第一章 四十一
朱雀のハトラレ・アローラに置かれている立場を考えると、ボルコナ出身者である炎龍帝ファイヤー・ドレイクがシルベットとエクレールたちの【部隊】の上官兼教官に就けられたのか。元老院議員たちが嫌う朱雀の国であるボルコナ出身者を人間界に配属されるだろうか。人間界に配属される【部隊】どころか、【謀反者討伐隊】に入隊させない恐れがあるんじゃないだろうか。そんな疑問が翼の脳裏に溢れてくる。
人間界でも国際問題というのは、存在する。忌み嫌う国同士だと、それなりにギクシャクするものの、政府は政府、一般は一般と割り切って、うまい具合にやっていたりするが、軍同士だとどうだろうか。忌み嫌う国同士で部隊を組むことは殆どないといってもいい。
だからこそ、ハトラレ・アローラという世界線は、五大陸が一つとなって、【謀反者討伐隊】という軍隊を組んでいることに、人間界からして見れば考えられず、特にシルベットとエクレールたちの【部隊】は異色だ。
シルベットとエクレールと蓮歌は仮にも皇族・王族・貴族にあたる。皇族・王族・貴族が最前線である戦場に駆り出されることに、幾らかの疑問や不安がある。
そんな翼の疑問と不安に、エクレールは気づき、口を開く。
「【謀反者討伐隊】はハトラレ・アローラ全大陸が【創世敬団】を討伐に勢力を上げていますから、他大陸同士が一緒になることは珍しくはありませんよ。わたくしたち──皇族・王族・貴族も【創世敬団】を早く撲滅して、全世界線の平和は悲願ですからね。ドレイクは朱雀と元老院議員らがいざこざが起こる前に、既に在籍済みでした」
こちらに来る前にいろいろと調べましたが、とエクレールは言うと、
「ファイヤー・ドレイクについては、前以て【謀反者討伐隊】の本部から取り寄せていた資料で調べました。わたくしたちの【部隊】に配属する前は、南方大陸ボルコナの最果ての島にて、荒らし回る無法者たちを本島に近づけないために国境の警護に就いてと記されていましたし、その前にも【創世敬団】との戦果を考えみる限りでは、怪しいところはありませんでしたわ」
取り寄せた資料に細工がなければですけど、とエクレールは付け加える。
翼もドレイク本人から聞かされていた。それを真実か偽りかに関しては確認しょうがない。人間界しか知らない翼にとって、自分を助けてくれる者さえも信用できないと、誰を頼ればいいかわからないため、あんまり考えないでおいたと言っていいだろう。
どういった経緯での配属なのかは、ファイヤー・ドレイクの故郷であるボルコナの守護者であり、支配者である朱雀────煌焔から使わされた使者というのならば、彼が問題児であるシルベットたちの監視・研修・教育の任務を託された意味も考えなくてはならなくなる。
もしも、清神翼の保護────もしくは、シルベットたち【部隊】の教官として偽って、朱雀たちボルコナ兵を人間界へと来させる手伝いをしてた意味があるとしたら、それは何なのか?
