第一章 四十三
頭の中で響く声に急かされて悩んでいる清神翼の前方を進むエクレールは、警戒を市街地に向けている。
ラスノマスらしき魔力反応が移動している。一定の間隔を開けて移動しているところを感じ取る限り、今すぐ襲ってくる気配はないだろう。魔力は少しばかり弱々しいが、それは感づかれないためだろうか。どちらにしても、魔力を消費しているエクレールは勝ち目はないと見て、ラスノマスに奇襲を仕掛けられないように用心するしかない。
感じたところでは魔力反応の一つだけである。挟み撃ちされる心配はないが用心して損はない。回り道される前に、橋を渡ってしまえば、迂闊に手を出すことは出来ないだろう。もし朱雀とボルコナ兵が【創世敬団】に荷担しているのなら、挟み撃ちも同然だが。
「行きますわ。できるだけ目立たず、を心がけて、わたくしについてきてくださいまし」
「あ、うん……」
エクレールは、膨れ上がる不吉な予感に払拭するために気合いを入れて歩きはじめた。
その瞬間。
山が噴火したかのような轟音が辺りを揺るがした。
「何だ?」
「何ですの?」
翼とエクレールは轟音に思わず手で覆い、前屈みになり辺りを警戒の目を向けた。
轟音は、どうやら住宅地から聞こえたことがわかった瞬間に、炎が混じった衝撃波が襲いかかり、川の方を見ると、何かが上流から大きなものが流れていることに気づく。
何だと思い、側を流れていくそれを警戒しながら近づき見ると──。
それは四肢があり人型をしていた。さらによくと見ると、見知った顔をした少女の姿をした人型である。
「美……神、光葉……」
「ミカミミツハ……? ツバサさんは美神光葉を知っていますの?」
「知っているも何も」
美神光葉は、翼が通う中学校に転入してきたクラスメイトだ。そして、翼を狙う【創世敬団】の一人でもある。
でも、なぜ川に流れてきたのかわからない。
美神光葉は確か、ラスノマスと戦っていた。シルベットと共にラスノマスと激闘を繰り広げていた光景が、翼がもっとも彼女を見た最後の記憶である。
あれから気絶していた時間が経過していることを考えると、吹き飛ばした相手がラスノマスという可能性は低くはないが高くもない。
だが。
考えている時間は後回しにした方がいい。
「助けよう」
「助けるんですの……?」
翼が美神光葉を助けるといったら、エクレールが苦虫を噛み潰したかのようなとても厭そうな顔をした。
それも当然だろう。エクレールが現在悩ませている精神汚染は彼女────美神光葉の従者によって引き起こされたものである。
少しずつ軽減はしているものの時折、不安が襲ってしまう。状況が状況だけに、心配事の種はこれ以上はいらない。捕虜したくともその余裕はエクレールにはないのだ。
にも拘らず、翼は助けると言い出す。どういうことなのか、鋭い視線で問いかける。
「助けてどうするんですの……? わたくしには、先ほど教えて差し上げました通り、捕虜を連れて歩く余裕はないのですのよ」
「──助ける。彼女は【異種共存連合】、【謀反者討伐隊】と【創世敬団】の多重間者みたいだから、この状況を打開する鍵があるんじゃないか、と思って……。それに、この〈錬成異空間〉は美神光葉が行使者らしいから、何とか向こう岸に渡らなくとも脱出する手立てがあるんじゃないかな」
語気を強めて言ったエクレールだったが、翼は臆することなく答えた。
ごもっともな意見だ。美神光葉は、この空間の創造主といっても過言ではない。そんな彼女の力があれば、或いは危険な橋を渡らずとも済むかもしれない。
「確かに、彼女の従者から訊きましたが【異種共存連合】、【謀反者討伐隊】と【創世敬団】に所属し、両方の情報を密告しています。いわゆるスパイというものですわ」
「スパイ……」
スパイ、と聞いて翼はラスマノスが美神光葉に言っていたことを思い出された。
