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第一章 四十九




 ──八年前。


 人間界的季節は、秋にあたる。


 ハトラレ・アローラ。南方大陸ボルコナと中央大陸ナベルの中間に位置する、総面積七十平方キロメートルほどの島である。不知火諸島にて。




 辺りの景色が燃え上がっている。


 紅蓮の炎が、人々の住まいや家具などに灼熱の牙を剥いて、噛み砕き、咀嚼音をたて喰らい尽くそうとしている。蛇の舌先にも似た炎熱がちろちろと燃え草を探してとぐろを巻き、その息吹は轟音を上げていた。


 炎揺らめく村には、道に刻まれた幾つものクレーター。辺り一面に散らばる屍があった。それらは全てが流れる間もなく焦げた血は、どす黒く染められ、ゴミを投げるように打ち捨てられているようにぞんざいに放置されている。


 暗黒の空を見上げると、血のような深い紅に染められた月が地上を照らし、幾千の亜人たちが一斉にある方向に向かっていた。


 そのある方向から激しい銃弾音と共に強烈なまでも光りが明滅する。


 亜人たちは突如として動きを止め、血飛沫を上げて墜落していく。千もいた亜人がそうやって数を減らしていった。時には、勇敢にも立ち向かおうとする者もいたが、無数の光りの刃が彼を微塵とされて消えた。


 空から攻めることは地獄を見ることになる。空から敵が観測するできるのならば、地上でも目標からはまる見えだ。目標の攻撃範囲が空に届かないのであれば、利があるが目標の攻撃範囲と的中率を考えば、空からでは分が悪い。


 目標の攻撃が届かない空域まで離れれば、今度は目標を視認しづらくなる。森や建物などの障害物に身を隠されば、確認することは難しい。術式を要して捉えようとしていることを、目標は十分に理解している。


 だが、目標は身を隠そうとは一切考えてはいない。


 自分を囮に群がってくる者を狂笑を上げて殺す、狂戦士である。




 美神光葉は、地獄のような光景に、強烈な目眩と嘔吐感を覚えながらも戦場を駆けていた。


 用心するように障害物の影に隠れながら様子を窺いながらも目標まで進む。出現予想地点まで近づくと、速度を落とし、足を止め、物陰に隠れて待つ。


 相変わらず周囲には断末魔が響いている。時が進むに連れて鼓動音が早くなっていく。早鐘のような鼓動を殺そうと呼吸を深くして落ち着かせようとするがいつもと違い、なかなか鎮まってくれない。


 これまで、幾千の戦場を経験したがここまで緊張感はなかった。隠密を生業にしている美神家の一人娘である彼女は間者として必要な英才教育されていた。


 よって、あらゆる暗殺術を取得した彼女は、一般の同期生よりも戦場に慣れている。


 にもかかわらず、ここまで緊張感が募るのは、今回の目標の正体を聞いてしまったからだろう。その名を聞いて、彼女の心が混乱してしまい、間者とは考えられないくらいに冷静さを保てなくなっていた。


 気を落ち着けようと、冷静になれと自分に言い聞かせながら、必死に自制する。此処で冷静さを保てなくって何が間者だしっかりやれ自分、と己を鼓舞する。油断が命取りの戦場で冷静さを欠いたら、屍と化してしまう。もうそうなれば彼女を抑え止める者は誰もいなくなってしまうかもしれないのだから。


 きっと幾つもの街が滅びるだろう。街だけではない国もだ。もしかすると、全世界線にも被害が及ぶかもしれない。ここで止めなければ、幾人もの命が亡くなる。”彼女”にはそうなってほしくはない。


