第一章 三
「貴様だろ」
「違いますわ! あなたですわよ、学舎にも通っていないくせに首席のわたくしをポンコツ扱いしないでくださいまし!」
「学舎に通っていないだけでポンコツ扱いするが、学舎に通っていない者がポンコツである根拠はあるのか?」
「あなたの存在が根拠ですわよっ」
「私のことを何も知らない貴様が私をポンコツと決めつけるなっ!」
「あなたのことを、わたくしのことを何も知らないのに、ポンコツ認定をしないでくださいまし!」
少しずつ二人は近づき、今にも首根っこを掴み合って、殴りかかりそうな勢いで口論する。
見かねたテンクレプは吐息を漏らすと、
「──静かに」
と、彼女たちを一言で黙らせた。
睨み合う二人にテンクレプの一言が飛び、広間が静まり返る。その場を収め、細めた瞳で少女を眺める。しばし無言が続いた後、老人は吐息を漏らす。
「……御主は、金龍族王家の娘だな」
今までただ様子を伺うだけだったテンクレプが口を開いた。
「はい。そうですわ。わたくしの名は、エクレール。金龍族の第一女王候補のエクレール・ブリアン・ルドオルですわ」
金髪ツインテールの少女はエクレールと堂々と物怖じることなく名乗った。
テンクレプは金髪碧眼の少女──エクレールが向き直ったことを確認すると、彼女たちの仲裁に入る。
「エクレールよ。彼女──水無月シルベットが人間と銀龍の混血だからといって、【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】に入ること及び巣立ちすることに対して、反対というわけではないんじゃな……」
「ええ。全ての混血というだけで異議を申し上げてませんわ。学舎には数多くの混血がいますし、何よりも【異種共存連合】の目的である世界線での異種間交流には賛成ですわよ。多種多様の種族との交流が増えれば、近づく災厄にも備えられますわ」
エクレールはふとシルベットを一瞥する。
「混血であろうと、わたくしよりも優れていましたら喜んで代わりますが──そこの銀ピカは学舎に通えさせてもらえず、未知数。巣立ち前にも拘わらず、まともに力を奮ったこともないとお訊きしております。学舎での義務教育も受けられなかった混血がわたくしよりも劣っているだなんて思いたくありません。何より問題児で有名なシルウィーンの娘であり、あの雄々しく容赦がないリンドブリムの家系で育ってますのよ。情操教育に問題がありますわ。あの品格もない汚い言葉が何よりの証拠ですわ」
「貴様……言わせておけば」
烈しい怒気を帯びた、地の底から響いてきたような声がエクレールの耳を震わせた。その声はシルベットのものだが、彼女は構わず続ける。
「この銀ピカ──シルベットは、銀龍族で禁忌とされていた〈原子核放射砲〉を受け継ぐ者。人間との混血者という半人前とあって心配も重なるのは無理はないと思います。いつ世界を滅亡に追いやるか不安で仕方ありません。そんな力も感情の制限も出来ない方に、【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】に配属させることに対して、異議を申し上げるのが普通かと」
「そうか」
テンクレプは何とか二人を仲裁させるために、まずはエクレールの異議を訊き、静かに瞼を閉じた。少し考えてから静かに瞼を上げ低い口調で言った。
「エクレールの言い分もごもっともじゃが……、おぬしの言葉の節々には、人間界でいうところの差別にあたるのではないか。現在の人間界では、差別というのを嫌う動きがある。やっと人間たちが差別と偏見という愚かさに気づいたというのに……人間やあらゆる世界線との共存を願う儂らが差別感情を抱いてはならぬと思うが」
テンクレプの言葉に、エクレールはシルベットの言葉に腹を立ててしまい、我を忘れて、思わず混血、禁忌、教養、種族といった理由で彼女を差別した発言してしまったことに気づき、頭を下げた。
「失言、申し訳ありませんでしたわ。わたくしたちがすべきことを忘れて、彼女に対して差別発言をしてしまいました。おゆる────」
「謝って済むと思うのか?」
吐き捨てるわけでもなく、淡々と呟いたシルベットの言葉がエクレールの言葉を遮った。
