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第一章 三十五




 このボクでも笑えないね、とゴーシュはその時のことを思い出して苦笑する。それに対して、美神光葉の表情に一切の笑みはない。


 それもそうだろう。無類の女好きだとしても、堪え性も根性無しだとしても仮にも皇族である。それは学び舎で同じ時を学び、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】で同じ【部隊チーム】を組んだ仲間として、白龍族の皇子としての自覚があると信じたかった。


 そして、間諜として白龍族に間諜する価値があるのか、と美神家の当主として見極めようとしていたが、それは白蓮が西方大陸ヨルムンの国内外に猛批難されている最中にもかかわらず、すぐさま税金を平気で使い、複数の異性と旅行に出かけたことで粉々に吹き飛ばされた。


 何のいいところもない。間諜する価値もない。彼は皇族というだけで周囲から甘やかされ、わがままに育っただけに過ぎないポンコツ皇子に過ぎなかった、と早々と見切りをつけた相手である。


 もう常に発情期であるポンコツ皇子と関わらなくっていいと安堵して、忘れかけていたにもかかわらず、ゴーシュから白蓮の話題を出されて思い出してしまうとは想像してはいなかった。


「白蓮には、反省するといったものがないので仕方ありませんね……もう、彼のことは思い出したくありません。さっさと、本題に行きましょうか」


 美神光葉は、あからさまに顔を歪めて嫌悪感をあらわにして、切り替えようとする。


 だが、ゴーシュは白蓮の話題をやめなかった。


「そうそう、最近の白蓮は白夜が密かに恋心を抱く地弦を狙ってしまって、白夜の怒りをかってしまったらしいよ。恩義を仇に返すというのはこういうことを言うんだね。せっかく、英雄の二人に助けてもらったのに、ね」


 ゴーシュは美神光葉の言葉を無償して、白蓮の話題を愉しそうに続ける。思い出したくない、と話しを切り替えようと言ったにもかかわらず続ける彼に不審気な表情を美神光葉は向けている。


 そんな彼女にゴーシュは気付いていた。




 白蓮の話をやめないゴーシュに美神光葉は少し問い詰める風に言った。


「さっき申し上げましたよね? 思い出したくない、と。それとも彼の話題が私の聞きたいことに繋がるのですか」


 美神光葉はジト目でゴーシュは睨みつける。


 少し険しく問われてゴーシュは、周囲に紅眼を巡らす。


「そうだね。あの事件以来、キミは白蓮側の間諜を縮小していただろう。だから、これからのことを話す上での前置きをしとかないと思った上で話さないと」


「白蓮の話しがどう私の聞きたい話しと繋がるのか疑問に思いますが──」


 ゴーシュの言葉に、美神光葉は険しい顔を浮かべる。


「何故、白蓮側に派遣した間諜を縮小したのを知っているのですか?」


 美神光葉は刀のような鋭い視線で睨みつけ、美神光葉は麓々壹間刀の刃をゴーシュに向けると、全長二メートル────六尺六寸一間もある麓々壹間刀は、蛇のようにうねりゴーシュに巻き付けた。


 蛇のようにゴーシュの周りにどくろを巻く状態で縮小すれば、彼の肢体は八つ裂きするだろう。それでもなお彼の態度は一貫して余裕だ。動じてはない。それどころか、麓々壹間刀に久しぶりに会った戦友と会うかのような微笑みを見せている。


「久しぶりだね麓々壹間刀」


『ギャハハハハひっさしぶりだなぁぃ不遇なる銀龍の第一皇子』


「うちは皇というよりも王という感じだけどね。まあ和と洋が混ざり合っているからどうでもいっか」


『オマエのその性格、好きだぜぇ』


 麓々壹間刀も旧友にでも会ったかのような明るい声で答える。変わらずの下品で耳障りなキンキン声だが、実に楽しそうである。


 ゴーシュと麓々壹間刀が親しく会話をする様に、美神光葉は少しばかり不愉快な気持ちになった。両者が言葉を交わす度に、蚊帳の外に追い払える感じがして、何とも煮え繰り返らない気持ちとなった。


