第一章 四十八
ハトラレ・アローラ。
中央大陸ナベル。
通称“世界の臍”。
人間が五つの国境に隔てられた世界ハトラレ・アローラの中で、一際広大な中央大陸ナベルにあるゴールデンガーデン。
雄大な自然に囲まれた土地に一際高い丘の上にて、【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】の二つの組織がある本部があった。
妖しくも美しい王宮だ。ドイツの首都、ベルリンにある宮殿──シャルロッテンブルク宮殿に似ている。それも無理はなかった。この王宮を建築した者は、人間界のドイツに行き、美しい王宮に感動し、影響を受けたことで知られている。
ただし、本家シャルロッテンブルク宮殿のすっきりとした印象ながらも優雅で、力強い直線と女性らしい曲線が融合した美しいシルエットは変わっていないものの、クリームイエローの外壁にブルーのドームの組み合わせであった外観は、白亜の外壁にレインボーのドームの組み合わせになっている。宮殿内部は、本家シャルロッテンブルク宮殿にあった王の権威の象徴としてギリシャやローマの英雄を題材にしたタペストリーの代わりにテンクレプを筆頭にした各大陸の守護者や元老院のタペストリーが飾られており、高さ四十八メートルの丸屋根の上に描かれているのは、ローマ神話における運命の女神、フォルトゥーナではなく、暁龍族と虹龍族の女神だ。
虹龍族の女神アイリス。
暁龍族の女神アローラ。
年の頃は、どちらも十四、五といった感じの少女だ。
アイリスは朱、橙、黄、緑、藍、紫と虹のようなカラフルな色彩豊かな虹髪。アローラは黒、紺、橙、朱、白と暁を体現したような色をした暁髪。腰まで届くほどの長い虹髪を三つ編みに括っている。アイリスに対して、アローラは肩くらいのミディアムヘアーである。
二人はそれぞれ形状の異なる槍を重ね合わせるように掲げている。アローラはスプーンのような幅広い先端の槍を。アイリスは二股分かれている穂先の槍を。共に、同じ柄の末端が二重螺旋構造となっている槍だ。
彼女たちの周囲には、彼女たちが龍化した姿を描かれている。
虹龍は、角を生やし蛇のように細く長い首と尾をうねらせ、胴体は蜥蜴のように二足歩行に近く、暁龍は、角を生やし蜥蜴のような少し長く太い首と胴体を持つ。
どちらも首から尾にかけて複数の羽翼を生やしているが、虹龍は片方の羽翼だけでも九はあり、両方の羽翼を合わせれば十八、合わせて九対の羽翼を持っているに対して、暁龍は片方は六はあり、両方の羽翼を合わせれば十二、三対の羽翼を持ち、虹龍よりは少ない。羽翼は少ない暁龍の方が長大で、もっとも短い羽翼は、虹龍でもっとも大きい真ん中の羽翼とほぼ同じ大きさだ。鱗の色は、虹龍は虹色、暁龍は暁色に輝いているという構図は幻想的で美しい。
本家シャルロッテンブルク宮殿に負けず劣らずの王宮となっている。
アローラとアイリスは、暗黒大陸から現れたヒドラと呼ばれる七つの頭を持つ大蛇をテンクレプら六名の聖獣らと共に戦った同じ英雄である。
ハトラレ・アローラの英雄神話には、彼女のことを語り継がれてはいるものの、共に戦ったテンクレプら六名の聖獣とは違い、六名の聖獣のように五大陸の領主に選ばれてはいない。
それには理由がある。暁龍族の女神アローラは、ヒドラに致命傷を与えるために自ら犠牲となって戦死してしまい、夫も巻き込まれて死滅。伝承では、虹龍となっているがそれは元老院議員によって改ざんされたためだ。
元老院議員たちは虹龍を嫌っている諸説あるが、真実は僅か少数しか知られてはいない。無事に生き残ったアローラの一人娘は暁龍族の女神を継いだが、領主になることを拒否し、ハトラレ・アローラとも人間界とも違う未開拓の世界へ、世界創造を目的とした旅へ行ってしまったまま帰ってこない。