シルベットの言葉にエクレールは思わず頭を上げて、テンクレプに言おうとしたことをやめる。
「ハトラレ・アローラが【異種共存連合】を立ち上げてまで、世界線での交流を進めている意味や、そのためにも多種多様の種族との接触は不可欠であることも忘れて差別発言とは、上級種族である金龍族の王女が訊いて呆れるな」
「どういう意味ですか……?」
片眉を吊り上げる不快感を露にするエクレール。
「心が狭苦しいと言いたいのだ。それで首席とはな。学舎のレベルがたかが知れている。貴様は、ただ単に私が代表者に選ばれ、式で挨拶することが気に入らなかったというだけということなのだろう。当初ならば、貴様がしていた代表挨拶とやらがぽっと出の私に奪われた腹いせをしたいだけなのだろう。なんと意地の汚い金龍族の娘だろうか。上級種族が訊いて呆れる。人のことをとやかく言えた義理ではないが、さっさと家に帰って、その意地の汚い正念を叩きなおしたらどうだ」
「なっ、なんですって!」
シルベットの反論に、エクレールはまなじりを吊り上げて声を上げると、シルベットの頬を目掛けて一気に手を振り上げて降ろした。
ぱちんっ、と小気味よい音が静まり返った広間に鳴り響く、シルベットの頬が片方だけ赤くなった。数秒遅れて、頬に痛みが現れた。更に後から微かな熱さが篭る。
シルベットにとって初めてのビンタだった。
「……き、さま、……何をやった?」
シルベットは周囲では聞き取れない小声で呟く。
「わたくし──いえ、上級種族である金龍族を莫迦にした罰ですわ」
碧い瞳を侮蔑の感情で染めて、エクレールはシルベットを睥睨し、敵意を剥き出しにする
「わたくしに口答えしたあなたが悪いんですわよ……」
シルベットは拳を強く握りしめて身体をプルプルを動かす。それはもういきなり(初めて)のビンタを食らわせてしまったことによる屈辱とショック、そして──怒りによるものだった。
ただでさえ、短気なシルウィーンの血を引いているシルベットに不満が溜まりキレやすい。今までかつてない感じえなかった苛立ちが込み上げてきた。シルベットの怒りはマグマのように活動を始め、一気に噴火口まで吹き上がる。
「貴様あッ! よくもやってくれたなあッ!」
そして噴火した。
「これだから、ろくな教育が出来ていない人ってキレやすいものですわね……」
「その言葉は貴様が吐く言葉ではないな。義務的教養を受けているにも拘わらず、キレやすい貴様はさしずめ優等生という金鍍金が剥がされた取るに足らない子供だということだ」
「こっ、子供っ? この金龍族期待の星であるわたくしを子供呼ばわりしましたわね!」
「悪いか」
シルベットは腕を組み、挑発するかのように、組んだ腕の上で豊かな胸を揺らす。
「その赤子のような体形は、小娘であろう。もしくは、餓鬼だ」
意地悪そうな微笑みを浮かべるシルベット。そんな彼女にエクレールの怒りは頂点に達する。
「がっ、餓鬼ですって〜っ!」
シルベットの暴言に、エクレールは過剰に反応。シルベットと正面から睨み合う。
「学舎も通えていない貴女なんかに、小娘や餓鬼扱いしないでくれますか!」
「好きで通っていないわけではない。それに、みみっちい身なりをしている貴様に先輩風を吹かせられたくはない」
「み、みみっちいですってぇっ!?」
「そうだが、私と同期のくせして成長が遅れているからな。私と比べるとみみっちいだろ」
シルベットが鼻で笑い飛ばす。直後、エクレールの目が酷薄に細められ、空気に決定的な変化が生じる。
そして、金色の稲光りが広間を吹き抜けた。
「もう我慢が出来ませんわ……。水無月シルベット──あなたを許しませんわ」
碧い瞳を怒りで満たして、エクレールはシルベットを怒鳴りつける。だが、糾弾されることに何の呵責もないのか、シルベットは煩わしげに手を振る。
「最初にちょっかいを出したのは、貴様であろう。それが失敗したから八つ当たりか。図星を刺されて、手を上げた貴様こそが頭がおかしいのではないか。それとも、貴様の幼児体型を莫迦にしたのがそんなに気に喰わなかったのか」
