第一章 二十九
ラスマノスの開戦を告げる一声と共に、百ものドラゴンの大軍により光線が大地に注がれる。
ゴバッ!! と雨のように降り注がれようとする光線が大地に到達する前に、大地のある一点が裂けた。彼女たち二人が降り注がれる前に同時に駆けた事により、地面の方が耐えきれなくなったのだ。
美神光葉は右から、シルベットは左から。
彼女たちは降り注ぐ光線の雨の中を避けながら、示し合わせたわけではないが、それぞれ回り込むような挙動で、もはや肉眼で追い掛けるのも難しい速度をもって、ラスマノスの元へと突き進む。
彼女たちは、大剣を振るい、右方左方それぞれの方角からドラゴンの大軍を肉薄する。
シルベットは全長三、四メートル程もある美しい長剣────天羽々斬を、美神光葉は全長二メートルもある麓々壹間刀を、それぞれ愛刀である大剣を振るい、ドラゴンの光線を身をひねって交わしながら、その動きを活かした曲芸のような鋭い斬撃をもって、頑強なる鱗を確実に裂いていく。
上下左右と自在に回転をしながら、彼女たちは大剣を振り回す。時折、躯が回転する反対方向に仕掛け、ドラゴンたちを撹乱させる。ただでさえ、人間体で的が小さい上に、肉眼で追い掛けるのも難しい速度をもっての斬撃に目線や動きが掴みづらい回転を加わっているというのに、不規則に回転とは違う方向に向かわれてはドラゴンたちは迎撃しづらい。
それにこうも不規則に動き回りながら陣地内に切り込まれては、戦陣が乱されてしまう。迎撃しょうとしてもドラゴンは火炎放射や光線を放とうとするが、仲間を巻き添えにするリスクがある上に、力の蓄積に時間がかかってしまう。そのために自滅、同士討ち覚悟で力の蓄積に時間がかかる火炎や光線を放射しょうとしても、放つ前に彼女たちの刃に斬撃されるのがおちだろう。
〈結界〉を構築して彼女たちの難を逃れようと試みるが、回転が加わり、鋭さを増した斬撃には、意味をなさない。防御も攻撃も通じない彼女たちの肉薄に、ドラゴンはなすすべはなくなった。
こうして、彼女たちはドラゴンを一体ずつ確実に堕としていき、ラスマノスに着実に向かっていく。
彼女たちの猛攻に対して、ラスマノスは動じることはなく、戦況を眺望するだけに留めていた。莫迦にされているのか、はたまた様子を伺っているのか、愉しげに彼女たちの戦いぶりを眺めている。
「流石は、女剣豪と謳われた美神光葉だな。────しかしあの半龍……、昨夜とは大違いではないか。美神と比べても申し分ないではないか」
ラスマノスは、左方から攻めてくる銀翼銀髪の少女────シルベットを見据える。
ハトラレ・アローラでは女剣豪と謳われた美神光葉と比較してもほぼ変わらない軌道を描きながら、ラスマノスの陣地内に切り込んでくる彼女は、とても昨夜の彼女と同一人物とは思えない。美神光葉の回転しながら龍の鱗を切り刻む戦闘スタイルは並大抵で行えるはずはない。
しかもシルベットは、龍人の女性でさえも扱いにくいとされる全長三、四メートル程もある美しい長剣────天羽々斬を回転しながらも状況に合わせて持ち変えて行っている。美神光葉の愛刀である全長二メートルもある麓々壹間刀よりも長く、それを不規則に躯に回転を加えながら状況に合わせて持ち変えて行うことは高度な技量がなければ不可能だ。
昨日今日と会得するほど簡単なものではない。勿論、見よう見真似で取得できるわけがないのだが、シルベットはそれを行っている。急成長を感じせざるをえないシルベットの戦いぶりに、ラスマノスの心中に闘争心が沸き上がる。
