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第一章 四十




 殺意を向けられているにもかかわらず、実にケロッとした表情を浮かべているのはシルベットだった。


「最初に約束を破っといてよく言う。勝手な都合でいちいち約束を変えられてはたまったものではない。他に気をとらえて約束を護らないのは男の風上にも置けない」


「盟約というほどではない、口約束ですのでいいのか、と」


「だから破っていい、と? だから変えていい、と? ナメられたものだな…………」


 シルベットは殺意を向ける老紳士に、目掛けて振り下ろされた殺意という剣を迎え撃つようにして、闘志を発して歯向かう。


 それらがぶつかり合って、剣気と剣気が竜巻のように荒れ狂う。白銀と漆黒の渦を巻き、殺意により恐怖さえも吹き飛ばす。


 エクレールは深々と吐息し、小さく首を振る。シンによりかけられた〈精神汚染〉により弱気になっていたことを恥じ、


「ッ!」


 舌打ちして倒れ込みそうになる重い躯をエクレールは力強く起こした。シルベットに負けるものですか、という意地。金龍族が下級種族である銀龍族、しかも半龍半人には負けてはならないという自尊心が彼女に力を与える。


「ええ。そうですわね……。わたくしたちが仔龍だとナメてますわね」


 エクレールは魔方陣を手元に展開させ、黄金の三つ又に分かれた長鎗────三尖両刃刀を召喚して構えると、シルベットは腰に携えていた天羽々斬を取り抜く。


 そして相手を警告するように告げる。


「わたくしたちを、ナメていたことを後悔させていただきますわよ」


「そうですか。交渉は決裂ということになりますが、よろしいですな?」


「無論だ」


「よろしいですわよ」


「では、交渉は決裂したことになります」


 二人の返答を聞いたシン────老紳士は、臨戦体勢の彼女たちに闘志を漲らせる。


「仕方ありません。シルベット様、エクレール様と戦って、奪還致しましょう」


 やれやれ、とシンは頭を振りながらも腰に携えていた西洋剣を抜く。そんな彼にシルベットはウズウズと、今にも突撃しそうな勢いで前傾姿勢で剣を構ええる。


「金ピカなんぞに嘘ついてツバサを拉致しょうとせずに、四の五の言わずに私と戦えばいいのだ」


「シルベット様とエクレール様は不仲と聞いておりましたので、少し交渉すれば、ツバサ様を渡して頂けると浅はかながらも考えてしまったので」


「本当にナメられたものだな……」


「ホントにナメられたものですわ……」


 シンの言葉を聞いて、二人は怒りをあらわにする。


 シルベットとエクレールが不仲であることは周知事実であり、本人たちも認識している。それだけならば、彼女たちは何も文句はない。実際に、彼女は互いを嫌っていることや今後とも仲良くするつもりもないために、不仲と言われても痛くも痒くもない。


 が──


 自らの不仲が交渉事に利用されそうになったことに、自分たちが侮られ軽く見られたようで気分がすこぶる悪い。


 ──わたくしたちは、そんなにもお莫迦さんではありませんわ……。


 強気な言葉を心中で吐くものの、口にはしない。彼女とで理解している。一瞬だけシンを信用してしまいそうになったこと、それがきっかけで【部隊チーム】に付け入る隙を与えそうになっただけではなく、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の足を引っ張りかねなかったことを自覚している。


 確かに、交渉事に置いても大切なことは、”いかにして相手よりも有利に立つか”だ。


 前もって情報収集し、状況を把握するのが基本といえる。交渉相手を知ることにより、印象を操作、交渉のシナリオを建て、あらかじめ心構えを付けるのが正攻法といえる。


 しかし、素性をあらかじめ知ることができない戦場において、ましてや敵か味方か判別が就かない正体不明の相手と交渉することは難易度が高すぎる。どんな腕利きの弁護士でも即興で交渉事なんて芸当は滅多に行わないだろう。


 瞬時に、相手の心理状態を見抜き、真意を探り、交渉を有利に進めることは難しい。


 だからこそ、シンが彼女らの(元から)不仲だという情報を何らかの情報網から得た後に(あらかじめ得た時点で、明らかにその情報を某らの交渉に利用すること考えていたのだろうことが窺える)、それらを更なる不信感を与える材料とし、【創世敬団ジェネシス】と繋がりあるということを知っているシルベットを信用させまいとしたと見てもいいだろう。


 シルベットとシンはエクレールが到着する前に何らかの交渉していた。それは、翼を安全圏まで避難させて、一対一で闘うといったとても単純で簡単な約束だったとエクレールは見ている。