「あなたは禁忌の存在ですわ。学舎に通えず教養がないあなたを仕付けるには、平手打ちでは足りませんわ……。あらゆる世界にとっても、わたくしにとっても。世界を壊しかねない力の根源であるあなたは、此処で大人しく引き込もっているばいいのですわ。それほど、あなたは外界──いえ、屋敷の中から出てはいけないかったのですわ。差別、とかという綺麗事で取り繕って、“はいわかりました”で終わらせるわけにはいかないのですわよ。それだけで済むなら、戦争は起こらないのですから」
エクレールの言葉を畳みかける。
「それにあなたの義兄は、ハトラレ・アローラの宝剣〈ゼノン〉を強奪した容疑がかかっている──いえ、ここは強奪したと言った方がいいですわね。どこかの世界に宝剣を持って逃げたのですから」
苛立つシルベットにとって、その一声は存外に冷たく響いた。
ゴーシュ・リンドブリム。
水無月・シルベットの腹違いの兄。義兄にあたる男性である。
義妹を溺愛し、【謀反者討伐隊】でも一、二を争う剣の腕を持つゴーシュはファーブニルのオルム・ドレキの根城であるエタグラの洞窟から宝剣ゼノンを強奪した容疑がかけられていた。
犯行現場には、ゴーシュが愛用していた剣が発見され、近辺で彼を目撃したという情報もある。強奪されたその直後に消息を絶った彼は強奪に関与した疑いだけではない。エタグラに従事する巫女や守護龍を惨殺した疑いもあり、【創世敬団】に加担の可能性もあるとして、容疑者の一人として、全世界線で指名手配されている。
「大罪人を義兄に持つあなたは、巣立ちはおろか【異種共存連合】や【謀反者討伐隊】に入ることは赦されませんわ」
エクレールの声は冷たく、容赦がない。空気は瞬く間に険悪なものとなり、二人の戦姫は天敵に相対した猛獣同士のように敵意をこめて睨みあう。
「ほう。あの義兄に関しては、弁明する気などさらさらないが、安易に他者を貶める言葉を口にすることは、己の価値だけでなく、貴様の評価まで傷をつけてしまうことを知らぬのか」
赤い双眸を細め、剣呑な雰囲気を漂わせる。その瞳には忌々しげな色が濃い。
「認めるのですわね。身内に犯罪者がいることを……」
エクレールはしたり顔をする。
どうやらエクレールという少女はまず、シルベットを排除するために混血と禁忌を取り出すことを止めて、消息がつかめずハトラレ・アローラから指名手配されている元【謀反者討伐隊】の義兄──ゴーシュ・リンドブリムへと変えたようだ。
その姿勢は、シルベットという存在への悪印象を根付かせようとしているものに違いない。つまりエクレールが金龍族を侮辱した腹いせに、ゴーシュのことを持ち出して、本気でシルベットを陥れ入れようとしているのだとシルベットは悟る。いくら、いきなり抱き着いてきては接吻を迫ってくる義兄を嫌っていたとはいえ、身内をシルベットを陥れる材料として使われて、いい気分にはならない。
さらに広間に物々しい空気が立ち込めていく。このままでは、ゴーシュの件で、誰の不興を買うかわからない。少なくとも、これ以上の揉め事を起こし、人間界に行かれなくなるのは御免だ。
窮めて冷静に対処する必要だろうと思考を巡らしていると──
「──どこだ」
突如として割り込んできた冷たい声。
宝剣ゼノンを守護していたファーブニルのオルム・ドレキがガタンと音を立てて立ち上がり、鋭い視線と厳しい声をシルベットに向けていた。
「私のゼノンを、どこに隠したっ! そして、ゴーシュは今どこにいる! 知っているなら、教えろ。教えなければ、死罪だ」
ファーブニルのオルム・ドレキは早足でシルベットに詰め寄り、鼻先がくっつきそうな近距離で問いただし始める。
「罪人を、隠し立てすれば貴様も同罪だ。いくら我々と人間との梯だからといって、巫女や守護龍たちを惨殺し、ゼノンを私から奪った者を庇い立てをするならば、我々【謀反者討伐隊】が貴様ら銀龍族を討伐する!」
「なっ、何なのだっ!? いきなり、横から口出しおって」
唾を吐き問いただすファーブニルのオルム・ドレキに不快の意を露わにし、振り払う。
「勘違いをするな。こちらでも消息をつかめていないのだから尋問しても無駄だ。もしも、居場所を知っていたのなら喜んで教えてもいいくらい絶縁している。私がゴーシュを見つけた場合は、取っ捕まえて連行してきてもいいぞ。だから、なんだかんだ言って私を陥れるのはやめろ」
