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第一章 五十四




「ん……う……」


 小さなうめき声を上げながら、美神光葉はゆっくりと目を開けた。


 寝惚けた意識をゆっくりと覚醒していく。それに従って、周囲の状況が段々と見て取れるようになってきた。辺りは薄暗く、日が暮れているようである。


 川原のせせらぎが彼女の鼓膜に届く。どうやら美神光葉は、川辺に流れついたらしい。


 だが、躰に痛みがある。特に肩や背中、腰にかけてギシギシと痛む。どうやら固いところで寝てしまい、加えて随分と目が覚めるまでに長い時間帯を同じ格好で寝てしまったことに躰を痛めてしまったようである。


 身につけた服は半渇きで、湿気特有の嫌な臭いと肌に濡れた布が張り付く厭な感覚がある。未だぼんやりとした意識の中で、彼女はゆっくりと岩場の上で寝返りを打ち、仰向けになってからのろのろと身体を起こした。


 起き上がったと同時、背中から腰にかけて激痛が走る。美神光葉は「うっ……」と顔をしかめてから、しばらく痛みが落ち着くのを待った。次第にじんじんと痛みが引き、ぼうっと辺りの様子を見回す。


 なんてことのない。ごく一般的な氾濫しないように堤防がある川岸である。散歩やサイクリング、老人はゲートボール、子供が野球などで遊べるであろうか広場がある、ごく普通の川辺である。


 美神光葉は橋の下にいた。目を向かい岸に向けると燃え盛る街。ぬばたまの月が浮かぶ創られた空から降り注ぐ火球。建ち並ぶ家々も、滅茶苦茶に破壊され、溶岩の川に熔かされた街の光景があった。


「……っ!」


 それを認識すると同時、美神光葉は意識が一気に覚醒した。


 ゴーシュが朱雀に禁句を放ち、激怒させた為に巻き添えを喰らいかけたを思い出し、ハッとして、自分の身体を見下ろす。見たところ……身体に傷や欠損は見受けられない。


 巻き添えを喰らいかけたが、ゴーシュに川にぶん投げられて助けられたことを後から思い出す。余計なことをしたが、咄嗟の判断をしたゴーシュに一応の感謝をしつつ、美神光葉は我に返ったかのように頭を低くする。


 助かったからといって、朱雀が見逃してくれる保証はない。


 朱雀は一度怒らせた者を忘れずに地獄の果てまでも追いかけ、捕まえたら一気にその場で焼き殺すという残忍な顔を持っている。


 美神光葉はせっかくゴーシュに助けてくれた命を護るためにも、まずは状況の確認を取るべく、辺りの様子を窺う。


 ボルコナ兵が遥か天高く〈錬成異空間〉をスレスレに飛行しているのが見てとれた。その奥には、巨大なペガサスに似た妖馬とワタリガラスに似た妖鳥といった形をした炎の化身が蠢いていた。それは、朱雀の眷属であることに気付いた美神光葉は構えるが、こちらに来る気配は別段ない。どうやらゴーシュが巧い具合にしんがりを努めているようだ。


 美神光葉が当面、注意を払うのは天上にいるボルコナ兵といえる。火龍、炎龍といったボルコナ兵が周囲に包囲網を張ろうとしている。火龍は守備、炎龍は攻撃部隊で構成されている。彼らは、朱雀ほどではないが攻撃力は決して低くない。だからといって、せっかく命からがら助かったというのに好き好んで戦闘をするほど、美神光葉は気性が荒くはない。


 ゴーシュに投げ飛ばされて川原に堕ちた衝撃で、躯を痛めている。加えて、〈錬成異空間〉を維持をするための魔力が燃焼している状態である。


 美神光葉にとって、清神翼をラスノマスから保護し、いろいろと聞きたかったことがあったが、これ以上の面倒事はコリゴリだ。極力、戦いは避けて、〈錬成異空間〉から脱出をしょうと、まず見晴らしの良い川原から離れたい。美神光葉は細心の注意を払い、草むらの中を匍匐前進で橋の下を進むと────


「気づきまして、間者さん」


 と。不意に頭上からどこか気品がある声がした。


 美神光葉は敵襲と思い、頭上を見上げる。


 そこには──ぬばたまの月に照らされても尚も煌びやかな黄金の髪を風で揺らしながら、天上から降臨する少女の姿があった。


「あ、あなたはッ!?」


 その声に、殆どが条件反射のように立ち上がる。


 ぴきっ、とあばら骨辺りに傷みが走った。


 うっ……と呻き声を上げながらも少女の方に顔を向ける。


 そこには──やはり、二つに結わいだ黄金の髪、意思の強そうな整った眉と碧い瞳は、両親譲りの精悍な戦士の趣すら感じさせる少女────エクレール・ブリアン・ルドオルがいた。


