第一章 二
人間界に行く亜人は交わさなければならない誓約が多くある。
特に、重要視される誓約は、『人間に危害を加えることはならない』と『一部の人間以外に正体を晒すことはならない』と、いった二つである。
もしも、この二つ項目の誓約を破ってしまうと、ハトラレ・アローラに強制送還。場合によっては、帰還後は誓約違反に加えての、罪人扱いとなっている。
人間界では、亜人はおろか世界線でさえも、一部の人間以外は空想の産物としてでしか認知されてはいない。
公にしても、信用はしてもらえないどころか、下手に怖がらせてしまう畏れあった。ただでさえ、人間界には種族同士どころか同族でも偏見と争いが絶えない。そんな人間たちに異世界や自分たちよりも優れた亜人らの存在を知って、どう感じ、どう行動するか。神話や伝説など字面以上の内容を知ることもできない人間たちはあらぬ誤解を招く可能性は充分にあるだろう。人間が亜人と出逢った場合にどれだけ恐れ、どれだけ遠ざけるのか。そうした環境に陥った亜人たちがそんな人間たちにどんな感情を抱いてしまうのか。それは想像することも難しくはない。新たな驚異として、恐怖を与えかねないだろう。
人間たちには、自分たちと違っている存在や驚異ある存在は排除しょうとする性質ある。東洋は神として敬うようだが、西洋は悪魔として嫌う傾向が強いとされ、それは亜人が出てくる神話を読めば一目瞭然といえる。
加えて、かつて【創世敬団】が人間界で起こした悪行を知れば、亜人たちの印象は悪くなり、恐慌を与えかねず、ハトラレ・アローラ側の人間たちにも被害が及ぶことは目に見えている。【創世敬団】が人間たちを虐げられてきた歴史は人間たちに決して知られてはいけない。
人間は亜人に対して、亜人は人間に対して、お互いが歩み寄れるように好意的な印象と信用を得るまでは、ハトラレ・アローラと人間界の友好を結ぶ話し合いは公には出来ず、かなりの長期間を水面下で行っている。
殆どの人間たちが【創世敬団】、【異種共存連合】、【謀反者討伐隊】なのかという判別は難しく、大きな混乱を与えかねなかったのだ。龍、ドラゴン、などといった形態をした時に特に起こり得る。それによって起こり得る混乱を防ぐには【創世敬団】の粛正と討伐は重要といえる。
そういった経緯により、関係者である一部の人間以外には、亜人はおろか世界線については内緒にしなければならない。それによって、殆どの人間たちは世界線には無知である。人間たちの大半は、世界線の歴史や事情など知らされてはいない。
世界線の存在を知れば資源を目的とした欲に絡まれた人間たちが接触してきて、あらゆる世界線の資源を略奪しょうとする畏れがあるからだ。
人間たちは少しでも攻撃してしまえば死んでしまう。そんな脆弱な生物に対しての反撃は赦されてはいない亜人たちは無抵抗に興じるだろう。亜人、特にドラゴンや龍はちょっとやそっとの攻撃では傷つくことは出来ない鱗を持つ。
身体に傷はつかないといっても、精神まで傷つかないわけではない。『守護しているのにも拘わらず、感謝もされず恐がれて攻撃された』と荒んでしまいかねない。
その誓約を読ませた後に、テンクレプが銀龍族の屋敷内に設置した【異種共存連合】の面接会場で、シルベットに護れるかどうかとそれでも人間という生物を見放さないことを問いかけたら、自信たっぷりに言い切った。
『私は大丈夫だ。なぜなら、父親が人間であり日本人だ。自分には半分は人間の血液で出来ている。人間には千差万別、十人十色と様々な考え方を持つ者が多い。どんなに多くの者が私を軽蔑し、畏れても見放したりはしない。勿論、私を罵ったり攻撃をされても反撃するほど大人げないわけではないぞ。だから危害を加えることはまずはない。正体を晒すことについても、自分は半分は人間であり、隠すのは背中にある銀翼だけだから隠し通せる自信はあるぞ。魔術で簡単に隠せばよいだけの話しだからな。問題はない』
