか。国を動かしているのも同然であり、その儂らを養うのは当然だと、無下にしただけではなく、制裁を加えたのはやり過ぎではなかったのかね」
そうだそうだ、と野次が飛んだ。
「何を今更……、朱雀に制裁を加える際に反対意見を出さなかった輩に言われたくないな。要は貴様らも今の豊かな生活を維持したいために、儂らに同意したのだろう」
反対側からまた野次が飛んだ。
「国民から徴収するための税金だ。ワシらがどう使おうが勝手だ」
「議会にもたまにしか参加せず、だから朱雀に、普段はたいした仕事もしてないにもかかわらず、たまに顕れては余計な口出しをするだけ、という穀潰しのような言われ方をされるんだ!」
「貴様らこそ、議会には毎日出るがグタグタと話しているだけで、何も変わらないだけではないか。それでよく国民たちから捻出された税金をもらえるもんだ!」
「穀潰しよりも仕事はしている。貴様らと一緒にされたくはない。”無駄”で”余計”なものにしか感じられない。見直すべきだ」
双方からの聞くに耐えない言葉の応酬が始まり、議場は掴み合いに陥りかねない雰囲気が漂いだした。
これまでガゼルを中心にしてきた元老院は、まとめ役が不在となった今最悪な状態である。
元老院の信頼は、与野党共に今回のことで失墜したも確実といえる。共にガゼルを〈アガレス〉と見破れず、保身のために動いたことには変わりはなく、見苦しい責任の押し付けを繰り返す。ガゼル亡き現在の元老院の回復は不可能でないにしても容易ではなく、莫大な経費と時間を必要とするだろう。
一度、瓦解してしまった信頼はもう二度戻ることはできない。少しずつだが一から取り戻していく他ならないが、元老院が保身欲しさにより誰かに責任を押し付けようとする光景は、組織の腐敗を感じざるを得ない。
都合の悪いことは忘れる。無視する。あるいは捏造する。それが政治家のメンタリティーである。白を黒と言い抜ける屁理屈論述能力と、それをして平気な面の皮がなければ政治活動なんてやってられないのである。
自らの非を認められない元老院議員たちは、冷静さを失って躍起になって責任の押し付け合い、乱闘寸前にまでヒートアップしていく。
時間だけが無駄に虚しく過ぎ去って行く。わずかに理性を残す者もこのままではいけないと思うものの、紛糾する会議をまとめることが出来ないでいた。
その時。
会議場の扉が盛大な音と共に開かれた。
「あ、〈アガレス〉は……、此処か!」
息せき切って駆け込んできたのは、【謀反者討伐隊】の討伐部隊長────ファーブニルのオルム・ドレキだった。彼は、【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】の二つの組織の中枢であるゴールデンガーデンにガゼルに成りすました〈アガレス〉が、元老院に紛れ込み、現れたと聞いて憲兵を引き連れて駆けつけたのだ。
ここに至るまでにファーブニルのオルム・ドレキは、地下にある会議場を知らなかったために、ゴールデンガーデンの内部をしらみ潰しに行かなければならなかった。地下にある秘密会議場の気付けたのは、水無月龍臣と〈アガレス〉が死闘を繰り広げた音に気付くことが出来たからだ。ようやく地下の会議場に気付き、駆け付けることが出来たファーブニルのオルム・ドレキだったが──
〈アガレス〉との死闘の跡が残る会議場では何とも不穏な雰囲気が漂っていることに、ファーブニルのオルム・ドレキは、ぜはぜはと荒い呼吸を落ち着かせる。
「…………こ、これは……一体、……どういう、……こと、だ……」
ようやくそれだけを口にして周囲を見回している中、元老院議員たちがこそこそとファーブニルのオルム・ドレキを見て、何かを行っているのが見て取れた。
