第一章 二十八
漆黒の巫女装束に似た衣にいびつな鎧を身に纏い、腰まで伸びる漆黒の髪を揺らしながら顕れた美神光葉は、艶やかな朱唇でしっとりと翼とシルベットに微笑んだ。その瞳には、確かな敵意の色があった。
そんなクラスメイトの登場に戸惑う翼をよそに、シルベットは警戒心を剥き出しにする。
「敵にしては、異様に礼儀正しいが、見かけや態度に騙される私ではない。貴様は、【創世敬団】の者だな!」
シルベットは断言して、天羽々斬の柄を強く握りしめて、美神光葉に向けた。
「さあ。まずは、何故に私たちを誘い込んだのかといった理由を吐いてもらいたいのだが」
「翼さんと、そこの血の気が多い銀龍族のお転婆姫には勝手で申し訳ない限りですが……お話しをまずしたいと思いました次第です」
”銀龍族”という普通の人間ならば口にしない単語を言った美神光葉は、どこかの名門の美女を思い起こされる優しい声音ながらも、瞳に宿る敵意は依然と消えてはいない。
背筋を冷たくする敵意を向ける漆黒の衣を纏う彼女に、シルベットは警戒心を剥き出しにして見据える。
「お話しとは、何だ? まさかお話しという名の戦か?」
「私は、戦事は出来ればしたくはありませんね。これ以上、”同志”が血を流すところをそちらも見たくはないでしょう」
美神光葉はそう言って、わずかに含むようにほくそ笑んだ。
「貴様まさか……っ!?」
「四聖市一帯に〈呪力〉付きの〈錬成異空間〉を張った。しかもラスノマスの強毒と瘴気付きだ。発動すれば、四聖市にいる人間がどうなるか、学舎を卒業していない銀龍の姫にはわかるはずだ」
「成る程、ラスノマスの手下らしい汚いやり方だな……」
「ラスノマスの手下扱いされるのは些か不愉快ですが、現状ではそうなので仕方ありません。お話しが素直に聞き入れ、そちらが了承していただかなければ、〈呪力〉を発動して戦争の始まりです。そんな話しの内容をします……」
美神光葉は、あどけなさが残る顔を急に冷たく変えて、恐ろしげな声音に変質させた。
温かく優しげだったものが、背筋を凍らせてしまいそうな温度まで下がり、敵意が鋭さを増し、殺意に変わる。それは、明らかにクラスメイトに向ける視線ではない。
「お話しの内容による、というわけか……。しかし、四聖市一帯を覆う〈呪力〉付きの〈錬成異空間〉など発動に時間がかかる術式を数時間で行えるわけがない」
「ええ。だから一ヶ月程前から四聖市に赴き、準備をしていました。清神翼を捕らえた後に余興として四聖市の人間を殺すためにラスノマスが用意していたものですが、まさか【謀反者討伐隊】の邪魔が入った時の保険として役に立つとは思いませんでした」
美神光葉は、妖しく広がる笑みを浮かべながら先月の末頃から、市立四聖中学校に転入してきた理由を明かした。
聞かされた翼の心中としてはまだ信じられないのだが、時折美神光葉とよく視線を送っていたの動向や様子を伺うためだったのではないか、という考えに至り、思わず翼は身構える。
翼たちは現在は、敵側が創り出した偽物の清神家の中にいる。逃げ場など、どこにもない。
現実世界の四聖市も彼女の言葉が本当ならば安全とはいえない中で頼りになるのは、銀翼銀髪の少女────シルベットだけだ。
「手間もかかることをしてまで……。しかし、貴様らの要求は既にわかっている。が私にツバサを引き渡せということだろう。だが、私は即答で断固として拒否する」
「交渉決別ですね。いくらなんでも早すぎますね……少しは交渉してはいかが? 一人と数千人の人間の命がかかっているのですから少しは考えてください」
「じゃあ両方とも救う。貴様に服従も屈服もしない」