ファーブニルのオルム・ドレキに向けていた視線をエクレールに向けると、ニヤリとエクレールが笑みを浮かべいた。
──こいつ……っ。
胸を掻き毟られるような憤りが痛みを伴い、押し潰されそうな怒りが沸き上がるシルベット。
あれだけ一緒に暮らしてきた。あれだけ実妹以上──いや、恋人以上に可愛がられた。それだけに傷付いてきた。忘れて無関係を望んで何が悪い。ゴーシュは、何も教えてくれなかった。可愛がるだけ可愛がって、いなくなった。
それがゼノンを強奪したからなのかは解らない。知らない。その理由も。消息を絶ったことさえも、ゴーシュがゼノンを強奪した疑いがあることを知ったのも、消息を絶ってから半日後に知っただけで何もわからない。幼子であったシルベットは屋敷内が出られることは出来ず、関与することさえ出来ない。よって、ファーブニルのオルム・ドレキが期待する答えなどない。応えることは出来ない。
「ふん。誰が信じると思うのか。身内は身内を庇うの前提にあるのだからな……っ」
それでも頑なにファーブニルのオルム・ドレキは、疑念をこもった視線を向けていた。
「信じてくれなくとも結構だ。ただ、私と義兄は仲が悪いというだけを知ってもらえば、それでいい。だが、覚えとくといい。貴様らが発言したことは私を迫害し、差別したことには変わりない。つまり【異種共存連合】の意思に相反しているということだけは肝に銘じとけばいい」
「隊長に向けて何を偉そうにしていますの! 開き直らないでくださいましっ」
エクレールがシルベットを指を刺して言った。
「さっさと、罪を認めてくださいまし」
「開き直っていない。事実無根だ。それに何の罪を認めろというのだ。やってもいない他人の罪をどう認めればいいのだ。貴様らは莫迦か。ちゃんと考えろ。私の言葉を訊いて、開き直りや偉そうと取るのなら、貴様の耳は腐っているのか、頭がおかしいのではないか?」
幾つもの敵愾心を抱いた者の視線がシルベットに突き刺さる中で、闘志を燃やして言葉を紡ぐ。
「幼少の頃から言われ慣れている。リンドブリムの兄は、義妹を可愛がる変質者。義妹以外は女性とは認めない、銀龍族きっての痴れ者だぞ。そんな義兄でも剣術の腕前は随一だった。よって、エタグラの守護龍たちを一頭残らず皆殺しにした可能性はあるだろう。愛用していた剣が犯行現場に残されていれば、容疑がかかるのもわかる。監視カメラにもそれらしき映像が残っていたが、巫女や守護龍たちを惨殺した映像はない。エタグラの中にいる守護龍は全てが殺されていて、生き残りはいないと憲兵から聞かされたが……一体、何処の誰が義兄──ゴーシュを目撃したのか。誰に訊いてもわからないというではないか。エタグラで偶然にもその場にいなかった貴様が、知らされていることしか知らない私をどう問いつめようとも証拠も居所もわからないままだということをいい加減わかれ」
「む……」
矢継ぎ早にシルベットは眼前にいるファーブニルのオルム・ドレキへと向けた疑問に口ごもり、琥珀色の双眸を細めて、顔を背けた。
その反応だけで、ゴーシュが宝剣ゼノンを強奪した徹底的証拠がないことがわかっていた。ゴーシュに冤罪をかけようとする裏の動きがあるのではないかと勘繰る。
ノース・プルは、断崖絶壁の山である。近辺には、村などなく、かなり離れていた。エタグラに行き来するファーブニルのオルム・ドレキと従事する巫女と守護龍だけ。あと、出入りが許されているのは、何者なのか。銀龍族の領地からエタグラまで距離があり、頻繁に行き来するほどではないと聞いたことがあるシルベットが率直に疑問であった。
「年がら年中、ゼノンの側から離れないと謳われるほど執着していた貴様が何故その日に限っていなかったのだ。守護龍を全滅させられていたのに、生き残りがいる? そしてゴーシュを目撃した者がいるのならば、何故、そこにいて、何をしていたのだ? 犯人がゴーシュと決めつけるのならば、答えられるはずであろう。なのに何故口ごもる。そいつしかいないのなら、そいつと言えばよいだけの話だ。何故、黙秘しうろたえるかごまかすのだ?」
