第一章 三十四
「お願いがあります。共闘しませんか?」
美神光葉は、僅かな望みをかけてゴーシュに共闘を申し込んだ。
「共闘ね。”黒き剣豪”ともあろうキミにしては、ありえない提案だね」
美神光葉の提案にゴーシュは、その美麗の容貌に浮かべた満面の笑みを変えない。声だけが、訝しげに紡がれる。
「キミと共闘して、ボクに何のメリットがあるんだい?」
「私の目的は、清神翼とシルベットの保護です。あなたの大切な義妹には一切手出しをしないことをお約束します」
ゴーシュの問いに美神光葉は答えた。
ラスマノスの周囲────半径数十メートル付近は、彼の躯から膨れ上がった毒龍の顕現する力である強毒と瘴気が勢力と範囲を拡大しつつある。近づけば、亜人であれど躯は毒され溶かされいくだろう。近接戦闘は不可能といえる。
”黒き剣豪”の異名を持つ美神光葉では、ラスマノスに太刀打ちところか近づくことさえ難しい。
主に剣術での近接戦闘を得意とする美神光葉では、このままでは太刀打ちできなくなるだろう。全長二メートル────六尺六寸一間もある麓々壹間刀の刀身を蛇のように蠢かせ、ラスマノスに伸ばしたとしても、操れる距離としては限界がある。ある程度、接近しなければラスマノスにダメージを与えることができない。
だからこそ、遠距離での攻撃を有効とした”見るものを死ぬ”といわれる呪力を持つとされる天叢雲剣を持つゴーシュの共闘とされる。
だが、ゴーシュは先まで敵対していた関係である。素直に応じるとはとても思えない。
ゴーシュには美神光葉を助けるメリットはない。天叢雲剣をラスマノスに見せて呪いを発動させれば、戦わずして葬ることができる。そのために、ゴーシュに美神光葉と共闘する必要がないのだ。
攻撃有効範囲が狭い美神光葉と共闘しても、ある程度、接近しなければラスマノスにダメージを与えることができないため、近づき過ぎて強毒と瘴気の餌食またはゴーシュが発動した天叢雲剣の呪いをまともに受けてしまう恐れを孕んでいるためにデメリットしかない。
だからこそ、美神光葉が最初にしなければならないのは、ゴーシュにメリットを持たすことだ。
ゴーシュの行動原理が義妹であるシルベットならば、彼女の命を保障することによって、美神光葉を生かすメリットを作り上げる。それにより、美神光葉にかけられた可能性が高い天叢雲剣の呪いを、一時的ながらも発動させることを防ぐことができる。
何とかこの状況を奪回するには、少ない可能性に一か八か賭けるしかない。
「先ほどは、不本意にも抵抗されてしまい、やむを得なく戦ってしまいましたが、義兄であるあなたが共闘を約束すれば、シルベットと戦闘を一切行わずに無傷で保護することを約束します」
美神光葉は、声音に真剣味を帯びさせて言葉を紡いだ。
交渉には信頼が大切だ。通常ならば、真実を隠して信頼を得るところだが、読心術を使えるゴーシュではすぐに見抜かれてしまうだろう。下手に隠し立てして怒りを買い、天叢雲剣の呪いを発動しかねない。
ここは、正直に真実を話すことにより、信頼を得るしかないだろう。
何より美神光葉とゴーシュは学舎では同期生にもあたり、【謀反者討伐隊】では同期であり、元【部隊員】だった時期もある。
それなりに二人には、ある程度の信頼関係はあるとみていいだろう。
現在、必要なのはそれを踏んまえた駆け引きだ。
このままでは、ラスマノスとの戦闘後にもう一戦、控えることになる。
相手はゴーシュだ。強毒と瘴気を纏わせた状態のラスマノスと戦闘を行えば、無傷では済まない。体力と魔力の消費は莫大といえる。そのあとに、未だに解明されていない呪いを持つ天叢雲剣を持つゴーシュが相手では、”黒き剣豪”の異名を持つ美神光葉でも厳しい。
美神光葉には、これから清神翼とシルベットを捕らえなければならない。ラスマノスが【創世敬団】の意思に反する行動を取った以上は、彼から二人を護らなければならない。ゴーシュが読心術を使い、美神光葉の心を読めば、厭でも気づくはずだ。
ただ、【異種共存連合】や【謀反者討伐隊】と違って、保護ではない。白露山内にあった古代遺跡──その壁画に描かれていたものについて、調べるためにある。
