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第一章 四十六




 四聖市近郊──


 北側にそびえ立つ白露山と呼ばれる山の頂上に女性が到着する。


 市街を一望できる四聖市のシンボル的存在である白露山は、昼間は家族や観光客たちで賑わっていたが、日が沈みはじめたと同時に、男女カップルといった客層に代わりつつある。そんな中で、一人の女性がぬっと姿を現した。


 突然、現れた女性だが、カップルたちは気づいた気配は一切ない。自分の愛する異性や街の風景に夢中というわけではない。彼女の存在を認識しないように術式で隠している他ならない。


 女性は、赤と黒のツートーンで構成されたゴシックロリータ調のドレスを身につけている。胸元に十字架の意匠が施され、頭には黒いブーケを被っており、一見したら喪服にも見えてしまう。


 いくら愛しい人がいようと夜景や美しかろうと見てしまうかねない目立ってしまう装いである彼女は、誰にも気づかれず、昼間のうだるような暑さがまだ残っているにも拘わらず、汗を一つもかかずに、涼しい顔で四聖市の夜景を眺める。


 眼下には四聖市の夜景が広がり、彼方には山々が夜目にもぼんやりと見ることができる。街を少し眺めてから、すぐ近くにいるカップルに一瞥してから、首を傾げた。


 ──少し時代背景が変わったかしら……。


 ──いえ、気温も。


 ──五年前は、降りたのは此処より田舎だったし。


 ──滞在したのも、三日間だけだったからわからなかったけど……。


 ──こんなにも時代は変わっていたのね。


 ゴシックロリータ調の格好をした女性────メア・リメンター・バジリスクは、そう感想を漏らして、今一度、四聖市に目を向ける。


「与えられたお仕事をはじめましょう」




 ──メア・リメンター・バジリスクは思い出していた。




 【戦闘狂ナイトメア】と呼ばれる彼女は、生まれてから殺戮者ではない。むしろ善良な少女であったことは故郷では彼女を知る全ての者が共通して持つ評価だろう。


 彼女は南方大陸ボルコナと中央大陸ナベルの間にある諸島で生まれ、小さな村ながらも南方大陸ボルコナの辺境伯のひとり娘であった。


 伯爵家のひとり娘だからといって、裕福ではなかった。領土は南方大陸ボルコナからも中央大陸ナベルからも遠く離れた小さい島であり田舎であり、小さいうえに森や山が多く、収入はすくない。


 リメンター家の生活も、貴族という言葉からイメージされる豪奢、豪勢といったものに一切なく、屋敷がそれほど大きくないとはいえ、家事が一切をこなしているのが女給ひとりだけという時点で窺い知れるというものだ。


 貧乏とは言わないまでも、質素とか慎ましいという言葉が似合う類の貴族だった。子煩悩な両親に蝶よ花よと育てられた彼女は別段誰かを憎んだり、逆に恨まれたりといったこともない、平穏窮まる日々を過ごしていた。それでもリメンター家と村人の間に諍いはなく、メアも村の子供たちと良好な関係であり、幸せだったが──


 それはある日を境に壊れた。




 赤羽宗家が上陸し、【創世敬団ジェネシス】に一気に占拠されたからだ。




 赤羽家は南方大陸ボルコナの地方貴族だ。主に大陸の最北と、中央大陸ナベルとの国境沿いを領地として任される歴史ある旧家である。と同じく国境と程近い諸島を領地としているリメンター家と比較したら天と地の差はある名家だ。


 時折、七つある諸島のそれぞれの領主同士で行われる領主会議にて、訪れるだけだった赤羽家──赤羽家の中でも本家である赤羽璃央が来航した。使者や報せ無しの来航に島民たちは動揺が隠しきれない。