 理由は、シルベットのこれまでシンと交わした言葉、脳みそが筋肉か何かで出来ている銀ピカに複雑かつ難しい交渉など出来るはずがありませんわ、とエクレールというこれまで接してきての彼女の性格を得ての予想だったが、全くその通りだったことは本人も考えてはいない。


 先にシンと交渉したのは、シルベットのはずなのに、嫌悪感を抱くエクレールに翼の引き渡しを要求したら、どうするか? エクレールが逆の立場なら気分が悪くなるに違いない。シンはそれを利用したのだろう。


 諍いを起こしている最中に、隙を見て逃げることも不意打ちすることも可能な上、不仲であるどちらかの方と同調することにより気が合うと思わせることによって、信用させやすくできる。


 これは、敵を翻弄させるには有利な手といえる。心理学上、意見や考え、気が合うのと合わないのだと心に開き方は違うからだ。


 人間も亜人も、基本的に自分の中の疑問や不安が解消されるまで、注意深く観察し、じっくりと相手の性格を理解するまで、会話をしながら思考を巡らせてから心を開く。信用しやすい人の場合は、時間をかけるのは最初だけで徐々に思考を巡らす時間を短くしてしまっているのが特徴だ。特に、第一印象と話し方や表情だけで信用していることが多い。


 慎重派は、ある程度の信頼感を得るまで何度も繰り返し、根気強く観察し、じっくりと見定める回数や時間が多いのが慎重派といえる。


 シルベットは前者で、エクレールは後者に近い。シルベットは信用するラインが極端であり、そこをつくと、簡単に信用してしまう危うさがある。


 エクレールは非常に注意深く警戒心が鋭い方だ。確実に信頼を得るまで根気強く観察し吟味する。蓮歌も後者だといえる。ある程度仲良くなるまで警戒心を解くことは一切ない。何かきっかけがあるが、この状況下に置いて蓮歌の信頼を得ることはかなり難しい。


 だが。


 例外はある。


 蓮歌の幼なじみであるエクレールが信用する者ならば、心を開きやすくなるというものだ。どういった理屈かはエクレールは詳しいことを知らない。


 蓮歌いわく、エクレールが心を開いた者は信用出来るというジンクスか何かがあるらしい。そのことを学び舎で十五回生(人間で例えるならば、中学一年にあたる)だった頃に聞いたエクレール本人からしてみれば、どういうことですの? と首を傾げざるを得なかったという。


 もしもその情報をどこかしらシンが得ていたのならば、エクレールの信用されれば、自動的に蓮歌も付いてきて、三人編成(詳しくは、後から上官であるドレイクを混ぜれば四人編成)である【部隊チーム】の半分の信用を得ることになる。そうすれば自分に有利に立ちやすくなりやすい。


 だからこそ、シンはシルベットからエクレールに交渉相手を乗り換え、まずは自分の情報を簡単に伝え、心を開きやすくしたのだろう。


 だが。


 爪が甘いと言わざるを得ない。


 自分の身柄を語ったところで、すぐに警戒心を解くほどエクレールから信用しなかった。先に交渉していたシルベットの前で翼の引き渡ししょうと、【部隊チーム】に付け入る隙を与えようとしたようだが、そもそも約束事を護らない相手を簡単にするだろうか。残念ながら、エクレールは約束を護らない男は、亜人でも人間でも大嫌いだ。


 どちらにせよ、交渉が早急過ぎたとしか考えられない。それにシルベットが言葉足らずながらも訴えたおかげで、エクレールはシンにほんのわずかでも不信感を抱き、血迷った判断しなかったのは、シルベットの功績といえる。


 だとしても、エクレールは揺るぐわけにはない。【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の上官の前で、頭を下げて仲直りしろなんて命令されれば、舌を切って死にたいとさえ考えるほどにシルベットのことが嫌いだ。シルベットも同じくらいに嫌悪感を抱いている。仲直りを強制されたら、それこそ彼女たちにとって侮辱的といえた。


 自らの不仲を利用されそうになったにもかかわらず、シルベットとエクレールと一切仲直りを考えないのは、犬の食わぬ意地だ。それは頭を下げたら負けだという、彼女の中でのみにある暗黙の了解。だからこそ、エクレールは考え直す。


 理由は単純明解。癪に障ったからだ。シルベットの説得だけだと不十分であり、考える時間が余計に加算され、長引いていたに違いない。電話をかけてきたスティーツ・トレスによって、シンに対する不信感を大きくさせ、疑い深く観察した結果だと換えることにした。


