第一章 三十
「あれれ? 翼くん、今までそこにいたのに……」
人間の少女────天宮空は、ちょっと目を離している内に、いつの間にか消息が消えた幼なじみの少年────清神翼の姿をキョロキョロと家の中を探す。
金髪碧眼の少女────エクレール・ブリアン・ルドオルがあくまでも自然に言う。
「きっと、お手洗いか何かで席を外してるんではなくて」
「そうかな。翼くん、いちいちトイレに行く時もは、一言を断りを入れてからじゃないと、気が済まないタイプだから違うと思うよ。緊急事態でもわざわざ断り入れちゃう細かい男の子なんだよ。それにトイレならそこにあるし、入ったらわかるよ。あと、シルベットさんの姿も見当たらないし」
「だったら、どこかに御用があって行かれたのではなくて……」
「いちいち断りを入れていく翼くんが、何も言わずにいなくなることはないから、家の中にいるんじゃないのかな」
「……そうですわね」
ツバサさん細かく断りを入れすぎですわ、と内心でため息を吐いた。
清神翼、シルベットが敵組織────【創世敬団】の〈錬成異空間〉で誘うよりは、意図的に空間に吸い込まれていったことをエクレールは視覚ではなく、魔術の発動を感覚で認識することが出来ていた。
よって、【創世敬団】が張った〈錬成異空間〉の気配も感知、魔力、術式も正確にはないにしろ、把握している。今すぐにでも清神翼とシルベットの元へと駆け付けることは、術式の解読に優れた彼女なら時間はかからない。
しかし、人間である天宮空をほっとくわけにはいかない。不自然に見えないように、如何に速やかにごまかしてから、彼女を安全圏まで連れ出すことが重要である。
『【謀反者討伐隊】と【創世敬団】の戦場に人間を巻き込むわけにはいかない』
ハトラレ・アローラから〈巣立ち〉した亜人なら誰もが申し付けられていることである。
エクレールは、天宮空にどうにかして翼とシルベットが消えた状況を混乱しない程度に甘い具合にごまかし、【創世敬団】から狙われているであろう清神家からなるべく離れたいのだが……翼の性格や趣向などを詳しく知る幼なじみの彼女は、怪訝な顔をするだけだった。
「どこに行ったんだろうね?」
「そうですわね。多分、せっかちな銀ピ────シルベットが何か用事があって、断りを入れようとしたツバサさんを連れていったんじゃありませんのかしら」
いつものように、エクレールはシルベットのことを銀ピカと呼びそうになるものの、すぐに言い返った。
銀ピ? と、少し怪訝に思うものの天宮空は深く追究はせずに意見を述べる。
「シルベットさんって、せっかちなんだ……。それにしても、何の音もなく二人揃っていなくなるだなんて、不思議だね」
「……そ、そうですわね」
なんて勘がよろしい人間なのかしら、とあながち間違いではない天宮空の言葉を聞いてエクレールは目を丸くする。
〈錬成異空間〉に入り込んだ人のそばにいた人に感じ、映ることは、いきなりの“消失”という認識である。なので、天宮空が翼、シルベットが突如いなくなったと感じることは人間ならば、当然だと言えた。
亜人の魔術による事象は、人間は不可解な怪現象でしかない。
しかし、何とごまかそうか頭を悩ませるエクレールにとって、不可解で、摩訶不思議な事象を、詳しく説明せずにはぐらかすか、ある程度のことを話す必要があるか、ということである。ちなみに後者は、ハトラレ・アローラ関係について護衛対象者以外にはむやみに話してはならないことになっているため、ある程度は省く必要がある。
二つの選択のうち、エクレールはもっともハトラレ・アローラについて知られる恐れが少ない前者を選ぶ。
「まあ。不思議なことなんて、全世界各地にありますわ。だから気にすることなど────」
「た、大変よエクちゃん!」
「え……」
エクレールの声をドアをぶち壊して開ける音と共に透き通った声が遮った。
「ちょ、ちょっと……蓮歌、どうして?」
