第一章 五十二
目が覚めた水無月龍臣は、床の上で正座をして深々と頭を下げた。
「気を失ってしまい、かたじけない。こうも時間をかかってしまったのは、拙者の要領のなさが仕出かしたことだ。ここはひとつ、切腹して詫びよう」
謝罪した水無月龍臣は頭を上げ、おもむろに懐から、ひと振りの平造りの短刀を取り出した。柄を外した切腹用の短刀である。短刀を手にした彼は、それを一旦、地に置き、胸元を大きく開けて、腹部を晒す。
先に宣言した通りに切腹しょうとしていると理解したゴーシュが、切腹を行おうとしている義父を制した。
「切腹したら、話し合いどこれじゃなくなるよ」
「うむ。それもそうだったな」
ゴーシュに制された水無月龍臣は頷き、手にしてた短刀を懐に納めた。
「やるなら、今じゃないよ」
「そうだな、ははは」
ゴーシュの言葉に水無月龍臣は笑って答えた。そこに、思わず割って入ったのは美神光葉だ。
「笑い事じゃないですし、切腹はちゃんと止めなさい!。さっきから聞いていれば、時間が限られている中で、無駄話が多過ぎです。いい加減に事を進めてください」
「うむ。そうだな」
美神光葉に強く言われ、水無月龍臣は素直に納得し、メア・リメンター・バジリスクと向かい合う。
「ご覧の状況だ。援軍が到着して時間がない。〈アガレス〉が元老院に紛れ込んでいる以上は、メア殿を【戦闘狂】から解放させ、【謀反者討伐隊】に引き渡すことが出来なくなった。引き渡せば、恐らくメア殿は帰って来られなくなるだろう。拙者らも同様だ。正体を知られたからには、容赦はしないだろう。よって、拙者らは仲良く追われる身となった」
ははは、と水無月龍臣は暢気に笑った。
ゴホン、と美神光葉は咳払いをして見据える。表情からこれ以上は無駄話をするな、という意味合いであることを理解した水無月龍臣は、笑うことをやめて、話を続ける。
「だからといって、後悔はしとらんぞ。メア殿を元に戻そうとしたことは未だに諦めてはおらんからな。しかし、この状況下では、元に戻そうにも中途半端に終わってしまう恐れがある。────そこで、だ」
水無月龍臣は、提案する。
「メア殿。【創世敬団】、【異種共存連合】、【謀反者討伐隊】が手を出せぬ場所で事を進めたい。宜しいかな?」
「手を出せぬ場所……?」
手を出せない場所、と聞いてメアは首を傾げる。それもそのはずだ。三組織が手を出せない場所などハトラレ・アローラにはない。三組織が手を出せない世界線に行こうにも〈ゲート〉は【異種共存連合】、【謀反者討伐隊】の勢力圏内である中央大陸ナベルにある。〈アガレス〉に目を付けられている水無月龍臣たちは不容易に立ち入れることは出来ない。
一体、どこに三組織が手を出せない場所があるのだろうか。そんな彼女たちの疑問に水無月龍臣は答える。
「【世界維新】の本拠地に〈ゲート〉がある。そこからならば、いかなる世界線に行くことは容易い」
「【世界維新】……?」
メア・リメンター・バジリスクは、水無月龍臣の言葉に目を見開いた。
「【世界維新】とは、野性の欲に溺れ殺戮と暴食を繰り返す【創世敬団】や、【創世敬団】を討伐し、世界の均衡を守護する【謀反者討伐隊】、あらゆる生物との共存を主な目的とした【異種共存連合】を監視するという目的とした非公式組織だ。本来の目的を忘れ腐敗した場合、組織の解体・破壊するために設立された秘密組織でもある。メア殿を三組織から護るには【世界維新】で匿ってくれるのが一番良いだろう」
あそこならメア殿にかけられた【戦闘狂】も解術できる可能性は高い、と水無月龍臣は言った。
確かに、【世界維新】はハトラレ・アローラに置いて、三組織と情報の共有もなく、身柄の引き渡しの締結を行ってはいない唯一の組織だ。本拠地も不透明であり、三組織にはある程度の認識でしか知らされておらず、神出鬼没である。どこから現れては不正を暴いて去っていく。そんな秘密組織である【世界維新】に匿ってもらえば容易に手出しすることは出来ない。
だが。
【世界維新】に匿ってもらいたくとも問題はある。
「しかし、【世界維新】にどうやって匿ってもらいますか? 私たちを匿ってもらおうにも、【世界維新】がどこにあるのかも、どこで助けを求めれば良いかわかりませんよ」
美神光葉が【世界維新】に助けを請うための問題点を言った。