ドレイクの異動に関して、元老院議員は黙認している理由はあるのか。
幾多の戦場において、戦場において無双を誇るドレイクの異動は、朱雀らの希望通りに配属なのだろうか。
エクレールは話しを続ける。
「わたくしたちの【部隊】に異動になったのは、単なる島流しと考えてしまえば、それまでになってしまいます。そうしますと、先ほどの朱雀が千あまりのボルコナ兵を引き連れて人間界に来れた理由は、わからなくなってしまいますわ。ボルコナ兵全員が元老院議員たちによって、人間界の【部隊】に島流しになったなんて、わたくしは考えづらいと思いますわ」
未だに、人間界との公での交流に進展がない【異種共存連合】にとって、朱雀や千ほどのボルコナ兵を人間界へ行かせることは得策とはいえない。
事次第では、人間界に大迷惑をかけてしまい、悪い意味で亜人のことや異世界ハトラレ・アローラのことが公に知れ渡ってしまう。そうなれば、亜人と人間との交流や共存どころではなくなることは元老院はわかっているはずだが──
「元老院議員たちは、最近では良からぬ噂があったりと信用性はゼロです。英雄の一人であるテンクレプが認知症でもかからない限り、誤った判断はしないと思いますが、わたくしと銀ピカを組ませた時点で誤ってますし、わたくし的に信頼はありません。だからこそ、ドレイク含めましても、ボルコナ兵の大量人間界投入に関しては、怪しいと思う人は沢山いらっしゃいます」
「てんくれぷ……?」
テンクレプ、という言葉に翼は首を傾げる。少し考えて、昨日シルベットから説明を受けた時に聞いたことを思い出す。
「確か、俺を護れとシルベットたちに言った人?」
「ええ」
エクレールは頷く。
「そうですわ。正確には、人ではなく、ハトラレ・アローラの五大陸を統括を握う、聡明の英雄。黄昏龍のテンクレプですわ。人間界では、滅多に現れない幻の黄昏龍として伝説も少々ながらも残されていて、ハトラレ・アローラの紋章にもなってますお方ですのよ。元老院議員の次に決定権を持っていますのよ」
「だとしたら、元老院以外にテンクレプが、朱雀を人間界に来させられるのを手を貸せる可能性はあるということ?」
「ええ。ありますわ」
エクレールはそう言い切った。
◇
──およそ十五分前に遡る。
シルベットは身構え、軽く腰を落とす。
シンはふっと笑みを漏らすと、すうっと、双眸が鋭くなった。
シルベットの戦い方は、無鉄砲に飛び込むように見えて、その実、常に次の動きを体の中に練っているというものだった。外せばそれに切り替え、切り替えたものが合わなければ、また次に変わる。この途切れることのない攻撃動作の連続こそが、彼女の強さだろう。
巣立ちしたばかりの仔龍とは思えない戦い方だ。シルベットは熟練した戦士の戦いの運び方をしている。
シンは、素直にシルベットを感心するが、大太刀の運びや身動き、その一つ一つは的確だが、未熟な部分もある。殆どが咄嗟の反射と勘だけで避けているしか過ぎない。戦闘そのものの流れを、主導権を完全に握るほど彼女は猛者とは成り切れていない。
「まさに、ハトラレ・アローラで、もっとも、恐れられた人間と銀龍のお転婆姫と謳われたシルウィーンの娘、です。賞賛に値します」
「誉められているかについて甚だ疑問だが、誉められることは、嫌いではない」
白銀の髪を揺らしながら、シンの前方十メートルほど前にいるシルベットは彼に天羽々斬の剣先を向け、油断の隙をついても薙ぎ払う準備を整え、警戒は怠らない。
その心がけに、シンは感心する。
「実に、戦闘能力が高く戦いの心構えが出来ていますね。どうですか。【創世敬団】に入ろうと思いませんか?」
誘いをかけるような、不敵な声で問いかける。
「私は、【創世敬団】なんぞに入らんぞ」
「忠誠心もいい。父親譲りでしょうか」