 何ともいたたまれなくなり、思わず口を挟む。


「麓々壹間刀。敵に、何を会話しょうとしているのですか……」


 美神光葉は苛立ちをぶつけるように語気を強めて、麓々壹間刀に言った。


 彼女のそんな反応を麓々壹間刀は面白がるように勾玉を点滅させる。


『なーに、久しぶりだからよ。それにゴーシュだと、ついつい話しこんじちまう。何だ嫉妬か』


「────なっ!?」


 美神光葉は、突然訪れた麓々壹間刀の驚天動地の言葉に動揺が隠しきれない。動揺しても少しばかり変化はあるものの、常に平衡静穏の表情はかろうじて保っていた彼女だが、


「その顔は図星かい?」


 と、立て続けのゴーシュの言葉に、


「はあっ!? ……い、一体、何を言っているんですかそんなわけないです」


 大きく崩れた。


 間諜として動揺を表情に大きく出してしまったことは、間諜・密偵家業である美神家に置いて大きな失態だ。美神光葉はその当主である。このままでは、従者に示しがつかない。


 急いで強力な自制心を発揮して、なんとか表情を冷静さを取り戻そうとしょうとするが、


『図星だな。崩れた動揺が戻らなくなっている。これじゃ間諜失格だぞ』


「そうだよ。美神家当主として示しがつかないぞ」


「うるさい黙りなさいっ! あなたがたお互いに気を合って、私をおちょくるのをやめてください……」


 ゴーシュと麓々壹間刀の気の合い様に苛立たしげに言葉を荒げる。


「麓々壹間刀は、敵であるこの義妹大好き気持ち悪いゴーシュと親しく会話するのをやめてください。ゴーシュは、白蓮側に派遣した間諜を縮小したのを知っているのですか? という問いに答えてください」


 似たような性質同士だから気が合うのだろうか、という懸念だろうから、麓々壹間刀がゴーシュとこれ以上、会話を続けさせまいと美神光葉は両者を牽制した。


 それにゴーシュと麓々壹間刀は美神光葉を宥めるように応じる。


「わかったよ。話すから、そんなに怒らないでおくれ」


 そう言って、麓々壹間刀との会話は名残惜しそうにしてゴーシュは話し出した。




      ◇




 白蓮は、皇子にもかかわらず帝王学は学んではない。


 帝王学とは、王家や伝統ある家系・家柄などの特別な地位の跡継ぎに対する、幼少時から家督を継承するまでの特別教育である。


 具体的には突き詰めたリーダーシップ論とでも言うべきだろうか。経営術や部下を統制する方法といった限定的なものではなく、様々な幅広い知識・経験・作法など、跡継ぎとして相応しい性格形成に到るまでをも含む全人的教育である。


 いわゆる学校での教育という概念とは根本的に異なり、家系を後世へ存続させ繁栄させる、という使命感を植えつけることを目的とし、学と名はついているが明確な定義のある学問ではなく、一般人における教育には該当しない。


 狭義の帝王学は、産まれたときから帝王の座につく運命にある者の教育であり、美神光葉も次期美神家当主候補から家業である間諜に関する英才教育を受けている。


 ゴーシュも銀龍族の名家リンドブリムを受け継ぐ家系の一つである水無月家に第一皇子として産まれた身に恥じない教育を受けてきた。義妹であるシルベットも同じだ。


 しかし、白蓮はそれなりの身分ならば受けるはずの帝王学を受けてはいない。第一皇子にもかかわらず、万世一系の皇統をいかに維持し次代に伝えるべき教育を何故、受けてこなかったのか。その答えは至極、簡単だ。ただ単に彼は極度の勉強嫌いであり面倒くさがり屋である。両親や従者が帝王学を学ばせようとしても逃げ出し、さぼっていたからに他ならない。


 逃げることは白蓮の専売特許である。ゴーシュと美神光葉が同じ【部隊チーム】だった頃、強敵に苦戦している時も白蓮は平気で仲間を見捨てて、敵前逃亡していたことは数多に渡る。隣町まで逃げ出して、戦いが終わった頃に平気な顔して現れる。悪意なんて一適も含まれてない笑顔で。


