第一章 一
──シルベットが清神翼と出逢う約一ヶ月前のこと──
空に浮かんだ月が紅いに深く染めていた夜。
人間が支配する世界の並行する境界、その裏側にある異世界。
その世界の名は、ハトラレ・アローラ。
人間界──地球よりも少し広大で、質量を比較すると三百十八倍、直径は十一.二倍、体積は一.三百二十一倍もある。太陽系五番惑星──木星とほぼ同じ面積を誇っており、自然に恵まれている世界である。
大海に浮かぶ一際広い中央の大陸ナベルを中心とし、東西南北の大陸が周囲を囲んでいる。東にミズハメ、西にヨルムン、北にタカマガ、南にボルコナと大陸と大陸の間にある海域によって国境として区切られ、大陸を領主によって治められている。大陸内にも他にも小国がいくつか点在しているが、いずれも属国だ。
中央大陸ナベル。通称“世界の臍”。
人間が五つの国境に隔てられた世界ハトラレ・アローラの中で、一際広大な中央大陸ナベルはその名の通り、ハトラレ・アローラの世界の中心にあるだけではなく、国交の中心でもある。様々な世界と行き来できる〈ゲート〉があり、それらと通商条約が締結されており、貿易が盛んな国だ。
自由交易都市群が幾つもあり、そこには世界中から商人たちが集まり、それを買い求める様々な種族の人々により、活気に満ち溢れている。様々な種族が出入りし、異文化交流も盛んなナベルは、その影響を受け、様々な世界の文化の中心でもあり、まさに“世界の臍”と呼ぶに相応しい国といえるだろう。
その一際、広大で貿易な盛んな中央大陸ナベルの中心にあたる、雄大な自然に囲まれた土地。ゴールデン・ガーデンと呼ばれる自然豊かな丘の上に、そびえ建つ妖しくも美しい王宮があった。
王宮の中にある大きな空間には大勢の者たちが集められている。ハトラレ・アローラでは、大陸国々問わず巣立ちした亜人たちが中央大陸ナベルにあるゴールデン・ガーデンに執り行う式典に招待される。
巣立ちとは主に、学舎で義務教育の過程を終え、充分な能力を付けた者が住み慣れた家族または保護者から離れて、一人で生活をするためにハトラレ・アローラまたは異世界へと旅立つという年に四回執り行われる行事の一つである。人間界でいうところの卒業式・成人式といった二つの催しが一緒になった行事といえるだろう。
そして──
今回はあらゆる世界線との共存・友好・共同を目的とする組織──【異種共存連合】。【異種共存連合】とは対照的で、世界線との共存と交流──主に、人間界やあらゆる世界線との拒絶をし、絶縁・好戦を目的とする組織──【創世敬団】を討伐する五大陸が設立した組織──【謀反者討伐隊】。それら二つの組織の面々も集まっていた。
巣立ちした後の暮らし方や生き方は自由だ。それはハトラレ・アローラという世界内では収まらない。巣立ち後を異世界を選ぶ亜人もいる。これは、【異種共存連合】に公務員として就職、【謀反者討伐隊】に入隊して軍に配属を選んだもの入社・入隊を兼ねた行事である。
基本的に巣立ちした後の生活生活圏をハトラレ・アローラではない異世界を選択した場合は、異世界であるハトラレ・アローラの援助を受けるためにも【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】のどちらかに入らなければならない。
ハトラレ・アローラの他にある世界線は、幾千万もあり多岐にわたる。巣立ちしたばかりの亜人が一人で生活できるほど甘くない世界もあるため、各世界線に配置している【異種共存連合】の援助が必要なのである。
だとしても、幾千万もある世界に散らばるわけではない。大体はハトラレ・アローラから〈ゲート〉が開きやすく、魔力消費量が少ない人間界を選択するからだ。
〈ゲート〉とは世界線と世界線を繋ぐ、門でありトンネルである。まず、その〈ゲート〉と呼ばれる道を通らなればならない。〈ゲート〉を開き通れば、いろんな世界線に行くことが可能だ。だが、体にかかる負担は大きい。
〈ゲート〉は、亜人に生まれもって備わっている魔力や司る力の顕現によって、発動して開くものであり、巣立ち前の子供では、充分に力の顕現は行えず、目的の異世界に辿り着く前に閉ざされてしまうことがある。そのため、〈ゲート〉内部に閉じ込めらてしまう恐れがあるため、巣立ち前の亜人は〈ゲート〉の通行は保護者抜きでは禁止とされている。
