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第一章 三十九




「──バサさん、ツバサさん」


「……っ!」


 頭の上から響く声に呼ばれ、翼はハッと目を見開いた。一拍おいて、自分がその場に仰向けに倒れ込んでいることがわかる。


 翼がいたのは、自宅のある住宅街よりも少し離れた河川敷だった。正確には、〈錬成異空間〉に創られた偽の街の河川敷にあったグラウンド側にあるベンチに翼は寝かされていた。その頭上で、金髪碧眼の少女──エクレールが慌てた様子で起こしてきたのである。


「──エクレールなのか」


「はい、ツバサさん。無事で何よりですわね」


 エクレールは安心した表情で応えてくる。


 翼はポケットの中に入れておいた携帯電話が、急に軽快な着信音を響かせたことが合図となり、シルベットとシンが激突した。その衝撃波によって、翼を護っていた白銀の〈結界〉は呆気なく破壊され、紙屑のように吹き飛ばされた挙げ句、情けなく地面に叩きつけられ、転がされて瓦礫にぶつかったところで、ようやく止まったと同時に気を失ってしまったようだ。


「エクレールはどうやって?」


「ソラさんとリョウタロウさんを何とか安全圏までに連れ出してから何とか抜け出してきましたのよ。それよりも大変なことになりましてよ、ツバサさん」


「どういうこと?」


 エクレールに言われて、翼は周囲を見渡した。


「──ッ!?」


 自分の目を疑い、瞼を擦り、再び目を開ける。


 しかし、何度見ても光景は変わらない。


 その場から立ち上がり、眼下に広がる街の景色をもう一度一望する。


 目に映った景色は予想をしたよりも悲惨なものに変わっていた。


 街は炎に包まれていた。いや、溶岩の波に飲み込まれていると言った方がいい。


 もしも、この世界が人間や生き物が日常生活を暮らしている現実世界ならば恐ろしいことになっているであろう光景を、その力を見せつけるように、唯一この世界でただ一人の人間である翼の目に焼き付けるように、燃え盛っていた。


「な……、なんだ、これ……」


 翼は、体表に虫が這っていくかのような悪寒を感じながら、震える声を発した。


 自分が日常生活をする現実世界の全てを壊しえる力が目の前で見せつけられて、恐怖しない人間はいないだろう。


「…………」


 翼は、そんな凄惨な光景から目を逸らせずにいると、背後にいたエクレールが話しかけてきた。


「ツバサさん、大変ですわ。朱雀が降臨してきましたの」


「え……朱雀?」


 朱雀。


 ゲームや漫画、アニメなどで登場する空想上の生き物だ。龍やドラゴンと同じように神話などに度々登場している。特に有名なのは、四聖獣だ。東が青龍、南が朱雀、北が玄武、西が白虎となっており、四頭がセットになっているのをよく見かける。特に神社の欄間などに飾られているのを目にする。御神籤とかでも。


 体の前半分は麒麟、後半分は鹿、蛇の頚に魚の尾、龍の文様に亀の背、それに燕の頤に鶏のくちばし。全身に炎を宿して、羽は黒、青、赤、白、黄と五色の色に彩られていると云われている。鳴き声は聞いた者の心を奪うほど美しいとも云われている霊鳥。


 龍の次に並び称されるポピュラーな空想動物だ。よく中国の鳳凰や、ヨーロッパのフェニックスなどの同一視されたりもする。


「朱雀は、ハトラレ・アローラにある大陸の一つ、南方大陸ボルコナにおいて、守護者にして支配者ですわ。まあドレイクさんの故郷の最高統括、人間界に例えるなら総理や大統領といった国の最高指導者や最高責任者にあたります」


「なんで、そんな国の最高権力者が……」


 他国──しかも異世界の最高権力者が人間界に出向いて、街を火の海にしているのか、理解ができない。〈錬成異空間〉の中の街でなかったら、ただの国際問題では済まされない。


 翼の抱いている疑問を解く答えをエクレールは持ってはいなかった。


「わたくしも同等の意見ですわ」


 エクレールは、翼と同じ疑問を抱いていた。ハトラレ・アローラでの朱雀の立ち位置を知っているエクレールは、今回の朱雀の降臨事態を、訝しんでいる。


「何故、朱雀が人間界に降臨したのかはわたくしにはわかりません。ハトラレ・アローラで五大大陸に置いて、国の最高指導者である朱雀がやすやすと人間に出向かれる立場ではありませんわ。それは、生易しい事情ではないことだけは示唆することは出来ますが、詳細な内情まではわかりません」