 白蓮の性格は、基本的に興味があること以外はは無関心で、好きは好きと嫌いは嫌いとハッキリしていてバカ正直である。嘘はない。つまり悪気は一切ない。だからこそ、たちが悪い。


 学び舎でも落第生で赤点ギリギリで卒業、【部隊チーム】内でも底辺で、味方が苦戦している最中でも平然と敵前逃亡してのける飛行速度の高さと身分と性欲の強さ以外、誇れるものがない。


 帝王学を学んでいないために、「賞罰を明らかにし、愛憎をふりまわすことなかれ」、「皆に公平に、好悪に偏るべきでない」、「万事について惑溺して度を過ごしてはいけない」、「天子たるもの喜怒を慎み、表情にだしてはいけない」といった権力・財力を持った者がその力を自覚し、維持しつつ正当に行使するための様々な行動・表現の基本的なノウハウが欠けてしまっていた。


 それゆえに国民の前で誤った対応をしてしまい、そんな皇子に国民から猛バッシングを受けてしまったことは必然的でしかない。


 遅かれ早かれ、白蓮は皇子としての器が有無を問われることをゴーシュは予想はついていた。予測していたよりも早かったのは白蓮の父の退位が予測していたよりも早かったためだろう。


 国民より猛バッシングを受けてしまった哀れな皇子が次にしたのは、現状からの逃亡だった。


 お気に入りの異性と共に他国へ逃げ出して、現状から逃げ出そうとしたのだろう。いつもの通り、逃げるを選択した白蓮に待ち受けていたのは、やはり西方大陸ヨルムンを超える更なるバッシングの嵐だった。


 ハトラレ・アローラの全大陸の新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどといった媒体を通じて、ふしだら皇子の事の顛末は世界各国に知れ渡っており、逃げた先でも石ころを投げられてしまう。


 領主という立場上では、不敬罪というものが存在しているために、西方大陸ヨルムンでは罵声は飛び交うことはあるが、石ころを投げられることはなかった。


 不敬罪とは、絶対君主である国王や皇帝などといった君主、王族、皇族の一族といった者に対して、名誉や尊厳を害するなど、不敬とされた行為の実行により成立する犯罪だ。人間界では、刑罰が廃止・失効している場合があり、サウジアラビアなどのイスラム諸国やデンマーク、オランダ、スペイン、タイ王国、カンボジアといった国では、現在も存在している。


 ハトラレ・アローラでも絶対君主である上位種族の聖獣に与えられた特権である。各大陸の国王や皇帝などといった君主、王族、皇族の一族、領主にはあたる聖獣といった上位種族に、名誉や尊厳を害するなど、不敬とされた行為の実行により、害を受けた場合、被害者である絶対君主である聖獣が不敬罪として認識し、適用するかしないか選択で執行される。不敬罪と見なされ執行されれば、軽くって懲役十年、重くって死罪となるために不敬を働くにはリスクが高い。


 しかし、刑が執行されるのは領土内とされているために、領土外だといくら国王や皇帝などといった君主、王族、皇族の一族、領主であっても不敬罪とはあたらない。


 つまり、領土内以外では、どんな名誉や尊厳を害するなど、不敬とされた行為を受けても不敬罪として裁くことは不可能だ。そのために西方大陸ヨルムンでは罵声は飛び交うことはあるが、石ころを投げられることはなかった。領主でもなければ、全大陸から英雄扱いをされる白夜と違い、白蓮は全大陸から批難の的となった。


 罵声はおろか、石やゴミも平気で投げられ、嫌がらせなどのひどい扱いを受け、安らげる場所など見つからなかった。しまいには、連れていた異性さえも彼から逃げてしまい、その際金銭も盗まれ、白蓮は心身ともに疲れてしまった。故郷に戻り、素直に謝罪して赦してもらおうと何度も考えたができなかった。理由は、白龍族の皇子として国民の前で頭を下げることに抵抗感があり、結局マスメディアがない土地を求めて、散々彷徨った先は──