「唆しは結構だ」
シルベットは天羽々斬を大きく振りかぶると、体が透けて消えた。それが網膜に残った残像だとシンが気付くまで、少しばかり時間がかかる。
まさに疾風の如く勢いをもってシルベットは一足飛びに間合いを詰め、肉薄をはかりシンに襲いかかった。
しかし、先ほどの龍化と違い、俊敏な動きで剣を振るい、シルベットの突進を迎え撃つ。
刹那の交差。シルベットは刃を天羽々斬で払いのけ、鋭い貫き手を繰り出した。
シンは首をそらしてかわしたが、指先が頬をかすみ、赤い線が伝う。
シルベットが大きく飛び退き、再び距離を取ると、爆発的な速度で推進する。
迎え撃つシンは、彼女に向かって突きの連戟。突きの雨が撃ち出されるが、シルベットは止まらない。その弾雨に平然と体をさらし、天羽々斬で振り払い、燃え盛る火炎のように、真正面から突き進む。
シルベットは一瞬で肉迫した。敵の剣をかわしざま、ベクトルを九十度真上に変え、宙に舞う。
飛翔。
そして、そのまま、真っ白なふとももを引き上げ、足を大きく振りかぶった。
渾身の力を込めて、踵を叩きつける。
シルベットの一撃をシンは咄嗟に右腕で防ぐ。
「良い打撃です」
「ちっ!」
シルベットが脳天を叩き潰せなかったことに舌打ちした。
シンが腕を振る。その動きに呼応して、黒鋼色の靄が周囲から溢れ出し、槍へと形作る。
立て続けに、四発。黒鋼の槍を飛ばした。
シルベットは咄嗟にシンの右腕を飛び台として身をひねり、飛び退く。
だが、四発目全てを躱しきれなかった。シルベットの脇腹を槍が切り裂く。シルベットはたまらず膝をつき、脇腹から溢れ出る血を押さえつけた。
亜人の治癒能力により僅か数瞬で傷口は塞がる。その僅かな隙をシンは逃さなかった。ただちに攻撃行動に移り、シルベットに迫り、殴り、蹴り、叩きつける。
凄まじい連打。黒鋼色の靄を再び槍にして、シルベットに放つ。
だが。
シンの攻撃は意味をなさない。シルベットは嘲笑し、素早く射線を封じ、槍を握りつぶした。
シンは理解した。この攻撃は、もはや無効だと。
槍は、どうしても直線的な軌跡を描く。
槍を自由自在に操れる術式を構築すれば、何とか当てることは出来るだろう。
だが、シンはここまで美神光葉のために駆け付け数度の戦をしてきた老身にガタが生じはじめていた。
槍を自由自在に操るには魔力消費が少し早くなる。これからのこととシルベットの動きはり数段速いことも考えると、温存しておきたい。シンは槍での攻撃を諦めざるを得ない。
シルベットもシンの攻撃に少しばかりの違和感を覚えていた。どこか本気ではなく、手を抜いているように思えていた。三十分前に、エクレール達と相対した時に見せた速さや力を未だに出してはいないことに彼女はシンに警戒した。
膠着状態。
お互いに決め手を欠いた、嫌な状況が三分間続いた後に、口を開いたのは意外にもシンの方だった。
「このままでは拉致が合いませんね」
「だったら、そちらが先に動けばいい。こちらとしてはどんな攻撃でも構いはしない」
強がりではない。
シルベットの性格なら、如何なる攻撃でも驚きはしても卑怯な手以外は文句は言わない性格であることの調査してわかっている。
「ならば、その意気に答えましょう。私の力を感じても臆しなかった戦乙女よ」
シンの言葉にシルベットは新たな攻撃を警戒し、身構える。表情はどこかワクワクする幼子のような微笑み。
シンは唸り声を上げてシルベットの期待に答える。黒い霧――実体を持った闇のようなもののが彼を包み、その中から無骨な手足が、爪が、翼が生え出てくる。
やがて霧が晴れたとき、老紳士────シンは体高三メートル、全長八メートル前後の西洋のドラゴンと変貌した。