「…………エクレール・ブリアン・ルドオル……」


 美神光葉は、少女────クレールの名を口にした。


 腕を組み、美神光葉を睥睨する彼女に警戒心をむけて、腰に携えていた刀剣に手を伸ばし、気付く。


 そこには、携えてあった美神家に古来よりの当主に引き継がれし、宝剣にして妖刀である麓々壹間刀があるはずだが……。


 一向に掴めず、美神光葉はエクレールに警戒しながら、腰の方に目を見て確認すると、そこにあったはずの麓々壹間刀がなかった。


「私の剣はどうした?」


 美神光葉はエクレールに聞くと、


「そいつは、これかな?」


 別方向──やや上後方から野太い声がした。


 そちらに目を向けると、二メートル以上の巨漢の男性が橋下の段差がある場所から見下ろしていた。髪を炎のように逆立てた短髪に、胸、手、足と身に纏う光沢がある鎧からは筋骨隆々とした躯が見てとれる。


 男性の手元には、麓々壹間刀が握られていた。


『わりぃ、捕まった』


 麓々壹間刀から危機感のない声がしたが、美神光葉は構わずに麓々壹間刀を奪った男性の名を呼ぶ。


「ファイヤー・ドレイク……」


「御存命とは、自己紹介の手間が省ける」


「炎龍帝ファイヤー・ドレイク。有名ですから」


「そうか。ならば、話が早いな」


 ドレイクは、自分の名を知っていると言われても驕りたからずに言う。


「この〈錬成異空間〉を作ったのは、貴殿────美神光葉で間違いないな…………」


 ドレイクの言葉に、美神光葉は怪訝な顔をする。美神光葉は目を細め、答えるべきか、僅かに逡巡する。


 確かに、〈錬成異空間〉は美神光葉が構築したもので間違いはない。清神翼とシルベットを誘きださせるために構築させたものだ。それは紛れもない事実だ。


 だが。


 美神光葉の中で、素直に即答することに警鐘を鳴らしている。


 ドレイクの声音には、質問をするといった意図を感じられない。明らかに美神光葉の正体を知っていて、あからさまに証言を録ろうとしていることが態度と言葉には見えないが声音に、僅かな震えがあった。


 ドレイクは、主に肉弾戦が得意な戦士である。


 溶岩やマグマの中を水中のように泳ぎ、どんな打撃や斬撃、光線による攻撃でさえも容易に裂傷を負わせることが困難な鱗を持ち、あらゆる戦力を脳内で構築、それを戦闘最中でさえも実行に移し、戦場において無双を誇る彼でも苦手なものがある。それが魔術と交渉事であることを美神光葉は知っていた。


 だからこそ、その問いには答えずに、何を言っているのかしら? という顔を作って言う。


「なんのことでしょうか?」


「ほう」


 ドレイクは目を細めて、美神光葉の様子を窺う。別段、慌てた様子は見受けられなかった。


 ただ、一瞬ながらも間があったことにドレイクは僅かな取っ掛かりを覚える。


 ドレイクは再度聞いてみることにした。


「わからないか」


「わかりません」


 美神光葉は不自然な間もなく言った。それにドレイクは取っ掛かりは気のせいなのでは、と思い始める。


 そんな時。


「何を悠長なやり取りをしてますの?」


 二人のやりとりを窺っていたエクレールが口を挟んだ。


 エクレールは橋から降りて、美神光葉に近づきながら、苛立たしげに口を開く。


「この〈錬成異空間〉を作ったのは、あなたですわね、と聞いてますのよ。もうあなたの従者からは少し聞いてますの。ごまかしても悪あがきにしかなりませんわ」


「従者……」


 従者、と聞いて、美神光葉が浮かんだ顔はシンだ。


 美神家に仕える執事たる彼が、そう易々と話すとは思えなかった美神光葉だったが、たまに思いがけない行動を取るのがシンである。


 もしかして、という脳裏を掠めたが本人から証言さえ取らなければ、憲兵に突き出したとしても証拠不十分となるだろう。認めなければ、逮捕はされないと美神光葉は誤魔化すことを選択した。


「なんのことでしょうか?」


「惚けるのはいい加減にしてくださいまし!」


 エクレールの口から発せられる声音には、どこかに苛立ちと戸惑いがあった。


「あなたの家系が【異種共存連合ヴィレー】、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】、【創世敬団ジェネシス】の三組織で間者を生業にしていることは聞いてますのよ」