 暁にはまだ早い宵闇が支配する夜にも関わらず、大勢の人間達が行き交い、ネオンの光によって昼間と変わらない明るさを放っている。


 人間界。とある国の人口密度が高い都市に白蓮はいた。


 隣接するビルの路地裏。ネオンの光りが届かない宵闇が支配するその地区はならず者が跋扈し、違法と呼ばれる違法が混在している。善良な者は決して近付こうとしない。


 軒を連ねる店は禁制薬物、盗品といったものから虫が集まり死んでいるような衛生的に問題がある食品類等が売買しており、如何わしく無いものの方が少ない。


 確実に、現行逮捕ができるにもかかわらず、警察が取り締まりに動かさないのは、この街を仕切る顔役達と警察がグルだからだろう。それによって、どんな違法を犯しても罪とはならない無法地帯と成り下がっている。


 常に各所で揉め事が起こり暴力沙汰はたえない。相手がナイフや銃といった武器を所持していても、警察は仲裁には入ろうとせず、それを楽しんで眺めているだけといった有様だ。


 数歩進めばスリが懐に手を突っ込んで来て、暗い路地に入ったらまず強盗から声がかかるのが当たり前の街をゴーシュはしばらく歩き、蠱惑的な香りが漂う路地に出ると──


 そこは豪華に着飾った女や男達が通行人に淫らで舐めるような視線で品定めをし、妖しい笑顔を返して、「遊んでいかない?」と誘う風俗街だった。


 その裏道で袋小路にぶちまけられたゴミの中で、複数の男性から殴る蹴るといった暴行を繰り広げられていた。主に暴行を行っているのは、十代と思しいストリート系の格好をした少年が五人。後方にいる少し崩したスーツを着た二十代半ばの男性が三人は少年達に指示を送っている。


 十代の少年達は、内面の卑しさが薄汚い身なりと顔にそのまま表れており、スーツの男性らは黄金に輝いた腕時計や鶉の卵程あるダイヤモンドの指輪、ネックレスやブレスレットといったアクセサリーで身なりを豪華にあしらっているが、内面にある派手な性分や浅ましさは隠しようがない。


 彼らは、執拗にゴミの中でもがく男性に侮蔑と嘲弄まじりの視線を向けている。


 ゴーシュは何気なく彼らの視線を追うと、眉目秀麗、明眸皓歯といった麗句の似合いそうな美青年がいた。


 身長はゴーシュより十センチばかり低く、百八十センチ前後。体つきは細身だが弱々しい印象はなく、しなやかと形容すべき色男だ。異性を魅惑する甘美な顔立ちは、同性でも一瞬でも見てしまう程に整えられている。


 ゴーシュにはその男性に見覚えがある。それが白蓮だった。


 白蓮は、共に【部隊チーム】で活動していた頃とは違い、ごてごてとした宝飾が散りばめられている西方大陸ヨルムンの皇族が着用されることが赦される民族衣装を身につけてはおらず、彼にしては地味すぎるシーツを着ている。ところどころがほつれており、若干みすぼらしい。何日洗濯していないのか、綺麗好きな彼にしては、薄汚なさが目立つ。


 装備もない。必ず引き連れている女もいない様子からすると、白蓮はどうやらハトラレ・アローラから逃亡してから苦労が絶えなかったのは明らかだ。


「ふざけてんなよ、ハクレン! この俺様の客を横取りやがって、その綺麗な顔を吹っ飛ばしてやろうか、あぁ!?」


 とりあえず美をつけてもよい容姿の華奢な男性が声を張り上げた。込み上げてくる怒りをどう白蓮にぶつけてやろうか、といった腹持ちならない企みをわかりやすくも微笑みで表している。


「まあ新入りだから仕方ないけど、ここは袋だたきくらいで勘弁してあげましょうよ」


 右隣にいた愛嬌のある面付きをした大柄な男性がとりあえず美をつけてもよい容姿の華奢な男性を宥める。しかし、彼に対して、本気で宥めようとなんてない一ミクロンも感じられない。