〈ゲート〉を長く持たせるために、ある程度の制御も必要事項であり、体の負担をかけないようにしなければならない。司る力への顕現など技術的な云々は、学舎で徹底的に叩き込まれる。それと同時に並行して、異世界について学ぶことが多い。
あらゆる世界線の一つである人間界は、ハトラレ・アローラと並行する境界、その裏側にある為にもっとも最短で行ける距離にある世界であるため、係わりは深い。そのため、ハトラレ・アローラの住人にとって人気が高い世界である。
人間が生まれる前──八億年前から行き来が盛んに行われており、ハトラレ・アローラの歴史においても、馴染みが多い世界といえる。そのため人間界の歴史や伝承などにも、ハトラレ・アローラ関係者が関わったとされる記述があり、いろいろと因縁がある世界だ。
人間界とハトラレ・アローラは同じ気候の大陸──国々があり、似たような文化もあり、共通点が多い。それに近年(と、いっても五百年程前から)では、亜人や人間との親交を深めようと、【異種共存連合】が設立され、お互いの世界で立ち上げていて、行きやすくはなっている、が、しかし住み着くには、制限や条件はついて回る。
学校や住家については、人間界と通じている【異種共存連合】に加入すれば、手続きをしてくれる。しかし、服装や言葉遣い、態度などの人間のマナーは厳しい審査をくぐり抜けなければならない。加えて、人間界ではハトラレ・アローラとは違い使用されている言語が一つではない。いつどの国に行き着いたとしても言いように、様々な国の言葉や風習、流行りものを勉強しなければならない。
それら必要最低限を学舎で習得し、晴れて巣立ちの時期を迎える。
それがこの世界の巣立ちであるが──
今期の巣立ちには、その過程を受けることを赦されなかった者がいた。
外装と同じく内装も金箔が施され、煌びやかな輝きは放っている。豪華絢爛な絵画や美術品が展示される通路には、大理石に宝石が埋め込んだ細かなデザインがされてオシャレの神髄が追求されていた広い廊下には豪奢な赤い絨毯が敷かれ、左右には完全武装の衛兵たちが並んで立っており、剣を掲げる彼らの視線はある一人の少女に注がれていた。
中枢へ続く通路を力強くまるで八つ当たりをするかのように歩きながら、ふと水無月・シルベットはこう言った。
「────なんで私はここに呼ばれたのだ?」
「……それは巣立ちの式典と【謀反者討伐隊】の入隊、【異種共存連合】の加入の宴に呼ばれたからだとさっきも話したでしょ」
それを聞いた母親の水無月・シルウィーン・リンドブルムはややうろたえたように告げる。
シルベットは、首を下ろすと腰に届くほど長い銀の髪を結い上げて、桜の花弁を模様した花簪で髪留めた。
異形の深紅の瞳。長い銀の睫毛の翳りがかかったその瞳には、星が遷したような光が映り込んでいて、そこへさまざまな不思議な彩りが入れ替わり立ち替わり浮かんでくる。
そして清潔で健康的な牛乳色の肌。薔薇色の薄い唇。湯浴みの際には非の打ち所のない魅惑的な曲線を描き出すその身体は、いまは深紅でラメが散りばめられたドレスに包まれて、派手に、自分自身を主張していた。胸元にはゴシック調の銀のロザリオがかけられていて、更に派手に着飾っていた。それでも、衣服がどんなに肉体的な魅力を押し隠そうとしていても、その輪郭からは赤い光輝じみたものが立ちのぼり、触れてみたいような、触れがたいような、どこかこの世のものではない、彼岸から来たもののごとき妖しい魅力を醸している。
それと──
シルベットの背には、髪と同じ白銀に輝く翼が生えていた。
シルベットはこくりと頷き、
「確かにそうなのだが……。そういった催しは、“初めての外出”の許可が降りて、好きなところに行ってからにでもしてもらいたい、と文句の一つも付けてやりたいのだが……」
左右から注目を集め、圧迫感に息苦しさを覚えるシルベットは、居心地が悪そうに呟く。
「確かに。いきなりの決定に拒否権は無しというのは、いささか問題があると言う他ならないわ。あなたはまだ、屋敷から外出を“今日初めて”赦しを得たばかりの身なのですから……」
シルウィーン・リンドブルムも納得がいかない表情を浮かべている。
シルベットは、巣立ち前五日前に自宅である水無月家で、【異種共存連合】への入隊するために行われる魔力審査と身体検査、筆記・実技試験に臨んだ。記憶力には自信があるが、勉学などが嫌いなシルベットにとって、学舎に行かせてもらえなかったというのは相当不利な条件といえた。
