第一章 五十五
『というわけだぜ、ミッちゃん』
『……わかりました。教えてくださいましてありがとうございます』
美神光葉が目が覚めるまでの事の顛末を麓々壹間刀は脳内で伝えた。
〈念話〉と同じ原理を持つ伝達系の術式に近いが、麓々壹間刀といった生きた剣が選ばれた者とだけ会話ができる特殊能力である。つまり、美神光葉と麓々壹間刀以外は、会話を傍受することは出来ない。
『ところで、そのミッちゃんと呼ぶのやめていただきますか……。もう年齢とか考えると、“ちゃん”付けは恥ずかしいので、せめて彼らの見ている前からやめてくださいお願いします』
『可愛いからいいじゃねぇか。もう既に散々、彼らの前で呼んだから隠す必要はないぜぇ』
サムズアップする黒い龍が美神光葉の脳裏に浮かび、彼女はげんなりとなった。
自分が気を失っているうちに、三人の前で“ちゃん”付けしまくる大剣が想像がつき、二つの理由で疲れが増す。
美神光葉は、前方を警戒して進む炎のような髪を逆立たせた短髪の偉丈夫────ファイヤードレイク、隣を少し脅えた様子が窺える人間の少年――清神翼、後方から憤然とした様子でこちらを射抜くような目で凝視する金髪ツインテールに碧眼の少女────エクレールがいた。
彼女の視線からは、少し逆恨みめいたものを感じている。美神光葉と邂逅を果たす前に会ったシンに会ったらしい。その時に、彼女にとって精神的に追い詰められらしく、その逆恨みだ。あと、基本的に気に食わないのだろう。
美神光葉もエクレールのことは、あまり好かない。個人的には遠巻きに見ていたい方の分類の性格の持ち主だ。
エクレールは、性格上に問題を抱えているながらも外形上は眉目麗しい美貌を持っている。可愛らしさに気品があり、性格の問題や関わりさえ持たなければ目の保養になることは間違いないだろう。内面的に問題はあるが外形で中和させれば、何とか見るに堪える程度の関係でいたいということである。
とどのつまり、美神光葉はエクレールを友人にはしたくない類の女子だ。
「今、失礼なことを考えませんでした?」
「いいや何も」
何かを感じ取ったエクレールに美神光葉は答えた。
「ただ単に後方は大丈夫か、少し後ろを振り返っただけだ」
「そんな心配をせずとも、わたくしが後方で目を光らせていますから大丈夫ですわよ」
「……そうか。それはアンシンデスネ」
よく言うビックマウスですね、と美神光葉は思ってしまうあまりに若干の棒読みで言ってしまった。
「なんで棒読みですの?」
「ソウデスカ……。ソンナコトナイと思いますけど……」
「あからさま過ぎますわよ! おちょくるのはやめてくださいまし!」
わかる範囲で、という前置きを置くが、巣立ちの式典からこれまでのエクレールの行動や態度を考え見る限りでは、安心して任せては置けない。
加えて、尊大な物言いは相変わらずのエクレールに美神光葉は不覚にも、少し苛ついてしまった。それを隠そうと感情を殺してしまったら、棒読みになってしまったのは、間者として未熟だったと自分で反省して歩みを進める。
どちらにせよ、麓々壹間刀を返してもらうまでは、エクレールと付き合っていかなければならない。
ドレイクたち側が美神光葉と休戦協定を結ぶ上で条件として出したのは、間者であることを見逃し他言しないというものだった。【謀反者討伐隊】としては、見逃すことや他言しないことは庇ったことになり、規律違反であることは変わりはない。それを差し引いても、ドレイクとエクレールは違った理由だが、美神光葉と休戦協定を結ばないといけないようだ。
エクレールは〈錬成異空間〉外に展開されている術式により、魔力量の消費は悪くなっている。それの解術か、誰かに引き継ぎために〈錬成異空間〉から一旦、出て行きたいのだろう。解術だとしても、引き継ぎだとしても、遠隔で出来るのだが、何やらトラブルが起こったことは明白だろう。