「はぁ? このまま、袋だたきだけで済まさねぇよ」


 そう言うと、とりあえず美をつけてもよい容姿の華奢な男性は白蓮に暴行を奮っていた十代の少年達まで進み出る。少年達は彼を恐れるように離れていき、道を空けていく。


「新入りには、教育が必要だな」


 ニタリと嗤い、胸元に手を入れて出したのは、一丁の拳銃だった。


 三八口径、銃身長は五インチで、グリップ底部にランヤードリングが付けられている中型フレームのダブルアクションリボルバーである。トリガーとシリンダーラッチにチェッカリングを加え、フレームのトップを眩惑防止のためマット処理した上でリアサイトの溝を拡張とした、表面処理は、ポリッシュ工程を加えた光沢仕上げとなったコルト・オフィシャルポリスと呼ばれる六連発回転式拳銃である。


 オフィシャルポリスは、千九百二十七年にコルト社が法執行機関向けに発売したアメリカ合衆国の警察機関で最も大量に納入され、警察官を始めとする法執行官の標準火器として広く使用された拳銃だ。


 現在は、千九百六十九年までに計四十万挺が製造され、生産終了となったが、警察用リボルバーではベストセラーの一つとして評価されている。


 そんな拳銃マニアが喉から手が出るほど欲しがるオフィシャルポリスをとりあえず美をつけてもよい容姿の華奢な男性は白蓮に向けた。


「うちのお偉いさんがよこしてくれたコイツで少しお仕置きしてやるよ」


 銃口を白蓮の右太股に向けられた。


 龍人は、銃に撃たれても死にはしない。人間よりも遥かに優れている治癒力をもっているのもおり、ハトラレ・アローラに置いても、人間界に置いても龍人の治癒力は軍を抜いている。


 それに加えて、動く要塞といっても申し分ない程の頑強たる鱗が全身を覆っている。人間の武器では、皮膚を貫くことはおろか鱗にかすり傷を付けることさえも不可能だ。もし霊力や妖力といった異能によって貫かれたとしても、呪術がかけられていなければ、すぐに完治してしまうだろう。


 よって、とりあえず美をつけてもよい容姿の華奢な男性が持っているオフィシャルポリスでは白蓮を傷つけることはできない。


 とりあえず美をつけてもよい容姿の華奢な男性が引き金をゆっくりと引かれる。ハンマーを起こさないダブルアクションと呼ばれる精密射撃には向かないが暴発の危険性が少ない撃ち方だ。


 命中率は下がるが、一・五メートルという距離では、脚でなくとも躯のどこかを貫く可能性は高い。


 ゴーシュは自然と躯が動く。脚に〈高速〉術式を展開させ、それにより脚力が増強される。路地裏に向かって踏み出されたゴーシュの脚は〈高速〉の術式の効果によって、わずか零・五秒で白蓮の前にたどり着く。


 すかさず腰に携えていた刀剣を抜き放ち、とりあえず美をつけてもよい容姿の華奢な男性が撃った弾丸を居合抜きで斬り落とす。そのついでに、白蓮の躯を避けるように剣先で軌道を変えることを忘れてはいない。


 真っ二つされた弾丸は、ゴーシュと白蓮をすぐ横を通過して地面に突き刺さる。


「──ッ!?」


 突然と現れたゴーシュに男性達は驚きを隠しきれない。それもそのはずだ。人間の動態視力では到底、捉えることは難しい速さで颯爽といきなり現れ、弾丸を刀剣で斬り落としたのだから。


 必然的にゴーシュの姿は、男性達の目にはいきなりと現れて刀剣らしきものを掴んだと認識した時には、刀剣は抜けられ振られている。彼らには、弾丸が何かに拒まれて彼らを避けたとしか見えないだろう。


「…………な、何なんだテメェはッ!?」


 一分ほどの間をあけて、ようやくとりあえず美をつけてもよい容姿の華奢な男性が声を張り上げた。


 彼はゴーシュにオフィシャルポリスの銃口を向ける。しかしながら拳銃が握られている腕は震えている。表情もさっきまで威勢の良さはなく、白蓮に向けていた男性達の侮蔑と嘲弄が混じっていた顔はない。


 とりあえず美をつけてもよい容姿の華奢な男性だけではなく、周囲にいた男性達の表情を支配したのは恐怖だ。


 人間というものは、自分とは異なる強い力を持つ存在に対して畏怖する生き物だ。


 この世界の優占種である人間は、ある対象の性質や優位性の有無などを判断するにおいて、対象に関する見かけや所属といった断片的な知識や情報、自らの属する社会、宗教、文化などが有する価値観、あるいは個人の経験則を判断基準として線引き、差別を行う。これらは実際の性質や実態を無視し、主観的・恣意的に選択された比較的単純な判断基準として用いることで生み出される事実上の根拠がない思考での線引きが殆どである。