そのことを知られば、ゴーシュの逆鱗に触れる可能性は少なからずある。もしくはもう気づかれている恐れもあった。襲撃した理由の一つという可能性も考えなくもない。
しかし──
天叢雲剣の呪いを何故受けていないのか、見ただけで発動してしまう天叢雲剣と意思疎通を可能したのか、をラスマノスを倒してからにするといった彼の言葉に、ゴーシュも共闘を考えているんじゃないか、という淡い期待を感じていた。
言葉通りに受け取るのなら、少なくとも天叢雲剣の疑問に答えるまで美神光葉を生かすことになる。
ラスマノスの強毒と瘴気が拡大しつつある現状では、それに賭けるしかない。美神光葉は覚悟を決めて、ゴーシュの返事を待つ。
「へぇー、黒き剣豪ともあろうキミからボクに共闘を懇願するとは思わなかったよ。想像以上に、天叢雲剣の呪いが怖いのかな?」
ゴーシュの口が開くのは予想よりも早かったが、返事ではなかった。学舎にいた頃と変わらない茶化すような態度で美神光葉を笑いながら、はぐらかそうとしている。
美神光葉はゴーシュの問いに答えず、さっさと共闘するかしないかを返事だけ言え、といった鋭い視線を向けた。その視線には、若干の呆気に取られた反面、いつも通りの変わらない彼の態度に安堵も含まれていた。
その視線に臆することもなく、ゴーシュは肩をすくめながら相も変わらず応じる。
「まあ、いいよ。ボクから頼む手間が省けたし、久しぶりに共闘しょうじゃないか」
そう言って、ゴーシュは天叢雲剣をラスマノスに向けた構えた。美神光葉は賭けに勝ったことに安堵してから、麓々壹間刀の刀身をラスマノスに向ける。
「ふぁはっはっはっ、仔龍が一匹増えただけでワシの首を討ち取るとは思うな!」
二人をラスマノスは嘲笑するかのように口端をあげて、絹のように細い鋭利な刀身を向けた。周囲十メートル以上は、強毒と瘴気の靄が漂っているために肉薄して剣を交えることはおろか、容易に近づくこともできない。
「先ほどから戦っていた身とすれば、あの強毒と瘴気は非常に厄介です。下手に肉弾戦をしかけるのは危険です」
「じゃあ、近接戦闘は避けて強毒と瘴気の範囲外からの遠距離攻撃が安全策といえるわけかな。だけど遠距離攻撃じゃ、ラスマノスを倒す決定打にはならないね」
「おしゃる通りです」
ゴーシュの言葉に美神光葉は頷く。
「距離と威力によりますが、遠距離では手負いのラスマノスに致命傷を与えることはできません。強毒と瘴気を吹き飛ばし、頑強なるラスマノスの鱗を貫ける程の威力が必要不可欠といえます」
「ならば──」
ゴーシュは言葉を終える前に、風切り音を唸らせ、その場から消えた。いや、消えたのではない。まるでスイッチを入れたかのごとき勢いで、最初から疾風のような速度を上げたのだ。
彼の目に立ちはだかるのは、今なおも増殖・拡大し続ける強毒と瘴気の靄で出来た壁だ。 そう、まるで強大で巨大な壁だ。その壁に一人の亜人が見せて呪いを発動させれば、戦わずして葬ることができるであろう天叢雲剣を腰に納めたままで、我が身一つで突っ込んでいく。
あっという間に強毒と瘴気の壁に一メートルという近距離をもったところで、その場で留まると、ゴーシュは不敵な微笑みを浮かべながら鞘に手を伸ばす。
しかし手を伸ばしたのは、天叢雲剣ではない。天叢雲剣の隣にあった、もう一振りの刀剣である。
腰に携えていた一メートルもない鞘からゴーシュは躊躇いなく刀剣を抜くと、それは──幅広の刃を持った、全長四メートル以上はあろうかという、人間が扱うには長大に過ぎる剣だった。
虹のような、星のような幻想的な輝きを放つ、不思議な刃だけでも、およそ三メートル以上はある。鞘の内部を異次元空間に繋がらせる術式でも施してあるのだろうか。でなければ、明らかに大きさは合わず、長大で幅広い刀身を納めることは出来ない。
一.五メートル以下の天叢雲剣が玩具と感じざるおえない巨大な剣をゴーシュが軽々と振りかぶると、その軌跡をぼんやりとした輝く。それが何らかの合図だったのか、刀身の光が一層強いものになる。
刃に風が巻き付き、力が増していく。竜巻といっても申し分ないほどの風を纏った長大で幅広の剣を、
「──邪魔なものを吹き飛ばせばいいだけさ」
ゴーシュは、前方の強毒と瘴気の靄に向かって振り下ろした。