体表は黒鋼色。隆起状の背鰭、岩のようにゴツゴツとした鱗に、コウモリのような巨大な両翼は鋼鉄のような光沢がある。それを軽々しく羽ばたかせて、咆哮を上げると、本性剥き出しにして、シルベットに向かって突進する。
「ッ!」
気合の一声、シルベットは足を床に打って右に飛んで、突進してきたシンを回避する。
見た目とは違い、加速度はあったが彼女の動態視力で追える範囲内だ。シルベットは天羽々斬を振って、迫るシンの左腕を大上段から両断、霧消させ、さらにその振りぬいた勢いで反転、後ろから襲いくる右腕を逆袈裟の一撃で吹き飛ばした。
両腕を斬っていたわずかな間に、シンの腹が膨らんでいた。背鰭がバチバチと明滅して、一杯に仰け反り、袋のような咽喉元まで膨らんでいく。
「くっ!?」
シルベットは勘と反射で回避する。
叫びとも吐息ともつかない声とともに、群青の炎がドラゴンの口から溢れ出した。
かかとを焼くほどの危うさで、シルベットは炎の津波を躱す。
煙と水蒸気が炎の波に押されて湧き上がり、高熱の通過を受けた地面がキシキシとうめく。
その黒焦げの地上の根元に立つ群青の炎に纏いしドラゴンは、頬を上げて鋸のように鋭い牙を覗かせて曲げる。笑いの形だった。
シルベットは身を低くして向き直る。
「意外とやるではないか。ならば、こちらも」
シルベットは、天羽々斬の柄を左の懐深くに押し込んだ。
右肩を前に出し、刀身を腰だめに寝かせて体の横に置く、刺突の構え。
対するシンの方は待ち構えている。いつしか再生されている太く異常に長い両腕はダラリと下げられ──と、シルベットが視認した瞬間に、太く長い両腕が振られ、その指先から無数の炎弾を打ち出す。
「──っは!」
シルベットは地面に蜘蛛の巣のような波紋を残し、正面に跳ぶ。
踏み切りと同時に突き出す剣尖が、突の伸びる動きとともに、自分の進路を阻む炎弾だけを貫き散らしてゆく。その進路先は、炎の弾幕の向こうに構えている、ドラゴンの腹。
天羽々斬の、一跳び一瞬の一撃が、獣の腹を深々と貫いていた。
ドラゴンが悲痛の咆哮を上げる。
「はあっ!」
シルベットは、刺突の穴から抉るように右横殴りに斬り上げる。
間髪入れずに、白銀の戦姫────シルベットはドラゴンの背後へ疾走する。神速をもって、一秒間に百もの斬撃を喰らわせ、最期に横薙ぎに一刀両断。ドラゴンは断末魔の叫びを上げ、大地に付した。
「もう終わりか?」
シルベットはドラゴンの首元に降り立つ。天羽々斬の剣先を喉元に向ける。
首元に屹立する彼女をシンは横目で見据えた。
敵対する銀翼銀髪の少女────シルベット。彼女の顔が二人の面影と重なる。
シルウィーン・リンドブリム。水無月龍臣。彼女の両親だ。シルウィーンは北方大陸タカマガに置いて女剣士として名を馳せ、水無月龍臣は人間界――日本出身の武士である。生まれながらにして生粋の女戦士にシンはうすく笑って返す。
「それで勝ったつもりか」
「ほう。それでこそ面白い」
シルベットは遊戯をするかのようにあどけない微笑みで返した。
シンは体躯を素早く動かし、シルベットは振り落とすと黒銅の魔方陣を展開させて、人型────老紳士の姿に戻る。
「やはり動きが素早い相手ですと、竜化は割に合いませんね。最初は竜化して早急に決着を、と考えましたが…………」
シルベットは生まれてから屋敷を出たことはなく、屋敷は周囲を全長二百メートルの壁に囲まれている。内部の情報も、水無月龍臣やゴーシュと一緒に武術(主に剣術)の鍛練を一緒に行っているというゴーシュからの情報以外、滅多に漏れてこず、エクレールや蓮歌と比較して少なすぎて殆どの情報源は新しい。
決着付けることは龍化してみせたが、次第にシルベットの速度が戦う度に上がっていき、全ての攻撃を防ぐことは困難だ、と判断した。