その分だけ彼女は頑張り、必死でやった。幸いなことは父親が人間界出身──しかも日本人だったことにより、日本に関する筆記・実技試験問題は難無く解くことができた。身体検査も魔力審査もクリアし、残りは面接であったが、何とかそつなくこなし、父親の故郷であるがいる人間界──日本行きを指定。
その二日後、シルベットは合格通知が届いたことに歓喜して、すぐさま巣立ちの日に備えて荷造りを始めた。
今まで国の掟により銀龍族で禁忌とされていた〈原子核放射砲〉を持って生まれた子は、屋敷の敷地内から外へ一歩も出ることを許されなかった。そのため、水無月龍臣がしてくれた昔話などを聞いて、まだ見ぬ外へ──特に人間界の憧れを膨らませていった。
巣立ちをしたら、まずは最初に水無月龍臣の故郷である日本へ行こう。幼い頃に思い続けていたことだが、最近では日本から帰って来ない水無月龍臣を捜索する目的にもなっていた。
人間界の日本へ、様々な思いを巡らす矢先に届いたのが、【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】の代表者としての挨拶であった。
「なんと面倒な……」
それがシルベットが招待状を読んで出した第一声であった。
初めての外出先を勝手に変えられるなど、こう決めたら梃子でもそうしたくなる頑固者のシルベットに不愉快なことはなかった。
断りを入れるのを見通してなのか、巣立ちの式典への不参加を不可として強制的に参加の印を押されていた。それに通知には、もしも不参加した場合、巣立ちした後に移住先である日本には行かれなくなる旨が書かれており、遠回しに脅迫してきた。
それで仕方なしに引き受けざるを得なかった。シルベットは巣立ちの式典には興味はなく、【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】は人間界に行けるから配属を決めただけである。
シルベットは、【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】の活動には興味ははい。学舎に通っていない彼女にとって、日頃から磨き上げてきた剣術しかなく、【創世敬団】を倒して生かせるなら、それで給料が貰えるならといった考えで、両方の選択欄に丸を付けたに過ぎない。それが良くなかった。どちらか一方だけにすれば良かったという後悔はしなかったが、外出解禁の行き先を変えてまで来てまで見世物されたくはない。シルベットは、せめてもの反抗として募っていく苛立ちを隠そうとはしないことにした。
横で話しを聞いた案内役の男性騎士が口を開く。
「急な変更と決定に申し訳ございません……」
軽く下げた頭を上げ、騎士は横目でチラリとシルベットの衣服を確認して、
「……それに、いきなりの事でパーティ用の服が用意が出来なかったのはわかりますが……出来れば、もう少し落ちついたもの方をしてもらいたかったのですが、その、まあ、深紅でラメが散りばめられたドレスに、胸元の銀のロザリオというのは……。まあ、目立つのは目立つので、今回の入隊式の目玉は、水無月シルベット様ですので……何と言いますか……。華やか過ぎると言いますか……強すぎると言いますか……」
「回りくどい言い方は止めないか!」
シルベットは騎士の遠回しに言う態度がカンに障った。
「す、すみませんでした……」
おどおどしい態度で謝った騎士らしからぬ行動にとった男性をシルベットは苛立ちと相俟って睨めつける。
男性騎士は、シルベットの刀で切られたような細く鋭い深紅の眼光にたじろぐ。
「正直に派手過ぎです、と言えばいいだろう。そんなこと自覚しているのだ。だから、そんな遠回しに言われると物凄くムカつくのだ」
かなりの剣幕でシルベットに指摘を受けて、騎士の肩がビックゥ!! と動く。
水無月シルベットは人間ではない。いや──少なくとも、半分は人間で、半分は龍人である。
半人半龍。
それは人間と龍族の間で生まれた子のことである。
水無月シルベット──彼女は、銀龍の大君である水無月シルウィーン・リンドブルムを母親に、人間で日本人である水無月龍臣を父親に持つ混血者。そして、銀龍族の実質的な第一皇女。