次の瞬間。凄まじい暴風が辺りを襲いかかり、強毒と瘴気は吹き飛ばされ、一瞬にして太刀筋の延長線上が拓けていく。
咄嗟に、ラスマノスは〈結界〉を展開したが、左に滑空して回避することに切り替える。
「────な」
ラスマノスは戦慄に染まった声を上げたところで言葉を上げられなくなった。
それはそうだろう。ゴーシュの一撃を、すんでのところで逃れたはずが、竜巻が起こす激しい乱気流に巻き込まれたのだから。
驚いたようにラスマノスの飛行は乱れる。上下左右と振られてその場で留まるところか、まともに飛行はできない。
集中力が途切れた隙を見計らい、風が〈結界〉内に侵入していき、ラスマノスの躯を巻き付くと、風は鋭利な刃となってき裂く。
ラスマノスは断末魔の叫び声はおろか、何らかの声を上げることも赦されることなく、細微塵に切り刻まれていき、ラスマノスの躯は呆気なく竜巻に喰われた。
術者であるラスマノスを失った〈結界〉はシャボン玉のように弾けて、天空を真っ赤に染め上げる。その光景を美神光葉は戦慄した眼差しで見つめる。次に、ラスマノスと同じ運命を辿るのは自分かもしれないのだから。
「実に呆気なかったね。ただ単に邪魔な靄を吹き飛ばそうとしただけなのにね。まさか、集中力が途切れてしまい、〈結界〉が弱くなったところを入り込まれて死滅するとは思わなかったよ」
ラスマノスの血肉が舞い散る空を背景に、ゴーシュは悠然と美神光葉は振り返った。その姿は、恐ろしくもあり美しくすらあった。
共闘は終わった。いや、共闘すらなかった。ゴーシュの一人勝ちだ。美神光葉が手を加えることなく、ゴーシュはラスマノスに勝ってしまった。天叢雲剣の呪術を使うことなく。
「天叢雲剣の呪術を使えば、無駄に血を流さずに済みそうですけど……」
「呪ってもラスマノスを完全に落とすことは出来ない。猛将というのは、ありとあらゆる呪いを受けているものさ。運が尽きない限りは死滅することなんてありえないんだからね。だからこそ物理的攻撃で倒す必要があったのさ」
「そうですか……」
ゴーシュの言葉から意図的に風を巻き起こし、ラスマノスの〈結界〉への集中力を削いだのは明確だ。
竜巻に煽られ、躯を立て直すために、集中力が飛行に向いたことにより、〈結界〉を弱めてしまったのは、ゴーシュや美神光葉を仔龍と罵り、高を括ったラスマノスの油断と誤算といえるだろう。
どんな相手であれ油断はできないということは、幾千もの戦争や任務で成果を上げていた彼らしからぬ敗因といえる。
でも無理はない。ゴーシュが携える天叢雲剣でないもう一振りの剣。虹のような、星のような幻想的な輝きを放つ、不思議な幅広の刃を持った、全長四メートル以上はあろうかという、人間が扱うには長大に過ぎる剣は一体なんなのか。”黒き剣豪”と謳えられ、あらゆる世界の武器をデータや実物やレプリカなどを収集するコレクターでもある美神光葉をもってしてもわからない。
武器について精通している美神光葉ですら知らないのだから、武器について並大抵の知識量しか持ち合わせていなかったラスマノスでは当然、わからなかっただろう。そんな彼が竜巻が〈結界〉内に入り込んだ瞬間に刃になるとは想定外といえる。
形状は、アイルランド神話に登場するクラウ・ソラス(又の名は、クレイヴ・ソリッシュ)やケルト神話に登場するフラガラッハと相似する箇所も見受けられる。どちらも投擲すれば、ひとりでに隠れた敵を探しだして倒すといった自動追尾機能を持つ剣だが、それらと違う。
剣自らが自動追尾してラスマノスを倒したわけではない。剣自らが生み出した竜巻によって倒されたのだ。
だとすると、某漫画に登場する犬の妖怪の牙で作られた刀に近い。
犬の妖怪の大将が自身の牙を刀鍛冶に与え鍛えさせたとされ、真に力を発揮させれば「一振りで百の妖怪をなぎ倒す」と謳われている妖刀は、風や妖気を利用した攻撃もできる。
しかし──
某漫画に出てくるその妖刀はあくまでも創作物であり、その漫画にだけに登場する得物で実際に存在するわけではない。
だとしたら、考えられることは一つだと、美神光葉は思い当たる節を見つけ、ゴーシュに視線を向ける。
その視線に気付いたゴーシュは、
