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第一章 五十七




「え……」


 突然の何者かの襲来に、四人は目を丸くした。


 玉藻前は、突如として襲来した影に険しげな顔で、空を見上げる。


 それは雲という可能性は、〈錬成異空間〉の中で精巧に創られた世界では十分にあり得るが形状が違う。鳥の類でも、飛行機でもない。明らかに、形が人型をしている。この空間内には、亜人に関わり合いを持つ人間以外の生物の立ち入りは制限されている。よって、影は明らかに関係者のものには間違いない。


 影は、よく見ると三つある。一つは警戒するように辺りを見回し、もう一つは同じく警戒しながらも何かを抱えている。それは人型をしており、助けをもとめてもがいていることに気づいた。


 翼たちに気づかず、赤月に輝く空を眼下に見える地上を睥睨しながら、住宅街に向かっていく。


 〈錬成異空間〉の行使者は空間内にいなければならない。外界でも行使できるのだが、街を一つを異空間に構築し、維持するには手間がかかる。術式が広大故に、魔力の供給量も半端がないが術式を維持するだけの魔術力も試される。それ故に、〈錬成異空間〉を行使する者は別動隊として後方部隊にいるか、隊長格が行っていることが主である。


 〈錬成異空間〉の行使権は半分奪われていることに念頭に置き、目の前を通りすぎていく影のどれかに僅かだが、〈錬成異空間〉に干渉しているのかどうか読み取れる魔力パターンに呼応するよう編まれたソナーを向ける。案の定、〈錬成異空間〉との僅な繋がり感じ取った。


 これにより、証拠は確定し、〈錬成異空間〉の創造主である美神光葉は口を開く。


「あれが、私の行使権を奪った輩である可能性が高まりましたね」


「それが妥当じゃろな」


 美神光葉の言葉に玉藻前が答える。


「おぬしの行使権とやらを奪ったのは、奴じゃろな」


 玉藻前は美神光葉の考えをあっさりと肯定した。


 そして。


 変化は突如として起こった。


 赤い月が支配する天上が少しずつとその闇が覆い尽くしていく。


 暗い空の下に、さらに昏い闇が、蜘蛛の巣のように張り巡らされていった。


 一体どれだけの範囲を覆っているのかは、一目では見取れない。創りもの世界の全てが闇に侵されていく、そんな想像をさせるくらいに、広く、広く。


 天上に、夜とは違う色が広がっていた。


 その瞬間。


「ツバサさん、アレは……?」


「え……」


 エクレールが指し示した方角を見た翼は、おもわず息を止め、目を丸く見開いて全身を硬直させた。


 天空に張り巡らされた闇の中で、我が目を疑ってしまう光景に息を飲む。


「あ、あれは……?」




      ◇




 不死鳥である朱雀────煌焔を完全に殺すことは叶わないだろう。致死に等しい重傷を負わせるにはそれ相応の力で迎え討たなければならない。


 朱雀は致死に近い負傷をすると、躯を一時的に仮死状態になる。仮死状態になることにより、傷はおろか躯を若々しく生まれ変わらせる為だ。受けた傷を癒すだけではなく、躯ごと若々しくすることにより、能力を向上させる朱雀特有の生態である。


 失敗すれば、朱雀に傷一つはおろか骨も残されずに永遠の炎に焼かれて絶命するだろう。しかしその一時的を狙って、朱雀が仮死状態のうちに、この〈錬成異空間〉と現実世界を切り離せば、永遠に封印することが出来る。


 好機に変えるか、窮地に変えるかはこれからの闘いの仕方になるだろう。


 焔は何百年、何千年もしくは何万、何億年生きてきた。今さら年齢を気にすることはないが、面と向かってババアやら何やらそれ相応の言葉を向けられれば、傷付くし怒りもする。


 シルベットは外見上は年頃の十五、六ほどの女の子だが、中身は社会や他人との礼儀など知らない。学び舎に通っていないために、屋敷で学ぶにも限界があり、偏りが生まれる。そのために時代錯誤したものの見方をしており、古風な話し方をしたり、失言や言葉間違いもたえない。


 精神的な年齢は同期生の亜人よりは遥かに低いが、その分だけ負けず嫌いだ。それにより、何やら対抗意識を燃やすエクレールとはしょっちゅう揉め事を起こしてしまう。シルベットが上司に当たる朱雀に対して、何らかの気に障る発言をしてもおかしくはないが、


