表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/143

第一章 五十一




「思いを寄せている赤羽綺羅は、【創世敬団ジェネシス】だ。表向きでは、まだ【謀反者討伐隊トレトール・シャス】ということになっている。それはそうせざるを得ない理由があるからだろう」


「……そ、そんなこと知らない!」


「【創世敬団ジェネシス】では、序列三位であり幹部だ。ルシアスの魔力量を余裕で上回る要注意人物であることに変わりない。それに赤羽宗家には余罪がある。メア殿も知っているはずだ。そなたがその当事者だったはずだからだ」


「……ッ!?」


 水無月龍臣が言うと、メア・リメンター・バジリスクは気圧されたように息を詰ままらせた。混乱したように目をぐるぐると泳がせ、声を発する。


「……そ、そんなこと……、……だけど────」


 と──が何かを言おうとした瞬間。




【ダメですね。うちの小間使いをたぶらかしては】




 どこからともなく、男性のものとも女性のものともつかぬ声が、聞えてきた。


 突然、響いてきた得体の知れない声に水無月龍臣及び一同は訝しげに眉を潜める。


「……ッ!?」


 と、前方にいたメア・リメンター・バジリスクが脅えたような悲鳴を喉から漏らす。


「メア殿……?」


 水無月龍臣はメアを気遣いながらも、声がした方を目やる。


「ぃ、ゃ、ぁ……」


 メア・リメンター・バジリスクが恐る恐ると振り向き、眼球が飛び出さんばかりに目を見開いた。水無月龍臣もそれに気づき、微かに眉を歪め、険しい表情を形作る。


 庭園を囲んだ〈結界〉の外、透明な膜で隔てた向こう側で陰のようなものが蠢いていた。


 よくと目を凝らして様子を窺うと、そこには得体の知れない”何か”が立っているのがわかった。黒の法衣に身を包んでいる。それ以外に、”何か”としか他に形容するモノが出来ない。辛うじてフードの中からギラギラと狂気に満ちたと輝く黄金と深紅の双眸と異様に大きい口が見えているだけで、あとは漆黒しかない。肝心な中の実像が漆黒で捉えられることが出来ないである。


 まるで中身全体に漆黒の膜が覆って存在を認識させないようにしているような得体の知れない”何か”だ。


【メア・リメンター・バジリスク。ダメですよ。敵に耳を貸すだけではなく、このような貧相な茶会に参加しては。いくら同期生が一緒でも赦されることは出来ません】


 ざくっざくっ、と庭園の外から、わざとらしく足音を響かせて”何か”が近づいてくる。それにメア・リメンター・バジリスクはひどく脅えていた。それはわざと彼女を怖がらせているように感じた。


 水無月龍臣、続けてゴーシュと美神光葉は武器に手をかけて、近づく”何か”に警戒心を向ける。


 〈監視妨害〉と幻術を施した庭園の外から近づく声は、ゆらりと影をあらわにしていくが、やはり正体はおろか、性別の判別は不可能だ。辛うじて、長身と歩き方から男性のようにも感じるのだが、あてにはならないだろう。


 フードの中から黄金と深紅の双眸が水無月龍臣たちを捉え、ニタリと気味の悪い微笑みを作る。〈監視妨害〉と幻術を編み込んだ〈結界〉の外からでは、彼らを捉えることは難しいはずだが、”何か”は〈結界〉の中で起こっていることが視認できているようだ。


 ”何か”は、ゆっくりと右手を上げて、魔方陣を展開する。そこから漆黒の本を取り寄せると手に取り、一片の迷いなど見せずページを開いた。水無月龍臣たちまで届かない声で黒衣の来訪者が何やら呟くと、背後からハンマーを持った白い翼を背に生やした天使が顕現する。


【では、まずはその煩わしい術を破壊しましょうーかッ!】


 舞台役者のように大仰な身振り手振りをしながら”何か”は指示すると、背後の天使はハンマーを振りかぶると、思い切り〈監視妨害〉と幻術を編み込んだ〈結界〉目掛けて振るう。