シルベットの言葉を訊いたテンクレプが、人間であり日本の侍である水無月龍臣と銀龍族の姫であるシルウィーン・リンドブリムを両親に持つ彼女を、なかなか進展が見えない人間と亜人との友好関係を繋ぐ梯となる材料になる可能性と、彼女の強大な銀龍の力を【創世敬団】を大きく衰退させるに可能性があることを説き、巣立ちは勿論、【異種共存連合】の加入どころか、【謀反者討伐隊】への入隊へと提案した。
このテンクレプの提案書を読んだ元老院議員たちは、渋々ながらも許可したのだった。元老院議員たちは、政治的な観点からテンクレプとはまた違った考えを持っており、問題事を抱えるシルベットの巣立ちでさえも反対意見が多かったが、人間界との友好関係を進ませるにはちょうどいいと考え、巣立ちや【異種共存連合】の加入、【謀反者討伐隊】の入隊の許可を降ろしたのだった。
許可が降りたことを知ったテンクレプは水無月龍臣との約束を護るために、シルベットを元老院議員らから賛同を得られたことを代替的に公にし、彼女の巣立ちをきっかけに、少しでも亜人たちに残る人間への偏見をまず払拭させようと事を急がせた。
娘を溺愛している噂されているシルウィーンのことだから、根拠もなくその場の気持ちだけで大事な式典を土壇場で断る可能性を考慮して強制的に招待にするように、と余計な手配をさせたことがシルウィーンとシルベットたちを不機嫌にさせていることをテンクレプ本人は全く気付かない。シルベットとシルウィーンはテンクレプの意図に気付きもしないまま、式典は演説へと突入した。
「──我ら龍族と人間たちと共存、友好、共同関係を目的とした【異種共存連合】。その我等に反して、人間たちから絶縁を目論む【創世敬団】を討伐するために結成された【謀反者討伐隊】。設立されて以降、【創世敬団】との長きに渡り行われてきた戦は激しさも増すばかりだ。奴ら【創世敬団】も年々に力を上げて来た──」
テンクレプの横にいた珍しく人型でいるファーブニルのオルム・ドレキが大仰な手ふりを加えつつ、語り始めた。
ファーブニルのオルム・ドレキの根城は、北方大陸タカマガの最北端──黒龍族の国の領土よりも北にあるノース・プル。
ノース・プルの中でもっとも標高が高い山脈──エタグラの洞窟。そこには、ハトラレ・アローラの宝剣〈ゼノン〉を守護されていたが、五年前に【創世敬団】に奇襲をかけられた宝剣を盗まれてしまって以来、宝剣奪還と奪還したと思わしき者や【創世敬団】を討伐するために、【創世敬団】の撲滅と討伐を目的とした【謀反者討伐隊】に入団して、異例の早さで大尉まで上り詰めた強者である。今は中央司令部があるナベルに移り住み、日夜【創世敬団】を倒すべく精を出している。
しかし──優秀なファーブニルのオルム・ドレキにも難点がある。
「しっかりと精進せねばならないが──いくら亜人とでも歳が老い、力は衰えてしまう。やはり若者たちの力も不可欠だ。その為に、我々は【異種共存連合】、【謀反者討伐隊】は共に、日々新たな戦力として、巣立ちした者をメンバーと受け入れている」
力強く語るファーブニルのオルム・ドレキ。
熱弁を奮い、聞かせるが、シルベットやその他の若い龍族だけではなく、来場者全てがあまりにも、暑苦しく長い語りに飽き飽きしていた。
実はかれこれファーブニルのオルム・ドレキの熱い挨拶がおよそ一時間強とかかっているから当たり前だ。しかも、話しは冷めることを知らずに、熱さを増すばかりだ。
このままの状況が長く続く場合、いずれ我慢が限界に達した誰かが、罵詈雑言をし出す可能性は窮めて高い。そう悟ったテンクレプは手を挙げて、ファーブニルのオルム・ドレキに締めの合図を出そうとした──
「なぁにをそんな当たり前のことを熱血風を吹かせながら長々といっているのですかあ? 【創世敬団】に宝剣を奪われたあなたが何をいったって格好がつかないことくらい、あなただって承知のはずですよねえ?」
数瞬の差で、我慢の限界に達した者が、ファーブニルのオルム・ドレキに苛立ちを含んだ声を投げかけられた。
ひそひそとした声と、雑音が一瞬で止み、皆が声がした方を向き、発言をした者を確認する。
そこにいたのは──
一人の可愛らしい少女だった。
光の粒子で縫製されたかと見まごうような煌びやかな衣を纏った、淑やかそうな少女である。シュシュで一つに纏められれた長い蒼い髪に、朗らかな表情に飾られた美しい貌。抜群のプロポーションを持ちながら、それを誇示することもなく、膝下スカートをきっちりと着込んでいる。
