第一章 三十八
好奇心旺盛なきらきらと活発そうな瞳を不機嫌そうに翼に向けるのは、銀髪の少女である。
十二歳くらいの年頃の少女だ。顔立ちの繊細さ、愛らしさと年齢不相応な落ち着きがある。衣服は、白金のワンピース型のドレスに桜と雪の装飾をあしらった着物の帯を合わせている。銀のフリンジ付きブーツ。桜型のブローチなど、懐古趣味で和洋折衷といった様相だ。
絹糸のような白銀に輝く髪には翼と同じく、草木がついているが乱れなどない。少女と堕ちた際に翼は庇うように抱き抱えたことにより、先ほどまでかすり傷はあったが、今はすっかりと治っている。
翼の方は、頬や手足に傷だらけとなってしまい、泥や草木に汚れていた。捻挫や打撲は負っていなかったが、胸元で腕組んだ銀髪の少女に手厳しい視線を向けている状況は幸いとはいえない。
「“さわった”だろ?」
少女は、少し舌足らずながらも流暢な日本語で問い詰める。
「え」
翼は急な問いかけに戸惑う。
それもそのはずだ。
崖に近い勾配から滑り落ちる際に、いつの間にかしっかり抱きしめていた腕は離され、揉みくちゃになりながらも落下。気がついたら、ある河原の前に倒れていた。転がり落ちた衝撃で、くらくらしする頭を起き上がったら直後に、先に目を覚ました少女にここに座れと言われ、石が転がる河原で座らされ、急な問いかけで、状況が飲み込めない。
ただ──
少女が恥ずかしそうに頬を紅潮させていることはわかる。眉間に皺を寄せて不機嫌をあらわにして、とても感謝されてはいないことだけは理解できた。
窮地を助けようとしたのだから感謝するならまだしも、不機嫌にさせることあっただろうか。しっかりと抱きしめることが出来ず、腕を離してしまったことが原因だろうか、と翼は怒らせること原因について、動転する頭を何とか落ち着かせ、考えて見たものの、どれも違うことを思い知らされることになる。
「わからないようなかおをしているな。わからないのならおしえてやろう」
少女は、尊大な口ぶりで言った。
声は見た目と変わらない幼さなのに、響きに年齢不相応な落ち着きがある。
「さっき、がけからおちたときにわたしのむねを”さわった”んだ」
「はっ!?」
翼は驚きに声を上げる。
まったく身を覚えはない。
「どういうこと……?」
「しらばっくれるのか。まあいいだろう。きさまがしたことをおしえてやる」
そういって、少女は胸元を両腕で隠しながら恥じらうように口を開く。
「きさまががけからすべりおちていくときにわたしのむ、むねに”さわった”のだ。あまつさえ、きがついてみれば、わ、わた、わたしのく、くち、くちびるをうばいおったのだぁ」
「え。はい? どういうこと?」
少女が言ったことに翼は軽いパニック状態に陥った。
それもそのはずだ。翼には心当たりがない。崖を滑り落ちていく少女を助けようと無我夢中だった。途中で少女から手を離してしまってしまい、自然と重量に揉みくちゃにされながらも、一緒に滑り落ちる少女を助けようと必死だった。そこに、胸に触ろうという余地はない。
離してしまった少女の手を掴もうと手探りで振り回していたが、転がり滑り落ちる中で体が左右に回転していて訳がわからなかったが、その時に偶然に触ってしまったのだろうか。だとしても、手に触ったという感触が残っていないのはおかしい。
もし、上下右左と体が回転している中で少女を助けようと伸ばした手が偶然にも胸を触ってしまったのなら、事故というもので行為で起きたものではない。唇を奪った件に関しても、先ほどまで翼は気絶したのだから、寝耳に水でわからない。そのために上手く飲み込めていないのは、当然の結果だといえる。
「しらばっくれるな、となんどもいうでないっ。きさまが、きさまがわ、わた、わたしのむ、むねをさわり、く、くち、くちびるをうばったのはまちがいないのだから」
少女は半目で翼を見据える。瞳は赤色。色以外は、形は人間の眼球だが、どこか冷血生物めいた雰囲気を持つ。ルビー色の双眼が放つ妖しさに気圧され、翼は思わず息を呑んだ。
翼は、『下手な百の言い訳よりも、一の土下座が勝る』というのをどこかで読んだ記憶がある。
『君を助けようとしただけなんだ』、『胸が触っていたなんてわからないよ』、と言うだけならいいが、そういうときこそ頭ごなしに言い訳はしてはならない。
言ったところで、彼女の怒りはおさまらない。それどころか、引くか怒り狂う可能性は高いだろう。