 エクレールは深刻な顔つきになる。


「現場には、銀ピカの義兄────ゴーシュ・リンドブリムがいたらしいですわ」


「シルベットの義兄……」


 ゴーシュ・リンドブリム。エクレールがシルベットの義兄と口にした名に耳馴染みがあった。まだ初耳で会ったこともないはずだが。


 エクレールは、とてつもなく嫌そうな顔をして、渋々と口を開く。


「……ええ。銀ピカの義兄ですわよ……────それよりも、状況は非常に悪いですわ」


 エクレールは簡単に一言で済まし、それ以上のことを語らない。話題を逸らし、エクレールは神妙な顔つきになる。


 よっぽどシルベットのことが嫌いなのだろうか。だからこそ、その家族の話題を口にしたくなかったのではないか、と事情の知らない翼はエクレールの話題逸らしをそう解釈した。


「ゴーシュ・リンドブリムよりも、もっとも厄介なのは、”朱雀”ですわ。どうやら不死のくせに年齢を気にする朱雀に向かって禁句を言ってしまわれたらしく、それで怒り狂ってしまい、ご覧の有り様に…………」


「…………」


 “朱雀って年齢を気にするんだ”や“禁句って何だ”と翼の思ったが、溶岩が蠢く街の様子を見る限り、よっぽどのことを言ったのだろうと推測する。


 と、考えていたところで翼は気づく。


 エクレールは、これまでの会話の中に一度もラスノマスについての動きといった情報を口にしていなかった。それどころか名さえも出ていない。


 ラスノマスは、七年前のアメリカからイギリス、フランスとヨーロッパ大陸を経て、モンゴル、中国、韓国、台湾、そして日本と世界各地にかけて、一千万人の十三、四歳の少年少女を突如として消息不明となる人類史上類を見ない最大最悪の行方不明事件──未成年者連続神隠し事件を起こした首謀者だ。同時に、清神翼の命を美神光葉を使い、狙っていた【創世敬団ジェネシス】の亜人。エクレール、シルベットたち【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の敵と言ってもいい過言ではない存在だ。


 美神光葉が四月から翼のいる中学校に転入させ、同時期に沖縄、九州、四国、中国、関西、中部、関東と日本を北上するように人間を狩っていたことから何をしでかすかわからない。狙われている身からしてみれば、ラスノマスの動向が気になるところだが、エクレールはラスノマスについて何も言わないまま、話しを進めている。


 もっとも警戒するべき敵のはずだが、翼が気を失っている間に、シルベットの義兄のゴーシュ・リンドブリムや朱雀が現れたことにより、状況は変化しているだろうか。その中で、ラスノマスの動向が気になって仕方ない。


「エクレール……」


「何ですの?」


「ラスノマスはどうしたんだ……」


 翼が聞くと、エクレールは翼の言葉に訝しげに見て、首を傾げながら再び口を開く。


「ラスノマス? ラスノマスも居ましたの? わたくしが来た時には、姿形も気配もありませんでしたわよ……」


「え……いなかった」


 翼は少しずつ覚醒してきた頭で思い返す。記憶の中では、確かに百ものドラゴンが召喚され、紫の霧に包まれて現れたラスノマスが顕れたはず。シルベットと美神光葉は共闘して戦っていたはず。


 翼が気を失う寸前までラスノマスがいたと記憶しているのだが、状況が変わり過ぎている。


「確かに、気を失う前にラスノマスの襲ってきて、シルベットが……ん? そういえばシルベットは……」


 翼はようやくシルベットの姿が見えないことに気づき、エクレールに訊くと、彼女はかなりの嫌悪感をあらわにする。


「…………銀ピカなら、あなたを此処でわたくしたちに預けて、美神光葉の従者とやらと戦いに向かわれましたわよ」


 エクレールは、渋々と口を開き、言った。




       ◇




 ──翼が目を覚ます一時間程前──




 風が吹き抜ける。


 濛々たる黒煙が立ち上る世界で、銀翼銀髪の少女と老紳士は駆け抜けていく。


 二人の眼前には、河原が捉えた。


 なんてことのない。ごく一般的な氾濫しないように堤防がある川岸である。散歩やサイクリング、老人はゲートボール、子供が野球などで遊べるであろうか広場がある、ごく普通の川辺。