 その当時、赤羽宗家は【異種共存連合ヴィレー】から【創世敬団ジェネシス】に寝返ったという噂が外部から聞かされていたからだ。


 そのため、【異種共存連合ヴィレー】に所属していたリメンター家や島民を引き抜くためか、もしくは根絶やしにしょうとしているのではないか、という憶測が呼んでしまっていた。メア・リメンター・バジリスクの父は何とか場を落ち着かせ、代表で赤羽璃央と話し合いに赴いたのだが──


 帰ってきた父親は血相を変えて戻ってきた。


 それも当然だろう。赤羽璃央が島に上陸した理由は、南方大陸ボルコナへの進軍と、そのために島民全員の召集だったのだから。




「赤羽宗家の召集だ。この諸島を統括している彼らの命じている。伯爵リメンター家の当主としては当然だろう」


「で、でも」


 泣きそうな顔で夫を見上げ、母は言い募る。


「うちの島民全員だけで、二十人をそろえるのもやっとなぐらいですよ……。諸島の全員を集めても百人に行くかどうかわかりません。そんな少人数で不死鳥である朱雀様が護る南方大陸ボルコナを攻め入るというのですか?」


「仕方ないのだ。応じなければ島民だけではない家族の命までもないと言われている」


「そんな……」


「すまない……」


 父は項垂れる母を優しく抱きしめた。


 その光景を見ていた幼い日のメア・リメンター・バジリスクは、両親が話し合っている内容をすぐに理解出来た。赤羽宗家が諸島の亜人たちを集めて、南方大陸ボルコナに攻め入れようとしていること、それに拒否すれば島民たちの命だけではなく家族までも殺されてしまうこと。それは彼女にとって、とても堪えがたいことと言える。


 これまで良好な関係を築き上げてきた家族や島民たちを奪われたくない。何とか両親や島民を助けたいという一心で、メア・リメンター・バジリスクは両親に見つからないように屋敷を抜け出していた。


 夜が老けようとしている薄暗い森の中、赤羽家が島に訪れた時に泊まる別荘に続く道を小さな腕を振って、ひたすら走る。


 赤羽宗家が主要する別荘────唐紅花宮は、島内でもかなり広い土地を敷地として割り振られていた場所にある。赤龍族の中でも上流貴族にあたる赤羽宗家の別荘とあって、ちょっとした楽しみのために立ち寄れるという場所ではない。


 正門前と敷地内に警備員が滞在する警備署があり、一日中目を光らせて見張っている。敷地内に入り込めば警備兵に追い払われるか、捕らえられてしまう。


 付近の島民達は、敷地を囲む森林の外縁部をなぞるように歩くぐらいにしか、その自然環境の恩恵に受け入れることは出来ない。私有地であるから仕方ない。貴族なのだから当然といえた。


 警備の目をかい潜ったとしても、正門から建物までには小さな泉や小川もある森があり、そこには野鳥や野生の小動物などが棲息していてちょっとした自然公園がある。


 建物をぐるりと取り囲むように森林があり、木々のひとつひとつに〈監視〉の術式が編み込まれており、迷子にならないための夜目と、〈監視〉の目をかい潜るためのステルス能力が必要とされるだろう。


 そこをしばらく進むと森を切り開かれ、芝生を敷いた広場が見えてくる。広場の中央には、石造りの瀟洒な噴水があり、その後方に、職員が宿泊する別邸が建っていた。赤羽宗家が宿泊しているのは別邸の奥にある本邸である。


 だが、見通しがいいために別邸前で立っている警備員に気付かれてしまうのがオチだろう。


 大人でも忍び込むのも難儀な唐紅花宮の正門前近くにメア・リメンター・バジリスクは足を踏み入れた。幼い日のメア・リメンター・バジリスクは、家族や島民を助けるには、赤羽宗家が南方大陸ボルコナで攻め入る策を止めてもらうか、変えてもらうしかない、と無謀にも赤羽家当主に無謀にも説得をしょうと考えたのだ。