あの罵詈雑言を言ったとは思えないほど、少女は女神のように穏やかな微笑みを浮かべた。
テンクレプは、少女のことを良く知っている。
水波女蓮歌。
東方大陸ミズハメの土地を納めている青龍族皇帝の第一皇女にして姫巫女、今期シルベットと同じく人間世界行きを決めた、水を操るにかけては右に出る青龍族の中にはいないとされている才女。
美しい人型もさることながら、本来の姿である龍と変化した姿は、東洋の龍特有の瑞々しい長細い胴には翼がない。それでも天空を舞を踊るように優雅に泳ぐ姿は誰の視線も集めてしまうほど、一興の価値はある。
そんな彼女の発言だと信じられず、オルム・ドレキは周囲の者の反応を伺っていると、
「なあにを、話しを止めているんですかあ? それとも、歳だけをくいすぎてボケたんですかあ? こういうことは簡潔にまとめておくものだと、わからなかったあなたが悪いんですよお」
「あ……?」
彼女の表情と言葉のギャップに、ファーブニルのオルム・ドレキは思わず目を丸くした。
「……今なんと?」
「何喋りかけてるんですかぁ? やめてくださいよ気持ち悪いですねぇ。こちらに声を発さないでくださいよぉ。唾液を飛ばさないでください。あとこちらに向かって息もしないでください。あなたみたいな宝剣を盗られた間抜けがいるだけで周囲の大気が汚染されてるのがわからないんですかぁ? わからないんですねぇ?」
少女は笑顔のまま、呆然と立ち尽くしているファーブニルのオルム・ドレキに更に言葉を続ける。
「気合いや熱意を見せればいいってもんじゃないんですよお。関係者であってもなくとも、あなたの話しは暑苦しくって長々しいだけです。さっさと、終わらせて式典を始めちゃってください。そして、早く終わらせてください。あなたの人生も終わらせてください。みんなは、あなたの暑苦しく長々しい御託を聞きたいわけじゃないのよ」
「…………」
もしこれが連日徹夜明けまで【創世敬団】について調べていたことによる聞き間違いだったならどんなによかったろうか。年甲斐もいかない若者に大事なスピーチを罵られたなんて、そんな馬鹿げたことをファーブニルのオルム・ドレキは怒り狂いはしないが呆けてしまうくらい、凄まじい違和感を放つ少女である。
「えっと、き、君は……」
「あなたは一回言ってもわからないのですかぁ? わからないですよねぇ、大事な宝剣を【創世敬団】なんかにまんまと盗られてしまうくらい間抜けなんですから。気合いや熱意があるだけでは、あなたが犯した失態がなくなると思ったら大間違いですからね。それとも、それだけやれば挽回のチャンスがあるとも思っているんですかあ? はははあ。そんなものないですよ、この役立たずファーブニルさん」
優しい表情。美しい声音。歌のような語調。言葉の内容だけが反して汚かった。
少女が口の端を上げて、また言葉を紡ごう口を開く。
「よしたまえ」
少女の声よりも先に、テンクレプが制止の声を発した。
「ここでの無闇な争い事は禁止だ。【謀反者討伐隊】の第一等隊長までに上り詰めた貴様が、忘れたとは言わせんぞ」
「……しかし、私は巣立っていく若者に、熱意を込めてスピーチをしただけであって、そちらの口が悪い少女に一方的に罵られる言われもなければ、諍いなどしておりません」
「ファーブニルのオルム・ドレキよ。貴様のその無駄に長い熱い挨拶が原因でこうなっているのだ。前々から言っていたが、簡潔にまとめよ。短文でも大切な言葉なら伝わる。無駄ばかりの長文は肝心なところが伝わらなかったりするものだ。それに早々と言い訳することは、巣立っていく子たちに悪い影響を出しかねないぞ」
「……御意」
「下がれ」
テンクレプは言葉とは裏腹に未だに納得がいってない表情を浮かべるファーブニルのオルム・ドレキを下がらせると、少女を一瞥する。
「青龍族帝王の娘よ。聡明な姫巫女にしては、言葉遣いの度が違うんではないか」