「貴様は違うだろう…………ゴーシュ・リンドブリム」


 と、朱雀は自分に刃を向ける銀髪の青年────ゴーシュに呆れながら言うと、ゴーシュは肩をすくめる。


「ボクとシルベットは一心同体さ」


「私は別にこの気色が悪い貴様と一心同体になったつもりはない」


 すかさず隣にいたシルベットが異議を唱えた。


「シルベット……」


 マイナス百度はくだらない冷たい視線を向けると、ゴーシュはアイドルに目を合った熱狂的なファンのように、嬉しそうに顔を綻んだ。


 そんな義兄にシルベットは、呆れと不快をあらわに一瞥してから、朱雀に顔を向ける。


「この不甲斐ない義兄に代わって頭を下げて謝った方がよいのだろうが、私は残念ながらこんな家族不幸者の義兄のために頭を下げるつもりはない」


「こちらも求めてはいないから気にするな。それよりも妾をババアと口にした非礼を二人で詫びれば、半焼きで済ませてやりますよ」


「ババアにババアといって何が悪いんだ……」


「そうだぞ。永久の年増に年増といって何が悪い」


 シルベットは悪びれもに堂々と放ち、横にいたゴーシュも悪びれせずに野次を飛ばした。


 どうやら二人の育て方に誤りがあったのだと、かつて英雄の仲間である銀龍のハイリゲン。その娘のシルウィーンに、少し二人の育て方について苦情を申し立てる便りを送ることを決めてから、活火山のように激怒する。


「……そうかい。わかったよ。そっちがその気ならば、こちらも徹底的にやらせてもらうよ!」


 ぞんざいな口調で言った朱雀は、怒りの炎を迸らせて、まず躯全身に炎を纏わせていき、鎧となって形作られていった。


 その身を鎧う灼熱の光は、朱雀────煌焔が体内に生まれながらも宿す司る力“業火”によって、朱雀だけが纏うことのできる炎の鎧である。


 そして。


 右手に集結させた業火が、剣の形を取った。


 地獄の猛火に匹敵する朱雀────煌焔の炎は、体内に司る力として身に備わっている。それらを集合させて、武器や防具として変換させているのだ。その輝きと威力は、聖獣である煌焔にだけに持つことが赦されている。彼女以外の者が持ったり触れれば、業火に焼かれて死滅してしまうだろう。


 通常では、手合わせしただけで相手を焼き殺してしまう恐れがあるために使用しない。その鎧と剣を顕現させた煌焔は本気でゴーシュとシルベットを殺す気であることが窺える。


「この業火で形作られた剣の名は、“火之迦具土”だ。日本の火の神と同じ名を持つ剣だ」


「ほう。良い剣だな」


 シルベットは煌焔が持つ剣────火之迦具土を素直に称賛した。それには朱雀は、機嫌が少しだけ良くなる。


「わかってもらえて助かる。これは妾以外を除いて、触れたもの燃やす剣だ。まさに産まれた時に母親を致命傷といえる火傷を負わせた火の神とは思えないか」


「そうだな。幼い頃からその手の伝承や神話は父が日本からお土産として持ってきてくれた書物にあったからわかるぞ」


 イザナミから産まれた火の神である火之迦具土は、火の神であったがために出産の際に母の女陰を焼いてしまう。イザナミはその後も農耕にまつわる神々を生んだが、結局は火傷がもとで死んでしまう。イザナギは妻の死を嘆き悲しむあまり、十拳剣を振るって火之迦具土を斬首してしまったという古事記に載っていたことをシルベットは思い出した。


 しかし、それにより火之迦具土の血から数多くの神が産まれた。それにより火之迦具土の別名は、火産霊ホムスビと火の持つ破壊性と再生の力を表しているとシルベットは解釈している。