シルベットと対峙した際に、ラスマノスは美神光葉を【創世敬団】と【謀反者討伐隊】の間者と言い、ルシアスがラスノマスを監視するために送り込んだ”鈴”とも言っていた。これは一体どういうことか。
鈴。
鈴には、伝令の意味がある。
美神光葉が【創世敬団】を統括するルシアスにラスノマスの動向を逐一、知らせていたとしたら、ラスノマスとルシアスの関係はあんまり良くないことが窺える。あくまでもラスノマスの発言から推測した限りでは。
「ええ。銀ピカとシンとかいうわたくしに精神汚染をかけた美神光葉の従者の話しで訊いた限りですが……。まあ、彼女なら何か知っていて当然でしょうね」
「だったら……」
「────ですが、彼女を捕虜にして、いろいろと訊くだけの余裕も魔力もありません」
「じゃ、このまま流れていくのを見てろというのか!」
「ツバサさん!」
翼はエクレールの制止を振り切って流れていく美神光葉を追う。
川の流れは比較的穏やかだ。一メートル半の距離、比較的に足がどうにかつく浅瀬に流れてきたところで川に飛び込み、彼女の袖を捕まえる。
「美神! 美神!」
「…………………う、う………」
どうにか抱き寄せて、彼女に呼びかけると、呻き声を上げた。生きているとわかり、岸辺へ彼女を連れていく。
岸辺で呆れ果てた顔をしたエクレールが、「仕方ありませんわね……」と手を伸ばし、翼の手を取り、美神光葉を一緒になって引き上げたところで、エクレールは口を開く。
「…………仕方ありません。この際、魔力消費しながらも保護対象者と捕虜を護って面倒見ますわよ……」
エクレールは少し自棄っぱちに言った。
「いろいろな意味で、目的は定かではありませんが、彼女は【創世敬団】とも【謀反者討伐隊】とも違うように思えますからね」
「どういうこと?」
「【創世敬団】は、人間を獲物としか見ていません。自らの欲求のために弄びながら狩ります。飽きたら食欲を満たすために喰らうのが主な目的です。【謀反者討伐隊】は人間界の生態系を乱さないために【創世敬団】を討伐する役目があります。だからラスノマスに捕らえられた人間を【創世敬団】や【謀反者討伐隊】に秘密裏に匿う理由がわかりません」
翼は思い出す。美神光葉がこれまでラスノマスが人間界で捕らえた人間たちを密かに逃がしたことや美神家で匿い保護しているようなことを言っていた。
確かに、人間を護っている【異種共存連合】や【謀反者討伐隊】に秘密裏で匿う理由がわからない。何か秘密裏にしなければならない事情にあるのだろうか。
「ただ単に、どういういった経緯で【創世敬団】に襲われた人間を保護した理由が思いつかないのか。【異種共存連合】や【謀反者討伐隊】を信用出来ないのか、定かではありませんが、わたくしてしては、このままわからないままでは釈然としませんわ」
「俺もこのまま見捨てることなんて出来ないからね。なにがしらの事情を知っているなら助けた方がいい」
話すかどうかはわからないけど……、と翼は言った。
そうしなければならなかった理由が現状では、ラスノマスの発言だけで何の確証もないが、もし事実なら彼女をこのまま川底に沈めるわけにはいかない。
「エクレール」
「わかってますわ」
エクレールは深刻な顔つきになり頷く。
「わたくしたちの任務はツバサさんを護ることです。ですが、同じ世界線の者をただ単に謀叛者として討伐するだけではないことを見せて差し上げますわ」
エクレールがそう宣言したと同時に、土手の向こう側から轟、と激しいうねり音を上げて摂氏一千度以上のマグマが噴き上がった。それらは、炎の獣と形作る。ペガサスに似た妖馬やワタリガラスに似た妖鳥へと形を変化させたマグマは咆哮を上げて、暴れ狂う。
「なんだあれ……?」
荒野と化した住宅街に突如として顕れた炎の獣に立ちすくんでいると、横にいたエクレールが口を開く。
「あれは……眷獣、ですわね」
「眷獣?」