虹龍族の女神アイリスもアローラの娘と同じように領主になることを拒否し、彼女とは違う別に未開拓の世界へ赴くために旅立ってしまった。そのため、虹龍族と暁龍族は別の異世界に移り住んだために、ハトラレ・アローラにも人間界にも領地はない。一族ごと旅立って以来、虹龍と暁龍は、ハトラレ・アローラには帰還はしていない。
アローラとアイリスの描かれている広間を抜け、外観と内観に多少の違いはあるものの絵画やシャンデリア、タペストリー、陶磁器などで豪華に飾られているきらびやかな廊下を進んでいき、本棟を抜けた最奥に本家シャルロッテンブルク宮殿にはない扉があった。
地下に降りた階段の先にあった扉の中には、広大な部屋が建築されている。地下のために窓もなく、外部からの光りが遮断され、蝋燭の光りだけが頼りの暗がりに円卓だけが置かれている。豪勢な陶磁器など飾られていない。
広間全体には盗聴や盗撮といった術式や器具が使えないように、高度な魔術結界は張られており、客人をもてなすというよりは秘密裏に会議する、といった適した部屋といえる。
その場に、大勢の者たちが集められていた。いかめしい顔つきの男達が座って、中央をぐるりと囲んでいる。数にしておよそ三百人。ハトラレ・アローラを事実上の支配者、その階級の代表たる、元老院議員達であった。
この世界において元老院議員は、五つの大陸に存在する助言機関、または、統治機関、立法機関である。ハトラレ・アローラに国境など必要が無い。大陸を五つに分ける海域は県境だと、世界自体が巨大な国としてきた機関。そんな巨大な国を支え、裏で操ろうとするのが元老院である。
室内には厳粛な雰囲気が漂っている。何故なら、先日に起こったラスマノスの襲来からシルベットの一部解放したという報告を受けたことにより、元老院議員たちはテンクレプを呼び出し、急遽秘密会議を執り行うことになったのだ。
シルベットが持っている銀龍族の禁忌となる力は危険だ。
力を解放、もしくは暴走させてしまった場合、少なくとも世界の六割は失うことになる。下手すれば、壊滅だ。人間との信頼も人間界の生態系も取り返しのつかないほどに修復も回復も不可能となり、償いきれないほどの莫大な経費と時間を必要とするだろう。
リンドブリム家の屋敷内である程度は学んでいたとしても、基本教育を正規に学んだわけではない。水無月龍臣やシルウィーンが力を暴走させないように、剣術の鍛練で発散させていただけに過ぎず、力の制御は不十分といえるシルベットに元老院議員たちが危惧してしまうのも無理はない。
が、しかし。
シルベットに基本教育を受けられなかったのは、元老院議員たちが学舎に登校を赦さなかったからだ。禁忌の力を恐れた元老院議員たちが臭いもの蓋をするかの如く屋敷内に閉じ込めたことを棚に上げて、どうこう言うのは筋違いだろう。
加えて、人間と銀龍族(亜人)のハーフだから、人間界との親交を手っ取り早く進展させようと生まれてから力の暴走を確認してなかったことを理由に、巣立ちの日の前日に監禁を解除し、テンクレプの名を使って式典に招待したのも元老院議員たちだ。
このまま一生、死滅するまでリンドブリム家の屋敷の敷地内に監禁しておくのもいかがなものだろうか、とあの時は了承したテンクレプだったが、それが原因でシルベットがひどく嫌われてしまっていることに心が痛む。何百年以上、生きているんだ、と人間以下の安易すぎる元老院議員たちの浅知恵に乗ってしまったことにテンクレプが年甲斐もなく、少し涙を流してしまったことは墓場まで持っていくつもりである。
「巣立ちの式典での態度を考えれば、彼女たちが護衛に就かせるのは早すぎるのではないのか」
最初の口を開いたのは、白髪の老翁だ。