だがしかし、いま目の前にいるのは皇女は、豊かな胸を支えるように腕組みをし、踏ん反り返るような出で立ちで、男性騎士を見据える。明らかに不機嫌だ。
かれこれ飛竜で王城に到着し、正門から城内に入城した時点で、不機嫌であった。正確には、招待状の内容を読んだかなり前から。それから真正面から宮殿へと足を踏み出す度に機嫌を悪くなっていく。
道案内役という一任を預かった騎士は、来賓に粗相がないように細心に注意を払わなければならない。
特に、水無月シルベットは銀龍族の大いなる紋章であり継承である【リンドブルム(雄々しさ)】家は、混血だからと受け継がれてはいないが、秘めたる力は千年に一人と謳われるほどの実力を持っている。同時に、銀龍族で禁忌とされていた、〈原子核放射〉が身に宿す者なのである。使ってしまえば、このハトラレ・アローラの国々だけではなく、大陸や世界線そのものに多大な災いや影響を与えかねない最大の大物であり、かつ最悪の難物なのである。
だから、核兵器以上の力を持つシルベットの扱いが難しいこと、この上ない。相手が感情がある生き物ゆえに爆発物のような扱いをすることが出来ない。よって、びくびくと腫れ物のような扱いをしてしまうのは致し方ないといえる。
非常に扱いが難しい。
男性騎士が彼女に対して、最初に抱いた印象である。
──シルベットを怒らせてしまった……。
男性騎士は震え上がった。
外見や容姿は、十五歳くらいに見える少女を二十歳半ばの新米でいえど男性騎士が怖がるのは、違う気もするが、少女の実際に生きていた年月は、既に五十年はないが、三十年は過ぎているので、生きた年月では人間の男性騎士からしたら年上である。
だが、龍族からしたら子供である。純血である龍族と種族によって様々だが五年で一歳になるのが多く、混血であるシルベットは、二年で一歳になる。
そう考えれば、見た目が少女のご機嫌を伺うことは、不思議ではない。
「……気分を害させてしまい申し訳ございませんでした」
「全くだ」
「これこれ人間の騎士をいじめるのはおやめなさい」
怒れるシルベットをシルウィーン・リンドブルムは宥める。
「しかし──」
シルベットを母親に怒られて口を渋らせる。そんな態度のシルベットにシルウィーン・リンドブルムは説教を始めた。
「しかし、ではありません。これから巣立ちをするあろうという者がこんなことでキレていては先が思いやられますよ」
「でも……」
言い訳がましく言葉を続けるシルベットにシルウィーン・リンドブルムは厳しい口調で、
「でも……、ではありません。これから小さなことでいちいちキレていてはダメなのですよ。銀龍族に恥じないよう広い心を持ちなさい」
「……………………はい、」
シルベットはそっぽを向きあからさまに態度が悪く返事をした。娘の態度にシルウィーン・リンドブルムはこみかみをピクピクと動かせる。
「──着きました」
母娘同士が睨み合っているうちに、騎士は一つの扉の前で足を止める。
その間に通路が終端に達し、目の前にあるのは両開きの見上げるほど大きな扉だ。
閉じた扉からは、見るものを圧倒する荘厳さのようなものが溢れ出している。正面に立つだけで背筋を正される感覚。
「ここが会場でございます」
扉の前に立つ兵士が一歩前に出て、シルベットとシルウィーンに剣を掲げて敬礼を向ける。完全武装の巨躯は兜を外し、その理知的な眼差しで二人を見据えた。
その眼差しからシルベットは、人型だが歴戦を感じさせる龍族の兵士と見抜いた。巌のような彫の深い顔には険しさがある、精悍というより厳つい顔立ちの男である。
「水無月シルベット様に、水無月シルウィーン・リンドブリム様でございますね」
「うむ」
「はい」
龍族の騎士の言葉にシルベットは首肯する。
「皆様、中ですでにお待ちです」
確認を終えた龍族の騎士は、仰々しく頭を下げてから、大扉がゆっくりと開き始める。
視界に広がったのは、赤い絨毯の敷き詰められた広大な空間であった。
煌びやかな装飾が施された壁に、豪奢な照明が吊り下げられた高い天井。広大な室内の後部側を社交界の舞台と思わせるほどの者たちで賑わい、前部側にはささやかな段差があり、備え付けられた椅子がある。左右に五つずつと、それぞれの大陸で高い地位にあると思しき風貌の人物が並んでいた。玉座の間にふさわしい錚々たる顔ぶれの中央の奥に一つ。