眷獣、ある小説では、眷属たる獣────すなわち、使い魔だたたと記憶している。それと意味が同じと考えるべきか、翼は横で眷獣という言葉を口にした金髪碧眼の少女に注視した。
「ええ。眷獣ですわ。意味は、日本でいうところの陰陽師が使役する式神に近いと思えばいいですわ」
式神、その言葉は聞きなじみがあった。
式神。
一般的な読み方は”しきがみ”だが、文献によっては表現方法が異なり、別名で”式の神”や”式鬼”とも表されている。
藁人形や神を用いた人形に霊力を込められたものが擬人式神といい、よく映画やアニメなどで見る式神だ。
式神は陰陽師が操る鬼神だ。式神に使われている”式”には”用いる”という意味があり、”使役する”ということを表しているという。式神は陰陽師が召喚する神様であり鬼である。
「式神と眷獣の違いは、使役するのが神や鬼ではないこと。従順たる従僕ということですわね。例外を除いては、主に聖獣といった上位種だけが使役してます。つまり神獣が扱う獣ですわ。姿や能力は使い手によって様々ですわ。もっとも力の弱い眷獣でさえ、最新鋭の戦車や攻撃ヘリの戦闘力を凌駕しますわ。下手すれば、小さな村を一日経たずとも丸ごと消し飛ばすようなことも可能ですわ」
「…………」
エクレールの言葉を聞いて、翼は絶句してしまった。
一体、誰が……という言葉が口元に出かかって思い当たる。この〈錬成異空間〉に置いて、眷獣が喚び出せる程の聖獣────神獣は翼が知る限りでは、一人しかいない。人ではないが。
「もしかして……」
「ええ……」
エクレールはうんざりした顔を浮かべながら口を開く。
「眷獣を喚び出したのは、この場に置いて、朱雀以外にいませんわよ」
「正解だ」
ふと、頭上より声が響いた。
翼とエクレールは聞き覚えがある声に思わず、声がした方へと振り返る。
そこには案の定、つい数時間前に見た者が空中に浮いていた。
燃えるような赤髪、目に映る全てを焼き尽くす炎のような紅の双眸。如何にも、筋肉隆々の戦士という偉丈夫。如何にも手練れのオーラを放つ推定身長二メートルを越える見知った大男が佇んでいる。
「炎龍帝……」
「ドレイク……」
エクレールが彼の二つ名を、翼が本名を口にした。
炎龍帝ファイヤードレイクは悠然と天空で二人を見下ろしてから、傍で倒れていた美神光葉を見据える。
「美神光葉。ハトラレ・アローラにおいて名高い剣豪の一人だが、【異種共存連合】、【謀反者討伐隊】と【創世敬団】の多重間者だ。捕らえたことは、大手柄といっとよいだろう」
「今頃お出ましとは、随分と遅いですわね……」
エクレールは三尖両刃刀を召喚させるとすかさず構え、キッ、とドレイクを睨みつける。
ドレイクは、朱雀と同じ南方大陸ボルコナの出身者だ。【部隊】の教官であり、上官だとしても味方とは限らない。
ドレイクを警戒しながらも消費しつつある魔力を練り上げる彼女に、ドレイクはハッと血相を変える。
「複数の魔術を使いながら、さらなる魔力の練り上げることを危険だ。このままでは魔力切れを起こしてしまいかねないぞ」
「でしたら、あなたが朱雀との件に関してご存知でしたらおしゃっていただけません。わたくし共に危害を与えないという証明して頂けないと安心できませんわよ」
エクレールが硬い声で言う。躯から稲光を走らせて、今にも前戦攻撃として向かって来そうな勢いだ。これ以上は刺激しないほうがよさそうだ、と判断したドレイクは表情を引き締める。
「……どうやら、多少の誤解が生じているようだな。わかった。吾輩が嘘偽りなく話そう」
そう言うと、ドレイクは語り出した。
◇
ドレイクが翼とエクレールと再会する三十分前──
「……ん?」
ドレイクが見張りの任に就いていると、不意に、上着のポケットに入っていた携帯電話が震え始めた。【異種共存連合】から人間世界で過ごす上で重要なものとして支給されているもの一つである。