 瓦礫が散乱する住宅地と比較したら、被害は最小限に済んだらしい。シルベットは野球のグラウンドにあったベンチを見つけ、抱き抱えていた翼を優しく降ろして寝かせた。


 その時。


 黄金の魔方陣がマウンド上に展開される。老紳士は警戒の目を走らせ、シルベットは嫌そうな視線を向けると──


 魔方陣から見たことがある二つの影が出てきた。


「見ーつけた♪」


「遅れてしまいましたわ……――あら、銀ピカ? ここでサボっていましたのかしら」


 聞き慣れた声が二つ聞こえてきた。


「貴様ら……」


「ふふふ。あらあらツバサさんとお熱いところ悪いですけどぉ蓮歌はエク────」


「あなたたちがいきなり消えてしまい、ソラさんたちをごまかすのに手間取りましたわ」


 金髪ツインテールの少女────エクレールは、蒼髪のストレートロングヘアーの少女────蓮歌の言葉を遮り、肩をすくめる。


 エクレールと蓮歌の二人は、天宮空と鷹羽亮太郎を何とかごまかし、安全圏まで連れ出した後にカラオケ店に立ち寄ったところで、〈催眠〉を使い二人を寝かせ、彼女らをなるべく起こさないようにカラオケ店に何十に渡る術式と細工を施し、突然いなくなったシルベットと翼を追って、この〈錬成異空間〉へたどり着き、偶然にもシルベットと鉢合わせた。


「────しかし、全く骨が折りましたわ……。しばらくは持ちますが長い時間は無理でしょうね。そちらはどうですの?」


「ふん。何とか【創世敬団ジェネシス】からツバサを護っているところだ」


 どうだ、と言わんばかりにシルベットは胸を突き出して踏ん反り返った。


 小さな胸がコンプレックスであるエクレールに対して、わざわざ豊かな胸を出す行為に対して、苛立ちが募ったが、現在の緊急事態という状況下において諍いをするのはよくないと、エクレールは頬をぴくつかせながらも、喉元まで出かかった罵詈雑言を飲み込むと、シルベットから五メートル後方に離れたグラウンド側に人影に気づく。


 それは男性――黒一色の執事服を身に纏った老人。


 白く染まった髪を丁寧に整えられ、仕立てのいい黒の服に袖を通している。背が高く、年齢を感じさせない鍛えられた躯と、ピンと伸びた背筋。腰には刀身の長さが一メートル弱の細身の西洋剣を携えている。棒のような痩身に硬く尖った容貌。伸びた背筋と合わせて、その全体には老紳士という形容がぴったりくる気品が感じられる。


 出で立ちからしてどこかの従者だとすれば、これだけの人物を連れている主もそれなりの人物だろう。そんな感想を抱きつつも、エクレールは疑問に思う。


 ハトラレ・アローラで金龍族の王女として育てられたエクレールは、両親と一緒に連れられて、数々の社交界に招待されている。名前を覚えないシルベットと違って、名前はおろか階級、容姿、印象など主席した王族、皇族、貴族は勿論、それに仕える従者についてもそれなりに記憶しているのだが、老紳士を見た記憶がない。皇族、王族、貴族といった身分なら社交界に招待されてもおかしくはない。そして、従者は必ずしも付き従って訪れるはずだが──


「…………あら、そうですか。ところで銀ピカ。そちらの方は誰ですの?」


 老紳士に気づいたエクレールはシルベットに訊いた。


「”黒いの知り合い”だ。ツバサが剣圧の衝撃で吹き飛ばされてしまい、気を失ってしまったのだ。調度、貴様が来たから〈結界〉やら目印といった術を施す手間が省けた。金ピカ、ツバサを頼むぞ」


 シルベットはエクレールの問いに簡単に答えると颯爽と行こうとする。そんな彼女をエクレールは制止する。


「よくありません。何を言ってますのよ。あなたが付けた名を訊いてはいませんわよ……」


 エクレールが予想した通りの解答だった。


 シルベットは記憶力に関してずば抜けているため、覚えが悪いわけではない。


 現に、翼や空、燕といった人間の名前などは覚えている。エクレールは金龍族で主に着ている服が黄金色が多いことから”金ピカ”と呼ばれている。蓮歌は”水臭い”、”蒼くさい”とかなり酷い呼称だ。炎龍帝ファイヤー・ドレイクは”赤じじぃ”と比較したらまだマシといえるがやめてもらいたいが、本人が全く悪気がないから太刀が悪すぎる。そのことから。老紳士の御主は、黒が特徴的だったと推測されるのだが。