「うちは、代々商人をしていますけど……」


「はあ?」


 美神光葉の言葉にエクレールは束の間、唖然として口を開けた。


 突然、言われた言葉が信じられないといった具合に、目をぱちくりさせてから言葉を発する。


「商人は、表側でしょう」


「表も裏も商人です。人間界や他の世界線でもいろいろと手を伸ばして、貿易とかやってますよ」


「嘘おっしゃい!」


「嘘じゃないですよ。【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の任務が一通り終わったら、家業を継がないと行けないんです」


「……どう足掻いても惚けるんですわね」


「惚けるも何も事実です」


 エクレールと美神光葉はしばらく押し問答を続けた。


 一分程経ち、エクレールは嘆息し、


「そうですか……頑固として揺るがないということですね」


 と、僅かに含みを入れた声音で言った。エクレールの瞳には、勝機を失っておらず、少しばかり笑っている。そんな彼女に、美神光葉は怪訝な顔を浮かべる。


 シンから聞いただけで美神光葉が多重間者という証拠はない。


 嘘という可能性が少しでもある限り、美神光葉本人、証言したというシンがいても、裁かれることはない。証拠不十分により、無理に問いつめて誘導尋問による冤罪を疑われて、終わりである。そんな危険性を犯してまで問いつめていくエクレールに対して、疑問を浮かべていると────


 その答えは、早々と現れた。


「美神光葉は、こう言ってますが、どうですか?」


 エクレールは、眼前にいる美神光葉ではなく、その後ろに質問を投げた。美神光葉は最初はやや上後方にいるドレイクに聞いたのだと思ったが違った。エクレールの視線は、やや上後方ではなく、やや右後方を向いていた。美神光葉は、エクレールの視線を追い、そこにいた者を見る。


 そこには、人間の少年────清神翼がいた。


 格好いいというよりは可愛らしい。可愛らしいと言って、女性的というほどではなく、男性的な要素が半分以上を占める顔立ち。線が細いながらも筋肉はそれなりに付いており、爽やかな水色のTシャツの上からも確認できる。


 清神翼は、探偵が犯人を当てるように指先を美神光葉に向ける。


「俺が〈錬成異空間〉で最初に会ったのは、美神光葉だ」


 美神光葉は、エクレールとドレイクが清神翼からこれまでの経緯を知っている限り伝え、大体の正体を知った上での、行動であったことに気付いた。


「…………いろいろとわかっているようですね」


「掻い摘まんで言うならば、そうだな」


「あなたにとっては、残念ながら、ですわね」


 ドレイクは口端を上げて笑い、エクレールは勝ち誇ったかのように胸を張る。


 美神光葉は、フン、と鼻で笑う。


「知ったからといって、何になるんですか?」


 美神光葉は武術の構えを取り、全員を睥睨する。エクレールとドレイクは、戦闘態勢を取る美神光葉に思わず警戒を露わに身構えた。


 翼は、橋の下をギリギリ出るか出ないかというところまで下がって遅れて警戒する。


 本当は身を隠せればいいのだが、橋の下から出てしまえば、ボルコナ兵に見つかる確率は高まり、橋から離れて一人彷徨えば、【創世敬団ジェネシス】に捕まる恐れがある。だからと言って、エクレールやドレイクに近づけば、巻き添えを喰らう恐れは充分にあり、下手をすれば美神光葉に拉致されるだろう。


 清神翼は、エクレールとドレイクの戦いを邪魔にはならず、ボルコナ兵や【創世敬団ジェネシス】に見つからない橋の端に身を隠し、事態が終息するのを眺めているしかない。


 美神光葉は身を屈めて、拳を握り締める。武術での臨戦態勢を取った。


 美神家当主を勤め、多重間者を行っている彼女は、幼少の頃から密偵に必要な訓練を受けている。それこそ、死人が出るのも当たり前な訓練に、歯を食いしばって耐えてきた実績を持つ。


 その中に、武術や格闘術、暗殺術、脱出技術など含まれている。主に剣術が得意であるが、それよりも精度は落ちるが、美神光葉は素手で充分に戦える腕はある。


 炎龍帝と二つ名で知られるファイヤー・ドレイク、ハトラレ・アローラで英雄の一人として、人間界では聖獣として名が知られている金龍。その王族の娘であるエクレール・ブリアン・ルドオル。相手が武器を持って戦う以上は、油断できないのも確かであり、素手では心許無い。


 加えて、ゴーシュに投げ飛ばされて川原に堕ちた衝撃で、躯を痛めている上に〈錬成異空間〉を維持する魔力が無駄に燃焼している。


 出来れば、穏便に済ませて、これ以上は、厄介事に巻き込まれるのはこりごりだ。最悪の場合は、麓々壹間刀を取り返すか、清神翼を拉致するか、自分の命を最優先にするかを決めなければならないだろう。