従来型のと、スマートフォンと呼ばれる型の二台が支給されるが、機械音痴にもかかわらずドレイクはスマートフォンを使用している。携帯の簡易な説明書を取り、電話機能とGPS、ウェブ機能を中心に読み覚えたがイマイチ使い慣れていない。
三百頁もある従来型携帯電話の説明書とスマートフォンの十頁ほどの簡易な説明書のどちらを読んでいても、さっぱり理解しておらず、人間界の様子を伺い、スマートフォンが多かったからと選択してしまった自分を腹立たしさ感じながらも取り出す。
バイブレーションのリズムと着信音からいって、電話ではなくメールなのだが、それもわからないまま、恐る恐る壊さないように画面をタッチする。画面を見ると、それが上官にあたる朱雀の携帯電話から発信されたものであった。
電話帳には、【異種共存連合】が人間界で必要であると判断されている電話番号が事前に登録してある。そのおかげで発信者が特定できたことは【異種共存連合】の心遣いに感謝せざるをえない。
それを確認して、不慣れな手つきながらも操作し、メールの中身を確認する。
【本文:予定通りに決行。全員、任務に就け】
簡潔な文面を取り囲むようにして絵文字でデコレーションされていたがけれど、その意図は十分に理解した。
朱雀は人間界に着いて数分で、従来型はおろかスマートフォンを使いこなし、絵文字や顔文字も会得してしまったことに驚いてしまった。引きこもりだった割には、朱雀の人間界の適用能力には感心してしまう。人間界に数度程、足を運んでいるドレイクよりも適用能力が高すぎる。
ドレイクは、未だにメールの返信の仕方がわからず、了解という返信しょうと悪戦苦闘しながら、結局は諦めて携帯電話をポケットにしまい込み、トン、と地面を蹴った。
返信で手間取って任務を真っ当できないとかシルベットたちに知られば末代の恥である。笑えない話だ。ほうれんそう、という社会的常識に関して大事なことだが至急を要する任務のため致し方ない。
軽く足を縮め、虚空を蹴る。するとそれと同時、辺りに炎が渦を巻いたかと思うと、魔力により、重力の軛から解き放たれたかのようにふわりと宙に浮いたドレイクの躯が超高速で空へと舞った。
まるで弾丸になったかのような感覚。視界に映る景色が目まぐるしく流れていき、風が肌を打つ。人間ならば、飛んでいる最中に気を失ってしまい、地面に激突してしまいかねないが亜人なので諸ともしない。
数分間の飛行ののち、ドレイクは前方から近づく人影を発見する。
光に輝く蒼の長髪をゆったりと一つに纏めた少女である。光の粒子で縫製された煌びやかな魔装に身を包んではいるものの、その身から放つ圧倒的な存在感がある抜群のプロポーションを持つ彼女は、水波女蓮歌だ。
東方大陸ミズハメの土地を納めている青龍族皇帝の第一皇女にして姫巫女である彼女は現在、セイシン・ツバサの護衛の任務に就いているはずだが。ふらふらと飛空している。表情が心なしか冴えない。目元には泣き腫らしたかのような跡が遠目ながらも窺える程に落ち込んでいる。
何かあったのだろうか。遠目で様子を窺っただけではだが、蓮歌の表情を見る限り、任務に失敗して落ち込んでいる可能性が低い。
シルベットとエクレールだけではなく、蓮歌も問題児である。巣立ちという式典にて、演説をしていた上官にあたるファーブニルのオルム・ドレキに罵詈雑言を浴びせていた。任務をちゃんと取り掛かるような真面目な隊員ではなく、むしろ学生感覚が抜けきってはいない。だからこそ蓮歌が落ち込んでいる理由は他のことだろう。
それは可能性として、一つしかない。
蓮歌の嗜好は特殊だ。異性よりも同性を愛する。女の子が大好きな、いわゆる百合っ子である。特に、幼なじみであるエクレールに御執心だ。彼女を眺める度に涎を垂らし、身を捩って『エクちゃん、かわいいぃぃいいいいッ!!』と叫ぶくらいである。その度に、エクレールがうんざり気に睨みつけて、時には電撃を喰らわせているのがよく見かける光景の一つだ。