 この先で犠牲になるのは、この世界に生けとし生ける者たち全てだ。それだけは、なんとかしてでも止めねばならない。


 美神光葉が全身に蟠る緊張感を奥歯を噛みしめて捩じ伏せようとしている。




 ──くす、くす、と。




 誰かが、笑っった。


「……っ!?」


 肩を揺らし、バッと顔を上げる。


「お久しぶりですね」


 声がした。辺りに響き渡り、どの方角からしたのかは窺い知れないが、その声には聞き覚えがあった。その声が彼女の声と重なり、戦慄して金縛りにかかったように動かなくなる。


 間違いない。相手が幻術で惑わせていなければ彼女の声だ。それを振り払うように腰に携えていた刀に手を伸ばすと、


「返事もないなんてひどいですねぇ。久しぶりに会った同期生に対して」


 眼前の森から残念そうな声が聞こえてきた。


 美神光葉は、麓々壹間刀をいつでも抜き放つ準備を整えながら暗闇が支配する森を見据える。


 ──影が。


 暗い森の中に充満した影が蠢動したかと思うと、そこから、一人の少女が進み出てきたのである。


 闇のような漆黒のドレスを身に纏った、華奢な体躯の少女は影のような、なんて形容がよく似合う服装をしている。肌は真珠のように白く滑らかで、襟元から覗く首は、少し力を入れて握れば折れてしまうのではないかと思えるほどに細い。


 もっとも特徴的なのは前髪である。恐ろしく端整な顔立ちをしているのだが……前髪が異様に長く、特に顔の左半分を覆い隠してしまっている。


 とても戦場に似つかわしい容姿した少女は、【戦闘狂ナイトメア】と呼ばれているということを、彼女────美神光葉が気づくには時間はかからなかった。


 【戦闘狂ナイトメア】。


 自分と同じ種族や、親しき者を悠長せずに歪んだ笑みを顔に貼り付けて、食い殺していくその姿は──悪魔そのもの。


 聞く者の全てに腹の底に冷たいものが広がっていくかのような笑い声を発しながら、次々と殺戮を繰り返していく。


 殺戮に次ぐ、殺戮。


 戦を求めて、相手を殺す快楽を得た者は、猟奇的な微笑みを浮かべていて容赦なく斬り殺していく。


 亜人から人間、様々な種族が入れ乱れての戦争。いや、戦争ではない。一人の少女による一方的で殺戮である。


 【戦闘狂ナイトメア】は、ハトラレ・アローラで指名手配にされており、嫌でも情報や動向は耳に入っていた。


 が──。


 それ以上に、美神光葉を驚愕させたのは、彼女の顔だろう。なぜなら、その顔は見覚えがある同期生の顔をしていたのだから。


 メア・リメンター・バジリスク。


 彼女は、美神光葉の同期生にして【謀反者討伐隊トレトール・シャス】で同じ【部隊チーム】に配属していた【部隊員チームメイト】である。


 学舎の時に、メア・リメンター・バジリスクについて、既に調査済みであった。彼女については、赤羽家に養女として拾われるまでは不知火諸島の領主であるリメンター家の一人娘であったこと以外、情報があまりにも少なかった。


 同じ【部隊チーム】に配属されてから、よく付き合うようになり、メア・リメンター・バジリスクと接する時間が長くなった。それにより、【戦闘狂ナイトメア】と関連付ける言動が度々あった。現在、確認されている【戦闘狂ナイトメア】は二人。そのうちの一人と種族が同じことと容姿は似ており、最初に観測された場所が彼女の故郷である不知火諸島であることや共通点があったことから調査をした結果、【戦闘狂ナイトメア】である可能性は九十パーセントを超えていたことは、ほんの少し前に発覚したばかりだ。


 ゴーシュ、美神光葉、水波女蒼天、赤羽綺羅、白蓮、そして────メア・リメンター・バジリスクといった顔ぶれの中で一番仲が良かった【部隊員チームメイト】は彼女だった。間者といった立場上、気軽に話すことが出来ない美神光葉が彼女と話していた時だけ生業や任務を忘れられた安らぎの時間だった。赤羽綺羅への想いを訊いてから何となく予想していた。