ラスマノスは、腰に携えていた剣を抜く。
全長五メートルはある大振りの長剣は、幅が太く長平べったい刀身をしている。両方のふちに刃がある大剣は刃先に近づく程に幅が太い。それでいて絹のように細く、鋭利な刃には、毒々しい怨念らしいものを含んでいた。
人間界──日本でいうところの妖刀を手にしたラスマノスは闘争心をむきだしにした狂喜を瞳に宿し、着実に攻め向かってくる彼女を待ち構える。
「来い。銀龍族の半龍よッ!」
「はッ!」
右回転してから、そのまま宙返りする。天地が反転した状態でシルベットは、ラスマノスを真正面から天羽々斬を振り下ろす。
ゴッ!! とシルベットの一拍の気合いと共に二つの斬撃が激突した。
シルベットの斬撃をラスマノスは、全長五メートルはある大振りの長剣を振り上げて防ぐと、そのまま逆上がりするかのように下半身をあげて、シルベットと同じように天地を反転した状態となったラスマノスは彼女の前方に向き直るとすかさず大剣を振り下ろす。
向き合い様に放たれた袈裟切りに、シルベットは天羽々斬の刀身に顕現する力──核を宿して応じる。ラスマノスの毒を宿した大剣を眼前で迫ることになるが彼女は構わず、間合いを詰めるために刃と刃をぶつける。そこから隙あれば致命打を与えようとせんとする二人の剣戟の応酬がはじまった。
シルベットとラスマノスは斬撃しながら百八十度回転し、垂直上昇や下降を繰り返す。左右上下前後と戦闘機ならばブラックアウトや失速は免れない急旋回と急降下急上昇を繰り返して、空中を動き回り、相手の間合いをとろうと斬撃する。
縦横無尽に飛空し、繰り出すシルベットのあらゆる角度からの剣戟をラスマノスは同じように飛空し、対抗。全長五メートルはある大振りの長剣で振り払う。
剣の大きさなど気にかけず、武器ごと致命打を与えようと攻撃を放つ二人の剣戟は、一閃する度に、白銀の粒子と赤紫の靄が二人の周囲に飛び散った。互いに譲らず、激しさと速さを増す。
そこへ、
「────二人だけで戦っているとは思わないでくださいっ!!」
「なっ」
真横から躯を回転させて美神光葉が突っ込んだ。
美神光葉が放つのはハトラレ・アローラで恐れられた剣豪の斬撃。麓々壹間刀から放たれた斬撃はどんな頑強な龍の鱗さえも切断してしまう閃き。決して無視のできない一撃に対し、ラスマノスは剣の軌道を捻じ曲げ、これの防御に当てるしかなくなる。
当然ながら、そうするとシルベットの攻撃に身を晒す羽目になってしまう。
ラスマノスは彼女達の攻撃から逃れるべく、シルベットを強引に押し戻した後に、大きく後退し、美神光葉の攻撃を回避した。
強引に押し戻されたシルベットは、自らか後方へと向かい、距離を取る。それは勢いをつけるために距離を一旦拡げたに過ぎない。銀翼を翻して再びラスマノスに向かう。
シルベットは、躯を左回転して、右に旋回してラスマノスの背後に回り込む。
殆ど同時に、美神光葉も躯を翻して、シルベットとは逆方向に旋回させてラスマノスの前方から攻める。
挟み撃ちにしょうとする彼女達にラスマノスは回避しょうと高度を上げる。逃がすまいと、美神光葉は高度を上げ、シルベットもそれにならい回転しながらもラスマノスを追う。
「ほう」
ラスマノスが浮遊したところをギリギリで交差して、急上昇する彼女達を見て、ラスマノスは感嘆の息を吐く。
通常ならば、回転しながら敵に肉薄する戦闘スタイルは方向転換をしづらい。