だからこそ、そういった関連の諍いが絶えない。
別に個人の嗜好をドレイクはどうこう言うつもりはない。脊椎反射的に自分と異なるものを排斥するような幼稚な真似はするほど、ドレイクは落ちぶれてもいないし、心が狭いわけではない。この世界だけではなく、他の世界でも様々な愛の形があることも理解はしている。
だが、現在は任務続行中である。【創世敬団】の襲来があってもわからない状況下で、諍いでも起こしたのだろうか。ドレイクは彼女の元に行き、声をかけることにした。
「水波女蓮歌」
「…………」
速度を下げて、蓮歌に近づき呼びかけて見るが返事はなかった。ただ海を漂う屍のように宙に浮いているようだ。
「水波女蓮歌」
「…………」
再度、声をかけたが応答はなかった。
「水波女蓮歌」
「……」
「水波女」
「……」
「蓮歌」
「……」
「蓮歌!」
「……」
何度呼んでも怒気を強めても結果は同じだった。ふらふらと飛空するだけで応答はない。仕方ないから彼女がもっとも反応する名前を言う。
「エクレール」
「……え、エクちゃん?」
エクレールの名前を聞いた途端、蓮歌は表情に生気が戻り息を吹き返し、周囲を見回した。
「ようやく我に返ったか水波女蓮歌」
「エクちゃん? エクちゃん? エクちゃん? エクちゃん? エクちゃん? エクちゃん?」
キョロキョロと蓮歌は目の前にいるドレイクをまるでそこにいないかのように無視して、エクレールを探し回る。勿論、ここにはエクレールはいない。すぐにエクレールがいないことに蓮歌が気づいた。
「はぁ……」
ガクリと肩を落とし、深いため息を吐いた。
ようやくドレイクに気づき、ギロリと睨みつけて蓮歌が口を開く。
「何ですかぁ? 蓮歌に振り向いて欲しいからってぇ、大嘘を吐いた巨漢法螺野郎さんっ」
蓮歌は、底冷えした刺々しい声音で毒づいた。愛らしい顔が嫌悪感に歪ませて。
「相変わらず、異性には遠慮がないな。一応、これでも吾輩は上官であり、教官なのだが……」
「何喋りかけているんですかぁ? やめてくださいよ気持ち悪いですねぇ。声を発さないでくださいよぉ。唾液を飛ばさないでください。息をしないでください。うるさい。やかましい。黙っていただけませんかぁ。これ以上、蓮歌の耳を汚さないでいただけませんかぁ。上官でも教官でも蓮歌の耳を汚す資格なんてないでしょう」
散々、罵詈雑言を浴びせられ精神を削られたドレイクだったが、何とか普通に会話できたのは三十分もかかってしまった。
「エクちゃんとシルちゃんとツバサさんなら、〈錬成異空間〉の中ですよぉ。でもぉ、何度も〈念話〉で呼びかけても応答がありませんし、〈錬成異空間〉に入れなくなっちゃってぇ…………もう、蓮歌どうしていいかぁ……」
「うむ」
蓮歌から事情を聞き、ドレイクは頷いた。
「こちらもシルベット、エクレールとの〈念話〉が不可能だ。どうや現実世界と〈錬成異空間〉の境界に魔力を遮断されてしまったようだ」
「蓮歌とエクちゃんとのラブラブコールができなかったのは……?」
「……ああ」
蓮歌が口にしたラブラブコールに疑問に感じた。
蓮歌はエクレールに多大なほどの好意を抱いているが、エクレールの方は蓮歌に対して、そこまで好意を抱いてはいない。
むしろ、抱きしめてくる蓮歌に対して、多少なりとも加減はしているが電撃を悠長もなく食らわせるほどである。だからこそ、通話拒否されていることも少なくなかったが、ドレイクは証拠もなく、口にするのはいかがものだろうか、と触れずに話を進める。
「……多分、それは〈錬成異空間〉の行使者が中途半端に代わったせいかもしれない」
「中途半端に代わる……」
蓮歌は小首を傾げる。
〈錬成異空間〉は、常に行使者の魔力や司る力によって供給され現存している。行使者と繋ぐ経路を術式により、変えてしまうことは可能だが、―つの〈錬成異空間〉に二人の行使者とは蓮歌は聞いたこともない。