 彼に対しての恋バナを語っている時に時折、ある名が度々、思わず口にしかけていた。それは正体不明ながらも重要危険人物として上げられる名。だからこそ、こういう日が来るとは予想はついていたのだが……。


 どうやら心の方の準備が出来ていなかったようだ。


「驚かれないんですね」


「いろいろと、調査したから」


「わかっていた、と?」


「知ったのは、ついさっきですけど……」


「そうですか……」


 メア・リメンター・バジリスク────【戦闘狂ナイトメア】は少し哀しげな顔を浮かべてから、ニヤリと不気味な微笑みを浮かべて、


「じゃあ、遠慮なく」


 と、肉薄してきた。美神光葉は応戦する。


 メア・リメンター・バジリスクの手には、鈍い輝きを放つ凶器が握られている。武器コレクターという物騒な趣味を持つ美神光葉は、ククリナイフ、であることがわかった。


 刹那。


 脳内にある知識が浮かぶ。刃渡り三十センチ近い古代ギリシァの湾刀が発祥とされる鉈だ。重く幅広の刃はくの字に折れている俗に内反りとされる刀剣の一種だということだ。先端の重みで斧のように獲物を断ち切る武器であり、その威力と凶悪さは想像に難くない。


 これまで切り裂いてきた者の血を吹き流し、一本の線を描きながら美神光葉の首を目掛けて振り下ろされる。


 対する美神光葉は、六尺六寸一間────全長二メートルもある長刀────麓々壹間刀だ。


 僅か一メートル先まで迫った【戦闘狂ナイトメア】に振り抜くには困難だ。遅れをとってしまった美神光葉は〈結界〉の術式を行使する。


 何とか一斬を食い止めた。一斬を止められた【戦闘狂ナイトメア】は即座にバク転で後ろへ下がる。その隙を狙い、麓々壹間刀を振るう。


 【戦闘狂ナイトメア】は、ククリナイフを振りかぶり、身軽にステップを踏み、美神光葉の刃をくぐり抜けていく。


 ”黒き女剣豪”こと美神光葉は麓々壹間刀の刀身を蛇のように変化させて、【戦闘狂ナイトメア】を捕らえようとするが、【戦闘狂ナイトメア】は軟体動物のように躯を変化させて、麓々壹間刀の刀身をくぐり抜ける。


「きひ、ひひひひひひひひひひひひッ」


 “あからさまに”狂った哄笑を上げて、ククリナイフを振り回しながら、殺戮者は再接近をはかる。


 美神光葉は右手を前に出して、魔方陣を展開。二十本の弓矢が召喚。間髪いれずに、接近する【戦闘狂ナイトメア】に放射。


 彼女の全身に弓矢が叩き────つけられなかった。


「──うッ!?」


 その瞬間辺りを襲った異変に、眉をひそめた。


 周囲が立ちくらみでも起こしたかのような視界がふっと暗くなったかと思った刹那、全身を途方もない倦怠感と虚脱感が襲ったのである。


 まるで空気が粘性を持ったかのように、重くドロッと手足に絡みつく。その場に膝を突きそうになるのをなんとか堪え、姿勢を保った。


「──きひひ、ひひひひひひひひひ」


 唇を歪んだ三日月の形にし、笑みを漏らした【戦闘狂ナイトメア】の顔が眼前にあった。


 美神光葉は即座に麓々壹間刀を振るって躱す。後退して距離を取り様子を窺う。


 一体、何が起こったか。美神光葉は混乱した。


 確かに【戦闘狂ナイトメア】は二十本の弓矢が叩きつけられるはずだった。避けられるはずがない。いや、彼女は避けようとも思っていないのか、真正面から接近していたはずだが……。


 その直前に、得体の知れない感覚に襲われ、視界が歪んでいる最中に突如として眼前に顕れた。これは一体どういうことなのか。思考を巡らす美神光葉の鼓膜を【戦闘狂ナイトメア】の哄笑が届く。