シルベットは、一瞬の逡巡もなく返事をした。シルベットが返事した時点で、話し合いの余地はなく、戦争が始まることになる。そのことを自覚してもなお、彼女は美神光葉の交渉を断った。
「私にとって、その答えは一択しかない。むやみに交渉するだけ時間の無駄だ」
「エクレールが〈錬成異空間〉の術式を解読して、加戦するまでの時間稼ぎはしなくともいいと?」
「金ピカがおらずとも、貴様の相手なら私だけで済む。第一に、金ピカが術式を解読して加線することを予測できているのでは、敵側としてはそれを阻止するために何らかの工作をしている可能性はあるということだ」
「それもそうですね。ならば、仕方ありません」
美神光葉は表情を静かで冷徹なものに変え、腰に携えている二メートルほどあるかと思われる大振りな刀に手をかける。
「ツバサはどこかで隠れていろ。すぐに終わる」
「すぐに終わるって……」
二人の少女には翼の言葉が既に耳が入ってはいなかった。
「すぐ終わるというのは、あなたが敗れて、でしょうね」
「いや、敗れるのは貴様だ」
お互いに少女が扱いづらい大振りの刀剣を片手で水平に構える。ホームランを予告する打者のように剣先を向け合い、鋭い視線を走らせて、宣誓布告する。
「行きます!」
「行くぞ!」
共に大振りの刀剣ながらも性質的には相反する組織に属する亜人同士の激突が始まる。
シルベットは浅く、しかし強く踏み込み、地面を滑るように跳躍する。まだ屋内にもかかわらず、シルベットは構わず天羽々斬を横斜めに振り下ろす。
偽物である清神家の壁を、幾何学模様の火花を撒き散らしながら火線で描きながら、美神光葉に突入してくるシルベットを美神光葉は迎撃するために刀剣を横殴りに振るう。
その刹那──
ただ真正面から飛び込んだシルベットと美神光葉が大振りの刀剣で叩きつけた。それだけのシンプルな動作にも拘らず、光が飛び、世界から音が消えた。
「うわ……ッ!?」
翼は、思わず目を覆った。数瞬遅れで、ゴバッ!! という耳をつんざく轟音と共に、二人を中心にドーム状の衝撃波が数瞬遅れて広がった。
半径百メートルを超す爆風の嵐となって周囲を薙ぎ払う。
草木が砂塵を巻き上げて吹き飛ばされていき、室内にいた翼も、あっという間に大型台風もかくやというほどの凄まじい風圧に煽られ、巻き込まれた。
逃げようにも大型台風もかくやというほどの凄まじい質量をもった爆風に人間の少年が抗えることはできない。そのまま、バランスを崩し尻餅をつき、後方へと転がされてしまう。
二回、三回と巨大な刃同士が激突し、雷光のような火花が散る。大気が歪むほど剣戟に真空状態が生まれ、空気の刃が生じ、衝撃波の勢いを受けて乱雑に撒き散らされる。
放射線状に撒き散らされた空気の刃は、アスファルトの地面をガラスのように砕け散った。
コンクリート作りの家屋や塀を幾度も切り刻み、ついには発泡スチロールのように粉々に破壊していった空気の刃は凄まじい衝撃波の奔流にのって、屋内にいた翼に襲いかかる。
「な────」
爆風に煽られながらリビングの扉の前まで転がっていた翼は咄嗟に、風に翻弄されながらもリビングの扉を開けて飛び込もうとドアノブに手を伸ばしたが、爆風に押されて扉はびくともしない。
このままでは、空気の刃の餌食になってしまう。周囲に盾になるものはない。大ピンチ。絶体絶命。このままでは、翼の身体は細切れにされてしまうことは確実だ。
翼は思わず目を瞑った。空気の刃により切り刻まれ、吹き飛ばされていく恐怖に身を固くしたその数瞬あと──
一向に訪れない苦痛に首をひねって、ゆっくりと目を開けた。
「こ、これは──」
そして呆然と、口を開く。