 結果的に、エクレールはシンを信用して翼を引き渡して生涯消えることができない汚点となる未来は回避され、英雄である親に顔を見せられなくなっていた事態にならなかったことにお互いの心中で安堵しつつ、憤りをシンにぶつける。


「貴様のような奴には、一発お見舞いしただけでは気が済まない」


「少しわたくしたちを軽く見たことを後悔させてあけますわよ」


「口答えをお赦し下さい。自分たちの不仲を利用され、不信感を募らせたことに関しては私がしたことでございます。交渉事のため仕方がないとは不快な思いをさせてしまったことにお詫び申し上げます。ですが、不仲事態はシルベット様とエクレール様の問題でございます」


 少しは【部隊チーム】として仲を改善されてはいかがでしょうか、とシンはシルベットとエクレールを嗜める。


 嗜めるシンの態度に、二人は静かで深い怒りが沸いて来る。不仲事態はシルベットとエクレールの問題であることは間違いないが、それを使い、翻弄させようと企てたのは誰だろうか。それは眼前で素知らぬ顔で嗜めてくる老紳士が原因だ。


 天羽々斬を握る手に強く握りしめて、怒りを抑え切れないシルベットに、エクレールは〈念話〉を送る。


『わかってますよね?』


『何をだ』


『現在、ソラさんたちをカラオケという場所に避難させてあります。〈催眠〉で眠らせて、店内を時間経過を遅くさせる術式を行使していますが、長い時間は持ちません』


『何が言いたい?』


『ツバサさんを連れて早く戻らなければなりません。勿論、銀ピカ────あなたもですわ。ひとまず、ここは退避して、ソラさんたちをごまかしてから御帰宅させて戦地に戻る手を探した方が得策ですが、それも叶いませんわ』


 エクレールたちは、一度は空たちと合流しなければならない。空たちをこのまま、何もせずに寝かせているだけでは目を覚ました時に、時間経過が長いほどに不自然さは何倍にも感じてしまうだろう。


 一人で短時間ならば、気のせいかと少しの蟠りを残すものの自己完結することできる。それが二人以上で長時間ならば、流石に不自然と感じてしまいかねない。空白な時間を埋めるならば、気のせいだと感じるほどの理由付けが必要だ。


 何某らの行動や出来事があって楽しんだ、という認識や記憶があれば、楽しい時間ほど刻が経つのが早いと考えようがあり、少し時間に齟齬が生まれようとも、”楽しい時は時間が経つのが早い”と思わせることで、時間経過の不自然さに軽減させることができる。


 カラオケ店という時間の流れが時計でしかわかりにくい密閉空間だ。ごまかすには最適といえる。エクレールたちもそれを狙って空たちを誘ったのだが、無傷といわないまでも絶対に生還しなければ、空たちが寝かしていた時間の齟齬をごまかし、辻褄を合わせるのは困難だ。


 清神翼、シルベット、エクレール、蓮歌たちの生還が絶対必須である以上は、不要な戦闘は避け、無茶をしないことが重要といえるのだが──


『わたくしは、どんな拷問をされようと晒されようとあの方に降参するのは、厭ですわ……』


『全くの同感だ……』


 エクレールは息を吐いて、簡単に告げる。


「銀ピカ。あなたに先を譲りますわ」


「そうしなくともそうする」


「勝てとは言いませんが、足止めくらいにはなりますの?」


「何を言っておるのだ。足止めくらいではない。勝つ以外の選択肢は私にはない」


 本人を目の前にしてシルベットは勝利宣言する。無駄に自信満々で実に腹立たしいが、彼女のこの好戦的な性格はこの状況では適しているといえた。


「では、そちら方は任せますわ。負けたら、わたくしと交代ということで」


「貴様と交代する前に倒してやる」


 そう言って、シルベットは腰に携えていた剣を取る。


「問題は……」


 エクレールは、振り返りもせずに告げる。


「蓮歌。何とかして此処から抜け出して、スティーツ・トレスと合流した後に、先にソラさんたちを相手していただけます」


「厭ですぅ」


 蓮歌は間延びする声音で即座に断る。


「シルちゃんとツバサさんはどうでもいいですけどぉ、エクちゃんと一緒じゃなきゃ厭なんですぅ。厭ですぅ、いや嫌厭ぁ!」


 本気で嫌がる蓮歌を、シルベットとエクレールはつまらなそうに見つめて、


「いいから、さっさと行きなさい!」


「いいから、さっさと行かんか!」


 ほぼ同時に、一喝する。


 それでも蓮歌は変わらない。


「エクちゃんと一緒じゃなきゃ、いや! いや嫌厭っ! イィヤァッ!!」


「我が儘いわずに蓮歌は一度、ソラさんたちのところに戻ってください。後ほど追いつきますわ」


「そうだ。鈍臭いし邪魔だ行け”蒼くさい娘”」


「え、えっ? そ、そんなことぉいわれてもぉ……────って、シルちゃん、いろいろとひどいですし、”蒼臭い娘”はひどくないですかぁ」


 蓮歌の声音は、老紳士に腹立たしさを抱く二人に対して、のんびりだ。あくまでも他人事であり、エクレールと離れたくないといった個人的な気持ちを優先である彼女は、ぶーっ、と唇を突き出して拗ねる。