ドアの鍵をチェーンごと壊して家に入ってくるなりエクレールを遮った声の持ち主は、蒼髪の少女────水波女蓮歌だった。
不審な魔力反応があった四聖市外南側、井鬼町近辺に偵察に赴いていたはずの彼女が血相を変えて家に入ってきた。いつものニコニコとした表情が消え、取り乱した様子で近く人間がいることをお構いなしにエクレールに助けを求める。
「なんか知らないけどぉ、先に行っていた先輩方が何者かに惨殺されちゃったのよぉ! あちこちで〈錬成異空間〉が展開されるしぃ、そこで人間の少年にナンパされるわ、いろいろと大変でエクちゃん助けてぇ!」
「ちょっと落ち着いてくださいまし! ……人前ですわよ」
「蓮歌は落ち着いていますぅ。人前だからといって、エクちゃんと蓮歌の間に隠し事なんてないですよぉ」
取り乱している蓮歌にエクレールは注意を促そうとするが、全く聞き入れる様子を見せない。
それどころか、取り乱してはいるが冷静を欠いてはいるわけではない。それどころか、保護対象者以外に話すことができない話しをしょうとする節が見受けられる。
どうやら蓮歌が選択したのはエクレールとは真逆の後者、“ある程度のことを話す”という選択であった。
一つのやり取りとしては、間違ってはいない選択であるが相手に必要以上に知られてしまう恐れがある。
ハトラレ・アローラについてはおろか亜人の存在自体が、未だに人間界では認識はおろか、神話に出てくる架空の生物としてしか知らされてはいない状態では、信用性には欠けている。これからの発言ひとつで、これから移住する人間で住みにくくなることも有り得る。
人間が理解できない発言をしてしまえば、電波という位置に属してしまう恐れを孕んでいた。そうなってしまえば、周囲から偏見の目で向けられ、迫害されることになることがあると、ある亜人が実証していた。
これは嘘偽りではないという実例、身に起こった事でもない限り人間に信憑性を持たせることは出来ない。【創世敬団】が標的として襲われた人間でのみ、ハトラレ・アローラについての説明が許可されている。実際に襲われてしまえば信じざるおえない。自らの実情経験により信憑性を増さなければ電波扱いされてしまいかねない事柄を蓮歌は”ある程度のことを話す”、と選択した。
これから保護対象者以外の人間に電波とは思われない程度に、必要最低限のことをハブられないように一生懸命になり過ぎず、それでいて相手に信用してもらわなければならないという難しいさじ加減が要する。
「え、エクレールさん。な、何このアイドル級美少女は?!」
「え……」
天宮空がいきなり飛び込んできた蓮歌に驚きながらも、少し興奮した状態で話しかけてきた。これはエクレールにとって予想外の反応だった。蓮歌が口走ってしまった〈錬成異空間〉の云々を問いただされると予想していたからだ。
しかし天宮空は蓮歌の容姿に驚き、蓮歌が口走ってしまったことが耳に入っている様子はない。
これは話しを逸らさせるには、絶好の機会といえる。もし耳に入っていたとしても思い出すまでに言い訳を思いつけばいい。これは時間稼ぎはもちろん、上手くいけば帳消しにできると、エクレールは天宮空の注意を蓮歌の発言ではなく容姿に向けさせるべく、まずは彼女を紹介する。
「え、えっと……、ソラさん。こちらがもうひとりの留学生の水波女蓮歌ですわ」
「水波女蓮歌ですぅ。よろしくお願いしますねぇ♪」
エクレールは不在中の翼に代わり蓮歌を紹介すると、蓮歌は先ほどの取り乱した表情を変え、屈託のないアイドルスマイルを空に向けてお辞儀をした。
なんて代わり映えの早さですの……、と蓮歌のあまりの代わり映えにエクレールは呆気に取られる。同時に、ハトラレ・アローラでは舞姫(人間界ではアイドルという同義語にあたる)をやっていたことはあると感心せざるをおえない。幼龍の頃は、人前(亜人の前だけど)に出るのが苦手な人見知りが激しく、エクレール以外は懐かなかった彼女にして、大きな成長といえるだろう。
「こ、こちらこそ宜しくお願いします」
空は少し緊張気味に頭を軽く下げる。