 ハンマーは、庭園を囲んでいた〈監視妨害〉と幻術を編み込んだ〈結界〉に衝突。周囲を衝撃波と共に吹き飛ばす。


 バリン、と音を立てて〈結界〉にひびが入り、木っ端微塵に吹き飛ばし、破壊されてしまった。


 庭園に足を踏み入れて、”何か”は辺りを見渡すと、


【おーやおや。これは意外というべきか。それとも、予想通りというべきでしょうか。ミナヅキ・タツオミとゴーシュ・リンドブリムとミカミ・ミツハではないですかぁ】


 と、あからさまに驚いた反応をした。


 大袈裟な上に、大根役者ばりの身振り手振りな演技と〈結界〉を破壊する前の発言から、”何か”が水無月龍臣たちがいることを既に知っていたことは明白といえる。


 あからさまにも知らなかったという態度をする”何か”に水無月龍臣はじっくりと様子を窺いながら、何かを得たような顔を作った。


「ほう」


 水無月龍臣は見据える。


「まさかの力技とは恐れ入ったが、大事な茶会に土足で踏み入れることは頂けない。姿形については随分と変わってしまったようだが、性根というのは変わらないようだな────」


 彼の名前を口にする。




「ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーか……………………」




 ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアー、と水無月龍臣に呼ばれた”何か”はニヤリとフードから僅かに覗く口元を微笑みに形作った。


【よくぞ、おわかりでニホンのサムライ】


「久方ぶりだな。随分と中身を隠したいようだが、何か企てでも思いついたのか?」


 水無月龍臣は、メア・リメンター・バジリスクを庇うように、ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーと呼んだ漆黒の法衣の”何か”の前方に立ち、目を細めた。


 そんな彼に、ルシアスは大層可笑しそうに肩を竦める。


【キミも相変わらずお人よしなようで。────こちらの小間使いまでも優しくするとはね】


「なるほど。やはり貴様は貴様でしかないようだ。それで……一体何のご用かな。いくら仇敵を訪ねるにしても、随分と挨拶が粗暴に思われるのだが」


 ついでに趣味が悪い、と水無月龍臣は付け加えた。


【それは、すまないね。そう大層な用件も企てではないんだ。────そこの彼女を、連れ戻そうと思ってね】


 世間話をするような調子で、ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーはそう言った。いや、実際に、彼は世間話をしているつもりなのだろう。彼には感情がない。感情がないからこそ大仰な身振り手振りでそう見せかけているだけに過ぎない。あからさまに隠したいことをはぐらかし、論点を彼が此処に来た意味だけに集中させようとしている。


 だが──


 ギラギラと輝く彼の深紅と黄金の瞳には野心がありありと映し出されている。


 水無月龍臣はフッと唇の端を上げた。


「ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーよ。まだ彼女に【戦闘狂ナイトメア】とならせて、殺戮させようとした経緯について話してないぞ。それに彼女の引き渡しに拙者が嫌だと言ったら、どうするのだ。拙者たちを殺すというのか?」


【そうか。そうだったね。それでは彼女を連れていく意味がなくなってしまうね。どちらにせよ、こちらの考えた”遊び”の準備は整ったから、もう明かしていいんだけどね。ただ、彼女には帰ってきてもらわないと困るんだよ。せっかく監獄から出してあげて、【戦闘狂ナイトメア】にさせてあげたんだから。────それに、赤羽綺羅が悲しむからね】


 ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーは支離滅裂な言葉を言いながら肩を竦めると、すっと目を細めてメア・リメンター・バジリスクを見据えた。彼の言葉と視線に彼女の背中が、ビクッと跳ねた。