三組織との繋がりなんて殆どない。だからこそ連絡先など誰も知らない。知っているのは、【世界維新】に属しているものだけだろう。その者に取り次ぎたくとも、誰が【世界維新】なのかわからない状態では、助けを求めたくとも不可能といえる。
「うむ」
美神光葉の問いかけに水無月龍臣は頷く。
「もっともな意見だ。だが案ずるな。【世界維新】の拠点も、何処で助けを求めればよいのかも拙者は知っている」
「それはどうしてですか?」
「何故ならば────」
美神光葉の問いに、水無月龍臣は微笑みながら答える。
「────拙者らは、【世界維新】に席を置いているからだ」
水無月龍臣の言葉に、メア・リメンター・バジリスクと美神光葉は言葉を失った。
それも無理はない。秘密組織である【世界維新】のメンバーと名乗る者が目の前にいるのだからだ。今まで【世界維新】のメンバーが三組織に紛れ込んでいるという噂だけは聞いたことがあったが、実際に【世界維新】のメンバーだと名乗る者と会ったという実証はなく、存在事態は半信半疑だったといえる。だからこそ、【世界維新】のメンバーだと言った水無月龍臣に向けられるのは、興味と疑念である。
特に、美神光葉の顔が少しばかり真剣味を帯びたのを感じたゴーシュは彼女に警戒の視線を向けた。
彼女は【異種共存連合】及び【謀反者討伐隊】、【創世敬団】といった多重間諜を行っている。そのことにゴーシュは知っていた。
学舎に通っていた頃に、ゴーシュは美神光葉の正体に気付き、誰もいない場所で密かに全校生徒の情報を収集し、美神家本部に送っていた彼女に『やあ。美神光葉、隠密家業はどうなんだい?』と声をかけた。それをきっかけに、ゴーシュは学び舎に通っていた殆どを美神光葉に何度も漏らされる前に口封じとして暗殺されかかっていた毎日を送り続けていた。
何度か、『おっかない顔をするなよ。ボクも似たようなものさ。まあ。ボクの場合は、家業でも何でもないんだけどね』と制するが、美神光葉は信用できないと殺しにかかり、しかしゴーシュは死角を利用した動きで交わされ、両腕を固められた挙げ句、地に伏せられる形で返り討ちに合うというのが、二人の学び舎時代でのお決まりだった。体術には訓練を受けていており自信があった美神光葉はかなりの衝撃を受け、呆気なく躱された後の屈辱的な顔はゴーシュは今でも忘れられない。
それからお互い秘密を口外しないという約束を交わし、その後は同じ【部隊】に配属になるという奇異的な偶然を経て、腐れ縁のような付き合いを続けていた。
だからこそ、美神光葉が何を考えているのかが理解出来てしまう。逆に、彼女がゴーシュが理解しているのかと言えば、そうではない。お決まりの行動パターンは予測できるが、大抵は何となくしか把握ができてはいない。
お互いの理解度的にはゴーシュの方が軍配が上がっている。そんな彼が美神光葉の思考を読む。【世界維新】は三組織から煙たがられている。三組織がどうにか鬱陶しい【世界維新】のメンバーと名乗る者が目の前にあるのだ。それは、喉から手が出るくらい欲しい情報といえた。
まずは、水無月龍臣の言葉が嘘か真実か探った後、時機を見て情報を流出する恐れが十分にあり得るだろう。
ゴーシュは、美神光葉の動向を注意深く警戒しながら近づき、水無月龍臣とメア・リメンター・バジリスクに聞こえないように〈念話〉で送る。
『……美神光葉』
『何ですかゴーシュ……』
『わかっていると思うけどさ』
『わかっていますよ。このことは、内緒にしますよ』
『物分かりがよくってよかったよ。流石は、隠密を生業にしている美神家だね。もし、情報がひとつでも漏洩した場合は、それなりの対処をしとくから覚悟してね』
『それは一体、どんな対処なのか気になりますね……』
『それは秘密さ。まあ、【世界維新】は誰が情報漏洩したのかは特定するのが早いからね。そして、それらの対処もね。だから、ちょっとでも漏らすことはやめといた方がいいよ。これは同期生としての忠告さ』
『……御忠告、ありがとうございます』
そう〈念話〉で伝えてから、美神光葉はゴーシュを一瞥した。
隠密家業である美神光葉の家系上、忠告通りにおとなしくしている保証はない。それに〈アガレス〉の正体を知ってしまったからといって、三組織の多重間者である彼女はすぐに命を狙われる心配はない。