「知っているなら何よりだ。では、妾がこの剣と鎧に身に纏った意味はわかるか?」


「知らん」


 即答だった。シルベットは潔く答えると、朱雀────煌焔は笑った。


「はぁははははは……! 今の潔さは良かったな。先程の失言が無ければ、なお良かっただろう」


「そうか。それは残念だ。だからといって、私としては今さら意見を変えるようなことはしない」


 そう言って、シルベットは天羽々斬を構えた。


「残念だ……本当に残念だ。口の悪さがなければ、……………死なずに済んだものの」


 額と腕、胸と腰、足と炎の鎧を纏った朱雀が不満げに呟いた。


「私としては貴様が此処で破壊行動を行っていることについて聞きたいことがあるから死ぬわけにはいかぬ。それに私にはツバサを護る義務があるのだからな」


 シルベットは、天羽々斬の切っ先を真っ直ぐと、朱雀へと向ける。


 朱雀は、そんなシルベットをとても残念そうに見据えて呟く。


「本当に、シルウィーンに似て残念だよ…………」


 朱雀に最初に禁句とされる言葉を言ったのは、シルウィーンである。遥かに歳上である者に対して、シルウィーンは遠慮がなく悪い意味で、状況によっては良い意味で、差別のない姫であった。


 シルウィーンは王室育ちにもかかわらず、お転婆に育ってしまった。失言も多く、気軽な調子で相手の琴線に触れることを平気でする。それが相手にとって失礼にあたると知っても、一切悪びることはせずに反抗的な言動をする。今のシルベットとゴーシュのように。


 そんなシルウィーンが変わったのは、水無月龍臣と結ばれてからだ。非礼を詫びるようになり、少し大人しくなったのはやはり恋こごろというものだろう。シルベットとゴーシュも相手が出来れば変わるのだろうが。ゴーシュは望みが薄いだろう。絶賛、義妹を愛しているのだから。


 水無月龍臣の面影はあり、血が繋がっていることが頷けるのだが、シルウィーンの血液が濃く出てしまったことは残念で他ならない。


 でも。


 意気揚々とシルベットは天羽々斬を、ゴーシュは天叢雲剣を構えている。やはり親子とあって似ている。


 少しは水無月龍臣の礼儀正しい部分も似てほしかったが、致し方ないと朱雀────煌焔は心中で残念がりながら、火之迦具土を刀身を銀龍の兄妹に向ける。いつか彼と彼女の両親に向けたように。


「さあ合戦の花火を打ち上げよう」


 朱雀の言葉に応じるように、ぬばたまの月が闇に閉ざされていく。熔岩により紅蓮に染まっていた大地が隆起し、幾条もの火柱が噴き出した。それらはシルベットの頭上で一つに集結し、囲むように連なる。それはいわば炎で出来た檻のように形を取っていく。


 天上に掲げた手を握ると同時、それらの頭上で球状になった。


「く……」


 ゴーシュは顔をしかめた。


 南方の守護者であり支配者である朱雀は、両手を広げる。その動作に合わせるように、頭上に広がった円状のまばゆい炎が現れ、回転を始め、周囲に火の粒を振りまいていった。


「く──」


 シルベットとゴーシュは左手を広げると、自分の周りに〈結界〉を張った。一瞬あと、朱雀の頭上から放たれた夥しい量の火の粒が、一斉に辺りに降り注ぐ。


 それはあまりに美しく、あまりにも凄絶な破滅の雨。一撃一撃が凄まじい威力を持った力の塊が、幾千幾万と降り注ぎ、絶え間なく地上を蹂躙していく。


 アスファルトの街路。建ち並んだ建物はおろか、熔岩までもが、一切区別することなく。既に地獄絵図と化していた景色に更なる地獄を植え付ける。雨に打たれた紙細工のようにあっさりと崩壊されていった。


「ぐ……ッ」


 シルベットを編んだ〈結界〉はその攻撃をどうにか防いでいた。ゴーシュも同様である。高質量で放たれる破壊の雨を防ぎながらも、朱雀を見据える。

 朱雀はシルベットたちと斬り結ばさないまま、決着を付ける気なのか、破壊の雨を止めようとはしない。


 このままでは、膠着状態が続いてしまい、シルベット的に何も面白くない。それよりもこのまま破壊の雨が止まなければ、どこかにいる清神翼の身の安全が心配である。


 清神翼には、魔術に精通しているエクレールがいて、そう簡単にはやらたりしないが、彼女は〈錬成異空間〉外にいる天宮空や鷹羽亮太郎を【創世敬団ジェネシス】から護るために魔術を複数行使しているため、魔力の余力が少ないことをシルベットは見抜いていた。


