第一章 三十二
翼のポケットの中に入れておいた携帯電話が、急に軽快な着信音を響かせたことが合図となり、シルベットとシンがほとんど同時に地を蹴り、激突した。
ドッ!! という轟音と共に、天羽々斬と一メートル弱の細身の西洋剣が、鍔に近い位置で拮抗した音と共に衝撃波が放出される。
その圧倒的な衝撃波が消失しかけていた〈結界〉にとどめをさした。
翼を護っていた白銀の〈結界〉は呆気なく破壊され、翼は紙屑のように吹き飛ばされる。その圧倒的な風圧により、情けなく地面に叩きつけられ、転がされる。数分前までは塀だった瓦礫にぶつかり、ようやく止まった翼は横になったまま動かない。
「ツバサッ!!」
翼を守護する役目を預かっているシルベットは、力づくでシンを振り払った。
後ろへと跳躍し、シンに隙を見せないように横目を走らせる。
シンは構えていた西洋剣を下ろし、さっさと安否確認しろと言わんばかりに目で合図してからため息をつく。
安否確認している最中に襲ってくるつもりはないのか。それとも油断した隙を襲ってくるのか。シルベットはシンに警戒を緩めることなく、翼の元に無事かどうかを確認するために駆け付ける。
駆け付けたシルベットがまず行ったのは、意識の確認だった。
「ツバサ」
肩を軽く叩きながら名前を呼ぶが返事はない。
無闇矢鱈と身体を揺すったり動かしたりすることはよくない。
次に、息しているかどうかを確認する。
呼吸によって胸が上下しているのを見て確認したシルベットは、口元に掌をあてて、自分の肌で息をふきかけられるのを感じた。
シンに警戒を走らせながらも耳を翼の口元に近づけ、呼吸している音を聞き、確認し終えたシルベットは手首を優しく触れ、脈拍を確かめる。
ドクンドクンと翼の脈拍を指先を感じ、ひとまずの安堵をシルベットは浮かべた。
だが、安心は出来ない。
外傷がないかを確かめる。
パッと見える範囲だと、外傷は擦り傷だけで命に関わる程ではない。昨日流し込んだシルベットの血液の効果が未だに効いているのか、すぐに傷は塞がっていた。
これなら内出血したとしても、治癒されることだろう。だからといって、このまま昏倒したまま戦場に寝かせるわけにはいかない。
シルベットは、ゆっくりと翼を抱き起こす。安全な場所に避難をしょうとしたところで、シンは二人の前へと行く手を塞ぐように立った。
彼の目的は、この二人だ。そう簡単に逃がすわけにもいかないのだろう。
「どけ」
翼を抱き抱えたシルベットは、立ち塞ぐ男を睨みつける。
「邪魔だ。ツバサを安全な場所へ連れていったら、いくらでも相手してやるから、そこをどけっ!」
翼を連れていこうとするシルベットに、シンは咆える。
「通すわけにはいきません! こちらとしては、美神光葉様に翼様を受け渡すまでは通すわけにはいかないのです」
「ミカミミツハ? ああ……あの“黒いの”か………」
「黒いの、とは……、光葉様のことですか」
「あのラスマノスと戦っている、“黒いの”ことをミカミミツハならそうなのだろ?」
御主を“黒いの”呼ばわりするシルベットに、シンは沸々と怒りをたぎらせた。
シルベットが誰の名前も覚えずに、簡単な呼び名で片付けることは、【部隊】を組むエクレールと蓮歌、ドレイクや抱き抱えられている清神翼以外は知らない。
「そうだ。あのラスマノスと戦っているのが美神光葉様だ」
「おお。そうかそうか。だからなんだと言うのだ。私とツバサを連れていって何がしたいのだ? 連れていって、貴様とあの“黒いの”は何がしたいのだ?」
「…………」
シン・バトラーはシルベットの質問を無言で返す。翼を抱き抱え、名前を教えてもらったのにかかわらず御礼など一切言わないどころか、教えてもらったにもかかわらず、美神光葉を再び“黒いの”呼ばわりするシルベットに対してシンの胸中に、怒りが吹き上がった。
ため息を鳴らすように、シンは怒りを押し殺して小さな声を出す。
「……不躾な質問で申し訳ございませんが────あなたは、名前を覚える気はありますか?」
それは素朴な質問だった。シルベットに関わった者ならば、一度は考えるであろう疑問でもあった。