それは、ねっとりとした不吉なものをに感じたファーブニルのオルム・ドレキは背筋に冷たいものを走らせる。
「ファーブニルのオルム・ドレキくん」
「え…………は、はい……」
ファーブニルのオルム・ドレキは、モーリー議員に呼ばれ、恐る恐る返事をした。
モーリーは、ガゼルの右腕と呼ばれた男である。彼が〈アガレス〉がガゼルに成り代わっていたことを気付けなかったことはもっとも責任が重いといっていいだろう。
だからといって、謝罪するわけでもなく、責任を取ることもしない。その代わりに、モーリーはファーブニルのオルム・ドレキに問う。
「キミは、〈ゲート〉の管理にも一任していたね」
「…………は、はい……」
「ならば、朱雀はともかく、みすみすと大罪人である【戦闘狂】を〈ゲート〉を潜らせて、人間界に降りてしまったセキュリティの甘さはキミにあると思うんだが……」
「………なっ!?」
ファーブニルのオルム・ドレキは過呼吸気味で今にも憤死せんばかりの有様だ。
それもそのはずだ。ファーブニルのオルム・ドレキは初めてボルコナ兵を引き連れて朱雀が人間界に降りたことを、【戦闘狂】が監獄島から脱走し、〈ゲート〉の見張りを掻い潜って人間界に降りたことを聞いたのだから。
「それは、一体……どういう?」
「知らんのかね。やはりセキュリティに穴があったとしか言わざるを得ないな……」
【異種共存連合】も【謀反者討伐隊】も、元老院の傘下にある。モーリーは、〈ゲート〉の管理を一任されているファーブニルのオルム・ドレキに全ての責任を背負わせることに判断したようだ。
「た、確かに……〈ゲート〉の管理は一任されてますが、殆どは現場の者や憲兵たちで行っております。憲兵たちに一度、確認してもよろしいでしょうか……」
「責任者は既に把握しとかなければならないんじゃないのか」
モーリーの言葉は完全にブーメランだ。〈アガレス〉を見破れず、まんまと敵の策謀に踊ろされていたのだから。
そんな彼らを、自分たちを助けに道に迷いながらも必死で駆けつけたファーブニルのオルム・ドレキに八つ当たりの如く、〈ゲート〉の責任をネチネチと言う姿は情けないと言わざるを得ない。
その様子を見て、テンクレプ、ヴラド、報告にやってきた女性は彼らの悪あがきに顔をしかめる。
どうしても自らの失敗を認められず、頭を下げたくはない元老院議員たちは、ファーブニルのオルム・ドレキの忠誠心を無下にしてまで自分たちを正当化したいようだが。〈アガレス〉を見破れなかったことを棚に上げていることに変わりはない。
助けに駆けつけたのにもかかわらず、〈ゲート〉から朱雀、ボルコナや【戦闘狂】が人間界に降りたことを急に報らせられ、元老院議員たちから一斉に有無を言わさないような目を向けられたファーブニルのオルム・ドレキは戸惑い、萎縮してしまう。
これまで右翼や左翼で啀み合っていた者たちが一つとなって鷹のように急上昇するが如く団結力で、ファーブニルのオルム・ドレキに責任転嫁させて難を逃れようとする元老院をテンクレプとヴラドは呆れ果てる。それも今だけであって、すぐに瓦解してしまうのだろうと、情けないと言わざるを得ない。
「元老院たちよ。責任を討伐部隊長ひとりに擦り付けるのはどうなのかね? 【戦闘狂】を手引きした者は〈アガレス〉であることに間違いはないだろうな。だが、〈アガレス〉に指示され、ファーブニルのオルム・ドレキが動いたとしても、これまでガゼルを〈アガレス〉と気付けなかった元老院が彼を責めるのも小門が違うと思うのじゃが……」
「ならば、どうする? ハトラレ・アローラの問題事を人間界に持ち出すのはよくない」
ナーガセーナが手を揚げて、テンクレプたちに問う。一人だけファーブニルのオルム・ドレキの揚げ足取りに参加しなかった彼は、元老院議員ながらも賢者でもある特殊な経歴を持つ。ガゼルがいなくなった今の元老院の実質ナンバーワンといえるナーガセーナは、既に答えがわかっているがあえて質問して、周囲に悟らせる性質を持っていた。