彼は元老院議員であり、貴族の一人でもあるヴラド侯爵は、円卓の中央に空いた空間に立って玉座にいるテンクレプに向けて歯に衣着せぬ言葉で伝える。
「【創世敬団】から名指しで標的にされている人間の少年、セイシン・ツバサ。シルベット、エクレール、追加として蓮歌がツバサの護衛の任務に就かせている。が、我々──元老院は当初、護衛には上級貴族を就かせる予定であったのは、わかっているなテンクレプ」
「ああ。余が巣立ちの式典で問題行動を起こした償いとして急遽、彼女たちを使命してしまったために元老院の予定が狂ってしまったこともな」
テンクレプはヴラドの言葉に静かに答えた。
「自覚して何よりだよ」
長い時間をかけて偵察し、決定したというのに、可能ならば今すぐにでも問題児と交代するべきだ、と畳みかけた。
ヴラドの言葉に元老院、【謀反者討伐隊】、【異種共存連合】の幹部たちを招集した円卓を大きく揺るがした。
ヴラドが玉座に座るテンクレプに対して、率直すぎる態度に動揺しているわけではない。元老院議員は議場内であれば、至尊の座を占める者に対してもそれをすることが許されていたし、またそれをすることが求められたりする。それにヴラドはテンクレプとは幼なじみの間柄であり、いくら彼が上の立場だとしても態度は変わらないことを皆が知っている。
今日も相変わらず幼なじみだからと馴れ馴れしくしているな、と口に出さないが心の内に留めているだけで、響めいたには彼が口にした内容だ。
ヴラドは、男爵という貴族としてはあまり高いとは言えない位階の家に生まれた。そこからキャリアを積み、大臣職を経て元老院議員たる席を得たのである。
元老院は大半が上位種族の名門、権門の家に生まれの貴族で構成されている。ひとつの大陸に、上位種の貴族とは稀少な存在であるが、この中央大陸ナベルにおけば、五大大陸において上位種の貴族が多い。石を投げれば、必ずどこかの貴族に当たると言われているほどに数が多いのだ。
従って、ただ貴族の一人として生まれただけでは、名誉ある元老院議員の席を得ることはかなわない。だからといって、上位種の貴族の名門、権門の一員でなければ、元老院議員とはなれないわけではない。
では、権門でもなく名門でもない家系に生まれた中級、下級種族が元老院には、永遠に名誉ある地位を占めることは出来ないかというと、そうでもないのである。
その方法として開かれている道が大臣職、【異種共存連合】の経歴、【謀反者討伐隊】において将軍職以上の位階を経験することであった。
国家の煩雑且つ膨大な行政を司るには官僚の存在が不可欠である。名門、権門問わず上位貴族として生まれ、才能に恵まれた者が立身を志したなら、元老院議院か、【異種共存連合】のような外交官、【謀反者討伐隊】の軍の道を選ぶという方法が存在した。軍や官僚において問われるのは実務能力である。どんなに実務能力が優れたとしても、適性が合ってなかれば職務を真っ当することはできない。中級、下級種族であっても同様であり、才能と勤労意欲、そして幸運さえあればこの道を進むことも可能なのである。
ヴラドは、そうした努力型の元老院議員である。テンクレプと幼なじみ故に、動揺もせずに軽々しい口を聞ける者は少ない。得てしてそういう種類の者は周囲からは煙たがられるもので、そして煙たがられれば煙たがられるほど、より鋭く攻撃的な舌鋒になってしまうのだ。
「ゲレイザー・ルドオルや水波女蒼天の仔龍ならば未だしも、ハイリゲン・リンドブリムの仔龍に至っては話にならん。禁忌の力を有し、亜人でさえも被曝させてしまうのはもちろん、下手をすれば人間界を壊滅してしまうではないか。そうなれば、人間界と講和を結べることはできない。彼女を任命した卿の愚挙をどうするつもりだ」