 行く手を阻んだのは予想通り、赤羽宗家直属の警備隊である。


 まだ、東側の空がうっすらと明るくなり始めた頃合いでしか無いというのに、別荘へと通じる道は厳めしい完全武装の警備隊によってがっちりと固められていたのだ。


 多分、島民たちの暴動でも恐れてのことだろう。


 それにしても、普段は軽装で警棒か長さ一・二から二メートルの長槍────ロング・スピナーが主流だ。


 小銃さえ持っているのも稀だというのに、装備がプレート・アーマーという胴まわり、腕、脚の各部をチェーン・メールで繋いだ純金製の防具と、おおよそ横幅三十四センチ、縦幅が二メートルの凧形をした盾を持っている。明らかに殺傷能力が高い連写型大銃や大型剣を装備させている。


 赤羽宗家は島民が暴動を起こした場合、ただ止めるのではなく、暴動を起こした者の命を葬り去らせようとする気がありありと窺える。それならば、脇道から森を抜けて敷地内に入ったらどうかと思ったが、こちらも槍や剣を携えた兵士達があちこちに散らばって巡回しているという厳重さである。厳重すぎるといった方がいいだろう。


 少し巡回して、少し変化があれば目配せして、すぐにその辺りを捜査し始める。異常がなければ、周囲を探索に入り、余念がない。


 戦場経験の深さでは、幼いメアでは適うはずがない。右を見ても左を見ても、騎士団の警備には隙らしき物がないのだ。これでは監視の目をかい潜って赤羽宗家の別荘に入ることはおろか敷地内に近付くことさえもとても無理である。やはり見張りの交代の隙を狙って侵入した方が無難だろうか。


 大木の幹に隠れながらもメア・リメンター・バジリスクは考えて、思いついたことは正道を行くことだった。


 こっそりと忍び込めたとしても赤羽宗家は快くお願いを受け入れてはくれないだろう。堂々と名乗り出て案内していただくしかない。


 身を潜めて近付くのが無理だったら、それしか方法が思いつかない。こそ泥のような真似をせず、正面から行く方が少しでも印象は良くなるはずだと、彼女は後へ戻ると、正門へと向かう道に出た。


 そこで身なりを軽く整え、こそこそすることなく進む。そして、門の前で警備隊の一部隊に片手を上げながら堂々と歩み寄る。


 こうなると警備兵の対応も、怪しい者が近付いて来たから不審尋問するというものではなく、丁寧な物腰になる。メア・リメンター・バジリスクの身につけているものも、高位の貴族の物であったことも幸いしていた。


「この唐紅花宮は、現在赤羽璃央殿の勅令に基づいて立ち入りが制限されております。役務上お尋ねいたしますが、どういったご用件でおいでになられたのでしょうか?」


「リメンター家の長女、メア・リメンター・バジリスクです。夜分遅くに申し訳ありませんが、極めて重大な用件があって参りました」


「こ、これはリメンター家のメアお嬢様でらっしゃいますか……こんな時間に、お付きの方もなくお一人だけでいらしたのですか? お乗り物は? 護衛もなしですか?」


 対応に出た兵士は、きょろきょろと周囲を見渡してメアが乗ってきたはずの乗り物やお付きの人員を探した。どうやら夜更けに少女一人で来たことを不審がっているようだ。


「はい。少し急を要する上に、お父様やお母様が島民たちと召集令の準備がありまして、私がお使いしたい次第です。このような形で訪れてしまったことは、近所ですし、馬車を出すにも時間が惜しかったので。早く帰宅して寝たいので、申し訳ありませんが早急に取り次いでもらえるとありがたいです」


「は、はい。申し訳ありません。直ちに上官に報告いたしますので、しばしお待ち下さい」


 こうして伝令の警備員が息せき切って走り出すことになった。


 そしてしばらくすると迎えの女性騎士がやって来た。見覚えがある顔である。メアは前に両親と唐紅花宮を訪れた時に案内してくれた女性騎士ということがわかった。どうやら正々堂々と名乗り出るという試みは正しかったようである。こうしてメアは、先ほどまで通り倦ねていた警戒線を、まんまと越えることに成功したのである。