「で、蓮歌。こちらがツバサさんの幼なじみのテングウソラさんですわ」
「翼くんの幼なじみの天宮空です。よろしくお願いします」
「蓮歌。初めて日本に来たので、わからないことだらけで聞くこともあるかもしれませんが、こちらこそ宜しくお願いしますぅ♪」
「はい、こちらこそ。蓮歌さんって、日系人なんですか?」
「はい。台湾と日本のクォーターなんですよぉ」
蓮歌は軽くごまかして、朗らかな微笑みで返した。
台湾人と日本のクォーターというのを人間世界で住むための設定であることを家族と天宮空以外は知っている。
「そうなんですか。どおりで日本語が上手で」
「本場の日本の方に、日本語を褒められるなんて光栄ですぅ♪」
天宮空の褒め言葉を嬉しそうにはにかみながら聞き、蓮歌は空との会話を楽しんでいる。どうやら、ひと難去ったとうところだろうか。
エクレールはひとまず安堵の息を吐く。
──これで、何とか引き延ばしましたわ……。
天宮空が蓮歌と談笑しているうちに何とか彼女に不信感を与えず、保護対象者以外には触れてはいけない部分を省いて〈錬成異空間〉の説明を考えなければならない。
エクレールはニコニコとした微笑みを浮かべながら、脳をフル回転させて思考を巡らす中、
「そういえば、さっき、何か言ってたよね? 〈錬成異空間〉か何か、どういう意味かな……」
「……っ!」
天宮空の言葉にエクレールは頬に汗を滲ませる。緊張で渇く喉に、唾液を流し込む。
──やはり、来ましたか。しかし、これは結局避けては通れない道だったとしか言いようがありませんわね……。
蓮歌の失言だったとしても、それを話題のすり替えによる時間稼ぎ、そのまま忘れて帳消しになってほしいだなんて、虫がよすぎたのだ。そんな甘い話、どの両界にもない。
やはり中途半端なままでは話しをうやむやにすることは、天宮空に失礼である。どこかで話しを着地しなければ、納得がいかないままだ。何度も話しをはぐらかし、空中に彷徨ませたままでは、不信感を抱かせてしまいかねないだろう。
だが、エクレールは不信感を与えず、保護対象者以外には触れてはいけない部分を省いて〈錬成異空間〉の説明を思いついてはいない。
──どうすればいいんですの……?
焦るエクレールを横目に失言した当の本人はニコニコとしたよそ行きのアイドルスマイルを浮かべ、いつもの間延びした口調で答える。
「あ、そうですかぁ? 日本の方には難しくってカッコイイ漢字がお好きな方がいらっしゃると聞いたのでぇ、少し使ってみましたぁ。その単語は日本のことを知っている人から聞いたので私も深くは知りないんですよぉ」
蓮歌は、深く説明せず聞いた話しだと人のせいにする、という方法を取った。
これは、人間がいざ本当のことなのか、という問い詰められた時の逃げ道でもある。これでいざ何か言われたら、ある人から聞いたと言い訳が出来る。
「へぇー。そうなんだ」
人間が驚いたとき、感心したとき、疑ったときなどに発する”へぇ”を口にした天宮空は、蓮歌のことをまじまじと見てくる。
人から聞いたという言い訳の選択は間違いだったのか。もしもそうなら、天宮空に不審感を与えてしまった可能性は否定できない。電波と噂され人間界に居づらくなるネガティブな想像がエクレールの頭を駆け巡った。
エクレールは緊張しながらも天宮空の次の言葉を待っていると、天宮空は不思議そうに首を傾げる。
「でも、〈錬成異空間〉という言葉は、日本じゃ日常会話で使われてないよ」
どうやら天宮空は〈錬成異空間〉という言葉は、日本では使われていないことを教えてくれたらしい。とりあえずは、ほうと息を吐く。
そしてエクレールを間違いを教えてくれる彼女に好感を持てた。
人間の中には、間違った言葉を教え、それを使っている人間をからかい虐める執念が腐った人種がいることを聞いたことがある。
そんな人間と一緒にいれば、いずれ間違った道を教えられ、大きく道を外れてしまいかねないことをエクレールは学び舎の先輩に聞いたことがあった。