「フッ……」
漏らし笑いを上げると、
「気付いてしまったかい」
ゴーシュは降参というばかりに手を上げて、肩をすくめた。
「ゴーシュ。まさかだと思うが……造ったのか?」
「ああ」
美神光葉の問いにゴーシュは短く答えた。
刀や剣は、鉄などの固い素材を加熱させ柔らかくし金づちで形を自由に変える鍛造という技術によって生み出される。
人間界の世界各国やハトラレ・アローラの各大陸は少しの違いはあるものの製法は変わらない。
古来より両界共に刃物を作るときに使われている製法で、剣や刀だけでなく包丁や鎌、彫刻刀なども作られている。だからといって、素人がすぐに習得できることはない。よっぽどの腕が立つ刀鍛冶でなければ刀や剣を一人で作り上げるのは不可能だ。
人間界、ハトラレ・アローラといった両界共に師匠と弟子が大槌と小槌で叩き合いながら、丹精を込めて形作るものであって、かなりの技術力を必要だ。しかし近年では、両界共に弟子の数が減少していることもあり、機械を使う鍛冶屋が増えてきている。
ペダルを操作することでモータが回転してハンマーを動かす電動ハンマーなどを使い、非常に楽に鍛造ができているが、それは一度弟子入りし長年学び続けて、製法を理解しているからこそ、弟子が少なくなってもなんとか刀を作り続けている状態だ。
よって、素人当然のゴーシュが自らが造れる可能性は低い。
造ったのか? という美神光葉の問いにゴーシュは答えたことから誰かに頼んだのだろう。
錬成して作り出すことも可能だが、かなり手間がかかる。まずは、適した材料を収集しなければならない。材料がなければ、刀剣へと錬成することは不可能だ。
一定の形と体積を持たず、自由に流動し圧力の増減で体積が容易に変化する気体を錬成しても実体させることができない以上に、実体を持たないものを錬成しても刀剣に変質させることはできないのだから。
適した材料を手にしたら、そのものの能力を数値化させていく。それに応じて不純物を取り除きながら、変質させていかなければならない。高温に熱して打ち付けるといった同等の力を与えていき、硬度・密度などを高くしていきながら、能力を最大限に生かせる形へと変えていくといった繊細な術式操作を何度か繰り返す。そういった手間を得てから、刀剣は完成するが余程の術者でなければ粗悪品を生んでしまいかねない。
だからこそ、精巧で美しい剣は魔術によって造られたものではないことがわかる。
機械を使うことになったことにより、鍛造にかなり労力と人力を使っていた昔と比べてみたら、楽で量産化しやすく品質も安定している現在で、自分好みでの注文依頼を引き受ける鍛冶屋が年々と少なくなっている。
そのことを考慮し、ゴーシュの頼みを引き受け、美しい刀剣を鍛え上げれる物好きな刀鍛治を美神光葉は一人しか知らない。
「貞村正峰か……」
貞村正峰は、高度な鍛冶や工芸技能を持ち、どんな依頼であっても受け入れる刀工である。
ハトラレ・アローラと人間界の両界を修業しに渡り歩き、日本の師匠から一字をもらったという”正峰”という雅号を受け継いでいることもあり、刀鍛冶として腕は確かで、ハトラレ・アローラでは右に出るものはいない。
「御明答。流石は、美神光葉だね。伊達に剣豪と武器コレクターとしてハトラレ・アローラで名が通っているだけのことはある」
「性格に難はあるが、腕がいいからな。私は一応、あそこの数少ない常連客だ」
ハトラレ・アローラ。北方大陸タカマガで玄武である地弦が首領・統括する中央都市、ヒミツキの外れにそびえ立つ、ウツミヤマの奥地にて、武器業(主に刀工業)の「貞峰」を営んでいる貞村正峰だが、真っ二つはおろか粉微塵にされた刀剣でさえも修復してしまうほどの腕を持つとは裏腹に貞峰は閑古鳥が鳴いている。
注文以上の刀剣を仕立て上げたり鍛え上げることも可能なほどに、腕は良いものの絶望的なほどに口が悪く、他者とのコミュニケーションが苦手なため接客には向いていない。彼の気まぐれで、わざわざ試すような悪質な嫌がらせ(彼によると気心が知れた悪戯)を仕掛けることもあるため、初めて訪れる客には逃げて行ってしまうことが原因だろう。