「……そ、それは。そ、その日は大事な謁見があり、そこに武器などの得物類を携えることは禁じられていた。持ち運びが出来たのであれば、こんなことにはならなかったのだがな……」
「だとしても、謁見の外にお付きの人に預ければ良かろうが……。それさえも出来ない謁見ではあるまい。魔方陣で異空間に補完して持ち運ぶなりすれば防げたのではないか。どうなのだ?」
「……ぐ、ぐぬぬ……ご、ゴーシュを匿っているであろう貴様らに、教えるわけがないだろう。証拠隠滅として、目撃者を殺されては困る……」
「本当に目撃者がおるのか……。ゴーシュを目撃したのはエタグラからかなり離れている麓の国境付近からないと訊いていたが、洞窟内には巫女や守護龍を惨殺した目撃者はおらん話しだったはずではないか……その目撃者はどこで沸いた?」
「…………ぐ」
シルベットはうろたえた様子のファーブニルのオルム・ドレキを赤い双眸で射抜く。
それだけで目線を逸らし、あからさまにシルベットを避けようとするそぶりを見せた。その反応を見て、シルベットの胸中を不安の波が押し寄せる。
──こんなの、が上官になるというのか……。
冤罪──無実の罪。身に覚えのない罪。ゴーシュのように、濡れ衣を着せられることがあるのはもちろん、口封じのため殺されてもおかしくはない。
まったく身に覚えのない容疑をかけられては、シルベットとしては釈明の余地もない。シルベットには、父親──水無月龍臣の故郷である人間界の日本に行きたいという志ししかない。【異種共存連合】には、日本に行くにあたり、支援が必要と考えて試験を受けたに過ぎない。【謀反者討伐隊】には、日本で基盤が調えるまでに自分で働かないことも考え、しばらくの就職先として選択したが、こんな上官にいるのならば、長居はしない方がいいだろう。テンクレプが辞められないようにしていないかどうか、が心配だが。
【創世敬団】は、噂話という程度には聞いただけに過ぎず、彼ら程に敵愾心を抱いてはいない。シルベットには、ただ不逞な輩の集まりだという印象である。
なので、【謀反者討伐隊】には執着心など全くない。
なんてことはない。頬を強張らせたファーブニルのオルム・ドレキが逆上して【謀反者討伐隊】に入隊出来なくとも痛くも痒くもない。シルベットは日本に行けることが出来ればそれでいい。何のこれしき、という意地があった。シルベットの人間界──特に日本に対する想いは、そんなに安く砕かれるものではない。そうでなくてはならない。
「ほう。理由としてはいいだろう。わざわざ、匿われていると思しき者に事件の事細かな情報を教える義理はないからな。だが、ゴーシュが【創世敬団】に寝返ったという部分についてはどうかと思うぞ」
ゴーシュが【謀反者討伐隊】を裏切ってまで【創世敬団】に加担した理由が思いつかない。
そもそも、ゴーシュは『半龍半人であるシルベットが日本に行っても不自由などなく暮らせるように』と【創世敬団】と戦う覚悟で入隊した身だ。敵方に加担することは有り得ないて思うのだが──
「さっきからごちゃごちゃとうるさいですわ! ファーブニルのオルム・ドレキも上官のくせに下士官の言葉に惑わされないでくださいまし! この銀ピカごときの言葉なんて屁理屈ですわよ」
「どちらが屁理屈だ。貴様の場合は屁理屈でも何でもない。ただ難癖を付けて陥れたいだけだ」
「う、うるさいですわよッ! 金龍族の王女であるわたくしをコケにした罰、私が納得出来るような力の制限や顕現を見せなさい。それと、あなたを跪かせないと、気が済みません!」
「ほう。最後のが貴様の本音だな。なんと幼稚な思考の持ち主だな。貴様みたいな色だけが立派なひよっ子が……──」
その赤い瞳が爛と輝く。
一息、それから彼女は言い放った。
「──だったら、勝負してやる」
シルベットは勝負を申し込まれて、すぐさま受け入れた。
満面の笑顔の中に戦意を沸々と高まらせて言葉を紡ぐ。
「どうせ、私の圧勝だ金ピカ」
「戯れ言はそこまでよ銀ピカ」
シルベットとエクレールが睨み合う、二人の間でバチバチと火花が鳴っているような光景が見えるような凄まじい闘志が見える。