 老紳士に警戒の視線を向けると──


「これはこれは、失礼を致しました」


 と、シルベットに”黒いの知り合い”と呼称されていた老紳士はグランド外にいたが、右足をあげると同時に消え、零・一秒もかからない数瞬の間にグラウンド内──彼女たちから二メートル程の距離まで近づき、声をかけてきた。


 驚く三人の前で、老紳士は右足で地面に降り立つ。着地の音が皆無。何らかの魔術を発動した感じがなかったことに、エクレールたちはかすかに息を呑み込む。


 グラウンド外から内に移動した距離は僅か五メートルくらいだ。普通に移動するだけなら当然ながら目に止まってしまう。亜人の動態視力は、人間界の最高時速二千三百キロのリニアモーターカーでさえ止まってみえてしまうくらいに、人間よりも優れている。瞬間移動系の魔術を発動した形跡がない以上は、老紳士は二千三百キロ以上の速度で移動したことになる。


 魔術を発動せずに二千三百キロ以上の速度で五メートルを移動したことになるが、そもそも超超超超高速で移動する距離ではない。


 これは、老紳士が彼女たちに自分の力を見せつけるために行ったものだろう。明らかに老紳士はこちらの戦意を少しでも削ごうとしていると考えられる。


「私の名前はシン・バトラーと申します。今は美神家に仕え、その当主である美神光葉様からを頂いている身になりますかな。エクレール様と蓮歌様はお初御見え致します。シルベット様には先ほど名乗ったのですが、覚えて頂けていないようなので、名乗らせて頂きます」


 なかなか思い出してくれないシルベットに代わりに老紳士は自らの名を告げると、美しい所作で一礼した。


 シン・バトラー。


 彼については、知らないが御主である美神光葉については情報がある。


 美神光葉はハトラレ・アローラに置いて、”黒き剣豪”という称号を与えられるほどの剣術の達人であることは知られている。九百九十九もの剣術大会で無敗を誇り、【創世敬団ジェネシス】との戦でも、敵陣に飛び込んでは血の華を咲かせて舞い踊る。”黒き剣豪”という名は【創世敬団ジェネシス】にとって畏怖と憎悪の代名詞となり、立てた武功と騎士の叙勲は数知れない。


 彼女は社交界には滅多に顔を出さないことで有名だ。シンが彼女の執事ならエクレールがシンを知らないのも頷ける。欠席について、本人いわく社交場よりも剣道場の方が似合っているから行かない、と何らかのインタビューで答えていたことも記憶している。彼女の従者ならば、金龍族の王女として幾つもの社交場に招待されたエクレールが知らないのも頷けるのだが──


 ”黒き剣豪”と敵対組織に恐れられた彼女の従者が何故、清神翼という人間を狙うのか理解ができない。


「これはこれは、数々の説明不足を申し訳ございません。こちらとしては光葉様に翼様の保護を頼まれました故に、お引き取りをお願い致しますでしょうか?」


 無礼を詫び、こちらの意を汲んで、先んじて理由を話したシンはエクレールに翼の引き渡しを願い上げる。


「ツバサさんの保護ですか……」


「金ピカ、騙されてはならぬッ!!」


 シルベットは、すかさずシンとエクレールの間に分け入る。


「こやつらは、【創世敬団ジェネシス】と【異種共存連合ヴィレー】、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の多重間諜をしている。現に、この〈錬成異空間〉に私とツバサを引き込んだのは、”黒いの”だ!」


「どういうことですのッ!? いちから、ちゃんと説明していただけませんか……」


「説明も何もこやつが敵だということだけだ……」


 ぐるる……、と歯を噛みしめて威嚇して刀を構え、剣先をシンに向けた。


 彼女の深紅色の瞳が老紳士────シンを貫くように細められる。警戒心をあらわにする彼女は相変わらず説明が足りていないが、明らかに嘘を言っている様子は窺えない。


 そんなシルベットに対して、シンは一切の狼狽えの色はない。刀身のように鋭い頑固に動じることなく、御主に恥じない分を弁えた従者のそれを保っているが、目は厳しい。殺意ではないにしろ、好意的ではない。まるで射抜かれるような視線の鋭さがあり、シルベットとは種の違った冷ややかさがある。