「ふふふ、私はただ正直に思ったことを声に出しただけですよ。そうしなければ、そこの熱意しかない木偶の坊が長い御託を終わらせてくれないと思いましたので。テンクレプ様が悪いと判断されるたのなら謝りますよごめんなさい。これで気が済みました?」
反省の色など全く見られない。それどころかテンクレプにも、これ以上の会話を交わすことを嫌う、または拒否するといった態度で一礼をして、返事を待たずに踵を返す。そして──蓮歌は歩き出す。
道を開ける周囲から、ひそひそと、しかし確実に聞こえるように焦燥と八つ当たりが入り混じった陰口が蓮歌の耳元に入るが、気にせずに人垣の真ん中を進む。
東方大陸では毎年行われる水神祭で舞姫を努めている蓮歌にとって、好奇の目など痛くも痒くもない。肝が据わっていると有名な水波女蓮歌の母親にして、青龍族女帝の水波女詔の血を受け継いでいる。
重い雰囲気が漂う宴の中を、悠然と、面持ちで蓮歌が歩む行路上に、銀翼銀髪の半人半龍の少女が左眉をあげて、仏頂面で立っていた。
今日の主役である。水無月・シルベット。銀龍族の姫にして、ハトラレ・アローラ国初の人間と龍族の間に生まれた混血。なのに、銀龍族で禁忌とされていた、〈原子核放射砲〉と脅威的な潜在能力と共に宿して生まれた呪われた仔龍。
呪われた力を宿し、人間との混血者に蔑まされるではないかと、蓮歌は想像したら、純血の龍族に蔑まれるよりも腹立たしい。
蓮歌は目の前に立つシルベットを侮蔑した視線を向けると──
「よくやった。お前が出て行かなかったら、私があのバカに罵詈雑言を言っていた」
ファーブニルのオルム・ドレキに罵詈雑言を浴びせた蓮歌を讃えるように、シルベットは悪戯が成功した子供のように微笑んだ。
「何ですかあなたはぁ? 蓮歌を評価してくれるのは嬉しいんですけどお。此処は、あなたのような混血が来るところじゃあないんですよー」
ふっ、と侮蔑が含んだ微笑みで返して、通り過ぎようとする。
「まあそう言うな。私もこんなところに来る気はなかったんだから。同じ巣立ちする者同士なんだから」
「呪われた力を持っているあなたと仲良くしたいだなんてもの好きはいないと思いますよお」
「とことん容姿とは反対だな」
「…………」
蓮歌は答えない。これ以上の会話を無駄と言わんばかりの態度を表面上に出して、横を通り過ぎる。
「なんだ。もう、その憎まれ口は叩かないのか」
宴の会場をつかつかと出ていく蓮歌の後ろをシルベットは不思議そうに眺めながら呟いた。
「まあ良いか。面白いものが見れたことだ」
◇
シルベットは清々しい気分で、蒼髪の少女を見送った。くだらん話しに時間をかけて肝心なことを進んでいない小物であるファーブニルに、自分が苛立ちが募っていた。我慢の限界を越えようとした時に、自分が言いたいことを蒼髪の少女は代わりに言ってくれたから、実にいい気味だ。そして、いい気分だ。
罵詈雑言を浴びたファーブニルの間抜け顔には、思わず吹き出しそうになってしまったが、周囲にいる相手の顔色を伺って態度をコロコロと変えてしまう下品な大人と同格になってしまう、と堪えようとしても、シルベットは笑いが沸き上がってくる。
膝辺りを指でちぐり、痛さで必死に抑えて我慢した。
眉をへの字に曲げて、いかにも今抱いている感情とは相違する不機嫌な表情を浮かべて眺めていたものの、無理だった。思わず綻んでしまう。それほどに蒼髪の少女がいった言葉で、変貌するファーブニルの表情が面白かったのだから、仕方あるまい。
そう割り切って、シルベットは立ち去る蒼髪の少女──水波女蓮歌は背から視線を外して、宴の席へと戻る。
「私も素直に自分自身の言葉を紡ぐとしょう」
悪戯っ子じみた微笑を浮かべながら呟きながら見る先には、檀上に向かうテンクレプの姿があった。
「──長らくお待たせた。これより、巣立ちの式典及び【異種共存連合】、【謀反者討伐隊】の二大機関への加入・入隊式を執り行う。まず挨拶代表者の名をこれから発表する」
檀上に上がった最高司令官にしてテンクレプはそう告げる。
その横に控えているのは、毅然とした面持ちをした和装のような格好をした乙女である。
炎髪灼眼、身体の周囲に焔を纏わせながら、テンクレプの側まで近づく。