 清神翼を拉致をして美神家で保護し、いろいろと聞き出そうとしていたが、エクレールとドレイクを素手で相手にして、およそ八メートル以上離れている清神翼を拉致することは困難だ。シルベットたちを信用したわけではないが、彼女たちが保護してくれれば、当分はそう簡単に命を狙われる恐れはないとして諦めざるを得ない。


 美神光葉は、〈錬成異空間〉の操作権限を奪うまでは、彼らから逃げることを最優先にし、出来るならば、麓々壹間刀を取り返すことにして、構える。


 そんな彼女に対して、「そんな警戒しなくともよろしいですわよ。それよりも、わたくしはあなたに聞きたいことがありましてよ」、翼を含めた三者三様が警戒している中でエクレールはそう言った。


 そして──


 美神光葉が耳を疑うことを言い始めた。


「──あなたのことを今日のところは見逃そうと思いますの」


 エクレールの急な申し入れに美神光葉は怪訝な表情を浮かべる。


「どういうことですか?」


「見逃す代わりに、条件を飲んでもらうと言ってます」


「条件……?」


 美神光葉はエクレールを疑問の眼差しで見る。


 躯を痛めている上に〈錬成異空間〉を維持する魔力が無駄に燃焼している美神光葉にとって、二人を相手にするのは厳しい。


 もし見逃してもらえるのなら助かるが、そう簡単には頷けない。エクレールの条件が美神光葉にとって好条件ではない限りは。


 美神光葉は、エクレールの条件に耳を傾けて聞く。


「ええ。簡単な条件ですわ。わたくしたちは、とりあえず保護対象者を避難しなければなりませんの。あなたも朱雀やボルコナ兵の介入により、策が瓦解しつつあると思いますが?」


「……さあ、どうでしょうね」


「……」


 美神光葉は惚けると、エクレールは眉をピクリと跳ねた。表情に、少しばかり苛立ちが垣間見える。


 それで話してくれるとでも考えていたのだろうか。条件を飲む飲まないの云々以前に、エクレールとドレイクは自分の正体を知った敵である。敵に作戦内容を伝えるような軍人はいない。


 今回の件に関しては、【異種共存連合ヴィレー】、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】、【創世敬団ジェネシス】ではなく、美神家主導である。三組織に伝える必要性はない。間者云々ではなく、家庭のプライバシーで伝える必要はないといえる。


 エクレールは少し深呼吸して、気を落ち着かせてから微笑みを作った。


「…………どちらにしても、〈錬成異空間〉を脱出する必要性があると思いますでしょう。こちらとしても、こんな荒れた〈錬成異空間〉内では、任務遂行は難しいですわ。あなたも〈錬成異空間〉も閉じたくとも閉じれないでしょう。わたくしたちも人間界の被害が及ばさないためにも一旦、外界に出てから態勢の建て直しをはかった方がよろしいんではないかと思いますのよ」


「それで?」


「事態の収拾がつくまでは戦闘は避け、お互いに休戦して、共闘致しません」


「つまり、あなただけでは脱出できないので、行使者に頼んで脱出して、力を蓄える準備した後に、朱雀たちを大人しくさせるために共闘しろと」


「…………ええ」


 エクレールは、あからさまに不愉快な顔をして、美神光葉の言葉を頷く。


「共に状況を打開できたのなら、わたくしたちはあなたのことは報告しないことをお約束を致しますわ……」


「……」


 美神光葉はエクレールの言葉に警戒を落とさないままに考える。


 清神翼を拉致をして美神家で保護し、いろいろと聞き出そうとしていたが現在は、任務遂行は難しいのは事実だ。およそ八メートル以上離れている清神翼を拉致して任務を完遂したのは山々だが、未だにギシギシと痛む躯ではドレイクとエクレールの二人を素手で相手するのは難しい。


 休戦協定を結ぶも結ばないのも、まずは、麓々壹間刀を取り返してからでないと、どうにもならない。後ほど、朱雀を相手するならば、躯一つでは身が持たない。武器有りでも、相手に出来る可能性は低いと思うが……。


 どちらにしても、麓々壹間刀をまず返してからでないと、意味がない。


 それに──


「こちらとしては、休戦協定を結びたいのですが……、今すぐには難しいですよ」


 美神光葉は言うと、エクレールは首を傾げる。


「どうしてですの?」


 エクレールの問いに、美神光葉は人指しと親指を立てて答える。


「理由は二つです。まずは、〈錬成異空間〉の操作権限は半分しか持ってはいないことです。構築するための魔力は私から捻出されていますが、それは一度、制御権を奪われたからです。現在は魔力だけが捻出されるだけで、脱出口を開ける場所は限定されています。全てを取り返すまでには時間がかかります」