「──きひひ、ひひひひひひひひひ、躱されてしまったようね。殺しがいがあって楽しめそう」


 攻撃を防がれた殺戮者は凶刃を顔の前に持ち上げ、恍惚の表情を浮かべた。


 殺意に濡れた瞳に見つめられて息を呑む美神光葉は警戒心をあらわにして、麓々壹間刀を構える。


 そんな彼女を【戦闘狂ナイトメア】は愛おしげに見下した。


「無駄に長い刀ひとつで、私に勝てるかしらね?」


「”黒き女剣豪”の称号は伊達じゃないどころを見せてあげる」


「いひ、ひひひひ、楽しみね。私があなたを殺すか、あなたが私を殺せるか──」


 低い姿勢を取り、【戦闘狂ナイトメア】は刃を正面へ突き出した途端に、突撃をした。


 亜人の域をはるかに超越していた身のこなしで急接近する。


 美神光葉は即座に右手で魔方陣を展開して弓矢を召喚して連射。同時に、左手で麓々壹間刀を振りかぶり、間合い──確実に仕留める時を待つ。


 身を回し、地を這うように身を伏せ、時に跳躍して天上に見えない壁であるのか、宙を蹴り速度を上げる。障害物を足場にして、美神光葉の弓矢を回避しながらも間合いに入る。


 美神光葉は麓々壹間刀を振るい、【戦闘狂ナイトメア】に容赦なく斬りかかる。【戦闘狂ナイトメア】はしなる刃で弓矢を砕きつつ、麓々壹間刀の斬撃が届く――


 その瞬間。


 再び、立ちくらみでも起こしたかのような視界がふっと暗くなった。途端に、全身を途方もない倦怠感と虚脱感が襲いかかる。


 重くドロッと手足に絡みついてくるのを必死に堪え、【戦闘狂ナイトメア】を見据えると──


 【戦闘狂ナイトメア】は身を捩って、美神光葉の斬撃を躱し、自分の影の中に海に飛び込むように入り込んだ。次に、彼女が姿を現したのは、美神光葉の足元──影から飛び出してきた。


 美神光葉は、飛び退いて躱す。すかさず麓々壹間刀を横薙ぎに振るい、応戦する。


 しかし、剣先は【戦闘狂ナイトメア】を貫かなかった。彼女の躯は、影のように霧散し、再び美神光葉の死角から姿を見せた。


 手にしているのは、ククリナイフではない。


 散弾銃だ。形状は、水平二連ソウドオフショットガンに似ているが、骸骨と骨組みの装飾が施されて禍々しさがある。


 【戦闘狂ナイトメア】は優雅な仕草で髪をかき上げると、常に前髪に隠されていた左目が露わになった。これまで閉じられていた左眼が開かれており、


「……」


 それを見て、美神光葉は眉をひそめる。


 水晶のように輝く右目の瞳に対して、左目は血のような深紅の瞳。それは左右非対象の異形の瞳――――オッドアイと呼ばれるものだった。


 しかし、それだけならば、不思議には思わなかった。変異種として生まれてくる亜人は稀に存在している。数は少ないが珍しくもない。もっとも注視するべきは、深紅の瞳の左目にある。


 無機的な深紅に、数字と文字が縦と横と斜めに並べられている。そう──【戦闘狂ナイトメア】の左目には、魔方陣そのものだった。


「〈束縛〉」


 【戦闘狂ナイトメア】がそう、口にするとじわりと影のようなものが左目に漏れ、一瞬のうちに、握る骸骨と骨組みの装飾が施された散弾銃────水平二連ソウドオフショットガンの銃口に吸い込まれていった。