 だからこそ、魔術に関してはエクレールに対して信頼はある。ただ、彼女とはウマが合わないだけである。


 そのために、破壊の雨がどこまで降り注いでいるかはわからないが、まだ〈錬成異空間〉内にいる清神翼を護るためには、この降着状態は、好ましくない。


 シルベットは刀を握った右手に力を込めると、数発の攻撃を貰うのを承知で、〈結界〉内から袈裟斬りで振り抜く。


「はぁぁぁぁぁぁっ!」


 裂帛の気合いととも振るわれた刀から、その太刀筋をなぞるように剣撃が伸びていく。


 〈結界〉を斬り裂き、数滴の破壊の雨が入ってきてたがシルベットの躯には降りかからなかった。上段であれば、確実に躯に降り注いでいたことだろう。追い風が吹けば、シルベットの躯まで届いたことは間違いない。


 すぐに〈結界〉を修復させる。


 〈結界〉の中から仕掛けてきたシルベットに、朱雀は嘲笑うかのように、口端を上げた。


 やはりシルウィーンと水無月龍臣の実娘である。


 予想通りの反撃に、朱雀は片手を下方に掲げた。すると光の粒を放っていた火球が分解したかと思うと、前方に盾のように連なり、シルベットの斬撃を弾いた。


 そこで一瞬、火球が途切れる。シルベットはその機を逃すまいと後退し、右方へ宙を舞う。弧を描いて空を翔け、火の盾の脇をすり抜けて朱雀に肉薄する。


「でやぁぁぁッ!」


 手加減をするような余裕はない。シルベットは両手で刀を握ると、渾身の力を込めて朱雀を斬り付けた。


 が──手応えが、ない。刀が朱雀に触れた瞬間、彼女の姿が陽炎のように掻き消え、もといた場所から数メートル後方に出現したのである。


「な……!」


 シルベットは狼狽に目を見開く。攻撃を回避されたことではない。何よりシルベットは驚愕した。避けようもない、直撃せずともかすり傷は免れないであろう一閃を回避されたのだから。


 朱雀は吐き捨てるように呟いた。


「──意外とやるといったところか」


 眉をひそめて拳を握り、朱雀が右手を上方に突き上げる。


「【熔火炎放射】」


 朱雀の右手から、シルベットが受けたよりも凄まじいまでもの火柱が現れ、彼女へと襲いかかる。


「この……!」


 シルベットは短く叫び、天羽々斬を振るった。〈結界〉を張るのでは遅すぎる。直感的に、この攻撃はシルベットの〈結界〉程度では防げないと察してしまったのである。天羽々斬の斬撃で以て、迫る火の矢を打ち払う。


 だが、数が多すぎた。捌ききれなかった光線が左肩と右足に突き刺さる。


「ぐ、あ……ッ!」


 激痛。見やるまでもなく、魔力で編み込まれている戦闘服────魔装だけではなく、骨までも砕けたのがわかった。


「そんな頭ごなしに突貫されても敗けるぞ。近接戦闘になれば、火之迦具土で消す炭になってしまうから良く頭を使って、肉迫しなさい」


「厭だ」


 あまりにも、酷い戦いに朱雀は情けをかけたが、シルベットは真っ向から拒否した。


 朱雀に少しでも打撃を与えるには、遠隔での攻撃では少ない。魔力量的には、どう足掻いても朱雀の方が遥かに高い。魔術での攻撃はシルベットにとって不利である。


 だが。


 勝機はあるとシルベットは確信している。朱雀は見たところ火之迦具土、という最大の武器を見せつけておいて、それを使おうとする様子は見えない。剣を構える姿はとても様になっており、英雄らしいが一切振ろうとはしていない。現に、肉薄したシルベットをわざわざ火之迦具土で斬り結ばずに、【熔火炎放射】という魔術で応戦している。


 使えない理由があるのか、使用条件があるのか、はシルベットはわかってはいないが、最大の武器を有して置きながら、使えないのなら、宝の持ち腐れである。接触すれば焼き殺してしまう恐れがある火之迦具土は滅多に召喚されないことや長きに渡り自国に引きこもっていたこと関係があるのか、は定かではないが、使えないのなら使う前に、先制をとった方がいいというシルベットの考えだ。


 魔術よりは得意な剣術の方がまだ勝機があるのではないかとシルベットが火之迦具土に焼き殺される覚悟で肉迫した理由を朱雀は、それでは幾度も命の危険性が高まめ、焼き殺してしまう恐れがあるために忠告したのだがシルベットは変えようとは少しも考えてはいない。