【創世敬団】の幹部から多重間者であることは知られている。今更、〈アガレス〉の正体を漏洩する恐れて暗殺するとは到底思えない。〈アガレス〉なら、美神光葉を使ってメア・リメンター・バジリスクやゴーシュたちの暗殺、【世界維新】の情報を狙って密偵として潜り込ませようと考える可能性がある。彼女も三組織のに多重間者を生業としてきた美神家の者だから、ゴーシュたちと一緒に【世界維新】に潜ろうとするはずだ。
だとしたら、美神光葉は外した方が得策といえるが、そうはしない。むしろ、それを理由にして、彼女を翻弄させたいのがゴーシュの性質である。
ふっ、とゴーシュは口端を上げて、
『じゃ、美神光葉。頼みたいことがあるんだけど、いいかな?』
と、美神光葉に〈念話〉で送った。
「拙者らと共に、【世界維新】に匿ってもらい、身を寄せながらも【戦闘狂】を解術せぬか?」
「で、でも……」
赤羽綺羅が気がかりで、メア・リメンター・バジリスクはまだ【世界維新】へ行く覚悟を決められないでいた。
〈アガレス〉がゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーへとなって赤羽宗家に仕えている限り、赤羽綺羅の安否が心配なのだろうかことは表情、仕草、態度などで水無月龍臣は窺い知ることが出来た。伸ばした腕を引っ込めて、水無月龍臣は迷いの種である原因を取り除けないか考える。
【謀反者討伐隊】の援軍が島に到着してしまっている以上は困難を極める。島から抜け出し、赤羽宗家が現在いるところを特定しながら侵入する手筈を整え、整えたら、警備隊の目をかい潜りながら赤羽綺羅を見つけ、捕獲。そのまま連れ出して、島に戻り、赤羽綺羅とメア・リメンター・バジリスクと共に【世界維新】に連れて行く。細かいことを入れれば、どう足掻いても時間も人手も足りない。
容易に、一緒に連れて行くとは言えない水無月龍臣は首を傾げ、どうすればいいか、考えている。
その最中である。
弱った獲物をつけ狙う有鱗目のような不吉な姿を現したのは──
暗い部屋の中に充満した影が蠢動したかと思うと、そこから、一人の少女が這い出てきたのである。
「見つけましたよ皆様方」
顔を上げると、ゆるふわロングの青髪がさらりと揺れ、蛇の頭が彫刻された白いお面があらわになる。顔は仮面によって覆い隠されている声質や格好から女性であることがわかった。
艶やかな青い髪が美しい。腕まで届くほどの長く漆黒の手袋をはめている。白光りする鱗を精巧に再現した蛇の仮面が顔を覆い、僅かに覗く肌は白磁のように白い。身につけているワンポイントに青を入れた黒を基調としたドレスと鎧は部分的に露出されている。
「あ、あなたは……ッ」
突如として現れた女性を見て驚きの声を上げた。
「ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーの命により、使わされましたレヴァイアサンです。これはこれは美神光葉もいらっしゃいましたか。それは丁度いいでしょう」
そう美神光葉の姿を認めたと同時に、魔方陣を展開させ、武器を召喚する。
召喚されたのは、反りのない直刀。日本では忍刀とも呼ばれる長さ六十センチほどの打刀よりも短い刀である。それを鞘から引き抜いた。
一瞬だけ忍びを連想した水無月龍臣だったが、どうも違う。忍びにしては忍刀を抜くには慣れていない。むしろ、鍔がない日本刀を抜いたことがないようにも思える。日本刀が不慣れな忍びというのは訊いたことはないことから忍びではない可能性は低いと考え、しげしげと見据えた。
「御主は、忍びの者か? もしくは、忍びの新米か? 拙者の故郷である日本に御主と似た者がいるのでな。勿論、対峙したこともある」
「忍びの者……? 違います違います。私はこう見えて【創世敬団】のグラ陣営を率いるレヴァイアサンです」
世間話をする容易さで言ったレヴァイアサンを名乗る白蛇の面を被った女性は掌をひらひらさせなから笑い声を漏らした。
「それはつまり──」
「────【創世敬団】の幹部です」
美神光葉がゴーシュが口にしょうとした言葉を言った。
「【創世敬団】の幹部とな……? 幹部が何故、此処に……………」
「私は、ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアー────〈アガレス〉に頼まれただけです」