何しろ、いつの間にか翼の目の前には巨大な障壁が聳え、衝撃波と爆風から翼を護ってくれていたのだから。
「け、〈結界〉……?」
半透明なガラスのような質感を持った障壁。翼の周囲十メートルのドーム状に展開されたそれは間違いなく、シルベットとラスノマスが対峙した際にエクレールが展開した〈結界〉に他ならなかった。
「な、なんでこれが──」
まだ少しチカチカする目をこすり、風で煽られてふらつく身を起こす。
「―─は──?」
と、翼は〈結界〉の外の状況を見て目を見開き、間の抜けた声を発した。
何しろ、さっきまで目の前にあった周囲──見慣れているものの、〈錬成異空間〉に創られた偽物の街の景色が、翼がいきなり展開された〈結界〉に気を取られた数瞬のうちに、地面が丸ごと消し去られたかのように鉢状に削り取られていき、消滅していたのだから。
何の比喩でも冗談でもない。彼女達が激突したところを中心点として隕石でも落ちたかのようなクレータ状となった荒野へと変貌を遂げていた。
もしも、この世界が人間が日常生活を送る現実世界だったら、と考えたら身の毛もよだつ。被害などでは片付けられないほどの悲惨な光景になっていただろう。
そして、目の前に展開された〈結界〉がなかったらどうなっていたことか。
これで空気の刃の餌食にならずに済んだが──
「──い、一体、誰が……?」
「大丈夫か、ツバサ!」
茫然と立っている翼に声をかけたのはシルベットだ。シルベットは、右手に天羽々斬を持ちかえて、左手を翼の方に翳して不可思議な紋様を描く、十メートルほどのドーム型の〈結界〉を展開させていた。
「シルベット!」
「〈結界〉に関してはエクレールに何らかの説明を受けているだろう。なくとも詳しく話している時間がない。簡単に言ってしまえば、この中にいればあらゆる攻撃を防ぐことが可能だ。だから、この中に入っていれば安心だ」
シルベットは簡潔に説明した。
「簡潔な説明をどうもありがとうだけど……それよりも、さっきの衝撃波みたいなのは何なんだ……」
「あれか。あれは、ただの剣圧だろ」
「ただの剣圧で、家どころか家の周りが吹き飛ばないだろ」
「それは、人間だったらの話しだろう。私たち亜人は、強き者同士が刃を奮わせると、稀に剣圧同士が反発し合うと起こるのだ」
「……だとすると、あの美神光葉というのは、強いのか?」
「強いな。だが、勝つ!」
力強く。自信満々に。そして、凛とした口調で言い切った。シルベットが負けてしまったら、次は翼の番だ。
そもそも【創世敬団】の狙いは翼だ。どうして狙われているのかは理由は定かではないが、確実に次に攻撃、拉致など何をされるかわかったものではない。
今は、シルベットの戦いの巻き添えや邪魔にならないように、〈結界〉が有る限りは此処に留まった方が安全だろう。
だが、油断は出来ない。
「随分と自信がおありなんですね」
「……っ!?」
「──ッ!?」
心底呆れたかのような声が上空から響いてきた。
視覚が、一拍遅れて思考に追いつく。
そこには、美神光葉が上空を佇んでいた。
「その自信過剰なところがいつまで持つのでしょうか。とても楽しみです」
心地のいい調べの如き声音が嗤った。
「この……っ!」
嘲笑されたシルベットが、カチャリという音を鳴らして天羽々斬を握り直す。紅の双眸が、戦意に満ちて煌く。
日本神話に登場する刀剣────スサノオが出雲国のヤマタノオロチを退治した時に用いた神剣と同じ名を持つ長剣が白銀の光を刀身に宿した。
シルベットは十歩程進み、翼の前方で天羽々斬を構えて、美神光葉を見据える。
白銀の髪をなびかせ、天羽々斬を煌かせたシルベットとの一騎討ちを応じるかのように、美神光葉は地上に降り立ち、二メートルほどあるかと思われる大振りな刀を構え直す。