 そんな蓮歌の態度にシルベットとエクレールは癪に障った。


「いいから早く行け!」


「いいから早く行きなさい!」


 シルベットとエクレールは、ほぼ同時に怒鳴り声を上げる。


 一緒じゃなきゃ厭だ、と騒ぎ出し、子供のように駄々をこねる蓮歌に、あなたもう巣立ちしてますのよ、とエクレールは呆れ果てると、シルベットと眼が合う。


 エクレールは大きなため息を吐き、目配せをする。


 シルベットもエクレールの意図を汲み取り、大きく頷く。


 エクレールは、〈錬成異空間〉に現実世界に通じる穴を開け、術式を展開させると、シルベットが嫌がる蓮歌の中心────主に腹部に狙い定め、強引に穴の向こう────現実世界へと向けて蹴り飛ばす。


 サッカーならば、味方のゴールスポットから敵のゴールに入るであろう豪快かつ強靱な蹴りを喰らった蓮歌は、ぐえっと吐きそうになりながら、現実世界と繋がる穴に向かって吸い込まれるように引き込まれていく。その際、昼間食べたであろう冷し中華が消化不十分なまま排泄される。


 下呂を撒き散らし、強引に現実に戻された蓮歌をシルベットとエクレールは見ないふりをする。蓮歌の我が儘にムカついたのは間違いないが、に彼女たちとて、蓮歌が嫌いで強引に現実世界に返したわけではない。罪悪感はある。下呂を吐くところを女子的にはまじまじと見られてほしくはないだろうし、せめて見ないことにした。


 蓮歌が無事に穴を通過し、現実世界に戻れたところを確認しながら、エクレールはシルベットに言う。


「銀ピカ……この老いぼれをやっておしまいなさい」


 対して、シルベットの返事は一言だ。


「最初からそのつもりだ」


 そう言って、シルベットを銀翼を広げた。


 それに応じて、シンも西洋剣を身構える。


「────では、致し方ありませんが、最初の約束通りにシルベット様と戦いをしなければならないようです」


「ああ」


 ダン! と、短く返答してから、一際大きく地面を踏む。


 マウンドに蜘蛛の巣状の波紋を刻み込んだと視認した瞬間、既にシルベットはシンの懐にいた。シンの超超超超高速に匹敵してもおかしくはない速度をもった跳躍で、シルベットは天羽々斬を突きの姿勢で老紳士の胸の中心を狙う。


 しかし、胸元に届く前に天羽々斬の刀身は宙を切る。


 刃が届く前に、シンが軽やかに後転して躱し、一回転しているうちに魔力を刀身に込め、着地したと同時に踏み込む。


 地面に波紋の一つも刻み込まずに、シンは超超超超高速でシルベットに肉薄する。


 シンが西洋剣を左横殴りに振るい、一閃。


 しかし、こちらも宙を切る。シルベットが右流して躱して、そのまま低い姿勢からシンの死角に回り込む。そこから天羽々斬に魔力を流し込み、右斜め下から左斜め上に向けて振る。


 またしても、天羽々斬の刀身は宙を切った。


 シンは跳躍して天羽々斬の刀身を躱した。音もなく、シルベットの背後に降り立ち、一閃を放つ。


 右から放たれた一閃を気配で察知したシルベットは、腰を低くして躱し、そのまま横三回転ひねりで移動する。


 一太刀も当たらないまま、超超超超高速で交わされる一閃に目が離せないが、エクレールは根本的なことに気づき、口を開く。


「何をいきなりを始めてますのッ!? このままでは、ツバサさんまで巻き添えになってしまいますわよ。わざわざ、こんなところまで連れてきたのではないですの?」


 シルベットが気絶した翼を川原の土手に避難させたのは、戦いに巻き込まれないようにするため、と勝手に解釈していた違うのか、エクレールは首を傾げる。その解釈は、殆ど当たっていることに変わりはない。