「二人とも、ここは、どこだと思っているんですか!」
右端にいた小柄な女性が二人の仲裁に入る。
小柄な女性は、赤茶色の着物に、赤茶色の着物に、漆黒の袴を身につけ、長く艶やかな黒髪を赤いリボンで一つに結わいでいる。
少女のような幼さを残す顔立ちの中で、大きな目を見開き、静かに三人を見下ろす。
「この場所は【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】の聖なる場所。そして、来賓がいる場で勝負することははしたない行為です。ここでの無闇な争い事は禁ずると聞いてはいなかったのですか。特にファーブニルのオルム・ドレキ──あなたは【謀反者討伐隊】の大尉として、此処にいるのですから、わかっているんでしょう」
「す、すみません……。取り乱しました地弦様」
地弦の仲裁に即座に深々と頭を下げるファーブニルのオルム・ドレキ。
いつの間にか広間は静まり返り、これまで以上の緊張感が張り詰めていた。
地弦を見て、ファーブニルのオルム・ドレキは、頬を真っ赤に染め上げる。彼女の一つ一つの動きが上品な女性のように美しく、どこか貴族のお嬢様のように輝いて見えて、思わず御立腹していることを忘れて見蕩れてしまう。
「取り乱しましたで済ますほど、私は寛大ではありませんよ」
地弦はニコリと微笑む。しかし、三人を見据える眼は笑ってなどいない。
冷たい笑顔のまま立ち上がり、静かなる怒気を滲ませながら、見据える。
その凄みは、その怒気はエクレールにも、そしてシルベットにも伝わっていた。
もしもこれ以上の揉め事を起こせば、地弦は本気で怒り狂いかねない。
玄武──地弦。
あらゆる世界に精通し、知られている聖獣の一人。
人間界──中国圏を中心にしたアジアでは、四神の一つとされている彼女の本来の姿は小島一つ分の巨大な亀である。
ハトラレ・アローラでは、暗黒時代。人間界とも違う世界から〈ゲート〉を通じて現れた災厄に挑んだ英雄の一人とされている彼女は、シルベットの出身大陸であるタカマガで大陸全体を統括をし、北側の黒龍族と南側の銀龍族の仲介役を任せられており、屋敷から外出できなかったシルベットとは年に二、三回会う程度の顔見知りもある。
幼い頃からの付き合いもある地弦は、常に見せる優しい顔ではなく、した行い厳しく叱ってきた。
今まで地弦に叱られたことはないどころか挨拶だけしかしたことがなかったシルベットは驚くことしか出来ない。
「も、申し訳ございませんでした……。しょ、少々──いいえ、少しとり乱してしまったことをお詫び致します」
あからさまに動揺を見せるファーブニルのオルム・ドレキは地に伏し、土下座して赦しを請う。
玄武──地弦の眼前でシルベットも、これ以上の暴言を止めざるおえない。
周囲の印象がかなり悪いシルベットにとって、今以上に悪化すれば、人間界に行くことが見直されるだろう。そうなれば、態度の悪さにより人間界行きがなくなる可能性がある。
もうこれ以上の悪化はよろしくない、と判断したシルベットは己の浅はかさを呪い、数々の無礼を詫びようと地弦に躯を向けて、
「すまなか────」
「わたくしは謝りませんわ」
シルベットの謝罪を遮り、横にいた金髪碧眼の少女──エクレールは胸元で腕を組み、踏ん反り返る。
五年という龍人には短過ぎる期間、今の地位までに昇りつめたファーブニルのオルム・ドレキも言葉を失うほど、彼女の態度はその場に相応しくない。
「ファーブニルのオルム・ドレキ。貴方は、悪いことはしているわけではないのに、何で謝らないといけませんの?」
「え、エクレール様。地弦様がお怒りになっているのですよ……」
「そんなの関係ありません」
「…………」
エクレールの発言に、ファーブニルのオルム・ドレキはおろか広間にいる来賓までも言葉を失う。
これ以上の暴言を止めなければならない。もうこれ以上の悪化は、他の聖獣たちの逆鱗に触れてしまう可能性は高いだろう。
「これは、予想された事態だ。テンクレプがシルベットを【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】の両陣営に入れ、入隊の挨拶へ擁立したこと──とどのつまり、銀龍であり半龍半人を支援すると表明した時点でな」