「きひ、きひひ、きひひひひひひひひひひひひッ、さぁさ、どォうしますか? もう終わりデスよ」


 【戦闘狂ナイトメア】は引き金を弾く。美神光葉は応戦しょうとを振るおうとするが躯が動かない。同時に口を思い通りに動かないことに気づき、彼女は金縛り状態となっていた。


 動く眼球を限界まで動かし、周囲を探ると、自分の周りに赤黒い魔方陣が展開されていることに気づく。


 ──いつの間に、こんなものが……。


 心の問いに、答えたのは【戦闘狂ナイトメア】だった。


「それね。相手の行動を制限する〈束縛〉という私しか使えない術式なの。これで獲物の動きを封じてね。〈魔弾〉を撃ち込むの。狙いを外さないようにねいひ、ひひひひひひひひひひひひッ」


 そう言うと、左目の魔方陣が煌々と紅く光り出す。その瞬間、【戦闘狂ナイトメア】の魔力が左目に集まっていくのを美神光葉は感じ取った。


「〈魔弾〉」


 【戦闘狂ナイトメア】がそう、口にするとじわりと影のようなものが左目に漏れ、一瞬のうちに、握る骸骨と骨組みの装飾が施された散弾銃────水平二連ソウドオフショットガンの銃口に再び吸い込まれていくと、ガチャ、と弾丸が装填される音が聞こえた。


 その刹那。


 【戦闘狂ナイトメア】は少し寂しそうな顔をした。


 だがすぐにその顔に凄絶な笑みを貼り付けると、銃口を美神光葉の額にあてた。


「いひ、ひひひひひひひひひひひひ、私の勝ちです」


 そう口にして、【戦闘狂ナイトメア】が引き金を引こうと動かそうと指を動かした──


 その時。


「邪魔だて御免!」


 危機的状況下で声がした。それと同時に、散弾銃は吹き飛ばされた。


 ひゅうひゅう、と音を立てて、散弾銃は回りながら地面に突き刺さる。


 装填された魔力は霧散して消える。二人とも一瞬、何が起こったのか理解できずにいると、ある者が【戦闘狂ナイトメア】と美神光葉の間に顕れた。


「おなごが物騒なものを持って戦うのはやめてくだされ。ここひとつ絵札などといったものをお勧め致そう」


 銀に近い白髪混じりの短髪。刀身のような線の細い目に、どこか寡黙的な日本の侍のような佇まいをした男性が、【戦闘狂ナイトメア】の散弾銃を吹き飛ばし、彼女たちの間に屹立していた。


 身につけているのは浅葱色の着物。編み笠をかぶり、わらじ履き。腰には二刀を差している。編み笠を外し、にっこり笑う。女と見紛うばかりにたおやかな、綺麗な顔があらわになる。


 とても地上に幾千の骸があるとは考えられないくらいに星が美しい空を背にして現れた人間の男は、戦場に似つかしくないにこやかに微笑んだ。


「おぬしが【戦闘狂ナイトメア】でござるか。いやぁはや、悪魔とか化け物とか呼ばれておるから、男性だと思ったが、こんな可愛らしいおなごとは、この世界は侮れぬな」


 予想に反して、男性は寡黙的ではなかった。


「それはさておき、今日は空気が澄み、星がよく見える。風も程よく、心地好い。こんな美しい星が見える夜に争い事はいかん。非常にいかん。こんな日は団子を食して月見といった方がよい。調度よく、あそこに笹の葉がある」


 生けとし生ける者を狩る悪魔────【戦闘狂ナイトメア】を前に男は能天気な笑い声を上げながら、奇跡的に助かっていた笹の葉を指をさした。


 男が指し示した方にあったのは、コスモスや秋に咲く花や草木があり池などの地形が辛うじて残されていた。殺戮により荒れ果てた地形にただ一カ所だけ奇跡的に生き残った自然は風に揺れている。まるでこっちに来い、と誘っているかのように。