だから、彼自身は今やらなければならないことを既にわかっているとテンクレプとヴラドは読む。
「それについては、【創世敬団】が持ち込んでいる。今さら持ち込む持ち込まないという討論は無駄であろう」
「では、どうするというのだ……?」
「これからしなければならないのは、責任の押し付け合いではない。ましてや、都合の悪いことは忘れることでも、ただ傍観するだけでも、自分らの汚点を捏造することでもない。いかにして、反省点を見直して責任を持って現状の奪回ができるかにかかっている」
「そんなことなら誰でもわかっている」
「わかっているのなら何故、行動に移せない? 出来ていないから言っているんだ。あまつさえ、弱い立場の者に対して責任を擦り付けるとは、上に立つ者として情けなくないのか」
ヴラドはナーガセーナではなく、元老院に向かって毅然として言い放つと、議員らはさっきまで起こした野次さえも出なくなり、無言になった。
巧みに責任を転嫁させてきた元老院議員たちはようやく自分たちが諭されていることに気付き、あっちこっちで舌打ちをした。ここであえて追及を重ねれば、自分がわかってて行動せず、責任を擦り付けようとする小心者と認めてしまうことになる。
そのため、元老院議員たちは押し黙り、テンクレプやヴラドの話を聞くことにしたようだ。
「我々がしなければならないことは、まず人間界にいる同志たち全てに【戦闘狂】が脱獄し、人間界に降りたことを知らせることにある」
「知らせてどうなる、というんだ?」
「そんなの決まっている。脱走した者は捕らえなければならない。包囲網を張って彼女が殺戮を犯さないようにするしかない。【戦闘狂】は、〈アガレス〉と関わっている可能性も否定できないため、生け捕りにするしかないわけだ」
「あれを生け捕りだと……馬鹿げている」
「馬鹿げていてもやるしかない。そのためにも、英雄でもある焔に動いてもらわなければならない。昔のことを根に持って、元老院の言うことに従わない恐れがあったとしても、それは元老院が〈アガレス〉の策謀に乗っかったとしても、非礼を詫びなければならないことには変わりはない。幼い頃に習ったはずだ。少しでも悪いことをしたという自覚があるのならば頭を下げて非礼を詫びろとな。まさか長生きし過ぎて忘れたとは言わせないぞ」
ヴラドは、トーガに似た正装の法服の裾をはためかせるように手を振り、声を張りあげて問いかける。
「さあ、今まで美味しい思いをしたツケとして、受け取って謝罪するか。謝罪せずにろくでなるか、はどちらか選択しなければならない。これまでの誰かの後ろに突いて他人任せ、自分が失敗したら人のせい、といったことは出来ないぞ」
さあどうする? と、ヴラドのからかうような物言いに、厳粛な議場の空気が殺気に満ちた。そんなことなど動じることなく、彼は重厚さを感じさせるゆっくりとした所作で、周囲を見回す。その視線は揺らぐことなく、真っ直ぐと自分を指弾した元老院議員たちにとやかく言っている暇ではないことを伝えていた。
その横にいたテンクレプも口を開く。
「ここは先伸ばしにせず、使者を使って伝令と共に謝罪しておいた方がいいじゃろいな。焔の性格上、後回しにしていると後が怖いからな」
暗黒時代の頃に共に旅をし、一緒に戦った同志であり彼女をよく知る彼なりの忠告だ。
「……そ、そんなことで焔は動くのかね。とても赦されるとは思えないが……」
モーリーは元老院議員たちが思うであろうことを苦しそうに言った。それに、ヴラドは悪いことをした自覚があったんだな、と心の中で苦笑して言う。