だからこそ、エクレールは天宮空は信頼が置ける人間だと判断した。
「そうなんですかぁ。すっかり、日本でも使われているものだと思って、日本大好きシルベットさんが喜ぶと思って使ってしまいましたぁ」
「そうなんだ。でもあんまり使いすぎると中二病に思われちゃうから気をつけてね」
「中二病って何ですかぁ?」
中二病、という単語が初めて聞いたのか蓮歌は天宮空に問う。
エクレールは、中二病という単語は聞いたことがあった。意味について詳しくは知らないが、人間が心身ともに子供から大人に変化する思春期と呼ばれる時期、特に中学二年生頃に見られる、自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄した背伸びしがちな言動を自虐する意味であることを記憶している。
「病」という表現しているが、実際に治療の必要とされる医学的な意味での病気、または精神疾患とは無関係であることも聞いている。
「私も詳しくは知らないけど……コスプレして、”俺に触れたらどうなるか……”とか無駄にかっこつけた台詞とかを恥ずかしがることなく言ったり、難しい漢字にフリガナを付けて多用したりする人のことだよ」
天宮空は遠からず近からずの答えを返した。だが、間違ってはいない。
「それって病気ですかぁ?」
「病気……、ではないみたい。誰もが思春期────主に中学二年生に起こるみたいな話しを聞いたから」
「ソラさんは、中学二年生ですよね。中二病になったことあるんですかぁ?」
「ん、どうだろ……。コスプレはしたいと思うけど、無駄にかっこつけた台詞とか難しい漢字とかはわからないから、中二病と呼べるかわからないなぁ……」
「そうなんですかぁ。教えていただきありがとうございますぅ。──ソラさん。私たち、この昨日日本に着いて、この街に来たばかりでまだ知らないんですよぉ。日本観光したいのですが……お願い出来ませんかぁ?」
「あ、い、いいけど……、翼くんが……」
蓮歌の急な頼み事に天宮空は戸惑う。
「ツバサさんなら、きっとシルベットさんに街の案内をさせられているはすですよぉ」
「そうかな……。急に消えた感じがするんだけど……」
「そうですかぁ。でも人間がいきなり消えるだなんてありえないじゃないですかぁ。しかも二人もぉ」
「うん……そうだよね」
「だとしたら、シルベットさんがこっそりと連れ出したと考えるべきですよぉ」
「ん……でもなぁ」
蓮歌の言葉に納得がいかないらしく、天宮空は頭を傾げている。蓮歌の仮説では人間的に無理が生じてしまうからだ。
玄関先からリビングまでの一本道だ。玄関先には翼が、リビングへの入口手前の階段先にシルベットがいた。その中間地点に天宮空とエクレールがいる。玄関か庭先のどちらから二人が外に出たとしても、中間地点にいる天宮空とエクレールはシルベットか翼のどちらかとすれ違っていてもおかしくはない。
だが、すれ違った記憶は天宮空にはない。人間である天宮空には、【創世敬団】が発動した〈錬成異空間〉に引き込まれてしまったことを認識することが出来ない。だからこそ、別方角にいた二人が急にいなくなったことの説明がつかないのだ。
こっそりと抜け出すにも、横幅三メートルもない廊下の真ん中を塞ぐように立っている天宮空とエクレールに姿を見せずにすれ違うことは不可能な状況だ。なるべく混乱しないように穏便に話しを上手くはぐらかしたい。
何とか打開策はないか頭脳を今まで経験したこともないくらいフル回転させるエクレールの鼓膜に、
「オレをのけ者にすんなよっ!」
と、いう声が響いた。
耳障りな声に、エクレールは美しい眉間を歪ませ、思っきり如何にも喧しいといった顔に出して、声がした方──玄関先へと視線を向ける。
玄関先にいた声の持ち主は、一人の人間の少年だった。
翼の幼なじみ、鷹羽亮太郎である。ワックスで髪を立たせて遊ばせている短髪に、精悍そうな顔立ち。体格は翼よりも恵まれている。如何にも、スポーツマンという体だが、先ほどの翼との会話を聞いていたエクレールは、異性に飢えた少年といったイメージしかない。