だからこそ、今まで上手くいっていたものが急に上手くいかなくなって、焦りで精神的に堪えているのだと、美神光葉は推論した。
美神光葉の推論は、間違ってはいない。
精神的なものは、シンによる一端であることは間違いないが、エクレールは魔力消費量が著しく低下しつつある。
蓮歌に頼んでいた天宮空にかけられた術式の引き継ぎは行われておらず、大規模な戦闘になれば清神翼の護衛の任務を果たすことは困難であると同時に、魔力切れで戦闘不能になってしまう恐れを孕んでいた。その焦りも加わったことにより、精神的な波がジェットコースターのように高低差が激しいものとなってしまっていた。
波が激しかった時のエクレールを傍で見ていた清神翼から見てみれば、これでも緩やかだと感じざるを得ないほどに取り乱していたのだが。
問題は、ドレイクである。
ドレイクは、〈錬成異空間〉外に一旦、脱出する理由を援軍に〈念話〉を気軽に使えない状況であるために、〈錬成異空間〉内の情報を援軍に伝えるためと述べていた。
しかし。
彼にはそれ以外にも理由があるのではないか、と精神を集中させて注意深く観察する。ドレイクに悟られないように警戒しながら。
だが。
その警戒は無駄だった。美神光葉の注意深く観察する視線を背中で感じ取り、彼女が意図することを理解していた。
援軍の中に、“黒幕”が紛れ込んでいる情報は、雇われの身である可能性が高い美神光葉らに気軽に話せるものではない。共犯者の容疑がある彼女らに下手に情報を与えて、“黒幕”に伝わってしまうのは避けたい。
ドレイクが美神光葉を助けたのは、清神翼の頼みだけではない。彼女には“黒幕”云々の他にいろいろと聞きたいことがあったからだ。
ハトラレ・アローラと人間界と様々な世界線において、協同生活組合といった、主にハトラレ・アローラから移住してきた亜人らの生活支援と目的とした施設を美神家が運営している。世界各国にある支店は、【異種共存連合】の下請けとしても利用されており、それなりの結果を残している。
近年では、人間たち相手の商業や生活支援にも幅を伸ばしている美神家は、あくまで表向きの稼業だ。裏稼業は密偵であることを考え見るならば、商業や支援活動と幅を広げている現状を何かしらの計画が進行していても不思議ではない。
まだ不穏な動きがあったという情報を聞かないが、念のため聞く必要があるのではないか、とドレイクの勘めいたものが騒いでいた。
あのまま、美神光葉が流されたとして、どこかの岸に流れ着き、命からがら助かること高いだろう。
だが。
そのあとは真南川に包囲網を張るボルコナ兵に見つかり捕らえられるか、上手く彼らから逃げられたとしても、時間の問題だろう。
雇われ先である【異種共存連合】、【謀反者討伐隊】、【創世敬団】らから任務失敗という汚名を張らされてしまい、最悪な場合は、任務を失敗したとして美神家一派は口封じに根絶やしにされる恐れも孕んでいる。どちらの組織がそれをやるかに関しては、【創世敬団】が実行する確率は高い。
様々なことを考えると、ドレイクは美神光葉を助け、知っていることを白状させた方がいいと決断に至った。
ドレイクは、背中から美神光葉の視線を感じながらも何も言わずに、誰もいない市街地を警戒しながら進む。
朱雀の溶岩により炎の海と化している住宅地から真南川を挟んで、向かい岸の市街地は比較的に被害はない。
だからといって、目立つ大通りへ行けば、敵に見つかってしまう。
敵。
そう、敵である。
ドレイクは市街地側に敵の反応があることに気づいていた。すぐに襲ってくる気配はないがこちらの様子をねちっこく窺うように動きを見せている。