ヴラド以外にも、周囲の者たちも明確な敵意を孕んだ視線と辛辣な言葉をテンクレプに向ける。
ガゼル議員である。生粋の名門の上位貴族として生まれであり、才能に恵まれているものの、それを得意となり、自分よりも劣っている者には必要以上に攻撃する不快窮まりない男だ。
先ほどから、ヴラド侯爵、ガゼル議員の戦闘的なほどの鋭い視線は、テンクレプの身体を貫いて、無言の重圧をぐいぐいとかけて来る。
彼らにみなぎる怒気がひしひしと伝わって来るようだった。何か彼らを怒らせるようなことをやったか? などと考えたが心当たりがありすぎてわからない。びくびくもせず平常心を保ちながら、緊張を高めていく。
ハトラレ・アローラでは英雄と讃えられる彼にとっても、この場ではしがない戦士であり、元老院議員には逆らえないのが現実なのである。
「そのことに関しては、水無月・シルベットを人間界との梯にした際に、その危険性も考慮して任命し、納得した上で同意したのではないのか。確かに、水無月・シルベットの当初の勤務先は北海道にある僻地だったと記憶している。しかし、彼女は戦うことにより力を発散させ、制御することに成功していることから、北海道の僻地だと、【創世敬団】との交戦することは殆どない。そうなれば、力が制御することは困難になりかねないだろう。それゆえに、シルベットをセイシン・ツバサの護衛することを納得したのではないのか?」
元老院議員たちに、テンクレプは冷ややかな視線を向けて問うと、
「納得など最初からしてない」
と、ガゼル議員が意気揚々と答えたのを皮切りに、他の元老院議員たちが口を開く。
「全ての者たちが同意したわけではない」
「そうだ! そうだ!」
と、元老院議員たちはテンクレプに野次を飛ばす。
あらかじめ口裏を合わせたかのようなやり取りに、テンクレプは呆れ果てる。
この秘密裏会議は、当初からシルベットたちに関しての議論であった。どの議題もテンクレプに責任があるかどうかばかりで、元老院議員たちは、テンクレプの口から任命責任があるようなことを期待し、それを元に叩こうとしていくつもりなのだろうことは透けて見えていた。
だが。
思っていた通りが答えが出ないのか、どうもなかなか元老院議員たちに若干の苛立ちを垣間見えはじめてきた。
先日、シルベットがラスマノスと対峙した際に、一部だけ解放したと報告を受けた。被害は、〈錬成異空間〉内だけで人間界には及んではいないが、次に力を解放した際に、暴走しないとは限らないだろう。元老院議員たちが危惧することもわからなくはない。
テンクレプもシルベットをセイシン・ツバサの護衛に就かせ続けることに、心配しないわけではないが、元老院議員たちには、それとは違った思惑がありそうだ。
テンクレプは元老院議員たちの様子を伺っていると、ガゼル議員が口を開く。
「いまさら、ハトラレ・アローラと人間界の梯として送り込んだ水無月・シルベットを強制帰還は出来んし、交代するわけにはいかない。【創世敬団】────ルシアスがセイシン・ツバサを名指しで狙うことに”何かある”のは確かだ」
「うむ」
ああなるほど、とガゼル議員の言葉により、元老院議員たちがルシアスの思惑に薄々と感づきはじめていることを理解したテンクレプは頷いた。
元老院はセイシン・ツバサには不測な事態を考えて、自分たちの手足となって動く上級貴族に就かせる気であった。【創世敬団】が人間を狙うことは珍しくはないが、指定してくることはない。どうしてセイシン・ツバサを狙うのかは、まだわかってはいないようだが。
セイシン・ツバサには何かがあると元老院は準備してきたのだろうが、テンクレプが巣立ちの式典に問題を起こした彼女たちを任命したことにより、長時間かけて決定した計画が無駄となってしまった。