 唐紅花宮まで残りあとわずか。


 敷地内に入ってしまった今、どう侵入するかの心配がなくなった。残りはどう赤羽宗家の当主────赤羽璃央を説得するかである。


 メアは思考を巡らすが説得するための言葉が見つからない。外見上では、人間では六歳前後だが、龍人では幼女に等しい。中央大陸ナベルにある名門校の幼等部に船で通いはじめてまだ一年程しか経ってはいない。説得も交渉もまだ習う範囲ではないために、上手い言葉が思いつかない。


 ふと、何かいい案はないか、考えていると、赤羽璃央が何故南方大陸ボルコナに攻め入ろうと企てているのかが気にかかった。


 攻め入ることがなくなれば、両親と島民たちが戦場に駆り出されることがなくなる。そのためには、赤羽璃央を知らなければならない。


 メア・リメンター・バジリスクは赤羽璃央とは初対面ではない。何回か唐紅花宮で行われた催し事に招待されており、そのつど、挨拶や言葉を交わしている。


 赤羽璃央は物腰が柔らかく優しいという印象であるが、実のところ知らない。情報が少ないため、メアは案内の女性騎士にいろいろと尋ねた。


「そういえば、赤羽璃央様は戦の準備をしておられるのでしょうか?」


「はい。璃央殿下は、現在作戦決行のために策を練っておられます」


「これは忙しい中に出向いてしまいましたわ。話しを聞いてもらえるかしら」


「大丈夫ですよ。璃央殿下はお優しい方ですので」


「そ……ですか」


 メアの顔が曇ったことに女性騎士は気づかないまま、赤羽璃央の人柄を知るためにたわいない会話をしながら、やがて唐紅花宮正門横の警備所前まで来ると、女性騎士は少し待つようにと告げて、扉を開き、中の誰かと言葉を交わし始めた。


 その間、メアの視線は、唐紅花宮の建物に釘付けになっていた。以前、来た時は馬車か竜車の中にいて、外の風景は車窓の枠でしか眺めることができなかった。だからこそ、今立ってるこの場所も厳密に言えば通ってきた道ではあったものの、彼女にとって初めて見る風景だった。だが、いつも以上に警備隊達が厳重に警備している姿はその光景をより一層と引き立たせている。


 その警備状態は異様ともいえた。最初は島民が暴動を起こした場合、その者の命を葬り去らせようとしているのかと考えたがどうやらそれだけではない気がしてならない。理由がわからないが勘がそうメアに訴えかけていた。


 だとすると、一体、何が? 唐紅花宮の厳重に護らなければならない理由とは? 疑問符が尽きない。


 好奇心に駆り立てられ、メアは警備所から一、二歩から下がって、周囲を見て回った。


「おっと、メアお嬢さん、そこから前に出ては行けないよ」


 すると、槍を立てて直立不動状態にあった警備兵が、メアに声をかけてきた。人形のように直立不動であったものが突然動いたため、少女は「きゃっ!」と驚いて尻餅をついてしまった。


 警備兵はメアの手を取って立たせてやりながら説明する。


「現在、唐紅花宮に緊急事態宣言が出されていてな。そこは防衛線が敷かれている」


「防衛線?」


 メアは、警備兵が槍先で指し示した正門前を目を皿のようにして見た。だが線らしきものはどこにもなくて、メアは兵士の言っていることがしばららく理解できなかった。


「線なんかいくら探したって見つからないさ。この辺りを防衛線って、便宜的に決めただけのものだからね。一応、正門前だけではなく、島の至る所に敷かれている。大体、沖から唐紅花宮までいくつか敷かれているのさ。これらは南方大陸ボルコナに攻め入った時に敵が島に反撃した場合の備えだ」