そんな彼をエクレールは今まで存在ごと忘れていた。
「そういえば、一人いましたわね……」
「あ。亮太郎くんのことを忘れてたよ」
「さっき、蓮歌がドアを開けた時にナンパしてきた邪魔なひとだぁ!」
天宮空も蓮歌も亮太郎の存在を忘れていたようで、思い出したかのような声を上げた。
あまりにも、そんざいな扱いに亮太郎はたまらず声を上げる。
「なんかひどくねぇ!」
「ごめんごめん。悪かったよ」
「すみませんでしたわ。あまりにも存在感の無さにわたくしとしたことが忘れてしまいましたわ」
「ゴメンナサイ、蓮歌はあなたみたいな男の子に、興味がないからぁ忘れちゃったエヘッ♪」
天宮空は軽く、エクレールと蓮歌はそれぞれ毒を吐くといった三種三様の謝罪を亮太郎にした。
彼女たちに軽くそんざいにあしらわれた亮太郎は涙目になりながら、
「お、おい! ちょ、ちょいと待てお前らひどくねぇか」
と、不満げな顔を浮かべて抗議しながら、家の中に入ってきた。
靴を脱ぎ、上がろうとする亮太郎は天宮空は制止する。
「燕ちゃんに出禁にされているんだから、入ってきちゃダメだよ!」
「燕ちゃんは不在だから関係ないね!」
亮太郎は天宮空の制止を振り払い、構わず家の中に上がり込むと、ずかずかとエクレールたちの眼前に立った。
日本に在中している【謀反者討伐隊】の諜報員により、保護対象者――清神翼の年齢、性格、誕生日、星座、血液型、身長、体重、特技、趣向、家族構成、所属部活動、成績、生活態度、交友関係といったプロフィールの部分から座高、上腕、前腕、視力、握力等の身体能力から血圧、血糖値、尿酸値といった健康状態に関わる細かな数値……等を事細かに記された内情調査報告書内に、天宮空と鷹羽亮太郎のことも記されていたものの、初対面であるには変わりはない。接してみなければわからないこともある。
エクレールは、人間と接したことは初めてはない。父親であるゲレイザー・ブリアン・ルドオルがメイドとして人間の────イギリス人の少女を雇ったことがあった。
雇ったといっても二、三年という短期での契約メイドであり、エクレールも人間に慣れていない上に、横柄な性格な災いして挨拶を交わすだけで会話をしたことがなかった。そのために、接していた期間は圧倒的に少ないために、どのような内容な会話をした方が正解なのだろうかわからない。
それに加えて、短期の契約メイドであったイギリス人の少女と天宮空、鷹羽亮太郎には亜人────ハトラレ・アローラの関係者かそうではない、との決定的な違いがあった。
イギリス人の少女は、【異種共存連合】の関係者であったために、ハトラレ・アローラの関わるものを省いて話すといった手間がなかったが、天宮空と鷹羽亮太郎には清神翼とは幼なじみという交友関係だけで、家族や身内共々、ハトラレ・アローラに関係する団体、組織には属してはいない。
そのために、エクレールは何とかして二人を危険区域から遠ざけなければならないのだが、【創世敬団】が近辺で戦事を始めようとしている危機的な状況を二人に伝えることができない。とにかく、ここにいてはまずい。しかし、どうやって二人にはハトラレ・アローラに関することを伝えずに連れ出すか。エクレールは思考を巡らしながら、眼前に立つ鷹羽亮太郎に視線をやった──
その瞬間。
「君、かわゆいね。一回でもいいから、オレと遊ばない?」
「え……」
あまりにも唐突な誘い方にエクレールはぽかんとなってしまった。
一部の同性(水波女蓮歌)から、しょっちゅう誘われたり求婚されているエクレールは、異性から誘われることなど、生まれて初めてのことではない。それに関しては混乱はなかった。むしろ美しいと自画自賛する自分を誘うことは至極真っ当だと受け止めながらも、何も脈拍もなく誘う鷹羽亮太郎の行動を不可解に感じている。
「先ほど、ソラさんと言い合いとかしてませんでした……」