彼女たちも上級貴族であることには変わりはないが、自分たちの思い通りに動かせるわけではない。
だからこそ、”【創世敬団】────ルシアスがセイシン・ツバサを名指しで狙うことに、五年前のことが関わっているのではないか”、とテンクレプに元老院議員たちは危惧しているのだろう。
──わざわざ元老院議員たちを集合させて秘密会議など行わずとも直接呼び出して直球で聞けばいいものを……。
そこに到るまでに無駄に時間をかける元老院議員たちに疑問を感じながらも、やっと本題に入ったな、と肩の力を少しばかり入れることにした。
「セイシン・ツバサの五年前のの夏の記憶は確認されていない。現に、今回の五年ぶりの再会に、彼は初対面のように接していると報告されているが」
「それは本当なのか? 五年前もそうだったが、あの場所に居合わせた時も記憶を失っていたようだが」
「ああ」
テンクレプは頷くと、
「五年前に、”彼奴”と接触した際に”心因性による精神疾患”により失っていた。彼奴の襲来により恐怖に陥ったことがもっともな理由だろう。あらかじめ、健康状態や呪術の可能性も観察して調査したが、健康状態はいたって正常、彼奴からの呪術を受けた形跡はなかった。亜人に見慣れていないだけではなく、あの惨劇を見てしまっていては平常心を保つことはできんからな。人間の子供ならなおさらだろう。少しでもトラウマにならないように、少年が何らかの衝撃により記憶を思い出せないように、駆け付けた部隊によって術式を最小限にして受けさせている。以後、精神汚染などの負担は確認はされていないと、報告書に記載されている」
と、嘘をついた。五年前の夏に、セイシン・ツバサが彼奴に出くわしたことは事実だが、記憶を喪失した云々については出まかせである。
元老院が知ってはならないことだ。安易に話すことは憚れる内容だ。かといって、そのことを話さないままだと、元老院議員たちはもっと危惧してしまうだろう。全ての責任をテンクレプに転嫁してくるに違いないため、あらかじめ申し送りした通りにテンクレプは嘘を告げただけに過ぎない。
ガゼル議員は、テンクレプから視線を逸らして書類に視線を向けると、椅子に深々と腰を下ろし、「間違いないようだな」、とその場にそろったそうそうたる議員たちに目配せをして問いかけた。
「諸君。どうするかね?」
「ガゼル様のお心のままに」と側にいた議員たちが告げる。
「我々も、いつでも準備が出来ています」
と、周囲と何やら話し合った後に円卓の真ん中にいるヴラド侯爵に手を挙げて合図を送った。
「それは分かっている。ルシアスの接触により”心因性”により喪失してしまった記憶が戻る心配はないと見ていいんだな」
「それはわからん。可能性としては、ルシアスの接触により記憶が戻る可能性は五パーセントほどで確率的に低いが」
「それでは困る。こっちとしては人間界との講和を成立させたい。護衛対象となっている人間が亜人恐怖症となっていては困るのだよ!」
不満ありげに声を荒げたのは、円卓の真ん中にいるヴラド公爵ではなく、ガゼル議員である。
「それに、テンクレプ。我々の許可無しに朱雀を人間界を行き来を可能とした卿の態度にも納得していないぞ。私だけでなく、宮中の多くのものがだ。これまでは非常時故に見過ごしてきたが、事ここに至っては話にならん」
「──はて。そのようなことが余は存じ上げてはいないが」
「惚けるな! 貴様が手引きしたことは調べがついているんだぁ!」
「それが真実であったとしても、聖獣が人間界に降りるのにおかしなことがあるのか?」
「朱雀だから問題があるんだ!」
「今の言葉は訂正された方がいいのではないのか」
凍える声が広間に静かに響き、興奮に赤くなっていたガゼル議員の顔色が蒼白になる。