「そうですか」


 メアはそう言って、正門前をを見た。


 警備兵は便宜的に決めたと言ったが、海域にある見えない防衛線は島を護っている。それだけでも心強いといった方がいい。島の者からすれば、防衛線こそが最も頼りとなる防壁だ。防衛線があるのとないのでは不安の度合いが違う。見えない防衛線があれば島民たちはもう安全なのだ。そしてそれが今、目の前にある。


 しかしメアは安堵の顔を浮かべてはいない。島の者たちを護るというのに、脅迫してまで戦場に駆り出すのだろうか。非戦闘員からして見れば生命線に等しい防衛線を便宜的に決めたのか。メアは赤羽宗家に抱く不審感を強めた。


 実際、防衛線の中にいる限り安全なのだ。重武装の警備隊や兵士が護られている防衛線の中なら、学び舎以降、戦闘訓練を受けてない島民たちにわざわざ脅迫して召集をかけ、防衛線の外に駆り出す必要性はあるのだろうか。非戦闘員でなければ、島の者たちは殺される心配はない。赤羽宗家の兵軍だけで攻め入れた方が助かる命は多く、効率がいいに決まっている。


 そう思ってしまうと、今すぐにでも走り出して、赤羽宗家の当主に問い質したい気持ちが湧き上がって来た。実際、前触れも見せずにいきなり走り出せば、この大柄な警備兵の横をすり抜けていくことも容易いことように思われるのだ。


 だが、そんなの思惑が目の色にはっきりと表れてしまっていたらしい。だからだろう警備兵は諭すように優しげに告げる。


「そこから先には行かないようにしてくれよ。俺たちの仕事は、許可のない者にこの線を越えさせないことなんだからね。その為だったら何をしてもいいって言われている。この意味、分かるな? 同じ島で住まう者としてそれだけはしたくない。だからまだ許可が無いメアお嬢ちゃんを通すことはまだ駄目なんだ」


「ええ、分かります」


 メアは嘆息するように頷いた。すると背後から声がかかった。


「メアお嬢様!」


 呼ぶ声がして振り返ると、さっきの女性騎士が手を振って待っている。その横には、赤髪紅眼の少年がいた。


 鮮やかな赤髪を夜風に揺らし、好奇心が旺盛な大きな紅の瞳をメアに向けている。息を弾ませながら口元から八重歯を覗かせて微笑む。何とか体裁を保とうしているが、メアが来ているところをどこからか聞き付けた彼が急いで駆け付けたことが想像できてしまう。


「ぜは……や、やあ……ぜは……、ぜはぜは……」


「綺羅……? ぜはぜは、て言ってますが、大丈夫ですか」


 ぜはぜは、と呼吸しながら現れた少年────赤羽綺羅にメアは驚きながらも気遣いの言葉をかける。


 メアの気遣いに手を上げて応じてから、息を整えてから言葉を発した。


「…………だ、大丈夫だよ。メアが来ているって、聞いたから来てみたんだ……」


「そうですか。本邸から正門まで、また走ってきたのでしょうか」


「そうだね。メアが来たって聞いたから本邸から正門までまた走って来ちゃたよ」


「〈転移〉〈転送〉〈移動〉などといった術式を要すれば、すぐにたどり着くことができたのにと想うのですが……」


「術式を行使するために詠唱とか、構築する時間が惜しくてね。それよりもなんか大事な用事があって、馬車や竜車に乗らずに急いで一人で来たんだって。暗い夜道で怖かっただろ?」

 優しげな声音で少年────赤羽綺羅はメアを気遣う。大丈夫ですよ、とメアは彼の気遣いに答える。


 メアが正門前に来たと聞いたら我が先よと駆け付けた少年――赤羽綺羅は、赤羽宗家の次期当主候補にして、メアの幼なじみ。学び舎の同期生にして、メアの許婚だ。


 彼は、メアのもとに駆け寄ると、


「でも、せっかく来たのに風邪をひかれては」


 と、メアをひとまず警備所に案内した。




 赤羽綺羅は警備所に入ると、メアに歩み寄り、まず椅子を勧めた。


 メアは、腰を下ろしたことで安堵できたのか、ホッと肩の力を抜いた。これまで、いろいろと考えていたこともあり、気を休める暇もなかった。そのため、緊張の糸が少しだけ緩む。