【ミナヅキタツオミ。そうだね。どうしても、と言うのならば】


 右手を前に突き出して、静かに告げる。


【──少し遊んでくれないか?】


 するとその瞬間、彼の手の周りに闇が渦巻き、一降りの刀剣が姿を現した。


 シンプルな形をした両刃の武器である。刀身に宿る禍々しさは漏れ溢れている。


「ふむ……」


 水無月龍臣は目の前に現れたあまりにも禍々しい刀剣に、小さく唸りながら顎に手を置いた。


 相手は亜人であり、得体の知れない。自分は”少しだけ”剣術に覚えがある人間だが、出来ることならば今は相手にはしたくはない。


 当初の目的は、メア・リメンター・バジリスクに現在ある立場を知ってもらい、”あること”をお願いすることにある。


 無用な戦闘は避けたいが──彼の性格上では、素直に聞き入れてはくれないだろう。


「受けて立つことは吝かではないが、野暮用を済ませてからでもよいのなら、という条件付きだが、よろしいかな?」


「ダメだ。今がいい」


「そうか……。話し合いで生けとし生ける者が死なぬならば、拙者はそっちを選ぶのだが……」


「残念だけど、絶望を司るルシアスの配下のボクとしてはそんなつまらない選択はしたくない」


「そうか……残念だ」


 水無月龍臣は小さく息を吐くと、一歩足を前に踏み出した。


 が、そこで後方から肩を掴まれる。


 ──ゴーシュだ。


「お義父さん、よしなよ」


「大丈夫だゴーシュよ」


「だけどさ、アレには【謀反者討伐隊トレトール・シャス】が総動員しても勝てなかったんだ。人間であるお義父さんが勝てる相手じゃない」


「わかっている」


 水無月龍臣は優しく微笑みながらゴーシュの手を外すと、前方に歩いていった。


「…………あと、数回で小一時間が限度か」


 水無月龍臣はゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーの方に進みながら、誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟く。


「拙者としては、まだ消滅するわけにはいかない。愛する妻のため、血は繋がってはいないが可愛い息子のため、初々しい愛娘のためにも、まだ朽ち果てるわけにはいかない」


 ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーの前に立つ。


「さて……始めようか」


「数百年ぶりの邂逅だね。愉しみだ」


 ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーが笑う。


 水無月龍臣はそれに応じるように口元を笑みの形にすると、腰を低くして携えていた刀剣────天羽々斬に手をかける。


 納刀状態のまま、前傾姿勢で構えると、ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーは禍々しい剣を抜き、構えた。


 凄まじいほどの剣気が日本庭園を押し包み、向かい合う両者の戦意が大気を震わせる。風が凪ぎ、虫も静まり返り、無音となった日本庭園の中、その光景を見ていたゴーシュたちは息を呑む。


 周囲の音がなくなった時間はほんの僅かだが、永遠にも感じてしまうほどの緊張感が漂う。


 余りにも無音状態が堪えなくなった風が吹き、落ちた葉が小さな池の水面に、小さく何気ない音が合戦の合図となった。


 水無月龍臣は納刀状態から地面を蹴った反動で敵に向かい、突進しながら抜刀し、片手横一文字斬りでゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーの首を目掛けて天羽々斬を振るう。


 ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーは、自分の首を目掛けて振るわれた天羽々斬の刀身を禍々しい剣で受け止めて、首を飛ばされるのを食い止めた。


 一斬目が阻止されたが構わず、水無月龍臣は突入する。護身用でシルウィーンから持たされていた小瓶を口にし、一気に飲み干す。


 中身は、龍人────銀龍族であるシルウィーンの血液で出来た増強剤である。服用することにより、小一時間ほどは人間でも亜人並みの身体能力を得ることが出来る。ただし、何度も使えるわけではない。効果が切れたら、しばらくは使用することはできないどころか、身体的な負担は大きいという諸刃の刃だ。


 水無月龍臣は、シルウィーンの血液の効果が切れる小一時間で決着を付けるために、天羽々斬を振るう。


 ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーは、水無月龍臣と戦うことに狂喜をあらわにし、剣を振るった。


 白銀と漆黒がぶつかり合い、ただひたすらに剣戟が鳴り響かせる。揺らめく白刃が狙うは互いの命。閃く剣閃は、紅いの月光を照らされてもなおも強く輝かせる。この世界では珍しい侍風情の人間は、全身を黒に染めた異性の判別できない異質な者と火花を散らす。


 刀気と狂気。


 ぶつかり合う両者に、言葉を交わすことはなく、ひたすらに鋭い響かせて、火花を飛び散らせている。


 剣神さえもうならせるほど美しく洗練された剣舞のように、白銀の侍────水無月龍臣は異形の者に左右に大きく蛇行しながら突進し、川のうねりのような足運びで、すれ違いざまに軸足を中心にして身体を回転させながら刀を振り、切先の慣性を加速させて袈裟斬りの連撃を左右に浴びせる。