にもかかわらず、これまでシルベットは戦闘機ならばブラックアウトや失速は免れない急旋回と急降下急上昇を繰り返して、空中を動き回り、ラスマノスのどんな空戦機動も対応し、縦横無尽に飛空し続け剣戟を繰り返してきた。
ある程度の速度を足したことにより、躯を左回転させた状態での急な方向転換に遅れが生じると踏んでいたが、シルベットは難なくそれをやってのけた。進行方向から急接近する美神光葉をギリギリで交わすように細かな調整しながら、だ。
同士討ちを避けられない状況化でありながら回避できたのはやはり、”日本の侍”の父と、”銀の姫騎士”の母との間に生まれた子がなせるものなのか。
ビリビリと高揚させる心地良さにラスマノスは狂闘者の微笑みを浮かべる。
「面白い! 久しぶりに血が滾ってきたぞっ!」
ラスマノスの背面から急降下しながら大剣を振り上げて自ら彼女達に向かってきた。
美神光葉は魔力を静かに練り上げて、ラスマノスの攻撃に備えての〈結界〉を躯に纏わせ、シルベットは速度は全開のまま、左回転しながら垂直上昇し続けてラスマノスの斬撃に備える。
「はぁああああああああああッ!!」
「やぁああああああああああッ!!」
ガガガガガギギギギギギッ!! と彼女達の気合いと共に、複数の金属同士がぶつかり合い、火花の嵐が巻き起こる。
様々な角度から迫る攻撃に対し、ラスマノスは大剣を振るい、次々と受け止め、いなし、弾き返す。
対するシルベットと美神光葉は縦横無尽にあらゆる角度から斬撃を放つ戦闘スタイルは、シルベットも美神光葉も変わらないものの、それぞれの闘い方でラスマノスの斬撃を次々と撃ち返す。
〈結界〉の術式を躯に纏わせ防御を固めて、麓々壹間刀に力を与え、ラスマノスの斬撃を撃ち返している美神光葉に対して、シルベットは防御を捨て、天羽々斬に力を与えることと斬撃や反射に集中させ、電光石火の如く攻撃を可能としている。
予想以上の彼女達の闘いぶりにラスマノスは話はおろか単語の発音する余裕を失う。話すら許されぬ世界の中で、三者の斬撃が続く。
ドッキィィィン!! という轟音が炸裂した。
ラスマノスの大剣とシルベットの天羽々斬と美神光葉の麓々壹間刀が鍔に近い位置で拮抗した音だった。全員は衝撃に押されてわずかに動きを止めて睨み合う。
三者ともに優勢へと繋がる一手、二手先への構築し、大剣を互いの鍔に近い位置で受け止めたまま押し合う緊迫した状況化で、思考を巡らす。
このまま膠着状態が続けば、ラスマノスの大剣の刀身から渦巻き状に纏わせている瘴気と強毒の格好の餌食となってしまう。
ラスマノスと近接戦闘するリスクを省みず、彼女達が接近戦へと持ち込む。
油断なく敵方に観察して、三者が攻めぎ合う中を如何に抜け出す打開策を練りながら、防御を捨て攻撃に特化させてきたシルベットも、防御を固めつつも攻撃してきた美神光葉も愛刀に力を注ぎ、必殺の一斬を放つ好機を待つ。
しかし、機会を伺いながら、瘴気と強毒が躯に回る前に必殺の斬撃を仕掛けて決着を付けようとする彼女達の思惑をラスマノスは感づいていた。
そうさせまいと、彼女達が動き出す前に瘴気と強毒を噴射させて苦しませてやる柄を握る手に力を入れようとして──
視界の端に入ったそれを見て、
──直接、仔龍どもに瘴気と強毒を噴射させるよりは面白いことになりそうだ……。
ラスマノスは楽しそうに笑った。
ニタリ、と。
口端を上げて、微笑みを浮かべた。ただそれだけにもかかわらず、彼女達、特にシルベットはラスマノスの微笑みを見た瞬間に悪寒が騒ぐ。
厭な予感が感じ、シルベットがラスマノスが微笑みを浮かべた意図がわからず、眉根を寄せながら、彼の視線を追うと、視線の先にあるそれを見て、悪寒が騒いだ理由を悟る。