紅蓮の和服に包まれたしなやかな肢体が、流麗な曲線を描く、歩く度になびく袂と腰に絡み付く炎色の結葉が、歩く度に炎の揺らきのように舞うほどに気高さが放ち出される。しかし、表情は刺々しいというよりも荒々しい。
足先から頭頂部まで炎が着用しているかのような衣服は、炎を司る者が大半を占める南方大陸ボルコナの出身者であることが見て取れた。
ボルコナは中央大陸ナベルより南方に位置し、独裁者国家である。
朱雀が支配するボルコナは朱雀、鳳凰、炎龍族、赤龍族と主に炎を司る種族たちが住まうとあって、地面から時折、炎が噴き出したりする荒野があったりと、何千度の高温に耐えられる強靱な身体能力を持つ彼等でなければ過ごしにくい気候である。亜人でさえ、生命の危険性が高い。そのためか、誰も移住しょうという命知らずはいない。
「うむ。では、ホムラよ」
「何だ、老いぼれジジイ」
彼女はさっきの毅然とした態度で、ぶっきらぼうに返事をするといった答え方をした。
ハトラレ・アローラを統括する大元帥のテンクレプに対して、失礼な物言いに幹部たちは騒然と立ち上がるが、彼は手で制す。
「ホムラよ。最高司令官に対する口の聞き方ではないな」
「老いぼれジジイが妾に何を告げようと、動じることはない」
「流石は炎の化身だ。久しぶりに会ったが相変わらず、炎のように扱いにくいということか」
「そういうことだ、灰色になりかけの黄昏龍」
南方大陸ボルコナの出身者は大半が気性が荒く、扱いにくいとされている。特に神聖なる獣にして、国を統括する炎の化身──朱雀は、他者と心を通わすことを嫌い、活火山に身を置き、麓に降りることはない。
龍人たちが大半を占めるハトラレ・アローラでは、ナベル、ミズハメ、ボルコナ、ヨルムン、タカマガ、の五つの大陸には数多く他者部族たちが生息し、共存している。その中でも朱雀──煌焔は、理由があって滅多に姿を現せないので有名だ。
朱雀。
あらゆる世界に精通し、認知されている聖獣の一人。
人間界──主に中国圏を中心にしたアジアでは、四神の一つとされている彼女の本来の姿は、炎の化身である不死鳥。
ハトラレ・アローラでは、暗黒時代に人間界とも違う世界から〈ゲート〉を通じて現れた災厄に挑んだ七人の英雄の内の一人である彼女は、あることをきっかけにボルコナにある社に引きこもってしまった。
以来、公に表に姿を現して来なかった彼女がこの宴に出席して、他者部族の前に現れたことは珍しく、彼女なりに興味を持つ“何か”があるということになるが……。
「何に好奇心を抱いたかは知らぬが──他者部族と接点を持とうもせぬ、臆病者の不死鳥の貴様などに言われたくはないな」
テンクレプは会場の遥か奥──出入口付近で仁王立ちしている銀翼銀髪の少女を一瞥する。
「何に好奇心を抱こうが、誰と接点を持とうが余の勝手だ。それと、臆病者の不死鳥ではない。歳を老いすぎて、他に対する言葉遣いが悪くなったな」
煌焔はあからさまに不機嫌な表情を浮かべて、テンクレプに細長く棒状のように巻かれていた上質な紙を渡した。この紙は、彼女の最高四百度も越える高熱でも燃えぬ特殊な耐熱素材で生産されたものである。
テンクレプは紙を受け取り、荒々しく自席へと戻る焔に苦笑して、観客へと見直した。
「これより発表する。呼ばれた者は前に出て来て貰おう」
テンクレプの声に大勢の者たちが耳を傾ける。筒のように丸まっていた紙を広げて、そして──そこに書かれていた今日の主役の名を読み上げる。
「シルベット。水無月・シルベット」
その名を呼んだ時、その場にいた者たちが静まり返った。そして、大勢の者たちはとある者へと視線を移す。
そこには、一人の少女が立っていた。
水無月・シルベット。
人間である父親の姓。
まだその名で呼ばれるほどシルベットは名前に自信が持てなかった。まだ父親の国──日本を知らないのに、水無月の姓を名乗っていいのだろうか。シルベットはその自信を持つ為に、巣立ちの最初の行き先を日本にしたのだ。
会場にいる者全てが一斉にシルベットに注目した。他の候補者をはじめ参列する騎士、貴族たちも相応の反応を見せている。ただ、いずれもシルベットに対して好意的なものでは決してない。