 矢継ぎ早に、休みなく。


 そして、容赦なく。


 連撃。連撃に次ぐ連撃を。


 風を巻き起こすが如し。


 長剣の流麗な動きからは想像もできない苛烈な威力をゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーに叩き込む。


 体力を大きく消耗するが、敵に間合いや太刀筋を読ませないという利点がある連撃技だ。袈裟懸けの斬り下ろし、次いでゴルフスウィングのような一太刀を繰り出すと、斬撃を躱すことも、剣で防ぐことも出来ずに、ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーは水無月龍臣の剣撃を喰らう。斬撃を受けるたび、異質な者────ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーの躰が左右と激しく揺れる。


 反撃も出来ずに、一方的な攻撃となったが、それでも白銀の人間────水無月龍臣は刀を振るうのをやめない。それは相手する相手は、このくらいで死なないことを理解しているからだ。


 ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーは眼前の水無月龍臣の剣撃を正面から受け、浴びせられても、彼の微笑みは消えない。


 防御力が皆無の黒いロープには、数々の剣撃の跡が刻まれ、深い赤が流れているのを見る限りでは攻撃が効いていないわけではない。ボロボロのロープには、僅かに赤黒く変色しているのが窺える。無傷ではないにもかかわらず、ギラギラとした眼に映るのは、狂喜。躰の奥底から沸き上がる狂った喜びと欲望を隠しもせず、水無月龍臣の剣撃を受けている。


 ──沸いている。


 ──喜んでいる。


 ──何かを企んでいる。


 おそらく、そのどちらも正解だろう。ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーは、僅かな情報だけだが、彼の能力や特性が似ている者が【創世敬団ジェネシス】にいたことを、かつて若き日の自分と妻が共に【創世敬団ジェネシス】と戦ったことの日のことを思い起こす。


 性別や年齢か判別の出来ない声、どんな攻撃を与えても狂喜の微笑みを絶やさなかったあの異常者を。


 だからこそ、攻撃を緩めてはならない。愛しいの妻の血液を飲み、一時的に亜人と化している水無月龍臣が亜人を上回る斬撃を繰り出せるのは、数回で小一時間が限度である。


 数回といっても一日に何度も使えるわけではない。少しでも長引けば、人間に戻った時の反動が起こる。本来の人間のリミッターを外し、亜人の力を得て増強させた反動は異常的な眠りと急激な痛覚と倦怠感となって水無月龍臣を戦闘不能へとさせてしまう。そうなれば、彼の勝利は間違いないだろう。


 だが。


 そうあってはならない。


 水無月龍臣は一旦の後退して、ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーの周囲を駆ける。左回転で渦を巻くように近づき、勢いをつける。


 七メートル付近までにゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーに迫った辺りで、上半身を大きく捩じって回転させて、刀身が大きく円を描かせて、ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーの左に一閃を放つ。


 黒いロープに左から右に入った線から深紅の飛沫が溢れた。それを確認する前に跳躍。再び刀身を起こし、上から真っ向斬りで行く二連撃。


 ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーの躰に十文字を描くように斬り口が開かれ、黒のロープは衣服の用途が出来ないほどの布切れとなって、“奴”の躰をあらわにする。


 “奴”の姿を見た時に、水無月龍臣は及び、ゴーシュ、美神光葉、メア・リメンター・バジリスクは言葉を失う。


 その様子を、ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーは悪意のある顔を見せる。




「これは失敬。私としたことが姿を見せてしまったようだ」




 やはり男か女か、子供か大人か、聖人か囚人かも分からない声は相変わらずだったが、容姿ははっきりと見て取れる。


 クロコダイルのような鱗を全身に纏い、両足はオオタカのような鉤爪を有した半分は男性でもう半分は女性の顔をした異形の者だった。


 そして──


 男性の方は、ゴーシュ、美神光葉、メア・リメンター・バジリスクが見知った顔をしていた。


「……ガゼル公爵」


 美神光葉がそう声を発した。


 ガゼル公爵。


 元老院議員。生粋の名門の上位貴族として生まれであり、才能に恵まれているが、性格に難があることで有名な男だ。


 しかし。


 本当の正体は、ガゼルなどではないことは、白銀の侍────水無月龍臣は気付いた。


 その名を、苛立たしげに言う。


「〈アガレス〉……」


 水無月龍臣が異形の者に呼んだその名に、美神光葉は目を見開く。彼女は【異種共存連合ヴィレー】、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】、【創世敬団ジェネシス】と多重間者を生業としているために、その名を聞いたことがあったのだろう。