「〈錬成異空間〉の権限が取られだなんてマヌケにも程がありますわ。もう少しは、ちゃんとした方がよろしいんではありませんの」


 四ヶ月前までは、学舎に通っていたエクレールは、先輩であり上官でもある美神光葉に対して毒を吐いた。


 その失礼極まる金龍族の女王に不快を露にしながらも、美神光葉は、苛立ちを落ち着かせて大人の対応をする。


「面目ない限りだが、戦場ではよくあることです」


 戦場では、日常茶飯事ということを前置きしつつ、


「現在の操作権限が誰なのか、わからない以上は、下手に操作権限を奪い取ることは出来ません。相手が奪われる前に〈錬成異空間〉を解術してしまえば、空間の維持は出来ず、この災厄な状況が人間界にも包まれてしまう恐れがありますし」


 と、美神光葉が言った。


 その途端、エクレールの目がスッと細まり、ふ〜ん、と先輩や上官には絶対に向けない種の侮蔑めいた視線を美神光葉に向ける。


「操作権限を奪われてしまうだなんて、ホントに役立たずですわね……」


「……」


 エクレールの暴言に、美神光葉の苛立ちが限界に近いようで不機嫌を隠そうともしない。


「あなたが私のことをどれくらい知っていて頼ってきたかはわかりませんが、脱出口を開きたかったら、あなたが勝手に開いて外界に出ればいいことでしょう。もしかして、出来ないですか? 学舎に通っていたにもかかわらず」


 美神光葉は、先程の意趣返しとして言った。それにエクレールは不快感を惜し気もなく露にする。


「出来るなら、あなたみたいな権限を取り上げられてしまうおマヌケさんに頼らずにやっていますわよ…………。今回は、いろいろと緊急事態ですのよ。それをわかってくださいまし」


 そっぽを向き、仮にも頼み事をする相手に対して毒を吐くエクレールに、美神光葉は上官として、先輩として口を開く。


「わかりません。あなたの事情なんて、知りませんし、知りたくもないです。大体、仮にも上官に対しての物言いは何ですか?」


「間者であり役立たずのあなたに使う言葉なんて、これで十分ですわよ!」


 視線を交わる中間でバチバチと火花を散らす幻が見えてしまうほどに、エクレールと美神光葉は睨み合う。


「そうですか。その言葉、そっくりそのまま返してあげますよ」


「役立たずのくせに生意気ですわね……」


 何この説教くさいおばちゃん、みたいな目を向けてくるエクレールに対して、美神光葉は腹立たしさを覚えたが抑えて、諭すように言う。


「生意気なのは、あなた────エクレールです。流石にこれ以上は看過できません」


「一体、何様ですの? わたくしは金龍族の王女ですわよ」


「王女だから何ですか? 戦場に王女だの何だの関係ありません。【謀反者討伐隊トレトール・シャス】に入った以上は、階級が上の方に従っていかなければなりません」


「間者のくせに、勝手に上から言わないでくださいまし!」


「これなら、銀龍族の姫だと傲らなかったシルベットの方がまだいいですね…………」


「何で銀ピカと比較さらなければなりませんのよ……」


 不仲のシルベットを引き合いに出され、エクレールは心外そうな顔で反論する。


「自覚ないのですか……。今のあなたの発言は最悪の一言です」


「…………」


 指摘されて気付いたのか、エクレールは黙った。エクレールと美神光葉の口論をどのタイミングで仲裁に入ろうか、と好機を窺っていたドレイクがすかさず入る。


「エクレール・ブリアン・ルドオル。美神光葉。現在は諍いを起こしている場合ではない。────美神光葉よ、二つある理由のうちの一つは何だ?」


 ドレイクは二人が諍いを起こしたことにより、有耶無耶になった美神光葉が休戦協定を結ぶのが困難な理由の一つを聞いた。


「すみません。話しの途中に、諍いを起こしてしまい。つい、この生意気でつまらい挑発に乗ってしまいました。これは、修行が足りないのだと、猛省したいと思います」


 美神光葉はドレイクに頭を下げて謝罪をし、改めて向き直る。その横で、“生意気でつまらい挑発”と言われて、はあ!? と声を上げた金髪碧眼の少女────エクレールを無視して話を進めた。


「もう一つは、私の武器が無いことです。朱雀やボルコナ兵を相手にするなら素手では、到底戦力にはなりません。私の武器は麓々壹間刀です。御覧の通り、麓々壹間刀はドレイク様が持っています。それを渡していただけないと、共闘しても何の戦力にもならないことだけは言っときます。それを返してくれる保障してくださればよろしいかと」