「〈アガレス〉に何を頼まれたんだ……?」
「まあ。後始末ですね。メアちゃんの回収です。あ…………安心してください。あなたたちの処分は降されていませんから。恐らくこれから嫌がらせして行くと思いますけどね」
「聞き捨てならない言葉だけど、隠密家業を生業として身だからこそ言わせてもらいますが……あまり、べらべらと話し過ぎですよ」
美神光葉は呆れ声を出すがレヴァイアサンは動じない。それどころか、余裕は崩れた様子もなく、せせら笑う。
「ふふふ。話し過ぎではありませんよ。あなたたちごときにこんなことを話しても訊いてくれるなんて身内だけですからね」
「それはつまり、私たちに害を起こして行くということですか…………?」
「ええ」
そう言って、忍刀を構える。
「因みに、日本刀にしたのは、“黒き女剣豪”がいると訊いたので、対応しょうかと思って」
「あなたは、私を莫迦にしているんですね……」
美神光葉は明らかに不愉快をあらわにした。
日本刀は大きく分けて直刀、太刀、薙刀、短刀、打刀、脇差、槍に分けられる。美神光葉はあらゆる武器を扱えることができるが、主に得意なのは直刀、太刀、打刀である。麓々壹間刀は、六尺六寸一間────全長二メートルもある長刀だ。対して、レヴァイアサンの召喚した忍刀は、忍者が使用したとされる刀であり、携帯性や機能性を向上させるため、武士が使用する刀と比べて大きさや形状について小さい。通常の日本刀は刀身の長さが七十センチメートルcほどだが、忍刀は四十センチメートルだ。二メートルの長刀に対して、四十センチメートルの短刀づ挑もうとしていることに完全に莫迦されていると思われても仕方ない。
「その短刀で、私を相手にするということですか…………」
「うん。これで黒き剣豪”と称されたあなたの首を討てば、その称号は私のもの」
「称号については、別にあなたに渡してもいいけど、首は渡す気はありませんし、敗けるつもりはありませんが……」
そう言って、腰に携えていた六尺六寸一間────全長二メートルもある長刀────麓々壹間刀に手をかける。抜刀の構えを取り、美神光葉は臨戦体勢を取った。
二人の雰囲気を見た水無月龍臣は、何やら納得したように頷く。
「うむ。どうやら戦いは避けられぬようだが、レヴァイアサンとやら、拙者らを殺させぬと言った以上は、これは命をかけた戦いではなく、あくまでも試合ということだな?」
「……え、ええ。別に殺してもという命は言ってなかったわ。あくまでも無傷で」
「ほう。〈アガレス〉としては、これからの楽しみに拙者を生かしてほしいと見た。それは何故か、についてはわからぬが、大体の察しがついた」
「どういうことだい?」
ゴーシュが訊くと水無月龍臣は口を開く。
「そんなの決まっておる。ろくくなことだ」
そう答えた水無月龍臣は微笑ましそうな顔を浮かべていた。
「何だか嬉しそうだけど?」
「いや。皮肉だが、足掻く時間や、今生の別れになるかもしれん妻や愛娘と過ごせる時間も与えたのだ。勿論、そういった時間を見て潰しにかかるといったものも考えられるわけだがな」
「今生の別れ…………。ボクとして我愛しいの義妹────シルベットと別れるなんてヤダね」
「拙者も嫌だ。だからこそ足掻くのだ────〈アガレス〉の策謀を壊すために」
水無月龍臣は人間だ。外見は年上だが、生きた年月はゴーシュたちよりも下である。中身は年上である龍人よりも、年下の人間が動じず、龍人であるゴーシュよりも冷静に事を構えている。これは人生経験な豊富さによるものだろう。
水無月龍臣は、人間界──日本が戦乱の世の時に生まれ、幾度も混乱を乗り越えてきた。シルウィーンと出会って、幾多のハトラレ・アローラの戦いに巻き込まれ、さらに幾度の戦いを潜り抜けている。シルウィーンに与えられた水無月龍臣は不老不死とはいかないまでも、通常の人間よりも長生きをしており、外見上の年齢は五十代後半か六十代前半だが、推定年齢は五百歳は軽く過ぎているのは確かだ。
「そうだね。我愛しいの義妹────シルベットが悲しまなければボクはそれでいい」
そう言っていると、大長刀と忍刀を構えて、今にも戦いせんとする二人の女性に水無月龍臣は目を向ける。
「さて。麗しの女性たちよ。試合を始めようとするが、審判は必要かね?」