間諜業を生業とする美神光葉にとって、繁盛していたら行きにくいため好都合であり、腕もいいため、嫌がらせさえ何とか交わして耐え忍べば、不利益はないと考えているため、美神家当主として即位する前から通いつめている。
「マサミネが”ミツハに相手にされていない”とよく嘆いているのを耳にしているよ」
「相手にしたら、キリがないからな。可哀相だと少し構うと調子に乗るからな。それよりも私はあなたが貞峰に来ていたことを耳にしてはいないぞ」
「口止めしていたからね。ボクも美神光葉も故郷が近いのもあって常連客だが、現在の立場というものもあるし配慮じゃないかな」
「あのコミュ難だが、口が堅い刀鍛治がそんな配慮するはずないだろう。常連の私にあなたの情報が私に漏れず、常連の私の情報が筒抜けの時点で何かしたに違いない」
かなりの曲者で性格に難ありだが、腕がいいのと口が堅いのが貞村正峰の取り柄だ。ゴーシュが何らかの手段を使って口を割らせたのだろう。
「へぇー、どんなことだい?」
「……」
どんなことだい? とゴーシュに問われて、やはり何かしたのだろうとおおよそは理解した。が、その問いに答えることに美神光葉は窮する。
どんなことだい? というゴーシュの問いに関してはおよそのことしかわからない。最近、貞村正峰の元に訪ねたのはおよそ一ヶ月前だ。その時は貞村正峰に精神汚染は兆候は診られなかった。
だとすると、精神系の魔術ではない可能性は高いが、ゴーシュが訪れたのが美神光葉が訪ねた一ヶ月よりも後、およそ二十九日以内だった場合は、貞村正峰にどんな手段をもって口を割らせたのかは特定することはできない。
義妹以外の者には容赦なく、義妹に甘い彼が使う手段だ。惨たらしいことだけは想像がつくのだが答えが絞りきれず、未だに膨大な選択肢から、確信を得ることは出来ない。ゴーシュの問いに答えるには手がかりがまだ少な過ぎる。
彼の言葉や声音、表情を見て分析する。表情は眉を一ミリを動かさず、憎らしいくらいの微笑みだ。変わりはない。小莫迦にするかのような声音も変わりはない。言葉も、だ。
もし何もしてなかったら、ゴーシュなら間違いなく、”何もしてないさ。ボクが何かしたというのならば、まずは何かしたのかという証拠を見せることだね。まあー何もしてないのだから出てこないけどね”、とわざわざ不信感を与えかねない発言し、こちらを翻弄させる物言いをする。
しかし、それはなかった。代わりに何がしらの手段を使った際に口にする問いかけを行ったところを見る限りでは、した。
もしかすると、学舎の時と変わらない態度にやり取りをし、声音や表情に至るものは、こちらを翻弄するために演じている可能性もあるために不用意に返答が出来ないが、貞村正峰の口を割らすために何かしたのだろう。
しかし、重要なのは貞村正峰の口を何で割らせたのかではない。刀の製法に関して、ずぶの素人であるゴーシュにラスマノスを瞬殺した一振りの剣────虹のような、星のような幻想的な輝きを放つ、不思議な幅広の刃を持った、全長十メートル以上はあろうかという、人間が扱うには長大に過ぎる剣を作れるとは思えない。
だからこそ、刀を作り上げたのは──
「……あなたのその発言から、貞村正峰の元でその刀を作ったのは、間違いないみたいですね」
「ふふふ……」
ゴーシュは含み笑いを浮かべる。
あからさまに、美神光葉の言葉を肯定するかのような態度に、わざとなのかと勘繰ってしまいそうになるが、彼の普段がわざとらしく、あからさまである。本意、事実にもかかわらず、嘘っぽい。相手に不信感を与えることに長けているというのがゴーシュという男だ。
だからこそ、ゴーシュの含み笑いは少なくとも美神光葉の言葉を肯定している可能性が高い。
「まあ、貞村正峰が作った云々は解決したことにしましょう。貞村正峰の口を割らせた方法もこの際、聞かなかったことにしておきますが、彼に精神汚染の兆しが見えたら困ります。私はあそこの常連ですからね」
「そうしてくれると嬉しいね。まあ、学び舎からの同級で【謀反者討伐隊】で【部隊】を組んだ美神光葉は、ボクが何かを口にしてもわかっているだろうけど」
「そうですね。笑顔もわざとらしい、言葉も嘘っぽい、相手に不信感を与えかねない、どんな相手でも本気でもない憎たらしいのは変わらず、義妹を大好きなあなたのことなんてわかってます」