幾度に渡りその疑問を彼女──本人に何度もぶつけたある少女がいたが、その度に一切の悪気無しで素直に答えていた。その少女と同じ疑問をぶつけたシンに対しても、答えは変わらない。
「名前なんてものは、その気があれば覚えている」
「それはないと判断していいんですね……」
「何を言っているんだ貴様は……? それよりも、さっさとどけ老いぼれ」
シルベットの何気なく出された答えと態度は、シンというよりも御主である美神光葉に対して愚弄していると感じてしまうのは無理もなかった。
「言葉遣いもなっていないようですね。これは連れていく前に矯正する必要があります」
シルベットは、やれやれといった顔をする。
「貴様らの事情など知ったことではないが……礼儀悪さは貴様に言われたくない。まずは、そちらが私とツバサを何をするか事情や理由も話すべきではないのか。何も話さない輩にほいほいとついていくほど、私はお人よしでも莫迦ではない。答えなければ、こちらとしても実力で抗うのみだ」
翼を横に優しく寝かせ、シルベットは天羽々斬を構えると、シンは、西洋剣を刺突の構えを取る。
「交渉は決裂いたしました」
「そうだな。だが────戦う前に、先に条件がある」
「なんですか? 命乞いには応じませんが……」
「命乞いなんて死んだってしない」
「では、なんでしょうか?」
「ツバサを近くに避難させたい。それなら、いくらでも戦ってやろう。本気でな」
「ふん。よろしいでしょう。こちらとしても、清神翼を戦いに巻き添えにするわけにはいきません。ただし、私も同伴させていただきます。下手に隠して行方を暗ますことはいきませんから」
「……致し方ないが、仕方ない。わかった」
シルベットとシンは、清神翼をちょっと離れた学校の校舎に避難させてから、改めてシルベットとシンの戦いは、幕を開けた。
◇
戦域は、更に拡大し始める。
強大な力の奔流は、暴力的な烈風を生み出して、進行方向の延長線上にある全てを薙ぎ払っていく。
〈錬成異空間〉内に、現実世界そっくりそのままに創られた街並みは滅茶苦茶に千切り飛ばされ、まるでミキサーの中にでも放り込まれたようにぐるぐると渦を巻いて上空に放り出される。台風よりも強大な質量で木々などは根から掘り起こされ、弾丸のように周囲に放り投げられていた。
それはまさに暴虐なる狂力。狂いながら目に付く一切を捻り切る、理性なき暴力の具現。
その渦巻く力が衝突する、その中心にいたのは──
美神光葉とラスマノスだ。
美神光葉は、漆黒の巫女装束に似た衣にいびつな鎧を身に纏い、腰まで伸びる漆黒の髪を揺らし、全長二メートル────六尺六寸一間もある麓々壹間刀を突き出す。毒々しい怨念らしいものを含んだ全長五メートルはある大振りの長剣を持ち構えるラスマノスに、容赦なく刺突を食らわせながらも魔力を刀の先端部に集中させる。
闇色に輝く力の奔流が巻き起こる好機を見計らい、美神光葉は両腕をクロスさせて頭ごとを護りながら、勢いよく後方へと下がりラスマノスから離れると、猛烈なまでの光線を放出させると、百六十デシベルの爆音と六百万カンデラの強烈な閃光は、室内の暗闇を一瞬にして塗りつぶし、天も地も、ありとあらゆる景色が青白い闇の中に飲み込んだ。
彼女が放ったのは、閃光弾とほぼ変わらない閃光と超音波を引き起こす魔術だ。この閃光をまともに直視してしまった者は、苦痛さえ伴う輝きに目が眩み、耳鳴りの嵐に覆われる。失明、眩暈、難聴、耳鳴りなどといった症状と、それらに伴うパニックや見当識失調を発生させ、一時的な無力化することができる。
至近距離で爆発すれば、亜人といえど火焔による火傷などの効果が見込めるものの、敵味方関係なく無差別に閃光と超音波が襲いかかるために周囲や術者にも影響を与えてしまう。
人間がいれば超音波を伴う爆轟によりショック死する恐れも孕んでいるために、行使する場合は周囲に敵以外の亜人も人間もいない状況がもっとも最適といえる。