「そんな戦い方では、身がもたないぞ。命が惜しければ、今すぐにでも先方を変えるんだ」


「命は惜しいが、厭だ」


「何故だ」


「そんなの簡単なことだ」


 シルベットは天羽々斬を構える。


「私は、両親から譲り受けた剣術で貴様を倒す」


「両親から譲り受けた剣術を大切する気持ちはわかる。が、そればかりで勝てる相手は滅多にいない。挫折を味わう前に考え方を改めたらどうだ?」


 【謀反者討伐隊トレトール・シャス】では任務遂行が主だ。使命といっても過言でもないが、シルベットが剣術が得意だといって、自分ごと突貫してくることは自殺行為である。


 シルベットが肉迫してきて近接戦闘を仕掛けても彼女に勝機はない。全くの無駄死である。


 朱雀は不死鳥であり、何でも蘇ってしまうため死ぬことは出来ない。致命傷を与えれば、一時的に仮死状態になるが、それは傷はおろか躯を若々しく生まれ変わらせ、さらなる能力を向上させてしまうだけで、シルベットがどう足掻いても勝機はない。


 朱雀は、決してシルベットを殺そうとは考えていない。怒りに任せて炎やマグマを放ったりもしたが、ゴーシュに対してもお灸を据えてやるかくらいにしか考えていなかった。


 別に火之迦具土という絶対的力を見せびらかして、彼女には勝てないと非礼を詫びらせようとしていたのだが。


 シルベットとゴーシュの両親譲りの戦闘意欲を高めてしまったようで、朱雀は実のところ、出してしまった火之迦具土をどうしょうか、とどう引っ込めようか困ってしまっていた。


 力の差を見せつけて、何とか矛を納めてもらおうと考えて、【熔火炎之雨】、【熔火炎放射】といった術式で動きを封じ込めて、打つ手がないことを悟らせようとしたが、彼女ら(特にシルベット)には効果がなく、むしろ戦闘本能を燃やしてしまった。その上、火之迦具土に焼き殺されることを顧みずに肉迫してくる。


 無謀な行動に出るシルベットの気持ちも考えも全く理解が出来ない。


 朱雀は深い溜め息を吐く。


「悪いことは言わん。妾に勝つには、確実に勝てる武器を変えろ!」


「厭だ! 断る!」


 しかし、シルベットは譲れない。


「この天羽々斬で、勝ってやる!」


「……あ、天羽々斬だと……?」


 天羽々斬、とシルベットの刀名を聞いた朱雀は驚いた。


 天羽々斬。


 それは、人間界──日本の神話『古事記』と『日本書記』において、国生みの神であるイザナギが所有する剣の名だ。


 古語で『鋭利な剣』という意味を持ち、別名『十拳剣』と呼ばれ、奇しくも火の神である火之迦具土を斬り倒したという剣と同じ名を持つ剣であったことに驚きを隠しきれない。


 ハトラレ・アローラはおろか屋敷を出たこともないシルベットが何故、日本書記や古事記で語り継がれる天羽々斬を所持しているのかを疑問に感じたが。その疑問はすぐに解けた。


 簡単なことだ。


 シルベットの両親のシルウィーンと水無月龍臣だ。


「なるほど。日本神話と同様の剣を娘の護り刀として渡したのか。粋なことをしてくれる……。だが──」


 天羽々斬を構えて、ハトラレ・アローラや人間界にも名が知られた朱雀に無謀にも挑むシルベットを一瞥する。


「扱うには、未熟者すぎるな……」


 あまりにも未熟で、思慮の無さに朱雀は頭を抱えた。


 シルベットには此処で死なれては非常に困る。


 朱雀の使命は、黒幕と裏切り者の炙り出しであって、シルベットを殺すことではない。彼女には何とか矛を納めて貰いたい。まだ作戦の実行最中だ。それに、事の顛末を話したところで素直に信用してもらえるかどうか。むしろ、不信感を抱かせてしまうに違いない。