弱まっているものの、その禍々しさ魔力反応は、ラスノマスであるとドレイクはわかった。
魔力反応は、真南川にかかる清涼大橋の下で清神翼とエクレールと合流してから僅かに感知していた。エクレールも既に感知していたらしく、最初は溶岩の海と化した住宅街側を身を潜ませながら遠回りする迂回ルートを使おうとしていたらしい。
だが。
突如として川に堕ちてきた美神光葉を天上で包囲網を張るボルコナ兵に見つからないように助けていたら、住宅地側にボルコナ兵に包囲網を引かれてしまい、彼らから目を掻い潜って河川敷の下を行く迂回ルートは進めなくなってしまった。
さらに、ドレイクが向かい側に渡ったタイミングで堤防が決壊した。創りものの世界故に、本物の世界でも天変地異を引き起こす聖獣である朱雀の力により、耐えられなくなったのだろう。
それにより、溶岩が川岸まで流れてしまい、清神翼とエクレールは避難せざるを得なくなり、急遽、策を変更せざるを得なくなってしまった。
朱雀の作戦の邪魔にならないように天上で包囲網を張るボルコナ兵に見つからないように、市街地側に避難した結果、ラスノマスが潜んでいる市街地を進むルートを行くしかない。
美神光葉がまだ〈錬成異空間〉の権限を半分しか取り戻していないために、入口を開ける場所は限られている。不幸中の幸いは、それが市街地側だったことだろう。
だからといって、安心できるほどではない。最悪の事態────ラスノマスまたはボルコナ兵による迎撃か奇襲を覚悟して、慎重に歩きはじめる。
こちらが魔力を感知している以上は、敵もドレイクたちの魔力を感知していてもおかしくない。
ドレイクは、市街地に入る前に清神翼と美神光葉に慎重に周囲を探りながら、ドレイクはこの〈錬成異空間〉の創造主である美神光葉と、大体のことは四聖市と変わらないため清神翼に道を聞いた。
見晴らしの良い大きい道は、敵が狙われる危険性がある。人間である清神翼の身を保持して戦いにくい。狭い路地裏も迎撃か奇襲を受けた際に、不利になる可能性は高く、それらをなるべく避けて、駅前通りに出る経路を教えてもらい、現在進行中である。
清神翼が教えてもらったのは、片側一、二車線で駅前通りに出る経路だった。
片側三車線になる見晴らしの良いバス通りをなるべく避けて行く経路である。駅に近づくことにより、バス通りは渋滞を緩和するために片側二車線から三車線へと道を広げていて、周囲をビルなどの建物に囲まれており、いざ迎撃か奇襲をされた時に身を隠せる遮蔽は少ない。
ビルの上に上がれば、動きもばれてしまい、銃や光線で狙われる危険性は高い。そのため、片側一車線の商店街前の通りを抜けている。
美神光葉もその経路には同意見だったが、エクレールは間者である美神光葉が賛成したことにより、彼女は最初、地元である清神翼が詮索した経路には文句はないようだが、間者である美神光葉が手を挙げて賛成したことに訝しく思ってしまったのだろう。
〈錬成異空間〉の四聖市の創造主である美神光葉が現実の四聖市をそのまま複写していない可能性を示唆しながら、反対するエクレールだが、無駄に時間を喰ってしまって、魔力の消費が激しくなり、魔力の燃費が悪い独創的な〈錬成異空間〉を創ることに相当の想像力を持つ芸術気質でなければならない点から、そんな面倒くさいことをしないだろうと結論に至ったが、エクレールはまだ納得いかない顔をして、時折美神光葉に噛みついているところを見るとまた精神的余裕がないと窺えた。
出来るだけ早く〈錬成異空間〉から出た方がいいとドレイクは判断して、警戒を怠らないように少し歩みを進める。
そんな彼にますます警戒をするのは美神光葉だ。