幸いなことに、シルベットとシンは清神翼を連れて場所を移動したために、この条件に当てはまる。これなら行使することができると踏んで、美神光葉はただの刺突と見せかけて行使した。
美神光葉に、閃光と爆音が放出される寸前に間違っても直視しないように、両腕をクロスさせて頭ごと覆って躯を後退させたが無傷ではない。
目はうっすらと霞み、耳はくぐもったように聴こえる。それでも、爆撃をまともに直視したラスマノスよりは有利といえる。
美神光葉は、〈魔彩〉──魔術的視界を発動させて、薄ぼんやりとした視界を補正し、麓々壹間刀を構えて、前方で浮遊するラスマノスに一瞥した。
「目が、目がぁ〜」
ラスマノスは叫び声を上げて、目を覆いながらこの場から逃れようと手探りで辺りを彷徨っていた。美神光葉と違い、視力と聴力の双方を失ったことにより、恐慌状態の渦中にある冷静な行動など出来るはずもない。
──これなら光討ちが出来る。
美神光葉が所持する麓々壹間刀は、本来は闇での斬撃────視界を狭い状況である相手を闇討ちする時に最大限の攻撃力を発揮する。
しかし紅い月と光源があるこの〈錬成異空間〉の中では、魔術を行使しても、ラスマノスを最大限の攻撃力をもって撃つことは不利といえる。だからこそ、美神光葉は閃光弾とほぼ変わらない閃光と爆音を引き起こし、ラスマノスの視界と聴覚を奪うことにより、わざわざ本来の闇討ちに似た状況を作り上げたのだ。
これにより、明るくとも麓々壹間刀の本来の力を最大限に引き上げることができる。
美神光葉は、真っ正面から肉薄していて、ラスマノスめがけて麓々壹間刀を振り下ろす。
魔力を相手に気づかれないように最低限に纏わせた麓々壹間刀の刀身が、まるで意志を持ったかのように蠢き、ラスマノスに伸びた。
どくろを巻くようにラスマノスに取り囲んだ刀身を美神光葉は横滑りしながら引くと、蛇のように蠢き、一気に巻きつく。
しかし──
ラスマノスの躯を切り裂く寸前で、〈結界〉を展開し、蛇のように巻きつこうとする麓々壹間刀の刀身を難なく防いだ。
「──……っ!?」
「ほう。これが闇討ちならぬ光討ちというものか。なかなかの威力だな。褒めてやる」
ラスマノスはまだ視界が戻っていないのか、周囲を彷徨わせながらも狂気の微笑みを浮かべていた。
光討ちを防がれた美神光葉は、ラスマノスに伸ばした麓々壹間刀の刀身を戻しながら後退しながら思考を巡らす。
これは一体、どういうことなのか。光討ちを行使したことはこれまで片手で数えられるほどに少ない。
諜報員として美神光葉は、自らの手の内である光討ちを使うことを極力控えることにし、漏れることに細心の注意を払っていた。
だからラスマノスの下に就いてから、少なくとも四年と六ヶ月は一度もない。
にもかかわらず、ラスマノスは美神光葉の光討ちを使うことを知っていた。どこかで情報が漏洩したとしか考えれない。
一体、誰が……。美神光葉はきな臭さを感じながらも、ラスマノスの視界と聴覚が完全に取り戻す前に次なる一手へと切りかえる。
美神光葉がラスマノスに集中した隙に、背後から迫る人影に気づく。
「はあああああっ!」
「なっ……」
電光石火のごとく背後から接近した人影に、美神光葉は〈結界〉を展開して防ぐ。人影が横殴りに振り払った刀身は、美神光葉が瞬時に展開した〈結界〉の上部を切り裂いた。
彼女の頭上まで刀身が届く寸前で、麓々壹間刀を下から振り上げて、一閃。
振り払って防いだ美神光葉は、突然の闖入者を、かすむ目を凝らし、見ると────それは、銀翼銀髪の青年だった。
漆黒のスーツに身を包んだ高身長。少しくすんだ白銀の短髪。貌にナイフで切り込みを入れたかのように鋭い双眸。どこか食い意地が張った少女の面影がある端麗な顔立ちは、女性でも羨んでしまうほどに美しい。
「お、お前は……っ」
「やあ。いつぶりの再会かな腹黒い美神光葉」
白銀の短髪を風で靡かせて、殺そうとした相手に向けるには爽やかすぎる微笑みを讃えた青年は、少しばかりの皮肉を込めた言葉を美神光葉に向けた。
そんな青年の名を、美神光葉は憎々しげに口にする。
「ゴーシュ。──ゴーシュ・リンドブリム」