「何を考えているッ!!」
「ふふふ」
叫ぶシルベットを見てラスマノスは、愉快そうに肩を揺らした。
シルベットの視線がそちらへ向いた一瞬、拮抗していた天羽々斬の力を弱まった隙を突き、彼女達を強引に押しのけた。
拮抗していた力は崩れ、晴れて自由の身となった大剣をラスマノスは遠慮なく振い、刀身に渦巻き状に纏わせていた瘴気と強毒を砲弾のように射出させた。
それは、シルベットや美神光葉に向けて放たれたものではない。
彼女達の遥か後方──地上にいる、彼女達の戦いを見守っている人間の少年に、意図的に放ったものだ。
「させるかぁ!!」
ドバッ!! という爆音と共に、シルベットは人間の少年────清神翼の元へと向かう。
清神翼は、シルベットが構築させた〈結界〉の中にいる。あらゆる物理的な攻撃は通用しない。攻撃に伴う爆風や剣圧を影響を〈結界〉内に及ばないような術式を組んではいる。
だからといって、絶対安全とはいかない。
指定したもの以外は立ち入れないようにしてはいるが、逆に指定していたものは〈結界〉内に侵入してしまうからだ。
シルベットが〈結界〉内を行き来できるように指定したのは、術者であるシルベットは勿論、清神翼や後で駆け付けるであろうエクレールや蓮歌、ドレイクといった【謀反者討伐隊】の【部隊】の面々に、清神翼が空間内に長時間いても息ができるように酸素を優勢的に出入りできるように設定はしているが、それ以上は、〈結界〉内で事細かな微調整が必要なため、ラスマノスが砲弾のように射出した瘴気と強毒を〈結界〉内に通してしまう恐れがあった。
清神翼の護衛として就いているシルベットとしては、見逃すことが出来ず、ラスマノスとの戦線を離脱して、翼へ襲いかかる瘴気と強毒を食い止めるために飛ぶ。
だが、赤紫の靄を航跡に尾を引かせて砲弾のように射出された瘴気と強毒は差は縮まらない。
そうはいくか、とシルベットは身を低くし風の抵抗をなるべく受けないように銀翼をたたみ、高度五十キロメートルという成層圏からの落下速度を利用し、角を生やして宙をうねる長い身体な東洋の龍────蛇型と鯉型が生まれながらも備わっている飛空能力を解放させて、速度を上げる。
蛇型と二足歩行の蜥蜴のような姿をした西洋のドラゴン────蜥蜴型の東西の龍の特徴を融合させた姿をしている銀龍は、翼を羽ばたかせての飛空も能力を有しての飛空は可能だ。
その能力を上乗せしてまで、シルベットは飛空速度を限界まで上げて瘴気と強毒を一発、二発と追い抜く。
三発、四発と追い抜いていくが、マッハ十という音速を超えた銀龍の限界速度をもってしても、まだ足りない。
このままでは、あと三発を追い越す前に翼に着弾してしまう。
〈結界〉の術式の再構築か、もしくは微調整をしていない状態のまま、戦闘に移せば、自らが斬った瘴気と強毒が粉砕して飛散し、〈結界〉内部に侵入してしまう恐れがある以上は、むやみに撃ち落とすことが出来ない。
だが。
このままでは、天羽々斬で撃ち落とすことも、〈結界〉内に飛び込んで瘴気と強毒が通過できないように術式の微調整することも、何の対策も出来ずに翼を護れずに死なせてしまうことになる。
「ツバサ────ッ!」
シルベットは、大声で翼の名を呼んだ。
ただ、単純に。翼のことを助けなければと、声を上げていた。
翼を死なせてはならないと。
そして──翼を、後ろで哄笑を響かせるラスマノスに殺させはしないと。
なんとか──何としても、翼を護らなければ……!