「そんなことをグチグチと言って、先伸ばしにしている方が赦してもらえるかが難しくなる上に後々、怖くなるぞ」
「煌焔は細かい仕事が苦手で堪忍袋の緒が短いぞ。ウジウジとして筋を通さない輩には特に寛容ではない。業火に焼かれて殺されないように、もうこれ以上は引き延ばさないのが身のためじゃろうな。謝罪もせずに、これまで音沙汰がなかったのが不思議なくらいだ」
テンクレプの言葉で、ただでさえ重苦しかった会議室の空気が、益々重くなる。だが、彼はそれに構うことなく続けた。
「仕返しが怖いのならば、穏便に済むように言葉遣いには気をつけて謝罪すればよい。少しは、焔も寛容になると思うぞ。彼女はあれでも人間界では神に等しき存在なのだからな」
「……………それしかないだろうな」
モーリーはテンクレプとヴラドの言葉に長い黙考の後に同意した。
「人間界で暴れられるとせっかくの友好関係に亀裂が入るばかりではない。最悪、界境断絶はあり得るだろうな……」
「朱雀に謝らなければ、それ以上の災厄が降りかかるとも限らない。我々にもどんな復讐するか…………考えただけでも怖気が走る」
「こんなことならば、ガゼル────いや、〈アガレス〉の言われた通りに朱雀を議会追放をしなければよかったのだ……」
「それは今さらだ。テンクレプやヴラドの言うように、これからのことを考えなければならない。〈アガレス〉も逃げられてしまった以上、再び我々に紛れ込まれないように策を練らなければな」
次から次へと、元老院議員たちは同意していく。それを認めたモーリーは今は亡きガゼルに代わって指示を飛ばす。
「啀み合っている暇はない。それぞれの役割を果たそう。ガゼル────いや、〈アガレス〉の下で朱雀の追放を目論んだ者たちは、ただちに事の真相をしたため、謝罪の文を作るのだ! ファーブニルのオルム・ドレキよ」
モーリーは、ガゼル派と呼ばれる元老院議員たちに言った後に、完全に放っとかれたファーブニルのオルム・ドレキに目を向ける。ファーブニルのオルム・ドレキはわけもわからず、「はい……」と返事だけすると、異様な緊張が走った。
そんな彼を宥めようと、モーリーは優しげな微笑みを浮かべる。
「先程は失礼した。敵に進入されてしまい、彼らは気が動転してしまっていたようだ。ファーブニルのオルム・ドレキには助けに駆けつけたのにかかわらず悪いことをした。彼らに代わり非礼を詫びよう。すまなかったな」
モーリーは謝罪の言葉を口にした。そんな彼にファーブニルのオルム・ドレキは、少し狼狽えてしまう。
これまでガゼルの下で、元老院議員で三番目の地位を維持してきたモーリーは、腰巾着、及び太鼓持ちの姿勢で身分が上位の者に取り入ることを行ってきた。周辺を取り囲む元老院議員たちや、国内の諸侯・諸部族との軋轢、諍いを何とか取り持ち、上司が気を悪くしない程度に自分の意見を出すことをしてきた彼が幾つもの軋轢と諍いを解決してきたことは一部の者は知っている。
「……いえいえ、こちらこそ行き届かなかったこともありましたのも事実ですから」
「失礼に失礼を重ねてしまうのを承知で聞いてもらいたい。彼らから朱雀への使者を努めてもらえないだろうか?」
「はい。わかりました。挽回のチャンスだと思い、お受け致しましょう」
ファーブニルのオルム・ドレキは傅き、引き受けると朱雀を爪弾きにした八人の下へと向かっていった。
そんな彼らの姿が会議場から出ていったことを確認したモーリーは、
「各自、やるべきことをやろうではないか。新たなる大臣職を決めなければならないからな。その準備をしょうではないか」
と、残った元老院議員たちに呼びかけた。
◇
シー・アークに、まずは一勝を得たシルベットは畳み掛けるように天羽々斬を振るう。