「ふっ……」
懐かしいやり取りにゴーシュはついに吹き出す。
「何がおかしいのですか……」
吹き出し笑いをしたゴーシュに、美神光葉は不快感をあらわにして訝しげに見据える。
「変わってないな。間諜を生業とする美神家の当主となった身としてどうなのだろうかと心配になってしまうよ」
「あなたこそ、相も変わらず不特定多数に不快感を振り撒いては敵を無駄に増やしていることは変わりないですね」
「増やしているつもりはないんだけどね……どうも、ボクは好かれるタイプではないようだよ」
何故なんだろうね、ゴーシュは肩を竦める。
自覚なし。自分が好かれない理由がわからないようだ。美神光葉は半目でゴーシュを見た後、頭を振ってから大きく嘆息した。
そんな彼女にゴーシュは言う。
「そういえば、ため息をすると幸福が逃げると云われているよ」
「そういう気遣いも全く無しに無神経に言うところが好かれない原因の一つだ」
数瞬の間も開けずに美神光葉は言った。
言ったところで、ゴーシュが少しも好かれるようにと無神経なところを変えようとは思っていないことは知っている。彼にとって、誰から好かれる好かれないは重要ではない。
現に彼は美神光葉の言葉に、ふ〜ん、と鼻を鳴らし、
「そうなんだ。まあ、シルベット以外に好かれても厭なだけだし、別に好かれなくってもいいかな」
と、笑って答えた。
相変わらず、行動の原動力は義妹のシルベットにある。だからといって、シルベットが言うことに従順ではないことを美神光葉は知っている。
学舎の時も、【部隊員】だった時も、耳にたんこぶが出来るじゃないかとシルベットについて自慢話のように口にしていた。
シルベットを護ることに対して異常的なまでの執念を見せるが、シルベットの頼み事を一つもまともに聞いてはいない。一方的な愛だけをシルベットに注いでいるだけに過ぎない。
「そんなに義妹に好かれたいのなら、少しは好かれるように努力したらどうなんですか……」
「半分だけでも血が繋がっているだけでボクは満足さ」
ゴーシュは、美神光葉の言葉に満面な微笑みを浮かべて、お決まりの言葉を口にした。
盲目の愛には言葉での説得も無意味だ。彼が一方的な愛だと自覚し、反省しない限り死滅しても治らない。
もしかすると、死滅しても魂だけとなって、一方的な愛を彼女に向けてしまうだろう。
だとしたら、シルベットの生涯の障害はゴーシュだ。遺跡の中にあった空間全体に描かれた絵に記されていたことを彼が知れば、障害ともなり得るかもしれない。
こちらとしては、仮にもゴーシュは銀龍族でも名家でもあるリンドブリムの一族である。遺跡の中にあった絵の意味を既に知っていそうだが、シルベットに一方的な愛を抱く状態では、何も聞けそうもない。
シルベットに義妹以上の好意を持つゴーシュにはどんな誘惑もきかない。口を割らせるには相当手こずるのは目に見えている。
無闇にゴーシュに伝えて、もしも知らなかった場合は、余計なことをしでかさない。そう見て、聞かないでおいた方がよさそうだと美神光葉は判断した。
「相も変わらずの義妹好きですね。実に気持ち悪いです……」
「よくいわれるよ。といっても、シルベット以外にそんなことをいってくるのは、キミと白蓮が主にだけどね」
「あんな種族問わず異性と交わる淫乱な男と一緒にだなんて不愉快すぎます」
白蓮と一緒にされて、美神光葉は嫌悪感をあらわにする。それも仕方ないことだろう。
白蓮。
人間界の五行思想においても、ハトラレ・アローラの大陸においても、白虎と同様に西方を守護する神聖な白龍族の一人にして、皇子でもある。
白龍族とは、古代中国では、天上界の皇帝である天帝に仕えていると記されているとおり、黄龍の次に高貴な存在として描かれていることが多い聖獣の一つだ。道教における人格神化した名前では、西海白龍王敖潤と呼ばれているなど、 日本各地の神社等においては祀られていることが多い。
人間界では高貴なイメージが高い白龍の皇子である白蓮に対して、美神光葉は良い印象を抱いてはない。むしろ最悪な印象だけしかない。ゴーシュとは違う方向で嫌悪感を抱いている。