テンクレプの隣席にいた男性が口を開く。
その男性は、まず何よりも目を惹くのは、波立つような海のように蒼い頭髪。
その下には勇敢と獰猛が相容れた碧の双眸がある。異常なまでに整った顔立ちに、凛々しさとその真逆の荒々しさとか共同し、一瞥しただけで彼の存在を知らしめていた。
すらりと細い長身を、仕立てのいい水色の服に包み、その腰にシンプルな装飾──ただし、尋常でない威圧感を放つ刀剣を下げている東方大陸ミズハメを統括する青龍──水波女蒼蓮である。
青龍。
南方大陸ボルコナの支配者である朱雀──焔。北方大陸タカマガの統括者である玄武──地弦と同じようにあらゆる世界に精通し、認知されている聖獣の一人。
人間界──中国圏を中心にしたアジアでは、四神の一つとされている彼の本来の姿は、その名の通りの蒼い龍である。
暗黒時代に、焔や地弦と同じく災厄に挑んだ英雄の一人である水波女蒼蓮は青龍族の皇帝として東方大陸ミズハメを納めている。ミズハメは、ハトラレ・アローラの世界において、二番目に広大な国土面積を誇っている大陸だ。比較的に過ごしやすい気候で、二億ヘクタールは軽く越える広大な高原に、海底が見渡せるほどの澄んだ綺麗な湖や川などがいくつも点在し、ハトラレ・アローラの中で最大規模の大瀑布もある。絶景を数多く存在するミズハメは、通称“自然の都”と呼ばれるほどに、もっとも自然に恵まれた国だ。
「禁忌の悪名が広がっている以上は、それをこの世に産まれ落ちた時点で宿ってしまった銀龍、そして半龍半人であることに対しての差別や偏見と戦っていくことを避けられない」
今の状況がそれにあたると蒼天は告げた。
ここでもまた、シルベットの人間界への出立に彼女自身が枷となることに許せなかった。
シルベットは、自分がこれまで生きてきた時間を知らずに、偏見だけで物を語る連中が憎たらしい。
学舎に通っていない銀龍族の半龍半人だと、偏見の眼差しで見下すエクレールや、ただ単に義兄が盗ったという証拠はなく、居合わせたというだけで犯人だと決めつけるファーブニルのオルム・ドレキに、シルベットは怒りを通り越し、更に呆れも通り越す。一周まわって怒りしかない。拳を握り、強く強く、今眼前にあるエクレールとファーブニルのオルム・ドレキの顔面を撲りたい衝動を抑える。抗議の視線だけを向けた。
【異種共存連合】は人間界に行く上で必要だが、【謀反者討伐隊】はどうでもいい。退隊するならそれで構わないから早くこんな茶番劇を終わせるようにしろ、と懇願する意図を含んだ視線を向けるシルベットに、
「水無月シルベット」
蒼蓮は、短く名を呼んだ。
シルベットを、蒼蓮の透徹した眼差しが見つめている。
「あなたが覚悟の上で選んだ道のりではない。だから憤るのはわかる。しかし、これは運命──天命と受け入れて、その力を亜人や人間たちのために使うことを、我々は願っている」
人間界行きに対して、賛成派とも取れる蒼蓮の言葉だが、シルベットの方は、その言葉の理解が追いつかない。
シルベットとて、字面上では理解している。しかし、相手が云う『運命』や『天命』といった言葉がピンと来ないだけなのかもしれないが。
「運命? 天命? そんな大層なものは、私はいらない。確かに、凶暴な力は無理に抑えることは負荷にならないのだろう。しかし、私はその力に屈しることなく、制御できている。だから皆が心配する災厄は来ない。単なる杞憂で終わる」
「そうなることを切に願っている」
「願う前に行かせない方が得策では?」
またしても、エクレールが口を挟んできた。
険のこもったエクレールの視線に、シルベットは同じく険のこもった視線で応じる。
「貴様という奴は、黙ることを知らんのか……」
「あなたみたいな混血には聞いてませんわ」
エクレールはシルベットに一瞥した後、テンクレプを睨みつける。