ゴーシュ・リンドブリム。
彼は、人間界と並行する異世界であるハトラレ・アローラにある北方大陸タカマガで、聖獣である玄武や黒龍族と共に守護する銀龍族。その名家の一つである水無月家の第一皇子。シルベットの義兄だ。人間との混血である義妹のシルベットとは違い、混じり気無しの純血。それはすなわち、銀龍族の正統な皇子である。
「〈ゼノン〉に関して、私に恥をかかせただけでは飽き足らず、殺しに来るとはいい度胸ですね……」
美神光葉は、頭上まで迫った刀身をゴーシュと共に薙ぎ払うと、怒りの色に染めた目をゴーシュに向けた。
やれやれ、と怒りの目を向ける美神光葉に、
「キミのことは知っちゃこっちゃないよ」
と、ゴーシュは肩を竦ませて爽やかに吐き捨てる。
「ボクの中心は、愛しいの義妹シルベットだけさ。彼女以外はいない。それだけさ」
「…………」
ゴーシュの言葉に美神光葉は首を傾げた。
一体この男は何をわからないことを……、といった表情を浮かべながらも警戒の目をゴーシュに向けている。
「相も変わらず警戒心が強いね。やはり諜報なんかやっていると汚れていき、全てに裏があると何事にもそんな目を向けてしまうだろうね。そうすると、我が愛しいの義妹シルベットはピュアすぎるのだろうか」
「黙れッ!」
美神光葉は、裂帛の声を上げて一閃をゴーシュに放った
だがその一閃は、ゴーシュに届く寸前で、周囲三メートルほどの球型の〈結界〉に阻まれ、弾かれる。
次いでに、ゴーシュは手にしていた刀剣を爽やかな微笑みを絶やさないままに振るう。
「く──!」
美神光葉は咄嗟に麓々壹間刀で防御をした。
そのまま、鍔ぜり合いと持ち込み、躯が密着するほどの近距離まで近づき、美神光葉はゴーシュが持つ刀剣を見て驚愕する。
ゴーシュが握っていたのは切れ味も装飾性も特化された華美なる神剣。棟などない両刃────諸刃の剣だ。ハトラレ・アローラでは剣豪と謳えられる美神光葉はあらゆる世界の武器をデータや実物やレプリカなどを収集するコレクターでもある。勿論、人間界の武器にも精通しているためにゴーシュが所持する刀剣の正体に気付いた。
「……お前。……そ、それは」
「やっと気づいたかい、腹黒くってボクが我が愛しいの義妹シルベットの話を聞くとご機嫌ななめになる美神光葉」
ゴーシュは、まるでお気に入りのおもちゃを自慢する子供のような微笑みを浮かべた。
美神光葉は、ゴーシュが手にしている刀剣の名を言う。
「あ、天叢雲剣……」
天叢雲剣。
三種の神器の一つであり、草薙剣、草那芸之大刀という異名も持つ神剣ある。熱田神宮の神体となっており、三種の神器の中では天皇の持つ武力の象徴であるとされる。
現在は、熱田神宮と三種の神器の一つである勾玉と共に、皇居の「剣璽の間」に神剣(形代)が宮中に祭られているそれを──
「ゴーシュ。何故、お前が……?」
「盗んだわけじゃない。ちょっと、借りただけさ」
「呪われますよ……」
天叢雲剣には、幾つかの曰くがある。天智天皇七年に新羅の僧・道行が熱田神宮の神剣を盗み、新羅に持ち帰ろうとした。しかし船が難破して失敗し、その後は宮中で保管されたという。
そして、朱鳥元年六月に天武天皇が病に倒れたとされる記述がある。これに占い師を呼び、『いつまでも宮中に神剣を置いたままにし、熱田に戻さない為、神剣の祟り』だということで、陰陽師により御祓をしたが、それでも神剣の祟りが解けず熱田神宮に戻された。
それと、神剣を見た神官は病の祟りで亡くなったとの逸話も残されている等ある。
所有しただけではなく、見る者までも神罰が行りうる剣をゴーシュは気軽に抜いていることに美神光葉は怒りを覚えたが、当の本人は気にすることはない。
「大丈夫さ」
「何が大丈夫だですか義妹大好きな大莫迦者がっ! そんな貴重な刀剣を持ち出したなんて、人間たちが知れば大事に────」
「ならないよ」
ゴーシュの言葉は美神光葉が話を終える前に遮る。