 【創世敬団ジェネシス】にとって畏怖と憎悪の代名詞となり、立てた武功と騎士の叙勲は数知れない”黒き剣豪”が【創世敬団ジェネシス】と【異種共存連合ヴィレー】、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の多重間諜を行っていたなんて、にわかに信じがたい言葉だが、その”黒き剣豪”である美神光葉、その従者が清神翼の受け渡すように願い出ることに違和感がある。


 ”黒き剣豪”たる美神光葉は現在、北方大陸タカマガの最北端で宝剣”ゼノン”をゴーシュに強奪されて以降は、人間界に異動となっている。その後は、目立った動きも活躍もない。消息不明といっても申し分ないほどに彼女の履歴はなかったことをエクレールは記憶の中から掘り返す。もし【創世敬団ジェネシス】、【異種共存連合ヴィレー】、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の多重間諜を行うためにあえて目立つような動きは控えていたとするなら合点がいくが証拠はない。


 現状では、シルベットの証言のみだ。


 翼が目を覚まして説明してくれれば判断には困らない。


 ──銀ピカには、肝心なところを省き、説明する癖をなおしてほしいですわ……。


 エクレールは心の中で大きな嘆息を吐き、訝しげにシンを見据える。疑い深く見つめる彼女に対して、老紳士は眉毛ひとつも動かさず、表情も動揺も変わらないままだ。


 疑い深く見つめただけではわからない。シルベットを見ても、何をこっちを見ているんだ……疑うならばアッチを見ろ、と言ってくるだけで対して反応は変わらないだろう。


 しかし──


 ふと、シンは何かを感じとったかのように横目に視線を逸らす。エクレール、シルベットもそれにいち早く気づく。老紳士は目の前にいる彼女たちや翼ではなく、右にある何か別の物に目を奪われているかのように目が離せないでいる。


 いったい何なんだろうか? とエクレールとシルベットは怪訝そうな顔で、シンが釘付けになっている方向へと、警戒することは忘れずに振り向く。


 遅れて気づいた蓮歌もそれに倣う。


 そこには、燃え盛るような紅蓮の空に浮かぶ人影があった。毅然とした面持ちをした和装のような格好をした乙女だった。


 炎髪灼眼。紅蓮の和服に包まれたしなやかな肢体には焔を纏わせている。炎を具現化したかのような女性の姿は、エクレール、蓮歌、シルベットでさえも見覚えがある。


 荒々しい炎の神格と対峙するのは──二つの人影。


 一人は、男性。目映いばかりの白銀を糸にしたかのような見目麗しい髪は優雅さを感じさせ、端麗な顔の作りと相まって、男には相応しいと思わせる一体感がある。黙って立っているだけで、いっそ匂い立つような涼しげな印象を与える美丈夫。


 もう一人は、女性。 腰まで届く長い髪は艶やかな光沢を放つ黒。新雪のように透き通る白い肌に艶やかな朱唇。端正な面貌と合わせて、どこか陰のある妖艶さを惑わせている美少女。


 エクレールは、この二人の顔に少し見覚えがあった。思い出そうとしている横で、その二人を見ていたシルベットとシンはあからさまに血相を変えた。


「……美神、光葉様……」


「……あの、変態義兄……」


 シンは心配するように、シルベットは呆れと怨嗟をない交ぜにした声で別々の名前を言った。


 ──美神光葉と……。


 ──変態義兄……?


 ──銀ピカの義兄だと言いますと……まさか。


 エクレールは、シンが美神光葉と呼んだ女性よりもシルベットが変態義兄と呼んだ男性にエクレールは注視する。


 ──あれが、銀ピカの……。


 ──ハトラレ・アローラの宝剣ゼノンを強奪した大罪人。


「あれが……ゴーシュ・リンドブリムですの……?」


 それだけを口にした時に、不意に軽快な交響曲が鳴り響く。


 それは耳から通じてではない。直接、頭の中に鳴り響いている。張り詰めていた空気に、ふと、流れる交響曲に緊張の糸を緩めた。


 それも当然といえる。なぜならそれは自分の携帯電話の着信音だからだ。【謀反者討伐隊トレトール・シャス】による支給品だが、黄金色を好むエクレールの特注である。金ぴか過ぎて目立って仕方ないから、異空間に放置していたもので、着信があった際にはいかなる場合を考えて直接、頭の中に伝わるようにしていた。エクレールは異空間に放置していた携帯電話────スマートフォンを遠隔で操作する。