美神光葉の双眸が、静かで危なげな光りを放ち、大剣に力を注ぐ。刀身に闇色の光が帯びる。
シルベットと美神光葉から凄まじい剣気、向かい合う二人の戦意が大気を震わせる。
荒野と化した場所で、白銀の戦姫と漆黒の戦巫女が向き合い、日本刀を構える姿には隙はなく。一向に隙を与えない。
緊迫した空気が辺りに立ちこみ、一瞬の隙も命取りの戦いに翼は息を呑む。
美神光葉は剣圧で周囲を吹き飛ばす程の手練れだ。敵の力が図り知れない以上は、むやみやたらと攻め込むことはできない。だからこそ、天羽々斬を構えるだけで彼女は先のように美神光葉に突進して一閃するといったことはしない。
通常ならば、自らが先陣を切るシルベットだが、一向に動かず美神光葉の出方を伺っている。
美神光葉もシルベットの様子を伺いながら、尚も動かない。そのまま膠着状態が続き、時間的にはまだ十分も経ってもいないにもかかわらず、永遠にも感じる時間が過ぎた頃──
どこからか風が吹き、ドンと遥か遠くで瓦礫が倒壊した音がした。それが闘いの合図となって、二人は殆ど同時に大地を蹴り、駆け出した。
「はっ!」
「やっ!」
日本刀同士が激突する。放たれた極光は一瞬のうちに、空間を白く塗り潰し、大気が歪曲するほどの威力の余波が彼女たちを中心にして暴風となって荒れ狂う。
翼は、閃光にやられないように顔を覆った。今度は〈結界〉により吹き飛ばされることはなかった。〈結界〉はギシギシとした軋む音を立てながらも悠然と轟音を伴う爆風から、撒き散らされる空気の刃から翼を護り通そうと耐えしのぐ。やがて、威力を弱め、終焉を告げる。
風がおさまり、顔を覆っていた腕を広げると、彼女たちは鍔迫り合いは既に始まっていた。
「もう一度、聞きます。引き渡す気はありませんか?」
「何度も言わすな。貴様ら【創世敬団】に引き渡す気はない」
シルベットは美神光葉を強引に押し込み、横殴りに一閃。
美神光葉は、シルベットの一閃を軽やかなバックステップで避け、間合いをはかる。
チッと舌打ちし、悔しげな顔をするシルベットを確認してから、美神光葉はふてぶてしい笑みを浮かべた。
「そのような腕で勝てるとでも?」
「うるさいっ! 貴様が【創世敬団】に持ち帰る手土産は敗北だ。ありがたく受け取れ」
「──お断りします。その腕では私は倒せません。みじん切りにして【謀反者討伐隊】へ送り返してあげます!」
再び、激突。一撃ごとにまばゆいばかりの閃光が飛散し、二振りの日本刀同士の軌跡が空間内に白い残光を描く。風圧が傷を負わせ、刃の衝突が鼓膜を打ち据えた。
一進一退の攻防が続く、彼女たちの闘いを翼は固唾を呑んで見守っていた。美神光葉は二メートルほどもある大振りの刀を巧みに操り、斬り、突き、打ち払い、すくいあげてシルベットを攻めたて翻弄している。
シルベットは美神光葉の刀よりも長い全長三、四メートル程ある切れ味も装飾性も特化された華美なる神剣を軽々と扱い、美神光葉の攻撃を捌き、受け止め、すくあげて斬って応戦している。鍔ぜり合いならば、シルベットの腕力が一枚上手といえるが、技術面に置いて美神光葉が僅かながら上だ。
少女が扱うには、とても不向きな小回りが利かない刀剣を巧みに扱ってはいるものの、ずしりととした重量感はある輝きを放つ幅広の長く分厚い刀身を持つ両刃を生かしきれてはいない。
お互いの刀剣を叩きつけあうような衝突したのちに、シルベットと美神光葉は期せず、まったく同時に後ろへと跳躍した。
美神光葉の口元に不敵な笑みが浮かぶ。
「そのような腕では私には勝つことなど到底叶いません。今のうち敗北を認めて、翼を引き渡すことをおすすめします」