砕けた石塀、焼け落ちた梁、濛々たる黒煙。ラスマノスと少女達が百八十度回転し、左右上下前後と戦闘機ならばブラックアウトや失速は免れない急旋回と垂直での急上昇や急下降を繰り返しながら戦闘を繰り広げる度に地上に与える余波は、更に拡大。ラスマノスと少女達が大剣を振るう度に上空から弾丸のように放出される剣圧は、圧倒的な質量をもって、百ものドラゴンの大軍によって一斉射出された光線によりダメージを受けた大地に容赦なく降り注いだ。
亜人により生み出された剣圧は強大な奔流となって、暴力的な烈風を生み出しただけではなく、弾丸のように放り込まれてくる剣圧により大地を抉られ、建物や木々は大地ごと掘り起こされて、暴風により滅茶苦茶に千切り飛ばされていく。
〈錬成異空間〉内に現実世界そっくりに創られた偽物の世界を蹂躙されていく惨状の中で、唯一人の人間────清神翼はシルベットが張った白銀のドーム状の〈結界〉に護られながら、見守るしかできなかった。
例え、〈結界〉から出たとしても狂いながら目に付く一切を捻り切る、理性なき暴力の具現──暴虐なる狂力が渦巻く〈結界〉外に飛び出しても彼女達の役には立つことは出来ない。
もしも此処が現実世界だったら、被害は多大なものとなっていた惨状の中で、ただの傍観者となり果てた清神翼にいきなりの窮地が襲う。
不意に目が合ったラスマノスが怖気が走る微笑みを浮かべ、彼女達を強引に振り払い、大剣を翼に向けて振った。
ラスマノスが振った大剣から射出されたのは、亜人でさえ骨を残さず溶かす程の威力を持つラスマノスの瘴気と強毒だ。人間である清神翼は一秒も経たずに黄泉路を渡ってしまうだろう。それが赤紫の靄を航跡に尾を引かせて、砲弾となって一直線に翼に向かってくる。
それも一つではない。少なくとも十発はある。
人間である翼は十発の瘴気と強毒の砲弾を避けような力がなく、〈結界〉外は暴風が吹き荒れているために逃げることが出来ない。
きっと一瞬あとには、翼は瘴気と強毒の砲弾によってこの世からいなくなるだろう。幸いシルベットの〈結界〉は消えていないが、ラスマノスとの戦線から離脱し、瘴気と強毒の砲弾を必死に食い止めようと翼の元に向かおうとしてくる彼女の様子を伺う限りだと、耐えきれるとも思えない。
翼が死を覚悟し、目を閉じようとした時、
「ツバサ────ッ!」
怒号のようなシルベットの声が響いたと同時に、カキンッ、と前方からと硝子同士がぶつかり合ったかのような音がして、閉じかけていた目をハッと見開いた。
「え……っ」
不意に翼は小さな声を発し、瞬く間に、目の前に起こった出来事に意識を奪われた。
翼の前に出現したそれは、瘴気と強毒の砲弾の間に立ちはだかり、砲弾を防いだのである。
黒銅の魔方陣から召喚されたそれは、黒一色の執事服を身に纏った老人だった。
背が高く、年齢を感じさせない鍛えられた躯と、ピンと伸びた背筋。腰には刀身の長さが一メートル弱の細身の西洋剣を携えている。棒のような痩身に硬く尖った容貌。伸びた背筋と合わせて、その全体には老紳士という形容がぴったりくる気品が感じられる出で立ち。思わず背筋を正される気配を放つ御仁だ。
だが、とてもラスマノスの瘴気と強毒の砲弾を全て防いだと思えない。
そんな老紳士の登場に、翼はおろかシルベットも事態を飲み込みずに茫然としている中、ただ一人だけに違う反応を見せる。
美神光葉だ。彼女は、顔を驚きの色に染めて、口を開く。
「シン。何故、あなたがここに……」
「美神光葉様。ラスマノスの愚考を食い止めに馳せ参じました」
美神光葉にシンと呼ばれた老紳士は、胸の前に手を添えて一礼し、俄かに緊迫の度合いを深めた空間の中で、外見を裏切らない、聞く者に歳月の安心をもたらす、渋く枯れた声色が言葉を発する。
「誠に申し訳ございません、光葉様。御主の御意向に背き、持ち場を離れてしまったこと深く反省いたします。ですが、ラスマノスの横行、追加部隊を使い裏切りにもあたる奇襲につきまして、目に余るもの先祖代々美神家当主に仕えてきた末裔として、見過ごしていくことが出来ず、駆け付けてしまった次第です。お叱りほどは後に受け付けます」