自分に向けられる厳しい視線を感じ、シルベットが密かに舌打ちをし、顔をしかめながら、不承不承といった顔で前へ。
シルベットは前へと歩みを進めた瞬間に、大勢の者たちがざわめき始める。
『なぜ──あの娘なの?』
『人間の血を受け継ぐ者のくせに──』
『あの娘が【謀反者討伐隊】になったら──全世界の人間を殺してしまう脅威になるに違いない』
大勢の殆どの者たちが口々に言い、シルベットを嫌悪に満ちた目つきで睨みつける。
当たり前といえば当たり前の話だが、世界の中に国がある以上は国家や種族による隔たりが存在するのだ。この世界でも同じである。そして、国民や種族の数だけ偏見や差別もあることはどの世界にも共通の問題といえた。
それ以上に異端者であるシルベットに良くは思われない理由は他にもある。
巣立ち前どころか、学舎への登校はおろか屋敷の敷地内から出ることを赦されなかった未熟者。龍人──銀龍の姫と人間との混血者。【異種共存連合】として、人間たちとの友好関係の進展が望めるきっかけを掴める可能性はあるが、ジェネシスを討伐する【謀反者討伐隊】の任務を任せてもよいのか、世界は破滅すると言われているシルベットだけが秘めている力──〈原子核放射砲〉、銀龍族の禁忌を破らないかと、不満を抱くのは無理もない。
どうやら、この派手なドレスを着ている以前にシルベットは嫌われ者であったみたいだ。
「──ッ!」
シルベットはざわめく周囲を嫌悪感に満ちた目つきで見据え、今度は態度悪く舌打ちをした。彼女自身も、この巣立ちの式典には納得をして来ているわけではないだから、仕方ない。
壇上に上がったシルベットはテンクレプの目の前に立った。
「シルベット。水無月・シルベットだな」
「貴様が強制的に呼んだのだから本人に違いないだろう、老いぼれジジイ」
シルベットの不用意な暴言に観衆が振り向かなくってもわかるほど凍りついた。先ほど、任命書を渡しに行った煌焔だけが吹き出した。
一拍の間をあけて、元老院側の席からトーガに似た正装の法服を着用した男性が飛び出すと、シルベットへと詰め寄る。
「水無月シルベット! テンクレプ様に向かって、何という口の聞き方をしているのかっ。母親に似て礼儀がなって、頭を地に下げて謝れ!」
すぐさまと言わんばかりに、トーガに似た正装の法服を着用した男性は謝罪を強要する。頭を掴もうと手を伸ばし、無理矢理にでも頭を下げらそうとする男性にシルベットは、更に不満を膨らませる。
「なぜ、私が貴様らに頭を下げなければならんのだ。こっちは、“二つの組織に異例に入れてやるから式典に招待してやる、断ればこの巣立ちは無効だぞ”という内容で半ば強制的に、元々の用事を変更して来なければならなかったのだぞ。いろいろと不満があって当然だろう!」
シルベットは声を荒げた。
トーガに似た正装の法服を着た男性を一目見たところ──
上級種族ではない。元老院議員という階級だけで、シルベットを凌駕するほどの魔力量も司る力もない。ただ、腰巾着、及び太鼓持ちの匂いだけはぷんぷんと来る。上位の者に取り入ることが取り柄の男性といった雰囲気が仄かに漂っている。
しかし、テンクレプに対して敬わうといった感じも一切感じられない。どちらかといえば、誰かにテンクレプに恥をかかせてやれ、と言われて、無理矢理にこの場でシルベットに相対しているかのような下っ端オーラがあった。誰かの命令に従い、気に入られて上にでも上り詰めたのか、それとも裏で操作して敵を蹴落として這い上がって来たのだろうか。彼にはそういったオーラが感じられた。
本人的には、テンクレプを困らせる気は殆どないように思えるが、詳しいことはわからない。頭ごなしに怒らず、優しく諭すことをせず、シルベットの不満を爆発をさせて怒らせたことは成功といえる。
それに、立場的上である者の顔を、または反応を窺いながら、自分は良いことをした、役に立ちます、みたいなアピールは目障りである。そんなことで貢献して恥ずかしくないのか、とさえ感じてしまう。
頭を掴もうと伸ばす男性の手を避けながら、シルベットは怒りを通り越して呆れ返る。