「なるほど。では美神光葉の条件にして、吾輩たちの条件を飲んでもらおう」


「吾輩たちの条件……?」


 美神光葉は眉をひそめる。




      ◇




 美神光葉が目を覚ます数分前──




 熔岩が住宅街を飲み込んだ対岸に、びしょ濡れの黒髪の少女────美神光葉を翼、エクレール、ドレイクが囲んでいた。


 三者は、間者の疑いがある美神光葉を助けたのはいいが、どうするべきか思い悩んでいた。エクレールは美神光葉の従者であるシンから事の真相を掻い摘まんで聞いている。清神翼も美神光葉が間者であることを知っており、実際にそのための交渉された身である。


 エクレールは一歩進み出て、屈み込んでから美神光葉の右手を握ると、美神光葉の全身が一瞬だけ淡く光り出した。


「…………」


 ドレイクはその様子を厳しい目で見つめる。


 一体何をしているのか、翼が尋ねようとする前────エクレールが右手を握りしめてから僅か一分程経った頃に、


「わかりましたわ……」


 エクレールは顔を上げた。


「で、どうだった」


 ドレイクの問いに、エクレールは立ちあがり答えた。


「美神光葉の体内の魔力受容量を確かめましたが、美神光葉の魔力容量は常に減っている状態であり、何らかの術式により消費されているのは確かですわ」


「そうか」


「彼女の体内に、魔力探知機の術式を打ち込んで、全身の各所から返ってきた反応を計測しましたことにより、大体の受容量をより詳細に知ることができましたわよ」


「結果はどうだった?」


「そうですわね。わたくしの感覚で受容量を計算しました結果ですが、限りなく黒に近い灰色でしたわね」


 エクレールのその言葉は、美神光葉の間者であるという容疑がなくなり、そうであると確定したことになる。それにより、美神光葉は敵であると断定されることになった。


「美神光葉の魔力消費量から計測するなら、大規模相当の術式であることは間違いありません。現在も、魔力が消費しているところを考えると、異空間を錬成し、もう一つの世界を創造する〈錬成異空間〉である可能性は十分にあり得ますわ」


 “黒き女剣豪”とハトラレ・アローラで名が知られ、春から清神翼のクラスに転入してきた美神光葉が間者であることにも驚きなのに、現在も彼女の肉体から明らかな魔力は捻出されていることを感じ取ったのだ。


 ドレイクは美神光葉の身柄をどうするかを考える。


「エクレール。美神光葉の魔力の残量はどれ程だ?」


「そうですわね。とにかく魔力感知に反応があった美神光葉の体内の魔力残量を計算すると、そう多くもなければ少なくありません。魔力切れによる危険が及ぶ量でもありませんし、二人はおろか一人でかかっても、押さえ込むことは不可能ではありません。が、問題はその剣ですわ」


 エクレールは美神光葉の腰に携えている一振りの刀剣を指し示す。それは、全長二メートル────六尺六寸一間もある大剣だ。


 麓々壹間刀と呼ばれる美神家に伝わるハトラレ・アローラでゼノンに次ぐ言葉を理解する宝剣である。


「彼女は、ハトラレ・アローラは名が知られた女剣豪です。魔力が消費して魔術が使えなくなっても、その剣を使われたら、終わりです」


 エクレールは視線をその剣に流し、吐き捨てるように言う。


「そうですわよね。麓々壹間刀さん」


 それに答える。


 剣────麓々壹間刀が。


『お嬢ちゃん、頭いいな。吾もそう思うぞ、ヒャーハハハッ!』


 麓々壹間刀があげた下品で耳障りなキンキン声に、エクレールは秀麗な眉を顰める。


「当たり前ですわ。よって、あなたを使わせないために、何とかせねばなりません」


『ごもっともだ』


 美神光葉の腰に携えている麓々壹間刀は、他人事のように三人の会話に入ってきた。


『ミッちゃんの特技は剣術だからな。武術も魔術も出来るがもっともずば抜けているのが、剣術だ。剣を取り上げれば、そこの金髪ツインテールのお嬢ちゃんでも勝機はあるだろうよ』


 親しい友人でも話しかけるかのようなノリで主人の弱点をベラベラと話す大剣────麓々壹間刀に、エクレールは怪訝な顔を向ける。


「口を割らせようとしたわけでもないのに、敵に無闇やたらと不利になる情報を話すだなんて、怪しいすぎますわね……」


『疑うも疑わないのもお嬢ちゃん次第さ。まあ、強いて言うなら、もしもミッちゃんから剣を取り上げるのならば、吾を折るのではなく、奪う程度に済ませてくれ。こう見えても生きているんだからよ』