理由として、白蓮は白龍族の中でも随一とは言わしめた性欲の持ち主だからだ。
皇子という権力を大いに振るい、種族昼夜問わずに異性との淫欲を貪り尽くす白蓮は、西方大陸ヨルムンのみならずハトラレ・アローラの中でも悪評高い。出逢い頭に淫らなことに誘い込み、逃げれば執拗に付け回し。ひとたび一夜を共にしてしまえば、果てるその日まで彼を忘れられることはできないという。
白蓮は、空を飛ぶことに優れており、他の龍族よりも速く飛ぶことができる白龍族の中でも飛行速度が高く、群を抜いている。最高速度に達した白蓮には如何なる者にも追いつくことはできない。同時に追う側となった場合は、その並々ならぬ速度から逃がれることが容易ではない。美神光葉をもってしても、いくら逃げても逃れることは不可能だ。異性にとって、並々ならぬ速度をもって、執拗に追いかけてくることは恐怖でしかない。誰かに助けを求めても音速を超越した速度をもって逃げてしまうため、タチが悪いすぎる。
高い飛行速度はあるものの、打撃力は劣るため、一撃必殺で標的を墜とすことが出来ない白龍族は、動態視力や身体能力は全て飛行速度を上げるためのものである。逃げに煎じて、標的がこちらを見失った隙を見て、背後から連撃で標的を墜とすという古来からの狩りによって、より速い獲物を捕らえようとして進化したためにあるが、白蓮は異性を追いかけ回すためにある。加えては、逃げ足も速いというから白蓮に対して、ゴーシュとは違う方向で非常に迷惑窮まりない厄介な存在という認識でしかない。
「あれでもいいところはあるよ」
「ないです」
美神光葉は、白蓮を何故か庇うゴーシュに即答する。
「私生活がふしだらでも与えれた任務をしっかりしていれば、少しは見直すのですが、彼にはありません。ちょっとしたことで音を上げる根性無しで魔術も上手く使いこなせず、攻撃も防御も人任せ。少し危なくなったら一人だけ逃亡。彼のどこがいいのか私にはわかりません」
美神光葉は断言した。
私生活も素行も悪い。協調性は無し。任務でも使いものにもなれない。飛行速度だけがずば抜けているものの、それは逃げ足が速いのと異性を追いかけるためにあるだけである。
黙って普通にしていれば、皇子というだけあって整た中性的な顔立ちは少しは異性にモテそうなものを、淫らで舐めるようなふしだらな歪ませて台なしにしてしまっている。それが残念で仕方ない。
白蓮のどこがいいのか、という美神光葉の言葉にゴーシュは十を数える間を考え込み、
「そうだね。美神光葉のいうとおりだ。ボクとして、白龍族の皇子で飛行速度がずば抜けているが、戦闘能力に全く生かしきれていないというイメージしかないね」
と、同意を示す。
「国の予算も猫ババして女の子の尻を追いかけ回しているし、ろくなものじゃない」
ゴーシュは、白蓮が現在置かれている立場を思い出して失笑した。
七年前に皇嗣として即位した白蓮は、本来は国を運営していくための必要な税金を個人的なこと(主に異性関係)に使ってしまったことが国境線近くの大河が大雨により増水し、堤防が決壊、氾濫を起こしてしまったことがきっかけで発覚した。本人は悪気もなく莫迦正直にもそのことを認めてしまい、全国民から批難の的にされたことは記憶に新しい。
西方大陸ヨルムンは山岳地帯がある中央を国境線に、最低温度が摂氏二十五度で夜になっても二十度以下にはならない熱帯地帯である南側を白虎が、最低温度が零下二十五度で昼間になっても十五度以上は上がらない極寒地帯である北側を白龍族が領土を納めている。
南北と気候差が激しいヨルムンでは、東や南東からの暖かく湿った風が、白夜が領主とつとめる諸島近海で形成が始まり低圧部が、熱帯低気圧に発達しやすく、熱帯雨林、山岳地帯とぶつかることで上昇気流が生じやすい。それにより、広い範囲で雨雲が次々と発生させてしまい、嵐が襲う。その殆どが人間界ではこれまで観測された倍の台風が吹き荒れる。最低でも九百九十九hPa級の嵐が吹き荒れ、白龍族が納める西と北西を縦断していくことが多い。
その度に、国境近くの大河は氾濫することは少なくなかった。大河には、氾濫する度に補修工事を行った一千万キロに及ぶ堤防がある。南北の領主が堤防を管理し、もし堤防が氾濫または決壊した場合は、それぞれが領地内の堤防を修復するという誓約をしていたのだが──