「テンクレプとやらは、この頭ごなしに叱りつけるしか能がない部下を持って恥ずかしくないのか!」
「それはすまなかった。モーリーよ、やめない」
「ですが……」
「いいのじゃ。頭ごなしに叱りつけても反抗が激しくなるだけ面倒になるだけじゃよ、母親と同じくな」
テンクレプは一旦、夫が人間界の土産として買ってきた日本製のカメラで、娘の晴れ姿をおさめている母親──シルウィーンに視線を向けてから、娘であるシルベットに顔を向けた。
「すまなかったな。この者は儂の部下ではないが、儂を敬う者の一人だ。こちらとでお呼びしたお客様を怒らせるつもりは毛頭ないのじゃ。気を悪くさせてしまったことを深くお詫び申し上げる」
「どうだか……」
無礼な発言を重ねるシルベットに、観衆からの非難の視線が集まる。この空間に渦巻く嫌悪感の中では、わざわざ自分を貶めることにしかならない。
「さしずめ、私は貴様らの見世物か何かだろう」
「そう思うのか?」
「思うではない、感じる」
言葉を交わすことにより、周囲の痛々しいくらいの念やらざわつき。これ以上の屈辱的な注目されたくない。早くこんな空間から抜け出したいが為にシルベットはテンクレプに言った。
「普通なら学舎で首席の者が務める大役を、学舎も卒業していない私が特別に巣立ちの式典で任命式の代表に選ばれることに不満を抱く者は多いだろう。この場で立つものではないことは充分に承知して、はっきりと断りたかったのだ。そうさせなかったのは、そちら側の責任ではないのか。それに、この甘美なパーティーを台なしにしたのだ。今すぐにでもその首席とやらに代わったらどうだろうか?」
「代わりたいのか……」
愛想がなく辞退を申し込んだシルベットを見たテンクレプは優しげな微笑みを浮かべて答えた。そんなテンクレプにシルベットは怪訝な表情を浮かべて訊く。
「何を笑っている……」
「いや……少し、思い出しただけじゃよ」
「思い出す? 何をだ」
「どのくらい昔かは忘れてしまったが、前にも君と同じ行動をとった者がおったのじゃ」
同じ行動? とシルベットが首を傾げていると、
「──あなたのお母様よ」
いつの間にか、背後に現れた小柄な少女に声をかけられた。
服装はワンピースの原型となったカートルという女性衣類に、腰には細い革のベルト、手首から二の腕にかけてはスリーヴと呼ばれる着脱可能な袖が取り付けられた。銀行員や郵便局などが腕につけているものとは違く高級感漂う革性である。
二つに結わいた髪の色はきらびやかに流れる川のような黄金。幼女のような童顔、シルベットよりも小さな少女は一見したらかなり年下に見えてしまう。
「誰だ貴様は?」
「ぷっ、あははははははははは」
いきなり金髪ツインテール碧眼の少女は笑い始めた。口に手をあてて、甲高い笑い声を上げる。
「いきなりしゃしゃり出て来て壊れるとは、けったいな奴だな」
「壊れていませんわ。笑っているだけですわよ……。あなたの物言いはわたくしは好きではありません。さきほどから、あなたの発言の悪さに虫酸が走っていますが、それでも元々、代表であった首席に代わるといった発言だけは賛辞を贈りたいと思いますわ。ほ〜ほほほほ」
金髪ツインテール碧眼の少女は、傲慢な態度で壇上に上がってくる。
「貴様……耳が悪いのか。私は貴様を誰だと聞いているんだっ」
シルベットは金髪ツインテール碧眼の少女に名乗るように声を荒げる。彼女の態度、声、格好、話し方に至るまで気にくわない。沸き起こった嫌悪感に顔をしかめて彼女を睨めつける。
睨んでくるシルベットに金髪ツインテール碧眼の少女は口元で掌で隠してクスリと笑い飛ばす。少し笑って乱れた髪を手でゆっくりと直す。腹立たしいまでの余裕っぷりにシルベットは舌打ちをした。
「品がないにも程がありますわね。本当に──銀龍族で最強と云えられてきたシルウィーン・リンドブルムの娘なのかしらね?」
クスクスと笑いながら、シルベットの顔を上目遣いにのぞき込んでくる。
「お顔は似ているのに、礼儀と言葉遣いは別物ね」
「貴様は、私のことをコケにしょうとしているのか?」
「ええ、そうですわ。察しがいい方みたいで助かります。それでもあなたがわたくしよりも下なのは事実なので怒らないでいただけませんか」