「いてもいなくともいいですよ……」
「私は、確実に勝利を証明できるのなら……」
「よし、わかった。では、ゴーシュに審判は頼もう」
「え……」
「え……」
水無月龍臣が審判を買って出るような雰囲気だったが、急なゴーシュの指名に彼女たちの顔が驚きの色に染まった。勿論、ゴーシュもだ。
「……ぼ、ボクかい?」
「ああ。屋敷で拙者とシルベットが手合わせしている時に何度かやっているだろ」
「まあ。でも……あれは、我愛しいの義妹────シルベットに頼まれて受け持っただけに過ぎないんだけど……────」
ゴーシュは断ろうとして、水無月龍臣に肩を鷲掴みにされた。微笑みを絶さないままに、父親らしく窘める。
「受け持ってくれるな……」
「…………わ、わかったよオトウサン……」
水無月龍臣の微笑みの圧に負けて、ゴーシュは不貞腐れて了承する。
「ぷッ…………!」
そんなゴーシュの姿を見て、美神光葉は吹き出しそうになった。吹き出してしまえば、腹を抱えて笑いこけてしまうだろう。これからレヴァイアサンと戦わなければならないにも拘らず、それでは示しがつかなくなる。何とか笑いを抑えようとするが、口端は少しばかり上がってしまう。
「美神光葉……。キミは少し失礼なんじゃないかな…………?」
唇をプルプルと動かして笑いを我慢している美神光葉にゴーシュが半目で見据えて言うと、「……い、いつものあなたほど、失礼ではないと思いますが……」、と何とか吹き出さずに彼女は言った。
二人を交互に見て、レヴァイアサンは何やら納得したように頷く。
「もしかして、二人は付き合ってた仲もしくは付き合っているの?」
「違います!」
「違う!」
二人はほぼ同時に、レヴァイアサンに否定の言葉を言った。
「こんな我愛しいの義妹とか毎回言う変態と付き合っているだなんて思われたくはありません!」
「こちらこそ、我愛しい義妹────シルベット以外に付き合いたいと思ったこともない!」
「そうなの?」
レヴァイアサンは、義父である水無月龍臣に目を向けて確認すると、その義父は苦笑いを浮かべる。
「そのようだ。拙者も先ほど、二人の仲良いやり取りに疑ったが、どうやら違うらしい。父親としては、義妹と付き合いたいと考えてしまっていることが心配だがな……」
水無月龍臣はそうレヴァイアサンに返して、二人を複雑な微笑みを浮かべて見た。
水無月龍臣の複雑そうな微笑みを向けられた当事者────美神光葉は水無月龍臣の視線から逃げるように顔を逸らし、もう一人の当事者であるゴーシュは肩を鷲掴みにしていた水無月龍臣を手を優しく振りほどくと、彼女たち二人の前まで仕方なくといったような様子で頭を掻きながら移動する。
ゴーシュに至っては心配されているのが慣れているのか、そんな動じた様子は窺えない。
そんな二人の様子を眺めていたレヴァイアサンは唇に人指し指を付けて、口を小さく開いて呟く。
「お似合いだと思ったのに…………」
レヴァイアサンのその声は二人の耳には届かなかった。
ふと、レヴァイアサンは顔を上げて思考を巡らせる。
僅か三拍の間を開けてから、忍刀を鞘に納めて右掌を見せた。
「美神……光葉」
「何でしょうか?」
「今回は、お互いにこの試合は不戦にしませんか……」
「何で、ですか……?」
レヴァイアサンの急な申し入れに美神光葉は麓々壹間刀を構えたまま疑問を言うと、彼女はう〜ん、と唸りながら答える。
「何て言うか、あなたたちを見ていたらやる気を失っちゃった……」
「どういう意味ですか……?」
「どうせなら試合じゃない方がいいかな、なんて……」
そう言って、レヴァイアサンは狂気的な目を美神光葉に向ける。
「──ッ!?」
その視線を向けられて、背筋に冷たいものが滴るのを美神光葉は感じた。これは殺意だと、理解したと同時に、レヴァイアサンはゆっくりと口を開く。
「殺し合いの方が楽しめそうだから」
「……わかりました。私は別に今でも構いませんがね」
「今じゃ、命令違反になっちゃうからね……」
「そうですか……」
「今は敗けにしておいてあげるよ。次は勝つからそのつもりでね」
レヴァイアサンは言ってから、暗い部屋の中に充満した影の中に入って去って行った。
その様子を眺めて、水無月龍臣と美神光葉は口にする。
「何やら彼女を本気にさせてしまったようだ……」