「宮中正殿の間で行われる皇位の継承────剣璽等承継の儀とか特別な祭祀以外は、お目にかかることがないわけだし。それどころか、祟り等を畏れ中身を開封して確認とかしない代物なわけだから、同等の重量がある刀剣を代わりに入れときゃ、しばらくは大事になる心配はないさ。大丈夫、用が済んだらボクが責任をもって元に戻しておくよ。ちゃんと、浄化してね」
「そういう問題じゃない!」
大それたことを余裕綽々と言ったゴーシュに美神光葉は一喝した。
「たとえ大事にならなくとも、その剣は人の目に触れてはいけないものということがわからないのですか?」
「ふふふ……。わからないよ武器コレクターの美神光葉」
ゴーシュは、美神光葉を嘲笑いながらも答える。
「確かに、人間の目に触れれば大変なことになるのはいくらボクでもわかるさ。──でもね、必ずしも天叢雲剣の呪いが発動するとは限らないということだよ」
「どういうことですか……」
美神光葉は訝しげに顔をしかめた。
見たものを死に誘ってしまう呪術を持つとされる天叢雲剣の呪いは、人間界の中にある呪力の中では強力な分類に入る。その対象は、異世界であるハトラレ・アローラの亜人も例外ではない。
【謀反者討伐隊】が、日本の神剣について調べようとした時があった。天叢雲剣についても例外なく調べようとしたが、人間側が御璽の箱を開けることをためらった。
御璽の箱とは、天叢雲剣が入った箱のことである。
五尺(約一.五メートル)ばかりの木箱に、二尺七、八寸(約八千百八十四センチ)の刃先が菖蒲の葉のようになり、中ほどはむくりと厚みがあり、全体が白い色をした刀身だけの剣が入っているとされている。
当時の日本からすれば長大に過ぎる天叢雲剣を御璽の箱を開けずに調査するために、【謀反者討伐隊】の調査員は魔術的視界をもって観測したのだが、天叢雲剣に施された見たものを死に誘ってしまう呪術が発動したという実例があった。
調査員にかけられた天叢雲剣の呪いを解こうとしたが、難攻不落の術式が組み込まれているだけではなく、複雑に変動するためにハトラレ・アローラの魔術をもってしても防ぐことも解呪することも不可能に近い。
だからこそ、”必ずしも天叢雲剣の呪いが発動するとは限らない”というゴーシュの言葉に矛盾が生じる。
「無差別といわんばかりの天叢雲剣の呪いを、御璽の箱を開けず魔術的視界をもってしても発動してしまった天叢雲剣の呪いを防ぐ方法があるというのですか!」
「武器に精通しているキミならわかっていることだが……、天叢雲剣について知っているだろ?」
「……」
ゴーシュの問いに、美神光葉は首肯して答えた。
天叢雲剣とは、日本の伝承では高天原から出雲国に至ったスサノウノミコトがクシナダヒメを助けるため、天羽々斬で八岐大蛇を倒した時に、尾の中から出てきた剣として記載されている。
八岐大蛇とは、「洪水の化身」として日本の伝承に登場する伝説状の生物とされている。日本神話や古事記では、頭と尾はそれぞれ八つずつあり、眼は熟した鬼灯のように赤く光る目を持つ。常に爛れた血の滲む腹を引きずり、蛇のようにうねりながら進む。背中には松や柏が生えていて、八つの山ほどに巨体だったこと描かれている。
ハトラレ・アローラの歴史書では、八岐大蛇は二千年ほどの前────ハトラレ・アローラの歴史上で最悪の時代──暗黒時代にて南方大陸ボルコナより南西およそ一万キロ程にある暗黒大陸から侵略しょうとしたヒドラと共に侵略してきた蛮族の一つと考えられており、七人の英雄から難を逃れた八岐大蛇が〈ゲート〉に逃げ込み、人間界――日本に降り立ったところでスサノウという戦士にやられたといった途中から日本の伝承とほぼ変わらない内容で記載されていた。
だが──
八岐大蛇が強力な呪力を施されていた天叢雲剣を所持していたのか、所持しておきながらも八岐大蛇はそれを使わずに日本界に逃亡したのか、どのようにして尾の中に隠していたのか、といった幾つかの不可解な点は明らかにされてはいない。
数々の諸説があるが、天叢雲剣には未だにこれといった解明をされてはおらず謎が多い。全てのことを解明するには、やはり天叢雲剣の調査が必要だが、既に天叢雲剣の呪いにより調査員が死亡してしまっている以上は、人間側も亜人側も呪いを畏れてしまっている以上は、再調査が不可能だろう。