「絶対に死んでもするもんか!」
嘲笑う美神光葉にシルベットは激昂し、駆ける。美神光葉の間合いを一気に詰め、刀身を白銀に輝かせた天羽々斬を振るった。
しかし、美神光葉は隙が全くない最小限の動作で躱わす。躱されたシルベットはもう一斬するが刃は虚空を斬るだけで、美神光葉には届かない。
「あなたの攻撃など既に見抜きました。もうあなたの攻撃は私には通じませんよ」
「くっ!」
シルベットの打ち出す剣撃、それに伴う剣圧による範囲さえも見抜いた美神光葉は、一瞬にしてシルベットの間合いに入り込み、接近。鋭く日本刀を突き出す。シルベットは、身体を倒して避ける。
そのまま後転して、間合いを取ったと思いきや、すぐさまに美神光葉の側面へとまわりこむ。
相手に、隙を与えないように右左上下と連撃を繰り返す。
四方から繰り出されたシルベットの連撃を美神光葉は、二メートルほどもある大振りの刀を巧みに操り、盾にして難をしのぐ。
一瞬の隙を狙って、美神光葉はシルベットの服の袖をつかんで、横倒しにしょうとする。その行動にシルベットは目を瞠ったが、倒されまいと天羽々斬の穂先を地面に突き刺し、身体をひねって、一回転してから危なげなく着地した。
「卑怯な闘い方をするものだな貴様は」
鋭利な刀身を思わせる冷たくも鋭い眼差しで、シルベットは前方の美神光葉を睨みつける。美神光葉は長剣を構えて応じた。
「あなたが乱暴で美しさもかけらもない剣撃をしているからついやってしまっただけです……」
「卑怯な闘い方をした奴に美しいかどうか言われたくはないな……」
深い血の色の瞳に悔しさと怒りを滲ませて、シルベットは天羽々斬を構える。
美神光葉に服の袖をつかまれ、横倒しされかける前までの僅かの間だったが、シルベットの連撃に美神光葉は防戦一方で、攻撃する余裕を与えなかった。
優勢とはいかないまでも、一進一退の攻防が続いた形勢を少しでもこちらの方に傾かせる好機と考えれば悔しさと服の袖をつかみ横倒しにしょうとした美神光葉に対しての怒りが沸いてきたのだろうか。
美しい顔を歪ませて悔しさと怒りを滲ませている。
何度も悔いても、同じような戦法は使えない。もう一度、同じような連撃しても通用はしないだろう。
ひとしきり美神光葉を見据えて、戦法を立て直す。
シルベットの剣術の引き出しから有効となるものはないか、と考えを巡らせながらも視線は美神光葉から外さない。
美神光葉も視線を外さないが、悔しさと怒りを滲ませたシルベットとは対照的に、涼しげな表情には少しの余裕がある。シルベットの攻撃を見抜いたと発言した彼女は剣豪の出で立ちで長剣を構えて、シルベットの出方を伺っている。
シルベットは、徐に腰を低くし左身を前に出すと、天羽々斬を横向きに倒して、後ろで構えた。
射程距離内に入れば、右足を踏み出して跳び出すかのようなその構えは、どこか居合抜刀術に似ている。
天羽々斬は鞘には納めてはおらず、刀身はあらわにしているため、本来の居合抜刀術は、日本刀を鞘に収めた状態で帯刀し、鞘から抜き放つ動作で一撃を加えるか相手の攻撃を受け流し、二の太刀で相手にとどめを刺す形をとり、技術を中心に構成された武術とは違いはあるが、構えや射程距離内に敵を捉えば、抜き放つ動作で一撃を加えようとする構えは居合抜刀術に通じるものがある。
そして、翼はその構えにどこかで見覚えがあった。
「まさかだけど……、あの技は……」
シルベットの剣術の引き出しは、両親から伝授された『天翔龍閃剣流』と『リンドブリム流』と日本の時代劇やアニメや漫画しかない。
『天翔龍閃剣流』は父親である水無月龍臣から、『リンドブリム流』は母親であるシルウィーン・リンドブルムからそれぞれ伝授された。