「どうやら私は次の標的にされたようですね……」
二人の言葉は的を得ていた。レヴァイアサンはゴーシュと親しくする美神光葉に嫉妬心が沸き起こり、殺せない試合ではなく、殺せる戦いを仕掛けるべく戻っていたのだろう。
何はともあれ、〈アガレス〉に此処にいることは知られてしまっていると考えた方がいいことは間違いない。
〈アガレス〉へ戻ったレヴァイアサンに再戦されては、拉致があかなくなる。
「まあ。早く此処から脱出しないと、いけないね。ということで、美神光葉?」
「何ですかゴーシュ・リンドブリム……」
「頼みがあるんだけど……いいかな?」
にィ、とゴーシュは口端を上げて笑った。
「美神光葉──キミは、とりあえず間諜として【創世敬団】でも、【異種共存連合】でも、【謀反者討伐隊】にでも戻ればいい。多重間者なんだから、そう易々と始末はされないはずだからさ」
「ゴーシュ────あなた……私がレヴァイアサンに目を付けられたからといって、厄介者扱いしょうとしてないでしょうね」
「別に……。どちらにせよ、【謀反者討伐隊】も【創世敬団】も利用価値があれば、そう易々と殺される心配はないというだけで。ボクらといると、不利になる可能性が高いというだけさ」
「確かに、レヴァイアサンはああ言いましたが、確実に殺されない保障はありませんよ。…………まあ、私の場合は交渉なり何なりすれば容易いでしょうけどね」
「その強かさについてとやかく言うつもりはないけど……、レヴァイアサンに狙われてしまったわけだからね。容易に手出し出来ないように【謀反者討伐隊】のところに行って、“【戦闘狂】は無事に捕縛した。水無月龍臣が責任もって連行しました”とか報告すればいいさ。全責任はタツオミがするよ。言い方を変えただけで、嘘は言っていないからね」
「あなたの強かさも私のことを言う筋合いはありませんね……まあ、そうですね。嘘は言ってませんし、水無月龍臣に連行したというなら途中で彼女が脱走しても責任は私にはありませんね。ですが……」
美しい眉間に皺を寄せて、美神光葉は言う。
「それだけで、信用してもらえますか?」
「そうだね。それだけじゃ無理だろうね。まあ、あとはキミの話術次第だね」
投げやりなゴーシュの答えに美神光葉は呆れ果てる。
「ちゃんと、しっかりと考えてくださいよ」
「ボクよりもキミの方が得意だろ、そういうの。まあ、後で何かあった場合は助けてあげるよ。例えば、キミが何かのミスをしてどっかに飛ばされたら、どんなことをしても引き戻してあげるさ」
「そんなヘマを私がするわけありません」
「ははは、そうだね。まあ、巧みな話術で【謀反者討伐隊】の援軍を言いくるめて見せてみてよ美神光葉」
ゴーシュはそう言って、美神光葉を送り出した。
◇
「では、拙者らも行こうか?」
「いえ、私は行きません」
「どうしてだ?」
「この先の未来、私がいつ【戦闘狂】に呑み込まれて自分を失うのかわからない。それでも私はやはり赤羽綺羅と一緒にいたい。彼を置いてはいけない。二度と会えなくなるのも厭。だから行けない」
「しかし、【世界維新】ならば【戦闘狂】を解術でき、元の自分を取り戻す可能性は十分にある。〈アガレス〉が元老院議院として潜り込んでいる以上は、【異種共存連合】や【謀反者討伐隊】、【創世敬団】よりも安全といえる。それに二度と会えなくなるわけではない。龍人は長命だ。一時的な別れに過ぎぬ。【謀反者討伐隊】に捕縛されれば、永久に監獄の中で封印されかねない。もしくは死刑も十分にあり得る」
「だからこそ。此処は私を再び監獄にでも封印されるべきよ」
「しかし、それでは〈アガレス〉の思うツボだ。【謀反者討伐隊】に捕縛されれば、どんなことを講じて罪人扱いだ。重刑はどんなことしても免れることはない。
」
「これまでいくつもの命を奪ってきたもの、当然の結果よ。如何なる場合も赦されべきではないわ。重んじて受け入れるべきよ」
「確かに、命を奪う罪は重い。しかし────そうなったのは、〈アガレス〉が企てたことに過ぎぬ。メア殿は大切な者を護るために行ったことだ。メア殿がその全てを背負うことはない」
「ええ。そうかもしれない。だからお願い」
メアは水無月龍臣を真っ直ぐと見つめて言う。
「私と誓約をしてからあなたの手で私を捕縛しなさい」