 シルベットは剣術は確かだが、まだ天羽々斬を扱えるだけの力量がない。火之迦具土でやり合えば、確実に彼女は敗けてしまう。


 それでは、シルベットの家族が悲しむだろう。水無月龍臣やシルウィーンに怨まれては困る。


 特に、ゴーシュはシルベットを異常的に愛している。義妹に関わらず。そんな彼が憎悪を燃やして突貫されてもどうすることも出来ない。


 朱雀の目的は混乱に乗じて、不審な動きをする黒幕や裏切り者を炙り出すことであって、水無月家に恨まれることではない。ゴーシュはそのことを理解しているにもかかわらず、シルベットの行動をただ傍観している。むしろ、授業参観や運動会に訪れた保護者のようにシルベットの行動を楽しげに見つめている。


 朱雀は重い溜め息を吐いた。


 このまま、火之迦具土を顕現しても宝の持ち腐れである。


 久し振りに顕現したにも関わらず、振るえなかったことを心中で火之迦具土に謝罪し、顕現を解除した。


 すかさず右手を上方に掲げると、炎は剣の形へとなり、彼女の手におさまる。


 朱雀は手にした炎剣を振るうと、衝撃波は伴う膨大な力が押し寄せてきた。


「未熟者には、火之迦具土は勿体ない。貴様にはこれで十分だ」


 天上にも現れた。幾千幾万の短時間では数え切れないほどの炎剣が、それぞれに独立した意志が備わっているかのような軌道で空を縦横無尽に駆け回り、あらゆる方向からシルベットを取り囲む。火の格子でできた檻に囚われるかのような錯覚。しかもそれは、触れれば肉切り骨をも焼く暴力的な牢獄である。


 火之迦具土ほどではないにしろ、シルベットを焼き殺すほどではない。だからといって、ただ負けるほど弱くはないために、彼女の戦闘意欲を満たすには十分といえた。


 あくまでも、シルベットが未熟であるから火之迦具土を納めた体を作り、敵に怪しまれないようにした上で、朱雀は肉薄する。


 前方から迫る朱雀に、


「く……!」


 シルベットは天羽々斬を振るい、全方位から連続して放たれる炎撃を流しながら、向かってくる朱雀に立ち向かう。


 一閃。


 また一閃。


 天羽々斬と炎剣が刃を交える。


「さっきの火之迦具土といった凄い剣を使わずとも私に勝てるといいたいのか?」


「そうだ」


「なめるな!」


 シルベットは朱雀の挑発めいた言葉に、怒りを露に力を込めて、天羽々斬を振るう。


 それを次から次へと炎剣で防ぎ、躱していく。


 激しい剣檄が続いた。




 その瞬間だった。




 背に、腰に、手に。次々と必滅の意志を帯びた光線が直撃し、シルベットの鎧を砕いていたのだ。剣檄の最中にそれら全てに対応することなどは不可能だった。それは朱雀も同様だった。


「な……、ぐ、ぁ――っ」


「ぐ……、う、ぁ──っ」


 シルベットと朱雀は苦悶の表情を浮かべながらも光線が来た方を見やった。ゴーシュも愛しい義妹を傷つけた者に鋭い眼光を向ける。


 そこにいたのは────気だるげで軽薄、遊び人の雰囲気を纏い、へらへらとした男性と如何にも生真面目で従順、礼儀正しさを張りつかせて、不敵な微笑みを浮かべる男性がいた。


 二人とも、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の軍服を身を纏っており、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】人間世界方面日本支部派遣部隊が付けるとされている腕章を身に付けている。


 へらへらした男性には第八百一部隊、生真面目そうな男性は第六百四十三部隊の所属を意味するバッジを身につけており、どちらも今回の援軍に加わった部隊であることが窺える。


 そして。


 第六百四十三部隊所属のバッジを身につけている生真面目そうな男性の腕の中には、少女がいた。


 躯には縄ではなく、呪縛がかけられており、首筋にはナイフが向けられており、一切の動きを封じられている。


 少女が纏っているのは、紺色の制服だ。それは人間界の日本、東北にある公立中学のものであることに朱雀は気づいた。文武両道を学問とするその中学は、ボルコナの下部組織が運営しているから見覚えがあって当然といえた。


 そして、その制服に身に纏った少女にも見覚えがある。

 まだ幼さを残しているが、綺麗な顔立ちをした少女は──


「……き、如月朱嶺……?」


「申し訳ありません。捕まってしまいました」


 朱雀が如月朱嶺と呼んだ少女は苦悶に歪み、申し訳なさそうに言った。




      ◇




 人間界──日本。


 四聖市内。


 その遥か高空で、光の乱舞が起こり、それは空に幾つもの蜘蛛の巣状の波紋を描き、中から光り輝くもう一つの太陽のようなものが生まれようとしている。超常現象、隕石、UFO、もしくは映画の撮影、イベントか何かとだと思い、人間が集まっていきていた。