 だが。


 そんなことでは、【戦闘狂ナイトメア】の態度は変わらない。


「きひ、ひひひ、あなたも私に狩られたいようですね」


 と、凄絶な笑みを貼り付けた【戦闘狂ナイトメア】は銃口を男に向けた。それでもなお、男は大した驚きも恐れは一切ない。


 銃口を向けられてもなお、依然と朗らかな微笑みを浮かべ、優しく接する。【戦闘狂ナイトメア】のことを知らなかったのか。それとも彼女を知ってもなお、恐怖を抱いていないのか。【戦闘狂ナイトメア】の言葉に侍風情の男は首を傾げる。


「うむ? これはもしや、お誘いする言葉が間違っておったか。月見をしてのんびりと腹を割って話すつもりだったのだが……、月見は嫌いだったのか……。これは失敬した」


 そう口にして、笑いながら頭を下げた。


 メア・リメンター・バジリスクは殺戮者だ。誰もが恐れてしまうのが正常だといえる。


 彼女と対峙した者ならば一瞬のうちに理解できるだろう。笑みの形に作られた表情から感じ取れるのは、親愛の情や歓喜の色ではなく、絶対的な捕食者の余裕と、肌がちりつくような緊張感のみだった。


 メア・リメンター・バジリスクは、既に花や草木が戦場に残っていたことだけで目を奪われないほどに、心を擦り減らし、無作為に生けとし生ける者の命を奪う殺戮者と成り果ててしまっている。言葉での説得は難しい。


「私を前にすると、たいていの生き物は逃げるか無駄な反撃しょうとします。どちらも恐怖を貼り付けた顔ですが、あなたは違います。あなたのような方は、人間では初めてです」


「そうか。拙者はおなごに対して、常に話し合いから入るのだが……」


「なんと申し上げればよいのかわかりませんが、あなたは初めて会った女の方を躊躇なく誘う方でしょうか?」


 【戦闘狂ナイトメア】は警戒をあらわにした半目で男を見据えて言った。彼女の言葉に、男は一瞬、ポカンとした表情を浮かべると、はっはっはっ、と笑い声を上げる。


「これは失敬した。初めて会ったおなごを出会い頭に誘っているわけではない。拙者には既に、愛してる妻がいる。妻以外のおなごを娶る気はさらさらなければ、愛人を作ろうとしているわけではない。ただ単に、そなたがこのようなことをしてしまったわけを聞きたいだけだ」


 このような荒れ地で立ち話もなんだから、と男は戦場に生き残ったオアシスに誘った。


 男の誘いに、メア・リメンター・バジリスクは首を横に振って断る。


「ごめんなさい。名も身元もわからない男の誘いに乗るほど、私は軽くはありません」


 それに私には想い人がいますから、と話し合いの申し出を拒否した。


 想い人がいるのならば、異性と二人っきりになることは避けたくなる。それは当然だろう。如何なる場合に置いて、有らぬ誤解を招くかもしれない行動は極力避けなければならない。それによって、彼女にとって居場所がなくなるのだから。


「拙者とて、妻がいる。誤解されるわけにはいかない」


「でしたら何故?」


「大事な話をしたいからだ」


「私にはありません……」


「残念ながら拙者にはあるのだ。しかしお互いに思い人がいるにもかかわらず二人っきりはまずいのは理解している。だから、逢い引きではないということを証明してくれる者がいれば話せるとは思わんか」


「どういうことですか?」


 メア・リメンター・バジリスクは首を傾げる。


 妻がいるのならば、なおさら異性と二人っきりになることは気をつけなければならないのは明白だろう。近年の人間界でもそういった問題がニュースを騒がせている。痴情の縺れとはそう簡単に解けるわけではない。必ず遺恨が残り、深い隔たりを生んでしまう。


 そうならないように、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】でも、なるべく既婚者には異性と二人っきりにならないように配置している。