元老院が朱雀────煌焔を拒絶したいのは、元老院は助言する機関にもかかわらず、私利私欲で裏で操ろうとすることに対して、口を出したからに過ぎない。
それを快く思わない元老院が、煌焔が五大陸の領主──つまり英雄の仲間と結託して、元老院が運営する連合からの離脱、独立させないべく、彼女自身はおろか使者を行き来しないようにボルコナ国民を渡航の自由を制限させた。
南方大陸ボルコナは独立国となったが、あくまでも元老院の支配体勢が嫌だったに過ぎず、彼女が提案しょうとしたものではない。
煌焔は、元々は元老院が定める法案の改善を交渉していた。ハトラレ・アローラでは五大陸間で、経済連携協定を結んでいる。それにより、ハトラレ・アローラの貿易は盛んに行わているが、税金が人間界と比較すれば二十五パーセントほど高額だ。税金の仕組みは人間界は殆ど変わらないのだが、元老院が活動を維持するために必要な経費を賄うために国民から強制的に徴収する富養税が二十五パーセント追加されているのが原因だ。
元老院は、”儂らが国を動かしているのも同然であり、その儂らを養うのは当然であろう”と言っているが、要は自分の豊かな生活を維持したいために、国民から強制的に徴収するための税金だ。それに煉焔は、『普段はたいした仕事もしてない。たまに顕れては余計な口出しをするだけのあなたたちに、国民たちが金銭を捻出しなければならない。私には”無駄”で”余計”なものにしか感じられない。見直すべきだ』と物申しただけに過ぎない。
年々と上げようとする元老院に見直すように提案したが受け入れてもらえず、爪弾きにされてしまった。
だからこそ、五大陸の英雄たちとの交流や行き来を断絶することではない。
大切な仲間を孤立させた行為に対して、テンクレプは元老院に怒りと、彼女を渡航の制限を解くのに百年もかかってしまったことに不甲斐なさを感じざるを得ない。現在は、各大陸の英雄たちは元老院には内密に動きはじめているが償えきれないだろう。
「いくら余でも、共に戦った友人を悪く云うのは、いささか気分が悪くなる」
普段と変わらぬテンクレプの声色だが、表情に苛立ちを滲ませている。
「共に戦った友人か……。友人ならば、人間界に降ろしてよいとでも」
その言葉を待っていた、と言わんばかりにガゼル議員は演技かかった大きな身振りで語り出す。
「元老院議員の皆様方、聞きましたか? ハトラレ・アローラを統括するテンクレプは、敵である朱雀に手を貸し、人間界に逃がしたことを認めました。これは明らかな裏切り行為といえましょう」
ガゼル議員は意地の悪い微笑みをテンクレプに向ける。ようやく、テンクレプはガゼル議員────元老院議員たちの意図を理解した。
元老院議員たちは、ハトラレ・アローラを統括するテンクレプが、不当に権力を振りかざして、自らの誤った判断の人事で人間界に迷惑をかけた挙げ句、敵対関係である朱雀に手を貸し、人間界に不法入国をさせたとも取れる発言を待っていたのだろう。
不当な人事の干渉に、不法入国の手助け、及び〈ゲート〉の私的利用、それにより人間界に被害が及ぶようなことがあれば、統括する地位が危うくなるところではない。人事に関しては、人間界に被害に遭ったという実が取れれば、降格程度で済むが、残る全ては違法行為であり、重罪だ。
テンクレプは弁明の余地も赦されることなく、牢獄に放り込めるだろう。それらに元老院議員たちがしてきた大罪を足せば、自分たちの罪も被せることが出来るという、彼らにとって一石二鳥ともいえる。
なんと厚かましい愚かな者たちなのだろうか、テンクレプは内心で舌打ちした。元老院議員たちの回りくどく、何やら証言を絞り出そうとしていることにもっと注意を払うべきだったろうが後の祭りだ。