「これをどうぞ」


「ありがとうございます」


 自分とほぼ同じ年齢の少女が差し出す飲み物に礼を言い、手を出して受け取った。


 ふと、見覚えのない少女にメアは口を開く。


「見たこともない顔ですけれど?」


「はい。先月に赤羽家で従者として雇って頂いております」


「そうですの。その年齢で従者だなんて大変でしょう?」


「いえいえ。赤羽家の方々が優しくして頂いて」


「それはよかったですわね」


 赤羽璃央にメアが来たことを取り次ぎに行った者が戻る間、メアは少しばかり新しく赤羽家に雇われた少女────ロダンと歓談して暇を潰した。興味津々で彼女の話を訊いていると女性騎士が警備所に入ってきた。


「ただ今、戻ってきました」


「どうでした?」


「ご希望の謁見への取り次ぎの件ですが、残念ながら赤羽璃央からのお答えは、”現在忙しくお会いする時間がないのでお断りする”というものでした」


「…………そ、ですか」と肩を落とすメア。


「父上様に何か用事があったのかい?」


 肩を落とすメアに赤羽綺羅は優しく言った。


「ええ。まあ……」


「僕からでも伝えてあげようか? 会わなくとも聞くことは出来るはず」


「それは……」


 メアは赤羽綺羅の言葉に困ってしまう。南方大陸ボルコナに攻め入る時に島民たちを使うのをやめてほしい、もしくは戦事を始めないでほしい、という内容の話を気軽に話していいものではない。特に、赤羽宗家の別荘の警備所不用意に口にはできない内容だ。


 メアが話すか話さないかを渋っていると、赤羽綺羅はとても淋しそう顔を浮かべる。


「僕では不服かい?」


「そういうことでは……ただ、急いで赤羽璃央に取り次いで頼みたいことがあって……、綺羅に話したら迷惑をかけてしまいます」


「メアからの迷惑なら喜んで受け入れるよ」


「綺羅……」


 メアは数分間考えた後に、赤羽綺羅にだけ打ち明けることにした。


「実は……──────」


「おやおや。コレハコレハ、リメンター家のオジョウサマではないデスかァ」


 口を開いた瞬間、メアの言葉をエフェクトをかけたかのように細く高い声が遮った。


 警備所にいた全員が声がした方へ振り返ると──


 いつの間にかそこには全身を黒ずくめの法衣に身を包んだ得体の知れない”それ”がいた。


 物音はおろか絹擦れの音さえも立てず現れた”それ”は、スーッと警備所内に入ってくる。その際にも物音は一切ない。空中を浮遊しながら移動しているかのような滑らかさで警備所に入ってきた”それ”と、被っていたフードを脱いだ。”それ”は前髪を額に垂らし目のかかる位置で切り下げ、後髪を襟足辺りで真っ直ぐに切り揃えられた黒髪。所謂お河童頭だった。頬はこけており、骨に最低限の肉と皮を張りつけて、辛うじて人型の体裁を保っている姿は、恐怖や死、絶望といった負の感情を体現したかのような生気が感じられない肉体をしている。