「……」


 折っちまったら人殺しならぬ剣殺しになっちまうぜ、と麓々壹間刀はまた耳障りなギンギンな笑い声を上げる。


 エクレールは、ギンギンとした麓々壹間刀の笑い声にまたもや不快感を露に顔を顰める。掌を銃の形作り、麓々壹間刀に人指しを向けて、バン、と撃ち込む。


 エクレールの人指し指から金色の弾丸が放出され、麓々壹間刀の鍔に当たる。


 麓々壹間刀は、うわあッ! と大袈裟に声を上げるが、エクレールの弾丸に当たった鍔には傷ひとつも付いていない。


『危ないなぁ……傷付いたらどうするんだ。そっちと違って、傷付いたら自分で復元できないんだぞう』


 麓々壹間刀が抗議の声を上げるが、声には切迫とした色が窺えない。エクレールの電撃の弾丸が当たっただけで、麓々壹間刀を破壊することはおろか傷を付かないことをドレイクは感じとった。


「麓々壹間刀よ。貴殿の話が真実ならば、美神光葉から貴殿を取れば、吾輩らに勝機があるということになるが」


 ドレイクは脱線しかけた話を戻すためにも麓々壹間刀に訊いた。麓々壹間刀の声に、躯を縦に僅かに動かし、ガチャンと鳴らす。どうやら頷いたらしい。


『ああ』


 麓々壹間刀は自分の言葉に偽りはない、とドレイクに言った。その言葉が真実なら、美神光葉から刀剣さえ取れば、勝機があるということになる。


 だが、麓々壹間刀の言葉をそう易々と信じるほどに信頼性があるわけではない。


「その話を信用しろと申しますの……?」


 エクレールは不審気に訊く。


「残念ながら、わたくしたちはあなたに対して信頼を持ち合わせていませんことよ?」


 麓々壹間刀は弾けるように一声、笑った。


『それもお嬢ちゃんの勝手さ。信じる信じないはそちらで決めてほしい。吾としては、希望を言ったまでさ。応じるかどうかは、そちらが話し合って決めるべきだ』


「美神光葉が武器さえ取り上げれば、無力化になるには思えないですわ……」


 エクレールは苛立った表情のまま答え、麓々壹間刀を電撃の弾丸を軽く六発ほど、撃ち込む。弾丸を受けてもなお、傷をひとつも付かない麓々壹間刀は、エクレールの撃ち込んだ言葉においおい、と呆れた声を出す。


『おっと、お嬢ちゃん。吾の話を聞いてたかい?』


「…………何を、ですの……」


 エクレールは顔を険しくする。


『わからないのなら勘違いを正すぜ。別に、吾はミッちゃんから剣を取り上げても無力化になるとは言ってねえぞ。まず、剣を取り上げても無力化にはならねぇよ』


 エクレールは麓々壹間刀が先程言っていたことを思い出すと、顔を赤らめく。


 敵に指摘され、高い自尊心を持つ彼女は恥ずかしさを覚えたのか、電撃の弾丸を軽く三十発ほど、撃ち込んだが数発ほど狙いは外れる。


「……お、覚えてますわ! そんなことくらい」


『あ、危ねぇなおいッ! ミッちゃんに当たったらどうするんだよ!』


 危うく美神光葉に当たりそうになり、麓々壹間刀は非難の声を上げるが、エクレールは射抜くような一瞥を麓々壹間刀を向ける。


「…………し、知りませんわ。あなたの御主人に当たろうが当たるまいと知ったことではありませんわ」


 これ以上いろいろと追及すれば乱射して美神光葉共々殺す、といった意の目をエクレールは向けられ、麓々壹間刀はため息めいたものを付く。


 ドレイクは、そっぽを向くエクレールとため息をつく麓々壹間刀を交互に見て、いたたまれない気持ちになった。


『ただ単に、ミッちゃんが得意な剣を封じることは出来るという話さ。剣術ほどじゃないにしろ、魔術や武術はそれなりの腕さ。でも、お嬢ちゃんは、魔術が得意なんだろ? そこの赤い偉丈夫は、武術が専門って聞いているぜ』


「流石は、間者の剣というわけか…………」


 ドレイクは目を細めて、感心する。


『ああ。こう見えて、ミッちゃんの剣だからな。ミッちゃんの考えていることもわかるぜ。一心同体とは言わないまでも、大体のことは、お互いに考えていることや思っていることはわかっているつもりだ。まあ、継承されてから日が浅いから、吾の考えはミッちゃんに理解されているとは言い難いがな』