 ある者は茫然としているが、殆どがスマホやカメラを片手に動画や静止画でおさめようとしていた。それをソーシャルネットを通じて拡散されていく。それを見た人間がさらに拡散して、人間たちを足を運んできている。


 このままでは、大事になってくることは間違いない。今にも破裂しそうな光が空間を破壊して出てくれば、興味本意で集まってきた人間たちはおろか、この街で日常生活を送る人々に有象無象の災厄が降り注ぐだろう。


 そんな街の流れを高層ビルの屋上にて男性が見ていた。


 頭ひとつ抜けた長身痩躯に、鮮やかな銀白髪、氷山から切り出したような蒼氷色の瞳には、不思議と冷たさはなく、あらゆる生命の安全を身護る温もりを感じられる。


 その男性は、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】人間世界方面日本支部派遣部隊第八百一部隊隊長であるスティーツ・トレスだった。彼は、〈錬成異空間〉に入った如月朱嶺の連絡を待っていたが一向に来ないことに緊急事態が発生したと判断した。


 空間内の様子がわからない以上は、安全策をたてようがないが、このままでは人間たちに危害が起こるかもしれない。


 スティーツ・トレスは〈錬成異空間〉への突入することを【部隊チーム】に〈念話〉で伝える。


『このまま、如月朱嶺の連絡を待っていては、人間界に災厄が起こるかもしれない。【部隊チーム】を編制する。伊呂波定恭戦において重傷を負った者は、待機。軽傷の者は、何とか集まってくる人間たちの流れを止めて、現場から遠ざけろ』


『イエッサー!』


『現在、〈錬成異空間〉の障壁は壊れやすくなっている。もし、〈錬成異空間〉の障壁が破壊された場合のことを考えて、防御担当の数人には外界に残り、〈錬成異空間〉の周囲に〈錬成異空間〉を展開して、人間界の被害を最小限にしろ!』


『イエッサー!』


 スティーツ・トレスの指令に各【部隊チーム】の隊員達は〈念話〉に答えて、指令通りに行動を開始する。


 人間たちをこれ以上、集まらないようにするために、警官に成りすまして、職務質問をしながら一人ずつ、または誘導を行いながら半径十メートルにいる人間たちをまとめて、〈催眠〉をかけて、人の流れを変えていく。


 その間にも、魔力や霊力を持たない者には見えることが出来ない膜を張っていき、高空で起こっている光の乱舞と幾つもの蜘蛛の巣上の波紋を隠す。


 そして、周囲に〈錬成異空間〉を展開して完全に見えないようになったことを確認し、人だかりが落ち着きを戻っていくのを確認したスティーツ・トレスは後ろを振り返る。


 すらりとした肢体、段のついた前髪、後ろでひとつにまとめた蒼に近い黒髪。腰には軍刀とおぼしいものが差してある。颯爽とした古の女剣士を思わせる出で立ちをし、表情を引き締めて立っている厳島葵がいた。