 電磁系の力を司る金龍族であるエクレールにとって、電機機器であれば、手元になくとも操ることは歩いたりすることよりも容易い。


 天上を紅蓮色に染める人影に注視するシンに警戒しながら、着信相手を〈念視〉をもって確認する。


 相手は【謀反者討伐隊トレトール・シャス】が既に登録してあるものだった。


 それも当然といえる。エクレールは一度も連絡先交換をしたことはない。


 あいうえお順に表示された自分たち以外の連絡先を探す。さ行にあった、近辺でエクレールたち【部隊チーム】の援軍と駆けつけてくれた【謀反者討伐隊トレトール・シャス】人間世界方面日本支部派遣部隊第八百一部隊の連絡先にあたる。


 本当ならば、【部隊チーム】直属の上官であるファイヤードレイクにした方がいいが、は行までの時間ロスを考えれば、ファイヤードレイクよりはこちらを選んだ方が早いだろうと考えて、シンの様子を伺いつつ、電磁系と〈念話〉を用いた方法をもって通話を行う。これにより、周囲に気づかれずに通話相手と話すことができる。


『もしもし、ですわ?』


『こちらスティーツ・トレスだ。【謀反者討伐隊トレトール・シャス】人間世界方面日本支部派遣部隊第八百一部隊隊長といえばわかるだろう』


 渋みのある、低く嗄れた男の声が応える。


 電話の相手は、人員不足であるエクレールたちに駆け付けてくれた【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の上官だ。


『わかってますわ。ですが、着信相手の名前が通知されているだろうし、わざわざ名乗らなくともよろしいのでは?』


 エクレールは、携帯やスマホといった端末で、通信相手が表示されているにもかかわらず、わざわざ名乗ることや”もしもし”ということに対して、理解がわからない。


 ハトラレ・アローラでは、通信はもっぱら〈念話〉であり、通信相手が不明という場合じゃなければ、名乗らなくともいいのが通説である。


 だからこそ、エクレールは着信相手が不明だった場合を除いては名乗らなくともいいと考えていたのだが……、日本支部に配属して長いスティーツ・トレスは違うようだ。


『まあそう言うな、エクレール・ブリアン・ルドオル。もしもし、と名乗るのは人間界の礼儀というものだ』


『礼儀ですか?』


 礼儀。社会生活の秩序や円滑な人間関係を保つために守るべき行動規範。相手に敬意を表すには最適な作法といえる。


『そうだ礼儀だ。そのことについて、後ほど教えておくとして緊急事態だ』


『奇遇ですわ。わたくしたちもいろいろと緊急事態が発生してますのよ』


『どういうことだ?』


『そうですわね────』


 そう言って、エクレールはこれまでの知る限りでの経緯についてスティーツ・トレスに報告した。




『────という現状ですわ』


 エクレールが知る限りのこれまでの経緯をスティーツ・トレスに伝えた後、そう締めくくった。


 現在、不明確な情報ばかりで状況報告が主な内容といえるが、少しでも有意義な情報を得られることを彼に抱いて、意識を通話に集中する。


 スティーツ・トレスら【謀反者討伐隊トレトール・シャス】人間世界方面日本支部派遣部隊第八百一部隊は、エクレールたちの【部隊チーム】に加勢している。隊長であり上官であるスティーツ・トレスは、陣形についてエクレールよりは熟知している。”黒き剣豪”である美神光葉が編隊に加わっているか否かの情報を得られるかもしれない。


『今回は、”黒き剣豪”である美神光葉の従者はおろか、その本人さえも加わっているという情報をない。勿論、朱雀────煌焔も同様だ。ゴーシュ・リンドブリムは大罪人として指名手配されている。見つけ出して連行を頼みたいところだが、彼は【謀反者討伐隊トレトール・シャス】で幾度の戦場での功績が認められ、二階級特進で大尉から中佐まで上がるところまでいった実績がある。我々が駆けつけるまで逃がさないようにしてもらえばいい』


『そうですか……』


 スティーツ・トレスの声を、エクレールは頭の中で吟味する。薄っぺらな胸もとで腕組みをして、右腕の肘辺りを、ちょんちょん、と人差し指をリズミカルに動かしながら、話しの内容に集中しながらも、警戒することを怠らない。