三種の神器として天皇が所持している以上は、むやみやたらに調査することは憚れるだろうし、天叢雲剣の呪いは亜人としても畏れるレベルのものだ。それを持ち出すゴーシュの神経がおかしいのだ、と美神光葉は心の中で大いに罵った。
ジト目で睨む美神光葉に、ゴーシュは気にするそぶりを一切見せずに彼女に言う。
「天叢雲剣については、謎が多い代物だ。ハトラレ・アローラ、または日本の伝承から照らし合わせている限りでは、天叢雲剣がどちらの両界で生まれたものかは定かではない。──ただ、ハトラレ・アローラに数少なく存在する意志を持つ宝剣に似た性質を持つ剣であることは確かだろうね」
「天叢雲剣に意思があるというのですか……」
「そうだよ。意思疎通をしっかり行えば呪いは対象外ってことさ」
ゴーシュの肯定は、天叢雲剣に麓々壹間刀と同じく意思を持っているということを意味していた。
武器コレクターでもある彼女は、麓々壹間刀の他にも意思を持つ宝剣があることを知っている。
現在、ハトラレ・アローラで確認されている意思を持つ宝剣は、十五本。ハトラレ・アローラの五大陸の上級種族にそれぞれ一、二本は意思を持つ宝剣を所有しており、美神光葉が所持する麓々壹間刀もその中の一つだ。
暗黒時代前には、二十六本程は確認されていたのだが、戦争の中に十一本程が紛失してしまい、所在が確認されてはいない。
その中に、天叢雲剣があるのかどうかに関して、ハトラレ・アローラや日本のどちらの伝承では、八岐大蛇の尾の中から出てきた神剣と象徴的に描かれ、八岐大蛇がどの時点で天叢雲剣を所持していのかといった経緯が抜け落ちており、何らかの力が持っているとしても意思を持っているかどうかは定かにはされてはいない。
天叢雲剣に意思があるという言葉を肯定したゴーシュに、美神光葉は天叢雲剣に意思疎通をはかる際に致命的な問題があることを言う。
「宝剣と意思疎通をはかるには、直接見なければならない。魔術的視界をもってしても発動してしまう呪いを持つ天叢雲剣とどうやって意思疎通を通わせることが出来るのですか……」
意思を持つ宝剣と心を通わせるには、互いの相性をはかるために継承の義をし、直接の対面が必要だ。
継承の義に関して家柄で様々だが、王位・主位が譲位・崩御の後に、次期王位・主位継承候補から選ぶ際に儀式を行う。この儀は、宝剣の対面と初顔合わせといっても過言ではない。対面して宝剣が継承者として認めれば、王位・主位を無事に引き継がれることが出来る。
だが、継承者たり得ないと宝剣が判断した場合は、王位・主位は引き継がれることが赦されない。
継承基準は不明瞭な点がかなり多く、病魔に冒され指揮を執るのもままならないほど衰弱いたとしても、治めるべき国を離れて放浪の旅ばかりをする気まぐれな者だとしても、果ては自身の野望のために国を割るように暗躍している者ですらも、継承者として認められることがある。
次期当主・王位候補がいくら健康体で治める国をよりよい国へとしょうとする清純君主であっても、宝剣と意思疎通できなければ、王位・主位は引き継がれることが出来ない。
「そういえば、無事に美神家当主と麓々壹間刀と継承したんだったね。まあいいや。どうやって、天叢雲剣の呪いを対象外したかについて────」
ゴーシュは、美神光葉から視線を外し、彼女から左側後方に向けられる。
「────彼を、倒してからにしょう」
「…………」
美神光葉もゴーシュの視線を目だけで追うと、その先にいたのは、強毒と瘴気を纏わせた戦闘狂────ラスマノスだった。
ラスマノスは、美神光葉がゴーシュに気を逸らしている間に、閃光と爆音により一時的に失った視界も聴覚を取り戻しただけではなく、体力と魔力を回復させていた。〈結界〉を展開したまま、二人もろとも葬り去ろうと魔力を練り上げている。
「ふふふ、ようやく気づきおったか仔龍ども」
「くっ……」
美神光葉は歯噛みした。ラスマノスとゴーシュの二人を相手取るには、いくら”黒き女剣豪”と謳われる美神光葉をもってしても分が悪い。