だとしたら、ここは相手に怒らせないように下手に言い訳を重ねることはしない方がいいだろう。まずは彼女の言い分を聞くべきだ。
「え〜と、君は僕が触っているのを見たの?」
動転する頭を落ち着かせて翼は少女に聞いた。
えっへん、と少女は胸を張る。
「むろんだ。おちていくときに、きさまがてをつかんでだきしめてきた。さいしょはまもってくれているのかとおもったが、だきしめていたうでをはなして、もみくちゃになって、そ、その、そのときに、むねになにかが”さわって”いるかんしょくがあったのだ。これは、なんだとおもってみてみれば、きさまの”あたま”が”むね”に”さわって”おったのだ」
「えっ。”頭”? 頭が”さわって”たの?」
翼は、少女の言葉に思わず訊き返した。
「そうだ。”あたま”だ」
「そっか、”頭”か」
頭なら手に触った感触がなかったのも頷ける。上下左右に転がり滑り落ちる中で離してしまった際に、一度だけ翼を後ろ向きになった時に少女の胸に触れてしまったのだろう。彼女はそれを怒っている。
だとしたら、頭が胸に触れたことに謝り、わざとではないことを素直に言えばいい。
「ごめん。僕の頭が君の胸に触れてしまったことについて、わざとじゃないにしろ、謝るよ」
「うむ。わざとじゃなければいい」
少女はすんなりと赦してくれた。彼女の言葉に、翼はひとまず安堵する。
わざとじゃなかった、と少女が思ってもらうことが重要だ。内側から許す気持ちがなければ許してくれることはできない。まずは、そう思ってもらえるように誠心誠意をもって、彼女の言葉を聞き、悪かった部分について素直に頭を下げるべきだ。
今回は、翼の真面目に少女の話しをしっかり聞いたことにより、少女の中の翼は印象を良くなった。それを加えた上で、『わざとじゃなかった』、『事故だった』ということを伝えればいい。
あとは、許すか許さないかは彼女の気持ち次第といえる。
次は、少女が言う”唇を奪った件について”だ。こればかりは、翼は落ちた衝撃で気を失っていたためにわざとじゃないことはわかるが、その時の状況がわかりにくい。
この問題については、慎重にしなければならない。頭が胸に触った以上に彼女の動揺が大きかった。
だとしたら、相当怒っている可能性は高い。話しを聞き、詫びるところを詫びても許してもらえるかどうか。翼は恐る恐る顔を上げた。
「じゃあ。く、唇を奪ったことについて教えてくれないかな? 気を失っていてわからなかったから」
「……ゆ、いわ、いわなければならんのか? わたしをはずかしさでころすきか……」
少女は恥ずかしさに顔を逸らした。
顔をトマトのように真っ赤にして、もじもじと体をくねらせる。
確かに、恥ずかしい。もしも立場が逆ならば、恥ずかしさで死んでしまいかねないだろう。拷問といってもいい。
少女の恥ずかしさが翼に伝染して、変な冷や汗を出る。日陰にいるにもかかわらず、体が沸騰して、汗がべったりとかきはじめる。
このままでは恥ずかしさでどうにかなりそうだ、と、
「……あ、いや……、む、無理に、言わなくってもいいから。た、ただ、今さっき目が覚めたばかりで唇が奪ったところを見てなかったから……」
翼は慌てて静止する。
この場合の正解がわからない。状況を聞きたかったが、少女からはとても聞けはしない。どうすればいいのか、わからなくなって、口にしてしまった。
「……あ、えと、えと……、き、君のことを傷つけてしまい、申し訳ありませんでした。な、何でもするから許してほしい」
◇
何時間歩いたのだろうか。河原を翼と少女は歩いていた。
少し開けた場所に多少の安心感があるが遭難している状況は変わりない。
ごろごろとした大小の石や打ち上げられた流木などがあって、非常に歩きにくい。転びそうになりながらも歩き続ける
「外国からきたの?」
「まあ。そうだな……」
翼は問くと、少女は曖昧な返事をかえした。
翼は前屈みになりながら、大きさも形も同じものがない石や砂利に目を向ける。少女もそれにならい前屈みになっている。
「落ちたのってのこの辺だよね?」
少年は前屈みになりながら、
「ああ──たしかに、このへんにきさまとおちたのだ。まちがいない。それまでしっかりとこの手でつかんでいたからな。────きさまとおちるまでな……」