 〈アガレス〉。


 【創世敬団ジェネシス】の幹部である。


 『ゴエティア』では、ソロモン七十二柱の魔神の一柱で、三十一の軍団を指揮する序列二番の大公爵と同じ名を持つ男性は、敵や仲間などに自分の正体をさらけ出すことを嫌い、いろんな性別と年齢の格好をしているとされる悪魔と同じ名を持つ者だ。


「いやはや、現在は絶賛元老院として密偵している身でね。ガゼルとしての役割を果たしているところだよ。まあ……本当の姿は違うがそれを見せてあげることは出来ない。何故なら、幾数度も姿を変えまくっていたからね、ははは」


 そう言って、近所話をするかのような気易さで言うゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーこと〈アガレス〉は、刀剣を構え直す。


「それよりも私はタツオミとの戦いが実に愉しい。だから続きを始めたいのだ」


「拙者としては、長引くと愛妻が淋しがられてしまう恐れがあってな。それに義理の息子の友人を待たせてしまっては心苦しいのだ。貴様との戯れはお開きにしたい」


 冗談とも本音ともつかない声音で言いながら、水無月龍臣は天羽々斬を低い位置で構える。


「そう言うなよ。まだ始まったばかりなのだから!」


 〈アガレス〉は、お返しとばかりに肉薄をし、剣を振るった。


 無音の剣閃が嵐のように押し寄せ、水無月龍臣は無数の剣撃でそれに応戦する。


 シルウィーンの血液によって得た増強された水無月龍臣の剣撃は一切の淀みがない。衣を翻して躱し、四角から致死の剣が放たれる。上下左右、致命の剣撃は角度を選ばない。


 〈アガレス〉の剣術は、確かに卓越している。それはこれまで数々の剣士や侍の剣術を自分の能力としてトレースしたからに他ならない。それでも敵わないほど、水無月龍臣は侍としての技量は卓越している。


 肉体の全盛期であった昔と比較すれば劣っているには間違いないが、それでも水無月龍臣がここまで純粋に剣技を磨き上げて得たもので、それをただ真似ただけの〈アガレス〉が勝ることはない。人間界で侍として生きてきた人生、ハトラレ・アローラで愛妻と培った剣術は、敵わぬ領域に成長していることは間違いない。