魔力消費を考えて、再び人型の戦術に変えるしかないが、魔術は使わずに、武術のみで戦う他しかないが、次第に速度と攻撃力が上がっていくシルベットを生かして捕まえることが出来るどうかよりも、勝てるかどうか怪しい。
老紳士は再び西洋剣を抜き、構える。
「あなたの速度は、竜化しては防ぎきれないことがわかりました。むしろ的が大きくなり攻撃を受けやすい。ここは先ほどのように魔術は使わず、剣術でお相手致しましょう」
「いいだろ。速さだけではないことを教えてやる」
「そうですか。では、戦う前に少し取り引き致しましょう、シルベット様。あなたが此処──人間界の日本に来たのは現在、行方不明であるあなたの父親────水無月龍臣を見つけるためでありましょう」
「っ?」
シンの思いがけない言葉に天羽々斬を構える彼女に動揺が走った。
シルベットが巣立ちする場所を人間世界の日本を選択した理由に、父親である水無月龍臣の故郷であるというのと、義兄であるゴーシュ・リンドブリムと同じ時期に消息が絶たれた父を探すためにある。
「何故、それを知っている?」
「美神家は諜報を生業としている家系。ハトラレ・アローラどころか人間界に精通している故に、その手の情報は事欠きません。【異種共存連合】、【謀反者討伐隊】や【創世敬団】で長年多重諜報で得た情報は膨大です。勿論、行方不明である水無月龍臣の現在も」
水無月龍臣についての手がかりはシルベットにとって喉から手が出たいほど知りたいはずだ、とシンは餌を散らかせる。彼女の返事次第で、この先有利に働くと息をのんで様子を伺う。
「だから私の知りたい父親の情報があると?」
シンにシルベットは疑い目を向ける。
「はい。あなたが素直に清神翼と共に来るならば、暴力を振るいませんし、命の保障は出来ます────」
「断る」
「……あなたは少し即断即決過ぎませんか? 先ほども、もう少し考えて答えを出した方が良いと思いますよ。もう少し冷静に考えた方が──」
「敵の誘いにのこのこと付き合う気はない」
「私どもは大陸が知らない情報網をもっていますがよろしいのですか? 信じるか信じないかはあなた次第ですが、ただ無作為に捜すよりは、情報屋がいる方が賢明なのではないでしょうか」
「情報網をもっているからと私の知りたい父の情報という保障はない」
ふん、とシルベットは鼻であしらう。
「それに貴様の情報が本当なのか怪しいものだ。よって、信用性ゼロの貴様の情報など信用できんし、敵に情報を得るなど私の性分が赦さない。貴様の情報などに頼らなくとも捜し出してみせる!」
そうシルベットはシンに向けて叫ぶやいなや、シルベットは地を爆発させるほどの勢いをもって、電光石火の如く突撃した。
彼女が地を蹴った瞬間、世界が啼く。
周囲の景色がぐにゃりと歪み、ぎしぎしと空が軋む。
天に響くように。
地に轟くように。
シルベットは天羽々斬を握る手に力を込めると、刀身が白銀の閃光が走る。
先ほどよりも超速──シンの超超超超高速に匹敵する速度で移動し、シンとの距離を殺したシルベットにシンは驚愕に目を開く。
それをシンと同じように魔術を発動せずに行い、シンでさえ取得するのに十年もかかった技が出来たことに、彼はシルベットの成長の早さに恐怖する。
「──ッ!?」
「────」
意気揚々と、恐怖する老紳士―シンの眼前まで迫った銀翼銀髪の戦乙女は、天羽々斬を振り上げて吼える。
「はぁああああぁぁぁぁああああああっっ!!」
白銀の光を放つ天羽々斬を振り下ろす。
一閃。
天羽々斬は空気を斬り、亀裂が宙に走る。
太刀筋の延長線上である地面がバラバラに砕け散り、這っていき、凄まじい爆発がシンを襲う。
「────く」
すんでのところで逃れたシンが、戦慄に染まった声を上げる。
それはそうだろう。シルベットの一撃は、広大な台地はおろか空間さえも両断していたのだから。
「……そ、そのような、技をどこで取得した?」