何をそんなに急いでいる、とドレイクを訝しがる美神光葉に、ふと、隣にいた清神翼が口を開く。
「美神……さん?」
「はい。何でしょうか?」
ドレイクに一瞥しながらも美神光葉は返事をした。
「美神さんは……、その……敵なんですか?」
クラスで接した時の気易さはなく、丁寧な声音で問いをする清神翼に美神光葉は言う。
「今現在は、休戦協定を結んでいるので、味方ですよ。それよりもクラスでこの前、話していた時のような気易さがありませんね翼くん」
「え……そんな、クラスでは言葉を一言か二言を返すでしか話したイメージないけど。がっつり話したのは、ついさっきシルベットといた時だったような気もするけど」
清神翼は首を傾げる。清神翼が美神光葉と会話をしたのは、〈錬成異空間〉内にシルベットと一緒に誘い込まれた時だ。
クラスでこの前とはどの時期のことを指すのかはわからないが、クラスでは一言か二言しか言葉を返してはいない。あとは、ジーと見つめられていたからあまり会話できなかったのが本音である。
そんな清神翼の言葉を聞いて、美神光葉は少し残念そうな顔を浮かべて、
「まあ。仕方ないですね。記憶に残るような会話ではなかったですし。友人と話す次いでのようでしたから」
「友人と話す次いで…………あ!」
友人と話す次いでと聞いて清神翼は思い出した。
「もしかして、亮太郎が……」
「そうですね。会話というほどの言葉を交わしたのは、その時が初めてです」
美神光葉は“亮太郎が”という言葉に頷き、清神翼はあの時であることを確信した。
鷹羽亮太郎は美神光葉に一目惚れをし、転入生した早々に美神光葉にナンパするという愚挙を働いた時があった。清神翼は、いつも通りに呆気なくフラれた鷹羽亮太郎をたしなめながら、美神光葉に話しかけたことを一度あったことを思い出し、頭を下げる。
「ごめん……。忘れてしまって」
「別にいいですよ。こちらも記憶に残らない会話を心がけたつもりですから」
「それは、間者として目立つ行動を控えたということ?」
「ええ。目標に近づける好機であったことは間違いないですが……鷹羽くんがクラスメイトの前で告白してきたから、受け入れようにも目立ってしまって出来ませんでした。翼くんに接近しょうにも、毎度のこと鷹羽亮太郎くんが絡んできて、その度に注目を浴びたりと容易に接近出来ませんでした。まあ、遠目で観察してましたが」
「そうなんだ……。それなりに脚光を浴びてた気がするけど……」
「それは亮太郎くんが騒ぐから」
「それだけでもない気がするけど……」
清神翼は苦笑いを浮かべる。
鷹羽亮太郎が、もしも人気がなかったところで美神光葉に連れ立って告白していたら、フラれた記録に終止符を打ち、成功していたことに、不遇に感じてしまった。その場合は、今よりも美神光葉は清神翼に接近できたことになるが。
「もしも、あのドレイクが預かっている剣が返ってきたら、敵に戻ったりする?」
「休戦協定がありますから、今日は退きますから安心してください。まあ、後日に御礼を持って、お邪魔するくらいはしますがね」
「その御礼って、どういった意味の御礼?」
御礼、という言葉を聞いて、また御礼と称して再び拉致しに来るのではと心配になる清神翼に美神光葉は微笑む。
「ご想像にお任せします」
「…………」
ご想像と言われても、と清神翼は苦笑いを浮かべた。
現在は、休戦協定を結び、共闘関係にある美神光葉は、麓々壹間刀を返してしまえば、敵となるだろう。休戦協定を結ぶ上での条件が、麓々壹間刀を返す保障であって、返してしまえば共闘関係が終わるのだから仕方がないが、そんな彼女の御礼は、決して良いものとは限らない。
清神翼は、麓々壹間刀を返したとしても、仲間であって欲しいと切に願うのだった。