 身分・階級と職業、人種・民族・宗教・文化や言語・地域、性別、能力、病等で安易に線引きし、貶すものではないが、人間は、頭で理解をしてもしていなくとも偏ったものの見方がしてしまうものだ。


 現在は、人権思想も広まり、このような差別的な考え方、人種差別的な考え方は現在では世界的に嫌悪されることが多くなり、公に表明されることは少ないが裏では、行っていることがある。


 このような悪所では常日頃行われており、この街に置いての線引きは、裕福か貧乏、強者か弱者といったところだ。


 自分よりも裕福で強者は畏怖の対象と区別する。そのことを意識さえしていなくっても、大半はそうするしかないという自己防衛に近い思想だ。それは仕方ないのかもしれない。同じ人間であっても、ただ民族違いで”彼らは人間ではない”、”野生の動物である”とする発想や表現が存在していた時期があったとされているからそれと比較すればよっぽどマシだろう。


 急に現れ、通常の人間が視認できない速度で刀剣を振るい、銃弾を真っ二つして落としただけではなく、後方のゴミ溜めに倒れた白蓮に当たらないように軌道を変えた得体の知れない強者を男性達はどう捉えるか。この街の人間と異なった畏怖を感じてしまうことは仕方のないことだ。


 畏怖を感じる得体の知れない者に対して、とりあえず美をつけてもよい容姿の華奢な男性は声を震わせる。


「いきなり出てきて、正義の味方のつもりかっ!?」


「正義の味方って、ただ単に仲裁に入ったくらいで大袈裟だよ」


 ゴーシュはやれやれと肩を竦める。


「ボクとしては、一人の男性に対して大勢でいたぶって、更にお仕置きと称して拳銃を取り出すとか、どのくらい子供なんだろうかと思ってね。大人として、ここは審判でもしてあげようという心遣いさ」


「急にしゃしゃり出てきて、おちょくりやがって……」


 とりあえず美をつけてもよい容姿の華奢な男性は、侮辱されて顔を赤くして表情に怒りの色が混じる。それに連れられて他の男性達の顔を支配していた恐怖が少しだけ薄まるのを感じた。


 彼らにもそれなりの自尊心はある。権力や金さえあれば勝ち組である悪所である街でそこまで昇りつめた誇りがある。だとしたら、言いすぎたのかもしれない。


「まあ。気分を害させて悪かったね。しかし、どうやら他人の気分を悪くさせることはボクの得意技のようでね。こちらとしては迷惑この上ないけど、仕方ないことなのさ。だけど──」


 ゴーシュは、友が複数の男性に袋だたきにされるところを黙って見られるほど、傍観者に成り下がることはできなかった。


「一人を相手に複数で袋だたきとか汚すぎると思うからお互い様さ。それにそっちはそんなビンテージ物の得物を使っているから不公平でもあるわけで、ごちゃごちゃと言われる筋合いはないね」


「だからなんだ。ここじゃ、これが普通なんだよッ」


「そうなんだ。なら安心だね」


「あン?」


「ここがそれが普通というならば、当然ながら日常茶飯事に死体が散らばっていることになる。だとしたら、ここに複数の男性達の死体が転がっても大騒ぎにならないよね」


「────────!?」


 ゴーシュは殺意に濡れた瞳に見つめられて男性達は息を呑む。そんな彼らの恐怖を、ゴーシュは見下す。


「この場にいる者は皆殺し。安心していいさ。この不埒な男性は後ほど、このような問題を起こさないように矯正させておくから」


 慈母の微笑みのまま、男性達に白蓮に酷薄に告げてから、


「──さあ、はじめようか殺戮ショーを」


 高らかに声を上げて剣を抜き、ひと振りをする。すると、剣を振るった延長線にあった壁に獣が鋭利な爪で引っ掻いた後が無数についた。


 その現象に、男性達は言葉を失い、ふたたび恐怖が支配する。


「────な、何をやった?」


「単なる剣圧さ」


「ケンアツ……?」


「剣圧というものは、空気を斬り裂くことによる生まれるものさ。使い方、力加減で遠くものを斬るということを可能さ。だからボクはここを動かずにして、キミ達の躯を斬り裂くことができる。たとえ、その拳銃を使っても撃ち落として反撃できる余裕はボクにはあるのさ」