自らが〈誘導〉の術式を編み込んだ銃弾に直撃したシー・アークは、胸、腹部、腕、足と広範囲に渡って撃ち抜かれているためか、大量の魔力消費も相まって、治癒力は追いついておらず、大量の血液が吹き出し、足を伝って地上に滴り落ちていく。
銃弾の衝撃が内臓まで達した証拠である血反吐を吐いたシー・アークは大量出血を起こしている彼は、人間でいうところの貧血状態に陥っていた。
治癒力が追いついていない以上、魔力を消費を控えて傷を癒すだけに集中させた方がいいが、構わず〈結界〉を展開させる。
神話の刀剣とともに、シルベットは舞い。神に勝利を祈願する剣士のように。あるいは勝利の預言を授ける巫女のように輝きを放つ。
上段の構えから降り下ろされた天羽々斬は、衰えることない強い光りを讃えて、〈結界〉を一刀両断にした。
細く、鋭く、まるで光り輝く牙のように、〈結界〉ごと食い破られたシー・アークは、斬り裂かれる寸前に、後退して回避したが、銃弾に撃ち抜かれた傷口をさらに開けてしまったらしく、躯を深い赤に染まる。
今、シルベットがあと一回全力で天羽々斬を振るえば、シー・アークをこの世から葬り去ることは可能だろう。
だが、彼女は余りにも、酷い怪我に手を止めて少しばかり心配げな表情を向けた。
「大丈夫か?」
「はあ……はあ……はあ……だ、大丈夫だ」
「全然、大丈夫そうには見えないが……」
息が荒く、苦悶の表情を浮かべるシー・アークは時折、下降と上昇を繰り返し宙を留まっているだけでも苦しそうだ。そんな彼を大丈夫そうに見えるのならば、その者は眼科に行った方がいいだろう。
「だ、大丈、夫……だ」
「なんか傷口が塞がらず、どんどんと血液が流れているみたいだが……」
「…………だ、大丈夫だ……」
明らかに大丈夫ではないにも関わらず、シー・アークは大丈夫を繰り返した。
頭に流れる血液量が不足し、今どんな状態なのか理解していないのだろうか。シルベットは、まずは地上に降りること奨めてみる。
「一旦、降りよう。その方がいい」
「……や、大、丈夫……だ」
「地上に降りて、傷口が完全に癒えるまで待っても私は構わないし、遅くはないと思うぞ。何なら日を改めて再戦してもよいぞ」
流石に、瀕死の状態であるシー・アークに刃を向けることに気が引けてしまったシルベットは、日を改めての再戦を奨めた。
いくら敵であっても、シー・アークは【謀反者討伐隊】であり、仲間である。どんな経緯でシルベットたちに牙を剥いているのかはまだわからないが、理由があるかもしれない。その理由がわかり、牙を剥く意味さえなくなれば無益な戦いはなくなると考えたが──
シー・アークはシルベットの再戦の提案を蹴る。
「……敵に、情け、は、かけるな。続けよう……。ど、どちらに、しろ、朱雀に、面が、割れてしまった、以上は、引き返す、ことはできな、い。わ、我々には、我々の、大義がある。に、人間界を、救うという、大義が……だ、だい、大丈夫だ」
大丈夫だ、を繰り返すシー・アークを見て、昔家族と一緒に見た日本のお笑い芸人を一瞬だけシルベットは思い出した。
伝説級の面白さがあり、笑い声を出して笑った、ダイジョーブだぁ、とは違い、シー・アークの大丈夫だは一切笑えない。笑わそうとはしていないから当たり前なのだが。
「私も人間界を救いたいのは一緒だぞ。何故、貴様らと争う必要がある。意味がわからぬ。その辺に関しても、人間を人質にとってまで私に挑んだわけも詳しいことを知りたい。まずは、一旦は地上に降りたらどうだろうか?」
身の潔白を晴らそうと話し合いをしょうとしてもシー・アークの容態も気になって仕方ないシルベットは一旦、地上に降りること奨めた。
全力で撃ち合って、負傷を負わせてしまった彼女なりの気遣いだ。そんな彼女に、シー・アークは驚いた表情を向ける。
「…………な、何て、言うか、訊いて、いた、話しと、違う、な」