七年前に二千hPa級の大台風が発生し、有象無象の大災害が起こった。その際、大雨により大河だけではなく、西方大陸ヨルムンの全ての河川が氾濫、決壊が相次いだ。
この台風の影響により、河川沿いに面した都市部に大洪水が起こり、水や土砂に襲われ死亡した者が続出した。特に、被害が最大となった大河流域での多くの河川の氾濫だろう。堤防が一千キロもの幅広く決壊したことにより、南北含めて三十五もの都市が浸水してしまった。これは西方大陸ヨルムンにおいて、創成期時代以来の大災害だ。
それにより、南北の堤防の大規模な工事が余儀なくされた。台風が起こりやすい地域のために、堤防の工事を早く着手しなければならない。
しかも、これまでの想定を見直し、嵩上げして修復しなければ、また同じ規模の嵐が訪れてしまえば、災害は繰り返されてしまう。そうならないためにも、白夜はあらかじめ決められた通りの責任を果たすべく、早々と先陣をきった。
白虎は、青龍とともに邪を沈める神霊獣でもある。
邪を寄せ付けない戦神である彼は、災いを振り払う責任があった。
強大な台風に臆することなく、浸水地域の住民を河川沿いからなるべく離れたところに避難させ、安全を確保させると、まずは氾濫する河川を食い止め、土手を十分な高さまで嵩上げまで構築。堤防を一気に構築させた。悪を懲らしめ善を高揚し、財を呼び込み富を成し、良縁を結ぶといった多種多様な神力を持つ白虎である白夜は、その力を活用させて、領土内の氾濫を食い止めることに成功させた。
その後は、亜人でさえも舌をまく仕事ぶりで、白夜は五千億以上の予算が投入して堤防を建て直させた。領土内の氾濫・決壊した堤防の改修やその近辺の浸水した都市部の補修を行政と協力して行い、西方大陸ヨルムンの権勢や尊貴の象徴として尽力を尽くした。そうやって建て直された堤防や都市部は、現在氾濫・決壊は起こってはいない。
こうやって、英雄である白虎の名は国内外に称賛されたに対して、白蓮たち白龍族は一切の国民の保護を行わなかった。
白夜のように浸水地域の住民を河川沿いからなるべく離れたところに避難させ、安全を確保させると、まずは氾濫する河川を食い止めることはしなかったところか、大河以外の氾濫・決壊した堤防の改修やその近辺の浸水した都市部の補修を半年経過しても行わなかった。それにより、国民からの白蓮ら皇族に対しての批判が殺到する。
それに、”こっちはこっちで楽しいことしてんだから邪魔しないで、そんな面倒くさいことは白夜がやってよ”、と年老いた父の代わりに責任を受け持つ白蓮が、国の状況を知りながらも私的旅行から戻らず、事実上、責任放棄した。それだけではなく、災害時に改修・修復・補修するための運用費を私的に使い込んだと口を滑らせた。
これにより、当然ながら北側の国民たちだけではなく、西方大陸ヨルムンの全国民が白蓮に非難した。”川の管理を怠り、女遊びをしたふしだら皇子”として罵られ、皇嗣退任のデモまでも起こってしまったことは記憶に新しい。
そして、致命的だったのは、私的旅行から帰った際に、”密林の護り神である白夜が川の管理をまともにしないから”だと、自分の責任を白夜に押し付けておいて、開き直りとも取れる発言をしてしまったことだろう。
これにより、”自分の浅はかさが招いた過ちを英雄である白虎になすりつけた愚かなふしだら皇子”として西方大陸ヨルムンの国内外からの猛非難を受けることになった。
白蓮のあまりにも無責任な言動や態度に見かねた白夜が急遽、北方大陸タカマガに救援を要請し、援軍として駆け付けた地弦と共に北側の台風の影響で災害が起こった地域の改修・修復・補修を行った。これにより、北側の氾濫・決壊した堤防の改修やその近辺の浸水した都市部の補修は済んだが……。
半年間、放置したために住民の半数が亡くなった。これにより、白蓮は皇嗣として即位して早々、自分の株を大いに落としたことは言うまでもない。
これに懲りて女遊びを止めてくれるかと思えば、まだ良かったことだろう。
「まさか、懲りずにやるなんて失笑ものだったよ……」