 ただ単に彼女がそのことを忘れていただけに過ぎないことに、彼女のハッとしたことに気付く。


「あ。そうだった」


「そんな大事なことを忘れないでくださいまし! 戦うのならば、もっと離れてくださいまし!」


 ふん、と実に迷惑そうに顔をしかめて、エクレールは鼻を鳴らす。


「わかったわかった」


 手をヒラヒラさせて、エクレールにあからさまにぞんざいに返事をし、シンに目配せする。


「エクレール様の言うとおりでございます。誠に申し訳ございません。当初通りに翼様に被害が及ばないところで戦いをいたしましょう」


 シンは頷き、西洋剣を鞘に納める。


 シルベットもそれに倣い、天羽々斬を鞘に納めると、白銀に輝く双翼を広げた。


「では、行くぞ!」


 そう、意気揚々とシルベットが告げると、シンを連れ立って、飛び去っていった。




 ──危なかったですわ……。




 飛び去っていたシルベットを見ながら、エクレールは安堵の息を吐いた。


 もしもあのままシルベットとシンが戦いを始めれば、気を失った翼を護るために〈結界〉を張らなければならなかった。最悪の場合、避難するために〈空間転移〉系の術式を構築するようにしなければならなかっただろう。


 気を失っている翼を〈空間転移〉系の術式をもって、避難させることは難しくはない。怪我もかすり傷程度で軽傷だ。動かしても差し支えはないと見ていいだろう。〈空間転移〉の術式を展開させ、翼を動かして避難させることは可能だ。それだけならば。


 エクレールは現在、複数の魔術を継続している。天宮空と鷹羽亮太郎をカラオケに寝かせるために〈催眠〉、時間の流れを少しだけ緩やかにするための術式など、複数もの術式によって今もなお消費している状況だ。〈空間転移〉にはそれなりに魔力を消費する。加えて、気を失った翼を連れ出すにも、それなりの体力を消費してしまう。


 魔力が消費する毎に、使える術式は制限され、躯は動かしにくくなる。最悪の場合、体力も奪われるというおまけ付きだ。お菓子などのおまけならば喜ぶのだろうが、戦場で生命線とも呼べる魔力と体力を奪われることに喜べるはずがない。


 魔力と体力が無くなれば、躯は重くなり指一本を動かすことも困難だ。消費した魔力や体力は二度戻らないわけではない。静養すれば回復するが、蓄積されるまで時間がかかってしまう。


 これから何が起こるかわからない状況で、いざという時に動けなくなってしまうことは自殺行為に等しい。これからのことを考えると温存しておきたい。


 そんな危機的状況化で、シルベットとシンの戦いに巻き添えにならないように気絶している翼を護るために〈結界〉などの魔術を発動し、〈空間転移〉したら、魔力消費はかなりのものになる。


 先に行った蓮歌が魔術の行使を引き継いでくれれば、魔力容量の減りが軽減化されるが──


 まだ引き継いだ感覚はない。まだ到着していないのか、引き継ぎを忘れているのか、それとも不足の事態でも起こっているのか。どちらにせよ、複数の魔術を発動し続けるエクレールは、これ以上の術式を発動すれば魔力がゼロになってしまうことは目に見えている。


 なるべく温存を心がけなければれば。勿論、【創世敬団ジェネシス】に襲われた際のことも考えて、常に頭に入れて行動しなければならないことは確かで。その時は、構わず〈結界〉で防いだ後に、〈空間転移〉の術式を行使して避難するしかないだろう。


 その際は、複数行為している魔術に送る魔力量の操作や取消で何とか魔力の容量をゼロにならないように気をつけているが、どうにかなるとは到底考えられない。スティーツ・トレスら【謀反者討伐隊トレトール・シャス】人間世界方面日本支部派遣部隊第八百一部隊といった応援が駆け付けやすいように印──〈位置座標情報〉を行使させてはいるが、いつまで持つかわからない。


 そういった危機的状況になりかねないというのに、知ってか知らずか目前で戦いを始めようとしていたシルベットに怒りが沸いて来る。


 エクレールは、気絶した翼を前にしてブツブツと愚痴を吐き出すことが出来ず、フラストレーションを溜めていくこと三十分後──


 翼はやっと目が覚めた。




       ◇




「――ということですわ。全く……あの、傍若無人な戦闘狂の半人前は知能が筋肉か何かで出来ていますのね」


 エクレールは、これまでの経緯や襲撃を仕掛けた個人的な事情を包み隠さず明かした後、シルベットを猛烈に批難する。


「まあ。背中を押したのはわたくしですが……まさか、いきなり目前で戦闘を始めるだなんて考えもしませんでしたわ。わたくしたちを甘く見すぎていたあの老紳士の態度に頭に来てしまって、そのことをただ単に忘れてしまったなんて軍隊として言い訳にもなりません」