中央の椅子の背後には、黄昏龍を模した意匠の施された壁があり、その椅子を座る者はまさしく、中央大陸ナベルだけではなく、ハトラレ・アローラの世界を統括する玉座に相違ない。
その玉座には、既に『彼』がいた。
『彼』こそが、この世界において最高司令官にして、統括。大元帥。この大きな宮殿を本部とする【異種共存連合】、【謀反者討伐隊】の両組織に支援も出し惜しみなどしない金額を投資。【創世敬団】から全世界線を護ろうとする守護者。あらゆる世界線において、滅多に現れない幻の黄昏龍として伝説も少々ながらも残されている。ハトラレ・アローラの紋章にもなった聡明なる龍こそ、シルベットを拒否権なしに招待した者でもある。確か、長の男の名は、テンクレプと呼ばれていたはずだ。シルベットはテンクレプを見据えた。
外見上の年齢は七十歳後半に見えるが、実際の年齢はハトラレ・アローラの創成期に及び、百億年ほどである。流石に肌や髪などは色白で白髪の多い短髪で老いの影が見えはじめているが、力は若者には負けず劣らずだという話しだ。まだ巣立ち前のシルベットにもわかるほどの貫禄を凌駕している。芯や骨格といった所がここにいる誰よりも上だというのがわかる。身にまとっているのが、いかにも厳しそうな面立ちで清爽で純白の高価なスーツのせいもあるのだろうか。
勝手に外出先を変更した腹いせにその服を切り裂いて恥をかかせようと考えていたが、そんなことをしたら許してもらえるまでに一生を費やす羽目になるのは目に見えたのでシルベットはやめた。
その横には、元帥となる聖獣たちと政治的側からハトラレ・アローラを統括する元老院議員の面々が顔を揃えている。
見送られるままにシルベットとシルウィーンは扉の中に踏み込んでいく。
ここから先は──巣立ちの式典と同時に【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】の両組織の入隊・加入式の舞台であり、統括理事会会場の中枢。これから外の世界へ出ていくシルベットにとって、嫌でもお世話になることになる。そう考えると、シルベットの背筋にも自然と緊張が走る。初の巣立ち前の龍族というだけではなく、人間と銀龍のハーフが異例の入隊という扱いなのだから、注目されることだろう。
ごくり、とシルベットは息を呑む。
真っ先に目を引く玉座に目を奪われた後で、周囲を見渡す。
室内には、剣を構える衛兵らしき者は一人も見当たらない。その代わりに並ぶのは白を基調とした制服に身を包み、騎士剣を腰に携える精兵──【異種共存連合】や【謀反者討伐隊】の先輩騎士達や、黒や白などといった清楚なスーツやドレスを身を包んだ、今期入隊する新米騎士達──つまりシルベットの同期がいた。
確かに、周りが黒や白などの清楚なスーツやドレスなどを着ていく中で、シルベットだけは胸元は大きく開き首にかけた銀のロザリオ、血のように真っ赤な深紅で、ラメが散りばめられたドレスを着ていた、所々に真っ赤なレザーがあしらわれているため、何だかボンデージっぽく見えなくもない。
確かに騎士が注意された通り派手だ。派手過ぎると言っても過言ではない。しかも、目立っているだけではなく悪目立ちしていて、周囲からは睨まれている。あちこちで持っている扇で口を見えないように隠しながら陰口を叩いている。どうやらシルベットは、巣立ちをする前から外部の連中に嫌われているようだ。
無遠慮な視線の渦の中心で、シルベットは露骨に嫌な顔をしていた。こんな不愉快で屈辱的なのは初めてだったシルベットは、さっさと終わらせたい気分が募っていく。
そんなシルベットをよそ目に母親のシルウィーン・リンドブルムは優雅に振る舞っていた。娘の気も知らないで。
母親の水無月シルウィーン・リンドブルムは、一人娘の巣立ちの式典に招待された保護者に声をかけて挨拶をしていく。どれだけ陰口を叩こうが、娘の為に銀龍族の大君らしく接する。それが我が家を巣立っていく娘に出来る母親の務めだと、シルウィーンは陰口を叩く客を今日だけは見逃してやろうと怒りを抑止しながら頭を下げていく。
挨拶する前は嘲笑や陰口などを叩いていたが、雄々しさと容赦なさで知られる【リンドブルム】の名を受け継ぎ、気性が激しいと噂されるシルウィーンがいくら嘲笑や陰口などを向けられようとも顔色を変えずに和やかに母親らしい態度をしていることと、あまりにも美しい容姿に言葉を失った。