シンは謝罪の言葉を述べると美神光葉は呆れたかのように深い息を吐く。
くい、と手を上げて部下の非礼を赦し、勝手にしろと言わんばかりに手を振る。
「赦して下さり、ありがとうございます」
美神光葉が非礼を赦したことを見て、シンは尖った容貌が、笑みの方向に折り曲がる。
赦してもらえたことに頭を下げて感謝の言葉を述べたシンは、ゆっくりとした動作で顔半分だけを翼の方に振り向いてきた。
「…………あなたがセイシン・ツバサですね」
言って、その鋭い双眸で一瞥する。ぴくりとも表情を変えず、氷点下の無表情で。明らかに美神光葉に向けられたものとは違う、冷え切った色の声を向けられ、翼は恐れ慄く。
あまりにも美神光葉に向けられた表情と声音と温度差がある冷ややかな老紳士の態度はとても友好的とは言いがたい。
ラスマノスが放った瘴気と強毒の砲弾から救ってくれたことは確かだが、【創世敬団】である美神光葉を”様”と敬称を付けて呼んでいたことから【謀反者討伐隊】側ではないことは翼でもわかる。翼は恐れながらも油断なく視線を鋭くし、警戒する。
「……あ、あなたは一体──」
シンの問いには答えず、翼は間抜けな質問と自覚しながらも、そんな声を発した。
その瞬間。
一旦、様子を伺っていたシルベットが天羽々斬を振り抜き、シンに肉薄する。
シンは即座に地面を蹴ると、剣の太刀筋の延長線上から身をかわし、そのまま素晴らしい速さでシルベットに肉薄した。
シンは瞬時に、腰に携わえていた一メートル弱の細身の西洋剣を振り抜く。
それを、シルベットに目がけて思い切り振り下ろした。
シルベットが微かに眉根を寄せ、手にしていた剣でその一撃を受け止めたその瞬間──
美神光葉と朱嶺の攻撃が交わった一点から、凄まじい衝撃波が発せられた。
「ちょ……ッ、う、わぁぁぁぁぁぁッ────!?」
翼から五メートルと近いで発せられた衝撃波は、美神光葉や百ものドラゴン、ラスマノスと大剣を交じる度に上空から弾丸のように放出される剣圧から護っていた〈結界〉をすり抜けた。
それにより翼は、情けない叫びを上げながら、身を丸めて何とか受け身を取って、どうにかそれをやり過ごす。
シルベットはそのことに驚き、弾かれる格好で一旦距離を離れる。油断なく武器を構えて睨む。
「どういうことだ? 先ほどまでは剣圧から護っていた〈結界〉が…………貴様、何か細工でもしたのか」
「しておりません。行使者というのに、原因がわからないのですか」
「わからないから聞いている」
翼を護るように立つシルベットは、前で屹立する老紳士―シンに鋭い視線を混じらせる。
「そうですか。シルベット様の境遇を考えれば仕方ありません」
シンは頷き、学び舎に通えず何も知らないシルベットに答えてあげることにした。きちんと理解させないと、彼女のためにはならないと判断した。
「では、教えましょう」
老紳士────シンは構えていた剣を下ろし、シルベットに教え諭す。
「あなたは、学舎に通ってはいないために知らないと思いますが、魔術にはレベルというものがあり、それに応じて制限があるものなのです」
「レベル……」
レベル、という主にゲームで聞き覚えがある。それと似た意味を持つのだろうか。
「レベルとは、通常ですと経験に応じて上がっていくものです。銀龍の姫であるシルベット様は見たところ、剣術に関してのレベルは相当な修練を積み、経験値を上げているために相応に高いと伺えます。ですが、魔術に関しては、学び舎に通えなかったのもありますが魔術よりも剣術を優勢的にしていたのでしょうか。魔術の経験不足により、多少の制限が課せられているとしかいいようがありませぬ」
「経験がなくとも、魔導書に書かれていた魔術なら記憶しているし、普通に難なく使えるぞ」
「シルベット様は殆どの術式を見ただけで覚えられ、即興で組み上げられるといった特殊能力がございますゆえに、レベルの低い魔術ならば遜色なく行使できます。それは、構築から発現までの維持などの全ての工程を感覚だけで軽々と行ってしまう特性が成せる技でしょう。しかも”経過の欠落”したまま、記憶した方式を理解という経過をしないままに、無自覚に感覚でやってのけるという高度なレベルで行えてしまう天才肌といえましょう。ですが、”経過の欠落”は”経験の欠落”を意味しています。それにより、通常ならば一定の経験値を積まなければ行使出来ないレベルの高い魔術でさえも発現してしまいます。それにより、レベルの高い魔術を長時間行使する際に一定の制限がかかり、こういった不具合が発生してしまうというわけです」