 エクレールは肩をすくませると翼に向き直る。


「まあ……現在は緊急事態ですから仕方ありません。わたくしは魔力量の減りが激しくなってますし、蓮歌は護りに適してますが持久力はありません。どちらともにあの老紳士の相手はできませんから、戦いには銀ピカが打倒といえます。そうなると、どちらかがツバサさんを護らなければなりません。蓮歌に任せるにはいろいろと不安が残りますからね」


「不安か……」


 確かに、魔力量に不安があるエクレールはシンとの戦いに不安がある。持久力がない蓮歌ではもっと危ない。三人の中で一番、シンとの戦いに向いているというよりも適しているのは、〈精神汚染〉が効かないシルベットで間違いはない。


 だからといって、彼女たちが自分に適した選択するとは限らない。特に蓮歌に置いては。


「蓮歌は、話し方や仕草からしてマイペースな性格だと思いがちですが、幼い頃から知ってますわたくしから言わせて見れば、あの子はあの子で強情な部分がありますのよ。他人のことを一切考えようとしない。考えているように見せかけて全く考えていない。世界は自分中心という厄介な性格ですわ」


「つまりそれは?」


「ワガママということですわね。空気は一切読めないといった特性の持ち主で、後方に下がれといっても大人しく後方に下がるような銀ピカとは全く別のベクトルの頑固な性格ですわ」


 蓮歌と幼なじみであるエクレールは、【部隊チーム】の中で彼女のことをもっとも熟知している。まだ幼龍の頃から遊び相手いわく世話係を互いの両親の任せられてきたのだから当然といえば当然だ。


 だが長年の間、付き合いがあったにも拘わらず、蓮歌はエクレールに対して理解はしてはいない。全くと知らないというほどではないが蓮歌はエクレールが困ったり悩んだりといった素振りを一切見せない、いや見せないようにしている事を汲んではくれない。


 エクレールが関わると普段からそうだが、一層空気を一切読めなくなり、周囲の配慮が疎かになってしまう。そのことを知っている彼女は口で言っても素直に聞き入れてはくれないことを知っているため強行手段を取ったのだ。


「戦いに適していない蓮歌を先に現実世界に帰らせて、ソラさん達のことを任せることは彼女にとっての適材適所といえますわ。これで自動的に三択ある内のひとつは確実に埋まりますわ。あとは、ツバサさんを護るかシンと戦うしかありませんが、銀ピカがあのシンとやらと闘う約束を交わしていたこともありますし、名乗り出ることは十分に考えられましたが。まあ、銀ピカも突拍子なことを仕出かすので、何とか念を押すようにした次第ですわ」


 エクレールは念を押すようにして、背中を押しただけに過ぎない。あとから交代すると見せかけて、そのつもりは一切ない。シルベットに戦闘意欲を掻き立てる口実に過ぎないのだから。


 それに、負けず嫌いの性格であるシルベットにとって、不仲であるエクレールと絶対に交代しょうとはしない。魔力量に不安が残るエクレールとしては、シルベットにシンとの戦い以外の選択させないように、わざわざ背中を押し、意地でもシンと戦わざるを得ないように仕向けた出まかせに過ぎない。


「わたくしたちはそこまで仲が良いとも悪いともありません。不仲だからといって、それだけの理由で感情任せに不向きな選択をさせませんわ。わたくしたちには向き不向きはあります。三つある選択のうち、確実に一つを適材適所があります。わざわざ、それを知ってて不向きな選択をさせてしまうほどに性格は悪くはないですわよ」


 ツインテールの片側──右方の髪を手で払う。


「銀ピカもシンに勝てる見込みがあるとは思いませんが、銀ピカが戦闘向きで、蓮歌では到底シンに敵うはずはありません。今のわたくしでは魔力切れでまともに戦えないでしょう。だからといって、わたくしが蓮歌を置いて現実世界に戻ったとしても、先のように目の前で戦いなっていたら、持久力も魔力量の数値が低い蓮歌では、危険ですし機転がきくような子ではありません。だから戦闘向きではない蓮歌は現実世界に戻っていた方が安全といえます」