流れる銀の髪は、夜空の天の川の如く美しい輝きを放っていた。頭に乗せている白銀のティアラの輝きなど脇役になってしまうほど、清やかに流れている。
銀河に揺蕩う一対の瞳は静かな華やかさと威厳を備え、宇宙に君臨する太陽と月の光に勝るとも劣らぬ荘厳さを醸し出している。
カモシカのようにしなやかで、それでいて百合の花のようにたおやかな曲線を描く身体。
身につけている白いロングワンピースに銀のハイヒールが脇役になってしまうほどの魅惑的な美しさを誇っている。
擦れ違う者たちが皆が振り返って、思わず凝視してしまう。シルウィーンは近づく者たちを不快にさせないように慣れた手つきで、強かに窘める。シルベットはそんな母親を誇らしく思う反面、少し心配に思ってしまう。
シルウィーンの性格は【リンドブルム】の継承を受け継ぐほど強く、気性が激しい。そして容赦がない。加えて、この社交の場では不向き。性別が関係なく目を奪われてしまう美貌の持ち主であるシルウィーンに近づき、しつこく付き纏う輩に天誅を降し、宴など催し事を全て壊してきた前例がある。今は娘の巣立ちの式典だからと、怒らずに我慢をしてくれているが、いつ一気に吹き出すか心配なのである。
シルウィーンの我慢が限界に来る前に巣立ちの式典が無事に早く終わることを祈っていると、
「これより新たに旅立つ者たちの巣立ちの式典、【異種共存連合】の加入、【謀反者討伐隊】の入隊式を執り行う」
王宮の中で、ドスの効いた声が響き渡る。
沢山の者の前で指揮を取るのはさっきまで玉座でドシリと構えていたテンクレプだ。
「では──これより我が龍族と人間たちの友好と共存、これからの未来が幸せと願って乾杯しょうではないか」
テンクレプのその一言で、招待客は祝杯用のシャンパンを受け取る。社交パーティーなど来たことも、我が城の敷地以外から外に出たこともなかったシルベットはそれに倣って、シャンパンを取ろうとする。
「シルベット」
手に取る寸前で、シャンパンゴールドに輝いた小さなグラスを片手に、先ほどの群がる男性陣の中から出てきたシルウィーンの声で止まり、振り向いた。
「あなたはまだ未成年だから。アルコールは無いのを持ってきたもらったわ」
沢山の声かけを受けながらもかい潜り、さりげなく係員を呼びつけて、頼んで持ってきてもらっていた。どんな難がある状況でも一手、二手、三手を読んで自然ような振る舞いで、行動に移せる母親がうらやましくもあり、尊敬するシルベットは、シルウィーンが持ってきてくれたシャンパンを受け取る。
「かたじけない」
シルベットは日本の古風な御礼の言葉を口にする。これは日本人でもあり、人間でもある。そして父親である水無月龍臣が、シルベットから贈り物をあげた時によく口にしていた御礼の言葉である。
幼い頃に、かたじけない、という言葉の意味を知らなかったシルベットは、父親に聞いて意味を知った。それ以来、何か渡されたり、贈り物を受け取った時には言うことにしていた。
そんなシルベットを見たシルウィーンは、夫との、娘との、家族と過ごした様々な日々が思い起こされ、長年共に暮らしていた娘が巣立ちをしてしまったら、こうして毎日のように会えなくなってしまうことを思ったら、淋しさと悲しさが込み上げてきた。
シルウィーンは今すぐに巣立ち制度を廃止する為に、国の政府機関を破壊したい衝動に駆られたが、巣立ちの日を楽しみにしているシルベットの微笑みを見て、そんなことをしては娘が悲しむと思い直した。泣かないように必死に怺えて、娘に微笑んだ。
シルベットは少し淋しさと喜び、悲しさが混ざった母親の微笑みを見て。自分が巣立ちしてしまったら、あの城には母親以外いないことに気づいた。
義兄はいるが、今は消息がつかめていない。
父親の水無月龍臣は、二十年ほど前に日本に里帰りしたっきり消息を絶っていた。
今まで観光気分で楽しんでいてしまい、そんな大事なことをシルベットはすっかり忘却の彼方へと追いやっていた。
シルベットは申し訳なさで胸が張り裂けそうになった。
そんなシルベットの気持ちなど知らずに、観客が皆が祝杯用の黄金色をしたシャンパンを受け取ったのを視認したテンクレプは腕を天井に向けて突き出して、乾杯の音頭を取った。
観客の皆は、主役のシルベットとその母親は複雑な心境を抱えたままに、乾杯をする観客の見よう見真似で、ぎこちなくグラスを振った。