ドレイクやエクレールにしても、麓々壹間刀をそう易々と返すわけにはいかない。ドレイクたちにとって、護衛・保護対象者である清神翼の安全確保が急務だ。〈錬成異空間〉外に脱出して清神翼の安全を確保してから、援軍と共に朱雀らを止めるべく態勢を立て直して、もう一度、〈錬成異空間〉内に入らなければならない。加えて、“黒幕”のこともある。美神光葉には、全てが解決するまでは共闘関係でいてもらわければならない。
美神光葉も麓々壹間刀を返してもらえたからといって、それで終わりする気はさらさらなかった。
このまま帰れば任務が失敗したことになる。別に帰らなくとも既に任務続行は不可能だろうが、美神家の信用を失墜させないためにも何らかの収穫は欲しいところである。
ドレイクやエクレールに悟られないように微量の魔力で、周囲を窺うと、遠くからこちらを窺う弱々しいながらも禍々しい魔力反応を感知した。
すぐにラスノマスのものだとわかった。ゴーシュの一斬で粉微塵に消し飛んだと思っていた彼が生きていたことに美神光葉は驚き、一度死んだであろう肉体を再生させて蘇った生命力に呆れ果てる。
──まだ生きてて、まだ諦めていなかったんですか……。
──本当、執念深いですね……。
──まさか、ラスノマスに気づいて少し歩みを早めたのでしょうか……。
美神光葉は嘲るようにラスノマスの魔力反応がする方を一瞥してから、ドレイクが少し足早に動いた意図を勘違いする。ラスノマスの件も急がないといけなければならないことであることには間違ってはいないのだが、本当はエクレールの精神状態だとは考えもしなかった。
──だとしても、あからさまに歩みを進めては、ラスノマスが気づかれたと思ってしまうのでは……。
美神光葉はドレイクの行動に不信感とは違う意の視線を向ける。“この人、大丈夫かな”といった心配げな視線である。
その瞬間。
一際強い風が吹いた。
「!」
風の中に、明らかな異音が混じり、美神光葉は咄嗟に身を低くして周囲を警戒する。
美神光葉はすぐに清神翼、ドレイク、エクレールに警戒しろと合図する。その前に、ドレイクもエクレールも聞こえたようで、まだ何もわからない清神翼を連れ立って、近辺にあった建物の横に身を隠す。
「何かあったんですか……?」
「しー」
翼の問いに、ドレイクは答えず、人指し指を口元を封じるように立てて、静かにするように合図を送る。これだけで、何か起こっていることを理解した翼は黙ると、建物の横から顔を出して辺りを窺うと、五十メートル程離れた建物の屋上に、奇妙な人影があった。
その影は、緋色の和服――巫女装束風であるが少し花魁が着るような和服を纏っていた。そして、幼い少女のように小柄だった。年の頃は、五歳ほどといったところか。幼い可愛らしい顔立ちにもかかわらず、蠱惑的と呼びたくなる雰囲気を持っている。
少女は、黄金に妖しげに輝く異形の二つの眼。腰まで長い髪も眼と同じ黄金。そして、極めつけは頭の耳と尻尾だろう。尖った耳とモコモコとした毛並みであることは遠目ながらもわかる九本の狐の尻尾がある。九本の尻尾は小さな躰から隠すことができずにはみ出すくらいに大きく、ゆさゆさと動いている。妖弧という種族であることがドレイクにわかった。
妖弧。
妖弧は龍人とは違い、精霊や妖怪に近い存在である。幻術や呪術が得意とされた種族だ。魔力よりも妖力を持ち、年を経て妖力を増すことにより尻尾が増えていき、最終的には九本まで増えるといわれている。
人間界──特に中国や日本に伝わる通りに、吉兆をもたらす神獣とされる場合と、人を惑わす妖怪とされる場合がある。それらは彼ら種族はその時々の思いつきや気分によって行動し、態度が変わりやすく、とても悪戯好きであることに性格によるものだろう。