「そんなこと起こり得るんですかぁ?」
「可能だ。経路を共有にすれば、一人にかかる魔力量が少なくなるし、相手から完全に行使権を奪い取るわけではないから気づかれることはない。だが、現存するための魔力用量が極端に軽くなる可能性が高いから分量さえ間違いなければ、だがな」
「じゃあ、〈錬成異空間〉のもう一人の行使者って、相当の魔術使いとなりませんかあ?」
「そういうことだ」
「だったら、絶ッッッッ対にドレイクさんじゃありませんねぇ」
「そうだな──う、うん? それは一体、ど────」
「そうとわかれば、さっさと行使者の一人と出会って権限を奪い取りましょう」
ドレイクの言葉は遮れた。
急を要するために問いただすのを諦め、先に話を進めることにする。
「〈念話〉が使えないとなると、外部からの魔力を切られている恐れもある。そうなると、外部から〈錬成異空間〉内部に侵入することが不可能になっている恐れはあるだろう。人間界での携帯電話の周波数はくり返される波動の一循環は、ほぼ同一だ。ただ、魔力ではなく電波を使っている点から繋げることは可能かもしれない」
「じゃあ!」
「待て」
早速、携帯電話を取り出す蓮歌をドレイクは制する。
「携帯電話は、通信するために電波が必要だ。〈錬成異空間〉にはそのための電波塔はない。あったとしても、所詮は〈錬成異空間〉に風景として創られた紛い物だ。例え、少しの間だけ繋がったとしても、長時間での通話は不可能だろう。通話には魔力での補填が必要だが、それも叶わない。よって、携帯電話で〈錬成異空間〉の内部と連絡を取るには、メールしかない」
通信に必要な電波が少なく短時間で行えるメールの方が敵陣にも気づきにくい。
ちゃんと通信できる保証がないために傍受もされやすい上に、無理に通信しょうとして、〈錬成異空間〉内部ではなく、垂れ流し状態となっている人間世界にある周波数に乗ってしまい、人間と繋がってしまいかねないだろう。それでは事態をややこしくなる。
「じゃあ、エクちゃんにメールで送りますね♪」
嬉々として蓮歌が水色の魔方陣を展開、異空間からスマートフォンを取り出し、画面を操作する。
ふふ〜ん♪ と鼻歌を歌い、スマートフォンを使い、慣れた手つきでメールを早打ちしていく蓮歌にドレイクは言う。
「なるべく簡潔な文面が良いだろう。現在は、関係ないことは省け。──冗談でも、エクちゃん好きとかエクちゃん愛してるとか終わったら抱きしめたいとかは書くなよ」
ドレイクが半眼を作りながらぴしゃりと言うと、ちっ、と蓮歌は不満げに舌打ちした。
「水波女蓮歌。書く気だったのか」
「いいじゃないですかぁ別に……」
ぶーと蓮歌は唇を尖らせた。
どうやら図星だったようだ。油断できない。あらかじめ注意しておいてよかったと言わざるを得ない。
案の定、嫌がる蓮歌からスマートフォンを無理矢理に取り、不慣れな手つきでメール画面を確認したところ、エクレールに対しての重苦しい文面が綴られており、それに絶句してしまった。
【宛先:愛しいのエクちゃん♪】
【件名:緊急事態発生しましたよぉ♪】
【本文:エクちゃんと蓮歌との愛の〈念話〉が【創世敬団】のクソ野郎のせいでできなくなってしまいました。返信をお願いしますねぇ♪】
大量のハートマークが羅列しているメールに、ドレイクは大きなため息を吐きながら、わしわしと頭をかき、
「やり直しだ」
「…………」
やり直しを命じたら、蓮歌は表情を曇らせた。
「やり直しだ」
「…………」
再度、ドレイクがやり直しを要求したが蓮歌は答えない。その代わり、あからさまに不服そうに視線を逸らした。
上官に対して反抗の意思を感じたドレイクは、それから不服だと言わんばかりのブーイングをしてきた蓮歌に構わず書き直しをさせた。ドレイクの監修の下、蓮歌は五回ほど書き直しを余儀なくされたのは言うまでもない。