『天翔龍閃剣流』は、『先手必勝』『徹底とした攻めを、人を身を護るためにだけ使うもの』という教義と理念とする、『馬庭念流』という『後手必勝』『徹底した守りを理念として、全ての人生に通ずる剣法である』とは相対する剣術である。
どちらも争い事を善してはせず、あくまで『剣は身を守り、人を助けるために使うもの』という共通の理念がある剣術だ。
『リンドブリム流』は、『攻撃は最大の護り』、『護りは最大の攻撃』という理念として、銀龍族の特性であり、顕現する力────核を刀身に宿らせて、一撃を最大限に生かせることが多い剣術といえる。
シルベットは両親から教え込まれた流派を独自として状況に合わせて組み合わせてきた。例を挙げるなら、先のように顕現する力──核を刀身に宿らせて、一撃を最大限に生かせて『天翔龍閃剣流』を使うといった具合だ。
組み合わせに関しては、圧倒的に攻撃型である『天翔龍閃剣流』に攻守の両極端型である『リンドブリム流』の核を刀身に宿らせて、一撃を最大限に生かせてから護りを固めるといった弱点を補わえるやり方がもっとも相性がいいとシルベットは考えていたのだが……。
美神光葉には通じないと判断して、日本の時代劇やアニメや漫画で見た必殺技を試しに実践して会得したものを合わせることに切り替えることにした。
──相手に通用するかわからないが試してみる価値はある。
シルベットは身体を低くし、左足を前にして、天羽々斬を横向きにして後ろで構える。射程距離内に相手が近づいた際、右足を踏み出していつでも跳び出し、鞘に収めてはいないが、鞘から抜き放つ動作を取り、そのままの勢いをもって一撃を加えさせる。もし美神光葉の攻撃を受け流されても、二の太刀に繋げることは可能だ。
もしも二の太刀でとどめを刺すことが出来なければ、三の太刀も考えなければならないが、今は一、二の太刀で仕留めることに集中する。
──さあ、来るなら来い。貴様が卑怯な手を使うなら、こちらは持てるだけの知識を技として実践してみせてやろう……!
美神光葉は、居合抜刀術とよく似た構えをとる彼女に悪寒が走った。刀を鞘に収めてはいないが、鞘から抜き放つ動作を利用して一撃を加えようとする構えは、神夢想林崎流に体勢が一致する。
立合抜刀一本目の冒頭の、”抜くと同時に踏み切り、左足を前に出す”、といった香取神道流、”左足を出して抜く”といった信抜流に通じるものを感じた。
シルベットの剣術に関して、荒削りであり、少し磨けば光るかもしれないが、磨かなければただの石ころに過ぎない腕であり、とてもじゃないが美しいと言い難い。
神夢想林崎流や香取神道流や信抜流を扱えるとは美神光葉は思いもよらなかった。
──どういった心境の変化ですか……。
──こうも短時間で変わるとは、思いもよりませんでした。
──どの流派で来るかはわかりませんが、あらゆる剣術を教え込まれた私にとっては雑作もない。
だからといって、油断する美神光葉ではない。彼女は、シルベットに対して深読みをしながらも、全長二メートル────六尺六寸一間もある麓々壹間刀を構えた。
シルベットの対抗するために、同じように居合抜刀術の構えを取る。
「行きます!」
「行くぞ!」
同じ居合抜刀術の構えを取る美神光葉に、シルベットが応じた。
轟ッ!! と。
地面を蹴飛ばした戦乙女同士が激突した。
あまりの脚力に、地面が割れる。
蜘蛛の巣のような波紋を地面に描いた二人は、真っ直ぐ前方へと飛んだ。スライドするかのような、重力を力技でねじ伏せた二人の体が、剣が────中間地点で容赦赦なく激突する。