 今回の陣形について熟知しているスティーツ・トレスの情報は確実性が高い。だからシンという老紳士を信用してはならないことは明白だ。彼の御主である美神光葉も同様といえる。


 美神光葉はハトラレ・アローラでは有名な剣豪であり、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】に所属している仲間だが、シルベットによると、翼を〈錬成異空間〉に引きずり込んだのは彼女であり、ラスノマスと関わりがあるらしいが、シルベットの肝心なことが抜けている簡単な説明でわからない部分があって、決め手にはならなかったが、スティーツ・トレスの言葉により決断させた。シン・バトラーという老紳士は敵の可能性があると。


 ゴーシュ・リンドブリムに関しては、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】で幾度の戦場での功績が認められ、二階級特進で大尉から中佐まで上がっていることから戦闘能力は高い。朱雀────煌焔が相手にしているのなら、無理に戦う必要性はないだろうが、スティーツ・トレスの指示通りに駆けつけるまで逃がさないようにした方が得策だろう。


 シンから離れた時に、エクレールの【部隊チーム】の上官に最終判断を煽ってもらうとして、エクレールはスティーツ・トレスの緊急事態について訊いてみる。


『ところで、そちらの緊急事態とは何ですの?』


『ああ。井鬼町にて【創世敬団ジェネシス】と思わしき蛟龍────伊呂波定恭を一旦は心臓、呼吸が停止まで陥ったが一命を取り留め、生け捕りにしていたところ、未確認の高高高高度の強大な魔力反応を確認した。それは、かなりの質量をもって、四聖市に向かっていくのを捉えたから気をつけよ、と言いたかったのだが────』


 淡々と紡ぐスティーツ・トレスの先の言葉をエクレールは先読みして口を開く。


『それは多分、わたくしたちも今さっき目視した朱雀の可能性は高いですわね』


 エクレールはスティーツ・トレスの言葉を聞いて、天上に浮かぶ、人影を見据える。


 エクレールがこの辺で高高高高度の強大な魔力反応といえば、眼上に浮かぶ炎の化身しかいない。人間界でもハトラレ・アローラでも神話を持つ聖獣。それ以上の高高高高度の強大な魔力反応が果たしてあるだろうか。エクレールが知る限りでは人間界には存在はしていない。


 成る程、とスティーツ・トレスも同じ答えに至ったのか、納得したかのような声を出す。


『それが確実だろうが、もしものこともある。現状では、朱雀が人間界に降りた理由について有意義な情報がない。しばらくは、任務に支障がない限りは様子見でいいだろう』


『わたくしもそれでいいと思いますわ』


 〈錬成異空間〉に突然現れた朱雀────煌焔は、ハトラレ・アローラで、大陸及び国の象徴でありながら、国民の統括する一国の首長でもある。人間界────日本で例えるなら天皇が大統領や総理をやっているといった方がわかりやすい。


 そんな一国一大陸の統治する朱雀が人間一人を護衛・保護する小隊に介入するのは考えづらい。どんな目論見があって人間界に降りられたかは窺い知ることは出来ないが、一介の兵士であるエクレールが首をつっこめる範疇を越えている。


 事態がどのような方向性で進むかわからない以上は見極めなければ、国際問題となるために、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】も【異種共存連合ヴィレー】も本格的に動けるまで時間がかかるだろう。


 あくまでもエクレールたちの任務は清神翼の護衛・保護にある。彼の生命を脅かすのならば、討伐・反撃は許可されているが、巣立ちしたばかりの新兵であるエクレールたちは、翼を護衛及び保護を目的とした討伐以外は任されてはいない。


 隊員個人の独断専行を防ぐ目的で、何重ものプロセスを用意している。


 当然ながら、単独行動は、ドレイクやスティーツ・トレスといった上官の命令がない限りは動くことができない。組織、というものは小回りが利かない弊害を生む種でしかない。


 だからといって、行動を術式等で縛られていないため、実際に独断専行、単独行動を起こしても上官に知られなければ、これといった制限はないのだが……。


 上官に見つかれば、本部に報告され、【部隊チーム】での連帯責任という処罰が待っている。そんな危険性を孕んでまで首を突っ込みたくはない。


 ──危ない橋は出来れば渡りたくありませんわね……。


『“黒き剣豪”、の従者と、名乗る、シン・バトラーは、ツバ……害や拉致……むのな………伐だ。気絶して…………サを………………』


 ぶつっ、とブツッブツッと途切れがちなって、スティーツ・トレスとの通話が途切れた。


 電波の受信感度が急に悪くなったというか、強力な電波攻撃に妨害されて、〈錬成異空間〉と現実世界を繋ぐ回線ごと断絶されたと言った方が正しい。


 一体、誰が? エクレールは電波妨害された際の通話内容から、特定の相手を探し出す。スティーツ・トレスとの通話を傍受し、盗聴した第三者にとって部が悪く、不都合といえば、かなり絞られる。