 ゴーシュの言葉に男性達の表情が恐怖に歪む。剣圧という言葉と意味がわからない彼らにとって、耳を疑うのは確かだが、現実的にそれを見せられては信じるしかない。それと同時に、ゴーシュの言葉の意味をじわじわと押し寄せてくる。


 混乱状態に陥りはじめようとした時だった。


 ガッシャン! と先ほど壁ごと斬り裂いた硝子の破片が落ちると、


「うわああああああああああッ!?」


 男性達は恐慌に陥り、蜘蛛の子が散るように大声を上げて去っていた。


 ゴーシュが白蓮と親しい存在だということを男性達に見せつけることはできなかったが、しばらくは家から閉じこもってしまうくらいの恐怖を植え付けただろう。


 それにより、しばらくは白蓮に手を降すことはできないと確信している。


「これで、しばらくはいじめられないだろうね」


「余計なお世話だよ変態」


 辛辣な言葉を放ったのは、助けられた白蓮だ。


 白蓮は、衣服についたゴミや汚れを手で振り払いながら、ゆっくりと立ち上がる。


 白蓮のどこか刺がある言葉をゴーシュは笑って返す。


「仲裁してあげたのに、変態とは失礼だね。まあ元からか淫魔皇子」


「失礼なのはどっちだ。何食わぬ顔して、女の裸を見ても無反応な貴様がおかしいぞインポ王子」


 のそのそと、白蓮はゴーシュの横に並ぶ。


 ゴーシュは横についた白蓮を見る。憎まれ口を叩く割には顔はどこか朗らかだ。男性達につけられた傷は僅かな後が残るものの、殆どが塞がっている。何より憎まれ口を叩くほど元気そうでゴーシュは息を吐く。


「なんだ、全国民に嫌われて人間界に逃げたわりには元気そうじゃないか」


「余計なお世話だよ……」


「長い付き合いだからね。助けなければ、友として仲間としていかがなものだろうかと思ってね」


「ただの腐れ縁だろうインパ王子」


 白蓮とは学び舎で同じ時を学び、共に遊んだ仲だ。


 同級生である彼とは学舎を卒業し、巣立ちした後も配属していた【部隊チーム】と一緒ということもあり、同じ釜の飯を食べ、共に【創世敬団ジェネシス】と戦った元仲間として彼のことをそれなりに気にかけていた。にもかかわらず、相変わらずな言い草に少しばかり気を悪くする。


「インポ王子とは、酷い言い方を何度もするな。ボクが全裸を見て反応する女性は、愛しい我が義妹シルベットにだけというだけさ」


「相変わらず義妹好きで気持ち悪いな……」


 相変わらず隠すこともないどころか、惜しげもなく義妹に対して、異常的な愛情を見せるゴーシュに白蓮は半目で見据えた。


 十を数えるほどの間、ゴーシュの様子を伺うように目を向ける。


「──まあ……しばらく会ってなかったが、やっぱ、気持ち悪いなお前」


 白蓮は辛辣な言葉をゴーシュに向けて口にした。


 彼の態度に、げんなりした表情となる。


 せっかく助けたにもかかわらず、御礼もいわない。反省もしなければ、御礼もしない白蓮にガクリと肩を落とす。


「少しはボクとかの有り難さを覚えた方がいいねキミは」


 白蓮は、逃げ足以外はからっきしだ。戦闘力、技術力、防御力は自他とも認めるほどに低く、弱い。【部隊チーム】にいた頃も敵前逃亡するくらいに戦闘慣れもしていないというていたらくだ。