「取得したも何も私はただ単に“力を込めて刀を振るっただけ”だ」
驚愕するシンの問いかけに、シルベットは一体何がおかしいのか言わんばかりの表情で、首を傾げて答えた。
無自覚で取得ということなのか。彼女は力を練る時や魔方陣を組み上げる際、ほとんど術式は即興で組み上げ、流し込む“魔力”の配分も目分量、構築から発現までの維持などの全ての工程を感覚だけで軽々と行ってしまう。しかも無自覚で高度なレベルで行える。
さらに、記憶力が良すぎるために、方式などは全てを記憶してしまう。しかも、記憶した方式を理解という経過をしないままに、それをそのまま感覚でやってのけるという。魔術どころか剣術でもやり遂げてしまう。それは天才だ。天才であるがゆえに起きる、これは『経過の欠落』という現象だった。
短期間での急成長を遂げていく彼女にシンは驚かざるを得ない。
論理的な術式の研究分析、経過を欠落した技の獲得をまるで呼吸をするかのようにやってのける彼女に羨まる者が出てきてもおかしくはない。
それはシンでも同様だ。
技の獲得、取得にかける時間を見て覚えられたら、どれだけ楽だろうか。ある意味、嫉妬の念を抱くことは当然のことと言える。
「さあ捕虜にしてやるから、今のうちに父のことを洗いざらい吐け」
「……」
シルベットは欲しいはずの水無月龍臣の情報を投げうったわけではなかった。
闘いに駆り立てるものは、如何にしてシンと交渉をせずに、水無月龍臣の情報を得るためだ。シンは【異種共存連合】、【謀反者討伐隊】の所属でもあるが、敵対組織である【創世敬団】に身を置いている。
いくら長年待ち侘びていた水無月龍臣の情報とあっても飛びつくことは危険だと、瞬時に判断し、ひとまずシンを捕虜として捕らえることにした。
それならば、真実か嘘かがわからないままにシンとの交渉せずに、水無月龍臣について聞き出すことができる。
消息を絶った理由を水無月龍臣に聞ける手立てを見つけられるはずにもかかわらず、そう簡単に諦めるわけがない。
しばらくの間、シンは何も言わなかった。
それから、観念したようにふっと微笑み、かぶりを振る。
「……これが、あの遺跡にも画かれた者の娘ですか……」
と、呟く。
シンの言葉の意味にシルベットは一旦、首を傾げたがすぐにそんなことお構いなしに、静かに、唇を開く。
「さあ。観念しろ。今のうちに言いたいことはあるのなら今のうちだ。それとも、無条件で洗いざらい父のことについて、知っていることを吐きたくなったか」
シルベットがそう言うと、勝ち誇ったように笑った。
父親の情報を欲する瞳で少女はシンを見下ろす。
彼は生唾を飲み込み、口を開いた。
その口にした言葉に、彼女は言葉を失うことになる。
「……わかりました。お教えしましょう……」
「何だ?」
「────水無月龍臣は、ゴーシュと共に【世界維新】という組織に所属しています」
「……そ、それは一体、どういうことだ?」
シルベットは言葉を失いつつあったが、三拍の呼吸をする時間を置いてから、口にしたのは、疑問符だった。
それは無理もない。シンの口にした“水無月龍臣は、ゴーシュと共に【世界維新】という組織に所属している”という言葉が事実ならば、水無月龍臣はゴーシュの共犯者である可能性が高いと言われているのと道理だからだ。ハトラレ・アローラで守護龍を惨殺し宝剣を強奪したゴーシュは、各界(人間界では一部の異世界の存在を知っている者のみ)で指名手配されている。
ハトラレ・アローラに置いて犯人を匿ったり証拠を隠滅した場合、犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪にあたる。犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪とは、刑法に規定された犯罪類型の一つだ。犯人を匿ったり証拠を隠滅したりすることで、捜査や裁判など国家の刑事司法作用を阻害する犯罪のことをいう。