よく創作物に描かれる人を化かすことに快感を覚えているシーンがあるが、その影響があるからだ。
ドレイクは妖弧がどう動いてもいいように瞬きすらせず睨みつけ、油断なく戦斧を構えている。
すると。
からん、と下駄の音を響いた。
その刹那。
妖弧は、その場から姿を消し、ドレイクたちの前に降り立った。
相手がどう出てもいいように、ドレイクとエクレールは最大限体内の魔力を高める。美神光葉と清神翼は、二人とは違う反応を示す。
見知った顔を見るかのような表情で二人は妖弧を見ている。それにドレイクは気づき、問おうとした時に、美神光葉の口が開く。
「え……あなた、何故ここに?」
そう口にして、目の前に降り立った妖弧はニタリと微笑んだ。
◇
カラオケフェニックス四聖市店は、四聖駅前にあるショッピングモールの中にあった。
四聖市店となっているが点在する店舗は四聖市駅前モールと南四聖市にしかなく、地元にしか知られてはいない。そんなカラオケフェニックスの店長たる赤沼貞治は、レジで愛想笑いを浮かべている。
今日の来客数は夏休みにもかかわらず、八人程度しか見込めず、一日平均の来客数のノルマを達成できてはいない。いつもなら七十人以上は見込めるのだが、このままでは給料は削られてしまう。場合によっては首を言い渡される可能性は高い。赤沼貞治は引きつった愛想笑いを浮かべながら、来客が少しでも増えるの待った。
そんな時。
自動ドアが開く。
「いらっしゃいませ!」
赤沼貞治は飛びっきりの営業スマイルで来客を向かえる。決して客を逃すまいとする本心を悟られないようにして。
来客は、女性だった。
飛びっきりの美人である。格好を除けばだが。
闇のような漆黒のドレスを身に纏っている。ゴシックロリータというものだろうか。華奢な体躯に肌は真珠のように白く滑らかで漆黒のドレスに映えて、彼女には似合っていた。襟元から覗く首は、少し力を入れて握れば折れてしまうのではないかと思えるほどに細く。蠱惑的な表情は如何にも成人した女性のそれだが、顔立ちは幼い。
もっとも特徴的なのは前髪である。恐ろしく端整な顔立ちをしているのだが……前髪が異様に長く、顔の左半分を覆い隠してしまっている。
ふと、赤沼貞治は思い出した。先程、四人で来店した中学生の中に似ている少女がいたことに。
「あの……すみません」
「……あ、はい」
女性は声をかけた。
「御伺いしたいことがあります。よろしいんでしょうか?」
「は、はい。何でしょうか?」
「たいしたことではありませんが……ここに、“コレ”と同じ顔の女の子が来てますよね?」
少女は自分の顔を指で示して言った。
「はあ……。“コレ”といわれましても……」
営業スマイルを崩さなかった赤沼貞治が頭の中で考えていたのは、ただただ『面倒くさい』の一言だった。絶対に話が穏やかに済むはずがないからだ。
自分に似ている、もしくは面影がある人物を捜していることは窺える。店内には、少女とそっくりな中学生女子が来店していることも含め、そろそろ時間も夕方頃だ。いくら夏休みとあっても、門限が厳しい保護者が中学生女子を捜しているのだろう。
関係性は、外見上では母親にしては若すぎる。中学生女子を少し大人びらせた感じだから姉だろうか、と赤沼貞治は推測を付けてから、協力したいのも山々だが、むやみに人のプライバシーをさらけ出すことは出来ない旨を伝える。
「申し訳ございません。似ている、もしくは面影がある程度では、お客様の情報を開示できません。第三者にむやみに個人情報を教えることは規則で禁止されています。お名前、お写真など合っても。未成年ですと保護者である証拠がなければ、出来かねます」
規則ですので、と赤沼貞治は頭を下げた。