 だからこそ、男の誘いに疑問が浮かぶ。男の不倫にどうも感じないの妻ならば話しは別だが、彼の発言からそういうことではないようだ。


 そういった彼女の疑問を彼は答える。


「つまり証人となる者を同席させればよいのだ。拙者とそなたに愛人関係ではないと証明してくれる者がいれば、良からぬ疑いをかける心配もなくなる。腹を割って話せるというわけだ」


「あなたは何を言ってますか? そのような方がどこに────」


 メア・リメンター・バジリスクが言葉を言い終える前に男は彼女の前を手で示した。


「な……」


 美神光葉は驚愕と狼狽に目を見開きながら、叫びを上げることもなく男を不審げに見据える。


 男はメア・リメンター・バジリスクと会話している最中、ちらりと美神光葉を確認していたことから何かあるとは感じていたが、まさか愛人ではない証人に選ばれることは予想だにしていなかった。


 しかしこれは好機だと、美神光葉は瞬時に捉える。二人の証人として立ち会いに立てば少なくともすぐに殺されるという心配はなくなるだろう。それに証人としての立ち場を利用することも可能といえる。


 窮地に舞い降りた好機を掴もうと美神光葉は決断した。


「わかりました。あなた方二人の話し合いの立ち会い人となりましょう」


 そう答えた。


 その瞬間。


「一人じゃ証人としては不十分だからボクがしょう」


 声がした。


 美神光葉が答えるのを見計らったかのように、暗闇から一人の青年が現れたのである。


 赤い月の光りにも凌駕する目映いばかりに白銀の短髪。端麗な顔立ちと線が細いが程よくついた筋肉など黙っていれば涼しげな印象を与える美丈夫だ。さぞかし学舎で持て囃されることだろうと予想したがそうはならなかった。


 なぜなら──


「二人とも、命知らずだね。見ているこっちとしては、殺されないか心配だったよ」


「あなたは……」


「ゴーシュ・リンドブリム……」


 青年──ゴーシュ・リンドブリムの登場に、美神光葉は驚愕した。メア・リメンター・バジリスクも彼女と同様の反応をする。彼は彼女たちの学び舎の同期生であり、元【部隊チーム】の隊員から、その反応は当然といえる。


 ゴーシュの登場に、男は親しげに口を開く。


「それは悪いことをしたな」


「ああ。お義父さんが殺されては、我が愛しいの義妹────シルベットが悲しむ」


 ゴーシュは、胸ポケットから一枚の写真を取り出して、何度も口を添えた。


 相変わらず義妹を溺愛していて、美神光葉は引きながらも彼が何気に口にした言葉に疑問を口にする。


「お義父さん?」


「そうだよ」


 と、答えてから、お義父さんと呼んだ男に話しかける。


「まだ名乗ってなかったのかい?」


「これから名乗るところだ」


「礼儀としては、最初に名乗らなきゃダメだよ」


「そのつもりだったのだが……、随分と話し合いの場を設けるまでに時間がかかってしまったよ」


 ははは、と男は笑ってから前に出て姿勢を正すと、丁寧に頭を下げ、名乗った。


「拙者の名は、龍臣────水無月龍臣だ。名を明かすのに遅れてすまんな」


 にこりと顔を上げて、水無月龍臣と名を打ち明けた男は微笑んだ。


「水無月龍臣…………」


 その名前に、美神光葉は目を開いた。メア・リメンター・バジリスクも同じく反応をする。


 水無月龍臣。


 何度か聞いたことはあったが、直接会ったことは初めてである。


 シルウィーン・リンドブリムの現在の夫であり、ゴーシュ・リンドブリムの義理の父親。


 そして──人間界で、もっとも亜人と友好を築けた人間である。


 【異種共存連合ヴィレー】の創設するきっかけを作った彼の登場に、彼女たちは頬に汗を滲ませながら、彼を注視する。彼女たちから注目を一気に浴びる水無月龍臣は別段、態度を変えることは一切なく、口を開く。