「準備は整ったか?」


 スティーツ・トレスの問いに厳島葵は「ええ」と頷き、「でも……」と表情を曇らせて、「シー・アークの姿が見当たりません」と言った。


 厳島葵の報告を訊き、スティーツ・トレスの顔を顰めて指を蟀谷に当てた。


「またアイツか……」


「ええ。またアイツです……」


 厳島葵も顔を顰めて、明らかに表情には濁りを浮かべた。


「いつから、いなくなった?」


 頭痛でもしたのか、スティーツ・トレスは頭をおさえながら厳島葵と問う。それに厳島葵は淡々と答える。


「どうやら、いつの間にか、居なくなっていたみたいです……」


「…………そうか。アイツのことだ。また女の尻を追いかけ回しているのだろう……、後ほど叱りつけることにして、こっちを最初に片付けよう」


 現在、シー・アークを探すほどの人員も時間もないため、早々と彼のことを諦めたスティーツ・トレスは目を前に向ける。


「第一に人間界だ。私たちの任務は護らなければならない世界を救うことだ」


「わかっています」


「女性にうつつを抜かす者は放っておけ!」


「わかっていますよ」


 スティーツ・トレスの言葉の後ろからついてくる厳島葵は淡々としているが、声音にはシー・アークに対して呆れていることが顔を見なくとも窺えた。


「では、慎重に〈錬成異空間〉が破壊しない程度に穴を開ける。通り抜けられるようになったら、突入する。いいな?」


『イエッサー!!』


 スティーツ・トレスと厳島葵の後ろに控えていた突入部隊が大きな声を上げる。


 厳島葵が蜘蛛の巣状の波紋が入った〈錬成異空間〉を破壊しないように細心の注意を払いながら、穴を開けていく。


 少しずつ。


 少しずつと、大人が二人くらい通り抜けられそうな穴を開け、スティーツ・トレスは短剣や小銃などの軽装備の者を二人ずつ、大剣や槍などといった重装備の者を一人ずつ入らせていく。


 その中に、見知らぬ隊員が紛れ込んでいることに気づくことが出来ず、彼らは〈錬成異空間〉に突入した。




      ◇




 四聖市。


 市街地にあるカラオケ店にて。


 水波女蓮歌はようやく到着した。


 シルベットとエクレールに半ば強制的に、エクレールが天宮空と鷹羽亮太郎やカラオケ店にかけていた術式の引き継ぎを受け持った蓮歌は、歩いて二十分ほどの道程を大幅に時間を経って到着した。理由は、道に迷った挙げ句、ショッピングモールに目移りし、道草をしたことによる。


 それにより、エクレールが大変な目に合っていることなど考えもせずに、マイペースに七号室の扉を開けた。


「はあ……エクちゃんは酷いですぅ。蓮歌をのけ者にしてぇ、シルちゃんと一緒に空間内にいるなんてぇ、蓮歌という者がありながら……」


 深いソファーに座り、深い溜め息を吐き、愚痴を溢す。蓮歌は、保護対象者である清神翼の存在を忘れている。


「……もう、仕方ありませんねえ。蓮歌がちゃちゃとやってあげますよぉ」


 間延びする蓮歌の口調は、常にマイペースだ。どんな緊急事態でも急がず、ゆっくりである。


 そんな調子で、エクレールの術式の引き継ぎを行っていると、違和感に気づく。


「ん? なんかエクちゃんの術式に誰かが介入した後がありますが…………まあ、気にすることはありませんよね」


 そう言って、深く考えずに蓮歌は術式の引き継ぎを行った。


 蓮歌たちがいる個室のすぐ向かいにある一三とドアに数字が大きく書かれた個室には、腰まである海と同じ真っ青としたゆるふわロングの髪をした女性が、一人で優雅に歌いながらも、向かいにいる蓮歌たちの様子を窺っていることに蓮歌は一切気付かない。


 蓮歌と負けず劣らず、絵に描いたような美しさであり、同性でさえも見惚れてしまうほどの美貌を兼ね備えているその女性は、深い青のワンピースを靡かせて一通り歌い終えた後、長椅子に腰を落ち着かせる。


 向かいのドアに大きく七と数字が書かれた個室に、蓮歌が入室したのを見て、蠱惑的で邪悪な微笑みを浮かべて、女性は独り言を呟く。


「久しぶりねレンカちゃん。ここでの再会できないことを非常に残念だけど、仕方ないわね……」


 そう言って、もう一人の【戦闘狂ナイトメア】は、右掌を横に向けると、黒ずんだ青と闇色の魔方陣が現れた。魔方陣は、女性の体よりもやや大きめに拡がり、左から右へと横滑りしながら彼女の躯全体を包み込ように通り過ぎる。


 すると途端に女性が身に纏っていた深い青のワンピースが端から空気に溶け消えていく。


 それと入れ替わるようにして周囲から光の粒子のようなものが躯にまとわりつき、別のシルエットを形作る。


 三秒も経たずに、魔方陣が通り過ぎて跡形もなく消失した時には、漆黒と深い青の魔装を着用した彼女がいた。


「さあ。〈アガレス〉様のためにも、ルシアス様のためにも、そして、私のためにも人間たちに鉄槌を与えますからね」


 背中に弓矢を、左腰には短刀を携えて、女性────ロタン改めレヴァイアサンは魔力を高める。


「────その前に、ホムラちゃんに挨拶しないとね」


 そう言って、レヴァイアサンは邪悪な微笑みを浮かべて、〈転移〉の術式を行使させると、個室から消えた。




 

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