ラスマノスには、光討ちを知られていた。彼が美神光葉の情報をどのくらい得ているのか。情報の出所が一体、どこからなのかを聞き出すには捕縛するしかないが龍化してしまえば縄や枷は意味を持たない。魔術を練り込んだ特別性の縄や枷を使ったとしても、ラスマノス────毒龍は巨躯すぎる。
通常は、五十メートルが限度であり、全長六百七十八メートルほどの強毒と瘴気を纏った龍を拘束するには、かなりの量の魔力を消費する。これまでシルベット、百のドラゴンの大軍、ラスマノス、ゴーシュと立て続きに相手し、体力と魔力を消費してきた美神光葉では、到底蓄えるには難しい。
何とかしてラスマノスを拘束に成功したとしても、次に相手するのは天叢雲剣を所持しているゴーシュとの戦いが待ってる。
ゴーシュは学び舎では同級であり、【謀反者討伐隊】の入隊してから十年程は同じ【部隊】に所属していた。
学び舎から衣食住を過ごし、長年の付き合いである美神光葉は、彼の戦い方や癖は熟知している。女剣士である母親のシルウィーンと日本で侍だった義父の水無月龍臣から教えてもらったゴーシュは、刀剣の扱いは確かだ。学び舎の時に行われた剣道大会では彼女と一、二を争っただけあって、かなり腕前だ。それに加えて、呪術を持ち、未だに未知数の天叢雲剣を所持している。
どういった経緯で天叢雲剣を手に入れたかは定かにはされてはいない。ラスマノスを倒してから話すようなことを発言していたことから多少の魔力を取り戻す時間は稼げそうだが──
それでも剣豪と一、二を争った腕前を持つゴーシュと御璽の箱に長年の間を封印されていた天叢雲剣を相手にするにはリスクが高すぎる。
目視してしまったにもかかわらず、未だに天叢雲剣の呪いが発動した様子はない。
だからといって、安心も油断はできない。天叢雲剣との意思疎通ができた、というゴーシュの言葉が真実なら、意図的に時間差で天叢雲剣の呪いを発動させる可能性で十分に有り得る。
それは美神光葉の命はゴーシュに握られたも当然と言えるだろう。
だとしたら、しばらくはゴーシュの様子を伺いながら、好機を待つのが得策といえる。
だが──
ゴーシュには、僅かな表情と声音だけで心を読んでしまう読心術を持っている。
読心術とは、他人の思考や心情を顔の表情と声音、身体の筋肉の動きや仕種、行動等で読み取る技術の事だ。
魔術による〈精神感応〉とは違い、魔力を一切必要としない。心理学を学び理解すれば人間にでも身につけることが出来る。言語や感情がある生き物ならば簡単に読めてしまう。
それは、諜報員として必修科目であり、美神光葉も取得している。
勿論、相手に心を読まれないようにするための心の閉じ方も心得ているのだが、ゴーシュの読心術はそんな彼女の思考や心情を見透かしてしまう。それにより、学び舎の頃から幾度にも渡り、ゴーシュに思考と心情を読まれた経験があった。
義妹のシルベット以外という例外は存在するが、諜報員として英才教育を受けてきた美神光葉をもってしても、心を読んでしまうゴーシュの読心術は厄介なことこの上ない。
これほど、相手にするには厭で難しい男はいないだろう。それは元同級生として、元【部隊】メイトとして、交渉相手として、戦う相手として。
そして──異性として。
ゴーシュとの接触を避けたい美神光葉は思考を巡らす。何度か浮かんだ案を消しては浮かばせて、結局それしかないと決意し、彼女は口を開く。
「ゴーシュ」
「なんだい、腹黒い美神光葉?」
美神光葉は振り向かずに呼びかけると、ゴーシュは心理学上では、喜怒哀楽の喜に近い声音で答えた。
だが、彼の心情はそうではないことを知っている。
ゴーシュが行動原理は、義妹のシルベットにある。学び舎の時も、同じ【部隊】に所属した時も、五年前のゼノンの強奪も、何かとシルベットに関係していた節があった。今回の乱入も天叢雲剣を盗んだこともシルベットに関係があるのだろうと予想し、美神光葉は何か飲み込むように大きく息を吸い、そして吐いた。
「お願いがあります。共闘しませんか?」