「い、いや。あれは……君が上から落ちてきたことがきっかけでっ…………」
翼と少女は、フッと何かを思い出して、頬を朱色に染めた。恥ずかしそうに視線を逸らし、しばし無言になる。
五、六分経った後に、少女と少年はそれぞれ別方向へ探し物を始めた。
気まずい。
ただ気まずい時間だけが過ぎていく。
お互い名前も知らないもの同士で、出会い頭の事故により、印象は良くない。
お詫びということで、彼女の落としてしまったものを探しているのだが、なかなか見つからず気まずい時間が過ぎていくばかりだ。
さっきから気まずい空気と無言にたまりかねて、どちらかが口を開いては口論しては探す、といった繰り返しを続けている。
「きさまが、わたしのくちびるをぬすみ、むねさえもまなければこんなことにはならなかったのだ」
次に無言にたまりかねていたのは少女の方だ。
よっぽど、先程のことが許せなかったのか、もしくは猛暑の中で探しているにもかかわらず、なかなか見つからない苛立ちによるものか、八つ当たりのように言う少女に翼は面倒くさそうに返す。
「あ、あれは……、わ、わざとじゃない────ってか、何か言い方的に酷くなってないか……。確か、胸は揉んだじゃなくって触ったんじゃなかったっけ?」
「ふん。わざとじゃなくとも、うつくしいわたしのむねをさわったことにはかわりない。だいじなのは、せっぷんをしたことだからな!」
「いやいやッ! 胸のことについては悪いところは謝ったし、唇に関しては気絶してたからわからないんだから」
「どちらにしろ、わたしはきずものだ。からだはすりきずていどにすんだが、こころにきずをおったぞ……もう、およめにはいけない。せきにんをとれ」
「責任って、どうすればいいんだよ……」
「わたしをおよめにもらえばいいはなしだろうが!」
「…………なんで、そうなるんだよ。僕、まだ小学生だよ」
少女のいきなりの申し入れに翼は驚きながらも、現実を口にした。
日本の婚姻適齢年齢は、二千二十二年四月以前は男性は十八歳以上、女性は十六歳以上と民法第七百三十一条に定められている。
二千二十二年四月以降は、成人年齢が二十歳から十八歳に引き下げられる民法改正案により、女性が結婚できる婚姻適齢年齢が十八歳に引き上げら、男女ともに婚姻年齢十八歳以上となる。だから、九歳の翼では結婚は出来ない。つまり責任を取ることはできないのだ。
「じゃあ、おとなになればもらえばよいだろ?」
「まあ。確かに大人になれば、結婚できるだろうけど……、自分のことを”美しい私”という女の子とは……」
「なんと……」
少女は、愕然として再び無言となった。
まだ気まずい空気が流れ、どちらかが口を開き、そんな同じような内容の問答を繰り返して、その数時間後──
「あったーっ!!」
「まことかぁ!!」
発見したのは、翼だ。全身を水浸しにしながら、手には泥が混じった水草が付着している。
それは手乗りほどの大きさ剣のキーホルダーだった。
全体を龍に模したかのような装飾を施した剣。鍔には龍の頭部があり、眼球はルビーのように真っ赤に染まっている。
しかし翼は言葉を失う。その最たる原因は、なぜか鍔にあしらってある龍の頭部が起き上がり、真っ赤な眼球が二人の方を見据え、口を開いたからだ。
『落とすなよっ、銀の小娘』
日本語だった。
完璧で流暢な日本語だ。低めで渋いダンディな男のような声音が、剣に模された龍の頭部の口から発せられた。
「うわッ!」
言うまでもなく、翼は話せる剣のキーホルダーに驚く。言葉を交わす剣のキーホルダーなど、地球にも見たことも聞いたこともないだろう。若干の気味の悪さを感じながらも、好奇心旺盛な目でジロジロとキーホルダーを見つめる。
「え、しゃべったよコレ……?」
「ああ。ことばをかわせるらしいな」
「持ち主なのに知らないの?」
「もともと、わたしのものじゃない。やしきのものおきにおちていただけにすぎない」
「それ……落ちてたんじゃなくって、置いてあったかしまってあったんじゃない?」
「いや、おちていた。わたしがおちていたといったら、おちているのだ」
落ちていた、としか意見を曲げない少女にこれ以上の追及しても答えが変わらないだろうと判断した翼は、「盗んだの?」と追求した。
「ぬすんではいない。コイツがかってにわたしのねがいをかえるといって、ちきゅうのニッポンにとばしたのだ」