 いつも助けを必要として、助けられてもそれを当然のことだと思っていることが彼の悪いところだ。そんな彼にゴーシュはどうするべきか。


 ゴーシュは、白蓮の友としてしなければならないことは。


 ──しばらくは、舐められないように徹底的にやろうじゃないか。


 しばらくは彼らから暴力を振るわせない程度に恐怖を植え付けているがいつかは克服してしまう。男性達に植え付けたのはトラウマものの恐怖ではないから当然といえる。だからこそ、彼らが恐怖を克服する前に、白蓮を彼らに言ったように鍛え直すことだろう。


「白蓮。今からその性根を叩きなおすよ。”手加減”はしないからそのつもりで」


「厭だよ」


 白蓮は即座に断った。しかし、ゴーシュは引き下がらない。


「世間知らずでプライドばかりが高く性欲が多いキミは鍛え直すべきさ。世の中の女性がそう思っているはずさ。いや、男性もさ」


 ニッコリと微笑んだゴーシュの言葉は白蓮の気分を沈ませるには十分だった。ゴーシュは義妹であるシルベット以外に手合わせで一切の手加減をしたことがない。


 学舎の頃、後輩に指導した時のことを思い出し、白蓮は頑なに断ったが、二時間もの問答を繰り返してようやく折れた。


「…………わかったよ。まさか、学舎の頃に”銀の悪魔の微笑み”だと恐れられたヘンタイに扱かれることになるとはね」


 白蓮は、げんなりしながらも覚悟を決めると、早速と言わんばかりに〈錬成異空間〉をゴーシュは構築する。


 構築しながらゴーシュは口を開く。


「それは自業自得さ。キミが異性関係について慎重ならば、こんなことにはならなかっただろう」


 形作る魔力の色はくすんだ銀色。銀の陽炎が地面に火線で描かれるのは、人間界にはない言語。ハトラレ・アローラの古代文字だ。


 ハトラレ・アローラの古代文字からなる文字列と紋章で構成されるのは魔方陣だ。魔方陣から生まれるのは、ドーム型の結界。ドーム状の陽炎の壁が形成された結界内に、新たな空間を構築させ、ゴーシュは自分と白蓮を転送する。


「さらにいえば、異性関係がしっかりしていれば、故郷を逃亡することもなかった。盗み聞きして悪いけど……、今回の経緯も異性絡みらしいじゃないか」


「ははは……」


 図星を指され、白蓮はバツが悪そうに笑う。


 異性問題で故郷を逃げ出したにもかかわらず、逃げた人間界で異性関係で怨まれては意味がない。


 紅の月が顕現される空間には、湿地地帯が広がっていた。


 それらの中には当然ながら魔力に造り出して本物と似て非なる世界の模造だ。破壊しても人間界に支障はない。人間界の流れから切り離しているために、魔力を解放した際の影響を人間界には届くことはなく、空間を外部から特定の者以外を隔離することが可能なために、いくら逃げ足が早い白蓮といえど逃亡をはかることは困難といえる檻が完成する。


「あんなことになったにもかかわらず、懲りずに異性問題とは少しお灸でもそえないと治らないじゃないか?」


 憐れむような声音でゴーシュは言って、幻滅したような目で白蓮を見る。


 女性にかまけてしまい、皇族としての使命を全う出来なかった。それが国民から批難を受けることになり、故郷から逃げざるおえなかった。普通ならば懲りて、しばらくは控えるべきだろう。にもかかわらず、懲りずに女性にかまけている。しまいには、他人の女性に手を出している始末だ。


 性欲を抑えることなく、相も変わらず白蓮の態度は少しのしおらしさを見せているが、反省の欠片は少ない。少な過ぎるといっていい。


 それにゴーシュと白蓮が出会って間もない付き合いをしたわけではない。学び舎の頃からの付き合いで五十年ほども経っている。【謀反者討伐隊トレトール・シャス】に入隊してからも【部隊チーム】が一緒だったり、それからの交流は続いていた。


 にもかかわらず、一言も相談してくれなかったそんな彼に対して、怒りが沸いて来るのは必然といえる。


 そして、微笑みの中で堪え切れない怒りを宿して、白蓮をゴミでも見るようにゴーシュは吐き捨てた。


「その性根をみっちり叩きなおしてあげるよ」




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