シルベットは横向きにして後ろで構えていた天羽々斬を鞘から出す動作で抜き放つと同時に、一閃。美神光葉は核を刀身に宿らせたシルベットの抜刀を阻止すべく、麓々壹間刀をシルベットと同じように鞘から出す動作で抜き放ち、真っ向から挑む。
火花が爆発した。
衝撃波が無尽蔵に撒き散らされる。
前進に使ったエネルギーは初撃で完全に失うことなく、勢いをそのままに押し合いと至近距離での剣戟が開始される。刃と刃が複雑に噛み合い、激しい大剣の撃ち合いが始まった。
シルベットは攻撃を受け止めたエネルギーを逆に利用しながら体を回転させ、跳び回りながら様々な角度からさらに強力な一撃を返していく。
だが。
美神光葉は上下左右前後とアクロバットな動きで様々な角度から繰り出されるシルベットの強力な剣戟に翻弄されることなく、最小限の動きで上下左右前後に体を動かしながら受け流しては防ぎ、躱し、一撃を放つ。
一撃。
また一撃。
天羽々斬と麓々壹間刀の衝撃波が撒き散らされる剣戟に、地上を抉り取っていく。地上のクレータを深くしてもなおも彼女達のおさまるところか激しさを増していった。
撃ち、撃ち、撃ち、撃ち、撃ち。
躱す、躱す、躱す、躱す、躱す。
返し、返し、返し、返し、返し。
複雑に絡み合いながら、拮抗する彼女達の決着は一向につかない。
ドバッ!! という轟音が炸裂し、踏み込んで、お互いが渾身の一撃を放つ。
そのまま、鍔ぜり合いに持ち込む。
「やりますね……」
「そっちもな……」
「褒めてあげます。ここまで手子摺る人間との混血の仔龍はあなたが始めてに近いですよ。あなたのような荒削りで美しいもない腕ですが、磨けばそれなりに成長が見込める相手を斬らなければならないだなんて」
「それで褒めているつもりか……。愚弄をしているようにしか聞こえないのだが……」
「ふふふ。どちらともですよ」
「この…………っ!!」
シルベットは、せせら笑う美神光葉を押し込み、吹き飛ばした。
二十メートルほど後方へ飛ばされた美神光葉は、余波によってコンクリートを砂利状にした地面へ、ザリザリザリ!! と靴底から砂利を踏み締める音を響かせて、地面を滑りながらも着地して、すぐさまと大剣を構える。
シルベットは既に、長大な天羽々斬を手に体重を前に傾け、短距離走のスタート直前のように構えをとっていた。
美神光葉も似たように突撃体勢で麓々壹間刀を構えて、地面を力強く踏み締める。
殆ど同時だった。
麓々壹間刀を手にシルベットの元へと突っ込み、応じるようにシルベットも美神光葉へと一直線に突き進む。
爆音が炸裂する。
火花と衝撃波が飛び散り、撒き散らされ、その間にも二人は高速で動く。
刃と刃が激突し、二人は至近距離で睨み合う。
その直後──
ミシリ、と。
二人の戦いを邪魔をするかのように、空間が皹が入るような異音が鳴り響いた。
「──ん? な、なんだ……?」
「──な、何事ですか……?」
シルベットと美神光葉は、眉をひそめて視線を音がする横上方へと向けた。
つられるように翼も目を上方にやると──
「んな……ッ!?」
これ以上ないほど目を見開き、息を詰まらせた。
語源で表すならシュッパーという風鳴きが幾つも空間を震わせて、空には奇妙な紋様した魔方陣が無数に展開しはじめて、次々とドラゴンが召喚されていく。
およそ百ものドラゴンが召喚された後に、紫の霧に包まれて現れたのは──
ひとりの男性だった。
外見上の年齢は七十目前だが、宙を浮いている状態から明らかに人間ではない。アールグレイの短髪といった老いの影は隠せないものの、百八十センチメートルほどはある長身の背筋は曲げてはいない。