六回目でようやく無駄のない簡潔な文面が出来上がり、やっと送信できたのは、朱雀のメールを受信してから二十五分も経ってしまった頃だった。
「……やっと、まともな文面になったな……」
ふうと息を吐き、ようやく自分に課せられた任務に戻れるとドレイクは安堵した。その横で彼に恨めがしい目を向けているのは蓮歌である。「せっかく愛のメッセージがぁ……」という蓮歌が恨み言を呟いていたがドレイクは無視した。
「では、我輩は任務に戻るとしょう」
任務に就け、という朱雀のメールを受信してから二十五分以上も過ぎてしまっていた。完全に出遅れてしまったといって差し支えないだろう。
だが。
ドレイクは蓮歌たちの【部隊】の教官、もしくは保護者としての役目を担っている。それに朱雀に課せられた任務と差ほど変わりはない。
なぜなら、ドレイクは清神翼およびシルベット、エクレール、蓮歌を【創世敬団】ではなく、【異種共存連合】や【謀反者討伐隊】に潜んでいる黒幕から護ることにあるのだから。
ドレイクが任務に就くためにぐずぐず言っている蓮歌に言う。
「ところで、蓮歌は何でシルベットたちと分かれたんだ?」
「それは、ですねぇ────」
蓮歌はこれまでについての経緯を語り出した。
それによりドレイクは、蓮歌が護衛対象者である清神翼や【部隊】であるシルベットとエクレールから離れた理由を知った。蓮歌が早急に天宮空と鷹羽亮太郎の下に行かなければならないことや美神光葉の従者と名乗るシン・バトラーの存在を。
◇
「────それから蓮歌をソラさんたちの下に連れて行き、到着したことをメールで送らせたけれど、わたくしから返信がないことから緊急事態が発生したのではないか、と考え、援軍と共に塞がれた〈錬成異空間〉に穴を開け、侵入してきた、というわけですのね……」
ドレイクからこれまでの経緯について聞いたエクレールは胡散臭げに眉根を寄せていた。
ドレイクの脳波、筋活動、眼球運動、眼振、心拍、呼吸など、多種類の生理的現象の変化を〈見敵〉と〈空間把握〉を応用した魔力量が比較的に少ない術式を行使して、相手の体内を半目でうたぐり深く覗き込む。ドレイクの心拍は適切な脈を打ち、脳波、筋活動、眼球運動、眼振、呼吸は平常値であり、嘘を吐いているように様子はない。ただ単に疲れているだけ以外は。
エクレールはひとしきり見据えた後に、
「────嘘を吐いた様子はありませんわね」
言って、ふうと息を吐く。
「つけ加えるなら、蓮歌と別れる際に、”蓮歌も連れていって”といい歳した彼女に迫られて引き離すのに大変だった、ということですかね」
「……そ、そうだな……」
ドレイクが普通に驚く。
それもそのはずだ。現在、緊急事態発生中のために悠長に話しをする時間がなく、蓮歌と分かれた際の事については重要性は低いために、ドレイクはこれまでの経緯について省略していた。早口に近い早さで言ったことにより、彼女たちに伝わっているか心配したがその必要もなく、言わんとすることもわかってくれて手間が省けたというべきか。
「まあ、簡潔的に言えば、そういうことになる」
「簡潔的過ぎますわよ。察しの良いわたくしでなければわかりませんでしたわよ……」
エクレールは肩をすくめる。大きな溜息を吐き、呆れ顔を浮かべた彼女は、上官に向けるとは思えないほどの侮蔑に満ちた視線をドレイクに向けた。
「大層な手間をかけていますが、まだ状況報告だけであなたがわたくしたちに危害を加えないという保証になりませんことをわかってらっしゃいますかしら?」
「うむ。確かに状況報告だけで我輩が味方であることを示していないな」
そう頷き、ドレイクは自らの任務の一部を言った。
「【異種共存連合】や【謀反者討伐隊】の中に黒幕がいる……?」
ドレイクの言葉に、翼は目を見開いた。黒幕、という言葉は人間界では隠然たる勢力を持ち、陰で策略を巡らして指図する人や組織を示す。もしもハトラレ・アローラでも同じ意味を示すなら、少なくとも味方でも安心できない。