翼は、少女が地球の日本という言い方に少し不思議に思ったが、彼女の日本語の略し方がおかしいと判断し、詳しいことを聞かないことにした。
『つれないぜ、銀の小娘よ。あんなに日本に行きたかっていたじゃないか』
「いきたかっていたのはじじつだが、きさまにいきたいとはたのんだおぼえなどない」
そう言って、少女は翼から剣のキーホルダーをぶん取り、取り付けられていたチェーンを振り回す。
『目が、目が、回るぅ〜!』
「まわってしまえ! わたしはたんでなどいない。きさまがかってにしたことだとみとめろッ」
『そこの人間の小僧よ、助けてくれぇ〜!』
剣は翼は助けを請うが、どう助ければいいのかわからず。悲鳴を上げるそれを乱暴に振り少女を見ているしかなかった。
それから認めるまで、少女は一切の力を緩めず、ビューンという風切り音をさせながら振り回したのだった。
◇
──探し物も話し合いも一段落した一時間後──
翼と少女、そして言葉を交わす剣のキーホルダーは丘の上にいた。
眼下には、青々と茂った山がそびえ立つ。
山々が連なり、広大な風景がある。麓には小さい村があった。
日差しは強く、丘にある一本杉の下に出来た日陰で暑さをしのんでいる。
散々、獣道を歩き、やっとのことで水無月山の立入禁止区域を抜け出し、見覚えがある峠道に出ることが出来た。
「はい」
翼は少女に橙色をした液体が入った一・五リットルのペットボトルを渡す。
近くの峠道にあった自販機で購入したオレンジジュースだ。散々、歩き回ったことにより渇いた喉を癒すために少女の分も購入したものだ。
しかし──
渡された容器とオレンジジュースに、少女は得体の知れないものに恐れを抱くような顔をする。
この時の彼女は、ペットボトルはおろかオレンジジュースを知らなかったのだから仕方ない。
「なんだこれ?」
「オレンジジュースだけど……。もしかして、嫌い?」
「いや、きらいとかすきとかわからない。みたこともなければ、のんだこともしょくしたことがないのだから」
「オレンジジュースを知らない人っているんだ……」
少女の発言に、翼は目を見開き驚いたが、オレンジジュースが入ったペットボトルの蓋の開けた方を教えてあげた。
「うむむっ!」
蓋を不慣れながら開け、オレンジジュースを口に流し込むと余りの美味しさに目を見開く。
酸っぱすぎる酸味の中に仄かな甘さがあり、上手い具合に後味がいい。程よく冷えており、喉を流し込んだ時に、暑さで奪われていく体に染みていくのを感じる。
「じつにびみっ!」
絶賛して、二口は一・五リットルのペットボトルに入ったオレンジジュースを一気に飲み干した。余りの飲みっぷりに少年は拍手して賞賛する。
「女の子で、一・五リットルのペットボトルの中身を一気に飲み干したのを見たことがないよ」
「うむ。わたしはこのオレンジジュースとやらがきにいった。だから──またごちそうしろ!」
缶ジュースを右手に持ち、左手を腰に当てた白銀の髪を靡かせた少女は、翼に言った。
翼は財布の中をこっそりと確認する。手持ち金は三百円。決して多くはない金額だ。
「お小遣に余裕があったときにするよ」
翼はそう答えた。
白銀の髪の少女の顔がどん底に落ちたかのように曇る。感情がもろに表情として現れている。実に喜怒哀楽がはっきりとしてわかりやすい。
──そんなにおいしかったのかな。
翼は、少女に奢ったオレンジジュースはいつも飲んでいたから味に慣れていたのもあるかもしれない。いつも通り普通に美味しいとか思えなかったが、自分が奢ったオレンジジュースを少女が気に入ってくれたことは、正直に嬉しいと感じた。
そして、喜んでオレンジジュースを飲んでくれる少女の笑顔をもう一度眺めてみたいと思った。
あと一本くらい買ってあげよう。次のお小遣までは、無駄遣いは出来ないけど、と翼はなけなしの百円を三つほどを手に取る。
「まあ、あといっぽんくらいはかえるよ」
「わかった。まっている」
少女は、パッと向日葵が咲いたように明るい微笑みになった。
翼はその微笑みを見てから、森を抜けた辺りにある自販機まで走る。往復五分もかからない道のりだ。すぐに少女の手元にオレンジジュースを届けられるだろう。
翼は立ち上がり、走り出した。
大人一人がやっと通れる獣道をひたすら走っていると────激しい突風が襲う。
耳をつんざく轟音が鳴り響き、周囲の木々が薙ぎ倒されていく。
──な!?