 ただし、その狂気的なギラギラと輝く双眸が唯一、生気が感じられる。黒の法衣を身に纏った”それ”がニッと不気味に嗤い、


「オヤオヤ。何を呆けたカオを浮かべいるのデショウカ?」


 と、目にかかる程の髪の間からメアを射貫くようにギラギラとした双眸が見つめてくる。


「……っ」


 心の中を覗き込まれるような錯覚を覚え、メアは思わず息を呑んだ。


 背筋だけでなく、躯全体に冷たいものが走り、動けなくなった。恐怖心に震えが止まらなくなる。これ以上、視線を合わせては生命の危機が感じる。


 だが、視線を逸らしたくとも、視線を逸らすことが出来ない。金縛りでもかかっているのだろうか。メアの視線は黒の法衣の者に固定されてしまった。


 視線を外すことができない少女に黒の法衣の者は右手で拳を作り、左掌の上を打ち、思い出したかのように手耳障りな声を発する。


「あぁ、ソウデスネ。そういえば、名を告げるのを忘レテマシタ。これは失礼をしていたようデス。ボクとしたことが御挨拶をしていないとは何たる不覚デショウカ」


 失礼を詫び、色素の薄い唇が横に裂いて禍々しく嗤った。


 ”それ”はそのままだま、ゆっくりと丁寧に腰を折り、


「改めまして、ボクはゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーです! 此の度、赤羽宗家に仕えることとなった者です」


 名乗り、右指をメアを差して、ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーはケタケタと嗤いながら言う。


「アナタは、ココに南方大陸ボルコナに攻め入る時に島民タチを使うのをヤメテホシイ、もしくは戦事を始メナイデホシイノデスネ?」


「……ッ!?」


 メアは動揺した。


 それは当たり前である。メアが唐紅花宮に来た意味を、赤羽璃央に訪ねた意味をゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーに言い当てられてしまったのだから。


 彼女の反応に、最低限に張り付いていた顔筋の運動のみで形作られたような無味無臭な微笑みを浮かべる。それは、自分の感情を悟らせないように張り付けたかのような微笑みであった。現に、眼にはギラギラとした感情が隠しきれてはいない。


「それはイケマセン。それはイケナイノデスヨ。言わば、それは上級貴族への叛乱行動そのものデス。それを正さなければナリマセン」


 そう言って、ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーはメアの腕を骨と皮しかない腕で掴んだ。氷点下のような冷たさにメアは、ひっ! と声を上げる。


 そのままメアを引っ張るかのように警備所から出ようとするゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーの前に赤羽綺羅が飛び出す。


 魔方陣を展開させ、そこから紅剣を召喚させる。


「メアをどこに連れていくつもりだゾォゥズフゥー・キャリーディスペアー」


 紅剣を取り、鞘から抜き、メアを無理矢理に連れていこうとするゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーに向けて構える。


「メアは僕のフィアンセであり客人だ。無礼を働くな!」


「ほう……」


 出入口前で紅剣を手に立ちはだかる少年にゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーは冷酷な微笑みを向ける。殺意にも似た狂気的な視線に赤羽綺羅は怯みそうになりながらも、メアを助けるという強い意志を瞳に込め、


「……そ、その乱暴な手をメアから離せ!」


 紅剣に魔力を込めた。


 刀身に魔力を帯び、深紅に染める。闘心を宿らせて、見据える彼の瞳には、これ以上メアを乱暴に扱えば殺す、といった意志が見える。


 ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーは、そんな彼を面白がるように見た後、メアを静かに下ろした。


 ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーの腕を逃れたメアは赤羽綺羅の元に駆け寄る。赤羽綺羅は駆け寄ってきたメアを背後に下がらせ、彼女を護ろうと前に立つ。


 騒ぎを駆け付けた警備隊がゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーを包囲する。


 武装した警備隊に包囲されたゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーは、恐れるどころかワクワクとする少年のような眼をした。狂喜的な瞳で周囲をかこむ警備隊、自分に刃先を向けて紅剣を構える少年────赤羽綺羅、その後ろで少し脅えたメア・リメンター・バジリスクを一瞥した後に、残念そうに大きく息を吐いた。


「…………とてもとても、トテモ残念ですが……。アナタがこれ以上怒れば、オモシロくなりそうデスが、今は大事な催しがアリマスので、ヒトマズはいう通りにシマショウ」


 そう言って、両手を上げた。


 こうしてメアと赤羽綺羅は、女性騎士とゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーを伴って、唐紅花宮へと赴いたのである。


 それは既に太陽は沈みきり、嵐の前の静けさが漂う夜が深まった頃合いであった。




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