「ほう、なるほど。貴様が私を褒めているのか貶しているのか、どっちかは知らないが、魔術の中には長時間行使出来ないものがあるということはわかった」
「私は、シルベット様を褒めているわけでも貶しているわけではございません。見たまま感じたままに分析した結果です」
抑揚のない、皮肉も侮蔑も込められていないシンの穏やかな声音。先ほど翼に向けられたものと比べたら温かみがある。言葉にも悪気といったものが感じられない──
だったのだが。
ふと、老紳士の瞳に冷たい剣気が宿る。
「ですが──少々、言葉が過ぎたようです」
「──っ!?」
一瞬にして、暗く濃厚な剣気が空間内を席巻し、シルベットと翼は思わず息を呑む。
内臓を剣先で掻き回されるかような殺意に、シルベットは威嚇する獣のような形相で天羽々斬をシンに向けて、戦闘態勢に移行する。翼はシンから放たれる殺意から自分を護るために身構え、後ずさりして出来るだけ距離を取った。
先までは、無風状態に近かった〈結界〉内に風が次第に強さを増して吹き付けていく。白銀の〈結界〉が寿命が近い電球のように明滅し、心なしか消えかかっている。このままでは、十分以上は持たない。
老紳士────シンが言ったことが事実ならば、経験値不足により一定の制限により、〈結界〉の限界が近いのだろう。だとしたら、シンやシルベットの戦いの巻き添えや邪魔にならないように距離を取った方がいい、と翼は〈結界〉内の後方に少しずつ移動する。
そんな翼の様子を、ちらっと一瞥したシンが一メートル弱の細身の西洋剣を構え直す。
「シルベット様の〈結界〉は、長くもったとしても、およそ十分程度でしょう」
「だからなんだ。〈結界〉の効力を失い、消えたとしても、私がツバサを護ることに変わりはない」
「そうですね。それがシルベット様たち【謀反者討伐隊】の使命ですから当然でしょう。だとしましたら、光葉様に仕える私としましてはシルベット様との雌雄を決して、ツバサ様を捕らえるといたしましょう。そして────ツバサ様の中に封じ込まれているものをいただくといたします」
「何だそのツバサの中に封じ込まれているもの、とは……」
翼の疑問を代わりに声を発したのは、シルベットだ。
自分の中に封じ込まれているもの。それは何だと言うだ。いつの間にか、封じ込まれているという話しに得体の知れない気味の悪さを感じざるえない。
「私が教えるとでも思いますか?」
「先ほどは教えたではないか」
「先ほどは、あまりにも無知なあなたに同情して、少しばかり言葉が過ぎたのです。ここからは、教示も何もないことを御承知してくださいませ」
「ならば、無理矢理でも吐かせてやる!」
シルベットの体が土を蹴って前に飛び出す。
牽制も何もない。シルベットは真っ向から小細工なしの一撃を肉薄して、振り下ろした。
しかし、大上段から唐竹割りに落ちる一刀が空を切る。シンは音速を超える速度でシルベットの太刀を避け、右から背後──死角に回り込む。
死角──真後ろから放たれた一撃をシルベットは、瞬時に〈結界〉を後ろにだけ限定的に展開させて防ぐ。振り返り様に、自分が展開した〈結界〉ごとシン目掛けて叩き斬る。
シンは、シルベットの振り返り様に放たれた一斬を踊るように躱す。
「やはりシルベット様は魔術の精度はともかく、剣術に関しては一級品ですな」
不敵な微笑みを浮かべて、シンは一メートル弱の細身の西洋剣を構えて見据える。
「魔術はともかく、剣術で貴様に負ける気はない」
シルベットは静かに息を吐いた。
「素直に魔術は劣っていると認めましたな。ですが、得意の剣術で私を撃ち勝つとは思わないことです」
「ぬかせっ!」
シルベットとシンが前傾姿勢で剣を構え、鋭い視線を混じらせる。息を吐くことさえ赦されない静寂が訪れ、濃密な剣気が辺りを漂い出す。