「……そ、それは一体、どういうことだ……?」
水無月龍臣の問われたメアは背を向けて、
「寿命が短い人間が長命の亜人といつ果たせるかわからない誓約は交わしてはいけないものということはわかっているわ。所詮は人間と龍人。力も命には歴然とした差はあります。自分よりも劣る相手に懇願するほど落ちぶれてはいませんが────それでも」
メア・リメンター・バジリスクは横顔だけを向ける。
「────あなたに誓約してほしい」
「……わかった。その誓約とは何だね」
水無月龍臣の言葉を聞いて、メア・リメンター・バジリスクは微笑み、口を開く。
「────私と綺羅の娘が〈アガレス〉────【創世敬団】や、【異種共存連合】や【謀反者討伐隊】にも手が届かない場所で、人間として育てられるようにお願いします」
◇
白夜が口にした”誓約”。それはメア・リメンター・バジリスク。そして――水無月龍臣がゴーシュと美神光葉が立会人として五年前に交わしたものである。
生まれながらの殺戮者にして、絶対的な捕食者である少女はハトラレ・アローラで指名手配され、南方大陸ボルコナよりも南方にある監獄島に収監されていたが──
五年前に監獄島から脱走し海を渡り、南方大陸ボルコナを経て中央大陸ナベルにかけて殺戮と捕食を繰り返し、迎撃したボルコナ兵及びナベル兵だけではなく、一般市民含む五十万以上の命を失った。
それだけではない。ナベルにある〈ゲート〉を通り抜け、人間界の日本まで逃亡をはかられてしまい、人間界に滞在する【謀反者討伐隊】が一万の犠牲と〈ゲート〉が出現した近辺周辺の村にいた人間の命を百人以上を奪われたことは、ハトラレ・アローラにとって記憶に新しい。
ハトラレ・アローラ、【異種共存連合】、【謀反者討伐隊】共に最大の汚点といえるこの脱獄劇は、一人の人間がメア・リメンター・バジリスクと誓約を交わした後に、起こったことだろう。
ひとまず、メア・リメンター・バジリスクが再び確保されたことにより幕を閉じたとされているが──
まだ終わっていないと、白夜の勘が言っている。
「…………そういうことでございますか。ですが、あの誓約は確か、水無月龍臣様と────」
「龍臣は現在、此処には来れない。あれも知っている通りだ。故に、己が来た」
「しかし、その時はお嬢様が不在ですし、私は当事者ではございませんがよろしいのでしょうか……」
シンにそう言われ白夜は思考を巡らせる。
──誓約には、四人の名前があったはずであるだが。
──どうやら誓約する前に立会人として名前が書かれただけなのか。
──はたまた……。
あらゆる可能性を考慮して、白夜はシンが嘘を吐かないように悟られないように術式を発動させて、シンに言う。
「大丈夫だ。向こうは煌焔に任せている。頭に血が上らない限りは上手く事を進めてくれるはずだ。ゴーシュが余計な口を聞かなければな…………」
「実に、不安になる一言ですね……まあ、よろしいでしょう。当事者がいない状況であります。条件付きでお引き受け致しましょう」
と、答えた。
「それはなんだ」
白夜の言葉にシンは、ニタリと狡猾な顔を浮かべる
「お嬢様────美神光葉様の生死を保障してくださいませ」
◇
──現在
ハトラレ・アローラ。
中央大陸ナベル。
通称“世界の臍”。
人間が五つの国境に隔てられた世界ハトラレ・アローラの中で、一際広大な中央大陸ナベルにあるゴールデンガーデン。
シャルロッテンブルク宮殿風建築の【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】の二つの組織がある本部。その地下に設えている大規模な秘密会議室。
中央をぐるりと数にしておよそ三百もの元老院議員達が囲んでいる中で、ガゼル────〈アガレス〉が血相を変えていく。額に青筋を刻み込み、苛立ちを露わにしている。
ガゼルとして元老院議院を率いて、テンクレプを糾弾している最中に突如として乱入した水無月龍臣が、ガゼルが敵の幹部である〈アガレス〉であると正体を晒されてしまった。
言葉だけなら、いくらでも言い訳が思いつくのだが──
水無月龍臣が証拠として提示したものは、人間界の記録媒体──〈メモリカード〉とキューブ型のハトラレ・アローラの記録媒体──〈メモリキューブ〉である。