ひとまとめに説明するならば、犯人隠匿罪の「蔵匿」とは、匿うことであり、犯人隠避罪の「隠避」とは、蔵匿以外で、逮捕・発見を妨げる一切の行為をさす。
人間界────日本において、刑法百三条から百五条の二にあたるが異世界において少し相違する部分がある。
日本では身内(特に親族)が事件を起こした場合、匿ったりすると、日本では親族が蔵匿や隠避をした場合には刑が免除される。親族とは、主に民法上の親族(六親等内の血族、配偶者、三親等内の姻族)であり、親戚は当たらない。
しかし、ハトラレ・アローラにおいて、親族であっても犯人蔵匿罪や犯人隠避罪が成立する。
重罪を犯し、逃亡をはかっているゴーシュと水無月龍臣が一緒にいるなら、共犯と言っているのも道理である。どういう了見でシンがそんなことを口にしたのか。シルベットは問うたのだ。
「どういうことと言われましても、あなたの言うとおり、水無月龍臣の情報のひと欠けらを教えて差し上げただけです」
「ひと欠けら、だと……」
「ええ。ひと欠けら、です」
シンは口の端を上げ、微笑みを讃えている。
水無月龍臣がゴーシュと共に【世界維新】という組織に所属している、という情報は、彼が知り得る水無月龍臣の情報の一欠けらであり、他にもあるのだとシルベットに対して訴えかけている。
同時に、これ以上聞きたければ条件付きで口を開くといった交渉事を持ち掛ける気であることは伺えた。
──これは、自分を動揺させるための法螺話に過ぎない。
そう自分に言い聞かせながら、法螺話をした眼前の敵に鋭く睨みつける。
シンの言葉を法螺話とシルベットが決めつけるには理由があった。
ハトラレ・アローラでは、人間界とは違い、犯罪全般には罰金制度はなく懲役が適用される。つまり懲役刑又は禁錮刑が言い渡された場合は、金を払っても監視入りは免れない。執行猶予も基本的にはない。つまり殆どが執行猶予が付されていない懲役刑や禁錮刑が基本といえる。
罪に犯した場合は、拘留した時点で少しでも罪を軽減するように努めるか、無罪ならば裁判を行い、勝たなければ監獄入りは免れない。
人間からしてみれば、ちょっと厳し過ぎないかと思われてしまうが、亜人の平均寿命は人間の平均寿命と比べても長命だ。中には、不老不死もいる。判決で三年以下の懲役刑又は禁錮刑を言い渡し、罰金を徴収してたところで、長命のためにすぐにではないものの取り戻せてしまうために痛くも痒くもない。
三年以下の懲役刑又は禁錮刑も長命の亜人にとって、生温いといった方がいいだろう。だからこそ、執行猶予が無しの長期の懲役が主だ。短期にするならば自首くらいだろう。
だからこそ、親族ならば自首を進めることが本人のためだと言える。
自首は人間界と同様に、犯罪が捜査機関に発覚する前に、犯人が自分の犯罪事実を捜査機関に申告して、その身柄の処分を委ねることだ。罪を犯した者が犯罪事実または犯人が捜査機関に発覚する前後、犯罪者が捜査官に対して自発的に犯罪事実を申告し、その処分を求めた場合はその刑を最大限に減軽することができるとされている。
ただし、自首の効果は、刑を軽減することが「できる」なので、減軽は任意的といえる。つまり、軽減するかどうかは、裁判官(裁判員裁判対象事件なら裁判員を含む)の判断に委ねられると言ってもいい。
だとしても、五十年以下の懲役刑又は禁錮刑の軽減は当然に行われていることで、自首が前科は消えないが懲役刑又は禁錮刑の軽減する救済処置だろう。
そのことを知っている水無月龍臣は当然ながらゴーシュを説得し、自首させるはずだ。
「そんなことはない。そんなこと有り得ない」