どんな弁明しても、言いように変えられてしまう。秘密会議だから録画、録音もされていない。録音、録音されていても彼らの思い通りに編集されて意味がない。そのためだけに、彼らはそう繋ぐだけの証言をテンクレプから取ろうとしたのだろう。
ガゼル議員は芝居がかった調子で両手を広げながら、高らかに宣言するように言った。
「私は! 今ここに、テンクレプをハトラレ・アローラの統括の解任を要求する!」
『──っ!』
ガゼル議員がそう言った瞬間、元老院議員たちの面々が、ぴくりと眉を揺らした。あからさまな解任要求に驚きの表情を作る者もいたが──半数以上は、まるでこの筋書きを予め知っていたかのかのような様子である。
ガゼル議員はそんな様子を見ながら満足げに頷くと、円卓の中央にいたヴラド公爵に目を向けた。
「さあ、ヴラド公爵。決を」
言って、促すように首を前に倒す。
ヴラド公爵は幼なじみであるテンクレプに、”すまねぇ”と片目を瞑り合図を送った後に、前に進み出る。
「……よろしいのかな、テンクレプ」
ヴラド公爵は憂いかかった顔で、テンクレプに視線を送る。
テンクレプは、ヴラド公爵が言わんとしていることと伝えようしていることを悟り、悠然と頷いた。
「もちろん。それは卿に与えられた正当な権利だ」
「…………」
ヴラド公爵はテンクレプの言葉に目を伏せると、ふうと息を吐き、声を上げようとした。
──その瞬間。
「……?」
突然部屋の扉が開かれ、室内に居並んだ元老院議員たちの視線がそちらに注がれた。
「なんだ、今は会議中だぞ。誰も入れるなと──」
ガゼル議員が眉根を寄せながら言いかけ、その闖入者の顔を見ると同時、言葉を止める。
そこにいたのは、一人の男性だった。
わらじ履きで浅葱色の着物を身に纏っている。銀に近い白髪混じりの短髪が特徴的な人間の男である。笑っているような、引き目が特徴的な顔立ち。どこか寡黙的な日本の侍のような佇まいだが、和歌を吟じている方が似合いそうな、見紛うばかりにたおやかな、綺麗な女顔は変わっていない。しかし、腰に携えている日本刀が彼を一癖違うと象徴している。
「──ミナヅキ・タツオミ?」
その男性の顔を見て、会議室にいる誰かが彼の名を口にした。
水無月龍臣。
人間界──日本の戦国時代を生きた侍である彼は、シルウィーン・リンドブリムの夫にして、水無月・シルベットの実父。シルウィーンと共に生きることを選んだ彼は、銀龍族の血液によって、歳を老うことないが歴とした人間である。
その名を聞いて、テンクレプ含めて元老院議員たちが変装や変化の類いの術式を有無を注視し、彼が本物の水無月龍臣であることを確認した。
急な帰還に、殆どの元老院議員たちが眉を潜ませて、怪訝な表情で彼に見やるに対して、ガゼル議員を含めた複数の元老院議員たちは少し反応が違っていた。状況が理解できないと言わんばかりの様子で、彼を凝視している。名状しがたい異界のバケモノでも見たかのような表情だ。目を擦り、何度も確認している者もいる。本物の水無月龍臣とわかるやいなや、表情が凍りつき、驚きと畏れを滲ませた表情を浮かべ、『あの時、確かに……』と恐怖に声を震わせていることをテンクレプ及びある男は見逃していない。
「──お取り込み中、失礼した。ただ、待ってほしい。この処分は違法である」
水無月龍臣は部屋を見回すと、流暢なハトラレ・アローラの流通している言語でそう言って、進み出る。
「な、なぜこんなところに……」
ガゼル議員が狼狽えた様子で言うと、水無月龍臣がそちらに目を向ける。
「久しいな、ガゼル議員──いや、【創世敬団】の幹部〈アガレス〉」
「……っ」
水無月龍臣の言葉に、ガゼル議員が息を呑んだ。