 自信もって言うエクレールはは一息つく。だが顔色は芳しくない。表情から伺うなら、まだ安心しきっていないことが伺える。


 何やら不足の事態でも起こったのだろうか。翼の心に不安が滲むのを彼女は察した。


「なんかまだ問題でもありそうな顔をしているんだけど……」


 翼が聞くと、エクレールは視線を逸らした。彼女の表情は、さっきまで自信満々と語っていた時よりも雲行きが怪しさは増している。


 少々、罰が悪そうな顔をする彼女には、あからさまに何かあったと察しないが難しい。エクレールとしては、おそれていたことを聞かれて視線を逸らしてしまい、表情に出してしまった誤算は大きい。


 このまま隠し事してもばれてしまうだろうし、いつかは事情を話さないといけないと考えて、エクレールは潔く話しはじめる。


「ええ。ありますわ。ただそれは、あったのではなく、無かったことが問題といえますわ」


「あったのではなく、無かったことが問題?」


 あったのではなく無かったことが問題、とは一体どういうことなのか、翼は首を傾げる。


 エクレールの口ぶりから問題が起こっていることは間違いはないことは翼は理解している。ただ何が無かったことで問題が起こっているのか。それは何なのか。何が無かったことが問題なのか、を翼は知らない。


 様々な思考を巡らしながらエクレールの答えるのを待っている。


「そうですわ。先ほども言いましたが、わたくしたちはそれぞれ三手に分かれて行動していますわ。銀ピカはシンと闘い、わたくしは翼を護り、蓮歌は現実世界に行って、カラオケ店に寝かせているソラさん達を起こし、何とか感づかれないようにごまかすといった具合に、ですわ」


「うん。エクレールから聞いたからわかる」


「よろしいですわ」


 様々な問題がありますが……、と気になることを何気なく口にしてからエクレールは答える。


「現在の一番の問題は蓮歌ですわ」


「蓮歌……。確か何とかごまかしつつ連れ出した天宮空と鷹羽亮太郎を眠らせているカラオケ店に半ば強制的に行かされている筈なんじゃ──」


 翼はエクレールは自らが選択し、シルベットは性質を利用されて、蓮歌に関しては本人が納得しておらず、半ば強制的に退場させられていた印象を受けていたことを思い出す。


「蓮歌がどうしたの?」


「その蓮歌がソラさん達に向かわせてから何の音沙汰がありません」


「え……」


「あれから、かれこれ四十分程は経過しています。もうソラさんたちがいるカラオケ店にたどり着いていなければなりません。ですが、蓮歌から連絡はありませんのよ」


「どういうこと?」


「単なる連絡ミスか、何やら事件や事故、敵組織に捕まったかは定かではありませんが早くしなければ、ソラさんたちを長く寝かせたまま放置してしまうことになります。それでは、時間の齟齬が生じてしまいます。そうなれば、ソラさんたちも不思議に感じてしまいかねないところか、隠しきれなくなってしまいますわ。それどころかわたくしの魔力が無駄に消費してしまいますわよ」


「消費するとどうなるの?」


「そうですわね。魔力が切れてしまいます。そうなると、術式の解術はやむなしといえましょう。同時に、魔術を要した攻撃はしばらくは無理ですわね。体も動かせますが多少は動きづらくなりますから武術を要した攻撃または防御は、魔術を使う亜人に対して有効とはいえません。戦うことにより体力も消費されます。人間よりも優れた自己免疫力はありますが、それは体力や魔力がある程度あってこそといえます。つまり、危機的状況化を抜け出すならば、戦線離脱が正しい判断といえますが……」


 エクレールは言葉を濁らせる。


「先に離脱した蓮歌と連絡を取れない以上は、向こう側の安全は保証できません。何が起こったかわからない以上は下手には戻れば危険が伴います。だからといって、このまま身を隠せそうな場所も少ない敵地にいては状況を打開できません。下手にウロウロすることは相手の思うツボ。なるべく体力を温存するために動かずにいるべきでしょうが────」


 エクレールは視線を天空に向ける。


 そこには、炎を纏わせながら空中で見下ろすように佇んでいた人がいた。


 朱雀だ。袖が半ばから揺らめく火焔にした、白い和装。天女の羽衣のごとく身体に絡みついた炎熱の帯。それらを身にした女性を中心に、空を轟々と燃え盛る灼熱色に染め上げている。翼とエクレールがいる河原の土手からは遥か遠く、天空にいるにもかかわらず、彼女が佇む方角から熱気が感じられる。