驚く翼の横でエクレールは難しい顔を浮かべている。
「黒幕、というのは朱雀やボルコナ兵ではないのですの?」
「この状況でそう思われても仕方がないことだが、違う」
ドレイクはエクレールの問いに答えた。ボルコナ兵を引き連れて朱雀が人間界に降臨した現状から、黒幕の最有力候補といえたが違うようである。
「では。美神光葉やその従者────シンですの?」
「否定はできない。彼女らもその黒幕に雇われているのも確かだが、他にいる」
「他にいる……」
他にいる、というドレイクの言葉は翼たちにとっては絶望的な状況を意味している。
美神光葉とシンは雇われの身であり、黒幕は未だに【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】にいるということは、【創世敬団】から命を狙われている翼にとって死活問題に近い。
エクレールたちも翼を護る身としては同様だ。
「つまり、ツバサさんを狙っているのは【創世敬団】だけではなく、わたくしたちにどうしても任務失敗させたい者がいるということですのね」
「簡易的に言うならそうだろう。テンクレプ、朱雀様の他の四聖獣も知っている」
「その言葉通りなら、テンクレプ様はわたくしたちに任務遂行を失敗させようとしていることになりません? わたくしたちはテンクレプに半ば強制的に【部隊】を組まされ、ツバサさんを護る任務に就きましたのよ」
「そのようだな。────だが、本来であれば、ツバサを護る任務に就くはずだった者が既に”誰か”の推薦により決まっていたがテンクレプの判断により変わらざるを得ないとなったと聞けば、どう考える?」
「もしや……!」
そこでようやく、エクレールはテンクレプや朱雀らの意図に気づいた。
「わたくしより先に、”誰か”の推薦で決められていた者が黒幕に繋がる手がかりになるということになりますわね」
「そういうことだ」
ドレイクは答える。
「そいつは人間界におり、援軍の中に紛れ込んでいた」
「……なっ……!?」
エクレールは驚愕に目を見開いた。それもそのはずである。今し方知った黒幕に通じるであろう者が援軍に紛れ込んでいる、と聞かされ驚かないわけがない。
「援軍に紛れ込んでいるといっても、〈錬成異空間〉にはまだ侵入されてはいない。遠く離れた山間を見張らせている。なるべく、勝手に動かないように見張りをつけているから、そう簡単には抜け出せないだろうが、万が一のこともある。それに、このまま尻尾を取れないのはいただけない。朱雀様は、黒幕におびき出すために自分を身代わりになって囮りになったに過ぎない。本番はこれからだ」
「……」
「……」
ドレイクの言葉を聞き、エクレールは頬に汗を垂らした。翼もその言葉を聞いて頬に汗を垂らした。
それも仕方がない。翼を狙っているのは【創世敬団】だけではなかった。味方であるはずの【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】の中にも潜んでいる黒幕も彼を狙っているとなると、誰を頼っていいかわからない。
疑心暗鬼になりそうになりながらも、恐れてばかりもいられない、と翼は心拍を落ち着けるように深呼吸をすると、改めてエクレールの目を見つめた。
エクレールは首肯する。
「わたくしの仕事は、ツバサさんを護ることですわ。一度、受け持った任務は最後まで行うのがわたくしの性分ですのよ」
そう言うと、エクレールはドレイクを見据え、ニッと唇の端を上げる。彼女の顔にもう既には曇りは一切なく、澄んでいる。それどころか、先ほどほどまで精神汚染された彼女とは違い、自信過剰ないつものエクレールとなっていた。
「わたくしは、やったらやり返す方ですの。恩でも仇でも」
そう言った次の瞬間。
視界が一瞬にして、目映い白銀の極光へと変貌した。