「混血が人間界に行ったって、状況は変わったりはしませんわよ。行くだけ無駄というものですわ。おまけに【異種共存連合】が人間界の一部と接触し、結んだ契約まで無駄になるに決まっていますし。そんなことをわかっているからこそ、屋敷内に監禁したのではなくて。周囲から期待されていないどころか、危機感を抱いていることを察してくださらないといけませんわ。大人しくここは【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】に入隊を取り消しにして、銀ピカは素直に一生屋敷内に監禁することに専念する方が身の程を弁えてるってことになりますわよ」
──音が、した。
ぷつりと、頭の中で何かがはち切れるような音が。
それが癇癪を押さえ込んでいた袋の口だったと気付いたとき、シルベットは唇を噛み切りかけるほどの憤怒に見舞われていた。
「金ピカ……貴様は、そんなに私に世界どころか、屋敷の外から出ていって欲しくないようだな……」
「当たり前ですわ」
テンクレプがエクレールの言葉に返すよりも先に出たシルベットは口開き、その開いて出た言葉にエクレールの自分の考えに間違いないといった表情で答えた言葉に心の中を炎のような激情が駆け巡り、それらの激発は、シルベットに理性を忘れさせるには十分すぎた。
「こ、の金ピカがぁ!」
「「シルベット!」」
腰に携えていた天羽々斬を抜き、エクレールへ振り上げたシルベットに、成り行きを見守っていたシルウィーンも流石に看過できず、地弦と同時に叫ぶ。
だが、シルベットには二人の制止の声など届かず。振り上げた天羽々斬の刃は、エクレールを頭上へと、
「これだから教育不足の半龍半人はキレやすくって厭ですわ」
振り下ろす前に、エクレールは瞬時に左腕を伸ばして左横に真っ直ぐと向け、掌を広げると、広げた掌を中心に黄金に光る槍が構成させた。
槍を構え、振り下ろされた天羽々斬を受け止め、そのまま鍔迫り合いとなる。
「チッ!」
「やっと、やる気になりましたわね。理性を失った状態で、どのくらい力が制御を出来るのか見せてくださいまし」
「喧しいチビっ子がぁ……!」
目線は下にも関わらず、見下してきたエクレールに、シルベットは力づくで押し切ろうとする。チビっ子、と呼ばれてあからさまに不愉快さを顕わにし、身体を青光りならぬ金光りが走る。
感電や痺れを回避するためシルベットは一旦、後ろへ下がった。ゆっくりとした初速を得て、そのまま加速に乗り、一閃を与える機会を伺う。
「やめないか!」
ついに喧嘩を始めてしまった両者をテンクレプは、制止する声を投げる。
巣立ちを迎えたばかりである未熟者同士の喧嘩は危険と判断した。お互い強大過ぎる龍族の末裔とあって、周囲の者を巻き込む可能性は十分に孕む。未熟者ゆえに強大な力を持つ彼女たちは相対させるには相性が悪すぎる。シルベットも使い方次第では諸刃の剣であるが、エクレールも操りにくいとされる電磁である。集中力が途切ればあらぬ方向にまで被害が拡大してしまう。
しかし、一度怒り狂ったシルベットは止められない。エクレールも莫迦にされて腹が立ち、テンクレプの制止の声など耳などに入らない。
「今期巣立ちを迎える未熟者である娘たちを戦わせるわけにはいかない。直ちにやめないか」
テンクレプは二人に言った。
様々な事態を考慮すれば適切な対応だといえるだろう。だが、シルベットとエクレールはまだ未熟者で同格と見なされたことに納得がいかない。
「私をこの色だけは立派な屁理屈な金ピカと一緒にするな!」
「そうですわ。わたくしもこの味気ない銀ピカと一緒にされたくありませんわ」
「味気ないだと……」
「そちらこそ、色だけ立派とはどういう意味かしら……」
鼻を鳴らして、今にもつかみ掛かる勢いで迫る。
「意味がわからないとは小娘ではなく、何も出来ない赤ん坊だな!」
「あなたなんかにもっとも言われたくはありませんわね!」
「その言葉を、そっくりそのまま返そう!」
シルベットとエクレールは睨み合う。
テンクレプの側近は二人の若き未熟者たちに呆れ返ってしまい黙ってしまった。二人の雰囲気が怖すぎて周囲の騎士たちはしどろもどろ。列席者たちや二人と同じく巣立ちする同期はただ成り行きを見守るだけ。
「どうやら、あの二人にはこの場の空気とやらが読めないようだな……」
流石の青龍族の皇帝も頭を抑えて嘆息した。