「おぬしらのことはゴーシュから聞いておる。息子がどんなおなごと仲良いかを、為人を知りたくってな、話しが聞きたかったのだ」


「仲良くはありません。単なる腐れ縁です」


「特別、仲いいわけじゃありません。私にはもう心に決めた人がいますから」


 ゴーシュと仲良いと言われ、美神光葉とメア・リメンター・バジリスクは冷めた調子で、即座に否定した。


 ゴーシュがどんなことを義父に話したかは窺い知れないが、義妹大好き変態男である彼と好意関係があると誤解されては非常に迷惑である。彼女たちの拒否反応に、水無月龍臣はやれやれと肩をすくめる。


「ゴーシュがシルベットを好いてくれてありがたい。義父としては、嬉しい限りだが、愛しすぎるのも困りものだな」


 と、義理の息子を少し窘める。


「そうだね。人間の混血だなんて、ボクは認めるつもりはなかった。人間なんて生き物を軽蔑の目で見ていたのもある。シルベットがすくすくと育っていくのを見ているうちに可愛く思えてきてね。今や頭の中は愛しくってね。もう義妹でいっぱいさ」


 ゴーシュ・リンドブリムは、何度も口を添えていた写真から顔を上げて答えた。そんな彼に美神光葉とメア・リメンター・バジリスクは気持ち悪そうに見据える。


 ──こんな義妹大好き変態男と仲いいだなんて思われているなんて…………不服よ。


 ──気持ち悪い……。私、このかたと同期生で元【部隊隊員チームメイト】ですけど、友じゃありません。


 彼女たちはゴーシュの好感度を著しく低下させていった。そのことを露知らず、ゴーシュは義妹が写った写真に何度もほお擦りしている。


 ただ、水無月龍臣はゴーシュに対して好ましく思っていないことを彼女たちの態度から僅かながら感じとると、


「これこれ、彼女たちの前で写真に接吻とほお擦りをするでない」


 と、義理の息子を優しく窘めた。それに、はいはい、と手を振り、写真を胸ポケットに入れて応じると、不快感をあらわにした美神光葉を一瞥する。


「やあ。久方ぶりだね美神光葉」


「先月の【創世敬団ジェネシス】を討伐に会ったばかりなのですから、別に久しくはありません……」


「そうだっけ。どうも他のことに興味がなくってね。シルベットのことなら、零歳からわかるのだけれどね、ははは」


 同期生であり元【部隊隊員チームメイト】は悪びれせずに言って笑った。


 そのことに美神光葉は呆れ果てながらも、既に理解していた。ゴーシュ・リンドブリムという男はそういう男なのだと。


 ゴーシュは素直に話すということができない。それは敵味方分け隔てるわけではなく、彼の性質上だろう。幼い頃からゴーシュは他者をおちょくり回したりからかったりするのが好きだった。それは現在も変わらず、無駄口を叩き相手を苛立たせる。


 いちいち彼の言動に振り回されては話が進まない。このままだと無駄な時間を経ってしまい、肝心な話が聞けなくなると、美神光葉は彼の義父である水無月龍臣に視線を向ける。


「水無月龍臣。単刀直入に言いますが、何故あなたがここにいるのでしょうか?」


 美神光葉はゴーシュを無視して水無月龍臣に問いかけた。


 水無月龍臣は瞬時に、美神光葉が問いかけた意図を理解して、


「ゴーシュが話し好きですまないね」


 と、まずは頭を軽く下げ、ゴーシュの言動を詫びると、手を打つ。


「おぬしらに頼みたいことがあるのだ」


 そして、再び戦場に残ったオアシスの方へと指で示す。


「手短くしたいが、少しばかり話が長くなる。みんなであそこで茶で語り合いながら、受けるか受けないかを決めてもらえないだろうか」


 そういって、再び彼女たちを茶会に誘った。


「余計な演技は無しで、堂々としょう」




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