ガゼル議員に対して、水無月龍臣は〈アガレス〉と呼んだことに会議室は、一瞬で水を打ったように静まり返る。皆、水無月龍臣が口にしていることが理解できない様子だ。それは無理もない。
〈アガレス〉。
【創世敬団】の幹部にして、ルシアスに仕える七十二柱のうちの一柱。七人の大元師には入っていないものの、レヴァイアサン率いるグラ陣営で三十一もの軍団を指揮し、序列二位である大公爵だ。しかし、変装、変化を得意とし、名前も性別も年齢も種族も他の七十二柱よりも情報が少なく、正体不明とされている。故にソロモン王の七十二柱の魔神の一柱で、三十一の軍団を指揮する序列二番の大公爵と同じ共通点を持つことから、コードネームを〈アガレス〉と【異種共存連合】、【謀反者討伐隊】から呼ばれている。
「…………ミナヅキ・タツオミ……! ……何故、貴様が……」
〈アガレス〉と呼ばれたガゼル議員は否定も肯定もしなかった。それにより、元老院議員たちはがざわめ出す。先ほどまで、テンクレプを解任しょうと意気込んでいた団結力のかけらもない。あるのは、ガゼル議員に対しての疑心のみ。そんな彼らの視線を受け、ガゼル議員は苛立たしげに声を上げる。
「……皆、彼を信用するなっ! 彼には宝剣を強奪した義息のゴーシュと共謀した嫌疑がかかっている。これは皆を乱すための出任せだっ」
水無月龍臣には、ゴーシュ・リンドブリムとハトラレ・アローラの宝剣〈ゼノン〉の強奪を共謀した嫌疑がかかっている。”奇跡的”に生き残っていた守護龍の証言と残された毛髪などにより、ゴーシュが容疑者として浮上。決定的となったこともなり、ゴーシュを逮捕しに水無月家の屋敷に赴いたが彼はおらず、水無月龍臣も同時期に消息を絶ったから、何らかの関与があるのではないかと、共謀の嫌疑がかけられていた。
そんな彼を見張り兵が捕らえようと取り囲む。
しかし、水無月龍臣は到って冷静だ。祭りで出店を物色するかのような余裕さえ感じられた。
「動揺しておるな。まあ仕方あるまい。おぬしのことを嗅ぎ回っていた拙者を邪魔に思った貴様が五年前に、わざわざ人間界に【戦闘狂】をある者を使って始末させようとしたのだからな。死人を見るような顔をするのも、彼らを取り繕うことも忘れることは無理もない」
何を馬鹿な、と〈アガレス〉と水無月龍臣に呼ばれたガゼル議員は鼻で笑う。
「引っ捕らえよ!」
〈アガレス〉と呼ばれたガゼル議員は、口を封じようと見張り兵に命ずる。四方八方と囲まれてもなお、楽しんでいるかのような水無月龍臣はお構いなしに歩みを止めない。
「止まれ!」
水無月龍臣は見張り兵の制止の声を聞かず、蝶のように華麗な身のこなしで躱し、テンクレプとヴラド公爵の前へ歩み出ると、胸元から中指の第一関節くらいの人間界の記録媒体──〈メモリカード〉とキューブ型のハトラレ・アローラの記録媒体──〈メモリキューブ〉を取り出す。
「ガゼルが〈アガレス〉である証拠ならこの二つの記録媒体にあります。拙者の処分なら、それを見てからでも遅くはありません。お二方、確認を」
勿論、予備の記録媒体に複写するのも忘れておりませんので悪しからず、と水無月龍臣はテンクレプとヴラド公爵の前に差し出し、二人は受け取った。
「テンクレプ。ヴラド公爵。まさか、そんな犯罪者の義息を持つ人間の言うことを信じるわけではあるまいな……」
「信じるも何も、真実というのは、一旦は確認しなければわかるまい」
「まあ……。確認しなければ何とも言えねぇな」
テンクレプとヴラド公爵はガゼル議員にそう言って、まずこの場ですぐに確認できる〈メモリキューブ〉を起動させると、キューブの表明に魔方陣が浮かび上がり光り輝き、薄暗い会議室をスクリーンに映し出される。
そこには、ガゼル議員が〈アガレス〉であるという証拠以外にも彼の悪事を克明に記されていた。