「つまり、麓々壹間刀は美神光葉のことをご存じのようですが、美神光葉は麓々壹間刀のことはご存じないということですわね。それは単なる一方通行の片想いということですわね……」


『…………………』


 さっきの仕返しと言わんばかりの声を上げるエクレールに、言葉を発さなくとも、麓々壹間刀が少しばかり不機嫌になったとドレイクと清神翼は感じた。


 一分ほど、黙考した後に、麓々壹間刀は声を上げる。


『…………まあ、そうだな。そこに幼い髪型と体型のお嬢ちゃんの言うとおりだな。吾はそれでいいと考えている。お互いに干渉しない方がより良い関係が築けるもんなのさ。まあ、そこの髪型と体型も幼いお嬢ちゃんにはわからんだろうさ』


「…………な、なんですって……」


 エクレールは思わず麓々壹間刀に詰め寄り掴み上げる。そして、彼女の躯から電撃が放射され、麓々壹間刀の刀身に伝う。


『な、なんだぁ…………ぐぎゃ!』


「エクレール! 力が強すぎるぞ! そんなことで取り乱すな落ち着け!」


「そんなことですって! わたくしにとっては、触れてはいけないところですわ! 落ち着いてなんかいられませんわよ!」


 エクレールの声は自然と高くなる。


 シンによる精神汚染と常に魔力が消費している焦りが尾を引いているのか、エクレールは未だに感情のコントロールが完全ではない。エクレールとしては、麓々壹間刀を破壊して美神光葉を捕虜にし、拷問などして事の真相を吐かせて、〈錬成異空間〉外に出て、蓮歌に電撃を喰らわせてから翼も連れ立って天宮空の元に一緒に行き、蓮歌に術式の引き継ぎを行いたいのだから仕方のないことだが……。


 躯の成長に著しく遅れを感じているエクレールにとって麓々壹間刀の言葉は逆撫でするには十分と言えた。


「学び舎の学友から小莫迦され続け、最近は銀ピカにまでも弄られ、あまつさえ間者の剣などに体型のあれこれと言われるだなんて、これは所謂、ヘイト発言ですわよ! あなたのような輩がいるから世界は荒れたままですわ! 排除せねば……排除せねばなりません……」


『……つ、強……、強すぎるぞッ……。や……、止め……、止めてくれ!』


 エクレールは電撃の質力を上げていき、麓々壹間刀は苦悶の声を上げる。どうやら、直で電撃を受け続けるのはそれなりに痛手となるようだ。


 弱点がわかったところで、ドレイクは、エクレールを止める。


「エクレールよ。そのくらいで良いだろう。彼もわかってくれたはずだ」


 ドレイクはそう宥めたが、エクレールの目は据わっていた。


「何を言ってますの……。ドレイクもわたくしと初めて会った時は、仔龍と莫迦にしていたでしょうが…………」


「…………そ、それもそうだったな。吾輩も反省しているぞ」


 何やら矛先がこちらに向きかけ、危機感を抱いたドレイクは素直に自分の非礼を侘びた。


 現在は、〈錬成異空間〉に閉じ込められている状況だ。何としても、〈錬成異空間〉から脱出し、援軍にいる黒幕を捕られなければならない。それを今のエクレールに直接、注意したところで無駄だと判断する。暴走している彼女には、火に油となってしまうだろう。それほどまでにエクレールの精神状態は不安定である。次の波が来るのを待つしかあるまい。


「本当ですの?」


「誠だ」


「嘘っぽいですわ……」


「真実だ。信じてくれぬか?」


 端からエクレールとドレイクの会話を聞いていた清神翼は、会話だけ抜き取ると浮気現場を押さえられた夫婦のような感じだな、と思ってしまうほどに二人の会話は、緊迫感が漂っていた。


「…………わかりましたわ、今はそういうことにしておきますわ」


 しばらくしてから、精神状態が安定したエクレールは、ドレイクをあまり納得していない様子だが、それでも信用して、麓々壹間刀を解放した。


 このお嬢ちゃんなんかおっかねぇな、と麓々壹間刀は刀身をガタガタと震えていた。金髪碧眼の少女に怖がる大剣というのは、なんてシリアスなんだろうか、と清神翼はそんな感想を浮かべたが口には出さずに、彼らの話しに耳を傾ける。


「で、一応は解放しましたがどうしますの?」


「そうだな。密偵である以上は身柄の拘束といえるが……」


 ドレイクは美神光葉と麓々壹間刀を厳しい目で見つめながら話す。


「捕虜にしたところで、話を割るとは思えない。まずは美神光葉が目を覚ました時に武器を持っていては危険だ。麓々壹間刀の身柄の拘束を行い、彼女が目が覚めた時に交渉するとしょう」




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