それらには、これまでガゼルが〈アガレス〉となって黒いローブを被り、ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーと二重の変装を行い、【創世敬団】と接触し、密談を交わしている一部始終や、自分に歯向かう異分子である元老院議員を手にかけ、証拠を残さないように殺害しているといった証拠映像など、これまで〈アガレス〉が行った悪行の数々だった。
映像だけではなく音声までも記録されており、ほとんどが五年よりも前からの記録であり、〈アガレス〉でさえも思い出すにも時間がかかったものまである。多岐に渡る記録は、ハトラレ・アローラや人間界の歴史と照らし合わせれば、偽物ではないことは理解した他の元老院議院たちがガゼル────〈アガレス〉を批難し、そして恐怖する。
それは無理もないことだ。仲間だと思っていた者が敵とすり変わっていたのだから。テンクレプを糾弾していた元老院議院が一気にガゼル────〈アガレス〉に牙を剥く。
牙を剥くといっても、口先だけで戦っているのは憲兵である。
実につまらない。〈アガレス〉はガゼルの皮を剥がして、黒い衣を身に纏う。
にィ、と口端を上げて、眼前の水無月龍臣を見据える。
「予備の記録媒体に複写するのも忘れてない徹底ぶり去ることながら、静止画ではなく、動画や音声を入れてくるとはな。静止画だけでは、フェイクだと言い逃れが出来たのだがな」
「もう少しは、反対尋問を期待したのだが、思っていたよりも簡単に認めてしまっては面白くない。これまでのことを倍返ししょうと、これが本物であるという証拠など用意したのだが」
「そこまでして、仕返しをしたのか」
「当たり前だ」
水無月龍臣は腰に携えていた日本刀を手に取る。
「自分の正体を知った美神光葉殿を最北端に飛ばし、その始末をシルベットを人質にゴーシュに殺させ、宝剣を強奪した罪を背負わせる。ついでに、日本にいた拙者までも始末させようとメアを再び脱獄させ、人間界まで殺戮を繰り返させるとはな」
「こちらとしては、誤算だらけだったよ。ゴーシュは宝剣をどこかに隠されて証拠が不十分。その宝剣もいつの間にか人間界に渡り、人間の少年が持っているとか、検算が狂いまくりだ」
「貴様が翻弄しているのなら、こちらとしてはゴーシュに感謝だな。後ほど、ご褒美をやらんとな」
そう言いながら腰に携えていた日本刀を抜く。
「まずは、貴様を捕らえてからだ」
「ほう」
〈アガレス〉は不敵に微笑み、魔方陣を展開させ、黒い法衣を召喚する。
漆黒に紫と血のような深紅の糸で刺繍を施した〈アガレス〉がゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーとして行動する時に着込むものよりも高価そうな法衣だ。
バサッ、と法衣を広げて、躯に纏うと〈アガレス〉は魔方陣を黒衣の裏に展開させ、そこから一振りの刀剣を召喚する。
「ならば、あの時の続きをしょうではないか」
〈アガレス〉は召喚した刀剣を抜き、構える。
水無月龍臣もそれに倣い、日本刀を構えた。
「ああ。決着を付けよう」
凄まじい剣気が会議室に立ちこもり、室内は静まりかえる。
固唾も飲まずに、誰もが〈アガレス〉と水無月龍臣の闘いに注視する。息を吸い込むことさえも忘れさせるくらいの緊張感が室内を支配した。
合戦の報せは、誰かが不意に落とした筆が落とした音だった。
カチャ、という音が鳴り響いた瞬間。
水無月龍臣は地を蹴った。あまり力を入れたとも見えないのに、まるでその躯は翼でもあるかのように光の矢となって〈アガレス〉に向かってゆく。
〈アガレス〉もほぼ同時に地を蹴った。こちらは烈火の如く床を蹴り、波紋を描き、向かってくる水無月龍臣に肉薄する。 水無月龍臣は右下から左上へと振り上げて、神速の逆袈裟斬りを繰り出す。〈アガレス〉は左上から右下へと振り上げ、左袈裟斬りで応じ、それが激突した。
二者の高速接近による攻撃の余波は、周囲に衝撃波となって、固唾を飲まず見護っていた憲兵と元老院議院たちを吹き飛ばす。
ある者は床に尻餅をつき、伏す。ある者は壁に激突したり、机に叩きつけられたりと散々だが、それに構っている余裕などない水無月龍臣は、〈アガレス〉は剣檄を繰り広げられる。
それが嵐となって、会議室が荒れ狂う。三百も入る室内は、地獄絵図と化そうとしていた。