女性は、困ったような顔を浮かべて、
「困りました。そのようなもの持って来ませんでした……。最近は、そういった規則が増えたので、人を捜す時には少し困り者ですね」
「そうですね……。協力したいのは山々ですが、規則ですので」
「規則なら仕方ありませんね。ご迷惑をかけてしまったっては申し訳ありませんね」
女性はそう言って、赤沼貞治に顔を近づけた。
いきなりのことで赤沼貞治は後ろに下がろうとするが、体が金縛りにかかっているかのように動かない。
「……ぁ、……ち、ちょ……」
どういうわけか、声も出なくなっており、赤沼貞治は助けも悲鳴も上げられない。いきなりの出来事に、混乱する中、視線を女性から外せられず、目も動かせない。石のように固まってしまった赤沼貞治を女性は妖しく見据えてから、口を開いた。
「僅かな間ですけど、来店させて勝手に捜させていただきます。もちろん、お金は支払いさせていただきますので悪しからず」
女性はそう言って、姿が消えた。同時に、赤沼貞治は意識は闇の底に墜ちていった。
西陽が稜線の彼方に沈み、薄紫色の夕闇が一気に色濃くなろうとする頃合い。
四聖駅前のショッピングモールの中にあるカラオケフェニックス四聖市店内にて、店員が倒れた。小柄な女性は、その店員を赤子のように抱きかかえると事務所に運び込み、ソファに優しく寝かせた。
周辺に人間の気配がないことを確認すると、監視カメラの映像を見るために、テレビモニターが複数台並んだ部屋に入る。彼女は、不慣れながらもマウスとキーボードを弄り、目的の部屋を見つけ出す。
「いました」
女性は、母が子に向けるような微笑みを浮かべて、映し出された人を見つめた。
ひとしきり見つめて微笑んでいたが、
「!!」
ふと、天井の方に鋭い視線を飛ばす。
何かを感じ取った彼女は端正な顔をしかめる。
「見つかってしまいましたか……。仕方ありません」
そう言って、名残惜しそうに画面の人に微笑みを向けて、
「こんなに大きく育ってよかったです。今度は画面越しではなく、直接逢える日を願っていますよ」
女性は、左手をモニターに翳した。
すると、左手の指輪の宝石が輝きを放ち、それに応えるように、画面上に映し出された部屋も光を放つ。
やがて魔方陣が部屋に構築され、既に張ってあった術式と重なり合うと、指輪の輝きは消えた。
「近くで大規模な戦いがあるようですので、念のために強化しておきましたから。次いでに、この建物全体も〈結界〉で護っておきます。しばらくすると、“お友達”が引き継がれますから安心してくださいねソラ」
女性は、モニターに映し出されている自分に似ている少女──天宮空に向けて言うと、周辺の気配を探りながら、慎重に室内を出た。
そこから裏道に向けて歩を進める。
やがて見えてきたのは、非常口だ。
彼女は扉の前に立ち、〈索敵〉で外の様子を窺う。
南南東、南南西より、それぞれ規則正しく並んだ五つの魔力反応がある。
真っ直ぐと、このショッピングモール──カラオケフェニックス四聖市店に向けての航路である。女性は、どこか楽しそうにしながら、彼女は街の喧騒に姿を消す。
四聖市の上空では、蜘蛛の巣状の亀裂が入り、幾何学的模様が溢れていたが、少しずつ薄れていき、通常どおりの夜空が拡がりはじめていた。
遠く彼方に見える十つの人影は、街を歩く人には気づかれてはいない。
超常現象に出くわしたことに興奮する人や、冷めた目で見ながら興味なさげに通り過ぎようとしている人、混雑する人通りに苛ついたりする人と、様々だが、大事には至ってはいない。交通整理として、駆けつけた者のお陰で少しずつ平穏を取り戻していた。
その裏では、その平穏を維持しょうとする者たちがいると知らずに。