「言い合い? そんなの美しい君の前だと一瞬でおさまったよ」
何をいっているんだろうこの人は、とエクレールだけではなく蓮歌は及び、幼い頃からの付き合いがある天宮空さえも苦笑いを浮かべた。
毛先を立たせて遊んでいる髪を掻き上げて、きらり、と目を光らせる。
鷹羽亮太郎の無駄に格好付けたポーズにエクレールの癇に触る。それでも苛立ちを表に出さないように感情を抑え付けて亮太郎に聞く。
「先ほどまでソラさんと口論していたのでしょう? なのになんでソラさんの制止を振り払って家の中に上がり込んで、わたくしの前に来た瞬間に、いきなり誘ってきますの」
「君、美しいからさ」
「はぁ」
指をピストルの形作り、エクレールを狙い撃つにでもするかのように指先を向けて、口から放たれた亮太郎の言葉に、エクレールは思わず苛ついた声を発してしまった。
全然、エクレールを心の的を獲てはいない。それどころか、女の子には甘い言葉を交わせば簡単に落とせるだろう、といった浅はかな思考が読み取れてしまった亮太郎の言葉に、エクレールは明らかに不機嫌さをあらわにする。
「残念ながら、わたくしはソラさんに誘われていますから間に合ってますわ」
「そっか。────ねぇねぇ君も美しいね。どうだい、オレと?」
亮太郎はフラられ慣れてるのか、いたって涼しい表情でエクレールを諦めて、蓮歌に声をかけた。
代わり映えにエクレールは驚く。なんて見境もない男なのだろうか。誘いを断われたにしても、まだその相手がいるという状況で、間をあけずにすぐに違う異性を誘うとは礼儀知らずにも程がある、とエクレールは亮太郎に嫌悪感を抱く。
苛つくエクレールをよそに、亮太郎に誘われた蓮歌はにこやかなに微笑み、
「丁重に断りますぅ♪ ────それよりもエクちゃん、蓮歌のお誘いをいつも断るのに、ソラさんとのお誘いは断るのはどういうことですかぁ!?」
亮太郎の誘いを即答で断ってから、エクレールに詰め寄った。
水波女蓮歌もエクレールと同じく異性から誘われることは生まれて初めてのことではない。
舞姫(ハトラレ・アローラの東方大陸では日本ではアイドルと同義語である)で活動されている蓮歌にとって求婚されることは日常茶飯事の出来事だ。断り方は少々のスパイスが含まれているものの心得ている。
ただ、自分がいくら誘っても応じなかった幼なじみの少女────エクレールが会って間もない人間の少女────天宮空の誘いを断らなかったことに先を越されたという焦りが生じた蓮歌は、ちらり、と天宮空の方に視線を送りながら、美しい声を裏返らせて問う。
「なんでぇなんでぇ!? 蓮歌のお誘いは、毎回断るのにぃ……会って間もない女の子とは誘いを断らないだなんてぇええええええっ!」
「やかましいですわよ……」
耳の傍で放たれた蓮歌の大きな声に、エクレールは鬱陶しげに眉を潜めながら、
「誰のお誘いを受けるも断るもわたくしの自由ですわよ」
と、言うと、蓮歌が「もー!」と頬を膨らます。
「蓮歌はエクちゃんと幼なじみですのに……まだエクちゃんからまだ一回も誘われていませんよぉ。蓮歌から誘っても即座に断っていますよぉ。その時に必ずといって”あなたと一緒にいると疲れますのよ”とか、”着心地が知れた相手でないと楽しくありませんの”と蓮歌のお誘いを断っていましたがぁ、まだ会って間もない女の子と誘われて応じるだなんて、そんな不公平なことありますかぁ? ないですよねぇええええええっ!?」
「さっき言いましたが、誰のお誘いを受けるも断るもわたくしの自由ですわよ。何度も同じことを言わせないでくださいまし」
エクレールは、ヒステリック気味に繰り出される蓮歌の金切り声に両耳に手を当てて、うんざりしたような顔を浮かべる。
この少女は幼い頃からこうだ。エクレールは疲れた目を蓮歌を向けながら思い出す。