「どういうことを訊いていたかは知らんが、一旦休め」
やっと大丈夫だ以外のことを口にしたシー・アークにシルベットは天羽々斬を腰に携えていた鞘に納めて、警戒しながらも歩み寄る。
「……わ、我々は、……キミが、禁忌を……、持っていて……、……好戦的な、……性格、……ゆえに、人間界を……、破滅させる……、……かもしれない、といわれて、……きている」
「…………確かに、忌々しいが禁忌は持っている。時代劇とかそういったものに憧れを抱くが、そんな無差別に戦いを仕掛けるほどに好戦的ではないと思うぞ」
シルベットは彼の話とこれまでの戦場での自分の言動に少し心当たりがあったのか苦虫を噛み潰したかのような顔を浮かべたが、すぐにシー・アークに肩を貸して、傷に障らないようにゆっくりと降下する。
「【謀反者討伐隊】は、【創世敬団】の討伐を主としている。基本は説得をしてから相手が投降しなければ戦闘、というのを年頭に置いているではないか。私は一度は、相手に話をして仕方なく戦闘している。奇襲は話の余地がないために、仕方なく戦闘しているが。もう説得もきかないものとして討伐しかなくなるが……」
シルベットは“仕方なく”を協調して言った。
「…………まあ、……それは、そうだね……。あと……、ハト、……ラレ・アローラ、……の、……宝剣、〈ゼノン〉……、を……、……手にして、……人間界、だけでは……、なく……、あらゆる、世界線が、崩壊……、して……、……しまうと、……聞かされ、て、きたんだけど……、ね……」
「何だその身に覚えがない話しのオンパレードは……」
シルベットは、自分の身に覚えのないことに不快感をあらわにする。
自分の知らないところで妙な噂を流している犯人を問い詰めてやりたいが、シー・アークの容態が芳しくない。
今は介抱する方が先、ということでシー・アークにはあんまり無駄なエネルギーを消費は控えさせた方がいいだろう。
「まあいろいろと言いたいことや聞きたいことがあるが、もう喋るな。それ以上は傷に障る」
そう言って、開きかけた口をシルベットは人指し指で塞ぐ。シー・アークは少しぼんやりする意識の中で、右横斜め下の彼女を眺め見た。
目と鼻の先にある彼女の顔に、シー・アークは不覚にもドキッ! と心臓が一瞬だけ跳ね上がった。鼓動が高鳴り、青かった顔を赤らめている。
「……美しい……」
朦朧とした間抜け面と同じくらい呆けた一言が、シー・アークの口から漏れた。
「はい?」
シルベットは一瞬、シー・アークが何を言ったのか分からず、首を傾げた。
「美しい……オレとしたが、とんでもない、判断ミス、を、してしまった」
「……ちょっと何を言っているのか分からないんだが」
何事が口走っているシー・アークの反応に、シルベットも困惑を隠せない。こいつホントに大丈夫なのか? といった不審がりながらも体調を慮る視線を向けている。
「……ああ、なんと……、…………いうことだろうか。……なんと、いう……、……運命の、……悪戯! オレは……、……キミを、……葬り去ろうと、してしまった! ……決して、これは……、赦されることではない! ……おお神よ! ……聖獣よ! オレを……、赦してくれ!」
「……………………」
呻きながらも大仰に言葉を紡ぐシー・アークをシルベットはどう反応してよいか分からず凍りつく。
先ほどまで労っていた態度を一転させ、シー・アークを少し軽蔑の眼差しで見たが、血液を流し続けて気でも狂ったのだろう、と勝手に判断して、取り敢えず地上へと下降した。
「わかったわかった。傷が癒えたなら洗いざらいと吐いて、後で朱雀にでも何でもいいから懺悔でも何でもしろ」
地上に下降する二人の頭上で白銀と淡い水色が乱反射して、天上を眩い光りが明滅したのはその時だった。