 刀と剣が真っ向から激突し、火花を軋らせる。鍔迫り合いを演じながら、刀身の向こうに見える紅いの瞳を水無月龍臣は睨んだ。


「人がこれまで苦労して得た技術を真似ただけでは、拙者には勝てぬぞ、〈アガレス〉。────貴様の斬撃はどれも軽い。拙者を凌駕する重荷を見せてみろう」


「────ほう。重みか。それは剣撃に重みを乗せろということか?」


「これまで生きたおもみを、だ」


 〈アガレス〉は交えた水無月龍臣の失望すら交えたその言葉に眉一つ動かさず口にした。その言葉に、水無月龍臣は失望の色をを濃くした。


 水無月龍臣は澄み渡る黒い瞳に、ギラギラな狂喜を灯す紅いの瞳以外はのっぺりと無感情の〈アガレス〉が見つめ返している。


「おもみ、か。下らないが面白い発想だな。斬撃に感情と経験を乗せるという貴様の剣技、是非とも、トレースしたい」


「感情や経験をそう易々と真似できるほど、歴史を刻んではおらぬ!」


 水無月龍臣は、力任せにではなく、思いを込めて天羽々斬を振るう。思いを乗せた刀身に白銀の光が帯びる。


 銀龍の血液によるものだが、どこか違う何かを〈アガレス〉は感じた。


「何だそれは……?」


 水無月龍臣と剣戟を交わす度に、〈アガレス〉の心は千々に乱れた。


 水無月龍臣の言う“おもみ”をトレースしょうとしたが出来ず、銀龍の能力をコピーしょうとしたが、彼のような剣撃を真似出来ない。


 どういうことだ……? と戸惑う〈アガレス〉に構わず、水無月龍臣はさらに“おもみ”を乗せる。


 水無月龍臣は剣の技量は卓越し、熟練の域にある。だが、それだけではない何かを持ってる。それを〈アガレス〉は理解出来ない。


 超常的と感じる力は、今の〈アガレス〉には決してわかることのないことだろう。


 剣力が甚大な陰りが見えるであろう血液の効果が消える時を待ちたいが、水無月龍臣はそれを赦さない。


 水無月龍臣に勝るには、彼を越える剣力を得る他にない。複製技ではない魂を削る荒行を経て、独自性の剣技でなければ。


 極限まで無駄なものを削り落として、水無月龍臣のように自らを剣と化すほどの荒行の果てにそれを達し、成し遂げた剣技でなければ、〈アガレス〉は水無月龍臣を越えられないことを悟る。


 天羽々斬が唸りを上げ、〈アガレス〉の剣が弾かれる。その反動すら利用して刃を振るうが、水無月龍臣はその反撃を見ることもせず、軌道を読み切って回避した。


 水無月龍臣は一気に決着を付けるために、〈アガレス〉に高速の斬撃を与える。


 上、切り返し、刺突、跳ね上げ、袈裟切り。


 〈アガレス〉はそれらを躱す。落ちてくる刃を受け、切り返す斬撃を流し、放たれる刺突を避け、跳ね上がる切っ先に身を回し、袈裟切りの刃を掲げた剣で絡め取り、反撃に転じる。


 防御が手数で上回り、たまらず〈アガレス〉が後退し、その間隙に水無月龍臣は躊躇せず飛び込んだ。


 水無月龍臣の剣速はまだ落ちない。それどころか時間が経過する度に速度を増している。早急に決着を付けならないのは、〈アガレス〉だった。追い詰め始められ、先ほどの余裕を確実に削がれていく。


 懐に飛び込む水無月龍臣を剣が迎え撃つ。


 〈アガレス〉の剣撃を水無月龍臣は天羽々斬で巻き上げ、負荷を与えると耐えかねた刀身にヒビが入った。同時に、剣が真上へ弾かれ、剣の半身が地面に突き刺さる。


 〈アガレス〉は一旦距離を取り、新たな剣を召喚しょうとするが、そうさせまいと水無月龍臣が肉薄して、一閃。


 召喚しょうとした左腕を斬り落とす。舌打ちして、すかさず右腕で剣を召喚し、肉薄した水無月龍臣に剣撃を仕掛ける。


 それを寸前の差で躱し、水無月龍臣は〈アガレス〉の周囲を大きく迂回しながら、力を込めると腕の筋肉が膨れ上がり、剣の柄が軋むほど握力がこもる。シルウィーンの血液に宿る司る力が水無月龍臣の腕から伝って、天羽々斬の刀身に注がれていく。


 ──ここで貴様との逢瀬を終わらせてやろう。


 人間ではあり得ない速度をもって、〈アガレス〉に急接近し、渾身の一撃を以て、白銀に輝く天羽々斬は振るわれた。


「──ッ!」


 刃の直撃の寸前、無感情だった〈アガレス〉の顔が歪むのを水無月龍臣の視線に映り込んだのを最後に、周囲が白銀の絶光に覆われた。




 白銀の絶光が晴れた頃には〈アガレス〉の姿はなかった。


 ただ──


 地面に突き刺さって天羽々斬の刀身が赤黒く変色した衣が残されていた。それを見て、水無月龍臣は寸前で逃がしたことを悟った。


 その直接。


 水無月龍臣は腰を下ろし、膝をついた。そのまま意識は混濁し、気を失ってしまった。




      ◇




 夜が白みを帯びて明けていく。太陽が少しずつ顔を出し、辺りに光が照らされ始めた頃には、島から立ち上る黒煙は少し小さくなっていた。


 【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の援軍が来たのだろう。あちこちにある火を部隊が消化し、【戦闘狂ナイトメア】に警戒しつつも、生存者の確認と救助にでも入ったのかもしれない。