蓮歌とは、まだエクレールが幼龍だった時に両親の付き合いで東方大陸に赴いた時に出会ってからの付き合いだ。どういった理由は定かではないが、蓮歌は一目でエクレールを気に入ってしまった。それ以降、必要以上にエクレールを金魚の糞のように付き纏い、何から何まで一緒じゃなければ気が済まない。そんな相手と一緒に居ても疲れるだけだと、出逢った頃から今まで一度もエクレールは蓮歌の誘いを応じたこともなければ、誘ったことは一度もなかった。蓮歌はそれを根に持っているのだろう。
エクレールはため息を吐く。向けられる側としては恥ずかしくってたまらない。抱き着きながらほお擦りし、隙あればエクレールの頬を舐めるか接吻してくる蓮歌の過度なスキンシップは、人間界に置いても奇行として捉えられない。
変に悪目立ちしては、【謀反者討伐隊】の活動がしにくくなってしまう。同じ【部隊】の奇行は、連帯責任としてこれからの活動や体裁にかかわるため他人事ではない。エクレールは自分までも奇異の目を向けられているんじゃないかと、恐る恐る天宮空と鷹羽亮太郎の様子を伺うと──
鷹羽亮太郎は変質者を見るような視線を向けるどころか、満面の笑みを顔に張り付かせていた。
眼前で人目を気にせず、人間界に置いても奇行として捉えられない蓮歌の過度なスキンシップを尊い、という単語を繰り返しながら涙を流して歓喜し、手を合わせて拝んでいる。
──何で拝んでますの……。
予想とは違った亮太郎の反応にエクレールは戸惑う。
──どういうことですの……。
エクレールは、幼龍時より金龍の王族として育ちである周囲によって強固にカードされてきた。性に関して、ある程度の知識はあるものの、女性同士が戯れ合うことを眺めながら興奮するといった性癖に関しては知らなかったために、亮太郎の行動が理解できない。
そのためエクレールの認識は、エクレールと蓮歌に連続で三回も振られたことにより、ショックを受けてしまったことでおかしくなってしまったのだろうといった程度でしかなかった。その程度のことで、女性同士が戯れ合うことを眺めながら興奮するというのも大袈裟に感じるが、異世界──人間界にある此処日本では、こうしたこともあるのだろうとぐらいに受け止めている。
そんなこともあって、それもわたくしが美しいせい、とエクレールは女性同士が戯れ合うことを眺めながら興奮する亮太郎のことをいささか自意識過剰気味に勘違いしてしまったのだ。
エクレールは熱い抱擁とほお擦りを繰り返しながら、隙あれば頬を舐めるか接吻しょうとする蓮歌をどうにか躱しつつ、引きはがそうとしながらも、亮太郎に哀れみの目を向け、どんなショックを受けようとわたくしはあなたのお誘いを受ける気はありませんわ、と心の中で再度断った。
それにより、一日に四回も振られることになり、振られた記録を着実に更新しつつあったが、亮太郎本人は知らない。
亮太郎にとって、エクレールと蓮歌が戯れ合う光景を必死に脳内に記憶することに精一杯でそれどころではないが、知らない方が本人のためであり、エクレールもそれをわざわざ口にする程、意地が悪くはなかった。
端から見れば、外国人美少女二人が戯れ合い、それを日本人中学男子が眺めながら興奮するといった混沌とした光景に、人差し指がのびる。
人差し指はエクレールの肩をちょんちょんと優しく、だけど気づける程度に強さで叩かれた。
エクレールが人差し指に気づき、振り向く。
そこには天宮空がいた。彼女は申し訳なさそうな表情で、エクレールに声をかける。
「ごめんね。亮太郎くん、見境なく誘っちゃうのもあるし、なんか変な性癖とかあるから迷惑かけちゃって……」
「はぁ……────ん? せい────」
「エクちゃああああああッ!」
性癖、という単語に少しばかり引っかかったエクレールは空に聞こうとしたところを蓮歌の泣き声に遮られた。
「ダメぇですよお! エクちゃんは蓮歌の物ですぅ〜」
蓮歌は、エクレールを自分に引き寄せて強く抱きしめる。お気に入りのぬいぐるみを奪われないようにする子供のように、天宮空を警戒する。
そんな子供のような蓮歌をエクレールは苛立たげに一瞥し、大きなため息を吐いた。