「耳を疑いたくなるのも無理はないでしょう。しかし事実です。水無月龍臣は現在、ゴーシュと共に【世界維新】という組織に所属しています。経緯について、ですが…………今はまだ申し上げられません。だからそれを信ずるかしないかは、シルベット様次第かと」
「ぬぬぬ……」
シルベットは、問答無用で斬り捨てたいが心情になったが、シンの目や口ぶりから察するに、嘘を言っている様子はない。それがいっそう彼女を不愉快にさせる。
どう否定しょうと考えても信じているだけでは、言い返されてしまう。
ゴーシュは自首してはいない。それどころか水無月龍臣までもがゴーシュと行方をくらませてしまっていた事実は変わらない。シンをぐぅの音も言わせない反論しょうとしても、共犯ではない確証などない。
如何なる言葉をもってしても、シンが告げた言葉を否定する確証がないシルベットは今までわかっていたがわからないふりをしていたことをほじくり返されて一抹の不安を抱く。
水無月龍臣に会って事情が聞きたいことは、ゴーシュが重罪を犯したと同時期に帰ってこなくなったのか。ゴーシュを自首させようと説得するのではないか、という希望を抱きながらもそれが揺らぎはじめていた。
何とかして信じたいが、水無月龍臣本人に確認したとしても真実を語ってくれるだろうか。
どうするべきかシルベットは考える。
考える。
考えた。
考えたが。
出てこない。
出てこなかったのだ。
消息についての手がかりを掴めたと思えば、“水無月龍臣は、ゴーシュと共に【世界維新】という組織に所属している”という共犯と問われても信じがたい内容だった。
水無月龍臣を。
父親を。
信じたい。
信じたい。
信じたいために考え、ふと疑問が浮かぶ。
そもそもゴーシュは何故、ノース・プルーを襲撃し、守護龍を惨殺し、宝剣を強奪したんだ?
義妹を愛しているゴーシュ。
その義妹にはあまりにも愛してしまったために嫌がられていたが、基本的には家族に迷惑をかけないようにしてきた義兄。
そんな彼が何故、ノース・プルーを襲撃し、守護龍を惨殺し、宝剣を強奪したのか。
そう考えて。
考えた上で、シルベットは口を開く。
「水無月龍臣がどういった経緯でゴーシュといるのか知っている口の聞き方をしていたが、嘘はないな」
「ええ」
「じゃあ」
シンが自分を惑わせるためについた嘘だという可能性が少なくないのは確かだ。【異種共存連合】、【謀反者討伐隊】、【創世敬団】と複数の密偵を努める家系する美神家に使える執事ならば、シルベットが知りたい情報を得ている可能性があることも確かである。
だからこそ。
シルベットは聞いてみたい。
「ゴーシュが宝剣を強奪したかの経緯も知っているか?」
シルベットがそう言うと、シンはほんの少しだけ目を大きく開けて驚いた。
彼女は少し焦らしたり、交渉事を持ち出したりしたら叩き斬るといった鋭い瞳でシンを見下ろす。
彼は生唾を飲み込み、少しだけ笑って口を開く。
「はい。私の知るかぎりの情報ですが」
「それでもいい。言え。言えば、今日だけは見逃してやる」
シルベットが問いただすと、シンは口を開く。
「わかりました。ゴーシュがノース・プルーを襲撃し、守護龍を惨殺し、宝剣を強奪した様々な理由がいくつか重なったことに引き起こされました──」
そう彼から語られたのは、宝剣〈ゼノン〉が自らが頼み込んだということ。【異種共存連合】や【謀反者討伐隊】、元老院議員の中に、敵がいるということ。
そして、もっともな一つの要因として挙げられたのは、義妹であるシルベットのためであったことだった。
シンの言葉を聞いて、シルベットは彼にズカズカと近づき、胸ぐらを掴みあげる。
「もう少し詳しく聞かせろ!」
シルベットがそう言った直後、天上に突如としてマグマが噴き上がった。