翼は真っ黒な竜巻が湧くのを見た。
バアン、と翼の全身を風強く打ち、体は圧力を伴う風の中に、あっという間に、怒涛のように呑み込まれる小石さながら、無茶苦茶に翻弄された。
突然の出来事に、翼は混乱しながらも咄嗟に横に生えていた木の枝を掴んだが、呆気なく折れ、体が後方へと吹き飛ばされていく。必死に何かにしがみついて安全を確保したいが、どうすることも出来ずに空へと宙を舞った。
「う、わあああああああああっ!」
気流に乗り、翼の体は竜巻のような風の集合体に吸い寄せられていく。厚い断層の雲が風の中に立ち込め、周囲に根っこごと薙ぎ吹き飛ばされた木々が行き交っている。一瞬でも交差するタイミングを誤ったら翼の体は木々と衝突して大怪我は免れない。
翼は必死に衝突しないように体を動かすが、どうも上手くいかない。厚い雲のせいで、その暗さを闇のようで視界が悪い。まるで夜でも訪れたかのようだ。
──ど、どうすれば……。
必死に思考を巡らすが、いい案が浮かばない。
辺りをキョロキョロと見る。
砂や土、木々や草花、リスやうさぎに猫などの小動物が少年と一緒になって飛んでいる。山全体が根こそぎ吹き飛ばされているかのようだ。
フッと、白銀の少女のことが頭を過ぎる。
──あの娘は……。
急ぎ、少女の姿を探す。巻き込まれていないことを祈りながら、翼は言うことを聞かない浮遊する体を必死に動かしながら、辺りを見渡す。
少女の姿はなかったことに不安が襲う。
その時。
翼に衝撃が襲った。
渦巻く風が集まる中間地点。上空から黒い靄が注ぎ込まれたのだ。
──なんだ……あれは?
靄は渦巻きを逆流するように竜巻の中を侵食していく。靄に巻き込まていく木々や草花、小動物が衰弱していき、死に絶えていった。肉片が腐り落ち、骨は熔かされていくところを下流で視認した翼の悪寒を騒がせるには十分だった。
このまま飛んでいたら、確実に黒い靄の餌食になることは九歳の翼の頭でもすぐに理解が出来た。同時に、逃げようとしてもどうすることも出来ないことも気づいてしまう。
──このまま、あの黒いもやに飲み込まれて死んでしまう……?
翼は、心の中で答えが出ない問いをする。
返事がない問いを何回かを繰り返していると、黒い靄は生き物のようにうごめき、下降してきた。
のっそりとした動きで、翼の頭上を少しずつ近づきながら降ってくる姿は、翼には恐怖の対象の何者でもない。
逃げるようと手をかき足で宙をかき風の流れの逆を行こうとしても、体はあらぬ方向へと傾き、不安定な突風の中ではバランスが取れない状態になる。もうどちらが下か上かもわからなくなる。
少しの活路を見出だせないまま、翼は黒い靄に熔かされるのをただ待つしか出来ない。
黒い靄は渦巻きの逆流するように翼へと近づく。
「っ!?」
濁流のような風の中、混乱する。
自身を飲み込み吹き荒れる気流全体に怖気が走り、禍々しいほどの邪悪な気配で満ち満ちていた。
──もうダメだ……っ!
翼の脳裏には今までのことを走馬灯のように昔を思い出し、家族や友達に感謝の言葉を告げ、眼と鼻の先まで迫った黒い靄へ飲み込まれていく。
その刹那。
白銀の光りが翼と黒い靄の間をすり抜けていった。
「たすけにきたぞ!」
「え……」
翼は、視界の左端からすり抜けていった人影を捉えた。
そこにいたのは、あの少女だった。
しかし、翼は驚きを隠しきれない。
なぜなら──
「ぎんの、つばさ……?」
背には翼が生えていた。それは白銀に輝き、形状は一見すると鳥のようだが、羽毛はなく変わりに鱗が覆われている。
煌びやかに揺れ、流している髪もきらめく白銀が発光をしているかのように輝いていた。
翼は目を疑った。さっき一緒にいた同じ少女とは思えないほど、輝いていて大人びている。そしてどこか高貴な印象を受ける少女は、いつの時代を生きていた英雄と謳われていたそれのよう。
とてもじゃないが、さっきまでオレンジジュースを一気飲みして、お代わりをねだった同一人物とは思えられない。
頭が混乱している翼に、銀翼銀髪の少女は微笑む。
「いっぱいのおんぎはかえそう」
舌足らずな、覚えたてのような日本語で少女はそう言うと、革帯に付けられた言葉を交わす剣を引っこ抜く。すると剣から白銀の光りを放ち、巨大化した。
「いくぞ、でくのぼう」
『オレは木偶の坊じゃねぇ』
一メートル半程まで巨大化した剣はそう抗議の声を上げたものの、少女はそれに構わず鞘から抜き放ち、前屈みになって臨戦体勢を取った。
「いざまいるッ!!」