ニヤリと嬉しそうに金髪ツインテールの少女は唇の端を歪める。
「学舎に通えず、経験もなく、種族も下の分際で、上から見下ろされては困りますわ。これを確か……人間界の日本という国では、七光りと言うんでしたわよね?」
ニヤリと嬉しそうに口端を歪めた金髪ツインテールの少女がゆっくりと嫌みたらしく言うと、誹謗中傷に加え、厭味を浴びせられたシルベットは、沸々と怒りがこみ上げてくる。カァッと怒りで頭が熱くなった。
「七光りだと……っ! 貴様に私の何がわかる」
「あら、怒りましたの? 本当に学びがない仔龍ですわね」
目を細めて、唇を嫌悪感に曲げた金髪の少女が吐き捨てるようにそう言った。
「その未経験の仔龍が巣立ちはおろか【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】に同時に入れるだなんて有り得ませんわね。わたくしは、この他人への態度がなっていない仔龍の巣立ちに異議を申し込みますわ」
ぴしゃりと怒鳴りつけるように言い放つ少女に、不満を抱いていた同じく巣立ちする者達から「そうだそうだ」と賛同するような声がいくつか上がった。しかもその声は拡大を始めていた。先の賛同するような声を皮切りに、次々に不満を口にし始める。
『まだまだ半人前なのに、【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】に同時入隊だなんて贅沢だ』
『現に、半龍半人だしな』
『純血である僕らでさえ巣立ちしても二つに入隊するのに、相当な試験や研修が必要のにさ』
『あいつ、銀龍族の姫だけど、学び舎に行ってないのに、試験を落ちなかったよね』
『その試験、敷地内から出られないから実家で受けたって聞いたよ』
『何それ、そこまでして人間界に行きたいのかよ』
『外見だけはいい。服装は場違い。品位が足りない。教育も不足している。それで【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】に入隊とかあるのか』
『コネか』
『しかも危険なコネ』
『いいんじゃーないか、別に。美人ならコネでも誰でもオレは大丈夫さ』
『お前は黙ってろ!』
次々と出てくる声をスルーしながら、シルベットは金髪ツインテールの少女を見る。
先ほどからシルベットに対して批難していた連中である。それらは、金髪ツインテールの少女の胸ポケットには、同じ学舎の紋章のバッジを付けられていることに気づいた。同じ学舎同士で結託して、シルベットが何か問題行動を起こした場合、陥れようとしていたのではないか、と勘繰ったが確証はない。こうも嫌われ者や悪者扱いされたら、不信感を抱いてしまうのは無理もない。
「なるほど、貴様は私が代表挨拶するだけが不満というだけではなく、巣立ちすることが気に喰わなかったのか」
「ええ。でも代わりたいのでしょう? なら、別によろしいのではなくて」
「別によろしいなんて一言も言っていないぞ」
「言ってましたわよ」
「私は貴様のような失礼が金ぴかの鍍金を付けた奴と代わりたいとは一言も言ってないぞ」
「あなたには言われてほしくはないですわ。ちゃんと、言いましたわよ。何故なら、わたくしがあなたが代わりたいと言った学舎の首席ですのよ」
「貴様が学舎の首席だと……」
こんな奴が首席だと……、といった疑い深く顔で金髪の少女をシルベットは見下ろす。
そんな彼女の視線を、ふん、と鼻を慣らし、絹のような美しい金髪ツインテールを右手で振り払う。
「ですわ」
シルベットの言葉に、金髪の少女はわざと誇らしげにツインテールを靡かせて短く返答した。
シルベットは金髪ツインテールの少女を見据えてから、ため息を吐いた。
それから合点が合ったかのような顔を浮かべて口を開く。
「首席がこんなポンコツだから、私が代表をやらざるを得なかったのか……」
「はあ!?」
シルベットの言葉に金髪ツインテールの少女は目を吊り上げた。
「だ、誰が、ポンコツですのよっ!」
今度は金髪ツインテールの少女が声を荒げる番となった。