 その熱気に翼が目を細めると、エクレールは口を開く。


「何故かは、まだ解りませんが、朱雀が人間界に降りたことにいくらかの疑問を抱いてますわ。それと同時に危機感も」


「どういうこと?」


「朱雀は、元老院とのいざこざから政府から厄介者扱いされ、差別されてきた引きこもりですのよ。今年の巣立ちに、およそ百年ぶりに顔を出しましたが、元老院との関係は良くなったは聞いてません。未だに、和解と至ってはいない状況では彼女が兵団を連れて人間界に降りてくることはおろか、〈ゲート〉がある中央大陸ナベルに兵団を連れてくることもできませんわよ。元老院が朱雀に警戒して大陸に降ろさませんから。強行すれば、それこそ、戦争が起こりかねないませんし」


 そんな朱雀がボルコナ兵を引き連れて、〈ゲート〉を通って人間界に降りてくるなんて不可能、だとエクレールは言い切る。


 異世界について事情は知らないが、人間界にも国同士でのいざこざはしょっちゅうだ。


 日本でも、そういったニュースは時折、報じられているため珍しくはない。価値観や宗教、国境や歴史等の食い違い、理由は様々だ。朱雀と元老院のいざこざもそれに類するのだろうか。エクレールが口にした元老院は、人間界では王政ローマにおける王の助言機関を指す。そこから察するに、ハトラレ・アローラという世界は王政だろうか。


 朱雀がどういった経緯でいざこざを起こしたかは翼は窺い知ることは出来ないが、王の助言役である元老院によって、何やら制限をかけられていると見ていいだろう。


「少数でさえも〈ゲート〉がある中央大陸ナベルに入国するのでさえ、審査に時間がかかりますわ。巣立ちの時は、式典だからと特別に許可されただけに過ぎません。だからこそ、彼女が此処に来れた時点で不可解といえるのですわ」


「〈転移〉とかの魔術で行ったり出来ないの?」


「できませんわ」


 エクレールの答えは早かった。考えるまでもなく答え、その理由を話す。


「〈ゲート〉付近には、無断で侵入できないように魔術を無効にする〈結界〉が幾重にも張られていて、いくら聖獣でいえど不可能ですわ。例え監視の目をかい潜ったとしても、兵団を引き連れては無理がありますわよ」


「確かに」


 翼はエクレールの言葉に頷く。


 朱雀が引き連れている兵団は視認する限りでは千あって少しあまる程だ。千もある兵団を引き連れて監視の目をかい潜り、人間界に降りてくることが不可能だ。


「じゃあ、長い期間をかけて、兵団を少しずつ人間界に送り込んで、最後に朱雀が単体で来る可能性はあるの?」


「ないとは言い切れませんが、此処にゴーシュが顕れる確信がない限り、実行に移すなんて出来ませんわ。預言や予知といった術式がない限り、長時間かけてなんて有り得ません。正体が発覚すれば大事になる危険性もあるのですから」


 銀ピカのように脳みそが筋肉で出来ているような者ならば別でしょうが、とエクレールはシルベットを引き合いに出し、言葉を続ける。


「朱雀。本名は、煌焔ですが、南方大陸ボルコナを指揮し、統率する支配者にして、守護者。戦好家ではありますが、慎重に策を練り上げることで知られている彼女が、何の確信もなく、長期間もかけてまで顕現することは考えづらいですわ」


「じゃあ、目の前にいる朱雀やそのぼるこな兵はどうやって……」


「そうですわね……」


 エクレールは頭をフル回転させて、可能性が高いものを割り出していく。


「もしかしてしますと、朱雀が此処で何か起こることをあらかじめ知っていた、もしくは此処で何かを起こすという前提になりますが、長い年月をかけてボルコナ兵を人間界に潜り込ませた、という可能性が少なからずありますわ」


 ですけれど……、と、すぐにエクレールは言う。


「ボルコナ兵が【謀反者討伐隊トレトール・シャス】に紛れ込ませたというくだりについて、そう簡単に紛られるかどうかになります」


「どういうこと?」


「【謀反者討伐隊トレトール・シャス】は、【部隊チーム】の配属先を自由で選択できますわ。あくまでも選択だけで、適性検査とその時の各職種の枠と本人の希望を元にして、テンクレプや上層部と人事部が決定します。その中に元老院の代表として五、六人くらいは居たはずです」


 朱雀は、ドレイクやボルコナ兵を意図的に人間界の【部隊チーム】に配属させることは可能なのか。彼女は、ハトラレ・アローラに置いて権力を持つ元老院に嫌われている。現在も巣立ちの式典に招待されるほどの改善はあったと見ても、未だに大陸を許可無しで自由に行き来さえできない。


 それらを考慮して、朱雀が意図的に、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】や人間界にある【部隊チーム】に上手く配属することは可能なのかどうか。普通に考えれば【部隊チーム】の配属先の決定権をもっている元老院がいる限りは不可能といえる。




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