身にまとっているのは、漆黒の軍服だ。豪勢な金の刺繍が入った軍服に右肩に紫を強調としたマントを羽織ったその衣装と相まって、出される覇気は此処にいる誰よりも凌駕しているようにも見える。
突如として〈錬成異空間〉にドラゴンの軍隊を引き連れて降臨した軍服の老人を見て、シルベットと美神光葉は身体を硬直させた。
「……ら、ラスノマス……」
「ラスノマスって……」
ドラゴンの軍隊を引き連れ、顕れた老人をラスノマスと呼んだ彼女達の声がおよそ三十メートル程離れた清神翼に届き、驚きを隠しきれない。
翼は、毒龍としてのラスノマスを見たことはあったが、人型に変化した姿は初めてだった。百八十センチメートルの七十目前の軍服の老人と全長六百七十八メートルの全身が硬質な鋼を思わせる灰色と紫が混じり合った鱗を持ち、胴体は戦車のような装甲に覆われ、百足のような百本もある足や毒々しい色をした棘と先端には大きな骨塊がある二つの尻尾を生やした歪な形態をした毒龍と同一とは思えなかった。
そして──
翼以上にラスノマスの降臨に戸惑う者がいた。
それは、美神光葉だった。
ラスノマス側の亜人であるはずの彼女が、戸惑いの表情を浮かべている。
そのことから、シルベットはラスノマスの出陣は予定していたものではないことが伺えた。
シルベットが、気怠げに息を吐く。
──……何やら敵側に不穏な動きがあるようだな。
顔を上空に向けて、キッと眉を吊り上げる。
「──こ、これは一体、どういうことですかラスノマス?」
美神光葉は周囲にドラゴンの軍隊百を侍らせ、空中で見下ろすように佇む上官に対して敬称を付けずに、怒気の籠もった視線を向けて問う。
美神光葉の問いにラスノマスは鼻で嗤った。
「見え透いたことを……。貴様が表向きは【創世敬団】の特殊監査部所属の一介の軍人だが、同時に【謀反者討伐隊】の間者でもあり、ルシアスがワシを監視するために送り込んだ”鈴”でもあることの調べはついている。貴様もワシが先祖代々と多重間諜を行ってきた美神家をただ鵜呑みにし、泳がせていたわけではないことを知らないわけではあるまい」
「…………誰から何を聞いたかは知りませんが、今はそんな時では────」
「────貴様がワシの策を邪魔をしていたことを見過ごすと思うのか」
ラスノマスは美神光葉の言葉を遮り、なおも話しを続ける。
「答えは、否だ。これまで人間界で捕らえた人間を密かに逃がしたとして【創世敬団】に嘘の情報を与え、ワシの軍隊に汚名を着せて、美神家で匿い保護していることをワシが知らないわけはあるまい」
「何を根拠に、そんな妄言を……」
「しらばっくれるな。貴様が自分の部隊を頑なに躊躇していたにもかかわらず、こうして自分の軍隊を【謀反者討伐隊】と派手に戦わせ、ワシの目をそちらに向かわせているうちに人間の少年を保護する手筈なのだろう」
「…………っ!」
美神光葉は歯噛みをした。ラスノマスに情報を漏洩していたことは、言葉通り承知をしていた。
自分の軍隊を【謀反者討伐隊】と戦わせて、ラスノマスの目をそちらに向いているうちに清神翼を保護をし、【創世敬団】には逃がしたとして美神家に匿い、ほとぼりが冷めた頃に解放することに関してはラスノマスが言った通りだ。それはる策をたてていることをどこからか漏れたとしか言いようがない。
「これまで人間を匿うことについて、知りながらもそれを咎めたず、いいように泳がせて利用してきたが……もう不要だ。調度よく【創世敬団】から援軍が届いた。これ以上、ワシに汚名を着かせようとする雌を【謀反者討伐隊】の援軍が増える前に葬ってやろう」
ラスノマスは両手を大仰しく広げ、開戦を告げる。
「さあ戦を始めよう仔龍どもめ。これが本当の戦だッ!」