 島内の外れにある廃墟の中の一室に身を潜めていたゴーシュは、都合の有無を考える。


 ゴーシュは気を失った水無月龍臣を背負い、メア・リメンター・バジリスクと美神光葉を引き連れて、誰にも邪魔されず場所をを夜通し探した。メアを【戦闘狂ナイトメア】の呪縛を解かない以上は、彼女を【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の援軍に引き渡すわけには行かない。


 彼らの目的は、メア・リメンター・バジリスクの討伐と島民の保護であって、【戦闘狂ナイトメア】の呪縛を解こうなんて考えてはいない。それどころか、【創世敬団ジェネシス】の幹部である〈アガレス〉が元老院議員であるガゼル公爵に成り代わっている。


 そのまま引き渡せば、彼女は重罪により監獄行きは免れない。それどころか、死刑もあり得る。正体を知ってしまった水無月龍臣やゴーシュ、美神光葉も無事には済まない。


 彼女が【戦闘狂ナイトメア】の呪縛を解けば、術式によるもので殺戮したと考え、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】は殺した魂の分だけの罪は問われるが死刑しょうという判決は通常は出にくいだろう。が、ガゼルに成り代わっている〈アガレス〉が自分の正体を知るゴーシュたちをそのまま生かしておくこと考え難い。だからこそ、ゴーシュたちは身を潜めることにした。


 木々が生い茂り、月光が届かない舗装はされている荒れ果てた山道をひたすらと進み。少し進むと細い脇道を発見する。その時に、メアが少しばかり戸惑ったのを感じたが、ぐずぐずしていれば【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の捜査隊に発見される恐れが孕んでいるため、構わず脇道に入り進むと屋敷を発見する。


 しばらく誰も住んでいなかった廃墟であった。


「まさか。此処がメアが幼い頃を過ごしていた旧リメンター家邸だったなんてね」


「ええ……」


 メアは悄然とした声で返事をした。


 屋敷に入って以降、メア・リメンター・バジリスクの元気はない。久方ぶりに昔住んでいた屋敷を訪れて、ノスタルジックな気分にでもなっているのだろうか。


 メアのことが気になったゴーシュは何気なく口を開く。


「随分と、広い屋敷に住んでいたんだねキミは」


「そんなことありませんよ。島内では五、六番目で。諸島全体からしたら十番目そこそこです」


「謙遜しているね。それでも十分に裕福な分類だよ」


「二人とも……」


 ゴーシュとメアの会話に、美神光葉の険悪な声が割って入った。


「今この状況で楽しく話さないでください。彼らの中で僅かの音でも捉えられる術式や能力をもっている方がいたらどうするんですか? 緊急事態であるこの状況にふざけないでください」


 美神光葉は半目で見据える。


「そういえば、そんな感じの術式や能力を持ったのがいたね」


「いましたね」


 美神光葉の言葉に答えた。


 納得いってない答えだったのか。美神光葉はあきれ果てている。


「どういう状況かわかっているでしょう二人とも」


「どういう状況? 【戦闘狂ナイトメア】となった同期生を何とか戻すために話し合いの場を設けようとしている、で間違いないだろ?」


「私は話し合いの場を設けるための場所を案内し終えて少し休んでいるだけですが……」


 それが何か? とメアは小首を傾げてみせる。


「確かに、二人とも間違ってはいないのですが……。それが駆けつけた軍がどう捉えられますか? 私としては、端から見れば【戦闘狂ナイトメア】を匿っている二人になりませんよ」


「ああ。そういうことね……」


「それはあり得ますね……」


「そうことね、や、あり得ますね、ではありません。もう少し危機管理を持ってください!」


 美神光葉に声を荒げた。


「キミもボクらのことを言えなくなったようだね」


「あ……」


 我に返った美神光葉は、恥ずかしいと悔しいの綯い交ぜにした顔でそっぽを向く。


「これもこれもあなた方が無駄話をするから……」


「そうだね。時間もそこまで残されていないことだし、美神光葉の言うとおり、此処は真剣な話をしょうじゃないか」


 そう言って、ゴーシュは話し合いを再開しょうとした──


 その時。


 気を失っていた水無月龍臣が目を覚ました。


「お。気がついたかい。なら、丁度良かったよ」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