「わたくしは誰のものではありませんわよ……。それよりもあなたは何歳だと思ってますの! 人目も気にせずに、子供のようなワガママを言うなんて、恥を知りなさいっ!」
エクレールは腕を振りほどき、天宮空との話しを邪魔した蓮歌を一喝した。
金魚の糞のように付き纏い、何から何まで一緒じゃなければ気が済まない幼龍から代わり映えがない彼女の態度に、エクレールは鬱陶しげに眉を潜めながら叱り付ける。
「あなたもいい歳なのだから少しは考えてくださいまし!」
「ごめんなさい……」
しゅん、と蓮歌はエクレールに謝った。
それでもエクレールの怒りをおさまらない。だからといって、これ以上叱り付けても下手に落ち込ませてしまい、使い物にならなくなる。
幼い頃は人見知りが激しく、エクレール以外は懐かなかった彼女は一旦落ち込むと立ち直りに、程度にもよるが最低でも三日は部屋に閉じこもってしまう。
【創世敬団】が迫る現状で、人数不足であるエクレールの【部隊】において、持久力に難があり攻撃も防御も平均値以下程しかない蓮歌でも大事な戦力だ。下手に落ち込ませて戦闘不能になられては困るだと判断し、エクレールは噴き上がる怒りをどうにか抑え込ませ、言葉を噤いだ。
「はいはい。まあまあ、喧嘩はそのくらいにして。それにしても翼くんとシルベットさん、遅いね。どこまで行ったのかな?」
パンパン、と不穏な空気が辺りを包む中で、天宮空が手を叩き、戯れ合うエクレールと蓮歌の仲裁に入った。話しをこの場にいない翼とシルベットに変え、二人を宥めようとする。
エクレールはオーソドックスながらも不穏な空気を悪化させない上手い切り返しと感心する一方で、『どこまで行った?』という問いに困ってしまった。
なぜなら翼とシルベットの居所について、おおよそ予想がついている。
だが──
それを天宮空と鷹羽亮太郎に素直に伝えたところで意味はない。この魔術が一般化していない人間界において、〈錬成異空間〉という魔術名はただの妄想類に該当される。そのために冗談だと思われるのが関の山だろう。下手をすれば、気味悪がわれてしまう確率が有り得る。
だとしたら、エクレールは「どこでしょうね」と首を傾げてシラを切り通すしかないだろう。
──ここは、一緒にどこにいるかを考えている降りをしながら、何とかしてソラさんとリョウ……タロウさんでしたわね。
──二人をどうにかこの場から離させる口実を作ることに思考を巡らせた方が得策ですわ。
エクレールはそう判断し、答えるために口を開く。
「ど────」
「〈錬成異空間〉の中じゃないんですかぁ」
エクレールの声は蓮歌の声に遮られた。
【謀反者討伐隊】として守護対象者以外は、守秘義務がある〈錬成異空間〉を再び口にした蓮歌に、エクレールは開けた口が塞がらない。
人間にとって中二発言でしかない蓮歌の言葉に、天宮空は気味悪がることなく、少し近づき、小声で注意する。
「中二病と思えちゃうよ」
「あ、そうでしたぁー」
てへ、と蓮歌は舌を出して笑って失言をごまかす。エクレールは長年の付き合いにより、蓮歌が素で忘れていたことに瞬時に気づいた。
──なにをやってますの……。
ぴくぴくとエクレールの眉間が動く。極力は、天宮空と鷹羽亮太郎に不自然に怪しまれないように微笑みを絶やさず、体裁を保つことを心がけているエクレールだったが、【謀反者討伐隊】の秘匿情報である〈錬成異空間〉について、二度も人間に暴露した挙げ句、笑ってごまかした蓮歌に焦りと怒りが眉間の皺となって表れはじめている。
【謀反者討伐隊】の【部隊】には連帯責任が課せられている。蓮歌の度重なる秘密情報の漏洩に、同じ【部隊】であるエクレールも罰せられるんじゃないか、と内心は穏やかではない。
それは荒れ狂う海のように激しく唸りを上げていた。悲しいことに、そんなエクレールの心情を蓮歌は気付くことが出来ずに、何事もなかったかのように振り回っていた。
──本当に、先が思いやられますわ……。