 エクレールは、電波妨害したであろう相手に目を向けると──


「──っ!?」


 暗く濃厚な闘志が溢れ出し、周囲を席巻する。エクレールは思わず息を呑み込む。


 躯が鎖で巻き付けられたかのように動かなくなり、岩が背中に乗っているかのように重い。内臓を剣先でグチャグチャと掻き回されるような殺意が向けられ、躯中に恐怖が溢れ返る。


 暴れまくる恐怖に、亜人の防衛本能が警告している。戦うな、と。


 チッ、とエクレールは舌打ちをして抗おうにも、心中に拡大する恐怖の侵食は止まらない。


 エクレールは〈精神汚染〉系の魔術にかかったのだ。誰がかけたのか。それは当然。眼前にいる老紳士────シンだ。


 彼は、冷酷なまでに歪んだ表情でエクレールを見下し、


「一瞬でも交渉中に他のことに気をとられてしまいましたことに対して、先に謝罪しておきましょう。失礼を致したことに対しては誠に申し訳ございません」


 シンは謝罪する言葉を口にする。


「ですが────例え相手にされないといって、断りもなく外部との交信してしまうのはいかがものでしょうか」


「わたくしたちを無視して、他の女に気を取られておきながらよくおしゃる口ですわね……。どういった理由があれど、あなたはミスを犯しましたわ。これから交渉する相手に敵意を向けてしまったことは、わたくしたちから信頼を得る機会を失ったといっても差し支えはありませんわよ」


 震えが止まらない脚を何とか抑えつつ、エクレールは必死の痩せ我慢を口にする。


「そのようですね。それは私にとって一生の不覚でしょう。ですが……ご存知でしょうが、状況が変わってしまいました。それにより、シルベット様とエクレール様をわざわざ相手にする余裕もありません。ですので、ツバサ様を引き渡しに応じていただけますでしょうか?」


 交渉をする相手に対して、闘志を燃やし、敵意を向けるシンの行動は、明らかな敵対行為だ。そう見做されても差し支えはなく、十分といえる。


 それでもなお、シンが清神翼の受け渡しを要求している意図は未だに掴めない。が、彼女にも分かる。受け渡し相手に敵意を剥き出しにし、〈精神汚染〉系の術式を行使させる老紳士は味方ではないことを。


 敵。


 そう、眼前にいるのは敵だ。


 清神翼の受け渡しを要求し、命を脅かす恐れがある以上は彼女たちの敵である。彼が降参して投降しない限り、討伐しなければならない。


 そして、”黒き剣豪”────美神光葉の従者と素性を明かした彼が、このまま黙ってエクレールたちを見逃すとは考えづらい。素性を知られた以上は、【異種共存連合ヴィレー】と【謀反者討伐隊トレトール・シャス】に知られないために隠蔽するだろう。


 そのためにエクレールたちを生かしておくはわけがないと推測する。


 だから、翼を引き渡すか、引き渡さないか、どちらにしても戦いは避けられない。


 が、さっきの超超超超高速移動を見せたシンに勝てるだろうか。〈精神汚染〉系の魔術をかけられたエクレールは、躯が重く動きが鈍くなっていており動きに制限されているために、シンの超超超超高速移動にはついていけない。かなり不利といえるだろう。


 だからといって、気を失った翼を連れてでは、逃げ切れるかわからない。エクレールとの連絡を途切れたスティーツ・トレスは【謀反者討伐隊トレトール・シャス】人間世界方面日本支部派遣部隊第八百一部隊も動き始めてはいるだろうが、到着には時間はかかる。それまでシンが大人しくしている保証はない。


 絶体絶命だ。脳裏に不安が過ぎり、〈精神汚染〉にも相俟って、負けそうになるエクレールの耳に、少女の笑い声が届き、我に返る。


「ははは、その程度の闘志と殺意で私が臆すると思うかジジイ」




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